ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

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第39話 黒と白の剣乱舞

 

 身体の芯まで響くような重低音を発し、雷鳴の如き悪魔の雄叫びは恐怖を駆り立てる。

 最前線で活躍し続けるアスナ達にとっては最早聞き慣れたものだが、かといって聞いて気分が良くなる効能はない。普段からフロアボスと対峙する機会のない攻略組以外のプレイヤーがこれを耳にしたのなら、間違いなく気圧されて足が竦む。これはフロアボス(クラス)のモンスターが持つ専売特許といっても過言ではなかった。

 各階層を守護し、絶対的覇者でもあるフロアボスの持つこの特権は、おそらくゲーム開発陣が用意した演出の一つなのだろう。扉を開けた先にいる未知のモンスターには、強者に相応しいインパクトが求められる。だからこそ、第1層フロアボス《イルファング・ザ・コボルドロード》から第74層フロアボス《ザ・グリームアイズ》に至るまで、その権利を放棄した例外は一つもいなかった。

 今更雄叫び一つで気圧される軟弱な胆力を、アスナは既に持ち合わせていない。それもそのはず、約2年という歳月の中で実に70体近くの怪物を相手にしてきたのだから、否が応でも鍛えられてしまったからだ。仮想の作り物だとしても、デスゲーム下における異形の化け物を前に凛とした姿勢を崩さず佇むその様は、どう見ても一介の女子高生とは思えない。宿に篭っていたあの頃の自分が未来の自分を見たのなら、きっと腰を抜かして驚くだろう。そんな考えがふと、アスナの脳裏をよぎった。

 

「おめぇら、ぜってぇ一人で先に逝くんじゃねぇぞ!」

『おうっ!』

 

 《風林火山》一同の声が綺麗に重なる。

 アスナは今、一人ではない。ギルドという枠組みは違えど、彼女の傍にはこれまで幾度となく激戦をくぐり抜けてきた、志の同じ仲間がいる。彼らが一緒に戦ってくれるのならば、アスナに怖いものはない。

 ……とはいえ離脱するタイミングが中々図れずにいたアスナ達は、少しずつだが、確実に後ろへ、後ろへと追いやられていく。最初のスタート地点ともいえるボス部屋からは大分遠ざかってしまい、部位欠損で身動きの取れないキリトと分かれた場所も、今となっては遥か彼方。カイトが《血盟騎士団》と《聖竜連合》に討伐隊を編成するよう伝言を任せたコーバッツがあれからどう動いたか、それが気掛かりであった。

 

「にしても、コーバッツの野郎がちゃんと要請してくれてればいいんだがなぁ……」

「……勿論それに越したことはないですけど、私達が優先すべきはこの場からの即時撤退です。一人ずつ順番に離脱しましょう」

「それなら、アスナさんが先に――」

「いいえ。私はキリト君と合流したらカイト君とユキの救援に行くので、最後まで残って切り抜けます。なので《風林火山》の皆さんから先に離脱して下さい。……大丈夫。こう見えて私、悪運は強いんですよ? 今週のラッキーカラーは黒ですから、キリト君に運を分けてもらってますし」

 

 にっこりと笑顔で受け答えするアスナからは不安を感じられず、(むし)ろ彼女なりの冗談を交える様子には余裕を感じてしまう。それは心からの言葉なのか、あるいは心配を掛けさせまいという彼女なりの気遣いなのか。問いただしてみたい気もするが、きっと吐露することはないだろう。クラインは密かに確信していた。

 

 限られた人員とアイテムを駆使して離脱の機会を伺っているうちに、一行はいつの間にやら拓けた場所――――安全地帯まで辿り着いていた。ボス部屋程の広さを有している訳ではないが、迷宮区の狭苦しい道よりは大分マシだ。グリームアイズの攻撃に対するアスナ達の行動パターンも、いくつか選択肢の幅が広がるだろう。

 そして安全地帯に侵入すると同時にグリームアイズが天を仰ぎ、連ねた牙の隙間から藍色の瘴気が漏れ出した。これまでに何度も見た、行動不能(スタン)効果を誘発するブレス攻撃の予備動作だ。各人の眼がその行動を捉えると、皆一様に回避行動をとってその場を素早く離れる。

 跳び退いて誰もいなくなった場所に向かって薄い藍色がかった瘴気が放たれたが、先程まで狭い道幅を覆い尽くしていた瘴気の影は何処にもなく、グリームアイズの目の前だけにブレスが充満する。広いスペースを存分に活かしたアスナ達の回避行動も様々で、側面に回り込む者や背面に回り込む者もいた。全員がバッドステータスを負うことなく終え、アスナはボス戦と遜色ない強い口調で指示をとばす。

