「…ジニー?」
ジニーはトイレの扉を閉めると、その杖先をゆっくり自分の首に当てた。
「何を…何をしてるの?──危険だわ、離しなさい」
「うん、分かってるよ。ここに来るなんて…どうやら運は僕をまだ見捨てていないようだ」
「ジニー?」
ジニーは杖先を首に当てたままニコニコと笑う、その笑顔は彼女が見せるものとは全く違っていた、暗く、嘲るようなその笑顔に、ソフィアは狼狽えながらじりっと一本後ろへ下がり、そっとポケットの中で自分の杖を握った。
「動くな」
「…あなた…あなた、…誰…ジニーじゃないわ。ポリジュース薬でも飲んでるの?」
ソフィアの硬い声に、ジニーはくつくつと楽しげに笑い首を振った。種明かしをするように、楽しげにジニーは囁く。
「いや、この身体は君の知っているジニーさ、今は少し…深く眠っているけれど、…僕が操っているんだよ…ねえ、僕が誰かわからないソフィア?…ここ数ヶ月、ずっと一緒にいたじゃないか…」
甘く、柔らかく囁かれた言葉に、ソフィアは目を見開き息を呑んだ、ジニーから、ジニーが胸に抱える日記へ視線がずれる。それを見たジニーは深く頷き目を細めた。
「そうだ。今ジニーの体を使っているのは僕だよ、ソフィア」
「まさか…そんな、リドル?どうして……どうやって!?」
「この子は長い間僕に悩みを相談し…その闇を見せてくれたからね、僕の魂とよく馴染んだよ…少しだけ、僕の魂をこの哀れな少女に与えて…そうして、操れるようになったんだ…まだ、少しの間だけどね。…ふふ、もう分かったんじゃ無い?僕がなぜ、この子を操っているか…秘密の部屋の場所まで…バジリスクが居るとまで気付いた君なんだ──分かっているだろう?」
「…貴方が…ジニーを操って…秘密の部屋を開けたのね…」
「ご名答!本当、君に秘密の部屋の存在がばれるとは思ってなかったよ…今ダンブルドアに伝えられるのは困る…僕のシナリオにそれは無いからね…」
ソフィアは強くリドルを睨む。鳩尾のあたりから、強い怒りと、そして恐怖がじわじわと身体中に広がった。手が震えるのは、怒りなのか恐怖なのか、ソフィアには分からない。
ジニーは優しい子だ、きっと何も知らないのだろう、何も知らず悪行に手を染めている、それを知れば、どれほど嘆き悲しむか、強く歯を食いしばり、せめてジニーの杖を奪いたかったが、それよりも早く彼の──リドルの魔法がジニーを貫くのは目に見えていた。
「さてさて…君は知りすぎた…選んでいいよ。ジニーが死ぬか…ソフィア、君が死ぬか…二つに一つしかない…」
愉しげにジニー…リドルはそう告げると、顔を凶悪に歪めたまま何かを囁いた、空気が漏れるような、人の言葉ではない言語。それはハリーの口から出た音とよく似ていた。
──ずるり
何かが後ろに現れた気配を感じ、ソフィアは体を硬らせた。トイレの温度が変わったかのような、冷たく重い殺気と濃い生き物の気配。ずるずると、それが近付く音は大きくなっていた。
ソフィアは固く目を閉じる、リドルの冷たい嘲笑が部屋に響き嫌な音を奏で反響した。
「ソフィア、後ろを向いて?目を開けて?さあ、じゃないと君の大切なジニーが死んでしまうよ?…ああ、一言でも言葉を発したら…その時もジニーを殺す。君は優れた魔女だとジニーから聞いているからね……早く後ろを見るんだ!」
「──っ…」
ソフィアはゆっくり、後ろを向いた。
巨大な生き物の静かな息遣いが聞こえる、身体中が悪寒に震え、口からは荒い呼吸が漏れた。リドルは今にも消えようとする命を楽しむような低い笑いを零し、冷たい目でソフィアを見つめる。
──ソフィアは優しい、間違いなくジニーを見捨て、自分だけ生き残る事はしないだろう。ソフィアがこちらを向くか、一言でも呪文を発したら…その時はバジリスクの目を見よう。その女の前で、命を消してやる。
ソフィアは強く、杖を握る。
そして、心の中で叫んだ。
──アクシオ、一輪挿し!
