ゆるやかな立ち上がりからの直球勝負。
『君が好きだ』
伝えなければいけないセリフを俺はまだ言えていない。
冬らしい澄んだ空気の気持ちいい日で、俺と英梨々は少し大きな公園まで散歩に来ていた。
「散歩するにはちょっと寒いわね」
英梨々がピンクと白のストライプ模様のマフラーを触った。薄くリップの塗られた形のよい唇から白い吐息が漏れている。
「そうだな」
俺は黒のダッフルコートに手を突っ込んだまま、英梨々の隣をゆっくりと歩く。何の目的もないただの散歩は、俺たちの未来に少し似ている。退屈さと小さな不安が同居していて、このままでいいのに、このままでいられない焦燥感に気が付かないふりをしていた。
「最近の公園ってハトを見なくなったわよね」
「そうだな」
「昔は公園には必ずハトがいた気がするけど」
英梨々は短めのダッフルコートを着ていた。ベージュ色の素材の良い生地に、茶色い木のトグル(留め具)はシンプルだが木目の綺麗なものだった。
「最近は野生動物に餌をあげてはいけないらしいからな。影響しているのかもな」
どーでもいいような退屈な会話は時間に追われていない今にちょうどよかった。
「不自由な時代よね」
「時代かぁ・・・そうかもなぁ」
冬コミが終わって一段落。今の俺たちには特に目的はなかった。春からは受験生になる。新しいゲーム作りをするか、それとも受験に専念するか、俺は決められずにいた。
英梨々はその事について何も言わない。俺の判断に任せてくれている。もしゲームを作るならまた協力してくれるだろうし、受験に専念するなら、「それが当たり前よね」とあっさりしていそうだ。
「あっ、ベンチあるし少し座りましょ」
木漏れ日の射す木製のベンチは金属の部分がだいぶ錆びている。
「少し汚れていな。こういう時はハンカチをさっと出して敷くと紳士的に見えるよな」
「あら、気が利くじゃない」
「いや、ハンカチもってないけどな」
「・・・バカなの?」
英梨々は別にベンチが汚れているのを気にしてない様子で座った。俺は英梨々の左隣に座る。目の前に『養生中』の立て札が立てられた芝生が広がっている。遠くの遊具のある場所では小さな子供たちの遊んでいるのも見えた。
「子供の頃は公園とか駅前に小さな売店があって、ハトの餌を売っていたわよね?」
「それ、子供の頃っていうか、昭和だな。乾燥したコーンとか雑穀とか入った袋な」
「それそれ。なくなったわよね」
「なくなったなぁ」
空は良く晴れていて、白い薄っすらとした雲が広がっていた。小さな犬にリードをつけて散歩している老夫婦が目の前を通り過ぎていく。
「でもさ、これぐらい大きな公園だと、まだハトは生息しているんじゃないか。あっちの電線とかに留まっているのはハトだろ?」
英梨々がその美しい蒼い瞳を細めて遠くを見つめる。ツインテールにまとめられた金色の髪が日光の下ではとても綺麗だ。
「誰か餌をあげている人がいるのかしら?」
「それもあるだろうけど、本来は野生でも生きていけるんだろうな。人間が品種改良した動物じゃないだろうし」
「やっぱり虫とか食べるのかしらね」
「そうなんだろうな」
ハトの詳しい生態までは知らない。だからといってケータイを使って検索する気にもなれない。話しているそばから忘れてしまうような、そんなたわいもない会話を続ける。
バサバサと音がしてハト数匹飛んできた。
クルックー。クルックー。と鳴きながら近づてい来る。
「あら、寄ってきたわよ」
「何か餌はもってる?」
「何もないわね」
「用意がよくねぇな」
「別にハトに餌をやりに来たわけじゃないし」
英梨々が持ってきたポシェットの中をごそごそとする。ハトはその動きに反応しているようだ。
「はい」
「ん?」
英梨々から飴を1つもらった。パイン飴だ。俺は包装を開け、それを口に放り込む。懐かしい味がした。英梨々はその包装を回収してくれて、ポシェットにしまった。
ハトは餌をくれないとわかると、バサバサと一斉に飛んでいった。なんとも現金なやつらだ。
「ハトってさ、あんまり飛ばないって知ってる?」
「どういうこと?」