 

「皆さん! ひとまずボスとの戦闘はここを拠点に行いますが、離脱出来るチャンスがあればすぐに転移して下さい! タイミングは各自の判断に任せます!」

 

 歴戦の名将直々の指揮だ。背く者は一人としていない。

 現状は皆が四方八方に散っているため、グリームアイズを囲うように円を描いていた。背面に立つ《風林火山》のメンバー数人を先に離脱させるべく、正面から左右にずれたポジションで敵を見据えるアスナとクラインがタゲを取る、というのが最も無難な方法だろう。

 ボスの背後にいるメンバーにクラインが離脱を促し、彼はアスナと共に注意を引き付けるため、駆け出す。

 機動力とレイピアのスピードを重視するアスナと、技のキレに重きを置くクライン。どちらもステータスは敏捷値を優先して割り振っているため、筋力パラメータが相当に高いグリームアイズの斬撃は、通常の剣撃で行うパリィが通用しない。剣でパリィしようとしても、接触した瞬間に押し返されてしまうからだ。実際にクラインは斬馬刀の横薙ぎを刀で受けた際、1秒たりとも踏みとどまれずに払われてしまった。

 故に斬馬刀が振るわれた時、アスナとクラインが取るべきは回避かソードスキルを使用したパリィ。パリィの場合はスイッチで硬直時間をカバーし、イケると判断すれば攻めればいい。ただし目的はあくまで離脱であるため、深追いは禁物だ。

 

 ブレス攻撃後の硬直から解放されたグリームアイズは、次の手を打ちに掛かる。身体の動きから攻撃パターンを割り出すため、アスナとクラインはボスの一挙一動を見逃すまいと集中した。

 熱い目力を向けられながら、グリームアイズは構えを作る。斬馬刀を両手で持ち、地面と水平になるよう保ったまま目一杯後ろに引くと、剣に光が凝集し始める。それはここに来て初めて見せるソードスキルだった。

 

 両手剣重範囲技《ライウォーブ》。

 斬馬刀を水平360度に払うことで周囲の敵を一網打尽に吹き飛ばす、両手剣ソードスキル唯一の重範囲技。システムアシストに引っ張られた悪魔の巨体は優雅に回転し、自身を取り囲むプレイヤー達を巨大な剣で薙ぎ払う。

 全員が散った際、偶然にもグリームアイズを包囲する陣形になったのがマズかったらしい。ボスのAIは囲まれたと判別したため、纏めて蹴散らすのに効率的なソードスキルを選択したのだった。

 

「くっ――――!」

「ぐあぁぁぁぁあ!!!!」

 

 突如繰り出した範囲技の威力は絶大だった。挙動を観察していたアスナをはじめとする数人のメンバーは難を逃れたが、転移結晶で離脱を図った者は無防備に重い剣の一撃を喰らう。転移結晶のコマンドを唱えて街に移動する際、使用者は光に包まれるが、すぐに転移が完了する訳ではない。わずかではあるがタイムラグが存在し、その瞬間を運悪く攻撃されてしまったのだ。

 攻撃を受けたプレイヤーは転移がキャンセルされ、HPが大きく削られる。地面に倒れると結晶アイテムを取りこぼし、ダメージの大きさ故に全身を不快感が襲った。グリームアイズは硬直が解けると振り返り、倒れたプレイヤーに狙いを定めて一刀両断しようと試みる。

 

「せやあぁぁぁぁあ!!!!」

 

 振り下ろされる筈だった右腕目掛け、宙を舞いながら横に一閃。アスナはグリームアイズの横をすり抜けると同時に細剣の単発ソードスキルで攻撃し、ボスを怯ませて攻撃をキャンセルさせた。優美に跳び上がった彼女は両足を柔らかく地面に接地させて着地し、グリームアイズに向き直る。

 レイピアに纏ったソードスキルの残光がアスナの周りで煌めくと、長い栗色の髪と赤と白で構成されたギルドの制服に光が絡みついた。その姿を「美しい」と形容せずになんと言い表せば良いのだろうか。片時も気を緩めてはいけない緊迫した状況にも関わらず、《風林火山》一同は戦場で佇む戦乙女(ヴァルキリー)に見惚れてしまう。

 

「私が時間を稼ぎます! 早く離脱して下さい!」

 

