ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

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第48話 揺れる心と聖女の抱擁

 

「用と言うほどじゃないが、少し確かめにきただけだ」

「確かめる?」

 

 PoHの発した言葉の意味を読み取ることが出来ず、カイトは困惑した。

 一定の距離を保ちながら会話を進めつつ、カイトはPoHの様子を観察する。その手には《友切包丁(メイト・チョッパー)》を持っておらず、殺気の類は感じられない。《索敵》に引っかかる仲間の影が察知されないことから、どうもこの場には彼1人で来たらしい。もっとも、今の彼に仲間がいるのかすら疑わしいが……。

 

「単刀直入に言おうか。……お前、人を殺したな?」

 

 その言葉にカイトの指先がピクリと反応し、彼は怪訝そうな顔でPoHを見た。頭の中で考えたことが表情として浮き出た彼を見て、PoHは小さく笑い声を漏らす。

 

「クックック、OK。正直な奴は嫌いじゃないぞ」

「お前……」

「『なんでそれを知っている?』とでも言いたげだな。なあに、一目見ればお見通しなんだよ。特に、こと同類に関しては、な」

 

 またしてもカイトの身体はPoHの言葉に反応し、今度は先程よりも顔を歪めてやや俯きがちになる。沈黙したままでいるのは彼のプライドが許さなかったので、どうにかして言葉を選び出し、言い返した。

 

「……お前と一緒にされるなんて心外だ。不愉快なんだよ」

「手にかけた数は違うかもしれねぇが、周りから見れば同じだ。……それと気付いてねえみたいだが、お前は既にこっち側へ片足を突っ込んでるんだよ」

「……ちがう」

 

 カイトは否定する。か細く、弱々しく、今にも消え入りそうな声で。

 

「『武器を人に向けて斬る』。これだけ見れば俺とお前のやってる事は同じだが、『斬った相手をどうするか』という点で、明確な境界線が引かれていた。……まあ、最早それも関係なくなったがな。お前はその線を自ら踏み越えたんだよ」

「……ちがう。……オレは、好きで殺したわけじゃない。アレは……事故だったんだ……」

「事故? お前の本心は本当にそれで納得してんのか? 足りない脳みそでもう一度良く考えた上で、認めちまえよ。お前は――――」

 

 周囲から取り込まれる全ての情報を遮断したい衝動に駆られ、双眸を瞑り、両手で耳を塞いだ。

 しかし、そんな彼の願いとは裏腹に、PoHの口から発せられる音の波だけは、やたらと鮮明に聞こえてしまう。

 

「――――お前自身の意思で、人を殺したんだ」

 

 まるで心の奥底に潜むもう一人の自分が、拒絶するカイトに語りかけ、そっと耳元で囁いたかのようだった。

 

「ちがうっ!!!!」

 

 左手で目の前の空間を振り払うと、素早く右手を背中に納めていた剣の柄にかける。間髪入れず一気に引き抜き、全力で大地を蹴ると、切っ先をPoHの下腹部目掛けて勢いよく突き出した。

 カイトが無意識下で繰り出した、片手剣単発重攻撃ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》は、PoHとカイトの間にある間合いを埋めるのにやや心許(こころもと)ない。ダッシュした際のエネルギーを余すことなく活用したが、熟練のプレイヤー相手では有効打となりえないだろう。そんな事にまで考えを働かせるほど、今のカイトは普段の冷静さを欠いていた。

 案の定、突発的な怒りに任せた剣は、敵の元へ届くことはなかった。PoHは膝を曲げて前に跳躍し、加速する直突きを前方宙返りで軽やかに躱したため、身体はおろか、着ているポンチョにも掠らなかったのだ。

 カイトに暫しの硬直時間が与えられている間、PoHは空中に投げ出した身を整え、華麗に着地。滑らかに右手が動いた後、《友切包丁(メイト・チョッパー)》が何処からともなく出現した。

 位置を入れ替えた両者は背中合わせのまま、意識を戦闘モードに切り替える。

 

「ベラベラとよく喋るその口――」

「そっちがその気なら仕方ない。だから――」

 

