2024年2月14日。
現在のアインクラッドは冬真っ只中。
各階層毎で天気の違いはあれど、季節感だけはどこも統一されていた。
場所によっては雪が降り積もることで街もフィールドも白い化粧が施され、この時期限定の趣ある銀世界を観ることができる。その代わりにプレイヤーが外を出歩く際は防寒具の着用が必須となり、無ければ冬の寒さを直に肌で感じてしまうだろう。
だが、今日だけは違った。
アインクラッドにいる大多数の女性プレイヤーは、冬の寒さに負けず劣らず、むしろ跳ね返してしまう程の熱意を持って14日を迎えていた。
そしてそれは彼女にも言えた事。
「よ〜し、やるぞ〜!」
最前線の主街区にある一軒のレストランから、やる気に満ちた声が聞こえた。
本日、2月14日はバレンタインデー。女性が男性に愛の告白を兼ねてチョコレートを贈る日だが、今年のバレンタインデーは全プレイヤーを対象とした特殊イベントが用意されていた。
『バレンタインデーにチョコを渡し、一ヶ月後のホワイトデーでそのお返しをした男女それぞれには、特別にステータスポイントが割り振られる』
これだけ聞くと非常においしい報酬だが、いくつかの厳しい条件があった。
『自作限定』
『女性から男性へ、男性から女性へ直接手渡しすること』
『二人以上に贈ってはいけない』
SAOにいるプレイヤーの男女比は男性側に傾いている。そのため全プレイヤーがこのイベントの恩恵を受けられないのは明白であり、中には女性プレイヤーと接点すらない男性陣もいることだろう。
これら条件がネックとなり、貰うアテのない男性陣のほとんどは早々に諦め、指を咥えて眺めるしかなくなったという。
話を戻して、場所は先程のレストラン。
正確にはその厨房だが、そこには白地に青い水玉模様の可愛らしいエプロンを着用し、チョコレート作りに励むユキの姿があった。その近くに柄は違えど同じくエプロン姿のアスナが、ユキの作業を見守っている。
「折角なんだから、アスナも作ればいいのに」
「う〜ん……報酬は魅力的だけど、そもそも私はあげたいと思う程好きな人がいないからなぁ〜」
「ア、アスナ? 何度も言ってるけど、私は別にそういうのじゃなくて……助けてくれたり優しくしてくれたり……ちょっとだけ……本当にちょっとだけ良いなぁとは思うけど……ただ日頃の感謝の気持ちを込めて贈ろうと思っただけで……」
「ソッカーーソウイエバソウダッタネーー」
「言葉に心が込もってないよっ!?」
アスナがこうしていじるのは何度目だろうか。バレンタインデーのイベント情報が出回ってからは、ずっとこの調子である。
「でもバレンタインにチョコを渡すのって、つまりそういう事でしょ? それに今回は実質一人にしかあげられないんだし」
「それは、ほら、義理チョコって可能性も……」
「え〜? この場合はどう考えても本命だよ。往生際が悪いなぁ〜」
「ア〜〜ス〜〜ナ〜〜ッ!!!!」
アスナが追撃を試み、ユキにとっての痛い所を的確に突く。これ以上反論の言い回しが閃かなかった彼女は、頬を赤くして恨めしそうな目で友人の名を呼ぶことしかできなかった。
「フフ、ごめんね。ユキの反応が面白くて、つい。リズの気持ちがちょっとだけわかるかも」
「もう、やめてよ。リズ一人でさえ手に負えないのに、そこにアスナまで加わったらどうしようもないよ」
「まぁ、それも今日までだから。ほらっ、早く作っちゃおう!」
アスナに促されて止まっていた手を再度動かす。それから間もなくしてチョコレートが完成したのだった。
「出来た〜っ!」
「お疲れ様!」
完成したと同時に二人はハイタッチを交わした。
完成したのはピンポン球と同サイズの丸いチョコで、上から白いパウダーがまぶしてある。それが合計で10個あり、区分けしてある箱の中に入れられてラッピングされた。
「あとは渡すだけだね」
「うん」
右手の指を二本揃えて縦に振り下ろし、メニュー画面を開く。そこからメッセージを素早く打って送信すると、5分と経たずに返信が届いた。
「なんか今から用事が入っているらしくて、会えるのは夕方からだって」
「それだとだいぶ時間があるわね……。ギルドハウスにでも行く?」
「う〜ん、そうしよっかな」
ユキはラッピングされたチョコをストレージにしまい、二人で厨房を出る。エプロン姿からギルドの制服に着替え、その場をあとにした。
