2024年、3月下旬。
冬の寒さはひっそりと身を潜め始め、春の暖かさを含んだ陽射しが主街区《リンダース》に降り注ぐ。主街区内には小川が通っているため、水の流れる音が鼓膜に響き、街を歩く彼女の心をより一層穏やかな気持ちにさせた。
川の流れは街の随所に設置されている水車を回し、一定の速度で回り続ける。その内の一つ、目的地である水車の付いた家が見えてきた。
石造りの橋を渡ると立ち止まり、家の全体像を眺められる位置でジッとする。
(マイホームか……いいなぁ……)
ここには何度か来ているが、彼女は毎回同じ事を考えていた。
この家の持ち主は48層がアクティベートされて以降、ただひたすら鍛治の仕事に明け暮れていたのは、つい最近の話だ。勿論今でも鍛治職人として仕事に明け暮れてはいるが、仕事量の多さが違う。所持金が家の金額に到底及ばなかったため、武器の強化・研磨・オーダーメイドの作成などなど、1コルでも早く目標に到達するために朝から晩まで仕事、仕事、仕事。家の購入金額300万コルが貯まるのに三ヶ月近くを要したが、それだけここを気に入ってたのだろう。
最前線で階層攻略を続けている彼女にも、懐に多少の余裕はある。元々浪費家でもないため、出るペースよりも入るペースのが上回っているからだ。安い物件なら即購入出来るが、この先ゲームが攻略されるまで長く使う家なら妥協はしたくない。
(やっぱりお風呂は広いのが欲しいなぁ……家具も揃えて内装も可愛く――)
まだ見ぬマイホームのコーディネートを頭で思い描くと、想像力が掻き立てられて次々とアイディアが浮かんでくる。
そこでハッと我に返った。ここへは脳内コーディネートをしにきた訳ではない。歩を進めて眼前に佇む友人の自宅兼武具店入り口の前に立ち、ドアノブを回して扉を開けると、ベルの音が店内に響く。
中に入るとショーケースに入った武器や壁に立て掛けられている武器の数々が目に映り、片手用直剣・細剣・斧・曲刀・槍や盾など、取り扱っている種類は幅広い。手にとって使ってみるとわかるが、どれも品質は保証されたプレイヤーメイドの業物だ。
(いない……)
武器の姿はこれでもかという程だが、人の姿は何処にも見当たらない。朝早くに来たため、どうやら彼女が本日のお客さん第一号のようだ。
お客さんの姿は兎も角、店主の姿もここにはない――――といっても、その場合は大抵奥の工房で作業をしているパターンが多いのだが、案の定そうだった。
店の奥にある扉が開き、出てきたのは紅色の上着に同色のフレアスカート、その上に白いドレスエプロンを着た少女だった。一般的な鍛治職人が着ている地味な服装ではなく、やや派手な部類だろう。彼女の特徴でもあるピンク色の髪にも合っている。
「リズベット武具店へようこそ――って、ユキ! いらっしゃい!」
元気一杯の声で店の店主・リズベットは来店の挨拶をするが、誰が来たのかわかると営業スマイルではなく、素の笑顔をユキに向けた。
「おはよう、リズ」
「おはよっ! こんな朝からどうしたの?」
「ふふん、実はね――」
リズの問いかけに対し、ユキは肩幅に足を開いて仁王立ちで一言。
「――遊びに来た!」
どうやらお客さん第一号としてではなく、友人第一号として来たようだ。
「そんな事だろうと思ったわよ。そこの椅子に座って」
リズは店のカウンター席を指差し、友人に座るよう促す。ユキが木製の椅子に座ると、リズは彼女の前に紅茶の入ったティーカップを差し出した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
リズはユキの向かい側に座り、自分専用のカップに紅茶を注ぐ。お互いに一口飲むと、ホッと一息ついた。
「アスナは一緒じゃないんだ?」
「うん。なんか用事があるんだって」
「ふーん……ユキがこうしてここにいるって事は、ギルドの攻略は休み?」
「そう。アスナはいないし、他の団員もそれぞれ予定があるし、どうしようかなぁ〜って考えてたら、リズのお店に行こう! ってなったの」
「……ユキ」
リズはそこで呆れ顔を浮かべた。「やれやれ」という心の声が聞こえてくるかのように。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、そこはあたしじゃなくて、
