服従の呪文がかかりぼんやりとして不自然な印象を与えるトラバースをそのままにしておくこともできず、ハリーは自分たちの後ろに付き添わせた。
しかし、金庫に行くためにはトロッコに乗らなければならず、人数的にトラバースが同乗するスペースはない。ようやく別れられることに安堵する一方、この状態のトラバースをトロッコ乗り場の前に放置しておくことはかなり不安だった。
ハリーは仕方なくトラバースにもう一度服従の魔法をかける。びくりと肩を振るわせたトラバースは、真っ直ぐにトンネルの奥へと向かった。
少しでも長く企みがバレないように、とハリーは願い服従の呪文をかけたのだ。トラバースはゴツゴツとした石造りの暗いトンネルの奥で身を潜め続ける事だろう──少なくとも、魔法の効果が切れるまでは。
服従の呪文にかかったままのボグロッドが口笛を吹くと、小さなトロッコが暗闇の奥から独りでごとごとと音を立てながら線路を走ってきた。
全員がトロッコによじ登り、先頭にボグロッドが座り、その後ろにハリー達が狭苦しい中文句も言わず乗り込んだ途端、トロッコはガタンと大きく震え発車しどんどん速度を上げた。
ソフィアは前の座席の背を必死に掴み飛ばされないようにと気をつけたが、ガタンとトロッコが跳ねるたびにソフィア達の尻も椅子から浮き、スニッチを取るために急降下している時に感じるぞくりとする浮遊感に襲われた。
「こ、これ──きゃっ!──あの──コースタージェット?──みたいね!」
ハリーと昔デートで行った遊園地。その時に乗ったジェットコースターを思い出しソフィアが小声で叫んだ。ロンは頭の上に疑問符を浮かべ「どこ産の魔法動物!?」と叫んだが、ハーマイオニーとハリーは迷路のように進み急激な方向転換をするトロッコに顔を引き攣らせつつ──つい、ふっと緊張が途切れて笑った。
「ソフィア、それ──ああっ!──ジェ、ジェットコースターよ!」
「あれは安全のた──ためにシートベルトがあったね!これにもついてたらいいのに!」
「と、飛ばされそうだわ!」
天井から下がる鍾乳石の間を飛ぶように縫い、トロッコはどんどんと地中深く潜った。
金庫に入るためにはもちろんトロッコを使わなければならない。ソフィア乗った事はあるがこんなに長い時間深い谷底へと落ちて行くような道ではなかった。
ソフィアは髪を風で靡かせながら後ろを振り返る。もう後戻りはできず、進むしかない。
しかし、小鬼が自分達に疑いを持っているのならば、きっと時間は少ない。
トロッコは速度を上げ、急カーブを曲がり、ほぼ直角で落下する。
このまま叩きつけられるのではないか、と嫌な予感が頭をよぎったが、幸運にもすぐにトロッコは真っ直ぐ前を向きそのまま岩肌に沿って高速で大きくぐるりと曲がった。
その途端、線路に叩きつけるように落ちる滝が目に飛び込んできた。これが正規ルートなのだろうか?旧家で何代もグリンゴッツへ金や宝を預けているレストレンジ家の者に滝を打たせるのだろうか?──そんなはずがない、滝が割れるのか──。
「ダメだ!」
ソフィアが目の前の状況が読めず逡巡していると、グリップフックが必死な声でそう叫んだ。
しかし、ボグロッドはぼんやりとしたままブレーキをかける素振りはない。
ローブの下から杖を抜いたソフィアは、この滝が侵入者を溺れさせるためにあるのだと考え咄嗟に泡頭呪文を素早くそれぞれの頭に向かって放った。
全員の頭が金魚鉢を逆さまにしたような泡で包まれた瞬間、トロッコは轟音を立てて滝に突っ込んだ。
一気に体が冷たくなり──そして、
何も見えず息もできず、ただ互いに離れまいとそれぞれのローブを必死に掴む。
ソフィアは間違いなく全員に泡頭呪文をかけたはずなのに──と狼狽えながら、必死に空気を求めたが、口に飛び込んでくるのは水だけだ。
