身震いするような一瞬の沈黙。
その刹那衝撃が走った。見守っていた人々の悲鳴、歓声、叫びが空気を劈き、ハリーの周囲が激動した。
新しい太陽が、強烈な光で窓を輝かせ人々はハリーに駆け寄る。真っ先に駆け寄ったのはソフィアとロンとハーマイオニーであり、ソフィアは正面からハリーに飛びつきロンとハーマイオニーが二人ごと抱きしめた。三人の言葉にならない興奮と涙と叫びが、ハリーの耳にガンガンと反響する。
ジニーが、ネビルが、ルーナ、シリウス、ウィーズリー一家の人々とハグリッドが、キングズリーとマクゴナガルが、フリットウィックとスプラウトがすぐに人を押しやりハリーに近づき、かわるがわる腕を伸ばして届くところを強く叩いた。
誰の腕が自分を叩いているのか、誰が何を言っているのか、誰が自分の一部を抱きしめようとしているのか、ハリーにはわからなかった。何百という人がハリーに近寄ろうとし、何とか触れようとしたのだ。──この感激を、感謝を、少しでも早く伝えるために。
ついに終わったのだ。長い、長い闇と悲しみと戦いが。ついに──たくさんの者に支えられ、守られ、愛された『生き残った男の子』のおかげで。
「ハリー」
「ソフィア」
ハリーは近くにソフィアの涙に濡れる瞳を見た。
顔には傷があり、髪は揉みくちゃにされてめちゃくちゃで、それでも何よりも美しく愛しいその顔を見た。
「僕と、付き合ってほしい。愛してるんだ。……だめかな?」
ハリーの言葉は、世界を救った英雄のもの思えないほどいたって普通の告白だった。命令でもなく、自慢げでもない。ただのハリー・ポッターとしての告白だった。
しかもその告白はおそらくソフィアには聞こえなかっただろう。ほんのわずか数センチであっても、周りからは爆音のような歓声が沸き起こり続けているのだ。
それでもソフィアは、太陽に負けないほど輝かしい笑顔を見せ、ハリーの唇に強く自分の唇を押し付けた。
ゆっくりとホグワーツに太陽が昇った。大広間は生命と光で輝き、歓喜と悲しみ、哀悼と祝福の唸りが入り混じった場所にハリーの存在は欠かせなかった。みんなが指導者であり、象徴であり、救い主であり、先導者であるハリーを求め一緒にいたがった。
ハリーが寝ていないということも、ほんの数人の人たちと一緒に過ごして仕方がない事も、誰にも思いつかないようでハリーは遺族と話をして手を握り、その涙を見つめ、感謝の言葉を受けたりしなければならなかった。
そんな中でも冷静に動くことができる生存者はポンフリーの手伝いをし怪我人の手当てに走っていた。ハリーは遺族と話をしているとき、そっと大広間からソフィアがいなくなったことに気付いたがその後を追おうとはしなかった。
おそらく、重傷者が寝かされている医務室のベッドに少ししてからもう一人が追加されるのだろう。
また、大広間の一番隅の方で、ドラコと再会を果たしたナルシッサとルシウスが身の置き場がなさそうに縮こまって居るのを見たが、ハリーはあえて今声をかけなくともいいだろうと考えた。
きっと、もう少し経ってから──全ての人が目を覚まし、冷静に話し合えるようになった時でいいのだ。
陽が昇るにつれ、四方八方から報せが飛び込み出した。国中で服従の呪文にかけられていた人々がヴォルデモートの死をきっかけに我に返り、死喰い人たちが逃亡し一部は捕まったこと、アズカバンに収監されていた無実の人々が今この瞬間に解放されていること、そして、キングズリー・シャックルボルトがジャック・エドワーズの遺言と、殆どの人の賛成に伴い魔法省の暫定大臣に指名されたこと、ハリーが気が付かなかっただけで、ボーバトンやダームストラングの成人した在校生や、卒業生が闘いに参加してくれていたことなど──。
ヴォルデモートの遺体は大広間から運び出され、フレッド、トンクス、リーマス、ジャック、コリン──そして、死喰い人と戦って死んだ五十人以上に上る人々の亡骸とは離れた小部屋に置かれた。
マクゴナガルは寮の長机を元通りに置いたが、もう誰も各寮に分かれて座りはしなかった。みんなが交じり合い、教師も生徒も、ゴーストも家族も、ケンタウルスもハウスエルフも一緒だった。
元気が有り余っている一部のハウスエルフは厨房に駆け戻り、疲れ切った彼らを癒すために早速料理を始めた。それは誰に命令されているわけでも、その性質ゆえでもない。ただ、友人のために、共に戦ったみんなのためにハウスエルフ達がそうしたいと望んだのだ。
