扉一枚を挟んで廊下に立っていたのは、一人の男性プレイヤーだった。
紺色の和装スーツを着た長身で細身の男。アイテムで染めた赤い髪、きりっとした眼と彫りが深い顔が特徴で、背中には両手剣を背負っていた。はっきりいってイケメンに分類される男の第一声は、待ち合わせに遅れたことに対する謝罪の言葉だった。
「すまない! 遅れてしまった!」
男の様子からして、ここまで走ってきたことが伺えた――といっても、現実と違って仮想の肉体は本当の意味で息が上がることはないのだが。
「問題ないヨ。ちょっとした余興がみれて退屈はしなかったからネ。とりあえず座りなヨ」
男性プレイヤーは何のことかわかっていない様子だったが、言われた通りにアルゴが用意した椅子に腰掛ける。
「さっき言ってたイーちゃんの連れ、ジュリウスだヨ」
「ジュリウスだ。……ところで――」
ジュリウスはカイトの隣で座っているユキを見た。彼に言わせれば無関係な人物がこの場にいるようなものであり、先程まで繰り広げていた押し問答を聞いていなければ事情を飲み込めないだろう。
「あぁ、今回協力してくれる事になった《血盟騎士団》の――」
「やっぱり!」
興奮気味の彼が椅子から立ち上がり、丸テーブルに手をついて前のめりになった。
「俺、ヒースクリフさんの大ファンでさ! 今はまだ力不足だけど、いつか《血盟騎士団》に入団したいと思ってるんだよね」
「そ、そうなんですか……」
「まさかこんな所で攻略組トップギルドの人と繋がりが持てるなんて、感激だなぁ〜」
丸テーブルから手を放すと、右手を差し出して握手をせがんできた。ユキも手を出して握手をすると、ジュリウスは両手で包むようにして彼女の手を握る。それを見ていたカイトの眉間に縦じわが寄る。
「ジュリウス、止めなさい。彼女も困っているでしょう? すいません、彼は攻略組の方達に憧れているので、つい」
隣で座っていたイリスがジュリウスを制した。服の裾を掴んで軽く引っ張り、制止の信号を発する。それに気付いたジュリウスは再び腰を下ろしたが、未だ興奮冷めやらぬ状態だった。
「オホン……それじゃあ揃った事だし、話してもらおうかナ?」
咳払いを一つ。
アルゴの一言でフラットな空気が一変し、静まる。
「あぁ。その前に二人共《仮面の男》については知っているのか?」
「はい、さっきアルゴから聞きました。もっと言えば、ジュリウスさん達の仲間が昨日そいつに殺された事までは」
「……そっか、それなら少し説明の手間が省けるな」
『殺された』というカイトの発言で二人は一瞬悲しげな表情を見せたが、ジュリウスはすぐに気持ちを切り替えた。
「俺とイリスと殺された仲間――ヘンリーはこのゲームが始まってからずっと一緒でさ、今まで中層から最前線付近の上層を中心に生活していたんだ。いつか三人で攻略組を目指そうって。……でも昨日の朝、いつものように主街区からフィールドへ出向いた直後、あいつ――《仮面の男》が現れたんだ」
隣に座っているイリスは太ももの上で拳を強く握った。ジュリウスは話を続ける。
「《仮面の男》は真っ先にヘンリーを狙って殺しにかかった。当然俺達二人は助けるために動いたが、手も足も出なかったよ。三人同時に相手してるにも関わらず、《仮面の男》は赤子の手を捻るようにいなしやがったんだ……あの瞬間ほど自分の力不足を呪った時はないね……。そうして俺達はなす術もなく、ヘンリーは殺されたんだ」
唇を真一文字に結び、怒りを露わにする。歯ぎしりが聞こえてきそうなほどだった。イリスも右手の親指の爪を噛み、悔しさを隠すことなく仕草で表していた。
「情けない話だが、今の俺達では逆立ちしたって奴に勝てやしない。だから力を貸して欲しい。奴を牢獄に入れてくれ!」
悲痛な面持ちで年下のカイトに頼み事をする彼の姿から、本気度が伺える。長年連れ添った友の運命を捻じ曲げられず、その悔しさを憎き対象にぶつけて解消することも叶わない。
「……事情はわかりました。断るつもりはないから安心して下さい。ただ、幾つか質問があります」
「あぁ、なんでも聞いてくれ」
「まず《仮面の男》が使ってた装備を知りたい。武器とか、防具とか」
「武器は短剣を使ってたな。切られてもなんともなかったから、刃に毒は塗ってない筈だ。それと防具は……イリス、何かわかるか?」
ジュリウスは不意に隣のイリスへ話を振った。
「いいえ、わからないわ。真っ黒なローブを羽織ってたから、その下にある装備は全く見えなかったもの。ただプレートアーマーといった重い装備を着けていることはないわね。動きが軽やかだったから、革製の装備か軽金属装備かもしれない」