 アスナの張り上げた声で皆は我に返った。

 彼女が窮地を救ったプレイヤーは落とした転移結晶を拾い、アスナに感謝の言葉を一言告げて離脱した。

 まずは一人……だが、まだ一人だ。

 アスナが喰らわせたソードスキルでは、グリームアイズのHPを削るのに十分な威力を発揮しない。しかしタゲを彼女に移すのには十分すぎる役目を果たしたため、青白く輝いている双眸(そうぼう)は真っ直ぐアスナを捉えていた。ボスからしてみれば華奢な身体で無謀にも歯向かう愚者、とでも映っているのだろうか。データの塊にそこまで考える高度なプログラムは組み込まれていないだろうが、彼女を試すかの如く、牙を剥き出しにして恐怖を煽り、騒々しい雄叫びで聴覚と肌を刺激する。

 

 ――グオォォォオ!!

 

 そんな威嚇にも似た行いに物怖じする事はなく、アスナの毅然とした佇まいが崩れることはなかった。

 レイピアを握る右手に今一度力を込め、轟く叫びを切り伏せるかのように剣を払う。それはキリトが剣を鞘に収める際に行う癖と瓜二つで、服の色も姿も武器も違えど、クラインにはアスナとキリトが重なって見えた。当然この場に《黒の剣士》はいないが、姿は見えずとも、アスナは今も心の中でキリトと共に肩を並べて戦っている。

 剣を払ったのはグリームアイズの叫びが耳障りであったため、それを切り伏せたいという心の表れが、動作として無意識に出てしまったからだ。何かにつけてパーティーを組み、キリトと行動を共にする機会を多く取るようになってから、知らず知らずの内に感化されてしまったらしい。そしてアスナもこの動きはキリトがよくやるものだと気付いたため、ほんの一瞬だけ頬が緩んだ。

 

(罪作りだなぁ……キリト君は……)

 

 仮初めの世界で生きる意味を見出す切っ掛けを生み出し、時には衝突し、時には助け合うことで絆は深まっていく。

 

『アスナは変わったね』

 

 アスナが以前ユキに言われた言葉。勿論これは良い意味で、だ。

 一部友人を除いて何者も近付けさせず、尖った針山を周囲に張り巡らせ、常に一定の距離を設けることで自分を守ってきた。そんな刺々しい態度のアスナを軟化させたのは、間違いなくキリトだろう。本人は無意識かもしれないが、些細な種火は少女の心に火をつけ、次第に大きくなって惹きつけた。そして今や彼の癖を無意識に真似てしまうぐらい、骨抜きにされてしまったのだ。

 

 攻略組トッププレイヤー《黒の剣士》不在の穴を埋めるに相応しい戦い方をしよう――――という誓いを胸に抱き、アスナは皆が無事に生き残るための時間稼ぎを決行する。

 そんなアスナの誓いを汲み取って試すかの如く、グリームアイズが戦闘続行の合図を打ち鳴らした。

 初撃は右からの薙ぎ払い。彼女の胴体よりもずっと太い剣は豪快に風を切り裂き、音を鳴らして接近。悪魔型モンスターの風貌が合わさることでかなりの迫力を感じてしまう。

 盾でも装備していれば迷わず受けて剣の進行を止めたくなるだろうが、生憎アスナは盾装備を所持していない。彼女の主武器(メインアーム)である細剣は片手持ちの武器であるため、盾を持とうと思えば持てなくもないが、敢えてそれをしないのはレイピアのスピードが落ちるのを嫌っているからだ。それは彼女の持ち味を殺すと同義であり、デメリットはあってもメリットはない。

 そんな彼女がグリームアイズの攻撃に対して選択したのは、剣よりも姿勢を低くすること。豪剣の一撃は虚しく空を切り、アスナの頭上を通過する。通過した際にシステムが風を引き起こすと、彼女の長く美しい髪を揺らした。

 

「――――っ!」

 

 風を切る音に掻き消されながらも、アスナは短く息を吐き出し、利き足に体重をかけると疾駆する。そんな彼女を近付けまいと、グリームアイズは剣を完全には振り切らずに切り返し、再度横に薙いだ。これには流石のアスナも予想外だったらしく、目を丸くして驚きを露わにする。今まで両手剣を使うモンスターやフロアボスとは幾度となく剣を交えたが、グリームアイズはそれらとは異なり、従来の動きとは違うカスタマイズが施されているようだ。

 予想外の行動に驚きはしたが、対応出来るのかと問われれば《Yes》だ。アスナは浮き上がらせた身体を再び沈め、切り返された剣をもう一度回避する。移動速度を緩める事はせず、足元まで一直線に駆け抜けて股下をくぐり、通過する際は申し訳程度の一撃をレイピアで一閃した。

