街灯のないフィールドを月明かりが照らす。
対峙する両者の間にはピリピリとした空気が張り詰めていた。一見すると脱力した状態に見えるが、意識は眼前に佇む己の敵に向けたまま、緊張の糸を緩めることはしない。相手が剣に手を伸ばせば、いつでも抜けるよう準備していた。
そして二人を取り巻く空気とは真逆の、フワフワとした軽い口調でイリスが話を切り出す。
「君の事を少し見誤ってたよ。中々鋭い洞察力を持ってるみたいね」
「……ヒントはあったし、手掛かりを集めたのはアルゴだ。それらを纏めて考えたら、運良く閃いただけだよ。……それにしても、何で知ってるんだよ?」
「ラフコフお抱えの情報屋を使ってるからね。君達二人の行動は全部把握しているよ? 君の《索敵》スキルは結構高いみたいだけど、《隠密行動》スキルと《忍び足》スキルを
口元に手を添えて静かに笑う。
会話も行動も全て筒抜け。どうやら気付かぬうちに、監視兼伝令役がずっと二人に張り付いていたらしい。
カイトの《索敵》スキル熟練度は980である。壁の向こう側にいる人数を把握できる程に高いが、
「随分気楽に話してくれるんだな。何? もう観念したの?」
「まさか。今から死ぬ人に話しても問題ないと思っただけよ。なんなら他の質問にも答えてあげる。でもその前に――」
イリスの左手が後ろ腰に指してある短剣へと伸びる。それを見たカイトも背中の剣に手を伸ばし、戦闘準備に入った。
「口でのお喋りも良いけど…………まずは剣でお話ししようよ!」
刹那、イリスが腰の短剣を引き抜いて駆け出し、距離を詰めにきた。カイトは背中の剣を抜いて構えると、戦闘態勢に移る。
初撃の頭部を狙った水平切りをカイトはしゃがむことで回避し、手に持った剣で下段からの切り上げを繰り出す。だがイリスは即座に剣の軌道を変え、切り上げを短剣で上から抑え込んだ。しかしステータスの差ゆえか、カイトの剣がジワジワと彼女の身体に迫る。仕方なくイリスは斜め右後ろに飛び退き、一時後退を図った。
「逃がすか」
今度はカイトから距離を詰める。バックステップで左右にテンポ良く後退するイリスを追うが、突如彼女は今迄よりも大きく飛び退いた。ふっと口元が緩むのをカイトの目が捉えた時、彼の足元から奇襲がかけられる。
「――――っ!」
右足が地面に接地した瞬間、強烈な爆音と爆風が彼の身体を襲った。HPの減少と共に身体は吹き飛ばされ、草の上の絨毯に背中から勢いよくダイブする。
「アハハ。敵が呼び出した場所なんだから、罠の可能性ぐらい考慮しとこうよ。前の戦いでなんとなく予想はついてたでしょう?」
天を仰ぐカイトの姿を嘲笑うかのように、イリスは小馬鹿にした表情と口調で見下す。
彼を吹き飛ばしたのは埋設式爆風地雷の一種。一定の圧がかかると起爆し、爆風で相手にダメージを与える代物だった。大きさは小さくカモフラージュしてあったため、存在に気付けなかったのもあるが、彼女がその場所まで誘導していたことに直前までわからなかった。
ただ衝撃と威力は比例していないらしく、HPは余裕で
「……ジュリウスさんは金で雇ったのか? ……殺す必要はなかったんじゃないか?」
「早速質問? いいよいいよ、わかんない事は何でも訊いて。……そうね。君の言うとおり、彼は金で雇ったプレイヤーよ。前金と後払いを合わせた30万コルをチラつかせたら、すぐ話にのってきたわ。ただ『殺す必要があったのか?』と言われれば、答えは当然Yesよ」
イリスは短剣を手の中で回して遊び始めた。
「当初の予定だと、彼には『《ジャックバーン》の西フィールドまで君達二人を誘導し、その後死亡偽装で離脱。成功したら報酬を渡す』って伝えてあったわ。つまり、彼は死亡偽装トリックのカラクリを知ってたのよ。もしかしたら報酬を受け取った後で君達に話す可能性もあったし、最悪それをネタに私を揺すって金をせびろうとしてきたかもしれないわね。……それに彼は君の現在地を私に知らせるもう一人の監視役として、フレンド登録もさせていた。もしもカイト君がなにかの拍子でフレンドリストを見た時、ジュリウスの名前が生存を示していたらおかしいでしょう? どのみち殺す必要性があったのよ」
さも当然のようにイリスは淡々と話す。どうやらジュリウスは殺される直前まで、自分もターゲットの一人とは思っていなかったのだろう。
「この素敵なショーを、私のためだけに考えてくれた
「……やっぱ最初からオレ狙いだったのか」