「それだけわかれば十分です。じゃあ次の質問ですけど、殺したあとに何か残していきませんでしたか?」
「あるよ。紙切れを一枚、その場に投げ捨てていったんだ。ちょっと待ってくれ」
そう言ってメニュー操作をして現れたのは、事前に聞いていたアルゴ製のガイドペーパーだった。それを机の上に差し出し、カイト達に見えるよう向きを整えると、ユキがすかさず聞いてきた。
「これって実際の物ですよね?」
「そうだよ。何かの手掛かりになると思って、ストレージにしまっておいたんだ」
「……アルゴ、何かおかしな所はないか?」
製作者なら小さな違いでも気付きやすい。そう思ったカイトがアルゴに意見を求めたが、期待した答えは返ってこなかった。
「……イヤ、何か細工を施したような形跡はないナ。オレっちが書いた情報と一字一句一緒だし、それに――」
アルゴはガイドペーパーを頭上に掲げ、部屋の天井に設置されている電球にかざす。すると透かした紙の右隅に見慣れない三本ヒゲのマークが浮き出てきた。
「このマークが出てくるって事は、こいつの製作者は間違いなくオレっちダ。こいつは誰かがオレっちの真似事をしてデタラメな情報を拡散しないように施した、一目で《鼠》製だと分かる特別なマークだからナ」
「お前そんな事してたのか。随分用意周到だな」
「《情報屋》は信用が命だからナ〜。以前オレっちの名を語ってデマを拡散した不届き者もいた事だし、それ用の対策も兼ねているんだヨ」
とりあえず紙に細工がないとわかり、机の上に戻す。
「今度は41層のか…………というかこの階層じゃん」
「はい。実はこの後、手掛かりになりそうな物がないかを調べてほしいんです。《仮面の男》は殺しを働いた後に必ず、このガイドペーパーを残していくと聞きました。もしかしたら何か意味があるかもしれませんし、この41層でヒントが見つかる可能性だって……勿論私達も手伝います!」
元々は集まって話をした後、移動による時間のロスを少しでも減らすために、集合場所を41層に指定したらしい。
そして遅れた理由は調査範囲を少しでも狭めるため、昨日の夕方から今朝にかけ、主街区全体を手分けして二人で調べていたらしい。1層の《はじまりの街》程ではないが、41層の主街区も十分広い筈だ。
「主街区は一通り調べました。なのでこれから別の場所――他の圏内村で聞き込み等の調査をしようと思っているんですが、いいでしょうか?」
「オレとユキはいいけど、二人は大丈夫ですか? 少し休むべきじゃ?」
「いいえ、やらせて下さい。私達はいてもたってもいられないんです。全て任せっきりにする訳にはいきません」
何もしないでジッとしているのではなく、何かをして一矢報いたいと思っているのだろう。イリスの口調からは強い意思が感じとれた。
「カイト、本人がこう言っているんだし」
「……まぁ、調べるだけなら。……じゃあ最後の質問です。35層で被害にあったと言ってましたけど、普段からその付近の階層で活動を?」
「いや、昨日は強化素材の採集を目的に行っただけで、普段はもっと上の階層だ。最近は主に50層で狩りをしている」
現在の最前線は59層。50層で戦えるだけのレベルがあるということは、安全マージンを十分に取っているとするならレベル60は堅い。実力的には中層でも上の、準攻略組クラスだろう。その三人を相手にできるということは、《仮面の男》は攻略組クラスの実力を持っているのが伺える。
「わかりました。《仮面の男》に繋がる手掛かりはそのガイドペーパーだけですし、それを頼りに調べましょう。何かのヒントかもしれないし……。とりあえずまだ日が暮れるまで時間もあるから、隣の圏内村に行きますか?」
「よし、善は急げだ。早速行こう――――っとその前に、よかったらこの機会にフレンド登録してくれないか?」
ジュリウスがそういってカイトに話を持ち出し、快く了承した。登録を済ませたジュンは満足げな顔で礼を述べ、部屋から出る。
「それじゃあよろしくね、《掃除屋》さん」
イリスはカイトの手をとると、両手で包み込むようにして握りしめた。大きな瞳と美しい美貌に魅せられ、カイトは直視できずに視線を外す。
「い、いやいや、お礼をいうのは早いですよ。それにその呼び方は慣れていないんで、ネーム呼び捨てでもいいです!」
「そう? じゃあカイト君って呼ばせてもらうわね」
「……イリスさん、そろそろ手を離してもいいんじゃないんですか? カイトが困ってます」
