夏休みがもうすぐ終わる。日数で言えばあと一週間で九月一日がやってくる。
その日、ソフィアとルイスは太陽が顔を出し、窓からやわらかい光が射した途端目を覚ました。
「おはようルイス」
「おはようソフィア」
お互い朝の挨拶をし、台所へ向かう。
いつもなら真っ先にセブルスの自室に向かいそのベッドの上の身体に飛び掛かり起こしに行くのだが、今日はセブルスにとって最後の休日だ。明日から早めに仕事が始まる父を思い、思うままに寝かせてあげよう、そう思っていた。
紅茶とパンの焼けるいい香りが部屋を満たした頃。その匂いに誘われるようにノロノロとした足取りでセブルスは居間へと姿を見せる。
「おはよう父様」
「ゆっくり寝れた?」
「ああ…おはよう、ルイス、ソフィア」
セブルスは机の上にある日刊予言者新聞に目を通しながらソフィアが淹れた紅茶を飲んだ。あまり、セブルスが朝しっかりとした食事を取らないと分かっていたが一応トーストとオムレツと少しのサラダを用意し机の上に並べる。
ソフィアとルイスは席に着き、紅茶にたっぷりのミルクを入れ、トーストにかぶりついた。成長期であるソフィアとルイスは勿論セブルスと同じ量では足りず、ソーセージや厚切りにしたベーコンを皿に添えている。
セブルスは2人が作った食事を特別褒める事はしなかったが、それでも何も文句は言わず静かに食べた。
2人はちゃんと、セブルスにとって残さず綺麗に完食することが無言の賞賛なのだと知っていた為、こっそり顔を合わせて微笑んだ。
朝食後、それぞれが思い思いに過ごす中、ソフィアは何か面白いものでもないかと、ようやく身長が届くようになった戸棚の奥を探っていた。
「……カメラ?」
戸棚の奥、小さな箱に入れられた古ぼけたカメラを見つけ、ソフィアはレンズのくすみを袖で拭いながらセブルスの元へ持ってきた。
「父様、カメラなんて持ってたの?」
本に目を落としていたセブルスは、ソフィアが持つカメラを見て、ああそういえばあったな、と思い出す。あまり写真を撮る事も、映ることも無いセブルスはその存在を今まで忘れて──思い出さないようにしていた。
「それは、アリッサの物だ」
「母様の?へぇー…」
試しにレンズ越しにセブルスを覗き、ニコリともしない父に向かってシャッターを押す。カシャン、と小気味いい音が響き、ヒラリと写真出口から直ぐに写真が飛び出る。まだフィルムが残っていた事に驚きながらソフィアは出てきた写真を見て、思わず笑ってしまった。
「あはは!見てルイス!」
「んー?…ははっ!めちゃくちゃ不機嫌そうだね」
写真に写るセブルスは嫌そうに2人を見ていたがすぐに手元の本に目を落とす。だが視線が気になるのか鬱陶しそうにちらちらとこちらを見ていた。
「ねえ、3人で撮りましょうよ!」
「いいね!」
ルイスは読んでいた本を閉じ机の上に置くと、直ぐにセブルスの隣に座る、ソフィアもまた反対側に座り腕を遠くに伸ばした。
「父様、笑ってね?」
──カシャン。
直ぐに出てきた写真を撮ったソフィアは、楽しそうに──そして嬉しそうに笑った。
「父様だけ笑ってないじゃない!」
2人に挟まれるセブルスは勿論いつもの仏頂面をしていて、対照的にソフィアとルイスは幸せそうに微笑んでいた。
「新しいフィルム買わないとね」
「そうね!沢山撮りたいわ」
ソフィアは嬉しそうに写真に写る3人を撫でる、ソフィアとルイスはくすぐったそうに身を捩ったが、セブルスはやはり、鬱陶しそうにその指を避けた。
「父様、母様は沢山写真を撮ったの?あまりこの家には写真がないけど…」
実際、ソフィアとルイスは家族皆で写る写真を見たことが無い。学生時代の写真はこっそりジャックから見せてもらったが、両親が結婚した後の写真は本当に1.2枚程度しか見た事が無かった。
「…アリッサはあまり撮らなかった」
「そうなんだ…家族写真、一枚でもあったらよかったのになぁ…」
ルイスもソフィアと同じく、残念そうに眉を下げた。2人は母親の顔や姿を、写真でしか見た事がない。一歳の頃に亡くなった彼女の事を、覚えていないのは仕方がない事だろう。その、顔も、表情も、声でさえ、2人は一切覚えてなかった。
