「とんでもない馬鹿者どもだ」
部屋に入ってきたバーテンが四人を交互に見ながらぶっきらぼうに吐き捨てた。
「のこのこやって来るとは、どういう了見だ?」
「ありがとうございました。お礼の申し上げようもありません。命を助けてくださって」
ハリーは心から礼を言い、ソフィア達も「ありがとうございます」と口々に言った。
バーテンはフンと鼻を鳴らし、腕を組みじろじろと四人を見る。ハリーはバーテンに近づき、針金色のパサついた長髪と髭に隠れた顔を見分けるようにじっと覗き込んだ。バーテンがかけている眼鏡の奥の瞳は、人を見透かすような明るいブルーの色をしていた。
「鏡にうつったのは、あなただったんですね?あなたが、ドビーを遣わしてくれたんだ」
ハリーは油絵の下、マントルピースの上に置かれている鏡を指差す。ソフィアとハーマイオニーとロンは驚いてハリーの指差す方を見て息を呑み、バーテンは静かに頷いた。
「あいつが一緒だろうと思ったんだが、どこに置いてきた?」
「ドビーは死にました。ベラトリックス・レストレンジに殺されました」
ハリーの言葉を聞き、バーテンはすっと表情を消した。暫く沈黙していたが、ため息と共に「それは残念だ。あの妖精が気に入っていたのに」と呟く。
バーテンは四人に背を向け、誰の顔も見ずに杖で小突いてランプに灯をともす。ハリーはその背中に向かって「あなたはアバーフォースですね」と聞いたが、バーテン──アバーフォースは肯定も否定もせずに屈んで暖炉に火を灯した。
「これをどうやって手に入れたのですか?」
「あいつら──死喰い人が隠れ穴から押収した中にあった。奴らはこれがなんだかわからなかったんだろう。それを俺が買った。アルバスから、これがどういうものかを聞いていたんだ。時々君の様子を見るようにしていた」
ハリーが納得していると、ロンの腹がぐうと不満の声を上げた。四人の視線を集めたロンは顔を赤く染めながら弁解がましく「腹ペコなんだ!」と付け加える。確かに朝からグリンゴッツに侵入し、一日何も食べていない。ハリー達も忘れていた空腹を思い出し腹を押さえた。
アバーフォースは「食い物ならある」とぶっきらぼうに言うと部屋を抜け出し、程なくして大きなパンの塊とチーズ、蜂蜜酒の入った錫製の水差しを持ち戻り暖炉前の小さな机の上に置いた。
四人は貪るようにして食べ飲み、暫くは暖炉の火が爆ぜる音と、ゴブレットの触れ合う音と飲み込む音以外なにも響かなかった。
「さて、それじゃあ──」
全て平らげ、ハリーとロンが眠たそうに椅子に座り込むとアバーフォースが切り出した。
「君たちをここから出す手立てを考えないといかんな。夜はだめだ、暗くなってから外に出たらどうなるか聞いていただろう。夜鳴き呪文が発動して、連中はドクシーの卵に飛びかかるボウトラックルのように襲って来るだろう。牡鹿を山羊と言いくるめるのも、二度目はうまくいくと思えん。明け方まで待て。
夜間外出禁止令が解けるから、その時にまたマントを被って歩いて出発しろ。まっすぐホグズミードを出て、山に行け。そこからなら姿くらましできるだろう。ハグリッドに会うかもしれん。あいつらに捕まりそうになって以来、グロウプと一緒にあそこの洞穴に隠れている」
「僕たちは逃げません。ホグワーツに行かなければならないんです」
「ばかを言うんじゃない」
「そうしなければならないんです」
頑なにホグワーツへ行くというハリーに、アバーフォースは顔をしかめ椅子から身を乗り出しハリーを睨みつけた。
「君がしなければならんのは、ここからできるだけ遠ざかることだ」
「あなたにはわからない事です。あまり時間がない。僕たちは城に入らないといけないんだ。ダンブルドアが──あの、あなたのお兄さんが──僕たちにそうしてほしいと──」
暖炉の火がアバーフォースの眼鏡の汚れたレンズを一瞬曇らせ、明るい白一色にした。ハリーはなぜか、盲いたアラゴグのやナギニに皮をかぶられていた哀れな老女の目を思い出した。
