暖かな太陽の日が差し、足が大地を踏んだ。
ハリーは自分が間違いなくセブルスの記憶の中に入り込んだのだと、周りの風景を見ながら思う。探さずとも、すぐに記憶の主であるセブルスを見つけ出す事ができた。
しかし、少し離れた場所にいる人を見てハリーは驚き目を見開く。
そこにいたセブルス・スネイプは、まだ幼い少年だった。ホグワーツ入学前の、おそらく九歳か十歳程度だろう。痩せ、髪は伸び、見窄らしい服装に身を包むセブルス・スネイプを見てハリーは何故こんな過去の記憶を彼は自分に見せたかったのだろう、と訝しむ。
セブルスは大きな灌木に隠れるようにして、明るい空き地を見ていた。足元にたくさんの花が咲き、その花を嬉しそうに見ている少女がいることに気づき、ハリーは息を呑む。
──母さん?
白の清楚なワンピースに、同じ色の帽子、艶やかな赤毛にキラキラと輝く緑色の瞳。
幼くも愛らしいその少女を、セブルスは憧れとも言えぬ熱い眼差しで見つめていた。
少女は周りに誰もいないことを確かめるとその場にしゃがみ込み、まだ花弁が開いていない花を指先で突く。その途端、花はふわりと解けるように開き美しく咲き誇った。
少女は嬉しそうに笑うと夢中になってまだ蕾の花を突き、咲かせていく。ハリーはセブルスの隣でその幼い故の行動を微笑ましく見つめ目を細めた。
自分の不思議な力を知り、こっそりと試さずにはいられないのだろう。その姿をもっとよく見たいと思ったのか、セブルスは一歩近づく。──がさり、と茂みが音を立て、少女は驚いてパッと立ち上がると緊張した顔つきでこちらを見た。
「……誰?」
セブルスは怖気ついたようにそろそろと下がり、灌木の後ろに隠れ息を殺していた。
しかし、少女はその異音をただの気のせいだと考えられなかったのか、ゆっくりとこちらに近づき、そっと灌木を覗き込む。
「あなた、誰?」
ハリーは少女に声をかけられたセブルスの頬が暗がりの中でもわかるほど赤く染まるのを見た。
「僕は……セブルス・スネイプ」
「ふーん?私はアリッサ・エバンズよ。……ねえスネイプ。あなた、何か見た?」
「……見た」
「あー……」
その少女はリリー・エバンズではなく、ソフィアとルイスの母であるアリッサだった。
アリッサはセブルスの言葉に気まずそうに目を逸らし、視線を空に向ける。どう言い逃れようか、と悩んでいるアリッサの隣をセブルスは通り過ぎ、まだ蕾の花を手に取るとずいっとアリッサの目の前に差し出した。
「……僕も同じことができる」
セブルスが持つ花はゆっくりと開いていく。アリッサは驚きに目を見開いていたが、その美しい花に劣らない明るい笑顔を見せ、セブルスの手をぎゅっと掴んだ。
「凄い!私、妹以外で初めて同じことができる人と会ったわ!」
「僕──僕、しばらく前から君たちを見ていたんだ。僕と同じだと気づいていた」
「そうなの?もっと早く声をかけてくれたらよかったのに!あ、妹のリリーにも同じ力があるの!」
「うん……知ってる」
「この力ってなんなの?スネイプは知ってる?」
アリッサはセブルスの手を離すと、近くにある灌木の枝を手折り、手で覆った。途端に葉は青々とし巨大化する。セブルスは至近距離で見たアリッサの魔法の力に、深く頷き囁いた。
「これは魔法だ。……エバンズは、魔女で、僕は魔法使いだ」
「魔女?……確かに、魔法かもしれないわね。超能力か何かかと思っていたわ」
「僕の母さんも、魔女なんだ」
「へえー!そうなの?意外とたくさんいるのかしら?」
「うん。……僕が教えてあげようか?」
その言葉はアリッサの気持ちを伺っているように見えて、隠しきれない確かな優越感がじわりと溢れていた。アリッサは強い目で自分を見つめるセブルスを見て一度目を瞬かせたが、すぐににっこりと笑うと手に持っていた枝を遠くに捨て、セブルスの手を取る。セブルスの青白い頬が、さらに赤く染まった。
「聞きたいわ!でも、こんなところじゃなくて、川のそばに行きましょう?」
「……うん」