最前線より下層に降り立った二人は、転移門広場から《血盟騎士団》のギルドハウスに向かって歩き出した。移動中もチラホラと女性プレイヤーがその手にチョコを持っているのが見受けられるが、彼女達もこれから誰かに渡すのだろう。
目的地に到着したアスナが入り口の扉を開けると、ギルドハウスには三人の団員達がいた。
「副団長、ユキさん。お帰りなさい」
「お帰りッス」
入室した二人に挨拶したのは、奥のスペースに設置してあるソファーに座り、テーブルを挟んでチェスをしているアレッシオとモーガンだった。一瞬だけ顔を二人に向けたモーガンはチェス盤に視線を戻し、『うーん』と深く唸りながら考えている。それに対してアレッシオは涼しそうな顔をしていた。
「おや? ユキさんは今日用事があるのでは?」
リビングの椅子に腰掛け、机の上にある書類に目を通していたラザレフが問いかけた。今日はギルドの活動がオフのため、全員が私服姿だった。
「夕方からになっちゃった。まだ時間があるから、アスナがギルドハウスに行かない? って」
「そうでしたか。ところで、上手く作れましたか?」
「うん! ……ほらっ!」
作ったばかりのチョコをオブジェクト化させ、ラザレフに見せた。
「おぉ、とても美味しそうですね。これなら彼も喜ぶでしょう」
「ユキもすっごい張り切ってたしね。だって本め――」
「ストーーーーップ!」
ユキは慌ててアスナの口を塞ぐ。
二人の楽しそうな様子を見て、ラザレフは静かに微笑む。それはまるで仲の良い姉妹のやり取りを見守る父親のようだ。
「話は変わりますが、お二人に今後の攻略スケジュールでご相談があります。時間はよろしいですか?」
『攻略』という言葉にアスナが反応した。一瞬で顔が真剣そのものになり、『副団長モード』のスイッチが入ったのだ。
「わかりました。それでは別室で話しましょう」
アスナは一番近くの空いている部屋に入り、その後ろに机の上にある書類を纏めて持ったラザレフが続く。ユキは手に持っているチョコをストレージに仕舞わずテーブルの上に置き、二人と同じように部屋へ向かう。
ラザレフの相談自体は約10分で終わったのだが、このわずかな時間に事件が起きた。
攻略の相談が終わった三人は、扉を開けて部屋を出た。ラザレフは二階へ行くために書類を見ながら階段を上り、アスナはチェスをしているアレッシオとモーガンの状況を覗きに二人の元へ行く。
そしてユキは先程机に置いたチョコを取るためにテーブルへ向かう。しかし近付いた所で、ある異変に気付いた。
「あれ? 私のチョコは?」
テーブルに置いてあった筈のチョコが見当たらず、疑問の声をあげた。無意識にストレージへ格納したのかもしれないと思い、メニューを開いて確認するが、チョコは何処にもなかった。
「誰かここに置いてあったチョコ知らない?」
ユキの声でその場にいた全員が反応した。
ラザレフは階段の途中で足を止め、ナイトの駒を今まさに動かそうとしていたアレッシオと、チェス盤に視線を落としていたモーガンとアスナが振り返る。最初に声を発したのはアスナだった。
「アイテムストレージにしまったんじゃないの?」
「ううん、確認したけどなかったの。それに、確かテーブルの上に置いた筈なんだ」
ユキはチョコを置いたであろう場所を指差す。しかしそこには何もなく、そもそもテーブルの上に物は一つも置いていなかった。
「耐久値が切れてしまった、という可能性はありませんか?」
「それはありえないよ。ラッピングされれば耐久値の減少が抑えられるから。そもそもさっき作ったばかりだから、10分ぐらいじゃなくなったりしないもん」
階段を降りて一階に来たラザレフが別の可能性を提示したが、それもユキは否定した。
通常アイテム類をストレージから出して放置すると耐久値が減少し、終いには消滅する仕様となっている。
だが剣を収める鞘のように、チョコはラッピングされると耐久値の減少が抑えられ、通常よりも消滅しづらくなるのだ。まして一日中放置していたのなら兎も角、10分程度ではチョコが消滅する程の減少はありえない。
「アレッシオとモーガンは知らない?」
「僕はチェスに集中してたのでわかりません。そもそも席を離れていませんし」