両手を広げてニッコリと微笑むイリスだが、表情とは裏腹に発言内容は穏やかでない。
そして11番目のターゲットとなる『K』のイニシャルを持つプレイヤー。彼女は最初から、カイトに狙いを定めて接触してきた。
「まあね。君に限らず、順を追ったターゲットは予め『ラフコフにとって害悪なプレイヤーを優先』って決めてあるの。カイト君は下っ端とはいえ、ラフコフメンバーを牢獄送りにした経緯もあるし……」
広げていた両手を下ろし、左手を前に伸ばす。短剣を手の中で回転させ、切っ先をカイトに向けた。
「少し余計な事まで喋りすぎちゃったかな? それじゃあ……再開しようか」
イリスが膝を曲げて腰を低くすると、次の瞬間には風を切るかの如く駆け出していた。剣を後ろに引き、一瞬見失ってしまう程の速さを秘めた短剣単発ソードスキル《セイド・ピアース》による突き攻撃が、カイトの顔目掛けて一直線に伸びる。煌めく剣閃が湿気った空気を切り裂いた。
以前の戦闘で味わった《
顔・首筋・肩といった上半身に剣閃を散らし、いくつもの光線が光っては消え、光っては消えを繰り返す。それはイリスの左手を起点にして流れる、数多の流星群のよう。直接的なヒットは一つもないが、カイトの身体には剣が肌を掠めた事を示す、いくつものダメージエフェクトが表れていた。
「くっ」
イリスの猛攻から逃れるため、カイトは大きくバックステップで離脱――――と同時に、剣を引いて構えをとった。当然彼女は後を追うが、開いた距離を突進技で瞬時に詰めようとする。
イリスの短剣基本突進技《エルムバイト》の発動時にカイトの足が着地。ワンテンポ遅れて繰り出した片手剣基本突進技《レイジスパイク》により、切っ先同士が引かれ合うように吸い込まれ、接触。ペールブルーとペールアイリスの剣が衝突して甲高い音を響かせると、両者共に弾かれた衝撃で仰け反り、胴体がガラ空きになった。
衝撃から立ち直ったカイトは剣を上段から振り下ろし、イリスは中段からの薙ぎ払いで応戦。剣戟は鍔迫り合いに移行するが、カイトがジリジリと押し返す。
「力比べは君に分があるみたいだね。……でも――」
イリスの手首からふっと力が抜け、短剣の角度が斜めに傾く。カイトの片手剣が彼女の剣の刀身を滑り、軌道がイリスの右脇を通った。
前のめりになったカイトの身体――――首筋目掛けてカウンター気味に水平切りを繰り出す。右総頸動脈を狙った剣は彼の首筋を掻き切り、赤いダメージエフェクトが散った。
そしてイリスはカイトと横並びになった次の瞬間、彼の身体を突き飛ばすようにタックルをかます。タックルによって押し出されたカイトの身体は真横に移動したが、再び仕掛けてあった罠によって爆風が彼を襲う。いよいよHPが半分を切った。
ダメージを喰らって吹き飛ばされながらも、カイトは腰のホルダーからピックを取り出し、彼女目掛けて投擲。しかし肩口に刺さったピックは狙い通りの役目を果たさず、微量にHPを削る程度の役目しか果たさなかった。
「無駄よ。君と殺し合うんだから、耐毒ポーションは当然摂取済み。小細工なしで来なさい」
「……だったらそっちこそ小細工なしでこいよ。こんなんじゃ、ここら辺一帯でおちおち散歩も出来ないぞ」
「都合の良い事を言うようだけど、そこは目を瞑ってほしいわね。君とまともに殺り合ったら、実力差が出るのは自明の理。それを少しでも埋めるために、こっちも色々と工夫しているのよ」
イリスは肩に刺さったピックを鬱陶しそうに引き抜き、地面に投げ捨てた。
「死亡偽装もその一つ。目の前で人が死ぬ光景は、多かれ少なかれ人の精神面に影響を及ぼすわ。特にあなたみたいな気の優しいお子ちゃまは。……君の心に揺さぶりをかけられればって思ったけど、どうもそっちはあまり意味をなさなかったみたいね」
これまでの戦闘から彼女の実力は高いことが伺えるが、『念には念を』なのだろう。SAOの最前線で戦うプレイヤーをより確実に殺傷するため、彼女なりの工夫を凝らしているらしい。
「それでもこっちは効果アリ、って感じみたいね。どう? 何処に潜んでいるのかわからないっていうのも、中々気が散るものでしょう?」
イリスの仕掛けた地雷はカイトにダメージを与える役目もあるが、本質は別。やはり、こちらも精神面に作用させるのが目的だった。
