ダイアゴン横丁は以前訪れたときよりもさらに閑散とし、ボロ布のようなローブを着た人たちが何人も店の軒下にうずくまっていた。
治安が悪化し、日々の営みすら満足にできていない様子にハリー達は言いようのない苦しさと怒りを感じた。──これも、全てヴォルデモートが世を支配しているからだ。
グリンゴッツに向かう途中で死喰い人であるトラバースと出会ってしまい、不運にも共にグリンゴッツへ行くことになってしまったが、ハーマイオニーはなんとかベラトリックスらしい口調や侮蔑的な調子を真似てトラバースに疑われずに済んだ。
ロンとソフィアはヴォルデモートの目的に共感している外国の魔法使いとして、イギリス魔法界の新体制を見学しにきた。という設定だったが、珍しいことではないのか──それとも彼が深く物事を考えない性格なのか──トラバースは特に疑問には思わなかったようだ。
グリンゴッツの大理石の階段を登った先には大きなブロンズの扉があり、扉の両側には制服を着た魔法使いが立っていた。彼らはここを訪れる客が身を隠す呪文をかけていないかと調べ、隠し持った魔法道具を探知するために潔白検査棒を持っている。
最初の難関は彼らを無効化する事だ。トラバースさえいなければ簡単だったが少しも疑われないように出来る限り素早く、それでいて密かに行わなければ全ての作戦が無駄になる。
ソフィアは手筈通りに長いローブの下で隠し持っていた杖を強く握り、トラバースが検査を終えグリンゴッツに入り中を見ているうちにさっと杖先を門番の二人に向けた。
無言で散乱呪文を二度唱え、その魔法は門番を打ち抜つ、瞬間二人はびくりと肩を振るわせた。
ハーマイオニーはそれを確認し、緊張で強張った表情を引き締め、傲慢な顔に見えるように必死に表情を作り長い黒髪を背中に波打たせて堂々と階段を上がった。
「マダム、お待ちください」
「たった今、済ませたではないか!」
ベラトリックスの口調を真似てハーマイオニーが怒鳴れば、門番は混乱して検査棒をじっと見下ろし、それからもう一人の門番を見た。
「ああ、マリウス、お前はたった今この人たちを検査したばかりだよ」
「そうか──申し訳ありません、マダム」
どこかぼんやりとした相方の言葉を信じ、門番は検査棒をおろした。
ハーマイオニーはソフィアとロンと並んで威圧するように素早く進み、ハリーとグリップフックは透明マントを被ったまま小走りでその後を追いかける。敷居を跨いでからハリーが振り返れば、門番は狐に摘まれたような顔をして頭を掻いていた。
内扉の裏には小鬼が立ち、扉には盗人がどうなるかという警告文が書いてある。ハリーだけではなく、ソフィアとハーマイオニーとロンも、初めてグリンゴッツを訪れた日にこの文を読み、グリンゴッツに盗みに入る人なんて存在しないだろうと思っていたが──まさか、自分がそれをするとは昔の自分に言っても馬鹿にされ信じてもらえないだろう。
広々とした大理石のホールの奥には細長いカウンターがあり、脚高の丸椅子に座った小鬼達が客に対応している。
ハーマイオニー達は片眼鏡をかけて分厚い金貨を吟味している年老いた小鬼の元へ向かった。ハーマイオニー──ベラトリックスに先を譲ろうとするトラバースに、ハーマイオニーはソフィアとロンにホールの特徴を説明するという口実で先を譲った。できればトラバースとはここで離れたい。自分の要件を先に済ませて欲しいが、トラバースはどう行動するだろうか?
小鬼はトラバースに挨拶し、渡された金庫の鍵を調べた後返却する。次の番であるハーマイオニーが進み出た途端、小鬼は目を見張り目に見えて動揺した。
「マダム・レストレンジ!なんと、な──何のご用命でございましょう?」
「私の金庫に入りたい」
年老いた小鬼は少し後退りし、動揺したのか胸の前で手を組み、忙しなく指先を動かした。ハリーはさっと辺りを見回し、こちらを見ているトラバースだけでなく他の小鬼も仕事の手を止め顔をあげ、ハーマイオニーをじっと見ていることに気付いた。
「あなた様の──身分証明書はお持ちで?」
「身分証明書?こ──これまで、そんなものを要求された事はない!」
ハーマイオニーは動揺したがすぐにそれはベラトリックスらしくないと考え直し、傲慢な口調で叫び小鬼を睨みつけた。
「連中は知っている!名を語る偽物が現れるかもしれないと、警告を受けているに違いない!」
グリップフックがハリーに囁く。
どうすればいい?出直す?ソフィアに錯乱の呪文をかけるように頼むべきか?いや、トラバースがこちらを見ている。怪しまれてしまう──。
「マダム、あなた様の杖で結構でございます」
小鬼は微かに震える両手を差し出した。ハーマイオニーは内心で胸を撫で下ろし、ベラトリックス本人の杖を出そうとしたが、その瞬間ハリーは気付いた。
グリンゴッツの小鬼達は、ベラトリックスの杖が盗まれたことを知っているのだ。ここで本物だと知られたならば、間違いなく捕まってしまう。
「いまだ、いまやるんだ!──服従の呪文だ!」
グリップフックがハリーの耳元で囁く。
ハリーはマントの下で杖を上げ──心も決まらぬまま放った。
「
どの魔法とも違う、奇妙な感覚がハリーの腕から体の中を駆け巡る。それはまるで自分の心が流れ出て筋肉や血管を巡り杖と自分を結びつけているような感覚だった。