「兄のアルバスはいろんなことを望んだ。そして、兄が偉大な計画を実行している時には、決まって他の人間が傷ついたものだ。ポッター、学校から離れるんだ。できれば国外に行け。俺の兄の、賢い計画なんて忘れちまえ。兄はどうせこっちのことでは傷つかないところに行ってしまったし、君は兄に対して何の借りもない」
「あなたには、わからない事です」
「──わからない?」
ハリーは静かに同じ言葉を言ったが、アバーフォースは粗暴さを一瞬消し、同じように静かに──それでいて沸々とした怒りを抱きながら──首を傾げた。
「俺が、自分の兄のことを理解していないと思うのかね?俺よりも、君の方がアルバスをよく知っていると?」
「そういう意味ではありません。つまり……ダンブルドアは僕に仕事を遺しました」
「へえ、そうかね?いい仕事だといいが。楽しい仕事か?簡単か?半人前の魔法使いの小僧が、あまり無理せずできるような仕事だろうな?」
からかいを含むアバーフォースの言葉に、ロンはかなり不愉快そうに笑い、ハーマイオニーとソフィアは緊張した面持ちで彼らを見た。
アバーフォースは窮地を救ってくれた。しかし、他の騎士団員のようにハリーを無条件で支持するわけではないのだろう。彼はアルバス・ダンブルドアを盲目なまでに尊敬し信じていない。兄弟だからこそ──過去の行いのこともあり──懐疑的なのだ。
「いいえ、簡単な仕事ではありません。でも、僕にはそれをする義務が──」
「義務?どうして義務なんだ?兄は死んでいる。そうだろうが?忘れるんだ、いいか?兄と同じところに行っちまう前に!自分を救うんだ!」
「できません」
「なぜだ?」
「僕──」
ハリーは胸が詰まった。言葉に出し説明するのは難しい。今までの数年間にわたる思いを、色々な願いを、絡みついた因果を──言葉にする事ができるだろうか?
「──でも、あなたも戦っている。そうでしょう?あなたも騎士団のメンバーだ」
「だった。不死鳥の騎士団はもうおしまいだ。例のあの人の勝ちだ。もう終わった。そうじゃないとぬかす奴は、自分を騙している。ポッター、ここは君にとって決して安全じゃない。あの人は君を執拗に求めている。国外に逃げろ。隠れろ。自分を大切にするんだ。この三人も一緒に連れて行く方がいい」
アバーフォースは親指をぐいと突き出してソフィアとロンとハーマイオニーを指した。
「僕は行けない。僕には仕事がある──」
「誰か他の人に任せろ!」
「できません。僕でなければならない。ダンブルドアが全て説明してくれた──」
「ほう、そうかね?それで、何もかも話してくれたかね?君に対して正直だったかね?」
アバーフォースは机を指先でトントンと叩きながら嘲るようにハリーに聞いた。ハリーは「そうだ」と言いたかったが、その簡単な言葉が口から突いて出て来ることは無い。自分が一番わかっているのだ、ダンブルドアは、殆ど何も教えてくれなかった、と。
その目の揺れと戸惑いを察したアバーフォースはハリーが何も言わなくても全て理解したようだった。
「ポッター、俺は兄を知っている。秘密主義を母親の膝で覚えたのだ。秘密と嘘をな。俺たちはそうやって育った。そしてアルバスには……天性のものがあった」
アバーフォースの視線が、マントルピースの上に掛かっている少女の絵に移った。部屋にはその絵しかなく、その絵の周りだけが綺麗に掃除されている。そして、アバーフォースの目に後悔や深い愛、悲しみが映ったことにソフィアは気づいた──あの目は、昔、
「ダンブルドアさん、あの人は──妹の、アリアナさんですね」
「──そうだ。娘さん、君は……君の顔は指名手配に無かったな。そこの二人は指名手配されているが」
ソフィアの言葉に頷いたアバーフォースは、やや不思議そうにソフィアを見つめる。自分の存在が周りに知られていない事に、ソフィアは僅かに安堵したがロンとハーマイオニーの手前喜ぶことはなく、「ソフィアです」と少しだけ微笑み名を告げた。
「ふん、お前はリータ・スキーターを読んでるのか?」
「全て信じているわけではありません」
「エルファイアス・ドージが、妹さんのことを話してくれました」
