甲冑の陰からセブルス・スネイプが進み出て、怪訝な顔でマクゴナガルを見下ろす。
その途端、ソフィアは透明マントから飛び出しマクゴナガルの隣を素早く通り過ぎてセブルスに駆け寄った。
「──っ!」
父様、とは呼べなかった。ルーナがここにいるからではなく、他の誰かが聞いているかもしれないことを、ソフィアの中の僅かに残った冷静な部分が止めた。それでも駆け寄りその胸に飛び込み強く抱きしめてしまったのは──その姿を見た瞬間、長い間ソフィアの中に張り詰めていた様々な思いが駆け巡ったからだろう。変わることのない愛、息ができなくなる程の苦しみ、泣き叫びたい程の悲しみに、ソフィアは今この胸の奥から溢れ出てくる激情を、言葉で言い表すことができなかった。
セブルスは一瞬狼狽え、反射的に自分に飛び込んできた者へ杖を上げた。しかし、上げられた腕は下ろされる事はない。──自分の胸に顔を埋める者など、世界に二人しかいない、その一人は、ここにいないはずの、この髪色は──。
「ソフィア──?」
それはソフィアにしか聞こえないほどの、かすかな声だった。
ずっと聞きたかった、呼んで欲しかったその言葉にソフィアは顔を上げ、眉を寄せ唇を噛み締めながら何かに耐えるような目を向けた。顔中に傷痕があり、髪は短くなり頬もこけている。それでも、強い意志を感じさせる瞳は昔と変わらずセブルスを射抜いた。セブルスは息を呑み、近くに他の人がいることも忘れ、上げた手でソフィアを抱きしめた。
どんな危険な旅だったのか。情報は僅かにしか入ってこない。ソフィアはうまく姿を隠していてその存在の情報は、殆どなかった。生死もわからず、常に不安が体の奥に重く沈澱し、全てを投げ出しルイスと共に逃げ出そうと何度考えたことか。──それでも、今、この瞬間全てがふっと軽くなった。言いたいことや聞きたいことは山のようにあるが、今だけは、ソフィアの存在をただ感じていたい。
「感動の再会のところ申し訳ありませんが」
無言で強く抱き合っている二人に、マクゴナガルは冷静に呼びかけ、二人は目が覚めたようにぱっと離れた。
「ポッターとラブグッドもいますよ」
「──何?」
「あ、そうだった……ルーナ、混乱してると思うけど、全てが終わるまでは黙っていてね」
「うん、二人は恋人同士になったの?」
確か、ハリーと恋人じゃなかったかな?と思いながらルーナは透明マントの奥で不思議そうに言い、ハリーは「それは僕だ」と言おうとしたが何とか堪えた。
セブルスは声のした方を鋭く睨んだが、すぐにマクゴナガルに向き合うと「状況は」と低い声で言いながら周りに防音魔法をかける。
「例のあの人が間もなくここに来ます。私達はここを守らなければなりません。彼らはここで探すものがあるそうです」
「……ならば、我輩はここにいるべきではない」
「ええ、私もそう思います」
セブルスは低い声で言い、ソフィアの背を優しく押した。ソフィアは二、三歩進んだがすぐに振り返り、辛そうに目を揺らせる。
分かっている。セブルス・スネイプは、父は死喰い人として今はまだ疑われるわけにはいかない。教師としてホグワーツに残れば、何も知らない教師達と戦い、生徒の数名を殺す程度の残虐さを見せなければヴォルデモートは裏切ったと考える。
今、ここで裏切りを示すよりも、油断なくヴォルデモートの側につき、従い、最後の最後まで敵側からこちらへ情報を回す。隙があれば敵を密かに攻撃し勢力を軽減させることもできるだろう。
ソフィアとセブルスの視線が混じったのは一瞬であり、ソフィアはすぐに前を向くと手を伸ばした。その手をハリーが掴み、透明マントの中に引き込む。
「あなたがここを去りやすいようにしなければなりませんね」
マクゴナガルはソフィアが消えたのを確認し、壁の松明に向かって杖を振るった。
松明は火の輪になって廊下中に広がりあたりを燃やしていく。セブルスは杖から巨大な蛇を出現させ、窓や甲冑を砕かせた。
「ミネルバ!」
廊下を疾走する足音と共にフリットウィックの叫び声が響き、セブルスは破壊された窓に駆け寄る。一瞬、セブルスの目が見えないはずのハリーの方向へと向いた。
「──自分の思うがままに行動しろ」
