セットしておいたアラームがけたたましく鳴り響き、音で頭を揺さぶられた彼女は目を覚ました。
自室の寝室でボーッと仰向けのまま天井を仰いでいると、上に持ち上げられた瞼が重みを増し、再び光を遮断しようとする。だが襲ってくる眠気に抵抗し、姿勢をうつ伏せに変えて枕に顔をうずめた。
「ん〜〜〜〜…………」
それでも睡魔は襲ってくる。
いっそのこと受け入れて二度寝でもしようかと考えたが、今日は朝から迷宮区の探索が予定に入っているのだ。もしも寝過ごして他の三人に迷惑でもかけようものなら、申し訳が立たない。彼女は意を決した。
「――っ!」
少しだけ反動をつけてうずめていた顔を枕から離し、寝具から勢いよく起き上がる。身体にかかっていたタオルケットが肩から落ちると、そこには白いネグリジェ姿のユキがいた。
起き上がって最初にしたのは着替えることだった――――とは言っても、メニューから指先一本で全身の装備が切り替わるのだから、ものの数秒で着替えは完了する。一瞬だけユキは下着姿を露わにするが、ここは彼女の自宅であり、この場にいるのは彼女だけ。なんの気兼ねもなく、ギルドの制服に身を包んだ。
「お腹空いた……」
リビングに設置してある木目の美しいテーブルに、白パン・サラダ・ミルクを用意し、席に着くと手を合わせて食事を取り始める。
「いただきます」
フォークでサラダボウルに盛られた野菜を突き刺して口に運ぶと、味覚再生エンジンが野菜の味を再現した。しかし、食事内容はいつもと変わらないのに、今日は妙に得も言われぬ物足りなさを感じてしまう。それは昨夜の《ラグー・ラビットの肉》を使用したシチューに原因があった。
一晩経ったというのに、彼女の舌は初めて食したS級食材の味をしっかりと覚えていたのだ。おそらくもう二度と味わう機会など訪れないため、脳が無意識に記憶をしっかりと刻みつけたのかもしれない。思わぬ所で極上肉の弊害が出てしまった。
「ご馳走様でした」
皿が空くと手を合わせ、誰にでもなく食事の終了を告げるが、もう一杯分だけミルクを注いで一息ついた。
ふと、右手首にあるブレスレットへ目を移す。琥珀色に光るそれは、少し前に彼からプレゼントしてもらって以来、ほぼ毎日装備するようにしていた。腰に差した銀白色の短剣《カルンウェナン》に加え、身につけることで彼女はこの世界で生き抜くための勇気を与えられている、そんな気さえしていた。想い人の顔を浮かべると、思わず頬がほころんでしまう。
時刻を確認すると、単独で集合場所へ向かうには少し早いが、アスナの家に寄り道して行くには丁度いい時間だ。身支度は既に整えてあるので、あとは部屋の電気を消し、玄関の扉を開けるだけで事足りた。
アスナの自宅は同じ主街区内なのでさほど離れてはいないが、転移門広場に向かうことを考えると少々遠回りになる。家から両サイドを住宅に挟まれたレンガ詰めの道を歩くと、昨夜もお世話になった目当ての一軒家が見えてきた。
モスグリーンの塗装を施された木製扉の前に立つと、チャイム代わりに設置されている黄銅で出来た鈴を鳴らす。音が鳴れば家の主に来客を知らせる役割を担っているのだが、待てど暮らせど扉の向こう側にいるはずのアスナは顔を出さない。念の為もう一度鳴らしてみるが、結果は一度目と何も変わらなかった。
(……あれ?)
