第49話 雲散霧消と地獄の門
遠くからでも途轍もなく巨大だと見てとれるのは、広大な空に浮かぶ浮遊城を支え、多くの魔物を住まわせている円形の柱。
近付けば近付くほどにその存在感を示し、今となっては遠い昔のように感じる第1層攻略に燃えていたあの頃は、この柱に誰もがある種の恐怖心を駆り立てられていた。根元に立って上を見上げれば次なる階層の床を突き破っており、さらに上ではまた次の階層の床を突き抜け、やがては100層まで…………という想像を一度働かせると、なんとも言えない億劫な気持ちになるのは致し方ないというもの。
それでも1つずつ、階段の段差を登るように確実に進んできた
それでも、危険な最前線で戦うプレイヤーは緊張の糸を緩めることはしない。
否、あってはならない。
PKを除き、フィールドを闊歩している最中に命を落とす者の多くは、この巨大な柱の中でその身を散らしているからだ。内部に住まう魔物然り、守護者然り、行く手を阻む者達は強者ばかり。砕け散った身体から遊離し、寄る辺を失った魂は決して出口に辿り着くことなく、柱の内部を永遠に彷徨う運命を辿る。
それこそが《迷宮区》。
プレイヤーがおよび腰になるような、各階層で最難関と称される場所だ。
「ふう……」
第75層迷宮区に屹立する1本の柱に背中を預け、カイトは安堵の息を漏らしていた。
彼の立ち位置から約2メートルの距離を置いて暗い迷宮区を輝かせているのは、空中を紙吹雪のように舞うポリゴンの欠片。最終的には音もなく消え去ってしまうが、つい今し方までこのポリゴン片は密集して固定され、データの集合体――迷宮区に住まうモンスター――を形作っていた。
「……危なかった」
冷や汗が頬を静かに伝い、やがて床に落ちて一瞬だけ瞬くと消え去ってしまった。未だ纏わりつく焦燥感を振り払う意味も込めて、カイトは左腕で汗を拭う。
迷宮区で出現するモンスターの集団に強襲され、カイトは辛くも全て斬り伏せることに成功。時折危険な場面もありはしたが、死線を潜り抜けてきた自信と場数の多さに加え、これまで培ってきた剣の腕と状況判断能力が功を奏し、なんとか生き永らえることができた。
「こんなところで死ぬわけにはいかないんだよ……」
その言葉は、帰るべき場所に帰るため、帰りを待ってくれている人の元へ帰るために、他の誰にでもない自分自身に誓いを立てる意味で呟いた。
力なく右手を振り下ろし、入手したアイテムと討伐対象モンスターの数を確認。先の戦闘でどちらも規定数に到達したため、あとはNPCに報告して報酬を得るのみ。
もたれかかっていた柱から背中を剥がして直立すると、剣を1度右に払って鞘に納める。凝った肩を適度にほぐすと自分が来た道の先を見据え、次にまだ見ぬ未開の道を眺めた。迷宮区のマッピングは滞りなく進行しているので、近日中に攻略組一同が目指す最上階の大扉は発見されるだろう。
(……帰るか)
精神的疲労感がドッと押し寄せたため、カイトはこれ以上進行する気力を失った。もとより、今回の目的は迷宮区及びその周辺で発生するクエストを片っ端から潰していくことであるので、マッピングはそのついでだ。
受注したクエストは達成済みなので、彼は報酬を受け取るために塔を下る決心をした。腰のポーチから《転移結晶》を取り出す。
(今日は何を作ろうか?)