「鳥って飛んでいるイメージがあるだろ?でもさ、ハトは一時間のうち59分ぐらいは歩いたり、どこかにとまって休んでるんだってさ」
「省エネなのね」
「そうなんだろうな」
ひさびさにのんびりとした時間な気がする。
空は青く、雲は白い。おまけに隣には金髪ツインテールがぼんやりと芝生を眺めながら口のなかで飴を転がしている。
世界はLove&Peaceで、丸々と太ったハトがよく似合う。
「ハトって、けっこうおいしいわよね」
「ええっ・・・そっちに話題もっていくの?」
「あら、いけない?」
「ジビエになるのか?」
「さぁ・・・?ジビエって野生の動物をいうんじゃないの?」
「シカのイメージだな」
「シカも美味しいわよね」
「いや、食った記憶があんまりねぇぞ」
「さくら肉よね?」
「それ、馬肉じゃね?」
「あっそう?」
「ああ、たぶんモミジがシカ肉じゃねぇーかな」
「なんで」
「花札」
「いや、花札なんてやらないし、その理由じゃわからないわよ」
「花札のモミジに鹿がいるんだよ。猪鹿蝶ぐらい聞いたことあるだろ?」
「ナルト?」
「ああ・・・ナルトにも登場していたような気がする」
サッカーボールを抱えた親子がやってきた。現在はテープで保護されている芝生の中に入ってボールを転がしている。子供はまだ幼稚園か低学年といったところだ。サッカーボール模様の柔らかいボールはぜんぜん弾まなかった。
「マナー違反じゃない?」
「いいんだよ、あれぐらいで」
「平和よねぇ」
「そうだな」
「サンドイッチぐらい持ってくればよかったかしらね」
「腹へってるの?」
「そうじゃないないわよ・・・」
英梨々がじぃーと俺を見ている。それから顔を赤らめてそらした。英梨々が首を振るとツインテールがくるりと回る。シャンプーなのか香水なのかわからないけれど、微かな香りが鼻をくすぐった。
「外で食うにはちょっと寒いな」
俺は手をこすって温める。
「そうね。座っているだけだと寒いわね」
「移動するか」
「うん」
英梨々は黄色いコーデュロイのミニスカートから、白いニーソを履いた足を一度伸ばし、それから跳ねるようにピョンと立ち上がった。
俺は、「どっこいしょ」と言いながら立ち上がる。
「おっさん臭いわね」
「立ち上がるときの様式美だと思うがな」
「ものはいいようよね」
英梨々がクスクスと笑っている。こういうはにかんだ微笑みをすると、美少女度が際立って、こちらが恥ずかしくなってしまう。俺としては少し下品な笑い方ぐらいの方が気は楽だ。
歩こうとしたら、ボールが転がってきた。英梨々が追いかけてそれを拾うと、小さな子供が立ち止まった。英梨々がそのボールを勢いよく蹴って子供に渡そうとしたが、ボールはあらぬ方へ飛んでいく。
「余計なことを・・・」
「ぼっーとしてないで、あんたとってきなさいよ」
「俺が!?」
と文句をいいながらも、すぐに走ってボールを拾いに行った。俺は英梨々みたいに無駄にかっこつけないので、手で投げてボールを子供に返した。子供はお礼を言わずに頭を少しだけ下げた。
英梨々が満足そうに俺をみる。
「さて、どこへいくのかしら?」
「とりあえず駅前かなぁ。ランチで何か買うか?」
「お金がないから公園をふらふらしているんじゃないの?」
「金はないけどなっ。ランチぐらい買えるだろ」
「店に入らないってあたりに、微妙なラインがありそうね」
「そそ」
「じゃあ、パン屋ってところかしらね」
「ふむ」
それから二人は並んで少し歩く。適当な会話の内容が見つからないが別に嫌な沈黙じゃなかった。
英梨々がふと立ち止まった。
俺は少し歩いてからそれに気が付いて振り返った。
英梨々がじっと立って、こちらを見ている。
風が吹いて英梨々のツインテールとネイビーブルーのリボンが揺れる。
日の光で髪はキラキラと煌めき、手でそっと抑えていた。
「どうした?」
「別になんでもないわよ?」
「なんで、止まったんだ?」
「なんでだと思う?」
英梨々はまるで迷子の少女のように、公園の道の中で佇んでいる。