 迸る戦意と敵意を抑えることができず、空間を伝ってお互いの肌をピリピリと刺激した。

 

「――二度と開けなくしてやるよ」

「――少しばかり遊んでやる。……イッツ・ショウ・タイム」

 

 明確な殺意を口にしたカイトと、それに対抗するPoH。

 同時に振り向き、同時に駆け出し、間合いに入る少し手前でソードスキルの予備動作(プレモーション)をとる。選択したソードスキルはあの日衝突した時と全く同一のものであり、深緑の燐光と漆黒の燐光が時と場所を変え、再びぶつかり合うこととなった。

 

 治療術最上位十二連撃ソードスキル《ソウル・イーター》。

 暗黒剣最上位十三連撃ソードスキル《リッパー・ホッパー》。

 

 肩、腕、腹、腰。

 上、下、左、右。

 あの日の動きを寸分違わず再現し、吸収したHP量、与えるダメージ量とそれに伴う痛みまでもが、74層での死闘を思い起こさせる。この前と同じ……否、そうではない。外観では差異がないように見えるが、当時の状況と異なる点が2つだけあった。

 それは『カイトが敵に剣を振るっている理由』と、『その理由を生み出していた張本人がこの場にいない』ということ。

 少女の身を守る為に振るっていた清廉な剣尖は最早見る影もなく、代わりに純粋な殺意を上塗りした剣尖だけが、そこにあった。《魂を喰らう者》という名のソードスキルは持ち主の心を反映し、その名に相応しく敵の魂を喰らうためだけに煌めいている。同時に、常人なら目を背けたくなる程の禍々しさも含んでいた…………のだが、PoHはその禍々しさに魅了されていた。

 一片の迷いも、恐れもない。余計な思考を一切排除し、只々眼前の障害を、敵を葬り去ることだけを考えて振り抜かれる剣は、彼がこれまで見てきた中で最上級の代物だった。金色に光る時計も、光を反射して煌めく宝石も、この剣の前では価値などないに等しい。

 PoHが74層迷宮区で受けた、カイトの発する気迫の影に隠れるようにして存在した殺気は、気のせいではなかったらしい。あの時感じたカイトの中に潜む『殺しの才覚』を嗅ぎとった嗅覚と直感を、我ながら恐ろしく思うと同時に、小さな芽が大きくなるのを見越してあの場を立ち去った判断は、間違っていなかったと確信する。

 

(合格だ、《掃除屋(スイーパー)》)

 

 PoHがカイトと剣を交えるのはこれで3度目。

 カイト本人は知る由もないが、1度目は連続PK事件の犯人を装って襲撃した時。

 2度目はつい先日の迷宮区。

 斬り合う度に負の方向(マイナス)へと進化するカイトの様子は、PoHからすれば滑稽に見えてしょうがない。

 いつまでも、いつまでも眺めていたいと思えるものだったが、お互いの十二連撃目が衝突し、甲高い音と火花を散らした。本来ならカイトのソードスキルはここで終わりだが、以前と同様、このまま硬直を課せられないように体術ソードスキルへと繋げる。

 そんな必死なカイトとは真逆で、既に彼を見極め終わったPoHは、最後の一撃を防ぐことだけを考えていた。胸を貫かんとする徒手の一撃を剣の腹で受け止めるため、彼の放つ技のスピードに合わせてタイミングを調節する。

 鉄の板に向けて右拳が突き出され、光を散らしながら接触。身体の芯まで衝撃が響き、弾かれた両者は同時に硬直を課せられるが、先に復帰したのはPoHだった。

 左足を軸として固定し、右足を振りかぶってカイトの腹部を蹴り飛ばす。カイトはいわば動かない的であるので、自身に迫るつま先に対して防御も回避も出来ず、なす術がなかった。

 

「――がっ!」

 

 鈍重な感覚が神経を駆け巡り、倒れた際に頭を打った影響でジワリと追加の不快感が広がる。顔を歪ませながら崩れた体勢を立て直して立ち上がり、左手で後頭部を押さえていると、カイトの耳が規則正しく鳴る乾いた音を捉えた。ふと顔を上げれば、そこにはPoHがダガーを脇に挟み、拍手をしている光景があった。