 通り過ぎた後は脇目も振らずに走り抜け、ボスの攻撃が届かない場所まで距離をとってから振り返る。普段は大人数でフロアボスと戦闘するために分からなかったが、たった一人で挑むのがこれ程までに重圧(プレッシャー)の掛かる事だと今更ながら知った。50層ボス戦のヒースクリフは単独で10分間耐えたという伝説を持つが、アスナは今、身を持って実感する。

 

(団長はこの感覚を10分も……)

 

 改めて所属ギルドのトップがどれだけ規格外の力を持っているのか、彼女はたっぷりと思い知らされた。

 アスナは背中を向けているグリームアイズから少し視線を逸らし、《風林火山》の状況を確認した。ポツポツと至る所で光って消えていることから、順調に皆転移しているらしい。残っているのはクラインだけだが、彼はギルドリーダーとして最後まで残り、メンバー全員の離脱を見届けてから脱出するのだろう。

 ならばもう少しでアスナの役目は完遂され、残る問題は自分自身がこの場をどう切り抜けるかだけだ。しかし大見得を切って「大丈夫」と言ってはみたものの、今に至るまで彼女の頭脳でも妙案が浮かばず、只々時間ばかりが過ぎていく。

 

 そんなアスナの気苦労もなんのその。頭を捻って考える余裕を与えず、ゆっくりとグリームアイズが振り返ったため、戦闘再開となった。

 青い巨体が彼女に近付き、右腕一本で繰り出すのは上段からの垂直切り。アスナは接触する一歩手前まで剣をその目で捉え続け、身体を半身にすることで回避した。剣との距離は数十センチ程度のものであり、タイミングを少しでも誤れば直撃は免れなかっただろう。

 視線を刃からボスに移して次の行動に移ろうとした時、嫌な予感などというオカルトめいた《超感覚(ハイパーセンス)》がアスナの脳に危険信号を促した。理屈や根拠のない直感など普段はアテにならないものだが、こういったギリギリの状況(シチュエーション)の最中は中々馬鹿にできないものだ。そこから大きく後ろに跳躍すると、彼女が刃を回避した場所目掛けて固く重い拳の一撃が振るわれていた。あと一瞬でも遅ければ、間違いなく今頃アスナは顔を歪ませていただろう。

 

 全く、冗談じゃない――と、彼女は心の中で誰にでもなく悪態をついた。

 アスナが攻撃してもボスのHP減少量は微々たるもの。回避は常に紙一重で、もし一撃喰らえばその労力に合わないHPを代価として支払わなければならない。

 それに対してグリームアイズはどうだろう。剣でも拳でも数回直撃すれば、あっという間にお陀仏だ。幸いスピードタイプではないので剣撃を当てる事自体は難しくないが、剣をその身に喰らったところで痛くも痒くもない防御力を備えている。屈強な体躯を誇示しているのは避ける必要などないと、暗に示しているかのようだ。

 

「――ふぅ……」

 

 バックステップで十分な視野を確保し、アスナは一息だけついた。

 彼女の持つ《ランベントライト》と同じくらい鋭く研ぎ澄まされた集中力と、一撃たりとも喰らってはいけないという使命にも似た緊張感。どちらも強く主張せず、程よいバランスを保ちながら絡み、混ざり、溶け合っていく。そんなアスナにもたらされた恩恵は、これまで味わったことのない不可思議な感覚だった。

 集中すべき対象はグリームアイズ一体のみだが、これまでの狭まった視野とは異なり、ボス以外の視覚情報も存分に取り入れるだけの余裕が生じた。

 

 異界感溢れるオブジェクトの種類。

 今立っている安全地帯から伸びている道の数と、視認出来るその先の景色。

 道の先から接近してくる遠方の黒い影。

 

 これまで脳が戦闘で無駄だと切り捨ててきた莫大な情報を、アスナは苦もなく受け入れている。普段のアスナなら気が散っていると感じてしまうだろうが、不思議とそうは思えず、寧ろ心地良くていつまででも智覚していたいという感想を抱いていた。

 刹那の間感慨に浸っていると、グリームアイズは地を揺らして音を響かせながら、アスナの元に向かって剣で葬り去ろうとする。大剣を高々と持ち上げるその様は文句無しの威圧感を放ち、心臓に悪い事この上なかった。

 しかし心配はいらない。焦る必要は微塵もない。グリームアイズの脇目から覗く赤い光芒の(またた)きは、彼女の心に安心という名の贈り物を授けてくれたからだ。

 