セブルスは小さく呟き、影のような黒い煙に覆われてそのまま窓の向こうに姿を消した。
マクゴナガルの守護霊から緊急事態でありすぐに集合せよ、と聞いたフリットウィックとスプラウトが素早く窓へ駆け寄り、その後ろからスラグホーンが巨体を揺すり喘ぎながら追ってきた。
「スネイプが──?これは一体?」
息を切らせ、困惑しながらスラグホーンが問えば、マクゴナガルは冷静に「校長は暫くの間おやすみです」と涼しい顔で答えた。
戦闘している様子を一瞬見たフリットウィックとスプラウトは苦い顔で窓の向こうに広がる闇を見ていたが、すぐにマクゴナガルの元に駆け寄る。
突然、ハリーの傷痕が猛烈に痛み、ハリーは額を両手で押さえ叫んだ。
「先生!学校にバリケードを張らなければなりません。あいつが──ヴォルデモートがもうすぐやってきます!」
最早隠れる意味がない、とハリーは透明マントを脱ぎ捨てながら訴える。フリットウィック達は現れたハリーとソフィアとルーナに驚いたが、それよりもヴォルデモートがここに来る事の方が衝撃的であり、スプラウトとフリットウィックは息を呑み、スラグホーンは低くうめいた。
「ポッターはダンブルドアの命令で、この城でやるべきことがあります。ポッターが必要なことをしている間、私たちは能力の及ぶ限りのあらゆる防御を、この城に施す必要があります」
「もちろんおわかりだろうが、我々が何をしようと例のあの人をいつまでも食い止めることはできないが?」
「それでも、しばらく止めておくことはできるわ」
スプラウトの言葉にマクゴナガルは「ありがとう、ポモーナ」と言い、二人の魔女は真剣な覚悟の眼差しを交わし合った。いつまでも食い止める事は不可能だ。それでも、ハリーが成し遂げるまで、せめて生徒達が逃げる間は食い止めなければならない。
「まず、我々がこの城に基本的な防御を施す事にしましょう。それから、生徒達を大広間に集めます。大多数の生徒は避難しなければなりません。もし、成人に達した生徒が残って戦いたいと言うのなら、チャンスを与えるべきだと思います」
その言葉は、まるでダンブルドアのようだとソフィアとハリーは思う。
マクゴナガルにとってダンブルドアは敬愛し尊敬している恩師だ。──彼の意志を、彼女もまた受け継いでいるのだろう。
「賛成よ。二十分後に大広間で、私の寮の生徒と一緒に会いましょう」
スプラウトは素早く廊下を引き返しハッフルパフ寮へと向かった。「食虫蔓、悪魔の罠、それにスナーガラフの種……そう、死喰い人がこういうものとどう戦うのか拝見したいところだわ」という呟きを最後に小走りで廊下を走り去り、残ったフリットウィックもまた覚悟を決めた顔でマクゴナガルを見上げた。
「私はここから術をかけられる」
フリットウィックは窓まで背が届かず、ほとんど外が見えない状態で壊れた窓越しに狙いを定め、極めて複雑な呪文を唱え始める。ざわざわという不思議な音が闇の向こうから聞こえ、それはまるで風の力を校庭へ解き放ったようにハリーには聞こえた。
「フリットウィック先生。──先生、お邪魔してすみません。でも、重要な事なんです。レイブンクローの髪飾りがどこにあるか、ご存知ありませんか?」
ハリーはフリットウィックに近づき、後ろから呼びかけた。保護魔法をかける事に集中していたフリットウィックは反応が遅れたが、少しして振り返り怪訝な視線をハリーに向ける。
「レイブンクローの髪飾り?ハリー、ちょっとした余分の知恵があるのは、決して不都合な事ではないが、このような状況でそれが役に立つとは到底思えんが?」
「僕が聞きたいのは──それがどこにあるかです。ご存知ですか?ご覧になったことは?」
「見たことがあるかじゃと?生きている者の記憶にあるかぎりでは、誰も見た者はいない!とっくの昔に失われたものじゃよ!」
ハリーはどうしようもない失望感と焦燥感の入り混じった気持ちになった。まさか、レイブンクローの髪飾りではないのだろうか?もしそれなら、分霊箱が何なのか全く検討がつかない。レイブンクローの髪飾りだとして、どこにあるのか誰も知らない物をどうやって探し出せばいいのだろうか?ヴォルデモートは、それをどうやって探し出したのだろう?
