ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

63 / 102
番外編第08話 少女の旅と苦難は続く

 

 信じられない。その一言に尽きた。

 厳しい戦いを終え、ついさっきまで身を寄せ合い、お互いの手を重ねて温もりを感じていた筈なのだ。

 それこそが、最後のクォーターポイントのボス《スカル・リーパー》を相手に、多大な犠牲を払いつつも、自分たちは生き残ったという事の証でもある。

 だからこそ、また今日も家に帰って食卓を囲み、新しい冒険に備えて同じ屋根の下で眠る事ができる。そう思っていたのだ。

 彼がその身を散らすまでは――。

 

 

 

 

 

 所属ギルドの団長がこのデスゲームを作り出した張本人だとキリトの口から聞かされた時は、この2年で相当に鍛えられたユキの胆力をもってしても、驚愕せざるをえなかった。どこか遠い存在に感じていた茅場晶彦という人物は、ずっとずっと近くで、自分たちプレイヤーを観察していたのだ。

 そして正体を看破されたヒースクリフと、看破したキリトの一騎打ち。激しい金属音と火花を散らし、ギリギリの攻防を繰り広げるその様は一見すると接戦にも思えたが、焦燥感を拭えずに堪え切れなくなったキリトの最上位剣技は、ヒースクリフに勝負を分かつ決定打をみすみす与えてしまった。

 そしてキリトのアバターに迫る剣尖に対して身を差し出したのは、どういう理屈か不明だが、ゲームマスターのシステムコマンドによる麻痺状態から抜け出したアスナとカイトだった。ただ呆然と眺めることしか出来なかったユキとは対照的に、彼と彼女はそれを良しとせず、全身に力を込めて脳に命令を送ったに違いない。動け、動け、と――。

 結果的に奇跡ともいえる現象を手繰り寄せ、カイトがヒースクリフの前に立ちはだかる。隙を突いたキリトとアスナが意識を加速させ、剣のみならず全身に仄かな光を纏いながら剣技を繰り出し、トドメをさす。最強の名を欲しいままにしていた《聖騎士》こと《魔王》は、《勇者》の手によって打ち倒されたのだ。ただ1人の犠牲を伴って――。

 

 『ゲームはクリアされました』

 

 女性の合成音声が、脳に直接響いてくる。きっとこのアナウンスは、アインクラッド中に流れているのだろう。何も知らないプレイヤー達は、今頃飛び上がって喜びを身体で表現しているに違いない。

 だが、75層のボス部屋にいるプレイヤー達は、この現状を素直に喜ぶことが出来なかった。無論嬉しいに決まっているが、最後の最後で新たな犠牲者が出てしまったことと、その影響で心を何処かに置き忘れて抜け殻と化した少女の姿を見てしまえば、とてもじゃないが明るい気持ちにはならない。

 

「……なん、で……?」

 

 何故、彼が死ななければならなかったのか。

 何故、最後に謝罪の言葉を述べたのか。

 

 それはこの世界で出来た繋がりを守るため。

 そして一緒に居続けることが出来なくなった事に対する、申し訳ない気持ちの表れ。

 

 頬を伝う涙は止まることを知らず、それはやがて落ちて床を濡らす。その一方で心は渇き、渇きを埋めるために彼との思い出を回顧した。出会って間もない頃、カイトから言い出した最初の約束が、ふと脳裏によぎった。

 

『オレが絶対に君を死なせないから。このゲームがクリアされるまで、何があっても君を死なせない』

 

 あれは自分を安心させるために言ったことなのだとユキは思っていたが、彼は2年もの間、律儀にその約束を守ったのだ。思い返せば、カイトは何かにつけてユキの前に立ち、危険を顧みずに庇う機会がよくあった。

 25層のフロアボス戦の時も。

 急遽始まったイベントクエストの時も。

 PoHと繰り広げた戦闘の時も。

 そしてその言葉通り、ゲームクリアまでユキは死ぬことなく、現実にもうすぐ帰還出来る。

 

「どうせなら……一緒に、帰りたかった……帰りたかったよ……」

 

