ルイスは花束を持つ少女の部屋からそろそろ寮へ戻ろうと大きく伸びをする。ここには図書室には無い本が数多く置いてある、内容が難解なものが多いが、見ていて飽きはこない。
肖像画の裏枠に手をかけながら少女にもう帰ると告げれば閉ざされた鍵がかちゃりと開いた。
肖像画の裏面に足を突っ込み、枠をしっかりと持って廊下へと体を這い出す。
ふと、下に何かがあることに気づき、やや遅れてそれが、愛しい妹だと理解した。
「──ソフィア?」
うつ伏せに寝転び、長い黒髪を廊下に散らばせている、ルイスはさっと体の芯まで冷えたかのような、言いようのない悪寒が走るのを感じた。
視界の端に何かがチラリと動く、ソフィアから視線をずらし、思わずそれを目で追った。──走り去る人影、おそらく、少女だ──だがルイスは追いかける事なく直ぐにその場に降り立った。
床を踏み締めたはずの足に力が入らず、そのままがくりと膝は折れ床に鈍い音を立てて打ち付けたが、不思議と痛みは感じなかった。
「…ソフィア?…ソフィア…ソフィア、起きて…」
そっと肩に触れた。
恐ろしく、硬い。
無理矢理身体を反転させれば、その目は強く何かを睨んだまま固まっていた。
──石化している。
「…何で…何で、ソフィアが…!」
マグル出身ではないソフィアは、狙われるわけがないと思っていた。たまにソフィアが一人で出歩いているとは知っていたが、それを強く止めなかったのも、狙われないと思い込んでいたからだ。今までの被害者はたまたま、純血では無かっただけなのか、ドラコの汚れた血が狙われる、その言葉を信じるあまり──そして、サラザール・スリザリンの思想からきっとそうだろうと、安直な思い込みだった。秘密の部屋を開けた継承者がそう言ったわけでも無かったのに。父様は言っていたじゃないか、油断は出来ないと。
ルイスは苦しげに顔を歪めると、震える足を強く叩く。ソフィアをこのままにする事はできない、直ぐに誰かを呼ばなければ。
必死に足に力を込め、よろめきながら立ち上がるとそのまま走り出す、人の気配と騒めきが多い廊下に出るとすぐに辺りを見渡した、誰か、誰か居ないか、石化されたと聞いても戸惑う事なく、教師を呼びに行ってくれる人──?
「フレッド!ジョージ!」
「…ルイス?」
人混みの中、目立つ赤髪を見つけるとすぐに駆け寄り、その胸の中に飛び込んだ。
フレッドは振り向いた途端自分に飛び込んできたルイスをしっかりと抱きとめ、その肩が震えていたことに驚眉を寄せた。
「どうした?」
ルイスは俯いて居た顔をあげる、その目は今にも泣きそうなほど、涙の膜が張って居た。初めて見るその悲痛な表情に、フレッドとジョージが息を呑む。
「マクゴナガル先生と…スネイプ先生を呼んで…また、生徒が襲われた…曲がった先の奥にいる…」
「そんな!…誰なんだ?」
「…おい、…まさか…!」
ルイスは目を一度瞬かせた。
白い頬に、涙が一筋流れる。
「石化したのは…ソフィア…僕の妹だ!」
悲痛な叫びが廊下に響き、周りの生徒たちは一瞬足を止め、硬直し、そして何人かが悲鳴をあげた。もう襲われないと思っていた。──まだ、脅威は去って居なかったのだ。
「──わかった、俺はマクゴナガルを呼んでくる」
「…じゃあ俺は、スネイプだな、嫌だけど、ルイスの頼みだ」
「うん…お願い…!」
フレッドとジョージは強く頷く。
フレッドは一度、しっかりしろ、と言うようにルイスを抱きしめるとその背中を強く叩いた。
「ルイスはソフィアの元に!」
「すぐ呼んでくる、安心しろ!」
2人は怯える生徒を掻き分けすぐにそれぞれ別の方向へ走り去った。
ルイスは生徒の群れの中に消えた2人の背中を見送ったあと、流れる涙を乱暴に拭き直ぐに踵を返す。──ひとり、暗く冷たい廊下に横たわる最愛の妹の元へ駆けつける為に。
フレッドとジョージが駆け出した頃、ジニーは人混みの中意識を覚醒させた。しばらく廊下の端でぼんやりとしていたが、ふと自分が何かを持っている事に気付き視線を下ろす。
「──っ!!」
声にならない叫びがジニーの喉をひくつかせた。その手にあったのは黒い日記。なんで、これがここに。──そうだ、私はこの日記を何故ソフィアが持っているのか聞こうと思って嘆きのマートルのトイレで待って居たはず、何でこんなところに。
「ソフィア…!」
嫌な予感がした、時たま意識を無くし、気がついたら知らない場所にいて──とんでもない状態になっていた事があった、ここ数ヶ月はそれも無かったと言うのに、やっぱり、この日記が?いや、まさか、そんな──。
ジニーは人混みを掻き分けて進んだ。