帰宅後に調理する食事のメニューに頭を悩ませつつ、カイトは近場の街の名を唱えると、視界が一瞬だけ青白い光に包まれた――――かと思いきや、すぐに彼は陽光を全身で受けることとなった。ピリッとした空気が一変して和やかな雰囲気が転移先の街全体を埋め尽くしていたため、カイトは張っていた緊張感を惜しげもなく緩めた。思わず肩の力が抜ける。
そして彼はやるべき事を果たすため、街の南西方向に向かって歩き出した。現在受注中のクエストに必要な条件は満たしているものの、NPCに報告せねば意味がない。迷うことなく道を歩み、訪れた家屋に住むNPCに獲得したアイテムを渡してモンスターの討伐を告げると、クエスト達成の画面が表示された。コルと経験値に追加で報酬アイテムを受け取ると、NPCの次なる動きがないか注視する……が、役目を終えたNPCは、寸分違わず同じ作業を繰り返す待機状態になった。
「ここもハズレ、か」
既に何度も同じ思いを味わっているため、大きな期待は寄せていない。だが、それでも落胆せずにはいられなかった。
肩を落としながら家を出ると、現在地から100メートル程離れた場所を目指し、まずは右足を一歩踏み出す。狭い路地裏に入ると怪しげな格好をしたNPCが横目でカイトを一瞥したが、無視して横を通り過ぎ、十字路を右に曲がって目印である大きな樽に近づいていった。その樽の上で腕組みしながら足をぶらつかせ、暇そうにしているアルゴがカイトを待っていた。
「お待たせ、アルゴ」
「大丈夫。オレっちも今来たところダ」
アルゴは組んでいた腕を解いて両手を樽の上に添えると、腕の力と反動を使って樽から下りた。地面に着地した彼女がフードをとると、陽光が差し込まない路地裏にも関わらず、目を引くような金褐色の髪が自ら発光しているかのように煌めいた。
「なんか今のやりとり、恋人同士の待ち合わせみたいだナ」
「ユキが見れば浮気現場だけどな」
「えっ? まさか本当に、カー坊はオレっちに気があるのカ? もしかして仕事上の関係では収まりきらない、危ない関係をお望みかイ?」
「んな訳あるかっ!!」
「にひひ。オレっち今フリーだから、ユーちゃんに振られたらいつでもオネーサンを頼っていいゾ」
そう言うとアルゴは口元を緩めて小さく笑ったが、すぐに表情はいつも通りに戻る。
「それで、本題に入るけど……どうだっタ?」
「どうもこうもないよ。これといった成果はなし」
「う〜ん、そうカ。こっちもダ」
視線を斜め下方に落としたアルゴも、先ほどのカイトと同様に残念そうな表情を浮かべた。
彼と彼女は現在、まだ見ぬ最前線の迷宮区で待ち構えているフロアボスの情報を得るため、迷宮区周辺に存在する様々なクエストを手当たり次第に受けてクリアしている。ボスの名称、姿形、攻撃手段やその他諸々は、フロアボス戦前の偵察戦を行うことでいやでも判明するが、偵察戦こそ、死者が出る可能性が最も高い。なのでその可能性を少しでも減らすため、極稀にNPCから断片的に得られるフロアボスの情報目当てに、2人は奔走しているのだ。
この手の重要情報はクエストをクリアして得られる場合が多いため、カイトはここ3日くらいはあらゆるクエストを受け続け、検証している。その一方で最前線のフィールド、ましてや迷宮区での戦闘が出来ないアルゴは、彼女なりのやり方で情報を得ようと東奔西走している……のだが、どちらも思うような成果は得られていない。
「ついさっき目的達成の報告をしてクリアしたのがあるけど、それでアルゴの探してくれたやつは最後だな。新しいクエスト情報があるなら、今すぐ受けに行くけど?」
「いや、目新しいのはもうないヨ。今の所はこれで手詰まり、カナ?」
両者は同じタイミングで首をかしげ、どうしたものかと頭を悩ませた。《掃除屋》と《情報屋》という間柄上、なにかにつけて顔を合わせる機会が多いため、自然と息はピタリと揃う。それは些細な動作からでも如実に表れていた。
「取り敢えず、今日のところはこれで解散としよウ。また新しいのが見つかり次第メッセージを送るから、それまでは待機していてくレ」
「了解。ただ、この調子でいくとボス部屋の発見が先になりそうだなぁ……。マッピングされていないルートはそうないみたいだし、早ければ明後日にでも偵察隊が派遣されるんじゃないか?」
「ま、ギリギリまで粘ってみるサ。なにせ次のボスは75層の…………最後のクォーターポイントのボスなんだかラ」
しかし、カイトの見立てた予想は、ものの見事に破られることとなるのだった。
偵察隊の派遣を2日後と予想したカイトであったが、あろうことか次の日にはボス部屋が発見されたため、攻略組一同は急遽《グランザム》に集まり、派遣メンバーの構成に努めることとなった。
