それから数日、ミセス・ノリスが襲われた事件は暫くの間生徒たちの間でひそひそと囁かれていた。秘密の部屋とは何の部屋なのだろうか?継承者は一体誰だ?と様々な噂や憶測が飛び交う。現場に一番に居た、という理由でもしかしてあの中に犯人がいるのでは無いか、と考える生徒も少なくなかった。
あの中でもっともそれらしい人物といえば、ハリー・ポッターだ、彼は過去恐ろしい闇の魔法使いを撃退した、何か特別な力があるのかもしれない──そんな噂があった。
ジニーはあの一件で酷く心を乱されたようで顔を真っ青にして落ち込んでいた。
談話室の端で項垂れ、手を膝の上で固く握るジニーの隣に座ったソフィアは、優しくジニーの肩を抱き、頭を撫でた。
「ジニー、大丈夫よ。薬が出来上がったらミセス・ノリスはすぐに元通りになるわ」
「ソフィア…」
「…何か不安な事があったら…何でも相談に乗るわ!あなたは私の可愛い妹で、大切な友達だもの」
「…ありがとう…」
ジニーの顔色は悪く、その後兄達やソフィアがどれだけ励ましても彼女の表情を晴らすことはできなかった。
事件の後、変わったのはジニーだけではない。ハーマイオニーは授業中以外の時間全てを読書に費やしているようで、ハリーとロンが何を調べているのかと聞いても本から目を上げる事なく生返事だけを返した。
その日もハーマイオニーはベッドに腰掛け、図書館から借りてきた本を就寝前に読んでいた。ソフィアはそっと邪魔をしないように近付いた。
「ハーマイオニー?何を探してるの?…私も手伝おうか?」
「…、…ええ…そうね、もう1人で探すのは限界だわ」
ハーマイオニーはため息を吐き本を閉じ、疲れたように目頭を揉んだ。
「秘密の部屋の伝説について調べているの。私どうしても思い出せなくて…ソフィアは知ってる?」
「秘密の部屋…ああ、あの壁に書いてあった文字よね?…うーん…」
腕を組み、なんとか思い出そうと頭をひねる。確か、何処かでその言葉を見た事がある。何処だったか──そうだ、ホグワーツの歴史の本に書いてあったような。
一つ思い出すと連想ゲームのように頭の中に文字がポツポツと現れ、ソフィアはうんうん唸りながらも言葉を吐き出した。
「ホグワーツの歴史に書いてあったわよね?えーっと…ホグワーツの創設者のサラザール・スリザリンがゴドリック・グリフィンドールと…マグル出身の魔法使いをこの学校に入学させるかどうかでかなり揉めて、結局スリザリンはホグワーツを去ったのよね?その時にこっそりと秘密の部屋を作ったとか書いてあった気がするわ…でも、確か…スリザリンが去ったまでは信頼できる事実だけど。秘密の部屋については確実な裏付けはなくて…伝説とか、噂話のようなものだって…んー…」
ソフィアはぽつぽつと話していたが、これ以上は思い出せず手を上げ首を振った。
「ここまでしか思い出せないわ。うーん…」
「私も、途中までしか覚えてないの…ホグワーツの歴史の本はいつ図書館に行っても貸出中だし…」
ハーマイオニーはソフィアもしっかりとした内容を覚えていないと分かると残念そうにため息をついた。ハーマイオニーもそこまではぼんやりと思えている。だがスリザリンが隠したとされる秘密の部屋の詳細は彼女も思い出す事が出来なかった。
無言で考え込むハーマイオニーを見ていたソフィアは、そっとハーマイオニーの隣に座り声を顰めた。
「…父様に聞く?…何か知っているかも…」
「え?…あ、ああ…そういえば、そうだったわね。忘れてたわ…」
ハーマイオニーはソフィアの言葉でようやくソフィアの父親がホグワーツの教員であるセブルス・スネイプだと思い出した。たしかに生徒同士で頭を捻らせるよりは良い返答が貰えるかもしれない。ホグワーツに勤めているのだから、歴史に詳しい可能性もある。
暫くハーマイオニーは考えていたが、ゆるゆると首を振った。
「…やめておきましょう。きっと、何かを企んでると思われるわ」
「あー…うん、そういえば、既に厄介ごとに首を突っ込むなって警告されちゃったわ」
「それに、ハリーとロンは…あの人から聞いた事は事実であれ、信じないわ」
「…あはは……」
確かな自信を持って真面目な顔で告げられたハーマイオニーの言葉に、ソフィアは複雑な気持ちになり苦笑いを溢した。
「…教師…そうよ!魔法史の時に聞いてみましょう。ビンズ先生は必ず知ってるはずよ!」