ハリーはソフィアに助け舟を出し、アバーフォースは「あのしょうもないバカが」とぶつぶつと呟きながら蜂蜜酒をぐいと呑んだ。
「俺の兄の、毛穴という毛穴から太陽が輝くと思っていたやつだ。まったく。──まぁ、そう思っていた連中はたくさんいる。どうやら君たちもそうらしい」
ハリーは黙り込んだ。
去年ならばダンブルドアを盲目なまでに信じていただろう。しかし、この数ヶ月、初めてダンブルドアの過去を知り、何も知らされないまま過酷な使命を受け旅に出た。
ただ、ハリーはドビーの墓穴を素手で掘りながら、ハリーは選び取ったのだ。アルバス・ダンブルドアが示した曲がりくねり危険な道、なんの地図も用意されていない道を辿り着けると決心し、自分の知りたかったこと全てを話してもらってはいないと言うことも受け入れた。ただ、ひたすらに信じる事に決めたのだ。──再び疑いたくはなかった。目的から自分を逸らそうとするものには、一切耳を傾けたくなかった。
ハリーは無言でアバーフォースの目を見つめる。その不思議なブルーの瞳はやはりダンブルドアと似ていて、考えを見透しているのではないかと思った。
「私たちは、ダンブルドア先生を盲信しているわけではありません。ダンブルドア先生が話した事は多くはなかったかもしれませんが、それでも私たちは自分と──護るべき人たちのために進まなければならないんです」
「自分は護られないのにか?兄は何にも護れやしない。少なくとも、護れなかった」
ソフィアの言葉にアバーフォースは忌々しげに吐き捨て、すぐに「言うんじゃなかった」と顔をしかめ蜂蜜酒を呑み誤魔化した。
「それは──それは、アリアナさんの事ですか?」
ソフィアは小声で囁き、アバーフォースはソフィアを睨め付けた。出かかった言葉を噛み殺しているように唇が動き、もう一度蜂蜜酒を呑み──そして、堰を切ったように話し出した。
「妹は六つの時に、三人のマグルに襲われ、乱暴された。妹が魔法を使っているところを、やつらは裏庭の垣根からこっそり覗いていたんだ。妹はまだ子どもで、魔法力を制御できなかった──」
どんな風に襲われ乱暴されたのか、アバーフォースはけして語りはしなかったがその言葉の端々に浮かぶ憎悪と嫌悪の色が何があったのかをありありと示していた。
ハーマイオニーは目を見開き、ソフィアは口を押さえ、ロンは気分が悪そうに眉を寄せる。
兄のアルバスと同じほど背の高いアバーフォースは立ち上がり、怒りと激しい心の痛みで突然恐ろしい形相になりハリー達を見下ろす。その目は、ハリー達を通して当時の三人のマグルを見ていた。
襲われたアリアナの心は壊れてしまった。二度と元のアリアナには戻らなかった。
トラウマになり魔法を使おうとはしなかったが、魔法力を消し去る事はできず、体の内に魔法力は溜まって行く。抑圧された力は、アリアナの心と体を蝕みさらに狂わせていった。
自身の力が抑えきれず内から溢れ出すとアリアナは暴走し周囲を危険に晒してしまった。いつもは優しく、全てに怯えているだけの少女が──全てを破壊するほどの猛威をふるった。
アリアナの──アルバスとアバーフォースの──父は、アリアナを狂わせたマグルの三人を許せず、また、許すつもりもなく彼らを攻撃した。
父はそのためにアズカバンに閉じ込められたが、アリアナの事を思い何故彼らを攻撃したのかはけして口にしなかった。
家族は、アリアナをそっと守ろうと決め引越した。辛いことを思い起こす場所にいるよりは遠く離れた田舎に行った方がいいと、その時は皆が思ったのだ。
アリアナは病気だと周囲に説明し、母はアリアナの面倒を見て安静に、幸せに過ごさせようとした。
「──妹のお気に入りは、俺だった」
そう言ったアバーフォースの顔は、どこか悪戯っぽい子どものように自慢げであり、また優しさが含まれていた。
アルバスは家に帰ると自分の部屋に篭り切りになり、世界の著名な魔法使い達と手紙のやり取りをする事に忙しくアリアナの面倒を見ようとは思わなかった。アリアナは、アバーフォースの事が一番好きで、癇癪が起こった時もアバーフォースならば鎮めることができた。嫌いだと口をつけなかった食事も、母ではなくアバーフォースならば食べさせることができた。