「オレも同じッス」
どうやら二人とも心当たりがないらしい。そうなると、一体チョコはどこに消えたのだろうか……。
「これは事件ですね……」
ラザレフが顎に手を添えて怪訝そうな顔を浮かべた。
「ど、どうしようアスナ!」
「落ち着いて。まずは状況の整理からしましょう。……えっと、ユキがラザレフにチョコを見せていたのは私も覚えているわ。そして私達三人は別室に移動する際、ユキはテーブルにチョコを置いて移動した。その後話が終わって部屋から出てきたら、テーブルに置いてあった筈のチョコがなくなっていた、ってことでいいかしら?」
「う、うん……」
攻略とは一切関係ないが、親友の一大事にアスナの『副団長モード』は再びスイッチが入った。今まで起こった出来事を順番に確認していく。
「次は考えられる可能性を一つずつ消去していきましょう。……ところで二人に聞きたいんだけど、あなた達はいつからここにいるの? 誰か他の団員が入って来たりしなかった?」
真剣な面持ちのまま、アスナはアレッシオとモーガンに鋭く視線を走らせて尋ねた。
「昼頃からいましたけど、僕達以外は誰もいませんでした。副団長達が来る少し前にラザレフさんが来ましたが、それ以外には誰も来てませんよ。それにチェスに集中していたといっても、流石に誰か入って来たのを見逃す程ではないので」
「そうッスね。第一、ここからだと玄関が丸見えッスから」
二人がチェスをしていたのは玄関の直線上にある部屋だ。幾らこっそり入ったとしても、その人物の姿を見逃すのはまずあり得ない。《隠蔽》系統のスキルを使えば話は別だが、わざわざギルドハウスに入るのにスキルを使う意味はない。
「耐久値の減少に伴う消滅の線は薄いから、勝手に消えたわけではない。つまり誰かが持ち去ったのが、可能性として一番濃厚ね」
ストレージ内のアイテム所有権は5分で設定されている。持ち主の手を5分以上離れれば、システムは『所有権を放棄した』とみなし、誰かがとっても盗難扱いにはならない。
つまりユキがチョコをテーブルに置いた事で持ち主の手を離れ、かつ5分以上そのままの状態だったので、誰かが持ち去るのはシステム上不可能ではない。
「そして誰も来ていないのなら……容疑者は一気に絞れるわ」
「つまり今このギルドハウスにいる誰かが犯人……ということですか?」
「な、なんか物騒になってきたね」
アスナの素人探偵顔負けの雰囲気も合わさって場の空気が一気に重くなり、静寂に包まれる。ユキは生唾をゴクリと飲み込んだ。
「その前に私達三人はチョコがなくなったであろう十分間、別室にずっといたのだから除外。そうなると、犯人はアレッシオとモーガンのどちらかね」
「ちょ、ちょっと待って下さいッス、副団長! 幾らなんでもそれは――」
「わかっています。私も好きであなた達を疑っている訳ではありません。ですが1パーセントでも可能性がある限り、それがゼロになるまでは容疑の対象です」
アスナは毅然とした態度で答えた。
彼女はユキがどんな想いでチョコ作りに励んでいたのかを、その目で直に見て知っている。気持ちの込もった物を相手に渡す前に誰かが持ち去ったのならば、一生懸命作っていた彼女の行為は無駄になる。それだけは何としても避けたかった。
「それにさっきはあなた達のどちらか、と言ったけど、両方が犯人の可能性もあるのよ」
「どういう事です?」
アレッシオの頭上に疑問符が浮かんだ。
「二人で口裏を合わせている、ということです。所有権の切れたチョコをコッソリとって、二人で分けて食べた可能性もあります。数は10個あったから、丁度二人で割り切れるでしょう?」
「……なるほど」
アレッシオはアスナの言いたいことがわかったようだ。本人も不本意ではあるだろうが、現状最も疑わしいのは自分達なので、それ以上何も言わなかった。
「も、もうやめよう。二人がそんな事する筈ないよ。それに元々は置きっ放しにした私が悪いんだし」
「でも、このままじゃ全部台無しになっちゃうのよ。せめてどこにあるかだけでもわかれば……」
ユキはこれ以上二人を疑いたくなかった。諦めようとするが、アスナはいまいち納得がいかない。
しかし、ラザレフがハッとした顔で何かを思いついた。
「アレッシオ。先程『自分達が来た時は誰もいなかった』と言いましたが、それは全ての部屋を一つずつ、誰もいないか確認しましたか?」