ソフィアがマートルに贈った一輪挿しが勢い良くソフィアの目前に広げた手に飛び込む、ソフィアはガラスの冷たい感触をしっかりと掴み、そして目を開いた。
見たのは、巨大な黒い蛇だった。
両目だけが輝くように黄色い、ソフィアはそれを見た途端身体中に電撃が走ったような気がして──そして、その意識を途絶えさせた。
ソフィアはその場に倒れ込む。バジリスクを見ないように俯いていたリドルの視界の端にトイレの床に広がるソフィアの髪が写り、リドルは勝ち誇ったような嘲笑を上げ、バジリスクに部屋へ戻るよう指示した。
「はははっ!呆気ないなぁ…」
生き物の気配が去った後、漸くリドルは倒れているソフィアに近づく。その顔がどんな恐怖に彩られているのか見るために顔を覗き込んだ途端、リドルは薄笑いを消した。
「──何?…死んでない、…石化…?」
ソフィアの開かれた目は恐怖に慄いてはいなかった。何か決意し、強い意志を持つ瞳。──リドルが一番嫌いな感情を込めていた。
身体は硬くこわばっていたが、死んでいない、石化している。そんな、何故──。
リドルはソフィアの足元に転がる割れた乳白色の一輪挿しと赤い花を見つけ、舌打ちを溢した。
先程までは持っていなかった、まさか、たった二年生で無言魔法を使えるなんて、想像もしなかった。
憎々しげにその花を勢いよく踏み潰す。
思う通りに行かなかった癇癪を爆発させるように、何度も何度も足を振り下ろし、花をぐちゃぐちゃに踏み荒らした後で荒い呼吸と沸き起こる苛立ちをなんとかおさめようと何度か深呼吸をした。
このまま、この女をここに置いておくわけにはいかない、50年前は死者が、そして今回この場所で石化したとわかればきっとダンブルドアは何かに気付くに違いない。
リドルは杖を振りソフィアを浮遊させるとそっとトイレの扉を開け、用心深くフードを深く被り外を伺う。その廊下は元々人通りがかなり少ない、嘆きのマートルのトイレがある場所をわざわざ通る者は居ない。
それでもリドルは注意深くそっと抜け出すと浮遊するソフィアを連れて廊下を静かに走った。
あと少しで夕食の時間になる、大広間に向かう生徒が来るかもしれない。
廊下の角から目だけを出し、そっと様子を伺ったが人気はなく、リドルはなるべくマートルのトイレから離れた場所へ向かった。階段を降りた2階、その奥へと向かい、そっとソフィアを寝かせる。ここなら、周りに使っている教室もない。誰も暫くは気づかないだろう。
2階の廊下の突き当たり、花束を持つ少女の肖像画の前にソフィアを置いたリドルはすぐにその場を離れるべく走った。
「──ソフィア?」
後ろから声が聞こえ、リドルは思わず振り返り、肖像画から出てくる人を見た。その少年は、驚いた顔で倒れているソフィアを見ている。顔がゆっくりとあげられたが視線が合う前にリドルはパッと前を向くと、出来る限りの速度で走る。
──しまった。見られたか?隠された部屋が、あんなところにあるなんて…!
リドルはすぐに曲がり角を曲がり、そのまま生徒の群れの中に身を眩ませた。
あまり長くはこの体を操れない、リドルは切り離される感覚に苛立つ、もっともっと、この女から魂を奪わなければ──。