「でやあぁぁぁぁあ!!」

 

 片手剣上位単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》。

 颯爽と現れた黒衣の剣士は右手を力強く突き出し、携えた漆黒の剣で群青色の体躯に不意打ちと衝撃を与えた。技後の隙が多く使い所が難しいソードスキルだが、片手剣にしては珍しく長いリーチと高い威力を誇っているため、キリトが好んで使用するソードスキルの一つだ。

 命中して喜びに浸る暇も、グリームアイズの叫びに聞き入る暇もない。硬直が解けると同時に背中側から正面に回り込み、キリトはアスナの一歩前に立つ。

 

「遅れてごめん、アスナ。でも、もう大丈夫だから」

 

 これ以上なく頼もしい援軍の到着は、アスナにとって非常に心強かった。『英雄(ヒーロー)は遅れてやってくる』と誰が最初に言ったのか知らないが、なるほど、と妙に納得して頷いてしまう。その言葉が最も当て嵌まる瞬間が、まさに今だった。

 

(――もう……格好良すぎるよ……)

 

 絶妙なタイミングで助けに来てくれたキリトの後ろ姿は逞しかった。アスナを守るようにして前に立つ姿は勇ましく、身体の線は細いのに背中は大きく見える。言葉と行動は全て彼が無意識でやっていることだが、それらは彼女の熱い想いを更に燃え上がらせる原因となった。

 トクン、と胸が小さく脈を打ち、彼女の中にある恋心はより強固なものへと変貌する。一体彼はどこまでアスナを夢中にさせるのか、恋のパラメーターに限界はないのだろうか。アスナは空いている左手でぎゅっと胸の辺りを掴んだ。

 

 そんな彼を見て、ふとおかしな点がある事にようやく気付く。背中に背負っているのは剣を収める鞘だが、《エリュシデータ》の物とは別にもう一つ、違うデザインをした鞘がそこにはあった。そしてその次にアスナが注視したのは、キリトの左手に握られている見慣れない剣だった。

 黒で統一された重い印象を与える《エリュシデータ》とは対局の位置、透き通るような美しさを秘めた青白色の片手用直剣――――《ダークリパルサー》。清涼感溢れる薄い刀身はワンハンド・ロングソードとしてみると少々華奢な気もするが、キリトは重い剣を好む傾向にある。つまり決して軽い剣ではなく、見た目に反する重みを持った剣なのだろうとアスナは察した。

 

 更にもう一つ気になる点があるとすれば、先程グリームアイズに放ったソードスキルの事だ。

 厳密にはソードスキルそのものではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。キリトは突撃する際、既に黒剣と白剣の二本を携えて迫っていたのをアスナはその目で確認している。両手持ちの剣は兎も角、片手用の剣を両手に装備した状態ではシステムにイレギュラー装備状態とみなされ、ソードスキルの発動は出来なくなるのがこの世界の法則だ。しかし剣はライトエフェクトを帯びてキリトの身体を加速させ、グリームアイズに与えた剣尖(けんせん)のダメージと苦痛の叫びは、システムがソードスキル発動を認可した動かぬ証拠。

 それこそがエクストラスキル――――正しくはユニークスキルに該当する、《二刀流》スキル保持者のキリトが授かった特権の一つだった。

 

「キリト君……今のは一体……?」

「エクストラスキル……《二刀流》の恩恵だよ」

 

 そう言ってキリトは両手に剣を持ったまま、自然体の構えを作った。おそらくこれまで人目を避け、地道にフィールドや迷宮区のモンスター相手に熟練度を上げていたのだろう。二刀を携えたキリトの姿をアスナは初めて見るが、その構えは決して急ごしらえではないのが伺えた。本人がいつ《二刀流》スキルを獲得したのか定かではないが、今までのボス戦で使用しなかったのは何らかの理由がある筈だ。まだ十分使いこなせていない、熟練度が心許ない、あるいは別の何か……。

 構えを崩さずにグリームアイズを見据えながら、キリトは背後のアスナに言葉を投げ掛ける。

 

「気になる事はあるだろうけど、説明は後だ。終わったらちゃんと話す。だから今は、こいつを倒すのに集中しよう。少しでいいから……アスナの力を貸してくれ」

「――うん」

 