「えっ? いやそこまでは……静かだったので誰もいないと感じただけです」
「なるほど。それなら新しい可能性が浮かんできますね」
彼が何を言いたいのか、皆はよくわからなかった。
ただ一人、アスナを除いて。
「つまり、アレッシオ達よりも先にギルドハウスへ来ていた人がいて、その人物はまだ私達の前に一度も姿を現していない誰かだということね。そうなると、この家にある部屋のどれかにいる筈だわ」
「流石副団長、ご理解が早いです。部屋を一つずつ確認するのもいいですが、もっと簡単な方法でいきましょう。副団長の権限で、ギルドハウスの入退室記録を閲覧してもらえますか?」
ギルドハウスに限らず、全ての住居には『入退室記録』というものがある。
これはその住居の出入り口を通る際、システムが通ったプレイヤー名と時間を自動的に記録する機能の事だ。
プレイヤー個人で所有する家なら持ち主に、ギルドで所有する家ならギルドマスターとギルドマスターが権限の行使を許可した者にしか与えられない機能である。
アスナはギルドメニューを開いて『入退室記録』を閲覧し出した。新しいものから順に遡っていく。
「……アレッシオの前に既に一人来ているわね。そしてその人物はまだ退室記録がないわ」
「だ、誰なんスか? その人物って?」
「それは――」
――ガチャッ
アスナの言葉を遮るかのように、扉の開く音がした。
扉の開いた部屋はアレッシオ達がチェスをしていたスペースから丁度死角になる部屋。そこから出てきたのは《血盟騎士団》の槍使い、エリックだった。
「あれ? 副団長にユキちゃん、ラザレフも来てたんですね」
ひょっこり顔を出したエリックは笑いかけるが、目の前にいる五人の注目を一斉に浴びているのに気付き、すぐに困惑した表情を浮かべた。
「な、何かあったの?」
「……エリック、一つだけ聞きたいことがあります。ここのテーブルに置いてあったチョコを知りませんか?」
アスナが険しい表情で彼に詰問するが、そんな彼女とは裏腹にエリックは満面の笑みで答える。
「あぁ、あれですね。副団長、ご馳走様です!」
「……はい?」
「あんな美味しいチョコ食ったの久しぶりでしたよ。やっぱ《料理》スキル上げている人の作るやつは一味違いますね。あの丸いチョコ自体はほろ苦いけど、上にまぶしてあったパウダーのおかげでほんのり甘くて、そのバランスが絶妙でした!」
エリックが味の感想を述べているが、今の彼女達にはそれよりも確認したい大事な事がある。
「あなたの感想はともかく、食べたんですね?」
「食べましたよ。本当に美味かったから、あっという間になくなっちゃいましたよ」
「……はい?」
アスナは思わず聞き返した。その声には隠しきれない怒気を含んでおり、エリック以外の男性陣は直感的に感じてしまった。『こいつ死んだな』と。
「……エリック。い、一体いつからいたんだ? そ、それにいつ部屋から出てきたんだ? 僕達は気付かなかったけど……」
アスナの放つ黒いオーラに怯えつつ、アレッシオが問いかけた。
「朝からいたぞ。ただ誰もいなかったから空き部屋で寝てたんだよ。起きて部屋から出たら二人がゲームで盛り上がってたし、邪魔しちゃ悪いと思って部屋に戻ろうとしたんだ。そしたらテーブルにチョコが置いてあるのに気付いて、腹も空いてたから部屋に戻って味わってたんだよ」
(あぁ、多分あの時だ……)
彼には心当たりがあった。
チェスの決着がつき、モーガンが負けた悔しさから『もう一回! もう一回ッス!』とせがんできた時があったのだ。彼の言うゲームで盛り上がっていた時とは、おそらくそれの事だろう。
アスナの黒いオーラは増大し、それを感じとっているアレッシオはさらに怯え、ラザレフは呆れて溜め息をつく。
「エリック、実は――」
モーガンはエリックのそばに近寄って、耳元で小さく事情を話した。すると彼の顔はみるみるうちに歪み、血の気が引いていく。彼の心情は最早語るまでもない。
――グスッ
鼻を
ただ黙って静かにエリックの話に耳を傾けていたユキは、とうとう限界を迎えてしまったのだ。彼女の涙腺は決壊し、瞳からは真珠のような涙がポロポロと頬を流れていく。制服の裾をギュッと握って堪えていたのだろうが、その抵抗は無駄に終わった。