「あ、ねえ。あなたのことセブルスって呼んでもいい?私のことはアリッサでいいわよ」
セブルスの手を引きながら、暗い木陰から明るい日向へと移動しながらアリッサは軽く言い、セブルスは揺れる赤毛を見つめながら「アリッサ……」と囁く。その声は震えていたが確かな熱っぽさが含まれていた。
アリッサは振り返り、「よろしくね、セブルス!」と大輪のひまわりのような笑顔で笑った。
場面が消え、いつの間にかハリーの周囲が姿を変えていた。今度は低木の小さな茂みの中にいた。強い日差しは木々に遮られ、爽やかな風が吹く中、その中央で子どもが三人、足を組み向かい合って座っていた。
ハリーは二人の少女のどちらがアリッサで、どちらがリリーなのか分からなかった。それほど、二人はよく似ている双子だった。
「──それで、魔法省は誰かが学校の外で魔法を使うと罰することが出来るんだ。手紙が来る」
「でも、私たちもう魔法を使ったわ!」
「僕たちは大丈夫なんだ。まだ杖を持っていない。まだ子どもだし、自分ではどうにもできないから許してくれるんだ。でも十一歳になったら……そして訓練を受け始めたら、注意しなければならない」
「ほらね、大丈夫だって言ったでしょう?リリーは心配性なんだから!」
「だって……わからないことがいっぱいなんだもの!」
ハリーは頬を膨らませる少女がリリーで、明るく笑う方がアリッサなのだと分かった。リリーとアリッサは全く同じ服装をしていたが、アリッサの方は前髪に白い花飾りのヘアピンをさしていた。
アリッサは近くにある小枝を拾い、空中にくるくると円を描きながら「杖なんてなくても、魔法は使えるのにね?」とセブルスに向かって悪戯っぽく笑いかける。
「杖を通した方が、望み通りの魔法が使えるし、それに強力だ。……僕たちが今使える魔法は、基礎の基礎でしかない」
「早くホグワーツで学びたいわ!どんな魔法があるのかしら……」
「本当なのよね?ホグワーツだなんて、学校で魔法を学ぶなんて、ペチュニアは嘘だっていうの。でも、本当なのね?」
リリーは不安そうにしながらセブルスとアリッサを見た。セブルスは深く頷き、アリッサは「魔法学校なんて、すっごくファンタジーだからチュニーには信じられないのね」と少し複雑そうに頷く。
「僕たちにとっては本当だ。でも、ペチュニアにとってはそうじゃない。僕たちには手紙が来る」
「凄いわよね!フクロウが持ってくる、だなんて!──魔法界の配達員はフクロウだなんて!天敵に襲われないのかしら、鷲とかに」
「魔法界のフクロウは、特別なんだ。……多分大丈夫なんだろう。……でも、君たちはマグル生まれだから、学校から誰かが来て君たちのご両親に説明するはずだ」
「確かに、急にフクロウが手紙を運んできても悪戯かなって思うわよね」
手の込んだ悪戯だと思い、届いた手紙を信じることはないだろう。とアリッサは納得して頷いたが、リリーは別の不安が現れたようで心配そうに眉を下げながら囁いた。
「マグル生まれって、普通と何か違うの?」
「──いいや、何も違わない」
セブルスは一瞬躊躇したが、アリッサとリリーを見てきっぱりと断言した。
場面が変わった。
アリッサは川に足をつけ、スカートの端が濡れないようにたくしあげながら楽しそうに笑い、水を蹴り上げていた。──ハリーはその無邪気な笑顔を見てソフィアの笑顔を思い出した。こんなふうに無邪気に笑うソフィアを、もう何年も見ていないことを思い出しハリーの胸はちくりと痛む。
「リリーは?」
「今日は来ないわ。昨日あなたがチュニーに酷い事をしたでしょう?まだ怒ってるのよ」
「僕はやってない」
川辺に座り、膝を抱えていたセブルスはそう小さく呟いたが、ハリーはその声音に気まずさと恐れを感じ取った。
「まあ、それならすっごくタイミングよくあなたの怒りに合わせてチュニーの頭に小枝が落ちたのね」
「それは──それは──僕じゃない」
アリッサは水を蹴り上げるのをやめ、セブルスを見つめる。セブルスはそのまっすぐな瞳から逃れるように視線を逸らした。
