「ありゃりゃ? ユーちゃんとこも音沙汰なしかイ?」
NPCレストランの片隅にあるテーブルに腰掛けているユキは、出されたパンをちぎって口へと運ぶ前に、アルゴの疑問に小さく頷くことで返答の意を示した。半分になったパンの断面はもちっとしており、食感は期待が出来そうである。
さて、問題の味は如何に。
「メッセージを送ればどんな茶々でも必ず送り返す奴なんだが……これは何かあったかナ?」
続いてNPCの店員は、アルゴの前に一杯の紅茶を差し出した。ティーカップに並々と注がれている透き通るような赤い飲み物は、頭を悩ます三本ヒゲの少女を液面に映し出している。
一方、腕を組んで考え事をしているアルゴの真正面で、ユキは口に含んだパンを咀嚼していた。その後飲み込んで味の余韻に浸っている様子から察するに、当人の満足いくものだったらしい。二口目といきたいところだったが、アルゴの持ち込んできた話題が気にかかり、ユキは一先ず手を休めた。
「何も連絡がないって言ってましたけど、それはいつからですか?」
「かれこれ1週間になるヨ」
「い、1週間!?」
1週間となると、逆算してキリトの団員服初お披露目の日から、ということになる。あの時、カイトは依頼のためにすぐさまその場をあとしたが、何かあったとすればその依頼遂行時、若しくは遂行直後だろう。
念のために確認したユキのフレンドリストにある《Kaito》の文字は、現在もその存在を主張しているため、この世界の何処かにいるのは間違いない……というより、所在は明確に判明している。
フレンドリストの追跡機能で調べたところ、現在地は最前線より少し下に位置する階層のフィールドだった。
「依頼達成の連絡も、新しい依頼の承諾の連絡もなイ。これは職務怠慢……いや、職務放棄だネ。こんな事初めてだヨ」
「何か……あったんでしょうか?」
「その可能性はあるネ」
アルゴにとってのカイトは、それぞれの生業を活かした良きパートナーである。ユキ同様に付き合いは長いが、これまでの経験から考えても、突然連絡をとらなくなるという事態は初であった。
「それにしても、ユーちゃんなら頻繁に会っているだろうから分かるもんだと思ってたけど、アテが外れちゃったナ。何? 喧嘩でもしたのかイ?」
「違いますよ。ここ最近は忙しくて、とてもこっちから連絡をとる余裕がなかったんです」
第74層フロアボス《グリームアイズ》戦とPoHの襲来。
コロシアムでの決闘。
キリトのギルド入団。
クラディールによる団員殺害及びキリト殺害未遂。
そして……キリトとアスナの結婚。
たった数日で様々な出来事があり、ユキにとっては非常に濃密な日々だったと断言できよう。
そしてキリトとアスナの結婚に伴って2人が一時戦線を離脱している事もあり、階層攻略や各種報告作業がユキにまでまわってきているのだが、その仕事量の多さに辟易すると共に、アスナの有能ぶりを久しぶりに痛感したユキだった。
「じゃあ、お二人さんの仲は健在で、小さな身体で大きな愛を育んでいるわけダ。うん、オネーサン安心したヨ」
「か、からかわないで下さいっ!」
薄い朱色に頬を染め、動揺するユキをアルゴが眺める。
「それならオレっちがここに来るまで、ユーちゃんがこの事を全く知り得ていなかったのも納得ダ。……それにしても、オネーサンのラブコールを無視し続けるとは、カー坊も随分と偉くなったもんダ。これはあとでキツ〜イお仕置きものだヨ」
「ラブコールって……」
注文した紅茶を飲むアルゴの様子は、一見すると普段通りに見受けられるが、その内情は穏やかではなかった。良くない事の始まりというものは、大抵些細な変化が端緒となりうるものだと相場は決まっている。気付いた時には既に手遅れであり、加速する状況をただ呆然と眺めることしか出来ずに終わるのがほとんどだ。
「まあ、冗談はさておき……」
だからこそ、小さな疑念を抱いた時点で早急に手を打つ必要がある。
あくまで根拠のないただの予感であり、そこまで気にする必要はないのかもしれないが、脳裏に響く警鐘が鳴り止む気配はなかった。
胸に引っ掛かっているこの妙な違和感は、《情報屋》としての勘なのか。
それとも女性としての勘なのか。
あるいはその両方か。