 二つ返事で快く了承してくれたアスナの顔を見ずとも、キリトは彼女が今どんな表情をしているのか手に取るように分かった。

 人付き合いの苦手な彼にとって、数少ない友人。その中で自分と対等に立ち、背中を任せられる相手となるとかなり限定される。その貴重な人材な中でも、彼女だけが特別輝いて見えるのは何故だろうと、キリトは自分に疑問を投げかけてみた――――が、わざわざ答えを探すまでもない。既に答えは用意されているし、考えるのは時間の無駄というものだ。

 この短時間でそんな自問自答が行われていたとは露聊(つゆいささ)かも思っていないアスナに指示をとばすため、キリトは気を引き締め直す。

 

「アスナ。君が突っ込んで、パリィからのスイッチに繋げてくれ。その後は全部、オレが片付ける」

「ううん、それじゃダメだよ、キリト君。私にも最後まで戦わせて」

「いや、でも――」

「『でも』じゃありません。放っておくとキリト君は無茶するから、私がしっかり手綱を握らないと。今の私は凄く調子がいいから、なんでも出来る気がするの……勿論、キリト君となら尚の事、ね」

 

 振り返ったキリトに対し、アスナは可愛らしく片目を瞑ってウィンクで応えた。ただでさえ『キリト君となら』の一言でさも自分が彼女にとって特別な存在なのだと勘違いしてしまいそうなのに、その上美人からのウィンクはキリトに追い討ちをかけてしまう。きっと本人は無意識だろうが、こんな可愛らしい仕草を向けられて何も思わないのは男じゃない。キリトの顔が熱を帯び、慌てて顔をアスナからボスに逸らした。無自覚に異性のハートを撃ち抜くシステム外スキルは、キリトだけでなく、アスナも所持しているらしい。

 そんな彼の行動に微塵も違和感を感じていないアスナの表情は、瞬く間に真剣な面持ちに変化した。勝つために、生きるために、彼から重要な役目を任されているのだ。アスナの性分としては、寄せられた期待は完璧に応えたい。

 

 そしてアスナはキリトを追い抜き、駆け出す。巨大な質量を持った剣が眼前に迫るが、彼女の振るったソードスキルが剣の腹を正確に捉え、弾いた。一先ずは第一段階が成功し、わずかではあるがグリームアイズに硬直時間が課せられる。

 

「スイッチ!」

 

 予め取り決めてはいたが、声に出すことでよりジャストなタイミングでスイッチをし、アスナは後退、キリトは前進して場所を入れ替えた。硬直を課したとは言うものの、それは極短い時間であるため、すぐに詰めなければ隙は容易に逃げていく。グリームアイズの反撃を貰わない針の先のような須臾(しゅゆ)を狙い、発声と同時に立ち上げた彼のソードスキルが炸裂する。

 

 二刀流突撃技《ダブルサーキュラー》。

 まずは右手の《エリュシデータ》を左斜め下からボスに喰らわせようとするが、剣の進行を大剣が阻むことで防御されてしまった。しかしそこは何も問題ない。元々彼の突撃技は二段構えであるため、防がれたとしても、コンマ一秒遅れで襲いかかる左の剣が敵のHPを削りにかかる。案の定左手で握った《ダークリパルサー》が大剣に弾かれないよう、滑り込むようにしてグリームアイズの脇腹を直撃した。後発の剣撃一発だけでHPが大きく減少したが、出来ることなら二発共クリーンヒットさせたかったなぁ、という欲深い声を、キリトは内心だけで呟く。

 続けて別の剣技を繰り出したい気持ちをグッと堪え、キリトはバックステップで距離をとる――――が、やられっぱなしで逃がす訳にはいかないというボスの意地でもあるのだろうか。仰け反っていた身体を戻し、グリームアイズは左拳で正拳突きを繰り出した。

 突き出された幅広の拳を回避するため、キリトは二刀を横に振りかぶり、攻撃が身体に接触する手前で思い切り剣を叩きつけて拳の軌道を逸らす。念のために剣をヒットさせた瞬間、自身も横に跳ぶことで完璧な回避が叶った。その後は剣を杖のように地面に突き立て、身を翻して体制を整える。

 彼が横に跳んだために、キリトとアスナとグリームアイズを頂点とする正三角形の立ち位置が形成された。

 

(さて――)

 

 次の一手はどうしようか、などとキリトが思考を巡らせていると、左手側にいるアスナと視線が絡んだ。彼女の瞳に闘志が燃え上がっているのを確認し、キリトの微笑した顔が静かに上下する。折角彼女のやる気が満ち溢れているのだ。アスナにサポートばかり押し付けてフラストレーションを溜め込まれるよりも、ここはいっその事思う存分暴れて発散してもらおう、と。