トラップは敵に気付かれないよう忍ばせるのが一般的だが、それは仕掛けたのが一つや二つといった少数の場合だ。彼女が選んだステージは広さも申し分なく、多数のトラップを仕込むにはうってつけの場所だった。敢えてまだ多くのトラップがあるのをそれとなく悟らせることで、カイトの行動範囲を自然と狭める。起爆直後は歴戦の猛者でも必ず一瞬は怯み、隙を与えてしまうものだ。
幸いにもイリスは未だその隙を狙って追撃をかましてはいないが、頃合いをみて一気に畳み掛ける可能性が無きにしも非ず。彼は自分から動いて下手にチャンスを与えるよりも、イリスが動くのを待って戦うのを選んだ。
「それにしても気のせいかな? さっきから全然殺る気が感じられないんだけど」
「……依頼内容は『牢獄に入れてくれ』だ。あんたを殺すのが目的じゃない」
「律儀だね」
呆れ顔でイリスは苦笑する。
「でもすぐにそんな余裕はなくなるよ」
表情が一変し、険しくなった。
イリスが右手で自身の黒いロングスカートを払うと、彼女の白い太ももが露わになる。カイトは思わず目を引かれるが、その対象は太ももではなく、太ももに巻きつけられたピックホルダーだった。
右手でホルダーからピックを抜くと疾走し、走りながら牽制でカイトの胴体目掛けて投擲する。投げられたピックをカイトは剣の腹で弾いて防ぎ、すぐにイリスを迎え撃つ体制に入った。
弾き、防ぎ、いなし、そして躱す。剣と剣がぶつかる度に音を散らし、相手の剣だけでなく、手の動き・姿勢・視線から次の動作を予測して動く。純粋な剣技の応酬ともなれば力の天秤はカイトに傾き、イリスの身体を掠めてHPを削る。彼女の命をギリギリまで追い込み、自ら投降するように仕向けるしかないと考えた。
「はあぁぁぁぁあ!」
「やあぁぁぁぁあ!」
しかし悲しいかな。現実はそう甘くはなく、簡単にはいかない。イリスはややおされているものの、なんとかカイトと切り結ぶ程度に善戦していた。故に彼女のHPを削るのは容易ではない。
そしてあろうことか、イリスは隙をみつけて反撃にも転ずる。短剣使用者が得意とする連続攻撃の中にフェイントも交え、カイトが引っかかった所で腕を切り裂く。部位欠損とまではいかなかったが、腕の中を異物が通過した感覚が走り、彼は顔を歪めた。
「――――っ」
この一撃によって半分をきってからも減少を続けたカイトのHPが、イリスよりも先に
「チェックメイトよ」
掌で覆うようにして持っていたのは、先程と同じピック。彼女は太もものホルダーからピックを抜き取った際、牽制用に使った一本とは別にもう一本隠し持っていた。
「奥の手はここぞという時に使う物。先端には最高級の猛毒が塗ってあるけど、君の赤く染まったHPなら何秒で空に出来るかな? 勿論、ポーションも結晶アイテムも使わせるつもりはないわ」
麻痺毒ならまだしも、HPを削るタイプの毒を防ぐ《耐毒》スキルをカイトは持ち合わせていない。喉元からわずか数センチの位置にある細いピックだけで、不動の姿勢を強いられた。
「いい子ね。じゃあ剣をその場に落として、両手を上げてもらえる?」
ニッコリと微笑むイリスの言う通りにし、カイトは右手に握った剣を力なく地面に落とす。そして両手を頭と同じ高さに上げ、無防備な状態となった。
「中々手強かったけど、これが『人を殺すための戦い方』と『人を生かすための戦い方』の絶対的な差。君の甘ちゃんなやり方じゃ、有象無象のオレンジ共に通用したとしても、ラフコフのプレイヤーには通用しないの」
「……そう言われて『はい、そうですね』なーんて素直に受け入れる気はないから」
「この後に及んで強情ね」
「ユキの頑固さが
まるで追い込まれていると感じさせないような余裕。
冗談めかして話すカイトの態度には恐怖も焦りもなく、イリスは敵ながら肝の据わりように感心してしまった。
「初めて会った時にも思ったけど、カイト君は本当に面白いわ」
クスクスと静かに上品な笑みをこぼす。それは嘘や作り笑いではなく、本心からくる正直な言葉と表情だった。
「それにしても強いな、イリスさんは。ラフコフなのが勿体無いぐらいだよ」
「あら、現役の攻略組にそう言ってもらえるなんて光栄ね。昔から地道にコツコツやるのは嫌いじゃないから、この世界で生き抜くためなら何でもやったわ」
「……これもその一つ?」
イリスの目を見つめたまま、カイトは毅然とした態度を崩さない。そんな彼に負けじと、イリスも見つめ返した。
「……えぇ、そうよ。私はあの人に――PoHに救われたの。あの人のためならなんだってするわ」