「こんな所で優雅なランチタイムを満喫しているということは……今日はオフかイ?」
「はい。色々とバタバタしてたんですけど、少し落ち着いたのでお休みを貰いました」
「そいつは丁度良イ!」
「はい?」
ぽん、という軽い音が聞こえてきそうな様子で、アルゴは両手を胸の前で軽く合わせた。
「それなら、ちょいとおつかいを頼まれてくれるかナ?」
「おつかい、ですか?」
「たいした内容じゃあないんだけど、カー坊の様子を見に行ってほしいんダ。本当はオレっちも行きたいところだけど、生憎この後の予定がたてこんでいて、とても手が放せないんだヨ」
アルゴは申し訳なさそうに言うと、右手の指で頬を掻いた。
「わかりました。それならすぐ行きますね。あんまりのんびりしていると、辺りが暗くなっちゃいますし」
そう言うやいなや、彼女は皿に盛られた残りの食事を小走りで食し、綺麗にしたところで合掌した。アルゴも彼女のペースに合わせて紅茶を飲み干し、ティーカップの底が見えたのを確認して立ち上がった。
ユキが先導する形でレストランの扉を開けると、室内にいた時とは異なる暖かさが肌を伝う。それと同時に周囲の音が彼女の鼓膜を震わし、街の賑やかな様子が手に取るように感じられた。
「ユーちゃん」
ざわめく音の波の中、すぐそばで自身の名を呼ぶアルゴの声を鮮明に捉え、ユキは後方を振り返った。フードを外しているため、金色の髪は太陽に照らされていつも以上に煌めき、表情はいつにも増してはっきりと視認できる。その眼差しは真剣そのものだった。
「カー坊に何があったのか、オレっちは知らない。でも、もし……もしもカー坊に救いの手が必要あるならば、その役目を担えるのはユーちゃんだけダ」
「それはどういう……?」
唐突な言葉の意図を読み取る事は叶わず、ユキはただ首を傾げるしか出来ない。無理もない、とでも思ったのか、アルゴは困った顔で笑みを返す。
「オネーサンの余計なお節介だと思ってくれていいサ。ただ、心の片隅には留めておいてくれヨ」
ふと、アルゴが天を見上げたため、つられてユキも青空に視線を移すと、一羽の鳥が頭上を通過し、西のフィールド方面へと飛び去って行くところだった。道行く人々を見下ろしながら遠方の彼方へと飛んでいく鳥をユキは見届けた後、元の視線に戻した時には、眼前にいた小柄な《情報屋》は忽然と姿を消していた。
第71層の西に位置するフィールド、さらにその北西部。
荒野というほど寂れているではなく、かといって森林というほど繁っているわけでもないこの場所には、要所に人の背丈より高い木々が植わっていた。等間隔で規則的に立ち並んでいるかと思えば、なんの法則性も見出だせないデタラメな配置の場所も点在している。
そして現在、一羽の鳥が点在する木々の内の一本で羽を休めていた……というより、ゲーム的要素を踏まえて言うのならば、HPの回復に努め、群れのテリトリーに足を踏み入れてきた侵入者を再度迎撃する準備を整えていた。
「これで……48っ!!」
一羽葬る度に発声することで現状を確認するカイトの頬を、一筋の汗が伝って流れた。当初は終わりのないフルマラソンのような感覚だったこのクエストも、いよいよゴールが目前まで迫ってきている。流石に長時間の戦闘で疲労の色が見えてはいるものの、気力とやる気はクエスト開始時と何ら変わりない。
現在進行形でカイトが挑戦しているクエストは、典型的なスローター・クエスト。クエスト受注先のNPC農夫曰く『畑を鳥に荒らされて困っている。追い払っても追い払っても沸いてくるもんでキリがない。奴らが寄ってこないように懲らしめてやってくれ!』というものだ。簡潔に言えば『害鳥駆除』である。
このクエストは《イアリーバード》と呼ばれる体長1メートル程の飛行型mobを延々と狩り続けるもので、
「49!!」
故にカイトは少しでも効率を上げるため、弱点である翼の付け根を重点的に狙っていた。
目標討伐数達成のための贄……つまり最後の標的は、先ほどまで羽を休めていた個体だ。いつの間にか木から離れて空へと飛び立ち、カイトの頭上から様子を伺っているようにも見受けられたが、制空権を獲得している《イアリーバード》は、すぐさま先行して仕掛けにきた。