「つまり、そういうことね」
「……?」
「魔法学校がある理由と、魔法省が目を光らせている理由よ。まだ魔法を学んでいない私たちは、感情の昂りや強い願いによって意図せぬ魔法を使えてしまう。だから、それを制御して責任感を持たせるために私たちは魔法学校に行き、違反したならば罰せられる」
「……そうだ」
「よかったわね。あなたを罰する法はまだ無いみたい」
アリッサの言葉には皮肉と隠しきれぬ棘があり、セブルスはさっと顔色を変え、慌てて立ち上がるとアリッサの元へ近づいた。勢いよく川の中に進み、ぱしゃんと跳ねた水がセブルスの灰色のズボンを濡らした。
「本当に違──」
「罰する法は無いけれど、罰する人はいるわ」
アリッサは挑戦的な目でセブルスを見ると、思い切り水を蹴り上げる。セブルスは驚き反射的に一歩後ろに下がったが、その体に大量の水がかかり──動揺しバランスを崩し、川に尻餅をついた。
「うっ──」
「あ──あははっ!転んじゃうとは思わなかったわ、ごめんなさいね?」
びしょ濡れになり、呆然とするセブルスを見下ろし、アリッサはパッと手を離す。スカートが少し遅れてふわりと落ち、その裾が川についた。アリッサはさらりと流れた前髪を耳にかけながら、セブルスに手を差し出し、セブルスはその手を掴んだが──。
「油断したわね」
「え──うわっ!」
「あはははっ!」
ぐいっと立ち上がらせたセブルスをアリッサは勢いよく突き飛ばし、セブルスは今度は川底に尻をつけることはなかったが両腕をつき、さらに水に濡れた。
腹を抱えてケラケラと笑うアリッサを見たセブルスは頬を染めつつ悔しそうにむっとすると、そのまま両手で水を掬い──一瞬躊躇したが──アリッサ目掛けて水をかけた。
「きゃっ!──やったわね!」
「元はと言えばアリッサが──」
「あら、罰だって言ったでしょう?お返しよ!」
「や、やめろ!」
アリッサは服が水に濡れた事など全く気にせずセブルスに水をかけ、セブルスもまた負けじと水をかけ続けた。
びしょ濡れになり、髪をぺったりと頬に貼り付けながら二人はいつの間にか楽しそうに笑っていた。
場面が変わった。
そこはホグワーツの大広間であり、蝋燭に照らされた寮のテーブルが並び、緊張した表情の新入生がいる。その中にはセブルスとアリッサとリリー──それに、ハリーは幼いジェームズとシリウスを見つけた。
「エバンズ・アリッサ!」
アリッサは緊張し、やや顔色が悪かったがそれでもしっかりとした歩みで壇上へ向かい、丸椅子に座った。
マクゴナガルがアリッサに組み分け帽子を被せ、深みのある赤い髪や美しい瞳が隠される。
帽子はごにょごにょと口を動かしつつ、沈黙した。アリッサの表情は全く見えなかったがその手は膝の上で心配そうにそわそわと動いている。
一分が過ぎ、二分が過ぎた。ハットストールと呼ばれる組み分け困難者かと二年生以上が思った時、組み分け帽子はぱかりと口を開けよく通る声で叫んだ。
「──スリザリン!」
ハリーは前にいるセブルスが喜び、ぐっと拳を握ったのを見た。
組み分け帽子が外されたアリッサは、その顔を不安そうに強張らせていたがすぐに立ち上がり拍手が送られているスリザリンへと向かう。
「エバンズ・リリー!」
次のリリーは、震える足で組み分け帽子の元へと向かった。丸椅子に座り、その赤い髪に帽子が触れた瞬間「グリフィンドール!」と宣言する声が響いた。
リリーは驚き少し不安そうにスリザリン寮の方を──いや、アリッサを見たが、たくさんの拍手に迎えられスリザリンとは反対のグリフィンドールのテーブルへ急いだ。
場面が変わった。
薄暗い廊下で頭から黒いヘドロの塊を垂らし突っ立っているアリッサが悔しそうに鞄を握り立っている。
「アリッサ……」
「大丈夫か?」
ハリーはセブルスの隣にいるのがジャックなのだと気付いた。遠くで何人かが走り去る足音と、くすくすと蔑むような笑い声が聞こえている。ハリーが後ろを振り返れば、丁度アリッサを指差しながら笑っているスリザリン生が曲がり角を過ぎて見えなくなるところだった。