「あっ、ごめんなさい。つい」
ユキの物言いでイリスはいつまでもカイトの手を握っていることに気付き、手を離す。そして部屋の扉へと向かっていたジュリウスの後ろについていくように、彼女も身を翻して部屋の外に出た。
「じゃあアルゴ、情報収集は任せた。こっちもこっちで調べるから」
「アイヨ。何か進展があればメッセージを飛ばすから、そっちも何かわかったら飛ばしてくレ」
カイト達は独自に調査するため、アルゴと別行動を開始。現在四人は主街区の《インベル》から東フィールドに出て、隣村へと移動していた。
ジュリウスとイリスが先頭を歩き、カイトとユキは二人の少し後ろをついて歩く。
「カイトってさ、イリスさんみたいな人がタイプなの?」
「突然なに?」
前を歩く二人には聞こえないように、ユキが不可解な質問内容をカイトに投げかけた。意図が理解できず、カイトは質問に質問で返してしまう。
「だってイリスさんの事ず〜っと見てるし」
「そりゃあ、ただでさえアインクラッドは女性プレイヤーが少ないのに、あんな綺麗な人だったら誰でも見惚れるだろ? しかも清楚で上品だし、きっと
「……何よ、デレデレしちゃって」
「……なんで怒ってるの?」
「怒ってないもん!」
感情が昂ぶったせいか、ユキは大声をあげる。前を歩いていた二人の背中がビクッと動き、何事かと振り返った。
「どうしたんだ? 急に大声だして」
「もしかして喧嘩ですか?」
「い、いえ。気にしないで下さい」
「…………」
ユキは膨れっ面でそっぽを向いてしまった。彼女の心中を理解できない他三人からすれば、何が彼女を不機嫌にさせているのかわからないのも無理はない。少なくともユキの反応がおかしくなったのはカイトとの会話からであるのは間違いなかった。
「なぁ、もしオレが何か気に障るような事を言ったんなら謝るよ」
「……ううん、別にそういう訳じゃないから。気にしないで」
ユキが何に対して怒っているのかわからず、カイトは頭を捻る。
一方のユキは自身の醜い嫉妬心に似た感情から八つ当たりしてしまったことで、自己嫌悪に陥っていた。
確かにイリスは美人だ。同性のユキからみてもそう思うのだから、異性であれば当然に同様の感想を抱くだろう。頭ではそうわかっていても、実際に本人から口にだして言われ、つい口調が強くなってしまった。
(私はあんな風になれないだろうなぁ)
言葉遣いは丁寧で大人しく、品の良さがごく自然に出てしまっている。カイトが『お嬢様』と評したのは言い得て妙だ。
「ねぇ、もう一個聞いてもいい?」
「今度は何?」
「カイトは髪が長い女の子ってどう思う? 例えばイリスさんぐらいの長さとか」
「そうだな……嫌いじゃないよ。大人っぽくて良いと思う」
「ふ〜ん」
カイトの意見を聞いたユキが毛先をいじる。
SAOは髪の色をアイテムで変えることはできるが、髪の長さは変えられない。故にプレイヤーの髪は散髪する必要性がないので楽といえば楽だ。しかし、髪を伸ばしたいと思っている人には不便に感じる時もある。例えば、今の彼女とか――。
そして毛先をいじりだしたユキをみて、カイトは一つだけ彼女の考えがわかった。
「髪、伸ばしたいの?」
「う〜ん、まだわかんない。
「別に無理に伸ばさなくていいんじゃないか? ユキはユキだろ? そのままでいいよ」
「そのまま?」
「今の髪型だって十分似合ってるぞ、ってこと」
毛先をいじっていた手を止め、隣にいるカイトに視線を移した。「そのままでいい」という言葉が不思議と心に響き、胸の高鳴りで鼓動が早まる。顔の向きを再び前に戻した。
「そっか……エヘヘ」
顔が自然とほころび、とろけるような甘い笑顏を抑えられなかった。そんな彼女のころころと変化する表情を眺め、またもや彼は不思議そうな顔を浮かべる。頭上にクエスチョンマークが表われてもおかしくないほどに。
(機嫌が戻った……本当に訳がわからん)
ついさっきまで不機嫌だった顔が180度変化する。モンスターの動きやプレイヤーの動きは読めても、乙女心は未だ完全には読めなかった。たとえ気心知れた彼女でもそれは変わらず、対モンスター・プレイヤー戦闘の経験値は高くても、そういった事にはまだまだ修練が必要そうだ。
(女心はさっぱり――)
などと考えていると、カイトがモンスターの襲撃に備えて展開していた《索敵》スキルに反応がみられた。ただし捉えたのはモンスターではなく、プレイヤーの反応が一つ。歩んでいた足をとめた。
「どうしたの?」
「誰か来る……」