上空でホバリングからの滑空攻撃。硬質な黄色の嘴の先端を用い、下方で迎え討たんと待ち構えるカイトの身体を貫くため、両翼を折り畳んで空気抵抗を減らし、猛スピードで突っ込んできた。迫りくる姿は巨大な弾丸であり、初見であれば間違いなく恐怖を抱くほどだ。
しかし、このクエストだけで既に49もの怪鳥を狩っている彼にとっては、最早見慣れた光景である。ギリギリまで引き付けて直前で回避し、すれ違い様にカウンター気味で胴体を一閃。奇声を発する怪鳥の鳴き声を背中越しに聞きながら、素早く半回転して追撃に出る。
本来なら滑空からの急上昇で《イアリーバード》はすぐにその場を離脱するのだが、ダメージによって怯み、地面から1メートルに満たない高さにいた。この瞬間をカイトは逃す事なく、ソードスキルを立ち上げる。
敵との距離は、目測で5メートル弱。片手剣単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》の間合いだった。
「はあぁぁぁぁあっっっっ!!!!」
《イアリーバード》の
――カシャンッ……
渇いたガラスの破砕音をその場に響かせ、《イアリーバード》は消失。
理由は1つ。NPC農夫が言っていた『あんまり長居はするなよ。仲間をやられて怒った群れの長がすっ飛んでくるからな。深追いしたくなけりゃすぐに逃げな』という発言だ。
――グエェェエエェエ……
これまで聞いてきた怪鳥の鳴き声とは違う、身体の芯にまで響くような重低音。フィールドの隅々にまで届いたのではないかと思わせるような奇声は、遥か彼方でその存在を知らしめている、一本の巨木から聞こえていた。
遠目からでもその存在を視認できる巨木の高さは、50メートルを優に越えると推測される。太陽光を浴びるため、枝葉を扇状に伸ばして成長してきた大樹は、その巨体を得るのに果たしてどれだけの年月を費やしてきたのだろうか。
そしてその巨木の最上部には、いつの間にやら鮮やかな羽毛を有する巨大な怪鳥が鎮座していた。両翼を大きく広げ、羽ばたき、止まり木から離れるための予備動作に入る。事前情報だと、この予備動作から飛び立つまでは多少の時間を要するらしいが、それはプレイヤーがこの場から離れるための猶予を与えるものであり、一定の範囲外に逃れられれば、群れの長との戦闘は回避できる仕様だ。つまり『逃走する』という選択肢を選べなくもない。
だが、彼は一歩も動く気配をみせなかった。
規定時間が経過し、巨大な怪鳥の巨体がふわりと宙に浮き上がると、急激に方向転換して真っ直ぐカイトの元へと向かってきた。
加速を続ける巨大な鳥は、獲物との距離をぐんぐん縮め、目前で急停止をかけた。その際に発生した突風に飛ばされぬよう、両足に力を込めて踏みとどまり、左腕で吹き荒れる風から顔を守っていると、ズン、という重い地響きが鼓膜を刺激する。
地に足をつけて羽を休め、自身よりも小さな剣士を見下ろす眼光は鋭く、胸を張ったその姿は威風堂々。目測で体躯はおおよそ人の3倍といったところだろう。距離が近いためか、カイトはその存在に圧迫感を感じていた。
そしてきらびやかな羽毛は太陽光を反射して七色に輝き、頭頂部から生えているトサカは艶やかなロン毛で、背中を伝って後ろへまわり、尾の部分までの長さを誇っている。間違いなく、これが群れの長の証であり、象徴だ。
《イアリー・フラッシャー》。別名《極彩鳥》とも呼ばれるこの怪鳥こそ、クエスト受注によって垣間見ることができる、出現条件が限定されたモンスターだ。最前線に近い階層でまだ挑戦者が然程いないことから、その素材は希少価値が高く、市場でも高値で取り引きされている。
――とは言うものの、カイトは別にドロップアイテムを高値で売りつけるつもりはなく、かといって素材を使って新しい装備品を得たいわけでもない。これは彼にとっての時間潰し……否、気を紛らわせたいが故に利用させてもらっているだけだ。
「……ヒール」
これまでの戦闘で傷付いた身体を《治療術》スキルで癒す。HPを含めた全てを万全な状態に整えると、剣を握り直し、自分を見下ろす敵と目を合わせた。それを待っていたかのように、着陸してから身動きひとつしなかった極彩鳥は身体を身構え、両翼を大きく広げてその巨体をさらに大きく見せる。そして――。
グエエェェエェエエ!!!!