「……私は穢れた血だから、これがお似合いなんですって」
アリッサは憎々しげに呟き、ローブの内ポケットから杖を出すと「スコージファイ」と唱え体についたヘドロ汚れを一掃した。
ため息をつきつつ、鬱陶しそうに前髪を掻き上げるアリッサの顔色は悪く、目の下には隈ができている。ハリーはマグル生まれのスリザリン生がどうなるのかしっかりと考えたこともなかったが──過去、シリウスから聞いてはいたがやはり歓迎されず酷い目に遭っているようだった。
「マグル生まれだから穢れた血?理解し難いわ。血はそんなに偉いの?生まれに優劣なんて、あるの?」
ギラギラとした手負の獣のような目でアリッサはセブルスとジャックを見た。その口調は静かだったが、奥に隠された苛立ちと憤怒にセブルスはすぐに首を振り、ジャックはひくりと口先を引き攣らせる。
「──まあ、いいわ。今に見てなさい。血しか誇れない哀れな人たちに、本当に誇れる才能というものを教えてあげるわ。この、穢れた血の私がね」
アリッサは目に底の見えぬ闘志を燃やしながら、挑発的な笑顔で髪を後ろに払う。セブルスは揺れた髪と香った甘い匂いに頬を赤く染めたが、隣にいるジャックは心配そうな顔でアリッサを見ていた。
「アリッサ、あまり目立つ事はしない方が──」
「そうね。まあ、一年は大人しくしておきましょうか。私も無策で戦うわけにはいかないしね」
「……いや、だから、大人しくしろって──」
「ジャック。私が虐げられてさめざめと泣くような女だと思ってるの?」
「……全然」
「そうよね。──じゃあ私はスラグホーン先生とマクゴナガル先生のところに行くわ。またねセブルス、ジャック」
アリッサはふっと表情を緩め今まで見せていた燃えるような闘志を隠すと二人に手を振り廊下を駆けて行った。その後ろ姿を彼らは心配そうに見た後、「本当に大丈夫だろうか」と声を潜めて話し合う。顔を突き合わせていた二人は気付かなかったが、アリッサの後ろ姿を見続けていたハリーはアリッサが乱暴に目元を拭ったのを見た。
場面が変わった。
アリッサとセブルスが城の中庭を歩いていた。ハリーは急いで近付き、二人の身長がかなり伸びていることに気付く。きっと、あれから何年も経ったのだろう。
「セブルス。最近良くないことがホグワーツで起こっているの、あなたそれに関わっているわね」
「僕じゃない!それに、あんなことなんでもない。冗談みたいなものだ」
「あら、ここはある意味無法地帯なのね。闇の魔術を使ったって、あなたと仲良しのマルシベールが自慢げに談話室で語っていたけれど?」
アリッサは柱に近づいて寄りかかり、自分よりも身長の高いセブルスをぎろりと睨む。セブルスは言葉に詰まりながら「なんでもないんだ」と苦しそうに呟いた。苦し紛れの弁解に、アリッサは冷ややかな目を向けるとセブルスのネクタイを掴みぐいっと引き寄せる。近づいた距離にセブルスは息を呑み、その強い緑色の目に射抜かれ「違うんだ」とか細い声で囁いた。
「本当に、僕たちが──マルシベールがやったことなんて、些細なことだ。ポッターと──そう、ポッターと仲間がやってることの方が──」
「はあ?」
アリッサは心底呆れながら眉を寄せ、氷のようなひと言を発した。それだけでセブルスは貝のように黙り込み、蒼白な顔で縋るようにアリッサを見下ろす。
「どこの、誰が、いつ、ポッターと仲間の、話を、したの?」
ひと言ひと言区切るアリッサの言葉に、ハリーは背筋がぞくりと冷えるのを感じた。第三者から見ても、彼女の怒りと失望は恐ろしいほどだ。これを正面から受けているセブルスは、心臓が握りつぶされているような心地なのだろう。
「セブルス。私にこれ以上失望させないで」
「ア──アリッサ、僕を……嫌ったか?僕たちは、恋人だろう?」
「ええ、そうよ。だからこそ私はあなたが何をしているのかがすっごく気になるの。私の恋人はポッターじゃないわ。あの人が何をしようが、私には関係ない。でも、あなたは違う。あなたは私の恋人で、私はあなたを愛している。だから気になるし心配してるのよ」