 

「予定よりは随分と早かったが、中々良い仕上がりじゃないか」

「……は?」

 

 一拍の間を置き、カイトは間抜けな声と顔を晒した。

 

「安い挑発に乗ってくれて礼を言うぞ。お陰で今のお前がどの程度染まっているのかがよくわかった。……さて、ここで1つ提案だ。攻略だか人助けだか知らねぇが、そんなつまらんものは放り出して、より刺激的な世界に足を踏み入れてみないか?」

 

 左掌を上に向け、PoHはカイトに対して左手を差し出した。

 

「お前、さっきから何を……」

「……ドイツの哲学者、ニーチェが書いた『善悪の彼岸』の中には、こんな言葉がある」

 

 差し出した手をゆっくり下ろすと、PoHは言葉を紡ぐ。

 

「『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』とな。……今のお前にピッタリの言葉だと思わないか?」

 

 この時点で、カイトはPoHが言わんとしていることを察する。

 

「お前は攻略組の中で最も俺逹と関わってきた。だからこそ、知らず知らずのうちに、お前はこっち側に染まっていったんだよ。無意識に、本気で人を斬り伏せてしまおうと考えるほどに、な」

 

 ――人の悪意は伝染する――

 

 (おこた)り、(おご)り、(いきどお)り、(ねた)み、欲し、奪い、そして――――人を喰らう。

 多くの犯罪者と接してきたカイトだからこそ、人の醜い本性を嫌というほど見てきた。

 周囲の影響を受けやすい多感な年頃であるカイトは、良い影響も悪い影響も関係なく吸収するが、犯罪者の放つ負の感情が積もり、いつしか彼の精神に悪影響を及ぼしていた。1週間前、レンを前にして殺意を抱いた事こそ、その影響が表面化した結果であり証拠だ。

 

「だが、別に悔やむことはない。お前は只、人間の脳の奥底に刻み込まれている本能に従ったに過ぎないんだからな。そして俺なら、お前の抑え込んでいる欲望を存分に発散させられる世界へと(いざな)ってやることが出来る。……どうだ? 俺と共に来る気はないか?」

 

 そう告げると、再びPoHは手をカイトに向けて差し出してきた。

 

 オレンジプレイヤーを幾人も牢獄送りにしてきたカイトだが、抵抗する相手を無力化するための労力に加え、《回廊結晶》やピックを使う必要があるため、費用も馬鹿にはできない。敵の戦意を削ぐための微妙な力加減や戦い方だって、神経をすり減らす繊細な行いだ。

 

 だが、その問題を全て解決する方法がある。

 それこそが、人の殺傷。

 

 高額な《回廊結晶》も特注ピックも必要とせず、相手に対して気を使う必要性もない。己の持つ力を全力で叩き込み、敵をこの世界から抹消させられれば、カイトのフラストレーションを発散させるための吐け口にもできるだろう。

 だが、それは間違ってもあってはならない事であり、人の良心に反する行為――――なのだが、それをPoHは許し、あまつさえ教唆(きょうさ)しようというのだ。

 普段のカイトであったならば、そんな言葉を払いのけ、あるいは耳を傾けすらしないだろう。しかし――。

 

「どうせ今のお前には、帰る場所なんてないだろう?」

 

 続けてPoHが言い放った言葉が、カイトの心に深く突き刺さった。

 これまで出会った全ての人の顔が、次々に頭の中で浮かび、消え、また浮かぶ。きっと皆は、人を殺してしまったことに対して思い悩むカイトを、今まで通りに受け入れてくれるだろう。キリトも、アスナも、クラインも、エギルも、リズベットも、シリカも、アルゴも、そして彼女も――――関わってきた人たち全てが温かさと思いやりを持っているため、後ろめたい気持ちなど気にするだけ無駄だ。

 だが、カイトは皆の優しさに甘え、それで事を終わらしてしまうという妥協ができない。紙に書いた文字を消すような簡単な話ではなく、もっと重く受け止めるべきものだと考えているからだ。