落ち着いている時は家事をして、山羊に餌をやる手伝いだって、野原の花を摘むことだってできた。
しかし、その時──アリアナが十四歳の時、不幸にもアバーフォースはそばにいなかった。いつもの怒りの発作が起き、周囲をめちゃくちゃにしてしまった時、母しかそばにいなかった。
その時のことを、アバーフォースは今でも悔いていた。
「それで……事故だったんだ。アリアナには発作を抑えることが、力を抑えることができなかった。母も、宥められなかった。そして、母は死んだ」
ハリーは憐れみと嫌悪感の入り混じった、やりきれない気持ちになった。それ以上この話を聞きたくなかったが、アバーフォースは止めることを忘れたかのように話し続けた。──今まで誰にも話したことのない過去を、胸の奥に重く沈澱していたものを全て吐き出すかのように。
ドージとの世界一周旅行は立ち消え、アルバスは葬儀のために家に帰りそのまま家長を引き継ぐ事となった。アルバスは自分がアリアナの面倒を見るから、アバーフォースは教育を受けろ、学校を卒業しろと言った。アバーフォースは最後まで反論したが──アルバスはなんとかアリアナが一日おきに家を破壊するのを止め数週間はうまくやっていた。全ては、あの男と出会うまでの短い間だった。
もしその時、あの男──グリンデルバルドと出会わなければ、きっとこんな最悪な出来事は起こり得なかっただろう。
アルバスは初めて自分と対等な人と出会ったのだ。同じような野心があり、才能に溢れ優秀で──初めて対等に話し合える者だった。聡明だとしてもまだ成人したばかりのアルバスはグリンデルバルドと秘宝の事や世界の秩序についてに話し合う事に夢中になり、アリアナの世話が疎かになっていた。
それが何週間にもなり、アバーフォースがホグワーツに帰る日、ついにアバーフォースは我慢の限界が訪れアルバスとグリンデルバルドに「すぐにやめろ、妹を巻き込むな、連れて行くな」と啖呵を切った。アルバスは気を悪くしたが、グリンデルバルドはそれ以上に怒りを露わにした。
「やつは言った。自分たちが世界を変えてしまえば、それまで隠れている魔法使いを表舞台に出し、マグルに身の程を知らせてやれば、俺の哀れな妹を隠しておく必要もなくなる。それがわからないのか、そう言った。
口論になった……俺は杖を抜き、やつも抜いた。兄の親友ともあろう男が、俺に磔の呪文をかけたのだ──アルバスはあいつを止めようとした。それからは三つ巴の争いになり、閃光が飛び、大きな音がして、妹は発作を起こした。アリアナには、耐えられなかったのだ」
魔法の音が、魔法の存在が。
そして、兄弟が争っているという状況が多大なストレスになり、発作の引き金になってしまった。
止めたい。兄たちを、大切な人たちを止めたい。その思いがアリアナの内に押し殺していた力を暴発させた。
「だから、アリアナは助けようとしたのだと思う。しかし、自分が何をしているのか、アリアナにはよくわかっていなかったのだ。そして、誰がやったのかわからないが──三人とも、その可能性はあった──妹は死んだ」
最後の言葉は泣き声になり、アバーフォースは傍の椅子にがっくりと座り込んだ。
ハーマイオニーの顔は涙に濡れ、ソフィアとロンはアバーフォースと同じくらい蒼白になっていた。
「本当に……本当にお気の毒」
ハーマイオニーが鼻を啜りながら囁いた。
啜り泣きの音が部屋の中で寂しく広がる中、ソフィアは描かれている少女を見つめる。過去、マグルと魔法族は完璧に分かれていて結婚はおろか友人になる事も禁じられていた時代があった。マグルから隠れなければならない、存在を知られてはならない──そのために、苦しい思いをし犠牲になった人は、きっとこの哀れな少女だけではないだろう。
「逝ってしまった。……永久に、逝ってしまった」