「ぼ──僕も、愛している」
セブルスは確かな熱を込めて囁く。アリッサは一瞬虚をつかれたような顔で黙り込んだが、掴み引き寄せていたネクタイをパッと離すと、手で顔を覆い大きくため息をついた。
「……あのね、そういう話じゃなくて……」
「──そうだ。次の誕生日は何が欲しい?」
「あのねぇ……」
疲れたような顔をしたアリッサだったが、必死に話題を変え自分のご機嫌を取ろうとしているセブルスを見て眉を下げ、「今度、ホグズミードで決めましょう?」と仕方がなさそうに言い、少しだけ悲しそうに笑った。
場面が変わった。
ハリーは一瞬どこの部屋なのかわからなかったが、それが何年も前にソフィアから教えられた秘密の隠し部屋である事に気付く。
恋人同士が二人きりだと言うのにそんな甘い雰囲気は微塵も無く、アリッサは肘掛け椅子に座りセブルスは教師に叱責されている生徒のように体を縮こませその前に突っ立っていた。
「許してくれ」
「……」
「すまない。あんなこと──あんな言葉、違う、言うつもりは無かった」
「……」
「決して、そんなつもりは──」
ハリーはこの場面がフクロウ試験の後に、ジェームズ達に酷い辱めを受け、それを救おうとしたアリッサとリリーに対してセブルスが「穢れた血」だと侮辱した後の記憶なのだと察した。
セブルスは今まで見た中で最も蒼白な顔で必死に弁解しているが、アリッサは脚の上に置いている本に視線を下ろし目を一切あげなかった。
懇願するセブルスの声と、拒絶するようにページを捲るその音だけが虚しく響く。
アリッサとセブルスは結婚し、この後長男が生まれソフィアとルイスが生まれる。それをハリーは知っていたが、許し難い侮辱を受けた──それもかなりプライドが高い──アリッサがどうしてセブルスを許したのか、この光景を見ている限り全く予想できなかった。
「アリッサ、すまない。許し──」
バシン。と乱暴な動作で分厚い本が閉じられる。その音にセブルスの言葉は飲み込まれてしまい、セブルスはぐっと強く拳を握り震わせながら「すまない」ともう一度苦しみ、喘ぐように吐き出した。
「アリッサ──」
「セブルス。私がどれだけ失望して、悲しんで、苦しんだかわかる?」
「もちろ──」
「──わかっていたら。あんな酷い言葉を使えないはずよ。ねえ、そうよねセブルス?私は、一年生の時から……マグル生まれとして、この寮に配属されてから、ずっとずっとその侮辱を受けていた、バカな人達に酷い目に遭ったのも、数回じゃないわ。ねえ、セブルス。あなたはそれを隣で見てきたわよね?恋人のあなたがまさか、ずっとそんな事を思って私に触れていただなんて考えるだけで、どれほど辛いか、わかる?」
「ア──アリッサ、すまない。本当に──本当に──」
「謝るだけで許されるって、恋人だから絆されるって思ってるの?──心の底から、軽蔑するわ」
「アリッサ!な──何でもする!だから、だから──」
セブルスは声を震わせ叫び、アリッサの足元に跪いた。今にも縋りつきそうなセブルスをアリッサは冷たい目で見下ろし、「は、」と鼻先で笑う。「アリッサ」と囁き、震える手を伸ばしたセブルスを振り払うとアリッサは勢いよく立ち上がりセブルスの肩を強く押した。
床に尻をつき唖然として見上げるセブルスを見下ろしながらアリッサは無言で杖を抜き、黙ったまま何度も振り下ろす。
放たれた魔法はセブルスのすぐ側を過ぎ、後ろの壁やソファ、本棚を切り裂き、爆破し、吹っ飛ばした。
ハリーは自分にその魔法が当たらないと分かってはいたが慌てて飛び退き、魔法の閃光が貫かない場所まで移動する。
小綺麗な部屋の中は台風が通過したのではないかと思うほど荒れ果て本の破れたページやクッションの綿が散乱した。
破壊音や衝撃音が消えた後、ハリーは恐る恐るアリッサとセブルスを見る。セブルスは微塵も動かず、ただ必死な目でアリッサを見つめ、アリッサは長いため息を吐きながら杖を下ろした。