 

(……帰る場所、か…………)

 

 疲弊しきっている清廉な精神は、狂人の声に呼応し、少しずつ引き寄せられ、蝕まれていく。彼は今、1つの分かれ道の前に立ち、選択を迫られていた。だが――――。

 

「そんなことない」

 

 ――――心地よい音の波が聞こえた。空耳などでは決してなく、聞き間違える筈もない。明瞭に響くその声は、カイトが決断して歩みかけていた足を引き止め、遠ざかっていた意識を現実へと引き戻す。

 

「カイトの帰る場所は確かにあるよ。いつだって、何処にだって」

 

 カイトの右側面から歩み寄ってくるユキの姿が、そこにはあった。

 彼女はカイトの隣にまで距離を詰めると、毅然とした態度のまま彼の半歩前で立ち止まり、PoHに対して敵意の目を向ける。まるでカイトをPoHの狂言から守るかのような出で立ちだった。

 

「《血盟騎士団》の小娘が、こんな辺境の地へ何の用だ?」

「カイトを探しにきたの。……それはそうとして、彼に変な事を吹き込んで惑わすのは止めてくれる?」

「惑わす? 人聞きが悪いな。寧ろその逆さ。俺はこいつの能力を活かせるように導こうとしたんだぞ?」

「あなたが言うような場所は、カイトの能力を活かせるような場所じゃない。ただ単に利用したいだけでしょう?」

「何故そう言い切れる?」

「あなたの言うことが正しい時なんて、これまで1度もなかったから。理由なんてそれだけで充分」

 

 信ずるに値しない。そう言いたいのだろう。

 カイトは小さい身体で自身を庇ってくれているユキの背中を見つめた。守るべき存在だと思っていたが、どうやらそれは誤りであり、認識を改めなければならないらしい。

 

「あなたに彼は渡さない。もしもまだ関わるつもりなら、私が相手をしようか?」

 

 ユキは右手を後ろにまわし、腰に差してある《カルンウェナン》を引き抜いた。剣を抜いた際に陽光が刃の側面に当たって反射し、PoHは目を一瞬だけ細める。

 

騎士(ナイト)を守るお姫様(プリンセス)ってところか。だが、以前2人がかりで俺に挑んで勝てなかったのを忘れたわけじゃないだろう? それでも、愉快なダンスを御所望か?」

「そんなつもりはないよ。……ところで、何か勘違いしていない? 私は1人でここに来たわけじゃないんだよ?」

「……何?」

 

 ユキの聞き捨てならない言葉に反応し、PoHは顔をしかめた。

 

「念の為少し離れた場所で、ギルドの皆に待機してもらってる。不可視設定だから見えないだろうけど、指1本でメッセージを送信できる準備が整っているから、ボタンを押すだけですぐに駆けつけてくれるよ。1人で攻略組を複数相手したいって言うなら、別に止めないけど?」

 

 もしもユキのGOサインが出れば、たちまちトップギルドの団員がこの場に押し寄せてくる。正確な人数は不明だが、PoHは彼女の発言から少なくない人数であるのだろうと察した。烏合の衆ならばまだしも、最前線を駆ける精鋭達が相手では、流石のPoHも最悪の事態を想定せざるをえない。

 

「…………Suck」

 

 PoHは小さな声でポツリと吐き捨てた後、持っていたダガーを納めるべきところに納め、空いた右手で転移結晶を取り出した。その場から大きく跳びのいて2人からの距離を確保し、カイト、ユキの順に一瞥する。

 

「今日のところは身を引くが、これで終わりじゃないことだけは忘れるな。いつか必ず、その生意気な顔を苦痛で歪ませて、地べたに這いつくばらせてやる」

 

 捨て台詞を残し、続けて転移コマンドと転移先の街を告げると、PoHは青白い光に包まれる。わずかばかりの時間を要し、彼の身体は影も形もなくその場から姿を消した。

 完全に消えたのを確認すると、ユキは肩の力を抜いて短剣を腰の鞘に納刀した。何もなくなった空間に向けていた顔を背後に向け、カイトの顔を覗き込む。

 