ハーマイオニーが名案を思いついたと言うように手を叩き、ソフィアはそのほうが父に聞くよりは良いかもしれないと頷いた。きっと魔法史の先生なのだ、ホグワーツの歴史にも詳しいだろう。
「ちょうど、明日魔法史があるわね…そうとわかったら、もう寝ましょうか、疲れたわ…」
ハーマイオニーは大きな欠伸を噛み殺し上に手を大きく伸ばした。長時間同じ姿勢で本を読んでいた彼女の骨はぼきりと嫌な音を立てた。
翌日の魔法史は相変わらずいつもと変わらぬ退屈な授業であり、生徒の殆どが夢の彼方に旅立っていた。
ソフィアもまた、ビンズの抑揚の無い単調な言葉に催眠術をかけられたように机に突っ伏し、夢の世界に片足を突っ込みつつあった。いつもなら既に寝ているソフィアだが、ぎりぎりでも何とか起きているのはいつハーマイオニーが秘密の部屋についてビンズに質問するのか、それが気になっていたからだ。
ビンズが自分のノートと教科書を30分も読み上げた頃、この授業ではじめてハーマイオニーが手を上げた。──ビンズは生徒に質問する事は無く、誰も手を上げる機会が無かったのだ。
ビンズはこの授業で手を上げる生徒など初めて見たというような驚いた表情でハーマイオニーを見つめた。
「ミス……あー…」
「グレンジャーです。先生、秘密の部屋について何か教えていただけませんか?」
ハーマイオニーのきっぱりとしたよく通る声は静かな教室に響き、何人を夢の世界から連れ戻す事に成功したようだった。
ソフィアは閉じようとする目を擦り、顔を上げた。
「私が教えるのは魔法史です。事実を教えるのであり、ミス・グレンジャー。神話や伝説では無いんです。──では、授業の続きを……ミス・グラント?」
ビンズはすぐに授業を再開させようと思ったが、ハーマイオニーの手がまた高く伸びている事に気づくと訝しげに──名前を間違えていたが──ハーマイオニーを呼んだ。
「先生、お願いです。伝説というのは、必ず事実に基づいているのではありませんか?」
「──ふむ…然り…そんなふうにも言えましょう。…おそらくですが。しかしながらです、あなたがおっしゃるところの伝説はと言えば、これはまことに人騒がせなもので、荒唐無稽な話とさえ言えるものであり…」
今まで授業を遮られた事がないビンズはハーマイオニーをまじまじと見ていたが、クラス全体が自分の言葉に耳を傾け、誰一人として寝る事は無く、自分をしっかりと見つめている。それは生前から考えても初めての事であり、ビンズは少し狼狽えた。
「あー…よろしい。…さて、秘密の部屋とは…」
はじめはハーマイオニーを窘め、授業をすぐに再開させるつもりだったが、はじめて魔法史というものに興味を持たれ、それが望んではいなかったきっかけだとしても──学ぼうとする生徒たちを蔑ろには出来ないと、ビンズは1人の教師として考えを改めた。
そして噛み締めるようにホグワーツの歴史を語り出す。
「皆さんも知っての通り、ホグワーツは一千年以上も前に、その当時の最も偉大なる四人の魔法使いと魔女達によって、創設されたのであります」
ビンズはいつものような単調な声で話したが、誰の眠気も誘えなかった。生徒達は固唾を飲みその声を一言も漏らさまいと真剣に聞き入った。
「──数年の間、創設者達は和気藹々と魔法力を示した若者達を探し出しては、この城に誘って教育したのであります。しかしながら四人の間に意見の相違が出てきました。スリザリンは、ホグワーツには選別された生徒のみが入学を許されるべきだと考えたのです。魔法教育は、純粋に魔法族の家系にのみ与えられるべきだという執念を持ち、マグルの親を持つ生徒は学ぶ資格はないと考えて、入学させることを嫌ったのであります。暫くしてスリザリンとグリフィンドールが激しく言い争い、スリザリンがホグワーツを去ったのであります」
ビンズはここまで話すと一度言葉を止めた。
秘密の部屋についてはこの先を話さなければならないが、この先は信頼できる歴史的書類は一つもない、ただの言い伝えや伝説──神話のような不確かなものだ。
果たして魔法史の教師である自分が不確かな事を教えても良いものか、彼はそう逡巡したが、生徒たちの無数の目に射抜かれたビンズは暫く黙った後で口を窄めながら、小さく続きを伝えた。
「信頼できる歴史的資料はここまでしか語ってくれんのであります。しかし、こうした真摯な事実が、秘密の部屋という空想の伝説により、曖昧なものになっておる。