「──何よりも失望して軽蔑したのは、あんな酷い事を言われても……あなたの事を嫌えない私自身に、ね」
「アリッサ……」
「愛しているわ、セブルス」
アリッサの言葉にセブルスは救われたと思い一瞬喜んだが、その目の奥に見えた暗い色に、再び血の気を失せさせた。
「セブルス、あなたは死喰い人になろうとするお友達との付き合いをやめられない。彼らのお仲間がどれだけ穢れた血を殺しているかを知っていても、闇の魔法の非道でいて、強力な魔法が持つ魅力に抗えない。それでも、その穢れた血の──お仲間さん達にとっては殺害対象の──私を愛している。
あなたが私以外を穢れた血だと思っていることも、マグルを軽蔑している事も、ずっとそばであなたを見てきた私が気が付かないとでも?
マグルを何故嫌うのかは知っているわ。あなたはマグルへの憎悪と蔑視があって、同時に私を、私だけを特別視して愛している。
あなたは、本当に歪んでいるわ。愚かだし、心底馬鹿だわ。ええ、けどね──だけど──それを知った上で、私はあなたを愛しているの」
アリッサはぐっと眉を寄せ、その場に座り込むと目に涙を貯め鼻先を赤くしながら「本当に、傷付いたわ」と涙声で呟いた。
ぽろりと流れた涙に、セブルスは一層衝撃を受けた表情をして震える指でアリッサの頬に手を伸ばす。
触れてもいいものか、と触れる直前に悩むように止まった手をアリッサは取り、自分の頬に当てた。
「アリッサ……すまない……」
「……二度目は無いわ」
「すまない……」
アリッサは小さく頷き、セブルスの胸に額をつける。セブルスは抱き寄せ、許された後も何度も謝っていた。
場面が僅かに変わった。
ハリーは先ほどの部屋と同じなのだと気付く。怒り狂ったアリッサが衝動のままに魔法を使い荒れ果てていたが、何とか部屋は元通りに修復したらしい。
いつもアリッサの姿がそこにあったが、今セブルスと共にいるのはジャックだけだった。
「僕は死喰い人になる」
「……冗談はやめろ。アリッサに殺されるぞ」
深刻な顔で告白したセブルスに向かって、ジャックは苛立ちを含みながらその発言を一蹴する。しかし、セブルスは「決めたんだ」ときっぱりと断言し、確かな意思のこもる目でジャックを見た。
「例のあの人の勢力が拡大しつつある今、どう考えてもマグル生まれに明るい未来はない。──アリッサは、優秀だ。それゆえに、命を狙われる」
「……セブ、お前……」
「だからこそ僕は死喰い人になり、あの人のために働く。地位と信頼を得れば──そうすれば、アリッサ一人くらいならば、許されるかもしれない」
「……アリッサのために?」
「そうだ。アリッサは、僕の──光だ。もし、許されなかったとしても死喰い人に狙われることがわかれば、それを誰よりも早くに知り国外に逃す事もできる。だが……やはり、彼女を一人にする事はできない」
「アリッサを巻き込むつもりか?」
「違う。──ジャック、頼む。アリッサのそばにいて守ってくれ、こんな事を頼めるのは……君以外にいない」
ジャックは難しい顔で黙り込む。セブルスはマグル生まれのアリッサのために人を殺すことなど気にしないのだろう。たった一人だけを守ることができれば、どんな地獄だろうが喜んで身を落とし弱者を虐げることができる。それをアリッサが望まないと知っていても、こんなに不器用な行動でしか愛を証明できないのだ。
「愛した女の一人くらい、お前が守れよ」
「それは──だが、ジャック──その、君もアリッサのことが──」
苦い表情で口籠り視線を逸らすセブルスに、ジャックは呆れつつ「そんな気持ちはない」と首を振った。その言葉にハリーは僅かな悲しみが含まれているような気がしたが──その理由までは分からなかった。
「人として彼女の強さを尊敬し、敬愛している。セブが持つ愛とはまた別種だ」
「そうなのか?僕は、そうだとばかり……」
「セブ。お前は俺のたった一人の……親友だ──互いにな──だから、まあ、アリッサの事は守るよ。……でもなぁ」