「大丈夫?」

「まぁ、なんとか……」

 

 それなら良かった、とだけ呟くと、両腕を天に向かって大きく伸ばし、全身の緊張をほぐす。張り詰めた空気から解放された反動で表情筋が緩み、いつものユキがそこにはいた。

 

「……というか、本当にわざわざオレを探しに来たのか? ギルドの仲間にも協力してもらって?」

「えっと……実はそれ、半分は本当で半分は嘘なんだ。カイトを探しに来たのは本当なんだけど、ギルドの皆が待機してくれているっていうのは真っ赤な嘘。私がここにいるのを知っている団員は誰もいないから、完全に単独行動だよ」

 

 カイトがポカンと口を開けている一方、腕を組んでいるユキはいかにも自慢気な顔だ。彼女の堂々とした態度から判断して完全に信じきっていたカイトは、彼女の見事な演技力に舌を巻いた。ちなみに、SAOには《演技》スキルや《ハッタリ》スキルなどというものは存在しない。

 

「ブラフ、ハッタリ、ネゴシエーション! キリトの得意分野だけど、これ結構使えるね」

 

 右手の人差し指を頬に当てると、ユキは小首を傾げて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は夕刻。

 陽光が白練(しろねり)の壁をほんのりと赤く染め上げ、まるで家屋に表情が宿ったかのようだった。今日も1日『世界を照らす』という大役を勤め上げた太陽は翌日に備え、地平線に沈んで休息の準備に入る傍ら、夜空の象徴である月が既に姿を現しており、まもなくこの街にも月光が降り注ぐことになるだろう。そんな夜の訪れを待ち構えている住宅には所々で灯りがともり始め、今まさに第61層主街区《セルムブルグ》の景色は、日中と夜間の狭間にあった。

 そして《セルムブルグ》に建ち並ぶ高級住宅街、その一画に佇む家の中で、カイトとユキは机を挟んだ状態で向かい合い、座っていた。ユキの自宅に招かれたカイトは彼女にこれまでの経緯を語り、胸の内を吐露し終えた後、窓の外に映る景色をぼんやりと意味もなく見つめる。

 

「オレが殺してしまった奴にさ、『お前のやっているのは正義の味方ごっこだ』って感じで揶揄されたよ。まぁ……当たらずも遠からず、かな」

 

 自嘲気味に力なく笑ってみせたカイトだが、ユキは真剣な表情で彼の言葉に耳を傾ける。

 

「成り行きで始めたけど、誰かに頼られるのは悪い気がしなかったし、小さい頃にテレビで見たヒーローになれた気がして、自分に陶酔してたんだ。そして今回の件は、悪い意味で《掃除屋》業に慣れたのが原因で招いた結果であって……『ミイラ取りがミイラ』とはまさにこの事だよ」

 

 ふと、また脳裏に人が粉々に散り去っていく光景が再生され、カイトは顔を歪める――――が、対面するユキに心情を悟られまいと、彼は俯いて顔を伏せた。

 

「誰かを助けることでその人から感謝されれば、良かったって思えるし、嬉しい。でも、オレの意図しないところで噂が広がって、頼ってくれる人が増えるのに比例して、期待が高まれば高まるほど、それに応えなきゃいけないっていう重圧(プレッシャー)も大きくなって……。挙げ句の果てにはオレンジに影響されすぎて、無意識に物騒な考えを抱く始末だよ」

 

 別に悲しむ奴なんかいやしない。

 相手はどうしようもないクズだ。殺してしまっても問題ない。

 誰も見ていないから、バレる心配は不要だ。

 

 カイトは一瞬でもそう考えた自分に嫌気が差すと同時に、まるで悪意で塗り固められたもう一人の自分がいるように錯覚した。姿形は双子のように瓜二つだが、思想は全くの対極に位置する存在がカイトの中で生まれ、育ち、居座り、いつか彼の全てを乗っ取るため、虎視眈々とその瞬間を見計らっている――――そんなありもしない妄想を、つい、してしまう。

