ハリー達は沢山の小鬼と門番の魔法使いに囲まれ、脱出することは不可能かに思えた。
しかし、ハリーのドラゴンの足枷を外すという機転により、ドラゴンは自由になり場は混乱し──それに乗じてハリーとロンとハーマイオニーは空を目指そうとするドラゴンの背に登りドラゴンが洞窟の奥から空へ舞い上がるために洞窟を破壊する手助けをし、ついに──なんとか──ハリー達はドラゴンを利用しグリンゴッツから逃げおおせた。
ほぼ盲目のドラゴンは、背に小さな人間は三人くっついていることには気づかないのだろう。新鮮な空気、自分が生きるべき場所を求めて空高く舞い上がり心地良さそうに羽を動かしていた。
もちろん舵を取る手段はなく、ハリーはドラゴンがどこに向かうのかもわからなかった。ただ、あの場から一刻も早く逃げ出すためにはああするしかなかったのだ。
ハリーは片腕で抱いたままのソフィアを見下ろす。ところどころ毛が焼け落ちているし、露出した肌には赤黒い血が滲んでいるが。早い呼吸音が聞こえることからまだ死んではいない──しかし、どうみても重症だろう。
「早くソフィアの治療をしないと!」
「こんなところじゃできないわ!ドラゴンが降りるまでは無理よ!」
ドラゴンはロンドンの上空を飛んでいるはずだが街明かりはすでに星空のように小さくなっていた。道路を走る車はずっと前に見えなくなり、その代わりに凍えるほど空気が冷えてきている。
ハリー達が凍死せず済んでいるのは、ドラゴンが風除けになっている事と、ドラゴン自身の体温が伝わりじんわり暖かいからだろう。長期間じめじめとした洞窟に閉じ込められていたドラゴンは冷たく新鮮な空気を求め、北へ北へと飛び続けた。
緑と茶色の区間に分かれた田園や、景色を縫ってキラキラと銀色に輝く川、青々と茂った森。
太陽が傾き、空は藍色に変わったがドラゴンはまだ飛び続けた。大小の街が矢のように通り過ぎ、ドラゴンの巨大な影が大きな黒雲のように地上を滑っていく。
「なあ、高度下がってないか?」
どこに向かっているのかわからず、長い間無言だったロンが首を伸ばし下を見ながら叫ぶ。
まだまだ地上から遠かったが、それでも確かに目を細め確かめているうちにも見る見る景色は大きくなり、細部が見えてきた。
先の方で陽の光が反射し銀色に輝いているものが見える──湖だ。
きっと、ドラゴンは光の反射と匂いで湖を感じ取ったのだろう。着陸し、喉を潤すつもりなのかもしれない。ドラゴンは次第に低く飛び、大きく輪を描きながら小さな湖の一つに的を絞り込んだ。
「十分低くなったら、いいか、飛び込め!ドラゴンが僕たちの存在に気付く前に、真っ直ぐ湖に!」
ハーマイオニーとロンは硬い表情で頷いた。
ハリーはソフィアの怪我に障らないようにソフィアを服の中に入れて抱き込み、ドラゴンの黄色い腹に湖の水面が映り光った瞬間、「いまだ!」と叫んだ。
ハリーはドラゴンの背中から滑り降り、湖の表面目がけて足から飛び込んだ。落差は思った以上に大きく、ハリーは胸にソフィアを抱えたまま葦に覆われた凍りつくような緑色の水の世界に沈み込んだ。
水面に向かって水を蹴り、喘ぎながら顔を出して見回すとすぐそばにロンとハーマイオニーが飛び込んだ後の大きな波紋が出来上がっていた。
「ドラゴンと逆方向へ!」とハリーはまだ沈んでいる二人に向かって大声で叫び、ドラゴンが飛んでいった方向と逆の湖岸へと向かった。
湖はそう深くないが、葦や泥が多く、泳ぐというよりは掻き分けて進んだ、というほうが正しいだろう。
やっと岸に着いた時には疲労困憊し、三人とも水と泥を滴らせ息を切らせながら草の上に膝をつき何度も咳き込む。
「ソフィア!」
ハリーは服の中からぐったりとしたままのソフィアを取り出す。「薬を!」とハーマイオニーに向かって叫んだが、ハーマイオニーは鞄の中からテントを取り出し杖を振って組み立てると、すぐにいつもの保護呪文をかけていた。
「中に、早く!」
ハーマイオニーに急かされ、ハリーは疲弊し震える足に喝を入れよろめきながらテントの中に飛び込む。