「えぇ!? で、でも突然誘ったら迷惑だし、むこうにも予定があるだろうし……」
リズによって話の内容が急に向きを変えられた。
それによってユキは落ち着きをなくし、ソワソワとし出す。反応としては非常にわかりやすい。
「あんた達は攻略以外で会う機会はそんなにないでしょ? だったら今日みたいな日に約束を取り付けるとかして、積極的に行かなきゃ!」
「う〜ん……やっぱりそれぐらいしないとダメなのかな」
「でも、まぁ今日は――」
不意にリズは言葉を切る。彼女の頭に突如として、ある考えが閃いたからだ。時間を見ると、ほんの少しだけ余裕があるのを確認する。リズの顔が思わずニヤけてしまった。
「リ、リズ?」
そんな彼女の企みなどわかるわけもなく、リズの怪しい表情にユキは不安を感じずにいられない。
「ねぇユキ、折角だから店に出て接客してみない?」
「え? 私そういうのした事ないよ?」
「いいのいいの。お客さんが来たら笑顔で『いらっしゃいませー!』って言ってくれるだけで十分だから。やった事ないなら、ちょうどいい機会じゃない?」
リズのように店を持って常日頃から接客に努めていないので、勝手はイマイチわからない。だが実際に注文を取ったりする訳でもなく、来店したプレイヤーを出迎えるだけでいいという。さほど難しくはなさそうだ。
「……うん、それなら私にも出来るかも。やってみるよ!」
「よしっ! そうと決まれば着替えて着替えて!」
ユキの了承を得るとリズは椅子から立ち上がり、手招きして工房に続く扉へと向かう。ユキと一緒に工房へ入って扉を後ろ手に閉めると、彼女のための服装をトレード申請で渡した。
渡された服装を受け取ったユキはすぐさま装備を変更する。着替えは一瞬で終わり、現れたのはリズが現在着ているものと同じデザインの服だった。違う所があるとすればリズは長袖なのに対し、ユキには袖がなく、肩・鎖骨、果てには胸元まで露出している所。
靴もリズのようなロングブーツではなく、
「なんか……リズのより露出度が高い気がするんだけど……足もスースーするし」
「大丈夫大丈夫! 今日だけだし、サービスだと思えば――」
「こんな格好じゃ私が落ち着かないよ! 恥ずかしいよ!」
思っていた格好と違っていたため、抗議の声を荒らげた。
するとタイミングが良いのか悪いのか、店舗の入り口から来店を知らせるドアベルの音が響く。今度こそ正真正銘、本日のお客さん第一号だ。
「ほらっ、誰か店に来たみたいだし、そのままいっちゃえいっちゃえ!」
現在の格好に羞恥心を
「ニッコリ笑顔で『いらっしゃいませ! リズベット武具店へようこそ!』だけでいいから」
「〜〜〜〜っわかった! わかりました! やるから押さないで!」
観念したユキは扉の前に立ち、深く、深く深呼吸。それを二度繰り返すと、決意を固めてドアノブを握り、扉を開いた。
恥ずかしい気持ちを今だけ押し殺し、武器が展示されている店舗スペースに一歩踏み出す。おそらく工房のドアから出てきた人物に反応して、お客さんは視線をそちらに移しただろう。そう考えるととてもじゃないが、来店客の反応をみる事が出来ず、目線はやや下向きになった。
だが、これはリズから任された一つの仕事。彼女の期待に応えるため、与えられた役割を果たさなければならない。
扉が閉まると姿勢を正し、右手の甲に左手を重ね、手を前で組んだ。そして言われた通り、ニッコリと笑顔で来店の挨拶をする。
「いらっしゃいませ! リズベット武具店へようこそ!」
完璧だった。
挨拶を噛むことなく、元気良くハキハキとした口調で言えた。自分で見ることは出来ないが、おそらく笑顔は作れているだろう。ユキは自分自身に満点をあげたかった。
「ユキ?」
耳に入ってきたのは聞き慣れた声。目の前にいるのは見慣れた人物。
「カ、カイト! なんでここに!?」
そこにいたのは見知った人物。
偶然か必然か。思いもよらない場所で出会えたのは、つい二週間前にアスナと
リズベット武具店の工房から予想外の人物が登場したことに驚き、彼の目が点になる。だがそんな驚きを上書きしてしまう程のインパクトを、今のユキは持ち合わせていた。