アバーフォースは袖口で洟を拭い、咳払いを一つする。当時の記憶と感情が蘇り昂っていたものを必死に抑え殺した後のその顔は、より一層年老いた老人に見えた。
「もちろん、グリンデルバルドのやつは急いでずらかった。自国で前科のあるやつだから、アリアナのことまで自分の罪にされたくなかったんだ。そしてアルバスは自由になった。そうだろうが?妹という重荷から解放され、自由に、最も偉大な魔法使いになる道を──」
「先生は決して自由ではなかった」
ハリーはまっすぐにアバーフォースを見ながら呟く。アバーフォースは睨み「なんだって?」と聞き返したが、ハリーは同じことを言った。
「決して。あなたのお兄さんは、亡くなったあの晩、魔法の毒薬を飲み、幻覚を見ました。叫び出し、その場にいない誰かに向かって懇願しました。──あの者たちを傷つけないでくれ、頼む、代わりにわしを傷つけてくれ」
ソフィアとロンとハーマイオニーは目を見張ってハリーを見た。ハリーは湖に浮かぶ島で何が起こったのかを、一度も詳しく話そうとしなかった。
ハリーとダンブルドアに起こった事は、その後に起こった大きな一連の流れが全て覆い隠してしまっていたし──ハリーもその時のことを言うつもりはなかった。
「ダンブルドアは、あなたとグリンデルバルドのいる、昔の場面に戻ったと思ったんだ。きっとそうだ。先生は、グリンデルバルドがあなたとアリアナを傷つけている幻覚を見たんだ……それが先生にとっては拷問だった。あの時のダンブルドアをあなたが見ていたら、自由になったなんて言わないはずだ」
アバーフォースは節くれだって血管の浮き始めた両手を見つめ、想いに耽っているようだった。
暫くして顔を上げ、じっとハリーを見つめた。ハリーは目を逸らすことなく、挑むようにその目を見返した。
「ポッター、確信があるのか?俺の兄が、君自身のことより、より大きな善の方に関心があったとは思わんのか?俺の小さな妹と同じように、君が使い捨てにされるとは思わんのか?」
冷たい水がハリーの心臓を貫いたような気がした。ソフィアは、そっとハリーの手を握り「ダンブルドア先生はハリーを愛していたわ」と囁く。
「それなら、どうして身を隠せと言わんのだ?ポッターに、自分を大事にしろ、こうすれば生き残れるとなぜ言わんのだ?」
アバーフォースの冷たい視線がソフィアを射抜く。ソフィアはハリーの手を強く握り、口を開いた。
「全てを犠牲に生きられるのは命だけよ。心は死ぬわ」
強く握られるソフィアの手をハリーは握り返した。──そうだ、たとえ国外に逃げ出し、命が長らえたとして、自分の心は、尊厳は、数々の命と共に滅ぶ。
「ときには自分自身の安全よりも、それ以上の事を考える必要がある。ときには、大きな善の事を考えなければならない!これは戦いなんだ!」
ダンブルドアは、きっと全てを考えた上で自分の命をも犠牲にした。それは、大きな善のために、これからを生きる者のために。ハリーはその戦いに巻き込まれたとは思わない、自分からその道を──未来を選んだのだ。
「君はまだ十七歳なんだぞ!」
「僕は成人だ。あなたが諦めたって、僕は──僕らは戦い続ける!」
ソフィアとロンとハーマイオニーはハリーの言葉に強く頷いた。その他の誰もが諦め、無理だと言っても、俯き大きな災いに屈したとしても、自分たちだけは諦めないのだとその瞳の強さが物語っていた。
アバーフォースは意見を変えないハリー達にフンと鼻を鳴らすと腕を組みまだ一人前とは言い難く、幼さや甘さが残る四人を見る。
アルバス・ダンブルドアだけを信じているわけではない。自分に何か特別な力があると驕っているわけでもない。──この子達は、ただ懸命にそれぞれのために生きているのか。
「誰が諦めたと言った?」
「不死鳥の騎士団はおしまいだ。例のあの人の勝ちだ。もう終わった。そうじゃないと言うやつは自分を騙している」
ハリーは少し前にアバーフォース本人が言った言葉を伝える。アバーフォースは苦虫を噛み潰したような表情になり、頭を掻きながら「そうじゃない」と呟く。
「それでいいと言ったわけじゃない。しかし、それが本当のことだ!」