「……なんだ?」
ジャックは肘置きに腕を乗せ、「アリッサは、俺に守られたいって思わないだろうな」と苦笑した。
場面が変わった──今度は、風景が変わるまでに今までより長い時間がかかった。
ハリーは形や色が置き換わる中を飛び、一瞬一瞬の景色を見たが、それが何なのかを知る前に全て消えてしまった。
ようやく周囲がはっきりした時、ハリーは暗い部屋の中で突っ立っていた。
本棚が圧迫感を出している部屋の中で、セブルスはぐったりと前屈みになり椅子に座り込み、ダンブルドアが立ったまま暗い顔でその姿を見下ろしていた。
「何故──」
「リリーもジェームズも、間違った人間を信用したのじゃ。それに、アリッサもジェームズとシリウスには確かな友情があると信じておった。それゆえに彼女と子どもは巻き込まれ──」
「黙れ!」
セブルスは叫び、悲しみと憎悪で塗り潰された顔を上げ、怒りでその体を震わせながらダンブルドアを睨んだ。
「あんな──あんな奴らを信用したアリッサが愚かだと言うのか?仕方のない事だと?あ──あの子は──リュカは、まだ、何もわからない子どもだった!」
「セブルス」
「あなたに何がわかる?わかるわけがない!この胸を引き裂かれる程の絶望が、あなたにはわかるのか!?……死んだ──死んでしまったんだ、もう──」
「リリーの息子は生きておる」
「好きにすればいい……もう、私には──私には関係がない」
「関係がない?果たしてそうかのう。君の子ども──ソフィアとルイスにとって唯一の魔法族の親族じゃ。それに、あの子の目はエバンズ家のものじゃ、よく似ておると、知っているじゃろう」
ダンブルドアの静かな言葉に、セブルスは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込みダンブルドアを睨み続けた。
その時、小さなか細い泣き声が響く。セブルスはハッと表情を変えるとすぐに立ち上がり、部屋の暗がりの奥へと消えた。ランプの灯りが届かない場所で闇が蠢き、暫くしてセブルスが腕に一人の赤子を抱きながらゆっくりと戻ってきた。
怒りと悲しみで歪んだ表情とは異なり、その赤子を抱く腕はとても優しく──ハリーは何故か、見てはならぬものを見ているのだと、今頃になって理解した。
「──私は、守りたかった。彼女が大切にしているものを、大切にすると彼女に誓った。だから、スパイとしてあなたに仕えてきた。……それが、彼女の願いだったからだ。しかし、もう守る必要はない、闇の帝王は消えた」
「──闇の帝王は戻ってくる。その時、ハリー・ポッターは非常な危険に陥るじゃろう」
「……私に、ポッターの子を──アリッサとリュカが命を落とした原因の男を信用した奴の子を、守れと?」
「いや、セブルス。君はアリッサがリリーのためにと願った子を守るのじゃ」
長い沈黙の後、セブルスは一度大きく息を吐き、自分の腕の中で眠る我が子──幼いソフィアを見つめた。
ソフィアはぐずぐずと啜り泣きながら、セブルスのローブを小さな手で握りしめ、涙に濡れた眠たげな目を開く。その緑色の目を見てセブルスは決心がついたように顔を上げた。
「……アリッサの願いを、引き継ぎましょう。しかし、ダンブルドア、決してそれは明かさないでください。ハリー・ポッターとの関係も、アリッサの願いも、全て──誓って誰にも言わぬと、そう約束してください」
「──約束しよう、セブルス」
場面が変わった──。
本編終了後、何が読みたいですか?
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番外編として卒業から子供たち入学まで
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スネイプ家の過去、アリッサとセブルス編
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呪いの子編