「辛かったね……よしよし」
見兼ねたアスナが両腕をユキの背中に回し、優しく抱きしめる。
ユキも同じようにアスナの背中に腕を回すと、彼女の胸の中で我慢していた涙を吐き出した。
「謝れっ!」
「謝るッス!」
「謝りなさいっ!」
「すいませんでしたーーーー!!!!」
アスナの《リニアー》に匹敵するほどのスピードでエリックは正座し、両手を床につけ、めり込むのではないかという程の勢いで頭を下げる。
これが日本人の持つ伝統芸、またの名を謝罪の最終奥義『土下座』である。
しばらくしてユキは泣き止み、調子も少し落ち着いてきた所でこの後どうするか話し合った。
「あの〜、ちょっと思ったんスけど、もう一度作るってのは出来ないんスか?」
「……残念だけどそれは出来ないのよ。今日限定で女性プレイヤーはチョコを作る際、《料理》スキルの有無に関係なく味が保証されるわ。でも、それが適用されるのは一回だけなの」
特殊イベントにある『男性一人のみ』という条件のためか、美味しいチョコを作れるのはたったの一回きり。作る事自体は可能だが、ユキは《料理》スキルを取得していないため、何が出来るかわからない。
「ユキさんが自分で同じのを作るのは無理……と。今から《料理》スキルを上げた所で付け焼き刃だし……」
「副団長が代わりに作るという手もありますが……それでは意味がないですよね」
「……うん」
色々と案を出してはいるが、中々良いのが浮かばない。何よりユキ本人が納得しなければ、どんな名案でも起用されることはない。
「……みんなありがとう。もう時間だし、行かないと」
「どうするの?」
「直接会って謝る……。用意できなくてゴメンね、って」
「……途中まで私も行くわ。いい?」
「……うん」
深く気持ちの沈んだユキと一緒に、アスナはギルドハウスを出る。その足取りは重く、後ろ姿は見ている側が辛くなる程のものだった。
パタン、と静かに扉が閉まる音は、彼女の気持ちを表しているかのよう。二人を見送った三人は、今回の騒動を引き起こした張本人に視線を移した。
「それで、いつまでやってるんスか?」
彼らの前には土下座状態から微動だにせず、現在も頭を床につけているエリックの姿があった。
「許してもらえるまで……。それよりもさっきから罪悪感が上昇しっぱなしなんだ。戒めのためにも誰か踏んでください。足裏でぐりぐりして下さい」
『気持ち悪いから嫌(です)』
三人の心から拒絶する声が、綺麗に重なった。
転移門広場までユキとアスナはトボトボと歩いていく。ユキの落ち込みようが想像以上のため、道中慰めの言葉を何度もかけるが、返事には覇気がなく上の空状態だ。結局彼女の様子は変わらず、とうとう転移門に到着してしまった。
「カイト君との用事が終わったら、一緒にご飯でも食べよ。私はギルドハウスで待っているから」
「うん、わかった」
笑顔を絞り出して右手を力なく振ったユキはそのまま転移門に向かい、光に包まれて転移していった。
転移した先は47層主街区《フローリア》。
元々デートスポットとして有名な階層だが、今日がバレンタインデーというのもあっていつもより多くの恋人達が訪れていた。腕を組んで歩いている者もいれば、ベンチに腰掛けてくっつき、女性が男性の肩に頭を預けて寄り添っている者もいる。
恋人達の恋心にあてられて火をつけられたかのように、夕陽が普段よりも赤く染め上がっている気さえした。
(し、しまった……ここがデートスポットだって忘れてた……)
何の考えもなしに待ち合わせ場所をここに指定したが、周りにいるのは見た所恋人同士の男女のみ。今更ながら別の場所にすればよかったと後悔の念がこみ上げる。
「おっ、来た」
転移門の側にある柱に背を預け、纏っているコートのポケットに手を突っ込んでいるカイトがいた。ユキに気付くと柱から背を離して足早に彼女へと近付き、内緒話をするように小さな声でボヤく。
「よりによって何でここなんだよ。待ってる間すっごい居心地悪かったぞ」
周囲に漂うピンク色の空気にあてられてどうにも落ち着かない。この場に男一人で待ち続けるのは彼にとって苦行であった。
待っている間、周りのプレイヤーは彼をチラッと見てコソコソと話をしており、カイトはそれが気になって仕方なかった。