「そっちこそなんで? というよりその格好……」
カイトは目の前にいる少女の姿に、目が釘付けとなる。視線が足元を出発点にしてゆっくりと上へ上昇した。
そんな彼の反応で、ユキは忘れかけていた自分の格好を思い出した。右手で胸元を隠し、左手でスカートの裾を押さえると、羞恥心がフツフツと再熱する。
「……ぷっ……ぐふっ……」
ユキの後方から声が漏れる。
振り返った先にいたのは開いた扉の隙間からひょっこり顔を出し、二人の様子を伺っているリズだった。両手で口元を押さえて笑い声を漏らさないようにしていたらしいが、無理だったらしい。堪えきれなかった分の声が指の隙間から漏れ、顔は小刻みに震えていた。
「リ、リ〜〜〜〜ズ〜〜〜〜ッ!」
どうやら彼女はリズの策略で嵌められたようだ。少しの怒りと恥ずかしさの混じった声が、リズベット武具店に虚しく響き渡る。
「ごめんごめん、悪かったって……ぷくく……」
「……リズなんてもう知らない」
あの後工房に入ってギルドの制服に着替えたユキは、先の出来事ですっかり
そんなご機嫌ナナメの彼女をリズがなだめ、その様子を友人第二号のカイトは椅子に座り、呆れ顔で眺めていた。主にリズに対してだけだが。
カイトは自分に出された紅茶を飲むため、目の前にあるティーカップに手を伸ばし、中の紅茶を口に含む。
「来るって知ってたなら教えてくれても良かったのに」
「いや〜あたしの中にある遊び心が勝っちゃったみたい。ところでカイト、ユキの生足を見た感想は?」
「ぶふぉおっ!」
「リズっ!」
カイトは口の中にあった紅茶を盛大に吹き出し、思わず咳き込んでしまう。
一方のユキはリズの両肩を掴み、前後に大きく揺さぶっていた。そんな二人の反応が可笑しかったらしく、リズは御構い無しにお腹を押さえて大笑いしていた。
「ケホッ、ケホッ……と、ところでユキは何でここに?」
ひとまず話を逸らすため、カイトは話題の方向転換を試みた。格好は兎も角、来て彼女を見た時からずっと疑問に思っていたのだ。
「私はオフだから遊びに来ただけで……さっきのは自分で選んだ服じゃないからねっ! リズに渡されて、そのまま流れで――」
「わかってるよ。最初ユキにしては珍しいチョイスだと思ったけど、二人のやりとりを見てなんとなく察したから」
パーティーを組んでいた当時も彼女がギルドに入団して以降も私服姿を見る機会はあったので、ユキの趣向をカイトは大まかに理解しているつもりだ。
彼女は服に関していえば白や明るめの色合いを好む傾向にあり、暗い色や赤といった派手な色を好んで選ぶ事はほとんどない。
「そういうカイトこそ、何でリズのお店に?」
「オレは頼まれごとがあったから、この時間に待ち合わせてただけだよ」
「頼まれごと?」
「『インゴットの調達に行きたいから、フィールドへ同行して欲しい』ってメッセージが届いたんだよ」
リズは鍛冶屋であるが、武器を作成する際に必要なインゴットは基本自分で調達している。彼女は鍛冶屋であると同時にメイス使いであり、中層以下で戦闘する分にはソロでも問題ないレベルだ。しかし、少し前からフィールドの探索も少々物騒になってきていた。
その原因は犯罪者のオレンジプレイヤーにあった。フィールドに素材を採集しに出向いた鍛冶職人が殺されるという事件が多発し、大多数の職人プレイヤーは素材調達を自粛。リズのように戦闘が出来るプレイヤーも同様であり、そのせいで一時期は市場に流通するインゴットの相場が大幅に上がる時もあった。
といっても『自粛』とは一人で無闇に出向かない事を指し、他のプレイヤーとパーティーを組んで行くのは問題ない。自分の代わりに取ってきてもらうよう頼むのもありだが、素材やクエストによっては予期せぬ所で《鍛冶》スキルがないと手に入らない時も少なからず存在する。なので職人自らが素材の調達をする場合、戦闘が出来るパーティーに入れてもらい、フィールドに赴くといったやり方が定着しつつあった。
「そういうこと! 素材の調達に行きたいけど、何かと物騒でしょ? だからカイトに予め協力してくれるように頼んでたのよ。元々今日は店を閉めとくつもりだったし」
「……それなのにあの仕打ち?