「──何たること。何たる騒ぎだ!果たしてこれが懸命なことかどうか、ミネルバ、私には確信が持てない。いいかね、あの人は結局は進入する道を見つける。そうなれば、あの人を阻もうとした者は皆、由々しき事態になる」
「あなたもスリザリン生も、二十分後に大広間に来ることを期待します。スリザリン生と共にここを去ると言うのなら、止めはしません。しかし、スリザリン生の誰かが抵抗を妨害したり、この城で武器を取って我々に刃向かおうとするなら、ホラス、その時は我々は死を賭して戦います」
青い顔で狼狽えるスラグホーンを、マクゴナガルは一瞬軽蔑したように見たがすぐにいつも通りの真剣な眼差しで訴えかける。言葉に詰まり体を震わせたスラグホーンは愕然として「ミネルバ」と囁いたが、その迷うような弱々しい囁きをマクゴナガルは聞こえぬふりをした。
「スリザリン寮が旗幟を鮮明にすべき時が来ました。ホラス、スリザリン生を起こしに行くのです。──それではフィリウス、レイブンクロー生と一緒に、大広間でお会いしましょう!」
マクゴナガルはそう言うとハリーとソフィアとルーナについてくるようにと手招きをした。
ハリーはまだぶつぶつと呟いているスラグホーンを無視してその場を去り、ルーナとソフィアと三人でマクゴナガルの後を走った。
「ああ!フィルチ、こんな時に──」
年老いた管理人がランプを持ち喚きながら現れ、マクゴナガルは杖を構えながら忌々しげに──彼女らしくなく──舌打ちをした。
「生徒がベッドを抜け出している!生徒が廊下にいる!」
「そうするべきなのです、この救いようもない馬鹿が!──さあ、何か建設的なことをなさい!ピーブズを見つけてきなさい!」
「ピ──ピーブズ?」
マクゴナガルの苛立ちを含んだ叫びに、フィルチは動揺しそんな名前は初めて聞いたとばかりに聞き返した。
「そうです、ピーブズですこの馬鹿者が!この四半世紀というもの、ピーブズの事で文句を言い続けてきたのではありませんか?さあ、捕まえに行くのです。すぐに!」
フィルチは明らかにマクゴナガルは正気ではない。という目で見たが彼女の剣幕に圧倒され低い声でぶつぶつと呟きながら背中を丸めて廊下を引き返して行った。
「では、いざ──
マクゴナガルが叫び、大きく杖を横に薙ぐようにして振るった。すると廊下中の像と甲冑が台座から飛び降り、持っていた剣や防具を構えた。上下階から響く衝撃音で、ハリー達は学校中の甲冑が同じことをしたのだとわかった。
「ホグワーツは脅かされています!境界を警護し、我々を守りなさい。我らが学校への勤めを果たすのです!」
騒々しい音を立て、叫び声を上げながら甲冑と像達は雪崩を打ってハリーの前を通り過ぎた。小さい像も、大きな像も、動物の姿をした像もあった。甲冑は鎧を打ち鳴らし、剣や棘のついた鎖玉やらを振り回しながら一直線に校門へと向かう。
「さてポッター。あなた達は友達のところに戻り、大広間に連れてくるのです。──私は、他のグリフィンドール生を起こします」
次の階段の一番上でマクゴナガルと別れ、ハリーとソフィアとルーナは必要の部屋の隠された入り口に向かって走り出した。
途中で生徒達の群れに会い、大多数がパジャマの上に旅行用のマントを着て先生や監督生に導かれながら大広間に向かっている。「あれはポッターだ!」「ハリ・ポッター!」とハリーに気付いた者が叫んだが、ハリー達は一度も振り返る事なく必要の部屋へ走った。