2人は幼い頃、夢でいいから会いたいと何度も願い、祈りながら眠りについたが、一度も母は現れなかった。
セブルスは残念そうにする2人を見て、少しだけ心を痛めた、それこそ幼い頃は母を求め何度も夜に泣きぐずった2人だが、物心着く頃には母は居ないものである、そう理解し何も言わなくなっていった。それが良いことではないと、セブルスも勿論わかっていたが、どうする事も出来なかった。まだ、当時セブルスもアリッサの事を話せるほど心に余裕はなかったのだ。
孤児院で同じように親のいない子どもたちと過ごし、周りの環境もあってか2人はあまり母の事を聞かなくなった。それは孤児院を出てからも続き、たった3人で完結している2人の世界で母の事を思い出す事は減っていた。
だが、ホグワーツで過ごすようになり沢山の普通の──親のいる──子どもたちと出会い、その話を聞き、そして暖かく賑やかなウィーズリー家と知り合った事により、2人は再び、母の事を良く知りたいと思うようになっていた。
今は、昔ほど焦がれる事も悲しむ事もない、2人の心は凪のように穏やかに母と向き合える準備が出来ていた。
だが、それでも、セブルスは2人にアリッサの事を伝えることはなかった。
ソフィアとルイスは心の準備が整っていたが、セブルスにはまだ時間が必要だった。──きっと、何かきっかけがない限り、セブルスはアリッサの事を2人に自分からは話せないだろう。
「父様、このカメラ貰ってもいい?友達と沢山写真を撮りたいの!」
「ああ、構わない。…壊さないように注意しろ」
「いいなー!僕も使って良い?」
「勿論よ!」
それからソフィアとルイスは人によっては無駄とも言えるほど、何の変哲もない日常の写真をたくさん撮った。
いつ見ても、楽しく幸せだった日々を思い出せるように。
セブルスの最後の休暇は穏やかに過ぎて行った。今日ばかりはソフィアとルイスはロンの家に行く事も、セブルスに悪戯を仕掛け怒らせる事もなかった。いつもよりも長く、セブルスの隣に座り、いつもよりも沢山、セブルスと話した。
古びた壁掛け時計が夜の12時を示し、低い音を響かせた。
ルイスとソフィアは顔をもたげ、時計の針を見る。静かな部屋にボーン、ボーンと低い音が12回響いた後セブルスは本を閉じ、今から告げられるだろう言葉を聞きたくないと言うように顔を伏せる2人の頭を撫で、伝えた。
「──もう寝なさい」
「「…はぁい」」
セブルスにもたれかかるようにして本を読んでいた2人は残念そうな声音で答えるとすぐに本を閉じセブルスを抱きしめた。
「おやすみなさい、父様」
「良い夢を、父様」
それぞれ片頬ずつおやすみのキスを落とし、セブルスもまた2人を優しく抱きしめた。
「おやすみ」
ソフィアとルイスは手を繋ぎ、自室へ向かう。一度扉の前でセブルスを振り返ったが、何も言わずにそっと廊下の向こうに姿を消した。
セブルスもまた立ち上がり杖を振り部屋中の電気を消すと自室へ向かった。明日──いや、今日から生徒たちより一足先にホグワーツに向かい、新年度の準備の大詰めをしなければならない。今年こそ、平穏に過ごすことができれば良いが、と、セブルスは去年恐ろしい事件に巻き込まれた2人と、そしてハリー・ポッターの事を考えた。
セブルスはベッド脇のランプに火を灯し、手元だけぼんやりと明るくさせながら寝る前に本を一冊読んでいた。眠気が無いわけではないが、ただ、時間を潰すために何度か読んだ本の文字を目でなぞる。
「…父様…」
「一緒に寝ても、いいかしら?」
扉が静かに開き、それぞれの白い枕を抱え、何処か寂しげな表情でソフィアとルイスが現れる。
セブルスはすぐに本を閉じると、彼にしては優しい顔つきで2人を見た。
「…来なさい」
その言葉に2人はすぐに駆け寄り、少し高いベッドにのぼり、ほのかに温かい布団の中に身体を滑り込ませた。
セブルスはきっと2人が来るだろうと思い、寝ずに待っていたのだった。
「父様…ホグワーツは楽しみだわ、また友達に会えるもの!…でも…」