「あはは……」
ユキのジト目に対してリズはあさっての方向を向き、乾いた笑いで誤魔化した。
「えーっと……一応確認だけど、行くのは51層でよかったよな?」
「それで合ってるわ。あと、呼んだのはもう一つ理由があるのよ」
「何それ?」
「借金の返済よ。この前オーダーメイドの依頼で纏まったお金が入ったから、カイトに借りた残りの分は今日で返すわ」
借金というのは、リズが家を買う際に借りたお金の事だ。
300万コルという果てしない金額を貯めるため、鍛冶屋の仕事を懸命にこなしていたが、彼女は自分以外にも家の購入を狙っているプレイヤーがいるのを知ってしまったのだ。
なので家の購入にいち早くこぎつけるため、彼女は知り合いに頼み込んで借金をしていた。お金を借りた相手の内、彼もその一人だ。
リズからのトレード申請により、カイトは彼女に貸した残りのコルを全額受け取った。
「結構早かったな。もっと掛かると思ったのに」
「こういうのは早いに越したことないし、キッチリしないとね。お金が原因で関係が
左手をヒラヒラと横に振ってさも当たり前のように言ってのけるが、これは彼女だからこそ出てくる言葉だ。リズのこういった真面目な性格は、仕事にも出ていた。
例えば《鍛治》スキルを持っている者が一定の間研磨すれば、誰でも簡単に剣の耐久値を回復させる事ぐらいは出来る。そのため、職人によっては流れ作業のように淡々と行う者も少なからず存在する。
だが、リズは単純作業の研磨でさえ毎回真剣な面持ちで取り組み、決して手を抜く事はしない。勿論剣の作成時も同様で、ハンマーでインゴットを打ち付ける時に見せる彼女は、まるで一回打つ度に心を込めるようだ。
仕事に妥協しない彼女だからこそ皆に信頼され、良い剣が出来る。もしかすると、彼女は職人クラス――――鍛治屋になるべくしてなったのかもしれない。
「それで話を戻すけど、51層の東にある鉱山に行きたいのよ。そこなら上質なインゴットが取れるし」
「あぁ、あそこか。たしかトラップ多発地帯らしいけど、大丈夫か?」
今回の目的地・51層の東にある《ウルグ鉱山》は、トラップの数が多いことで知られている。現段階で命に関わる悪質なトラップは確認されていないが、未発見のトラップがあるかもしれない。27層迷宮区にあった隠し扉のように……。
「大丈夫よ。あそこには以前行ったことがあるし、初めてって訳でもないから」
「それなら行ったことないオレよりは詳しいな。それじゃあ行くか。――っと、その前に、ユキはどうしたい?」
「へ?」
「オレとリズはこれから素材採集に行くけど、一緒に来るか? 折角のオフだから、無理にとは――」
「行く! 行きます! 行きたいです!」
「じゃあ決まりだな」
この後の予定も特にない上に、気心知れた相手からの誘いを断る理由がない。彼女はカイトの言葉に被せるようにして、行く意思を伝えた。
「ありがとね、ユキ。あたしとしては攻略組の二人が一緒だと心強いわ」
「そう言ってもらえると私も嬉しいよ。51層の鉱山もそうだけど、リズと一緒にフィールド行くのも初めてだし、なんだか新鮮かも」
「そう言えばそうね。この前の温泉みたいなのはあるけど、一緒に狩りは何気に初だわ。じゃあ今度はアスナも誘って行く?」
「おぉ、良いね! 帰ったらアスナにも伝えとくよ」
いつの間にやらユキの機嫌も戻っている。どうやら先の出来事は見た目ほど怒っていなかったらしい。
「ユキ、リズ。早速転移門まで行こう」
椅子から立ち上がったカイトは二人に促す。それを聞いたユキとリズは装備を整え、三人一緒に店をあとにした。
扉が閉まると、今まで明るく賑やかだった店内が暗く静まり返る。
展示されている武器の数々は佇んだまま黙って見送り、店主達の帰りを待つのであった。
リズベット武具店の日常編。次話でフィールドダンジョンに赴きます。