――開戦の合図は、先程も聞いた極彩鳥の重苦しい鳴き声による威嚇で始まった。
鳴き声が収束すると、広げた両翼を前へと押し出し、再び場に突風が吹き荒れる。木々の葉は大きく揺れ、細かな砂は巻き上がることで土煙が発生し、極彩鳥の前方はあっという間に土気色に染まってしまった。
「残念でした」
いつの間にか極彩鳥の後ろに回り込んでいたカイトは、発声後に《ソニックリープ》による斬撃を振るい、極彩鳥の背面で赤いダメージエフェクトを散らす。はたから見れば彼が瞬間移動をしたかのように錯覚するが、単に敵が仕掛ける前に前進し、全力で足下を駆け抜けて背後をとっただけ。
「威嚇する暇があるなら……」
ソードスキルを喰らわせたことで、極彩鳥の巨体が前にグラつく。背面をとっているため、当然攻撃の射程範囲外であるのは言わずもがな、加えて怯んでいる状態は隙だらけ以外の何物でもない。追撃しない理由がなかった。
「さっさと仕掛けるのが利口だぞ!」
空中に身を投じた状態で左腕を振りかぶり、肩の高さで固定。拳を強く握ると、システムが
《ソニックリープ》の硬直に上乗せするかのようにして繰り出したのは、体術二連撃ソードスキル《ダブル・ブロウ》。羽毛で覆われた巨駆を殴打する鈍い音が一度だけしたかと思えば、カイトの左腕は既に次の一撃を放つ準備をしていた。
引き絞った左腕を目にも止まらぬ速さで突き出し、再び敵の身体に痛手を与えた後、カイトは攻撃を一先ず止める。そこでようやく彼の身体が自然落下を開始し、膝を柔らかく曲げて高所ダメージを軽減させることを忘れず、両足でしっかりと着地。降り立った地面の感触を踏み鳴らすことで確かめた。
「うわっ!?」
その矢先、場には再び風が吹き荒れる。それは極彩鳥が翼を広げて離陸し、カイトの上空へと飛び立ったからだ。宙を舞う怪鳥は敵との距離をとると、反転して下方のカイトと向き直り、羽ばたきながら空中で位置を固定。1回、2回と大きく両翼を動かすと、
「くっ!」
ドガガガガッ、と鋭利な刃物と同等の切れ味を誇る羽根が、無数に地面に突き刺さった。逃げ惑うカイトの走った軌跡を綺麗になぞっているため、フィールドに羽根の道を形成する。
(一先ずはあそこに……)
視界の端に映ったのは、身の丈以上もある巨大な石。しゃがんで身を屈めればとりあえずは敵の攻撃をしのげると判断し、走るスピードそのままに、スライディングで石の陰に滑り込んだ。
カイトを守る盾の役目を担った石目掛け、極彩鳥の羽根が無数に当たり、その都度甲高い音を周囲に響かせる。話し声ですら掻き消してしまうであろう空から降る止まない攻撃は、まるでサブマシンガンを撃ち込んでいるかのよう。一度捕らえられたとしたら、蜂の巣になるのは間違いない。
しかし、敵との間に遮蔽物を挟んだため、その心配はなくなった。この攻撃が止むまで身を隠せられればそれで良い……と思いきや、そうは問屋が下ろさなかった。
……ピシッ
何かが割れた――そんな音がした。
嫌な予感に襲われて背筋に冷や汗を伝わせながら、反射的に自分を守ってくれている頼もしい盾を見た。そこにはカイトにとってあってほしくない光景が映っており、彼にこの後危機的状況へと陥る未来を予見させる。
彼の瞳に映ったのは、硬質な鉱物に一本の亀裂が入っているという現実。どうやらこの石は破壊可能オブジェクトらしく、極彩鳥の攻撃でみるみるうちに耐久値を削られているのだろう。カイトが見ている間にも亀裂の数は増え続けており、石全体を覆い尽くしてしまうのは時間の問題だった。
「くっ…………そっ!!!!」
この場で留まり続けても、数秒後に格好の的となるのは、最早明白。束の間の休息と安堵は瞬く間に消え去り、彼の緊張の糸はもう一度張り詰めた。迷っている暇はなく、判断は一瞬。しゃがんだ身体を起こして整え、利き足で地を蹴って走り出した。
ターゲットが動いたことで、羽根の弾丸は再びカイトの追随を開始。カイトは前後左右に絶えず動き回り、決して立ち止まらないように心掛けていたが、左に曲がろうとした時、予想外のアクシデントが発生した。
地面に根を張った筈の足が定まらない。
身体はグラつき、姿勢が崩れる。
視線の遥か先に見える地平線が傾き、焦りを感じて心の臓が飛び跳ねる。
この上なく最悪のタイミングで、彼は《