小鬼はベラトリックスの杖を受け取り、念入りに調べていたがやがて杖をハーマイオニーに返した。
「ああ、新しい杖をお作りになったのですね、マダム・レストレンジ!」
「何?──いや、いや、それは──」
「新しい杖?しかし、そんなことがどうしてできる?どの杖作りを使ったのだ?」
ベラトリックスの物ではないと言われハーマイオニーが咄嗟に否定しようとしたが、その前にトラバースが近づき眉根を寄せ詰問した。
そうだ、トラバースにはグリンゴッツに来る前に杖を失ったのかと聞かれ、それはただの噂で自分自身の杖を持っているとハーマイオニーは言ってしまっていた。
ハリーは考えるより先に行動していた。
もう一度「インペリオ」と唱え、その呪いを受けたトラバースは「ああなるほど、そうだったのか」と納得しながらベラトリックスの杖を見下ろす。
「なるほど、見事なものだ。それで、うまく機能しますかな?杖はやはり少し使い込まないと馴染まないというのが私の持論だが、どうですかな?」
ハーマイオニーはハリーが服従の呪文を使ったとは知らず、全く不可解な表情を浮かべていたが何も言わずに成り行きを受け入れ、トラバースに曖昧に返事をした。
「鳴子の準備を」
年老いた小鬼がカウンターの向こうで両手を打ち、それを聞いた若い小鬼は金属音のする皮袋を用意し手渡した。
「よし。では、マダム・レストレンジ、こちらへ。私が金庫まで案内しましょう」
年老いた小鬼は丸椅子からぴょんと飛び降り、皮袋の中身をガチャガチャと鳴らしながら小走りでハーマイオニーの側までやってきた。
トラバースは少し先で口をだらりと開けて、棒のように突っ立ちぴくりとも動かない。目は何もないところをただぼんやりと眺めているだけで瞬き一つせず──不気味な光景に周囲の目が向けられていた。
ハリーはきっと服従の魔法がうまくいかなかったのだとわかり、もう一度かけ直そうとしたが、カウンターの奥から別の小鬼があたふたとやってきたのを見て慌てて身を引いた。
「待て──ボグロッド!」
やってきた小鬼はハーマイオニー達を案内しようとしていた年老いた小鬼──ボグロッドの肩を掴むと、恐怖と疑念が見え隠れする表情でハーマイオニーを見上げ、一礼した。
「私どもは、指令を受けております。マダム・レストレンジ、申し訳ありませんが、レストレンジ家の金庫に関しては特別な命令が出ています」
その小鬼がボグロッドの耳元で何かを囁いたが、ハリーにより服従させられているボグロッドはその小鬼を振り払った。
「指令の事は知っています。マダム・レストレンジはご自身の金庫にいらっしゃりたいのです……旧家です……昔からのお客様です……さあ、こちらへ、どうぞ……」
ボグロッドは相変わらず皮袋から金属音を響かせながらホールから奥に続く無数の扉の一つへと急いだ。
ハーマイオニーとロンとソフィアは計画が何事もなく終わるようにと祈りながらその後を追い、ハリーはちらりとトラバースの様子を確認して──相変わらず異様に虚な状態だった──意を決して杖を一振りし、トラバースに自分の後をついて来させた。
ボグロッドに先導された一行は扉を通り、その向こうの暗く大きな石で作られたトンネルへと出た。
ところどころ松明がトンネルを照らしているが、あまりにも心許ない明かりだろう。
「困ったことになった、小鬼が疑っている」
背後で閉じた扉の音を聞いた後、ハリーは透明マントを脱ぎハーマイオニーとソフィアとロンに言った。
ハリーとグリップフックが突然その場に現れたことに、ボグロッドもトラバースも全く驚く事はなく、ただぼんやりとして前を見続ける。
その状態に驚いたのはハーマイオニーとソフィアとロンの三人だったが、ハリーから「この二人は服従させられているんだ」と聞かされ、微かに衝撃を受けたものの納得した。
もちろん、許されざる呪文である事は知っているが、レストレンジ家の金庫に侵入すると決めた時、ハリー達は話し合い「最後の手段として、服従の呪文も視野に入れておこう」と決めていたのだ。
正攻法だけで、理想だけで全てがうまく行くほど甘くはないのだと、四人全員が理解していたため、だれもハリーを責めることはなかった。
「僕は十分強く呪文をかけられなかったかもしれない。わからないけど……」
「今は大丈夫そうよ。あまり何度もかけると矛盾点が出てきて混乱させてしまうわ」
「どうする?まだ間に合ううちにここを出ようか?」
ソフィアは服従の呪文にかかった二人をまじまじと見つめ、今すぐ呪文が切れる事はないだろうと冷静に判断していたが、ロンは「小鬼に疑われている」という事実に動揺し、不安そうに後ろを振り返った。
「出られるものならね」
ハーマイオニーがホールに戻る扉を振り返りながら言った。向こうで小鬼が何をしているのかわからない。ここまで来ることができたのだから、後は進むほかないのだ。
それに、一度侵入されたとベラトリックスかヴォルデモートが知れば、分霊箱は別の場所に移され、もう入手できる機会は訪れなくなってしまう。
「ここまで来た以上、先に進もう」
ハリーの言葉に、ソフィア達は気を引き締めなおし、頷いた。