暫くして慰問がある程度終わり、ハリーは疲れ切りながらベンチに座り込む。目の前にあったバタービールを飲んでいたが、ふと隣にルーナが座っていることに気づいた。
「あたしだったら、暫く一人にして欲しいけどな」
「そうしたいよ」
「あたしが、みんなの気を逸せてあげるもん。マントを使ってちょうだいね。──うわぁー!見て!ブリバリング・ハムディンガーだ!」
ハリーが何かを言う前にルーナは窓を指差して叫び、ハリーは素早く透明マントを被った。
ルーナのよく通る声を聞いた者は皆その方向を見て、ハリーはようやく自由になった。
誰にも邪魔されず大広間を移動した。二つ離れたテーブルにジニーがいた。彼女はモリーの肩に頭をあずけて座っている。ネビルが見えた、食事している横の皿にグリフィンドールの剣を置き、何人かの熱狂的な崇拝者に囲まれている。シリウスがいた、彼は溌剌とは言い難かったが、それでも笑顔を見せクリーチャーと話していた。何の話をしているのかは聞こえないが、クリーチャーはその話を珍しく熱心に聞いている。──きっと、彼が大切に思ったレギュラス・ブラックの事だろう。
ルイスがいた。ルイスはテーブルの一番端で、背の高い女性と話し合っていた。優しそうな、穏やかな表情をして、その女性にそっとキスをしていた。
目の届くかぎり、あちこちで家族や愛しい人が再会している中、ハリーはようやく一番話したかった三人を見つけた。
「僕だよ。一緒に来てくれる?」
こっそりと耳打ちされた三人は、驚くこともなく立ち上がる。人の合間を縫って、ハリー、ソフィア、ロン、ハーマイオニーの四人は一緒に大広間を出た。大理石の階段のあちこちが大きく欠け、手すりの一部や窓がなくなり、階段を上がるたびに瓦礫や血の痕が見えた。
どこか遠くで、ピーブズがぶんぶん飛び回りながら自作自演で勝利の歌を歌っているのが聞こえる。
──やったぜ 勝ったぜ 俺たちは
ちびポッターちゃんは 英雄だ
ヴォルちゃん ついに ボロ負けだ
飲めや 歌えや さあ騒げ!──
「まったく。事件の重大さと悲劇性を感じさせてくれるよな?」
何度も繰り返し歌われるその声を聞き、ロンが呆れながらドアを押し開け、三人を先に通しながら言った。ハーマイオニーは「まあ、ピーブズにしてはマシかもね」と笑いながらロンの腕を優しくぽんと叩き、ソフィアはくすくすと笑った。
いつものような三人を見つつ、幸福感は後でやってくるのだろうとハリーは思う。今は疲労感の方がそれに勝り──尚且つ、大切な人たちを失った痛みが、数歩歩くごとに肉体的な傷のように痛み、心に刺し込んでいた。
一度、彼らのことを考えながらゆっくりと眠りたい。ハリーはそう感じていたが、その前にソフィアとロンとハーマイオニーには説明しなければならない。
これだけ長い間、行動を共にしてきたのだ。三人にはそれを知る権利があるだろう。
ハリーは一つ一つ細かに憂いの篩で見たことを物語り、禁じられた森での出来事を話した。
三人は受けた三者三様の衝撃と驚きをまだ口に出す間もないうちに、ハリー達はもう暗黙のうちに目的地と定めていた場所に到着していた。
校長室を護衛するガーゴイル像は、ハリーが最後に見たあと、撃たれて右にずれていた。横に傾き、少しふらついているガーゴイルに、ハリーは合言葉がもうわからないのではないかと心配した。
「上に行ってもいいですか?」
「ご自由に」
ハリーの問いかけに、ガーゴイルは呻きながら答える。
四人はガーゴイルを乗り越え石の螺旋階段に乗り、ゆっくりと上に運ばれて行った。階段の一番上でハリーは扉を押し開け、校長室の中に入る。
石の憂いの篩が、ハリーが置いた机の上に に変わらずあった。それを一目見た途端、耳を劈く騒音が聞こえ、ハリー達は思わず叫び声を上げ身を寄せ合った。呪いをかけられたか、死喰い人の残党が隠れていたのか、ヴォルデモートが復活したのか、と思ったのだ──。
しかし、それは割れんばかりの拍手だった。
周りの中の壁で、ホグワーツの歴代校長達が総立ちになりハリーに賞賛を送っていた。
帽子を振り、ある者は鬘を打ち振りながら、校長達は額から手を伸ばし互いの手を強く握りしめていた。