このままでは全員溺死する。そう思いなんとか魔法を繰り出そうと杖を上げかけたが、突如トロッコはぐらりと傾き何の防御もできずソフィア達は投げ出された。
トロッコがトンネルの壁に衝突し砕け散る轟音と共に叫び声が響く。
「
「
ハーマイオニーとソフィアが同時に叫び、恐ろしいほどの落下感覚は消え、ハリー達は無重力状態でふわりと地面に着地した。
水を大量に飲んだハーマイオニーはロンに助け起こされながら「クッション呪文、よ」と呟く。ソフィアも何度か咳をこぼしながら誰も欠けていないかを確認しようと顔にべったりと張り付く髪を掻き上げながら辺りを見回し、ぎくりと肩を強張らせた。
「魔法が解けているわ!」
ロンに助け起こされているのはベラトリックスのような黒い服を着たハーマイオニーであり、ロンの魔法も溶けている。ソフィアは呆然と自分を見るハリーを見て、自分の姿も元に戻っているのだと悟った。
「盗人落としの滝!呪文も魔法による隠蔽も、全て洗い流します!グリンゴッツに偽物が入り込んだことがわかって、我々に対する防衛手段が発動されたのです!」
よろよろと立ち上がりながらグリップフックが恐怖が滲む声で叫ぶ。
ハリーはすぐに透明マントを失っていないかどうかを確認し、上着のポケットに絹のような柔らかい手触りを感じてほっと表情を緩めた。
「ソフィア!すぐにアニメーガスの姿になって!あなたの存在が知られたら……!」
ハーマイオニーが血相を変えて叫ぶ。もうすでにハリーと共に行動していることが知られている自分とロンの事はいい。しかし、死んだことになり、その名前の意味が重いソフィアがハリーと共にいるのだと知られてしまえば全てが水の泡──いや、全てがお終いだ。どこからセブルス・スネイプの関係が漏れるかわからない。
ソフィアはハーマイオニーの言葉を聞く前に全て理解していた。しかし、アニメーガスの姿になれば魔法を使う事はできない。自分の身の安全は確保されるが、それでもこの先一人でも魔法の使い手が減る事は得策とは言えないだろう。
ソフィアはすぐに濡れた髪をぐっと一纏めにすると、首近くに杖を突きつけた。
「
白い閃光が走り、ソフィアの長い黒髪は肩の上でバサリと切れ、消失魔法により切れた先の髪は完璧に消え去った。
唖然とするハリー達の目の前で、ソフィアは地面に落ちている小石に向かって変身呪文をかけ、ただ目と口の穴が無骨に開いているだけの黒い仮面をつくり顔に当てる。
「これでいいわ。ロンとハーマイオニーも──」
「私たちは必要ないわ。もう指名手配されているもの」
ソフィアは複数枚の仮面を作っていたが、ハーマイオニーはそれを断りロンも頷く。「それでも、」と言いかけたが、ソフィアは二人の真剣な表情を見てその言葉を飲み込み仮面を石に戻した。
これからどうするべきか、そう悩む暇もソフィア達には与えられず背後から水を吐き出す音と唸り声が響く。
ボグロッドが意識を覚醒させ、頭を振りながら当惑顔でこちらを見つめていたのだ。
「彼は必要です。グリンゴッツの小鬼なしでは金庫に入れません。それに、鳴子も必要です!」
グリップフックが焦燥感を浮かべながら叫び、ハリーは突き動かされるままに杖を振るった。
「
その声は石のトンネルに反響し、同時にボグロッドは再びハリーの意識に従い、当惑した表情が消え礼儀正しい無表情に変わった。
ソフィアはすぐに遠くに落下していた革袋をアクシオで引き寄せ、ボグロッドに手渡す。ボグロッドはなんの躊躇いもなくそれを受け取った。
「ハリー!誰か来る音が聞こえるわ!」
ハーマイオニーはベラトリックスの杖を滝の方に向けて叫び、ハリーは咄嗟に「プロテゴ!」と魔法を放つ。
守護魔法が石のトンネルを飛んでいき、魔法の滝の流れがぴたりと止まった。
「よし。──グリップフック、道案内してくれ」