咄嗟に大地へと腕を伸ばして身体を支え、体勢が完全に崩れるのを防ぎはしたが、この状況で一瞬でも足を止めるのは自殺行為である。彼を追っていた羽根の弾丸は、ここにきてようやくカイトを捉えた。
「ぐあああぁぁぁあ!!!!」
仮初めの肉体に突き刺さる、無数の羽根。カイトの背中には幾つもの赤いダメージエフェクトが浮き上がり、HPは安全域の緑から注意域の黄色、そして黄色から危険域の赤色に染まる。
しかし、『不幸中の幸い』とでも言うべきだろうか。彼を襲っていた猛攻はピタリと静まり、HPの減少もゲージ幅を15%残して停止した。九死に一生を得たような気分でほっと一息つき、素早く敵に向けていた背中を反転させて上を見ると、カイトの顔が思わず引きつった。何故ならば、攻撃の手が緩んだというのは安易で甘い考えであり、極彩鳥は次なる手を打つ準備を始めていたからである。
遠目からでも視認できる、口の奥から覗く赤い吐息。体内で生成された熱エネルギーが圧縮され、ブレス攻撃を仕掛ける予備動作を既に開始しており、準備は間もなく整う段階だった。
回復コマンドの
そうこうしているうちに極彩鳥は準備を完了し、口内に留めていたエネルギーを一気に開放。空気中に漂う大量の酸素を取り込み、熱は火に、火は炎へと昇華して放射状に放たれた。火球ブレスならば兎も角、定まった形状を有しない辺り一面に拡散される放射系ブレスは、大型盾でも持たない限り、基本的には防ぐ手立てがない。故に盾無し剣士は敵の予備動作から判断し、早めの回避をとるのが定石ではあるが、カイトは火炎ブレスを防ぐため、別の方法をとった。
「――――ふっ!」
判断は一瞬。行動は刹那。
右手に持っている片手用直剣《グラスゴーム》を一度水平にし、短く息を吐いて勢いよくその場で回す。ソードスキル特有の燐光を纏った剣は風車の如く回転し始め、そのまま空中で半透明の円を描くと、一時的に持ち主を守護する盾の役割を果たしたのだった。
《武器防御》スキルの熟練度を高めることで使用可能となるソードスキル《スピニングシールド》。
高速回転する剣は襲いかかるブレスなどものともせず、カイトのHPを1ドットたりとも減らしはしない。己の身と主を灼かんとする炎を跳ね返す鉄壁の剣は頼もしい活躍を見せつけ、ブレス攻撃が止むとカイトの右手の中に収まり、本来の姿へと戻った。
「ヒール!」
回復コマンドの
「……よしっ!」
左手で右肩を押さえつつ、右腕を大きく回す。
戦闘開始からまだ3分程度しか経過していないが、たとえネームド・ボスでないとしても、やはり強敵との戦闘は必然的にその内容が密の濃いものとなる。Mobとの戦闘から数えて相当な時間が経っているため、精神的疲労感は拭いきれないが、ここで緊張の糸を切らすわけにはいかない。
羽根飛ばしの威力とブレス攻撃は想定外だったが、それ以外の行動パターン諸々は《イアリーバード》と大差なく、これまでの50匹狩りで観察し続けた敵の動きを思い出せば、自ずと次の動作は予測可能だ。それが、少しだけカイトに自信をつけさせた。
「……来いよ」
そんな彼の誘いが聞こえたのか、極彩鳥は一声鳴いた後に真下へ急降下し、地面スレスレを滑りながら低空飛行で突進を仕掛けてきた。その数秒後、光を帯びた剣が極彩鳥の身体を刻み、巨大な影と小さな影が交錯した。
莫大なデータの塊が弾け、陽光を反射してキラキラと輝くその状況をカイトが呆然と眺めていると、目の前に無機質なウィンドウが表示される。今回の戦闘で得たアイテムとコルを一瞥すると、肩の力を抜いて空を見上げた。
『やっと終わった』という達成感がないと言えば嘘になるが、『もう終わりか』という虚無感が、今は彼の心の大部分を占めていた。そして極彩鳥の身が爆散した際のポリゴンが輝く幻想的な光景が、脳裏に焼き付いた消し去りたい記憶を呼び起こし、彼は溜め息を漏らしながら左手で頭を抱えた。
ついさっきまで自分と同じように息を吸って吐き、温もりを宿し、意思を持って活動する。そんな生ある者の魂を奪う行いが、ここまで精神的に追い詰められるものだとは、カイトは想像すらしていなかった。
しかし、それは無理もないこと。
彼に限った話ではなく、それまで誰かに本気で殺意を抱かずに他人事だと思っていた者なら、誰だって真剣に考えるわけがない。
(あいつも……こんな風に悩んだのかな……?)