必死に走るジニーの耳に、誰かの囁きが飛び込む。
「──また、襲われたらしい」
その言葉に顔を引き攣らせ、今にも泣き出しそうになりながらジニーは走る。
「──グリフィンドール生の女の子だ」
嫌な予感がした、喘ぐように、その口から枯れた呼吸が出る。
「──双子の、片割れだ」
嫌な想像と言葉を振り払うかのように頭を強く振った。だが、その言葉たちはジニーを咎め追い詰めるかのように、無情にも囁かれる。
「──ソフィア・プリンスだ」
「──っ!」
ジニーは聞こえてきた名前についに涙を溢れさせた、滲む視界でなんとかマートルのトイレまで辿り着き、どうかこの先にソフィアが、いつもの笑顔で、いつもの優しい太陽のような笑顔で自分を迎えてくれますように──そう願い、喘ぎながら扉を体全体で押しあけた。
「──ああっ!」
口から溢れたのは、絶望に染まった叫びだった。
そこには誰も居なかった、見慣れない一輪挿しが割れて落ちている、真っ赤なバラが見る影もなく荒らされている。
体の震えを抑えられなかった、溢れる涙をそのままにして、ジニーは強く日記を掴む。ぎりぎりと爪を立て、びきりと爪が割れた血が滲んだが、少しも気づかなかった。
「──こんなものっ!」
ジニーは日記をトイレの便座の中に放り込み、すぐにその場から走り去った。
「…何?なんなの?──誰よこんなの投げたの!」
頭の上を通って落ちてきた黒い日記を憎々しげに見つめ、マートルは怒りながらすっとトイレの個室に姿を現した。辺りを見ても人影はない、きっとその人はもう逃げ出したのだろう。──ソフィアも、居ない。
「…なっ!?…だ、誰がこんな…こんな…!!」
マートルは震える声で叫び、床に落ちて割れている一輪挿しと、踏み荒らされたような薔薇の花を見た。思わず手を伸ばし掴もうとしたが、自分の手では掴めず空を切る。
「酷い…!は、はじめて、初めて貰ったものだったのに…!!」
ゴーストの自分ではそれを拾いあげることも出来ない。
マートルは顔を歪め一気に涙を溜めると滝のように溢れさせ、癇癪を起こし泣き喚き、便座の中で浮く黒い日記を睨んだ。
──きっとこれが当たって落ちたのよ!投げた奴が踏み荒らしたんだわ!
「あああーーっ!!」
マートルはぼろぼろと涙を流しながら日記に強い憎しみを込めて便座へと飛び込み、水を大量に流し外へ弾き飛ばす。
辺り一面に広がった水はマートルの心を表しているかのように止まることを知らず、トイレの外へと流れ出た。
マートルはいつものU字溝のところで悔しさと怒りからずっと、泣き叫び続けた。
少し後、マートルのトイレの扉が開いた。
「ソフィア?いないの?」
顔を少し出したのはハーマイオニーで、大きな水溜まりに嫌そうに顔を顰めらローブが濡れないようたくし上げながらゆっくりと中に入る。
「いないみたいだね。…マートルの機嫌も悪そうだ」
ハリーはハーマイオニーに続き中に入ると嘆きのマートルの激しく泣き喚く声に顔を顰めながら首を振る。
「うぇー…びしょびしょだ…」
「でも、ソフィアはここに行くって言ってたわよ?…マートルがこんなに嘆いてるの、久しぶりだわ…」
ロンはもう帰りたそうにしたが、ハーマイオニーが直ぐにマートルの個室へ向かったのを見て渋々トイレの中に入った。
「ねえ、どうしたのマートル?ソフィアは来てない?」
ハーマイオニーがいつもマートルがいる個室へと呼びかけた、するとゴボゴボと水の音が聞こえ、しゃくりあげながらマートルが上半身だけ便座の中から現れた。
「…なんなの?また何か、私に投げつけに来たの?」
「どうして私が何かを投げつけると思うの?」
「私にきかないでよ!」
叫びながらマートルはハーマイオニーの前に現れる、その拍子にまた大量の水が便座から溢れ出て、それを被ったハーマイオニー達は嫌そうに顔を歪めたが、マートルの前だと気づくとすぐに取り繕った笑みを浮かべた。
「私、ここで誰にも迷惑をかけずに過ごしているのに、私に本を投げつけて面白がる人がいるのよ…」
「だけど、何かがぶつかっても痛くないだろう?君の身体をすり抜けていくじゃないか…」
ハリーはゴーストなのだから、痛くも痒くもないはず、そう思い──痛くないのだから、気にする事はないと慰めたつもりだったがそれは大きな間違いだった。マートルはかっと表情を険しくさせると、大声で喚く。
「さあ、マートルに本をぶつけよう!大丈夫、あいつは感じないんだから!腹に命中すれば10点!頭を通り抜ければ50点!そうだ!ははは!なんて愉快なゲームだ!──どこが愉快だっていうのよ!」