テントは今まで使用してきたテントの中で最も清潔があり、床はちきんと磨き上げられ当然のことながら動物臭い匂いもしない。
部屋の中央には暖炉と大きなソファ、それにビードロ色のローテーブルがあった。部屋の奥には扉が二つあり、おそらく寝室だろう。
ロンもぜいぜいと息を切らせながら入り、置いてあったランプに灯消しライターで火を灯し、ソファの上に寝かされたソフィアに駆け寄り、心配そうに覗き込んだ。
「ロン!あなたは後ろを向いていて!」
「え?」
「いいから!」
焦ったそうに叫ぶハーマイオニーの勢いに押され、ロンは困惑したまま背を向けた。
ハーマイオニーは一度深呼吸をし、震える声で「フィニート」と唱える。
黒いフェネックのはみるみるうちに大きくなり、手足が伸び、人の姿となった。
「う──」
着ていた服は想像していた以上に綺麗だったが、見えている肌は赤黒く爛れている。ハーマイオニーは喉の奥で悲鳴を上げ、泣きそうに顔を歪めたがそれも一瞬のことだった。すぐにソフィアが肩から下げている鞄に杖を向け、ベルトを切った。
「火傷にはハナハッカエキスが一番よ。広範囲の火傷だから、あなたにも手伝って欲しいの、ハリー。まず、服を脱がすわ」
「うん、わかった」
ハリーはようやく何故ハーマイオニーがロンに背を向けるように伝えたのかがわかった。服の下にある火傷を治療するためには服を脱がねばならず、その姿をソフィアはロンに見られたくないだろう──そう、配慮したのだ。
「っ──ハーマイオニー!だ、だめだ!皮膚が服にくっついてる!」
ローブはすぐに脱がすことができたが、シャツに手をかけボタンを外し脱がせようとした途端、びり、ともぬちゃり、とも言えぬ恐ろしい音が響いた。
ハーマイオニーはズボンを脱がしかけていたが、半分おろし──ぐっと唇を噛んだ。
火傷を負った時には、服を脱がせることなく上から冷水を浴びせるのが本来の治療法だとハリーは知っていた。そうしなければ熱で溶けた皮膚と服がくっつき、脱がす時に──肌が剥がれ大量に出血してしまうのだ。
「傷薬ならあるわ!こうするしかないの!」
「なら、消失魔法で消すのは?ほら、ソフィアは切った髪を消していたよね?」
「あ──そ、そうね」
ハリーはソフィアが髪を切った後、証拠を消すために長い髪を消していたのを思い出し言った。ハーマイオニーは虚を突かれ一瞬狼狽したが、すぐに杖を振る。──冷静に見えているが、ハーマイオニーはかなり混乱し焦っていたのだ。
「
「わかった」
服と下着を消されたソフィアの肌は身体中が酷い火傷を負っていた。ハリー達も手足が赤くなりところどころ火傷の水疱があるが、やはり小さな動物の状態ではあの熱に耐えられなかったのだろう。それに、全身が毛で覆われもえやすかったことも原因の一つかもしれない。
ハーマイオニーとハリーは手分けしてハナハッカエキスを垂らした。特に酷いのは顔と胸から腹にかけて、それと手足だろう。真っ赤になり一部が焦げていたが、それでも薬を塗れば血の滲む火傷は回復し薄ピンク色の新たな皮膚が再生した。
「──これで大丈夫よ」
「よかった……!」
「まだ再生中の皮膚もあるから、服は後で着せたほうがいいわね」
大きな火傷を治療したハーマイオニーは、鞄の中から清潔なタオルを取り出すとそっとソフィアの体の上にかけた。ハリーはほっとして、どこか表情が和らいだように見えるソフィアの頬を撫でる。
「う──痛っ!」
安堵した瞬間、今まで感じなかった火傷の痛みがハリーの手足を襲い、ハリーはその場に座り込んで両手に息を吹きかける。ハーマイオニーは「薬よ」と言いながら新しいハナハッカエキスの瓶をハリーに渡した。
「ロン、もうこっちを見ても大丈夫よ。私たちも薬を塗って、少し休まないと」
ソフィアの状態を心配していたが、それでも治療の様子を見る事もできず、そわそわとしていたロンはハーマイオニーに言われてようやく壁から部屋へと視線を移し、ソファの上で寝ているソフィアの怪我が酷く残っていないのを見て「良かった」と呟いた。
ハーマイオニーはハナハッカエキスだけではなく、貝殻の家から持ってきていたバタービール三本と乾いた清潔なローブを取り出した。着替えた三人は一気にバタービールを飲み、顔を見合わせぎこちなく笑い合う。