ちなみに悪口や小馬鹿にされているわけではなく、彼の童顔を見て『中学生ぐらいかなぁ』という程度の内容である。現実なら高校生なのだが……。
「あはは……ごめんね」
「……何かあった? 元気ないけど」
出来る限りの笑顔で返したつもりだったが、それでもまだ本調子には及ばない。彼女の異変をすぐに察知し、怪訝そうな顔をして問いただした。
「ううん、大丈夫。……それで、渡したい物なんだけど」
「そうそう! メッセージ来た時は驚いたよ。まさか貰えるとは思ってなかったからさっ! やけに自信ありげだったし、どんなのが出来たか見せてよ」
カイトの顔が一気に明るくなり、右手を開いてユキの前に差し出した。
彼にとって『今日一日で最も楽しみにしていたイベント』といっても過言ではない。表情から、それが容易に読み取れた。
何事もなかったら堂々と彼に渡し、『美味しい』という最高の褒め言葉を貰って和やかな雰囲気になる未来もあり得ただろう。しかし、そのためのキーアイテムは既になくなっている。カイトの笑顔が眩しければ眩しい程、ユキにとっては辛い気持ちが増長した。
「――ごめんなさいっ!」
「……へ?」
だが、ない物はやはりない。差し出された手に対して彼女がとった行動は、素直に謝ること。急に頭を下げられるという予想外の行動に、カイトは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「作るには作ったんだけど……ギルドの団員で食べちゃった人がいて……だから、渡したくても渡せないの……」
俯きながら簡潔に事情を説明する。これ以上、どうしようもないのだ。また来年……も、この世界にいるとは想像したくないが、もしもいるのならば一年後を待つ他ない。
わずかな沈黙が流れる。ユキは俯いたままで顔をあげようとしない。期待させてしまった分申し訳なく思い、正面にいる少年の顔を見ることができなかった。
「……ユキ」
カイトは差し出した右手を引っ込めずに、彼女の左手へと伸ばして掴む。今度はユキにとって予想外の行動だった。
「えぇっ!? なななな何!?」
「ないなら作ろう。すぐそこにキッチンを貸してくれる宿があるから、そこを使おう」
「え、でも――」
「いいからいいから」
カイトは左手を掴んだまま彼女の手を引き、歩き出した。ユキもされるがままに歩き、彼の背中を見た後、握られている手に視線を移す。強すぎず弱すぎず、丁度いい力でしっかりと掴んでいる彼の手は温かく感じ、自然と頬が緩んでしまう。
システムが彼女の目の前にハラスメントコードを表示するが、ユキはそれを迷わずキャンセルした。
「私、《料理》スキル持ってないよ?」
「いいからいいから」
宿についた二人はキッチンを借り、言われるがままにユキはエプロンを着てチョコ作りを開始した。カイトは何をしているかというと、彼女の側で作っている姿を眺めている。
さほど時間は掛からずにチョコは完成し、二人の前に置かれた箱の中には6個のチョコが並んでいた。最初に作ったもの程見た目は良いと言えず、所々でヒビが入っている。
だが、問題は見た目よりも味。《料理》スキル未習得のユキが作ったチョコは、どんな味がするのか未知の領域だ。こればかりは想像ができない。
「食べるのはいいんだけど……というか本当に食べるの?」
「当たり前だろ。それじゃあ、頂きます」
箱の中にあるチョコに手を伸ばし、一つ取って口に運ぶ。舌に触れ、咀嚼し、口の中にユキの作ったチョコの味が広がる。
その結果、ビデオカメラの再生を一時停止したかのように、カイトの動きがピタリと止まった。時間にして二・三秒。彼の反応からして味は――――言うまでもなかった。
「ほ、ほらっ! 美味しくないでしょ? これで終わり! もう片付けるから」
「……いや、全部食べる」
「い、いいよそんな。無理しなくても……」
箱を手にとってまた一つチョコを口に運ぶ。一つ終われば次、また次へと指先を伸ばして食べていった。
ユキの静止も聞かず、黙々とチョコを食べ続ける。箱の中にあった6個のチョコは、あっという間にカイトの腹の中へと収まった。
「ご馳走様」
「全部食べちゃった……。美味しくなかったでしょ?」
「確かに美味しくはないな」
「うっ……分かってはいるけど、改めて言われると凹む……」