こんな時はフレンドリストを見るに限る。疑問はすぐに解決した。
(アスナ早いなぁ〜)
アスナの現在地は74層の街《カームデット》を示していた。どうやら早々に家を出ていたらしい。
『キリトに早く会いたいが為』などという都合のいい解釈をして自己解決するが、実際は家の前にいた彼女の護衛という名のストーカーから、猛スピードで逃げただけだった。そんなアスナの気苦労をユキが知るのは、《カームデット》に降り立ってからである。
アスナの通った道筋を沿うようにして、ユキも転移門広場から《カームデット》へ向かう。到着した彼女の眼前で最初に映ったのは、何人かの人だかりだった。ただし、もう祭り事は終わったかのように人々は散っていき、人の小さな集まりはすぐさま霧散していった。
「おっ! ユキ、遅いぞ〜」
転移した彼女に気付いたカイトが声を掛ける。少し離れてキリトとアスナもいるのだが、どこか様子がおかしくみえた。
「みんなが早いんだよ〜。待ち合わせの時間までまだ余裕なのに」
「あぁ、そういう意味じゃなくて。もう少し早ければ面白いものが観れたのに、って意味だよ」
「面白いもの?」
「キリトがアスナの護衛と
護衛とはつまり、両手剣使いのクラディールだ。ギルドの中ではまだ新しいメンバーに分類される彼だが、最強ギルドに所属できるぐらいなので、レベルも実力も申し分ない。あえて問題点を指摘するのなら、規律と振る舞いを過剰に重視する頭の固い性格だろう。
「なんでキリトとクラディールが?」
「そいつが『アスナの護衛』っていう名目で朝から家の前にいたんだと。で、たった今キリトが
「い、家まで? 朝から?」
ユキは思わず身震いし、鳥肌が立った。
護衛といっても、流石に家まで押し掛けるのは任務の範囲に含まれていない。《血盟騎士団》の護衛任務に変質者的側面は一切なく、それはあくまでクラディール個人が行った行為だ。クラディールの特徴に『振る舞いを重視』とあったが、どうやら《血盟騎士団》としての振る舞いであって、彼個人の行為には適用されないらしい。
「それはちょっと……」
「うん。男のオレでもビックリした」
「ア、アスナは大丈夫?」
ユキはカイトの背中側にいるアスナに呼び掛ける。
「うん。大丈夫」
「一応団長に報告した方がいいんじゃない?」
「えぇ。それと
「ううん、気にしなくていいよ」
少し疲れた様子のアスナだったが、いつもの調子に戻ったようだ。同じギルドの団員を前にしていたというのもあり、気を張っていたのかもしれない。
「……さて! それじゃあキリト君、さっき君が言った通り、今日はお言葉に甘えて息抜きさせてもらうわね。フォワードよろしく!」
「なっ!?」
ギョッとするキリトをよそに、アスナは彼の肩を軽く叩いた。
「それじゃあ、今日は男の子二人に頑張ってもらおう〜!」
「ユキまで?!」
「……ていうかナチュラルに巻き添え喰らったんだけど」
「明日は私達がやってあげるから! ねー?」
「ねー?」
『えぇ〜〜〜〜!?』
男二人の叫びは届かず、アスナとユキは肩を並べて迷宮区へと歩き出した。
第74層迷宮区。
前日のマッピング作業が功を奏し、四人は迷宮区の最奥部までを最短ルートで突き進む。さらにパーティーメンバーに二人が加わった事で戦闘は安定感を増し、最前線の迷宮区にも関わらず、危なげなく探索は進行していった。
そして当初の予定よりも早く、昨日キリトとカイトが
「またか……」
四人が行き着いた先にあったのは、またしても二手に分かれる道だった。マップを確認してもこの先はどう繋がっているのか検討がつかず、実際に進んでみなければわからない。
「四人もいるんだから、二人一組になって進むか? このメンバーならどのペアになっても問題ないだろ」
「そうするか。じゃあ何で決める? コイントス? それともジャンケン? ……ルーレットって手もあるな」