「違う。あなたのお兄さんはどうすれば例のあの人の息の根を止められるかを知っていた。そして、その知識を僕に引き渡してくれた。僕は続ける。やり遂げるまで──でなければ、僕が倒れるまでだ。どんな結末になるかを、僕が知らないなんて思わないでください。僕にはもう、何年も前からわかっていたことなんです」
ハリーはアバーフォースが嘲るか、反論するだろうと思っていたが、どちらでもなくただ無言で顔をしかめただけだった。
「僕たちは、ホグワーツに入らなければならないんです。もし、あなたに助けていただけないのなら、僕たちは夜明けまで待って、あなたにはご迷惑をかけずに自分たちで方法を見つけます。もし、助けていただけるのなら──そうですね、いますぐそう言っていただけると良いのですが」
アバーフォースの助けがなくとも、透明マントがあれば夜明けを待ちホグワーツの近くまで向かう事はできる。その後は──その守りがどうなっているのかを確認しなければならないが、なんとかして侵入するほかないだろう。幸運にもホグワーツには味方がいる。敵もいるが、何とかバレずに騎士団員である二人とコンタクトが取れたならば匿ってもらうこともできるだろう。
しかし、それはかなり危険だとハリーはわかっていた。だからこそ、もしアバーフォースが何かを知っているのならば今すぐにでも知りたかった。
アバーフォースは椅子に座ったまま動かず、アルバス・ダンブルドアと瓜二つの目でハリーをじっと見つめていた。
やがて咳払いをしてアバーフォースは立ち上がり、小さなテーブルを離れてアリアナの肖像画の方に歩いて行った。
「お前はどうすればいいのかわかっているね?」
その声はとても優しかった。
肖像画のアリアナは微笑み、ふわりと後ろを向いた。そのまま静かに歩き始め、肖像画に描かれた人がするように額縁から出て行くのではなく背後に描かれた長いトンネルへと向かった。
か細い姿がだんだん遠くなり、ついに暗闇に飲み込まれてしまうまでハリー達はアリアナを見つめていた。
「あのう、これは──?」
「入り口は今やただ一つ」
何か言いかけたロンの言葉をアバーフォースは遮りながら振り返る。
「やつらは、昔からの秘密の通路を全部押さえていて、その両端を塞いだ。学校と外とを仕切る壁の周りは吸魂鬼が取り巻き、俺の情報網によれば校内は定期的に見張りが巡回している。あの学校がこれほど厳重に警備された事は、未だかつてない。中に入れたとしてもスネイプが指揮を執り、カロー兄妹が副指揮官だ。スリザリン生のみで構成された自治組織まである。
そんなところで君たちに何ができるのやら……まあ、それはそっちが心配する事だな?君は死ぬ覚悟があると言った」
「でも、どう言う事……?」
アリアナの絵を見ながらソフィアが小さく首を傾げる。
アバーフォースは薄く笑いながらその疑問には答えず、誰もいなくなった肖像画を見つめる。
絵に描かれたトンネルの向こう側に、再び白い点が現れ、アリアナが今度はこちらに向かって歩いてきた。近づくにつれだんだん姿が大きくなり、シルエットからアリアナだけではなく誰かが一緒なのだとわかる。
「まさか──」
ソフィアはアリアナと共に少しずつ近づいてくる人を見て驚きから目を見張った。いや、ソフィアだけではない。ハリーとロンとハーマイオニーも、言葉を失い食い入るように絵画を見つめている。
人影が大きくなる。
その人はアリアナよりも背が高く、足を引き摺りながら興奮した足取りでこちらへやってきた。その人の髪はソフィア達の記憶よりもずっと長く伸び、顔には数箇所切り傷が見え、服は切り裂かれて破れていた。
二人の姿はだんだん大きくなり、ついに顔と肩とで画面が埋まるほどになった時──画面全体が壁の小さな扉のようにパッと前に開き、本物のトンネルの入り口が現れた。
その中から飛び出した人は、大きな歓声を上げながら叫びハリーに強く抱きついた。
「君が来ると信じていた!僕は信じていた!ハリー!」
怪我と汚れに塗れた顔をくしゃりと歪め、その人──ネビルはそう言って笑った。