 キリトがここに到着した頃、アスナの顔に焦燥の色は見受けられなかった。加えてボスを前にして「調子がいい」という頼もしい一言まで添えられている。もしもの時は手を出すが、ここは一つ、アスナに任せてみようとキリトは考えた。

 

「――ふっ!」

 

 そんな彼の心を読んだのか、アスナはほんの一瞬だけ腰を落とすと短く息を吐き出し、地面から数十センチ上を滑空する。敏捷パラメータ全開で疾走したため、ボスとの距離を縮める時間は然程必要なかった。あっという間に肉薄する。

 手始めに繰り出すのは彼女の二つ名《閃光》を象徴する光速の突き。キリトですら目で捉えられない剣先は光の帯を描き、ボスの腹部に命中した。

 そして単独で向かってきたアスナに反撃するため、グリームアイズは剣を高く掲げると半円を描きながら切り上げで迎撃する。それに対してアスナは動きを最小限に抑え、ギリギリの間合いで刃を躱した。今のを見ていたキリトは焦りを感じて飛び出そうとしたが、どうもいらぬ心配だったらしい。

 

「いやあぁぁぁあ!」

 

 気合い一閃。

 一秒にも満たない時間に繰り出す剣技は、光速の《リニアー》。

 一撃で終わらずに素早く突き出した剣を引き戻し、すぐに次の《リニアー》を放つことで生まれるのは、アスナの右手を起点にした数多の細い流星だった。

 中位もしくは上位のソードスキルは硬直時間が長いので、肉薄している今の状況では簡単に反撃を喰らうから適していない。ならば威力は低くとも数で与ダメージを補うため、冷却時間(クーリングタイム)が最も短い基本ソードスキルでHPを減らしにかかる。

 だが、そんな流星群をいつまでも続ける気は毛頭ない。グリームアイズの攻撃を避けた直後に生まれた微々たる時を有効活用しただけに過ぎず、一度攻撃を中止するとボスの剣を回避するために備えた。

 縦・横・斜めと、あらゆる角度からグリームアイズはアスナを狙って剣を振るうが、彼女は慌てず、落ち着いて回避行動をとる。遠目から見れば掠っているのではないかと疑うような間合いだが、キリトのパーティーメンバー《Asuna》のHPバーは一向に減少しない。つまり彼女は紙一重でボスの斬撃を避けていることになる。

 

 盾無しの軽装装備である彼と彼女は受ける一撃の重みが大きい分、回避能力は優れている。だがそれは他のプレイヤーと比較して『多少は』というレベルの話なだけで、モンスターの攻撃全てを完璧に躱すのは不可能に近い。故にどうやっても躱せない攻撃はパリィで凌ぐか、あるいはダメージを最小限に抑えるため、直撃を避けるような体捌きをするのが定石だ。

 だからこそ、キリトはアスナの動きに驚愕していた。グリームアイズの剣と拳を一度も受けずに躱し、果てには反撃までしているのだ。幾らキリトでも、やれと言われてすんなり出来る自信はない。

 

 二十撃目を躱した瞬間、突如アスナは肉薄していた状態から後ろに大きく跳躍し、十分な助走が可能な距離を確保する。そして地に足が着いたと同時にソードスキルを立ち上げると、彼女の身体は文字通り《閃光》そのものとなってグリームアイズに襲い掛かった。

 

 細剣最上位ソードスキル《フラッシング・ペネトレイター》。

 ソニックブームを連想させる轟音を響かせながら、アスナは彗星そのものとなって極太の光る帯を宙に描く。瞬時に距離を詰めたレイピアの剣尖を斬馬刀で防ぐ暇もなく、悪魔の巨体は驚くほど簡単に吹っ飛んでしまった。

 絶叫と共に減少するボスのHPバーも、コーバッツ達をはじめとした度重なるダメージの蓄積により、四段あるうちの半分――――二段目に突入した。切迫した状況の中、ここまで敵のHPを減らしたのは称賛に値するが、それでも道はようやく折り返しに入ったばかり。気を休めるにはまだ早い、が――。

 

(イケる……!)

