カイトは静かに目を閉じた。視界を強制的にシャットダウンし、余計な情報が入ってこないようにする。
目を閉じた彼が次にしたのは、心を落ち着かせる事。焦りや不安は身体の動きと剣を鈍らせ、恐怖をはじめとする負の感情は視野を狭める。それは1年以上の時間、常に死と隣り合わせだったこの生活で、彼が経験から得た一種の答えだった。
ボスに劣るとはいえ、クォーターポイントのMobを一人で4体も同時に相手するなど、正気の沙汰ではない。我ながらよくこんな危険な役目を引き受けたものだと、どうかしていると思いはすれど、カイトは後悔していなかった。これは誰かがやらなければいけない事なのだから。
息を大きく吸って吐き出し、閉じていた目を開けて前を見据える。数メートル先にいるのは4体の仏像型モンスター《ザ・ガーディアンズ》。今から約5分間、この仏像達を相手に生き残るのが、カイトの勝利条件。
(5分……か……)
ヒースクリフは確かに5分、言い換えれば300秒引きつけろと言った。だが、それはあくまで目安。たった一人で行う戦闘時間がそれ以上になるかそれ以下になるかは、アスナが部隊を編成し、自分のもとへ駆けつけてくれるまでの時間によって左右される。
(頼んだぞ、アスナ)
本人のいない所で、ポツリと心の中だけで呟いた。
頭を切り替えて戦闘準備に入る。クリスマスプレゼントとして貰った《フロスト・パージ》の剣先を地面スレスレまで下げ、剣を前にして半身の姿勢で構えをとった。それからカイトが動き出したのは2秒後。《ザ・ガーディアンズ》もカイトに反応して動き出した。
一番近かった片手剣・ガーディアンが垂直切りで切りかかるが、カイトはスピードを緩める事なく、流れるような動きで横に回避。そのまま直進し、頭を下げて股下をくぐり抜けると、身体を反転させ、片手剣・ガーディアンの背中に体術二連撃ソードスキル《ダブル・ブロウ》を放つ。ガラ空きの背中に正拳突きの二連撃ソードスキルを喰らったため、片手剣・ガーディアンはノックバックで前のめりになった。
「次っ!」
敵がバランスを崩したという結果だけ見られれば、その後で倒れたかどうかはどうでも良かった。身体を180度回転させて視線を再び前に戻すと、刀・ガーディアンの薙ぎ、剣道でいう逆胴がカイトに迫っていた。身体の左側を守るため、咄嗟に右手の剣を垂直に立てて防御姿勢をとるが、剣と剣がぶつかると、カイトは勢いがのった刀の斬撃に押されてしまう。想像以上の衝撃だった。
「――っ!」
カイトは力負けした。敵の刀は斜め上に振り抜く左切上げでカイトをすくい上げ、彼の身体は空中へと高く放り出される。
「――っうおぉぉぉお!?」
現在の彼は空を飛んでいる――――と言うと聞こえは良いが、正確には身体のバランスを崩して宙を舞っていた。それはカイトの筋力値で到底飛ぶことのできないような、そんな高さだった。
空中でなんとか体勢を立て直し、着地の準備に入ろうとしたが、敵はどうもせっかちらしい。槍と棍棒をそれぞれ持ったガーディアン2体が下で待ち構え、空中にいるカイト目掛けて突き攻撃を放ってきた。
(マズイっ!)
このままでは着地前に攻撃を喰らい、ダメージが入ってしまう。出来ることなら回避したい。
だが、地に足をつけていない状態では、背中に翅の生えた妖精でも生えていない限り、完璧に避けるのは不可能。武器で弾く手を思いつくが、槍と棍棒は微妙に突き攻撃のタイミングがズレている。攻撃を同時に
(……いや、まだだ!)
頭に閃いた一つの案。理論上は可能だが、実際にやった事はないし、そもそも宙に浮いた状態で発動出来るのか自信がない。
(一か八か……やるしか、ない!)