わざわざ確認するまでもないが、最初に口へ入れた時の反応でわかってはいた。それでも実際口に出して言われると、中々にショックはある。ユキは肩をガックリと落とした。
「確かに味は美味しくないよ。でも不味くはなかった」
「どういう事……?」
「えっと……ユキはさ、作る前から美味しくないのができるって分かってただろ?」
「そりゃあ、まぁ……」
「この世界はシステムの影響で全てが決まるから、《料理》スキルを持っていない人はどう足掻いても『美味しい』っていう味を伝えるのは無理だ。でも……『人の気持ち』だけは、いくらシステムでも遮断出来ないんじゃないかな?」
カイトは言葉を紡いでいく。
「なんていうかさ……誰かの為に作るって事は、自然と気持ちが込もってると思うんだ。オレはユキから『気持ちの込もったチョコを貰う事』が楽しみであった訳で、味や見た目なんかは二の次だ。『美味しいチョコを食べさせたい』っていうユキの気持ちはしっかりと受け取れたから、オレは満足してるよ」
カイトの言葉に反応し、トクン、と心が小さく脈を打つ。それはユキの中で、とある異変が起き始めた証拠。
「ユキのエプロン姿なんてレアなものも見れたしな」
「……ぷっ! それぐらいいつでも見せてあげるよ」
本心なのか冗談なのかはわからないが、彼の言葉に思わず吹き出してしまった。
会話を重ねるごとに、沈んでいた気持ちが徐々に浮き上がっていく。そしてそれはずっと心の奥底に仕舞い込んでいた感情を連れて、彼女の心の表層へと誘導していった。
そして次に発した言葉が、決定打となる。
「それにユキが一生懸命なにかに取り組んでるとこ、オレは結構好きだぞ」
「……え?」
一拍の間をおいて思わず聞き返した。
ゆっくりと浮上していた想いはカイトの言葉をキッカケに、速度を上げる。急浮上した想いはスピードを緩めることなく、心の表層に到達するとそのまま突き破り、内面に留めることが出来ないレベルに達した。そのしるしに、ユキの顔に変化が訪れた。
「――っ! ち、ちがっ! 好きっていうのは友達としてっていうか――」
ユキの変化と自分が発した言葉を振り返ったことで、すぐさま訂正しようとする。
だが彼女はカイトが全部言い切るのを待ってくれる程の精神的余裕を、既に持ち合わせていなかった。
「て、てててて転移《――――》」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待っ――」
動揺しつつも今までで一番早くメニュー操作をし、ユキが取り出したのは転移結晶。転移門のある主街区にいるのだから使う必要はないのだが、彼女は一刻も早くこの場から消え去りたかった。
オブジェクト化するとコマンドと転移先の主街区名を唱え、緊急離脱。一瞬で姿を消した。
ユキがいなくなった事で、カイトは一人ポツンと取り残された。騒がしかった場は静かになり、耳に入るのはNPCの足音だけ。
「……何なんだ? ……でも、助かった……」
キッチンから出ると近くの赤い椅子に座り、紅潮した頬を――――正確には口元を手の甲で隠す。周囲に人はいないので誰かが見ているわけでもないが、クセでそうせざるを得なかった。
(慣れない事はするもんじゃないな……超恥ずかしい……)
元気のないユキを見て咄嗟に思い付いた案。そして励ましの言葉。放った言葉の数々は本心からのものだが、『意識してやると照れくさい』という発見と共に、最後の言葉は彼にとって失言だった。只今反省中である。
(でもまぁ……良かったんだよな、これで)
とんだハプニングはあれど、最後にユキは笑ってくれた。元々それが狙いだったのだから、カイトの企みは大成功といえるだろう。
(……ダメだ、そろそろ限界……)
右手の指二本を揃えて縦に振り、アイテム欄をタップ。現れたのはこれまたユキと同じく、転移結晶だった。
「転、移……《アルゲード》」
第50層主街区《アルゲード》。
カイトは雑然とした街の入り組んだ道を、フラフラとおぼつかない足取りで進む。通りすぎる人を右に左に避け、目的地である怪しげな雑貨店に辿り着いた。
木製の古びた扉を開けると、中にはよく見知った二人の人物がいた。
「よう、カイト。ちゃんとユキからお目当ての物は貰えたから」