《索敵》スキルを上げていない他三人は何が何やらわかっていない。立ち止まってカイトを見ると、前方を真っ直ぐ見据えていた。つられて全員が視線を前に移す。
反応は彼らを出迎えるかのように、進行方向からだった。物陰から姿を現したプレイヤーはカイトが数パーセントの可能性を考えていた、今探している最も会いたいが会いたくない人物――――《仮面の男》だった。
外見は事前情報通り、真っ黒なローブを羽織って白い仮面をつけている。ローブの右袖から覗くのは鮮やかな藍色をした短剣カテゴリーの武器。そして最も目を引いたのは、HPバーの上に存在するギルドアイコン。
「《
それはアインクラッド最凶最悪の殺人ギルド《笑う棺桶《ラフィン・コフィン》》に所属している証だった。
《仮面の男》は四人の前に立ったまま、一言も発せずに沈黙を貫く。それだけで背中にゾクリとした寒気が走った。
「あ、あの人がそうです!」
イリスは《仮面の男》を指差し、震える声でそう告げる。
カイトとユキの二人はジュリウスとイリスの前に立って剣を引き抜くと、彼らを守るようにして《仮面の男》と相対した。
「……二人とも、ここは私達に任せて逃げて下さい。転移結晶は持ってますよね?」
「なっ! 君達を置いていけっていうのか!?」
「あいつとの実力差は身をもって体感したんでしょう? だからここは大人しく――」
カイトの言葉が最後まで紡がれる前に、《仮面の男》が突如動き出す。
真っ直ぐユキに突進して右から左への水平切りを繰り出すが、彼女は剣で受け止める。その一瞬の隙をカイトが突くが、《仮面の男》は後ろに跳んで即座に距離をとった。剣先はHPを削るには至らず、ローブを掠める程度で終わる。
「早く! 今のうちに!」
「わ、わかった」
カイトとユキは《仮面の男》との距離を詰めるために前進。対して相手も迎え撃つかのように突っ込んできた。
カイトに促された二人は腰のアイテムポーチから転移結晶を取り出し、転移の準備をする。しかし敵はそれを良しとしなかった。
カイトの片手剣基本突進技《レイジスパイク》とユキの短剣基本突進技《エルムバイト》が始動する直前、《仮面の男》は二人を飛び越えるようにして跳躍。気付いた時には既にソードスキルが始動し、キャンセルできない絶妙なタイミングで回避された。
二人を飛び越えた《仮面の男》は
それに加え、投げナイフの内一本の毒々しい色をした方がジュリウスの首筋に当たり、ナイフに付加されていた麻痺毒が彼の身体の自由を奪う。
「く……っそ!」
短い技後硬直から解放された二人は身を翻し、二人の救出を試みるために走る。だが、彼らの足元で敵が残した置き土産が作動した。
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
足元で炸裂したのは周囲の景色を霞ませるほどの強い閃光。
鼓膜に響くのは聴力を奪うほどの大音響。
その正体は《スタングレネード》。
死角からの眩い光と音に対応できず、二人の視力と聴力を一時的にではあるが奪う。目と耳を奪われた二人は周囲の状況を知る術を失い、頭を抱えてその場に立ち尽くした。
スタングレネードが炸裂する直前に確認できたのは、ジュリウスが麻痺に陥る姿。
麻痺状態の彼を痛めつけているのか。
あるいはイリスが彼を庇って交戦中なのか。
はたまた三人の手助けを封じ、イリスの殺害を試みているのか。
カイト達が現状を把握することは叶わない。
(クソッ、まだか――)
スタングレネードの効果は合計で一律10秒に設定されている。だがこの緊迫した状況では10秒という時間はあまりに長く、目の見えない・耳の聞こえない状態で突っ込んだ所で何の役にも立ちはしない。カイトとユキの二人はその場で状態異常の回復を待つしか出来なかった。
――カシャンッ
スタングレネードの効果が切れ始めるタイミングを図ったかのように、聞き慣れた破砕音が響く。白んだ景色が徐々に色を取り戻し、嫌な予感が外れていることを祈って前方を見渡した。
ジュリウスは地面に伏して存命しているが、イリスの姿が何処にも見当たらない。代わりに映ったのはキラキラと輝くポリゴン片であり、その二つの事象だけで彼らはイリスの運命を悟った。
補足
今作のスタングレネードはプレイヤーの感覚麻痺時間が6秒、そこから自然回復で感覚の完全回復が4秒、合計10秒となっています。なので自然回復中の間は視覚・聴覚共に働き始めてはいるので、周囲の状況を『なんとなく』は掴める状態です。
やっと話が動き出した……。
4章の展開はこんな感じでスローペースとなります。