男性二人の意見で左右に分断する流れになったが、これをチャンスとみた女性二人は目で合図を交わす。すかさずユキはカイトの着ているコートの裾を掴んだ。
「それなら私はカイトと一緒に行くから、キリトはアスナと一緒に行くといいよ」
「そうね。じゃあキリト君、私達はこっちの道を行きましょう!」
「え? お、おう」
キリトに有無を言わせる間も無くアスナが彼を誘導し、言われるがままに彼女が指差した方向へと共に進み始める。その途中でアスナは振り返ると、ユキは声には出さず、「頑張れ」と口の形を作って伝えた。声はなくともユキの伝えたい言葉を理解したらしく、アスナも同様に「ありがとう」を口の動きだけで伝え返す。
黒と白という見た目が真逆の二人は、キリトがマップデータを展開し、アスナがその一歩後ろをついていく形で歩き出す。
「さあ! 私達も行こっ!」
二人の後ろ姿を見送ったユキとカイトは、もう片方の道を進み出した。
「……今のってアスナをキリトと一緒にするため?」
「あれ? バレてたんだ?」
「うん、まあ。……恋のキューピッドも大変だな」
「ありゃ? アスナの気持ちも知ってるんだ?」
「ここ半年ぐらい、やたらアスナがキリトと約束を取りつけるためのアプローチが続いてたからな。そうだろうな〜とはずっと思ってた」
普段からキリトと共に行動しているカイトからすれば、その変化に気付くのは容易だった。なにより、「アスナに呼ばれた」「アスナと約束がある」「アスナに会ってくる」などなど、それほど交友関係が広くないキリトの会う人物のうち、アスナ率がここ半年で急上昇している。彼の言葉や状況から察するに、アスナが会う頻度を意図的に高めているのは明らかだった。客観的にみても違和感を感じるのは道理だろう。
「ふ〜ん……私のは全然わかんなかったのに?」
「じ、自分のは別だろ。まさかそんな風に想ってくれてるなんて……その、考えたことなかったし」
ただしそれは他の人の場合だけ。自分の事となれば急激に視野が狭くなる傾向にあるようだ。
はぁ、というため息を漏らしたユキは少しだけ間を置くと、何かを思い出したかのようにクスッと笑みをこぼす。
「まぁ……今となってはそれも良い思い出、なのかな。……ねぇ、カイト」
「ん?」
隣から聞こえるはずの声が後方からした。振り返ってみればユキは足を止めてやや俯き、右手をカイトに向けて差し出している。
「手……繋ごう」
それは二人きりの時限定で発動する彼女なりの甘え方であり、愛情表現。慣れというのは恐ろしいもので、最初の頃は照れ臭そうにそれとなく要求していたものが、今では真正面から言えるようになった。ただし『言う』のが平気になっただけで、照れ臭そうにする仕草だけは変わらない。
「……わかっているだろうけど、ここは迷宮区だぞ? しかも下層じゃなくて最前線の」
「勿論わかってるよ。だから、その、モンスターがポップしてない時だけでいいから」
「…………」
彼女の提示した要求に対し、沈黙するカイト。どうすべきか迷っている様子だった。
二人が黙ってしまったことで、場の空気が静まり返る――――が、すぐに沈黙は破られた。
それは突如出現した骸骨剣士のモンスター《デモニッシュ・サーバント》のせいだった。2メートルを超える身長と高い筋力パラメータが特徴で、片手持ちの長剣と金属製の
モンスターの出現に伴い、二人の顔に緊張感が走った。カイトは《グラスゴーム》を、ユキは《カルンウェナン》を抜いて構えると、《デモニッシュ・サーバント》が自身から最も近いカイトを標的に定め、切りかかってきた。
中段からの切り払いに対し、カイトは下段からの切り上げで剣を弾く。剣を弾いた流れで逆袈裟斬りに切り替えるが、《デモニッシュ・サーバント》は左手に持った盾で彼の剣を防いだ――――と同時に、上段から振り下ろす単発ソードスキルでカイトの左肩を切りつけようとした。