あくまでボスの動きや攻撃パターンを見極めて報告し、準備を整えて再度挑戦するための偵察だ。いつものようにあまり人数を割くことはせず、総員を半分に分け、第1陣をボス部屋に突入させた後、状況に応じて第2陣も突入する流れとなる。攻略組の主要5ギルドでメンバーを決めるが、無所属のカイトも、偵察隊のメンバーとして名を連ねることとなった。
「先遣隊か……気が重いなぁ……」
話し合いを終えた一同は装備メンテやアイテムを揃えるための時間を設けられ、準備が完了次第出発となる。その必要がなかったカイトは会議室にある座り心地の良い椅子に腰掛け、机に頬をつけて伏していた。
事前情報なしでボスに挑む偵察戦は戦死する確率が本番よりも高いのだが、特に先に突入する第1陣――いわゆる先遣隊――は、死亡率がさらに上がる。ましてや相手はクォーターポイントのボスであるので、これまでの経験に照らし合わせてみると、どうしても気が重くなってしまう。無論、無茶をせず防御・回避に徹していれば済む話なのだが、25層の巨人型ボスや50層の多腕型仏像ボス然り、一筋縄ではいかないだろう。
「決まっちゃったものはしょうがないよ。私は今回同行しないけど、危なくなったら即退避だよ。OK?」
隣に座るユキに対し、カイトは短く返事をして応答した。
本来なら重厚な鎧に身を包んだ
カイトは机に伏せたまま目を閉じて瞑想しかけたが、そのままうっかり寝入ってしまうと思い、上体を起こして椅子から立ち上がった。偵察隊の出発は約20分後に街の中央にある広場なので、少し早い気もするが、そろそろ行くかと気持ちを前に押し出す。
それとほぼ同時に、会議室にある扉が静かに開いて1人の男が入室してきた。いつもの鎧とは違い軽装だが、高貴な雰囲気は普段通りだ。
「やあ、ここにいたのか」
よく響くテノール声が2人の耳に届いた。声の主である《血盟騎士団》団長のヒースクリフは少年少女に向き合うと、柔らかい物腰のまま優しく笑いかける。
「急な招集に応じてくれて感謝するよ、カイト君」
「確かに急ではあったけど、別に迷惑とは思ってないさ」
「そう言ってもらえると、こちらとしても助かるよ。……ところで――」
ヒースクリフは出入り口に立ったまま顎に手を添え、尚も話を続ける。
「君は未だどこにも所属していないみたいだが、ギルドに入る気はないのかい?」
「何? キリトの次はオレか? ユニークスキル持ちをまた1人引き込んだら、今度こそ《聖竜連合》からクレームがくるぞ」
「別にそういう意味の質問ではないさ。ただの興味本位だよ」
「ふ〜ん……まぁいいけど。……そうだなぁ……」
質問を投げかけられたカイトは少しだけ考える素振りを見せつつ、隣の少女を一瞥した。視線を向けられたユキは首を傾げる。
「入る気はない…………って、以前はそう思っていたけど、今は少し違うかな」
「ほう……その心境の変化は何故かな?」
「う〜ん……なんていうか、キリトがいなくなってから完全ソロで活動してたけど、モンスターのアルゴリズムが変化してきた影響もあって、1人で全部対処するのは結構厳しいって実感したんだ。今はまだなんとかやれてるけど、今後はどうなるかわからないし。だから、ギルドに入る事を最近は視野に入れるようにしてるよ」
これまでも1人で動くことは度々あったが、そのほとんどは最前線よりも下層で活動する時に限定している。そしてそれは、未知の最前線を1人で切り抜ける自身がないことの表れでもあった。
ギルドに入る意思があるのを聞かされたユキは、キラキラとした瞳で期待の眼差しをカイトに向ける。彼女が今何を考えているのか、カイトは手に取るようにわかった。
「……質問には答えたから、今度はこっちが尋ねる番だ。何か用件があったんじゃないの?」
「おや、何故そう思うのかね?」
「さっきの口ぶりだと、まるでオレ達を探してたみたいな言い方だったから」
「『まるで』ではなく、その通りだよ。正確には君1人だがね」
わざわざ攻略組トップギルドの団長が自らの足を使って探していたのだから、世間話をしにきたわけではないのだろう――――というカイトの予想通りであり、話はこの後の動きに関するものだった。
「聞いた話では、君はこれから向かう偵察隊の第1陣らしいね? 急で申し訳ないが、君には第2陣の人物と交代してもらうことにした。変更は既に伝えてある」
「え? そんな事をわざわざ言いに? というか、なんで?」
「君のユニークスキルの有用性を考慮した配置だったらしいが、先遣隊はこれまで通りPOTローテで回す。しかし危機的状況に陥る可能性があると判断した場合に限り、カイト君はプレイヤーを回復させるサポート役に移ってもらうという流れにしたので、それまでは部屋の外からボスの動静を注視し、情報収集に努めてくれ給え。変更内容は以上だ」