俺としては困るんだ。こういう英梨々が美少女であることを惜しげなくアピールしてくることに。ちょっとふざけて、腐女子で、バカなことを言って、すぐに嫉妬して・・・そんな身近な英梨々が遠くなる気がする。
だから、俺はふざけてしまうんだ。シリアスには振る舞えない。
「ん~。そうだな・・・こっそりオナラしているんだろ?」
「ばっかじゃないの!?」
「冗談だよ」
英梨々は左手を前に出すようなあざといマネはしない。
適当な言葉が見つからない。俺は英梨々のところまで戻って、その左手を手に取る。
「何よ?」
「手をつなぎたかったんだろ?」
「なんでよ?あたしそんなこと一言もいってないんですけどー」
「そうかよ」
そのまま手を離さずに英梨々を引っ張る。これで間違っていないはずだ。
現に英梨々はじっとついてくる。頬を赤く染め、伏し目がちで、それから何か言おうとして口を動かしていた。
こちらの動揺を笑うかの様にハトがのんきに前を横切って歩いている。
「平和ねぇ・・・」
「そうだな」
「別に手をつなぎたかったわけじゃないんだからねっ!」
「下手か!」
どうよ、この唐突な英梨々のツンデレに対応するスキル。
「だって、付き合ってからツンツンするの難しいでしょ!」
「・・・」
「・・・」
「まるで付き合う前はツンツンできたかのような言い方だな」
うん。第二矢にはまるで反応できなかった。というか英梨々が今なにか重大な定義をした気がするが聞き間違いだろうか。
「なによ・・・」
英梨々が口をつぐんで目をウルウルとさせている。こういう時は大きな瞳がものをいう。
「いや、別に泣くとこじゃないだろ・・・」
「だって、倫也がつまんないこというから」
「別につまんないことは言ったつもりはないんだが・・・」
「言ったわよ」
「つまんないことっていうのはだな・・・あそこに真っ白なハトがいるだろ」
「まさか・・・『尾も白い』なんて言わないわよね?」
「・・・」
英梨々が深くため息をつくと、白い吐息が空気に舞ってから溶けて消えた。
「はっきりしなさいよ・・・」
はっきりしなさいと言う英梨々の声がはっきりしていない。
「そこでパラダイムシフトしてだな」
「なにそれ?」
「固定観念から脱却?旧体制からの変換とか」
「ああ、要するに『俺、ちょっと難しい言葉知ってるぜ?』っていう中二病を発症したのね」
「そうだよ!悪かったな!」
「いいんじゃないかしら? で、何が言いたいの?」
公園を出ると街の喧噪が戻ってきた。自動車の音、どこかの店の宣伝、人々の話す声。雑踏に紛れると少しほっとした気持ちになる。感情を整理せずにまだ誤魔化していたかった。
「そんな風に二人の関係性を定義することをやめてだな・・・もう少しこう・・・アンニュイな感じで」
「アンニュイって言いたいことだけはわかったわ」
「えっ、なんか英梨々、ちょっと俺に冷たくない?」
「そうかしら?あんたがバカなだけじゃないの?」
交差点で停まる。車が何台も目の前を通りすぎていった。信号機を二人で見上げている。
「えっ、ちょっとまって英梨々。もしかして英梨々って俺のことバカだと思ってたの?」
「そうでしょ?ただの事実よね」
「尊敬とか・・・」
「誰が、誰を?」
「お前が俺を・・・」
「え?どうして?あたしが今までどれだけ倫也のバカなとこを見てきたと思ってるのかな?」
「あっ、その言い方・・・」
「なにかしら?」
「・・・恵っぽい」
信号機が青に変わる。
けれど、英梨々は立ち止まったまま動かなかった。
「はぁ?サイッテー!」
英梨々が俺の手を強く振り離して、怒ってつかつかと横断歩道を歩きはじめた。
「いや・・・ちょっと、ごめっ・・・英梨々」
俺は慌ててて追いかけていく。
「なーんてねっ」
英梨々が横断歩道の真ん中で振り返って笑っている。真っ白な八重歯が吐息が消えた後に少し見えた。
「驚かすなよ・・・」俺はまんまと騙された。そして想像以上にほっとした自分に驚く。
・・・信号が点滅している。君に言いたい言葉が口から出せずにいる。
今度は英梨々が戻ってきて、俺の手をそっと握り横断歩道を二人で駆け出した。
(了)