 

 ――それは予感というよりも確信に近かった。どういう理屈かはキリトもわからないが、今のアスナは極限の集中状態となっている。フロアボスにだって止めることなど出来はしない。ならばここで身を引いて脅威を先延ばしにするよりも、ベストな状態を保っている彼女と共にこの場でボスを討つのが良いと、キリトは判断した。

 

「アスナ!」

 

 覚悟を決めたのなら、あとは行動に移すだけ。気高い彼女の名を叫ぶと、それに反応したアスナは剣技の合間に視線を走らせる。了承の返事をする必要はなく、既に駆け出しているキリトと瞳を交わせば事足りた。

 今度は発声なしでスイッチし、二人の位置が入れ替わる。ボスの両手持ちで行う筋力パラメータ全開であろう渾身の一撃は、スイッチ直後のキリトに容赦なく襲いかかった。

 回避の選択肢はこの時なかった。避けたとしても次の挙動がすぐに向かってくるので、大技を繰り出すために必要な敵の絶対的隙は生じない。ならば無理矢理にでも作り出すのが最も手っ取り早い方法であるため、キリトは迷うことなく二刀を交差させ、十字を形成する。それは彼が得意な弾き防御(パリング)の二刀流版だった。

 

 二刀十字の交点とグリームアイズの切っ先が衝突し、鍔迫り合いとなる。しかし結果はキリトの勝利となり、彼の数倍もあるボスの体躯が面白いように弾き返されて仰け反った。加えて通常のパリィと比較し、グリームアイズには強制的な硬直時間が長めに与えられるが、これは《二刀流》スキルの特徴、武器防御ボーナス1.5倍の恩恵だ。

 力比べで惜敗したグリームアイズと競り勝ったキリトは静止するが、一瞬の静寂の後、彼は自身の誇る《二刀流》上位剣技を放つために必要な初動モーションをとった。両手の剣に薄っすらと光が纏ったかと思えば、それは瞬く間に輝きを増す。彼がこれから放つ高速の連撃技を止める術など、最早ありはしない。

 

 二刀流上位十六連撃ソードスキル《スターバースト・ストリーム》。

 初撃は右の剣で中段切り。続いて左、一回転して右、少し遅れて左の剣で切りつける。回転した勢いを殺さずさらに追加で切りつけると、今度は二刀を上段からクロスさせ、そこから同じ軌跡を描くようにして下段から切り返した。

 

 ――グオォォォォォォオ!!!!

 

 これまで以上の絶叫をあげるボスの声が耳を(つんざ)くが、それは全ての剣技がクリーンヒットしている証だ。一度発動したソードスキルを止めるなどという野暮な事はせず、システムに従った動きをひたすらに続ける。

 グリームアイズのHPが猛烈な勢いで減少するが、HPの減少はキリトにも言えることだった。キリトが剣技を繰り出している間、硬直の解けたボスは反撃に転じ、殴る、切るで応戦する。どちらが先に倒れるか、我慢比べの勝負だった。

 《二刀流》の上位ソードスキルは圧倒的な連撃数と火力を誇る一方、スキル終了後の硬直時間が従来のものより恐ろしく長いのだ。HPを削りきれなかった時は勿論の事、先にキリトのHPがゼロになっては元も子もない。

 

(まだだ……もっと……もっと速く!)

 

 それならば、剣技の速度を加速させればいい。

 システムアシストだけに頼るようでは競り勝てない。なのでスキルのモーションを妨げないよう、自らの動きを意識して上乗せし、スキルの加速と威力の上昇を図った。これはプレイヤーが生き抜くために必要な技術の一つだ。

 その意志に呼応し、キリトの動きはみるみるうちに加速するが、本人はそれだけで納得しない。まだ上がる……もっと速く、システムの引き出す限界値を超え、その遥か先に辿り着けると信じて――。

 十六連撃最後の技を放つため、気合いのこもった声で左の刺突を叩き込む。ボスも斬馬刀で同じ刺突を繰り出し、二つの剣が交錯した。

 星屑の剣舞がもたらす輝きは消え、あれだけ五月蝿かったボスの声が止み、剣を交えた両者は硬直する。物音は一切聞こえず、辺り一面を不気味な静けさが包み込んだ。だがそれも束の間、キリトの目の前にいる悪魔の身体が輝き出し、膨大な光を撒き散らして消失する。

 それが決着を知らせる合図だった。キリトの眼前には獲得したアイテムとコル、さらにLAで得たユニーク品が表示されている。勝利を祝うシステムからのメッセージをみて、彼はやっと実感が湧いてきた。

 

(終わった……)

 

 右端まであったHPバーが危険域(レッドゾーン)入り口まで減少しているのを、チラリと目線だけ動かして確認する。その後突如訪れた虚脱感が全身を包み、二刀流の黒い剣士は力なく膝から崩れ落ちた。

 




いつもは地の分:会話文=7:3ぐらいを目安にしていますが、今回は構成を変えて9:1にしてみました。

少し前の活動報告に載せましたが、次話の投稿には間隔が空きます。
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