「あぁ……とびっきり気持ちの込もった物を食べてきたよ……」
カウンターの向こう側から気さくに話しかけてきたのは、雑貨店の店主・エギル。50層が開放されてさほど間をおかずに、自分の店を構えてしまったというのだから驚きだ。一体それまでの商売で得た儲けを、どれだけ溜め込んでいたのだろうか。
「オレも貰えるなら欲しかったよ。いいよな、カイトは」
もう一人はカウンター席に座って頬杖をついてるキリトだった。
本人は冷やかしのつもりで言ったのだが、今のカイトには反応する余裕があまりない。
「お、おいおい、どうしちまったんだ? 顔色が悪いぞ」
カイトの様子がおかしい事にエギルは気付く。
顔面蒼白で今の彼からは活力が感じられず、身体の軸が定まっていないのか若干左右にフラついている。まさしく今にも倒れそう、というよりも――。
「……すまん。……もう……無、理……」
――ドサッ
――倒れた。
見えない糸にでも引っ張られたかのように、彼は床にゆっくりと崩れ落ちた。その光景を目撃したキリトとエギルが駆け寄り、彼の肩を揺する。
「お、おい! いきなりどうしたんだよ!?」
「新種のバッドステータスか?!」
(……ち、が…………)
彼の否定は声なき声として終わった。そこでカイトの意識は完全に途絶え、目覚めたのは丸一日経過してからだったという。
ユキの転移先はギルドハウスのある階層。転移したと同時に歩き出し、寄り道せず真っ直ぐギルドハウスへと向かう。すると玄関の前でアスナが座って外を眺めていた。
「おかえり」
暗がりの中、アスナは街灯に照らされている見慣れた影に気付き、声をかけた。それはついさっき見送った友人の姿だが、顔がやや下を向いている。
女の勘、というものなのだろう。何かあったのではと直感した。
ユキはゆっくりとした足取りでアスナに近付くと、彼女に抱きつく。
「どうかしたの? ――って、顔真っ赤! 耳まで赤いよ!?」
抱きつかれる寸前にハッキリ言い切れる程、SAOの感情表現も相まって、ユキの顔はこれまで以上に赤面していたのがわかった。頭から湯気が出ていてもおかしくないぐらいだ。
「どうしよう、アスナ……」
「えっ! 何があったの? まさか喧嘩でもしたんじゃ――」
「違うの。そうじゃなくて……私、わかっちゃった」
そのままの姿勢で、彼女はアスナの耳元でポツリと呟く。
「今までも『そうなのかな?』って思ってたけど、勘違いだって否定し続けてた」
「………………」
出会ってから1年と3ヶ月。
パーティーを組んで同じ時間を共有し、自分の未熟さをなんとかしたくてギルドに入った。
一緒にいた時も、離れてからも、何処かで彼との接点を無意識に探していた。
「でも……もう無理だよ」
「…………うん」
芽が出たのはいつ頃だろうか。
それは今でもわからないが、二つだけわかっている事があった。
きっかけを与えられたのはクリスマス。意識し出したのは、彼がこの世界から一度消え去った時。
「無視……できないよ」
「……うん」
少しずつ、少しずつ……関わっていくたびに癒され、励まされ、笑わされ、回数を重ねることで想いは大きく成長していく。
やがて成長して膨れ上がった気持ちは否定され、心の奥底に仕舞い込んだ。
しかし、
『私はここにいる』と、叫び続けるのをやめなかった。
そして皮肉にも、
以前よりもさらに成長した状態で、再び彼女の前に姿を現したのだった。
「私ね……」
「うん」
気付いてしまった。気付かされてしまった。
そうなってしまっては、もう見て見ぬ振りなどできはしない。
「カイトが――」
そしてとうとう、これまで絶対口に出して言わなかった、たった二文字の言葉を呟いた。
「――好き」
それは目を逸らし続けていた自分の気持ちと向き合い、一歩前進した証拠でもあった。
ギルドハウスの入退室記録は独自設定です。
また、《料理》スキル未習得者の作成した物を一度に食べ過ぎると意識不明になるのも独自設定です。
色々と詰め込みすぎて文章量はいつもより多くなりましたが、そのわりにスラスラと展開のイメージができました。しばらく日常回はご無沙汰だったので飢えてたのかもしれません。
二章は戦闘ばかりで固い印象だったので、今回の番外編で多少はマイルドになった筈です。
3章はカイトと原作ヒロイン三人との絡みを個別に扱います。