しかし、上から下へと真っ直ぐ振り下ろされた剣は空を切る。ソードスキルを読んだカイトはサイドステップで躱し、モンスターの側面を横切って背中へ回り込んだ。
「ふっ!」
ガラ空きの背中に放つのは、片手剣垂直四連撃ソードスキル《バーチカル・スクエア》。
青白い残光と共に放たれた四連撃はその面に正方形の軌跡を描き、拡がりながら消散。敵に与えるダメージが大きい反面、技後の隙も大きいソードスキルであるため、硬直の解けた《デモニッシュ・サーバント》にとっては反撃のチャンスである。すかさず振り向きながらの袈裟斬りで切りかかった。
しかしカイトは発生した隙を埋めるため、《片手剣》と《体術》の複合技である《メテオブレイク》に繋げる。モンスターの攻撃を避けつつ反撃に転じ、反時計回りで一回転すると、剣を思いきり横に薙いだ。
「はあっ!」
モンスターの右肩から左肩に突き抜ける水平切りを繰り出すと、さらに空いた隙をタックルからの切りつけ、さらにもう一度同じ動作の連続攻撃で埋めた。その結果、《デモニッシュ・サーバント》は連続攻撃による大ダメージで仰け反り、後ろによろけてしまう。この好機を逃さずさらなる追撃をかますため、カイトはその役目を待機していたユキに任せた。
「せいっ!」
藍色の燐光を纏った剣が放つのは、短剣上位六連撃ソードスキル《ラディアル・レイド》。
逆三角形の頂点――この場合は両肩と腰――を正確に突き、左右の切り上げを一回ずつ、最後は剣を逆手に持って身体を分断するかのような垂直切りでフィニッシュを飾る。
強攻撃に次ぐ強攻撃。姿勢の保持を許さぬまま、よろけた骸骨剣士の背面に見舞った剣技は全弾命中し、クリティカルダメージを与えた。反撃と回避をする暇も与えない高速の六連撃はきっちりモンスターのHPを削り切り、出現から時間を掛けずに、《デモニッシュ・サーバント》は呆気なく散ってしまうのだった。
剣を収めた二人は真っ先にハイタッチを交わす。パンッ、と乾いた音が、静寂に包まれた迷宮区内に響き渡った。
それが終わると、カイトは掲げていた左手を腰の高さまで落とし、ユキに差し出す。
「……モンスターがポップしてない間だけだぞ。戦闘になったらすぐ離すからな」
「――うんっ!」
ユキは差し出された左手を手に取り、手を繋いだ。その状態をキープしつつ、二人は迷宮区の奥へと進んでいく。
結局奥までマッピングした二人だったが、ボスの部屋に辿り着くことなく、行き止まりばかり。この様子だと、どうやらキリトとアスナが当たりを引いたとみて間違いなさそうだ。
一度引いた線をなぞるようにして引き返し、キリト達と分かれた分岐点まで戻ってきた。そこからさらに戻って安全地帯に向かおうとしたのだが、二人の耳が近場で行われている戦闘音を捉える。
慎重に探りながら接近すると、そこにあったのは、キリト・アスナに《風林火山》の一団が混じって戦闘を繰り広げている光景だった。
そしてモンスターとの戦闘が終わったのを見計らい、集団に近付いて声を掛ける。
「《風林火山》も来てたんだな」
「ん? ――――おぉ! 誰かと思ったらカイトじゃ……ねぇ……か……」
「どうした?」
カイトの姿を見たクラインが急に固まる。正確にはその隣にいる少女と繋がっている、ある一点を見て固まっていた。
「おめぇ……何手なんか繋いでるんだよ」
「――――っ!」
カイトもそうだが、隣のユキも指摘されたことで咄嗟に手を離した。お互いに真逆の方向に顔を背けるが、すぐに視線は隣の人物へと戻る。しかし、目と目がぶつかると頬を赤らめ、再び顔を背けるのであった。
「〜〜〜〜ちっくしょう! なんだなんだぁ、その反応は!? 甘酸っぱい青春か!? 純か! ピュアっピュアか!」
「う、ううう五月蝿い! 手ぇ繋ぐのがそんな悪いか! とやかく言われる筋合いはないだろ!」