事務連絡を伝える淡々とした口調は、有無を言わせぬものだった。別に彼1人を変更したところで偵察自体に大きな影響はないだろうし、どこか引っかかる不可解な理由だが、これは何か意味があってのことだろうと、カイトは無理やり自分を納得させた。
「……うん、わかった」
「用件は以上だ。期待しているよ」
手短に話し終えたヒースクリフは踵を返し、部屋の外に出て扉を閉めようとするが、完全に締め切る前に彼はポツリと呟いた。
「現時点で君を失うわけにはいかないのでね」
その意味深な発言が室内にいる2人に届くことはなく、扉の閉まる音だけが会議室の中に響いた。
構成に一部変更があった偵察隊は、予定通りに街を出発して迷宮区へと歩を進めた。道中出現するモンスターを斬り伏せ、一行は危なげなく最上階にあるフロアボスの部屋に到着。ユラユラと揺れる燭台の炎が人よりも大きな扉を照らし、一流の職人が彫ったかのようなレリーフが施されているが、ここがボス部屋の前でなければもう少し魅入ったり、何かそれらしく感想を述べることも出来るだろう。
しかし、生憎そんな余裕はこの場の誰にもありはしない。扉のレリーフよりもこの後の戦闘で頭が一杯なのだから、致し方ないというものだ。
「行くぞっ!!」
今回の指揮を任されている《血盟騎士団》の盾持ち剣士が、右手に持った剣を高々と持ち上げると、周りも同じように剣を天に向けて掲げた。皆の士気は十二分に高まっており、集中力も右肩上がり。油断は万に一つもない。
先頭に立つ偵察隊リーダーが扉に手をかけて徐々に力を込めると、重そうな扉はいとも容易く開き始めた。扉の角度はゆっくりと増し、全開になったところで止まり、挑戦者達を出迎える。部屋の中は数メートル先も視認できないほどの闇が広がっていた。
「戦闘開始!!!!」
『おぉぉぉおおぉぉぉおお!!!!』
野太い声が幾つも重なると、第1陣のプレイヤー達が鎧の擦れる音を発しながら部屋の中へと雪崩れ込む。瞬く間に闇に溶け込んだ彼らを見送ると、外で待機する残りのプレイヤー達は、部屋の中を注視し出した。ボスの名前、姿、攻撃パターンといった各種情報を収集するのが彼らに与えられた一先ずの役割であり、カイトも皆と同じように目を凝らす。
だがその役目を全うすることは叶わず、次に訪れたのは予想外で、あまりにも無慈悲かつ残酷な現実だった。
「なっ……!」
開いたはずの扉が逆再生したかのように、再び閉じようとしていたのだ。閉まる扉の先から覗く部屋の様子が視認しづらくなり、視界も徐々に狭まる。
皆が呆気にとられるなか、最も早く我に返ったカイトが一目散に閉まる扉へと駆け寄り、手を伸ばした。ただ黙って立ち尽くすよりはマシだが、動いても動かなくても、結局結果は一緒だった。
コンマ数秒の遅れをとったカイトの指先が、扉に彫られたレリーフの凹凸に触れる。迷宮区とボス部屋が扉一枚によって完全に隔絶され、システムが何人たりとも入らせないという意思を顕著に示していた。
「なんで…………?」
迷宮区のアラームトラップでこういった仕掛けが施されている部屋もあるにはあるが、まさかボス部屋で遭遇するとは、皆露ほどにも思わなかっただろう。第4層フロアボス戦のような一部例外を除き、これまでボスの部屋は扉を開けると勝手に閉まることはなく、いつでも離脱できるように常時開放されていたので、予想外の事態にただ呆然とするしかない。
扉一枚を隔て、内部では今頃ボスとの戦闘が繰り広げられている筈だ。アラームトラップはモンスターを倒すか時間経過で解除されるのだが、十分な人数のいない状態でボスを倒すのはおろか、規定時間まで持ちこたえられるのか疑わしい。
ふと、嫌な予感がこの場にいる全員の脳裏によぎる。
そしてそれは、現実のものとなった。
結論から言えば、偵察戦は10人程の犠牲と引き換えに、状況から予測される複数の事実を残した。
『部屋に入ると扉は閉まり、中からも外からも開くことは出来ず、戦闘終了によってでしか開かないこと』
『部屋の内部は《結晶無効化エリア》に指定されているということ。突入した第1陣が、一人残らず黒鉄宮に刻まれている名に横線を引かれたことから、《転移結晶》による緊急脱出が不可能であると示唆しているためである』
『第1陣が10分と経たずに全滅したことから、事前に予想されていた通り、クォーターポイントのボスは規格外の強さを有しているということ』
以上の情報を持ち帰り、第2陣一行は苦渋に満ちた表情で報告することとなった。