「へぇ……まさか殺人ギルドのリーダーに、人助けの過去があったなんてね。《情報屋》が知ったら面白いネタとして扱いそうだ」
「……言い方に語弊があったわね。PoHが行ったのはあなたの考えるようなものじゃないわ」
イリスは懐かしむように、己の半生を語り出す。
「私はね、今まで両親の敷いたレールの上をなぞっていくだけの、つまらない人生を送ってきたの。当時はそれが最高で最善の選択だと、信じてやまなかった。……でも、いい加減疲れてきちゃってね。毎日勉強して、レッスンを受けて……そんな娯楽を挟む余地が一切なかった日常の息抜きにと思って、SAOを手に入れたわ。まさかあの時はこんな事になると思わなかったけど……」
淡々と語る彼女の話に、カイトはつい聞き入ってしまう。彼女が歩んできた道のりの一片を、彼は今垣間見ていた。
「最初の1ヶ月はずっと《はじまりの街》に篭る生活をしてたけど、所持金が底を尽き始めたから、仕方なくフィールドに出たの。それから暫くして一人の男性プレイヤーと出会って、ゲームの知識に乏しい私のために、彼は色んな事を教えてくれた。……少なくとも良いコンビだと、
ここにきてイリスの顔が曇る。表情と言動から、この先彼女が語る内容の大筋をカイトは察した。一言で表すのなら、それはおそらく、彼女の信頼を裏切る行為。
「ラフコフ結成を大々的に行った3ヶ月前、いつものように迷宮区で彼と狩りをしていたわ。そして人気の少ない奥の安全地帯で休もうとした時、不意に私の身体はバランスを崩してその場に倒れたの。一体何が起こったのかわからなかったけど、答えは簡単だった。……背後にいた彼が、私の足を刈りとったのよ」
足を切断することによる部位欠損は、ペナルティーとしてプレイヤーの移動制限が発生する。イリスのいう『彼』の狙いは、足を使った逃走手段を封じることだったのだろう。
「死ぬ一歩手前までHPを削られた私は、装備の全解除を強要されたわ。私はその時になってようやく気付いたの。彼の中に潜んでいた、獰猛な野獣の姿を……一体いつからいたのか、今となっては検討もつかないけどね」
イリスの顔にかかっていた雲が濃さを増す。彼女の持つピックが小刻みに震え出した。
「必死の懇願を彼は受け入れてくれなかった。死にたくない一心で仕方なく、私は女性としての辱めを受ける決心をしたの。そんな絶望的状況に陥ろうとした時、現れたのがPoHよ」
話を静かに聞いていたカイトの心に、ある感情と考えが芽生え始めた。
「――といっても、最初はPKに使う獲物としてしか見ていなかったらしいけど。……PoHが彼を痛めつけている最中、私の中にはフツフツと憎悪が湧き上がっていたわ。今までの信頼を一瞬にして踏みにじった彼を、私は許す事が出来ず、気付いた時にはダガーを彼の胸元へ突き立てていたの。それが私の初めて犯した殺人の瞬間……そしてそれを見たPoHが、私の中にあるオレンジの才覚を見出した」
数ヶ月に渡る思い出を、ほんの僅かな時間に見えた卑しい感情が、それらを上書きしてしまう。信頼を築くのは時間が掛かり難しい一方、崩すのは一瞬で容易い。
信じていた人からの裏切りが、彼女の奥底にある黒い感情を呼び起こす引き金だった。
「PoHはこの世界で生き抜くための術を知っていると直感したわ。私はそれを学ぶために、彼の後をずっとついて行っている。……私は知りたい。彼が考えている事と見ている景色を、彼と同じ目線で知りたいの」
回顧を終え、力のこもった眼差しを向ける。
ピックを持つ手の震えは止まり、左手のダガーもカイトの首筋へ添える。
武器は既に手放しており、両手は掌をイリスに向けてタネも仕掛けもないことを主張。
それでも尚、彼の表情は崩れない。
それが彼女を苛立たせた。
「――ッ、何よ……なんなのよ! あなた自分の状況わかってるの?! 君の命は、最早私の匙加減一つでどうとでもなるのよ! 右でも左でも、ちょっと手を動かせばあっという間にゲームオーバー……死ぬのよ、怖くないの?!」
これまで平静を保ってきたイリスが、初めてカイトを罵倒して感情をぶつける。
そんな彼女の疑問を無視し、彼はこれまでの話から判明した、一つの結論を突きつけた。
「……少し考えてたんだけど、イリスさんは悪人に向いてないよ」
「どういう――」
意味がわからず訊き返したイリスの言葉を遮り、カイトは口を開いた。
「ヒール」