「また、他人のフリをするのは、ちょっと寂しいな…」
ソフィアとルイスはセブルスの服を着て掴みながら、憂いを帯びた声でつぶやいた。
2人はセブルスに対してはその歳の子どもよりも幼く甘える、だが2人は──特に、ルイスは──本当は、同じ歳の子どもよりも大人びて少々達観し、賢い子どもたちだった。その境遇ゆえ、本心をうまく悟られないようにするのが上手かった。
今だけは、セブルスの子どもとして、目一杯甘え、素直に本心を吐露した。
「…そうだな、私も…同じ思いだ」
優しくその柔らかなつむじに唇を落とし、セブルスは2人に囁く。ソフィアとルイスは目を見開いて驚いたが、すぐに嬉しそうにはにかみ、セブルスに縋るように身を寄せ彼の独特な薬草のような匂い──2人にとっては落ち着く匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
セブルスは杖を振り部屋の明かりを消す。暫くは暗闇だけが目に映っていたが、次第に月と星の光に照らされお互いの輪郭がぼんやりと浮かび上がってきた。
「おやすみなさい…」
「おやすみなさい、父様…」
「…おやすみ、ソフィア、ルイス…」
3人は身を寄せ合うようにして、幸せな眠りについた。
朝になり、いつものように朝食を取った後、セブルスは鞄を持ち暖炉の前に立つ。ソフィアとルイスは静かに、セブルスを見送るべく後ろに立っていた。
何度経験しても、夏休みの後の別れは切なく寂しいもので、ソフィアとルイスはセブルスに抱き着き、暫く無言でそうしていたが名残惜しそうに離れると、朗らかに微笑んだ。
「いってらっしゃい」
「また、一週間後に、ホグワーツで会おうね」
「ああ…行ってくる」
暖炉の中で燃える緑色の炎の中に進んだセブルスが燃え盛る炎とともに消えた後も、2人は暫く暖炉を見ていた。
「あーあ、行っちゃったわ」
「ま、仕方ないよ」
ソフィアはため息をこぼし、「つまんなーい」と言いながらソファの上に飛び乗りすぐに棚の中からお菓子の袋を取り出すと寝転がりながらクッキーを食べた。
その行儀の悪さを咎める者が居なくなった途端、ソフィアは足をばたつかせながら写真立ての母を見つめた。
ルイスはすぐにだらけるソフィアに苦笑しながら本棚から本を抜き出し、肘掛け椅子に座った。彼もまたセブルスが居なくなった途端、ポロポロとこぼれ落ちやすいクッキーを摘みながら本を読むあたりソフィアと変わらないといえるだらう。
ソフィアは写真立てを手に取るとじっと母の顔を見る。
腕に毛布で包まれた赤子を抱き、幸せそうに微笑む母。
ふと、この抱かれている赤子はどちらなのか、と思った。
ソフィアとルイスは双子だ、だが、写真に写る母が抱いているのは1人だけのように見えた。しっかりと毛布で包まれているその赤子の姿は見えないが、時おり写真の中の母が愛しさを含んだ目で毛布の中の様子を伺うように見ていた。きっと、どちらかが寝ているのだろう。
ソフィアはなんとなく、その毛布に包まれた赤子を指で突いた。途端に母は驚いたように目を見開き、慌てたように毛布をゆらゆらと揺らす。おそらく、腕の中の赤子が起きて泣いてしまったのだろう。
──髪だけでも見えないかしら?
ソフィアはくすぐるように、毛布に包まれた赤子を撫でた。
すると毛布はうごめき、小さな白い手が見えた。母を求めるように伸ばされた手、そして少しはだけた毛布の隙間から赤子の顔がちらりと見えた。
──あ、黒髪だわ…なら、この写真の赤ちゃんは私なのね。
ぎゅっと目を閉じもごもごと動く赤子は起こされて不機嫌そうに眉間を寄せていた。
それを見て嬉しいような、何となく、ルイスに申し訳ないような気がした。
写真の中の母が咎めるような目でソフィアを睨む。その目は折角寝ていたのに、なんで起こすの?と言っているようで、ソフィアは苦笑しながら写真立てをいつもの場所に戻した。
新しいお菓子の袋を探すために視線を逸らしたソフィアはそれを目にしなかった。
写真の中で、目を覚ました赤子の瞳が、自分とは異なる黒色だった事に、ソフィアは気が付かなかった。