なりふり構っている場合ではなかった。閃いた案をすぐさま実行に移し、今まで何度やったかわからない、あるソードスキルの構えをとる。
一応SAOのシステム上、初動モーションさえ取れればソードスキルは発動可能の筈。そしてどうやら宙に浮いた状態でも問題ないらしく、モーションをとったことで剣にライトエフェクトが宿り、光り出した。それはシステムがソードスキルの発動を承認した証。
「いっ……けえーーーー!」
黄緑色のライトエフェクトを発しながら繰り出したのは、片手剣上段突進技《ソニックリープ》。
本来なら万有引力の法則に従って自然落下する筈だったが、システムアシストにより、カイトの身体は《ソニックリープ》による剣の動きに引っ張られる。その結果、発動地点から斜め上に上昇し、ガーディアン2体が放った槍と棍棒の突き攻撃を空中にいながら回避した。
「――っと」
ぶっつけ本番の策が功を奏し、回避後は2体のガーディアンを背にしてそのまま落下、着地した。着地した際の衝撃でHPバーが若干減少する。
しかし予期せぬ発見をしたことで、カイトは無意識に笑みを浮かべていた。
(吹っ飛ばされて正解だったな)
彼は好き好んで宙を舞ったわけではないが、そのおかげで偶然実証出来た事以外にもう一つ、有意義な情報を得た。
それは自分と敵4体の位置・距離感を、僅かな時間とはいえ上空から見れたということ。
人間の視界は草食動物と違い、眼が前についているために左右120度までしか対応出来ない。よって平面上では真横から背後にかけての状況を把握する場合、実際に顔を動かすか、音や気配を感じ取って対処するしかない。だが、カイトはテレビの中継ヘリが上空から街の様子を映すように、上から見下ろすことで、自分を取り巻く周囲の全体像を一瞬の内に把握する事が出来た。
着地した彼の立ち位置は、右前方に刀・ガーディアン、左前方に片手剣・ガーディアン、後方に槍と棍棒のガーディアン2体、これらを頂点にして出来た図形のほぼ真ん中。簡潔にいえば、囲まれている状態だった。
敵4体が同時にスタートし、カイトに向かって突っ込んできた。包囲網が徐々に狭まる。
(……2……いや、3……)
上空から見た景色を元に立ち位置を微調整する。カイトは着地点から3歩後退し、《フロスト・パージ》を肩の高さまで持ち上げて後ろに引く。剣にコバルトグリーンのライトエフェクトが宿り、敵を迎え撃つ準備に入った。
四体の敵がそれぞれソードスキルを発動してカイトに切りかかる瞬間、右足を軸にしてその場で回転する、片手剣重範囲技《アイシッド・リボルバー》の回転切りで4体分の攻撃を同時に弾いた。
「ふっ」
短く息を吐いて前にダッシュ。
「さっきのお返し……だっ!」
カイトが左手で繰り出したのは、体術二連撃ソードスキル《ダブル・ブロウ》。
先程思いっきり飛ばされたお礼、もといお返しの意味を込めて、顔を一発……どころか二発殴った。
《ダブル・ブロウ》発動後は後ろに倒れこむ刀・ガーディアンの横を通り抜け、包囲網から脱出。更なる追撃が可能だったかもしれないが、今のカイトの役目は敵のHPを削るのではなく、時間を稼ぐこと。よって出来る限り無茶はせず、余裕を持った行動を心掛けていた。役目を果たせないどころか、最悪自分がやられてしまっては元も子もない。
「ふぅ……」
包囲網から抜け出して距離をとると、身を翻して再び敵を視界に収めた。息を吐き、肩の力を抜き――。
(……よしっ!)
――緩めた気をもう一度引き締めた。
剣を持つ手に力を込め、ガーディアンズに向かって駆ける。時間稼ぎが役目とはいうものの、受け身に回る気は毛頭無かった。
転倒した刀・ガーディアンの隣にいる片手剣・ガーディアンがカイトに向き直り、彼の首を刈り取るように、片手剣水平単発ソードスキル《ホリゾンタル》を発動。
「くっ――」
これは姿勢を低くすることで回避し、敵の背後に回り込むと、片手剣水平二連撃ソードスキル《ホリゾンタル・アーク》を両膝の裏側に喰らわせた。膝かっくんの要領で、片手剣・ガーディアンは体勢を崩す。
「――って、うお!」
カイトが次の相手へ視線を移すために振り返ると、棍棒が床から50センチ上を移動し、彼の足を払おうとしていた。反射的に跳躍し、足払いは回避したが――。
「しまっ――」
――カイトはまんまと罠にハマってしまった。
まるでタイミングを図っていたかのように、跳躍したカイト目掛け、両手槍単発ソードスキル《レイトスピアー》が迫る。両手槍の基本ソードスキルより射程は短い分、踏み込んで体重を乗せながら放つため、威力が大きい突きのソードスキルだ。
足払いに意識を持っていかれ、かつ死角からの攻撃。気付いた時には
「――ぐっ!」
カイトの胸部分に《レイトスピアー》がヒットする。衝撃で突き飛ばされ、床を転がり、壁に激突した事で止まった。倒れた身体を起き上がらせる。
(さっきといい、今といい……良いコンビネーションだな……くそっ!)