 

(結構溜め込んでたんだなぁ……)

 

 以前ユキに指摘された『なんでも1人で抱え込む』のが、彼の悪い癖だ。

 人のために動き、助けるほどに、自分を傷付けて追い込む。どんな因果かは知らないが、それは偶然にも《治療術》スキルを他者に行使した際の特性と似ていた。

 スキル保持者(ホルダー)が《治療術》スキルと同様に自己犠牲の精神を有しているなど、中々に皮肉がきいているじゃないか――――と、顔は伏せたままで目を閉じ、声には出さずに自虐している彼の頭に、何かが触れた。

 瞼を持ち上げれば光の粒子が我先にとカイトの両目に入り込み、室内の景色がハッキリと瞳に映る。そこにはユキが机から身を乗り出している光景があり、彼女は彼の頭頂部を優しく撫でていた。なにより印象的なのは、彼女が哀しそうな顔をしていることだ。

 

「ごめんね。気付かなくて。私たちは知らないうちに、カイトに負担をかけてたんだね。辛かったよね?」

「なんでユキが謝るんだよ。それにオレは辛くなんて――――」

 

 否定しようとしたその時、胸の辺りが針の先で刺されたかのようにチクリと痛んだため、言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。

 

「カイトは優しくて思いやりがあるから、怒る時や泣く時があれば、それは必ず誰かのためを想っての事だよね。今だって、その日初めて会った人の命を奪った事に対して悩んでるもん。そういう一面はカイトの良い所だし、私があなたを好きになった理由の一つでもある。……でもね――」

 

 頭を撫でていた手の動きを止め、ユキは机に乗り出していた身を引いた。そして椅子には腰を下ろさず、机の端に沿うようにしてカイトの元へと歩み寄る。彼の隣に立った瞬間、両腕を伸ばし、カイトの身体を優しく包み込むようにして抱き寄せた。

 予想外の行動であったために一瞬訳がわからなかったが、顔に押し付けられている小さくも柔らかい少女の胸の感触によって状況を理解すると同時に、身体が急激に熱を帯び始めた。

 

「なっ、なっ、なにを――」

「――たまには、自分のために感情を露出させてもいいんじゃないかな?」

 

 全てを悟ったような言葉だった。

 だが、実際にその言葉は彼の胸の中心を打ち抜いていた。

 

「カイトのした事はきっと一生背負っていかなきゃいけないだろうし、私が許したところでどうにもならないものだけど……自分のためだけに感情を吐き出すぐらいは許されると、私は思うよ」

 

 緊張していた身体はいつしか脱力し、ユキの胸の中に全てを預ける。カイトは黙って彼女が発する次の言葉を待った。

 

「私に出来る事なんてたかがしれているけど、これが今の私の精一杯。はじまりの日に不安がっていた見ず知らずの私を助けてくれたカイトは、間違いなく私にとって颯爽と現れた正義の味方だったよ。それからも、私をなにかと助けてくれた恩を返す意味で、今度は私がカイトを助ける番」

 

 ゲーム開始初日で絶望の淵に立ち、頬に涙の跡をつけたあの頃のユキはもういない。少女は可憐に、逞しく、頼もしい成長を遂げ、彼の隣に並び立ち、背中を安心して預けられるほどになった。先日のPoHとの戦闘で技術面においてはそれが実証されたが、目には見えない精神面においても、倒れそうになるカイトを受け止め、支えることが、今の彼女にはできるのだから。

 

「カイトが誰かを助ける代償で傷付くのなら、私があなたを癒します」

 

 誰にも頼ることなく抱え込んでいた彼の心が傾き始め、ゆっくりと角度を増す。せめて彼女の前では弱い自分を晒さないようにしようと誓っていたが、ユキの言葉が内まで染み込み、決心は容易くグラついてしまった。

 

(そっか……我慢する必要なんて、なかったんだ……)

 

 少年の閉じた瞼から一筋の雫が生まれて静かに頬を伝うのは、そう時間がかからなかった。

 




次回は番外編……という名のその後。
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