「一体、誰が投げつけたの?」
「…知らないわ、U字溝のところに座って、死について考えてたら…頭を通って落ちてきたの。…それにっ!」
マートルは急に顰めて居た声を怒りで震わせると、大量の水に押し流され、手洗い場の下にある一輪挿しと花を震える手で指差した。
「これ…ソフィアからのプレゼントじゃない?」
ハーマイオニーが落ちて居た一輪挿しを拾い上げ、ひびをそっと指で撫でる。
「そうよ!その投げた人は、ソフィアから貰ったプレゼントを落として!割っていったの!花も!踏み荒らして…!私、許せなくて、その本を流し出してやったわ!」
マートルは少し離れた場所を指差し、そこには薄い本が落ちて居た。
ハリーはびしょ濡れの本を拾おうと一歩踏み出したがロンが慌ててそれを止めた。
「なんだい?」
「気は確かか?危険かも知れないのに…」
「危険?こんな本が?」
「見かけによらないんだ…」
ハリーはこんな薄い本のどこが危険なのかと笑ったが、ロンは不振げに本を見つめ怖々と父親が話した本の話をハリーに聞かせた。だが、ハリーはその忠告も気にすることなく、本に近づく。
「わかったよ、だけど見てみないとどんな本かわからないだろう?」
「まって!ハリー、私も危険だと思うわ」
ロンとハーマイオニーの制止も聞かず、ハリーは水溜まりの中に沈む本を拾い上げた。
後ろで2人が息を呑んだのに気付きハリーは振り返り本をひらひらと振ってみせる。
「ほら、何も起こらないよ。…これは、日記だね。…ただの日記だ…名前が書いてある…T・M・リドル…?」
びしょ濡れになり滲んだインクで書かれて居た文字はなんとかそう読むことが出来た。
「ちょっと待てよ…この名前知ってる…50年前学校から特別功労賞をもらった人だ」
「…そんな人の持ち物なら…まぁ、悪い事にはならないかも知れないわね」
興味が無いわけではない2人は用心深く近づきながら、ハリーの手に収まる本を見る。
ハリーは何故ロンが知っているのか──ハーマイオニーが知っているのなら、納得だが──感心したようにロンを見た。
「どうしてそんな事知ってるの?」
「だって、処罰を受けた時…フィルチに50回以上もこいつの盾を磨かされたんだ。ナメクジのゲップを引っ掛けちゃったんだ…名前のところについてたネトネトを1時間も磨いていれば覚えるさ…」
ロンは思い出したのか、嫌そうに顔を歪める。
ハリーは濡れたページが破けないよう注意しながらそっとページを捲ったが、全て白紙だった。日記なのに、何も書かれて居ない、メモのひとつもそこにはなかった。
「この人、何も書かなかったんだ」
「誰かは…どうしてこれをトイレに流したかったんだろうね…」
「…この人、マグル出身に違いない、ボグゾール通りで日記を買っているんだから…」
裏表紙に印刷されてある場所は魔法族が訪れることのない、マグルの世界の商店街の通りが記されていた。こんな所で、マグルの世界を感じさせる言葉を見るのは酷く不思議な思いがした。
「そうだね、君が持ってても役に立ちそうにはないよ」
ロンはそう言ったが、ハリーは黒い日記をポケットに入れた。じわり、と日記から冷たい水が溢れ服を濡らしているのを感じながらハリーはロンとハーマイオニーを見る。
「ソフィアもいないみたいだし、戻ろう、入れ違いになって…寮に戻ったのかも」
「ええ、そうね…──レパロ」
ハーマイオニーは頷きながら杖を振るい、一輪挿しのヒビを消し、驚くマートルに少し掲げて見せた。
「これ、いつものところに置いておくわね」
「まぁ…!…あんた、嫌な奴かと思ってたけど…良いとこあるじゃない」
マートルの機嫌はすっかりと戻り、嬉しそうにトイレの水槽の上に置かれた一輪挿しを見る。花はないが、それでもマートルには十分だった。
ハリー達はじゃぶじゃぶと水音を立てながら扉へ向かう。
三人が扉を開けようとした時、マートルは顔だけを扉から出して、ハーマイオニーに告げた。
「──ソフィアは、一度来たけど…知らない人と話してすぐどこかにいっちゃったわ」
「え?」
ハーマイオニーが驚き振り向いたが、マートルは既に便座の中に飛び込みいつもの場所に座ると鼻歌をならしていた。
三人は顔を見合わせる。
このトイレを、自分達以外が訪れるなんて、そんな事あり得るのだろうか。
「…ルイスかな?」
「さあ…ソフィアに聞いてみましょう」
ハリー達は首を傾げながらとりあえずグリフィンドール寮へ戻ろうと足を進めた。
だが、途中でマクゴナガルにより呼び止められたハリー達が向かう事になるのは──医務室だった。