今になって、本当に逃げ仰た事を実感したのだ。それに重傷だったソフィアの怪我も治す事ができた。──問題は。
「まあ、良い方に考えれば分霊箱を手に入れた。悪い方に考えれば──」
「剣がない」
ロンの言葉をハリーが引き継いだ。
ジーンズの焦げ穴からハナハッカエキスを垂らし、その下の酷い水脹れを治しながらハリーは歯を食いしばる。
ビルに小鬼は魔法使いと考え方が異なる、何か約束をするときは注意しなければならない。そう言われていたが──それを痛感したところで、もう後の祭りだ。剣はあのときグリップフックに奪われてしまい取り返す余裕は無かった。仕方ないとはいえ、苦い気持ちを抑えられない。
「剣が──あのチビの裏切り者の下衆野郎……」
ロンは一気にバタービールを煽り、喉の奥で低く暴言を吐いたがハーマイオニーもそれを咎めることは無かった。
ハリーは今脱いだばかりの濡れた上着のポケットから分霊箱を取り出し、ローテーブルの上に置いた。小さな金のカップはランプの灯りを反射し、キラキラと美しく輝く。
ハリーとロンとハーマイオニーは、その美しい分霊箱をただじっと見ながら残りのバタービールを飲んだ。
「う──ん……」
「ソフィア!?」
衣擦れの音と小さな唸り声が聞こえ、ハリーはすぐに叫び手にしていたバタービール瓶を乱雑に机の上に置くとソフィアを見た。
眉を寄せ、何度か目を瞬いていたが苦しむ様子もなくソフィアは体を起こし、慌ててハーマイオニーが「まって!」と叫びずれ落ちそうになっていたタオルを押さえた。
「ここ──私は──?」
「グリンゴッツからはなんとか逃げられたわ!あなたのおかげでカップも手に入ったの。でも、無茶しすぎよ!」
ハーマイオニーはソフィアが目覚めたことに目を潤ませながら喜びつつ、彼女の無謀な行動を咎めた。
「カップ……良かったわ……」
「カップは良かったけど、君の怪我はちっともよくなかったんだよ」
「火傷は覚悟の上よ。薬があるのはわかっていたし……でも──」
ソフィアは自分の腕をまじまじと見て、薄く張り詰めたような新しいピンク色の皮膚が大部分を占めていることに気付く。
カップにしがみついたからか、手の指紋もつるりとしてしまっている。きっと、腹や顔にも新しい皮膚ができて歪になっているだろう。──一瞬、ソフィアはどれだけの傷が残るのか、ハリーはこの火傷跡を見てどう思ったのか不安になったがすぐに「そんな事を考えている場合ではない」と自分の苦しみに蓋をした。
「ありがとう、治してくれて」
ソフィアはいつものように柔らかく微笑んだ。
ハリーはハーマイオニーから受け取った新しいローブをソフィアの肩にそっと掛け、傷跡が痛まない程度に優しく抱き寄せる。
ソフィアの頭を撫で、その手から流れ落ちる髪の量の少なさに──ハリーは胸が痛むのを感じた。
いつも、この中でソフィアが一番大怪我をしてしまう。たくさん魔法を知っているし、度胸も覚悟もあるから怪我を負いやすいのかと思っていた。
──だけど、違う。ソフィアは償いのために自分を犠牲にしようとしているんだ。
ハリーは薄々勘付いていた。
ソフィアが他の人ならば躊躇する場面でも飛び込んでしまうのは、勇敢だからではないのだ。──ソフィアは、家族が犯した罪に気付けなかった自分を罰し続けているのだ。
リーマスがトンクスの妊娠を知り、ハリーと共にヴォルデモートを倒す旅に向かい、巨悪に立ち向かって死んだ人狼になりたかったように。
ソフィアはこの旅で命を落としたとしても、それで家族の罪が少しでも許されるのであればと思っている。
「ソフィア、もう無茶はしないで」
「でも──」
「あの人を倒したとしても、ソフィアが隣に居なきゃ意味がないんだ」
その声は僅かに震えていた。
ハリーの肩口に顎を乗せていたソフィアは、大きく目を見開き、自分の頭をゆっくりと撫でるハリーの手の温かさを感じ、辛そうに眉を寄せる。
「──……」
ソフィアは口を開いたが、すぐにきゅっと閉じると「ありがとう」と小さな声で囁いた。