ハリーの言葉にグリップフックは頷き、すぐに走り出す。ソフィア達もその後を急いで追い、ぼんやりとした明かりしかなく、いつまでも続くように見えるトンネルを必死に走った。
「グリップフック、あとどのくらい?」
「もうすぐです。ハリー・ポッター、もうすぐ……」
はあはあと呼吸を荒げながらグリップフックは答える。
ハリーはその言葉を聞きながら、近くで何かが動き回っている音と気配を感じていた。
角を曲がった途端、その音と気配の主が何だったのかがわかり、ハリー達はぴたりと足を止め驚愕しながら顔を上げる。──不吉な事を予想していたとはいえ、目の前に迫っているとただ唖然とすることしかできなかった。
巨大なドラゴンが行く手の地面に繋がれ、最も奥深くにある五つの金庫を守っていた。
長い間地下に閉じ込められているのだろう、色の薄れた鱗は数箇所剥げ落ち、両眼は白濁している。両後脚には足枷が嵌められ、岩盤深くに打ち込まれた杭に鎖で繋がれていた。棘のある翼は折り畳まれているが、それを広げれば洞を塞いでしまうだろう。
ドラゴンは気配でハリー達を察知し、こちらに向かって猛り吠え、その声は岩を振るわせ口を開くと炎が吹き出す。ハリー達はすぐに安全な場所まで走って退却した。
「酷い扱いだわ!あんな──あんなの!」
ソフィアは怒り声を振るわせながら叫ぶ。確かにドラゴンの守りがあるのなら、侵入者など太刀打ちできないだろう。しかし、ドラゴンの扱いはあまりにも酷く許されるものでは無い。ソフィアは怒りで震えていたがグリップフックはその言葉を無視し手にしていた革袋の中を探った。
「あのドラゴンは殆ど目が見えません。しかし、そのためにますます獰猛になっています。ただ、我々はこれを抑える方法があります。鳴子を鳴らすと、次にどうなるかをドラゴンは教え込まれています。──やるべきことはわかっていますね?」
グリップフックは小さな金属の道具をいくつも引っ張り出し、ハリー達に手渡した。ハリーが試しに振ってみれば、鉄床にハンマーを打ち下ろしたような大きな音が洞窟に響き渡った。
「この音を聞くと、ドラゴンは痛い目に遭うと思って後退りします。その隙にボグロッドが手のひらを金庫の扉に押し当てるようにしなければなりません」
「本当──酷いわ」
ソフィアは怒りを滲ませグリップフックとボグロッドを睨む。彼らは小鬼の権利は声高々に叫び平等を主張するが、その他の種族については一切興味がない──それこそ、人と同じだ。
「今はドラゴンに思いを馳せている場合ではありません。──いきましょう」
ソフィアの睨みなどグリップフックは全く気にせずハリー達を顎で呼ぶ。ハリー達もまた、今はドラゴンを憂う余裕はなく無事金庫に侵入する方が重要だった。
「ソフィア、行こう」
「……ええ」
ハリーに促され、ソフィアは手に持っていた鳴子を強く握り直し、悔しそうに歯噛みしながら先ほど引き返した角へ走った。
ハリー達は一列になり鳴子を振る。岩壁に反響した音が何倍にも増幅されて響き渡り、自分の体を揺らしているのを感じる。
ドラゴンは再び咆哮を上げたが後退した。
一歩、一歩と距離を詰めていくうちにソフィアはドラゴンが異常に震えている事に気づく。よく見てみればその顔には何箇所も荒々しく切り付けられた傷痕と火傷痕があった。きっと、鳴子の音を聞くたびに焼けた剣で切り付けられ、怖がるように躾けられたのだろう。
「手のひらを扉に押し付けさせてください!」
グリップフックがハリーを促した。ハリーは再びボグロッドに杖を向け服従するように命じ、老いた小鬼は抵抗する事なく一つの木製の扉に手のひらを押し当てた。
金庫の扉は手のひらを中心に解けるようにして消え、洞窟のような広い空間が現れる。天井から床までぎっしりと金貨が積み上げられ、装飾の美しいゴブレットや鎧、何かの生き物の皮──色々なものがその奥にあった。