ソフィアとハーマイオニーとロンが呆気に取られ、彼らの弾丸のように降り注ぐ拍手の音を聞いている中、ハリーの目は校長の椅子のすぐ後ろに掛かっている一番大きな肖像画に立つ、ただ一人に注がれていた。
半月型の眼鏡の奥から、長い銀の顎鬚に向かって涙が滴っている。その人から溢れ出てくる誇りと感謝の念は、不死鳥の歌声と同じ癒しの力でハリーを満たした。
やがてハリーは両手を挙げた。
肖像画達は敬意を込めて静かになり、微笑みかけ目を拭いながらハリーの言葉を待つ。ソフィアとロンとハーマイオニーも、少し後ろでただ一つの肖像画を見上げる彼の後ろ姿をじっと見ていた。
しかし、ハリーは今この場に誰がいるのかを全く気にしなかった。今だけは、この世界に自分とこの人──ダンブルドアしかいないのだと思い込んだ。ダンブルドアにだけ話しかけたかった。彼にだけ、細心の注意を払い、言葉を選びたかった。
疲れ果て、目も霞んでいたが、最後の忠告を求め──いや、自分の決意を話すために、ハリーは残る力を全て振り絞った。
「スニッチに隠されていたものは、落としてしまいました。その場所ははっきりとは覚えていません。でも、もう探しに行くつもりもありません。それでいいでしょうか?」
「ハリーよ、それでいいとも」
ダンブルドアが優しく微笑んだまま深くうなずき、肖像画達は何のことかわからず額縁越しに顔を見合わせた。
「賢明で勇気ある決断じゃ。きみなら当然そうするじゃろうと思っておった。誰か他に、落ち場所を知っておるか?」
「誰も知りません。──でも、イグノタスの贈り物は持っているつもりです」
「もちろん、ハリー。きみが子孫に譲るまで、それは永久に君のものじゃ!」
ダンブルドアは満足げに頷き、にっこりと笑った。
「それから、これがあります。──僕は、ほしくありません」
ハリーはニワトコの杖を挙げながら言い、その杖を恭しく見ていたロンは「何だって?気は確かか!?」と大声を上げたが、ハリーはロンのそんな表情は見たくないとうんざりしながら思う。
「強力な杖だということは知っています。でも、僕は、自分の杖の方が気に入っていた──だから……」
ハリーは首に掛けた巾着を探り、二つに折れ、ごく細い不死鳥の尾羽だけでかろうじて繋がっている柊の杖を取り出した。
誰にも、杖職人にも直せない杖。──これで駄目ならばもう望みはないとハリーはわかっていた。
ハリーは折れた杖を校長の机の上にそっと置き、ニワトコの杖の先端で触れながら唱える。
「
折れていた柊の杖はぴたりとくっつき、先端から赤い火花を散らせた。まるで今息を吹き返し喜んでいるような光景に、ソフィアは目を細める。成功した事を知り、輝くハリーの横顔を見て──これでよかったのだと、強く感じた。
ハリーが杖を取り上げると、突然指先が温かくなるのを感じた。まるで、杖と指が再会を喜び合っているようで、ハリーの表情が緩む。
「僕はニワトコの杖を、元の場所に戻します。杖はそこに留まればいい。僕がイグノタスと同じように自然に死を迎えれば、杖の力は破られるのでしょう?最後の杖は、敗北しないままで終わる。それで杖はおしまいになる」
ダンブルドアは心からの愛情と称賛の眼差しでハリーを見つめ、ゆっくりと頷く。二人は互いに微笑みあった。
「本気か?」
ニワトコの杖を食い入るように見ながらロンが恐る恐るハリーに聞いた。その声には隠しきれぬ物欲しさが含まれていたがすぐにハーマイオニーが「これでいいのよ」とその考えを一蹴する。ソフィアも「ハリーが正しいと思うわ。とっても扱いが難しいもの」と強く頷いた。
「この杖は、役に立つどころか、厄介なことばかり引き起こしてきた」
ハリーは振り返り、ソフィアとロンとハーマイオニーを順番に見た。
こうして、自分の力で、自分の足で立ち彼らをゆっくりと見れるだなんて思わなかった。きっと、いつでも、何日でも、何年でも彼らを見ることができるだろう。当然のようにくる太陽の光を浴びて、優しく包む夜空に抱かれて眠る。そんな日々をこれからいつまでだって過ごすことができる。
「それに、正直言って──僕はもう、一生分の厄介を十分味わったよ」
ハリーはそう言って笑い、ソフィアとロンとハーマイオニーも少し遅れてから楽しそうに笑った。
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