《
当時は幸運にも人を殺すことなく、数名のプレイヤーを制圧するに留まったカイトだったが、討伐戦終了後のキリトの背中を、彼は今でも鮮明に覚えている。
何もない床石をじっと見つめる、黒衣の剣士。正面から顔を覗きはしなかったが、今のカイトのように、後悔や罪悪感が胸を締め付けていたのだろう。カイトはどう声をかければ良いのかわからず、ただ肩を軽く叩くしかできなかった。
(オレは……どうすればいいんだろう……?)
故意ではなく、過失。状況的にも正当防衛ではあるが、自分を守るため、生き残るため、無意識に剣を振るい、結果的に1人の人間の命を奪ってしまった。そんな人を殺めた事実に恐怖し、叫び、それからずっと纏わりつく嫌な気持ちを必死に払うため、記憶を忘却の彼方へと押しやるために、カイトはがむしゃらにモンスターと戦う日々を繰り返している。
だが、どれだけモンスターを斬っても、気持ちが晴れる事は決してなかった。
答えを見つけようと手探りで模索しても、彼の求める回答は得られない。何が正しく、何が間違っているのかわからない問題ほど、歯痒いものだ。実態のない雲を掴むような感覚にうんざりしてきたが、それでも彼は思考を止めない。
『自分の行いは間違っていたのではないか』という罪悪感に
「何でここにいるんだよ」
振り向くことはせず、カイトは相手に背中を見せた状態で疑問を投げ掛けた。
「…………」
「用がないなら、さっさとオレの前から消えてくれ」
突き放すような発言をぶつけて尚、彼の要求に応えず、相手が立ち去る気配はない。背中越しに感じる視線が嫌でたまらないカイトは、仕方なく、面と向かって話そうと決めた。
「仮に用があるなら手短に頼む。こっちはお前の顔を見るのですら、うんざりなんだ」
冷たく言い放つ言葉には、親しみの欠片もない。寧ろその真逆、敵意だけしか含んでいなかった。
「……Huh、俺も嫌われたもんだな」
「好かれる要素なんて、今まで自分のしてきた事を思い起こせば微塵もないのはわかってるだろう? それとも思い出せないほど、あんたはボケが入ってるのか?」
「安い挑発は強がってるだけにしか見えねえぞ。その辺にしときな」
言葉で牽制し合う互いの間合いは、約20メートル。踏み込んできたとしても、十分対処できる距離だ。
「じゃあなんだ? この前の続きをご所望か?」
「おいおい、今日はやけに血気盛んじゃないか。熱くなるのは勝手だが、今はクールにいこうぜ、《
カイトにとっての天敵であり、また、相対する彼にとっても、カイトは天敵である。決して判り合える者同士ではない彼らを引き合わせるのは、『運命のイタズラ』とでも形容すればいいのだろうか。
「こっちは十分過ぎるぐらい冷静だよ。その上でもう一度言うぞ……PoH」
畏怖すべき対象。
恐怖の代名詞。
ユニークスキル《暗黒剣》の使い手であり、殺人ギルドの元団長・PoH 。
持って生まれた話術と技術、カリスマ性を備えた彼を、ある者は恐れ、ある者は崇拝する。
「用がないならさっさと消えて、あるなら手短にしてくれ」
ポンチョのフードから覗く口許が、不気味な笑みを浮かべた。
普段はプレイヤー戦が多い気がするので、たまにモンスター戦やると新鮮な気がします。そして最初から最後までやるととんでもない長さになりそうでしたので、途中は省略しました。
話数を重ねる毎に文字数が増加している気が……しなくもない。