スリザリンがこの城に、他の創設者には全く知られていない、隠された部屋を作ったと言う話がある。その伝説によれば、スリザリンは秘密の部屋を封印し、この学校に彼の真の継承者が現れる時まで何人もその部屋を開ける事が出来ないようにしたという。その継承者のみが秘密の部屋の封印を解き、その中の恐怖を放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶに相応しくない物を追放するという──勿論、全ては戯言であります」
ビンズが語り終えると教室に沈黙が落ちた。
それはいつもの眠気を誘う沈黙ではなく、もっと続きを聞きたいという落ち着かない雰囲気が漂っていた。ビンズは生徒たちの様子に微かに困惑した様子を見せた。
「ビンズ先生」
ビンズはまたハーマイオニーかと思ったが手を上げたのはソフィアだった。やっぱり名前がわからないビンズはソフィアを見ながら「ミス…?」と首を傾げる。
「プリンスです、先生。秘密の部屋にある恐怖とは…一体何ですか?」
「何かの怪物だと信じられており、スリザリンの継承者のみが、それを操る事が出来るという」
──怪物。それが真実なら、私の予想は当たっているのかもしれない。
ソフィアはじっと考え込むように空を見ていたが、生徒達は恐々顔を見合わせどんな恐ろしい怪物なのかと身体を震わせた。
「言っておきましょう、そんなものは存在しない。部屋など無い、したがって怪物はおらん」
「でも、先生」
今度の発言者はシェーマスだった。ビンズはうんざりしたような目で彼を見る。
「もし、部屋がスリザリンの継承者によって開けられるのなら…ほかの誰も、それを見つける事なんてできない、そうでしょう?」
「ナンセンス!歴代のホグワーツ校長達が、何も発見されなかったのだから──」
「でも、ビンズ先生。そこを開けるのには、闇の魔術を使わないといけないのでは…?」
パーバティは、闇の魔術は凶悪なものだけが使える魔術で歴代の校長達は使えなかったのだと思ったが、ビンズは首を振ると険しい目でパーバティを見る。
「闇の魔術を使わないからといって、使えない、という事にはならない。──繰り返しではありますが、ダンブルドアのような方でも──」
「でも、スリザリンと血が繋がってないといけないのでは…?ですから、ダンブルドアは──」
ディーンがそう言いかけたところで、ビンズはもう沢山だとばかりに首を大きく振り強く打ち切る。彼の言葉に抑揚と感情が強くこもったのはこれが初めてだった。
「以上、おしまい!これは神話であります!部屋は存在しない!スリザリンが部屋どころか、秘密の箒置き場ですら作った形跡はないのです!こんなバカバカしい作り話を聞かせるべきではなかった!…実態のある、信ずるに足る、検証できる事実である歴史に戻りましょう!」
ビンズはそう言うといつもの授業を再開させ、生徒達はいつものように、また眠りに落ちた。
ソフィアは殆ど寝ているせいで白紙の羊皮紙を見下ろし、今まで出てきたキーワードと、そして自分の勘を書き連ねる。
スリザリンの秘密の部屋。
継承者のみが開く事ができる。
ダンブルドアですら、その部屋を発見できない。
部屋には恐ろしい怪物がいる。
それは、継承者のみが操る事が出来る。
ミセス・ノリスの石化。
ダンブルドアでも、その呪いを解けない。
人ならざる者の力。
──やっぱり、私の予想が正しいのなら、秘密の部屋は何者かの手によって開かれたんだわ。その中にいる怪物がミセス・ノリスを石化させた…新しく入った教師はロックハートだけ、あの人にそんな事は出来ないだろう。…いや、去年のクィレルのこともある、彼は全てを欺いて狡猾に強かにあれ程の悪行をやってのけた。もしかしたら、ロックハートも自分を偽っている可能性がある。
ロックハートじゃないのなら、スリザリンの生徒だろうか?…いや、純血はスリザリン生以外でもいる、スリザリンの血筋だからといって必ずスリザリンに組み分けされるとは限らないだろう。私とルイスには同じ血が流れているけれど、別々の寮だ。
ソフィアはそこまで考えたが、やはり確証はなく、後でスリザリンについてもっと調べてみようと考えると諦めたように羽ペンを転がし、その文字を書いた羊皮紙を鞄の中に隠した。