内心で皮肉を交えながら、舌打ちをした。
今のでHPバーが
(場所が悪い! ……一旦ここから離れないと)
カイトの背中側には壁があり、後退して距離をとることは出来ない。逃げ道は前方、もしくは左右のどちらかしかなかった。
そして考える時間は与えられなかった。
刀・ガーディアンが跳躍し、上段から垂直に振り下ろす、カタナ上位単発重攻撃ソードスキル《狼牙》でカイトに切りかかる。これを大きく左に避けると、今度は片手剣・ガーディアンが刺突技で攻撃してきた。
「だあぁぁぁあ!」
カイトは前進すると同時に、敵の剣の腹を殴るようにして、右から左への水平切りを繰り出す。真っ直ぐカイトの身体を狙っていた刺突は軌道を逸らされ、彼の左肩を掠める程度に終わった。
ガーディアン2体の間を抜けると、今度は先程見事なコンビネーションで彼を突き飛ばした敵2体が立ち塞がった。
またしても棍棒・ガーディアンによる足払い攻撃がくる。
「二度も――」
カイトは走りながら前に跳躍して回避したが、今回はある構えをしながらの跳躍だった。
「――同じ手は――」
そして狙ったかのように、再び《レイトスピアー》がカイトに迫る。
「――喰らうかっ!」
彼のとった規定モーションでソードスキルが立ち上がり、片手剣突進技《レイジスパイク》が発動した。ただしこれは迎撃用ではなく、回避するためのもの。狙う進行方向は敵の足元。
「はあっ!」
《ソニックリープ》の時と同じように、カイトの身体が《レイジスパイク》に引っ張られる。敵の足元へ向かって直進し、《レイトスピアー》はカイトに当たらず空を切った。
カイトはそのまま滑り込み、敵4体を背にして走る。次々に迫ってきた剣戟の暴風雨を抜け、追い込まれていた状態をなんとか切り抜けた。
走りながらアイテムポーチに手を伸ばし、ポーションを取ると口に含む。視界の端にあるHPバーがジワジワと回復し出した。
(よしっ! なんとかこれで――)
しかし、安心するのはまだ早かった。
カイトの耳に入ってきたのは、ソードスキルが立ち上がる際に出るサウンド。背中からは寒気のする嫌な気配。危機を脱した事に安堵し、その油断から敵を前にして背を向けたのがマズかった。
「――がっ!?」
突如カイトを襲ったのは、背中からの強烈な衝撃。手に持っていたポーションを手放し、前に押し出された身体は床を滑る。
彼を襲ったのは、片手剣・ガーディアンの繰り出した基本突進技《レイジスパイク》。片手剣・ガーディアンは、ソードスキルでもない刺突の軌道を逸らされただけだったので、硬直時間は発生せず、すぐに次の行動に移れた。その結果背を向けて走るカイトに対し、突進技で奇襲をかけることに成功したのだった。
「なに……が……」
そんな事だとはつゆ知らず、何が起こったのかカイトは理解出来ていない。ただ、回復していたHPバーが再び
カイトは立ち上がろうとするが、上手く身体が動かない。それに加えて背中に感じる不快感が、さらに彼を苛立たせる。
「く、そ……」
懸命に身体を起こそうとするカイトを、大きな影が包み込んだ。顔を上げると目の前には4体のガーディアンズが立ち並び、地に伏しているカイトを見下ろしていた。
(マズイ……今喰らったら――)
HPは残り半分を切っている。動けないこの状況で4体分の攻撃を一度に受けようものなら、命の残量は瞬く間にゼロになるだろう。
(死ね……るか……よ)
死の恐怖を感じながらも、心の中で必死に抵抗する。だが彼の死を拒否する思いを、システムは汲み取ろうとしない。ガーディアンズは無情にもそれぞれ武器を持つ手を持ち上げた。その時――。
「おりゃあっ!」
「はあぁぁあ!」
――倒れているカイトの前に、赤い鎧を身に纏った侍姿のプレイヤー達が飛び込んできた。《風林火山》のメンバーがカイトを守るため、ガーディアンズにソードスキルを浴びせたのだ。
「大丈夫か!?」
「クライン……か」
ガーディアンズの対応を仲間に任せ、クラインが倒れているカイトに駆け寄って彼の身体を起こす。どうやら部隊編成と救援が間に合ったようだ。
「わりぃ、助けるのが遅れちまった」
「いや、助かったよ。もう少しで死ぬ所だった。……この礼はいつか必ず――」
「精神的に! ってか?」
クラインがカイトの言いたいことを先回りした。野武士ヅラのドヤ顔が少々鼻についたが、遅れて笑いが込み上げ、カイトは少しだけ吹き出し――。
「あぁ、その通りだよ!」
――口角をあげ、かわいらしい笑顔で肯定した。
カイトの元へ援護に来てガーディアンズと戦闘中なのは、《風林火山》と《血盟騎士団》のメンバーが少数。しかし、カイトが今まで苦労していたのが嘘のように、戦闘は安定し出した。
4体それぞれに割り当てられたプレイヤー達が敵を切り崩し、HPを削る。クラインと起き上がったカイトも加わったため、ガーディアンズの殲滅にそう時間は掛からなかった。1体ずつポリゴン片に変え、最後まで生き残っていた敵はカイトがトドメを刺した。
次にボスと戦闘中のプレイヤーに合流しようと思ったが、いつの間にかアシュラ王は姿を消し、インドラの残りHPは赤く染まっていた。討伐は時間の問題だと考えていたが、その時は訪れた。
――ギィガガガガガガガガァ!