「開き直ってんじゃねぇ! 迷宮区はてめぇのデートのためにあるわけじゃねぇんだぞ!! …………くそぅ。カイトといいキリトといい、何でオレには春が来ねえんだよ〜〜〜〜!」
頭を抱えて天を仰いだクラインの叫びが、虚しく木霊する。
「なんでそこでオレの名前が……? ていうかそれどころじゃ無いだろ、クライン」
「――はっ! そうだっ。おいカイト、もしかすると、ちっとマズい事になるかもしんねぇぞ」
「マズい事?」
キリトの言葉で我を取り戻したクラインが、途端に真剣な表情に変わった。
「ついさっき部下を引き連れた《MTD》のコーバッツと出くわして、マッピングデータを提供しろっつうもんだから、キリトが渡したんだよ。そしたらあいつ、ボスの部屋に向かって進んで行っちまったんだ」
「ボスの部屋!? まだ偵察隊も派遣してないのに、いくらなんでも無茶だろ!」
「いや、あくまでそっち方向に向かったってだけで、本当に挑みにいったかはわかんねぇよ。もしかしたら部屋を覗いて帰っちまったかもしんねぇしよ……」
《MTD》はかつて、クォーターボス戦で甚大な被害を
「《MTD》の人数は?」
「ざっと見た感じだと、四パーティーってところだ。ただ、コーバッツの引き連れた部下達は全員
ディアベルをはじめとする《MTD》所属のプレイヤーの中には、攻略活動復帰を目指して力をつけている者は多い。現にディアベル自身は攻略組の平均と遜色ないレベルまで到達しており、最前線復帰もそう遠くないだろうと噂されていた。
そしてコーバッツはディアベルと同じように攻略活動復帰を強く望むプレイヤーの一人であり、迷宮区の奥まで進行できた事実から、レベルはそれなりにあると予想される。
しかしクラインとキリトの話を聞く限りでは、偵察にせよ本討伐にせよ、とてもじゃないがフロアボスに挑む万全な状態ではないと感じた。部下の疲労困憊具合を実際に見ていないカイトは正確に判断出来ないが、フロアボスを相手にする場合は準備に準備を重ね、そこでやっと万全といえるのだ。ボスの姿・攻撃パターンといった事前情報は言うまでもないが、肉体的疲労がないSAOにおいて、精神の疲弊は注意が散漫する原因となるのをコーバッツが理解しているか否か、それは本人に問いたださなければわからない。
「だから念の為にコーバッツさん達が無茶していないか、私達で確認しに行こうって話になったの」
思い過ごしならばそれに越したことはないが、キリトとアスナは妙な胸騒ぎを感じたのだろう。杞憂で終わってほしいと願っているに違いない。
だが、その胸騒ぎは最悪な形で実現することとなった。
「うわあぁぁぁぁぁあ!!!!」
悲痛な叫びが鼓膜を震わせる。
一体何処からなのか、誰が発したのか、そんな事は考えるまでもない。叫び声にいち早く反応したキリトとアスナは顔を見合わせると、瞬く間にダッシュ。その後ろをカイトとユキ、《風林火山》が追従する。
二人を追いかけていると、その先には74層フロアボスの部屋に続く巨大な入り口があった。おかしな点があるとするならば、本来は閉まっている筈の扉が全開になっているということ。それはすなわち――そうなのだろう。
先頭を走っていた二人に少し遅れて、カイト達はボス部屋入り口に到着。部屋と迷宮区の境目で立ち止まり、目の前で起こっている事実をその目に刻み込む。
部屋の中は床一面が淡く・青く輝き、円形を描いている床の外周部分から生える燭台からは、群青色に燃える炎を灯していた。室内はそこまで広くないので、せいぜい一レイド分のプレイヤーしか入れないだろう。
そして部屋の入り口付近でカイト達に背を向け、床に伏している《MTD》のメンバーを見下ろす影がそこにはいた。その影は入り口で様子を伺うカイト達に気付いたかのように、ゆっくりと振り返ってその姿を彼らに見せつける。
頭には極太のねじれた角を生やし、その顔は山羊そのもの。筋骨隆々とした体躯は燭台の炎と同じ群青色をしており、右手に持つのは所有者の身の丈ほどもある巨大な斬馬刀。見た目からして筋力値の高さが伺える。