恐らくそれがボスにとって、断末魔の叫びだったのだろう。高い音を響かせたボスは光りだし、その身は細かく砕かれ、爆散した。
ボス部屋に訪れた静寂。それを破ったのは、プレイヤー達の歓喜に沸く声だった。
クォーターポイントのボスに相応しい強さを持ち、数々のアクシデントに見舞われた。それでも困難を乗り越えて生き残り、皆がお互いを称え合う。目の前に表示された獲得経験値とコルが、どうでも良くなるぐらいに。
「どうだぁ、カイト! 死亡フラグなんざ、ポッキリ折ってやったぜ!」
「はいはい、次もその調子で頼むよ」
それは彼らにも言えた事。お互いに拳を握って軽くぶつけ、健闘を称えあっていた。
「カイト君」
ふと後方から名前を呼ばれたので振り返ると、アスナが立っていた。その隣にはユキもいる。
「私達《血盟騎士団》を含めたここにいる全プレイヤーが、あなたの働きで救われました。《血盟騎士団》副団長アスナより、心からの感謝とお礼を申し上げます」
凛とした態度と言動、そしてお手本のようなお辞儀は美しかった。アスナのような美人がすれば、それはなお際立つ。こういった動作一つ一つから、育ちの良さがみてとれた。
「確かに受け取りました。……でもアスナ、そういうのは肩が凝りそうだから、いつも通りで頼むよ」
「そう? じゃあお言葉に甘えて、次からはそうさせて貰うね。本当にありがとう」
アスナは短く礼は言うと踵を返し、団員達の元へと戻っていく。だが一緒に来たユキはアスナを見送り、その場から一歩も動かなかった。
「……ユキはアスナについて行かなくていいのか?」
「ん? 一応この後集まるけど、それが終わったら各自自由なの。だから、その……もしよかったら、一緒に上へ行かない?」
「あぁ、いいよ。じゃあオレは待ってるから」
「――っ、うん! 先に行ったりしないでよ! クラインさん、この後のご飯楽しみにしてますね!」
ユキもアスナと同様に、団員が集まっている場所へと向かう。
「微笑ましいねぇ」
「何が?」
クラインは顎に手を添え、走り去った少女と隣にいる少年を交互に見る。彼の言葉と仕草に対し、カイトは不思議そうな顔を浮かべた。
「……いや、なんでもねぇよ。年長者は若者達の今後を見守ろうって話だ」
「曖昧でわかんないんだけど」
「いつか分かる時が来るさ」
「答えになってないし」
その言葉の真意を理解できる時は、まだまだ先のようだった。
攻略組の面々は上層へと続く道を歩き、51層の主街区に入ると転移門広場へと向かう。各階層を繋げる転移門のアクティベートは、ラストアタックを取ったプレイヤーがすると暗黙の了解で決まっているため、今回は《黒の剣士》ことキリトがアクティベートを行う手筈になっていた。
エギルはこの後、攻略組と新しく開通した51層に来るであろうプレイヤー達を相手に商売するため、露店を開く準備に取り掛かった。
「さぁて、さっきのボス戦でドロップしたアイテムで一儲けするぜ」
「……銭ゲバ」
「おいおい、人聞きの悪い事言うなよ」
「あはは」
カイトとエギルのやり取りを聞いてユキが笑っていると、キリトがアクティベートを終える。
「よし、これで――」
――ゴーン、ゴーン
突然、キリトの言葉を遮るように、腹の底まで響くような重い鐘の音が鳴る。忘れることが出来ないこの音は、始まりの日に聞いた鐘の音と同じものだった。
音が鳴り止み、今度は無機質な女性のアナウンスが、アインクラッド全土に響き渡った。
『第51層転移門のアクティベートを確認しました。これより、緊急イベントクエストを開始致します』
当初の予定より長くなってしまいましたが、50層フロアボス戦終了です。
次回から緊急イベントクエスト開始となります。