視線を上半身から下半身へと移せば、腰から足先まで紺色の体毛に覆われていた。腰付近から生えた長い尾は先がコブラの頭を模しており、まるでそれ自体にも意思があるかのように、カイト達を真っ直ぐ見据えている。
それこそが第74層フロアボス《ザ・グリームアイズ》。二足歩行の悪魔型モンスターはその名の通り、青白く輝いた瞳を持ち、新たな挑戦者を睨みつけることで出迎えた。
一方フロアボスの前で《MTD》は膝をついており、既に満身創痍といった様子だ。
「何してるんだ! 早く転移結晶を使え!」
部屋の出入り口はコーバッツ達から見た場合、フロアボスを挟んだ向かい側にあった。重量のある鎧を着たままボスの横を通り抜けようとすれば、間違いなく大剣で一刀両断されるだろう。こういった場合は転移結晶で緊急離脱するのが定石だが、それをしない理由はこの部屋に施されている悪質なトラップが原因だった。
「ダメだ! 転移結晶が使えない!」
これまでも迷宮区で幾度となく遭遇してきた《結晶無効化エリア》。攻略を行う際に避けては通れないトラップだが、フロアボス部屋全体にこのトラップが適用されている事例は、これまで一度たりともなかった。結晶アイテムが使えないというだけでプレイヤー側の負担は増え、ボス攻略の難易度は飛躍的に上がる。
「結晶が使えないなら、私達で退路を開くしかないよ!」
ユキの言うように、緊急離脱が出来ないのならば他の方法――部屋の出入り口から足を使って脱出するしかない。フロアボスは自身の守護する部屋の外に出ることはないので、迷宮区に戻れば一先ずは安心できる。《MTD》のメンバーでは自力で退路は開けそうにないので、カイト達が協力してその役目を担うしかない。
「よしっ! キリト、アスナ、ユキ、オレの四人でボスのタゲ取りだ。こまめにスイッチしながら引き付けるぞ。その間に《風林火山》があいつらを誘導して部屋の外に連れ出してくれ。HPがヤバくなったら、オレが回復させる」
「了解…………って、ちょっと待って! 最後のはどういう意味?」
「説明は後だ! 行く……ぞ……」
カイトは目を疑った。
先ほど自分達を睨みつけていたグリームアイズが近付いてきていた。まだ攻撃して
ジリジリと距離を詰める巨体に圧倒され、思わずカイト達も部屋から遠ざかるように後退する。だがグリームアイズは見えない壁に行く手を阻まれたかのように、部屋の入り口で立ち止まった。
「……は、はは。何だぁ、こいつ。ビビらせやがって」
緊張の解けたクラインは笑い飛ばすが、彼の額には冷や汗が流れていた。
「そ、そうだよ。フロアボスがこっち側に来るわけないのに……」
当たり前の事だが、ユキは周知の事実を確認するかのように呟いた。
「でもこれ、ちょっとおかしいわよ」
部屋の中にいる《MTD》に背を向けて鎮座するボスに対し、アスナは違和感を感じた。
「なにかのバグか?」
キリトは構えを少しだけ崩し、疑問を声に出す。
「それにしても、これじゃあ尚更救出が難しいぞ」
ボスの行動に対する異様さよりも、これによって生じる問題点がカイト達の頭を悩ませる。
だがこの後ボスの取った行動が、彼らの頭を更に悩ませた。
それはフリーズしていたグリームアイズが再び動き出したのだが、背を向けて引き返すのではなく、足を持ち上げて前進を試み出したのだ。
驚愕する一同を余所に、グリームアイズは境界の彼方を超えて一歩踏み出した。
前回行われたキリトVSカイトの結果はキリトの勝ちでした。デュエルの結果、キリトの選択した右の道を進行しましたが何もなかったため、今回はまだ見ぬ左の道を進んだ、という経緯になっています。
グリームアイズがボス部屋から出ちゃいました。ここから先は原作と分岐します。
それと活動報告で今後の重要なお知らせがあります。