 切実な願いは、最早叶う機会を失った。幼気で無垢な笑顔を見ることはもうない。

 それ以上は何かを考える気力が湧かず、ただ黙って俯くことしか出来なかった。そんな彼女を両腕で包み込み、優しく抱き寄せたのは、無二の親友であるアスナだった。

 

「……ごめんね。私がもっとしっかりしてれば……」

「……なんでアスナが謝るの? アスナは悪くないよ?」

 

 アスナに抱きしめられて人の温もりを感じたユキの虚ろな心は、少しだけ生気を取り戻す。

 

「ごめんなさい……」

「…………」

 

 きっと彼女は、飛び出した自分を守るためにカイトが割って入り、そのせいで悲惨な結果を招いたのだと思っているのだろう。だから彼女は自分を責めている。普段は明るくて澄んだ心地の良い声なのに、今は酷く震えていた。

 

「アスナは、何も悪くない。……悪くないよ」

 

 ユキはアスナの背中に両腕を回し、涙を堪えて囁いた。彼女が自分を責める必要は、どこにもないのだ。

 

「たとえアスナが飛び出さなかったとしても、きっとカイトは同じことをしてた。いつも自分の身を削って人のために動くような、自己犠牲の権化(ごんげ)だもん。最後の最後まで、カイトは自分の信念を貫き通しただけなんだよ。本当にどうしようもない困った人だけど、そんな所が好きだった……ううん、今でもそう」

 

 涙まじりの声でユキは気持ちを吐露し、アスナの耳元に近付けていた顔を離すと、真正面から彼女の顔を覗き込んだ。まるで自分のことのように瞳に涙を溜め、目尻から雫を絶え間なく垂らすアスナの気持ちが、ユキには痛いほど伝わってきた。

 そんなアスナの心が伝染し、一度は止まりかけていた感情の波が押し寄せ、再び目尻に涙が溜まる。

 

「……だから、そんな悲しい顔……しないで」

 

 少しだけ追いやっていた感情が再び表面に顔を出し、ユキの頬に涙の跡を作り出す。すると彼女はアスナの胸に顔を埋め、女神の如き抱擁を受けながら、静かに嗚咽を漏らしてしゃくりあげた。触れ合うことで人の温もりを感じつつ、今だけは無性に泣き顔を誰かに見られたくないと、ユキは頭の片隅でそう思った。

 

 そんな中、部屋の中にいるプレイヤー1人が突如として光に包まれ始めた。転移エフェクトに似た青白い輝きは瞬く間に全身を覆い、頭の先からつま先までが溶けるようにして消えていく。ゲームクリアに伴い、プレイヤーは順番に鉄の城から飛び去って現実世界へと帰還していくのだろう。最初の1人をきっかけにして他のプレイヤーにも少しずつ同じ現象が現れはじめ、フロアの人数が着実に減っていく。今頃、住んでいる場所からそう遠くない病院のベッドで目覚め、天井を見上げているに違いない。

 そしてその順番はユキにも訪れ、アスナの胸の中にいる彼女の身体が光に包まれる。別れの時は近い。

 

「アスナ……」

「大丈夫。きっと現実世界(むこう)でも会えるから。そしたら、またたくさんお喋りしよう」

「うん……。そうだ。あのね、私の本当の名前は――――」

 

 2年振りにキャラネームではない、本当の名前をフルネームで口にしようとしたその時、ユキの視界は完全に白く染まり、アスナの顔も温もりも、全てが唐突に消え去ってしまった。1人だけ先に旅立つ事を不安に感じたが、恐怖はない。何も怖れずにこのまま身を委ねれば、次に目を開けた時は病院だ。

 

 そう、その筈なのだ――――が……。

 

 ユキは自身の体感覚が感じ取っている、妙な違和感を訝しむ。黒い奔流が自身を捕らえ、逃がさないとでも言わんばかりの嫌な感じを拭いきれなかった。

 手を伸ばす。届かない。

 足を動かす。前に進まない。

 自分の行きたい方向とは真逆に吸い寄せられているかのようで、流石にユキも何かがおかしいと思い始めた。早くこの感覚から抜け出したいと思った矢先、虹色の光が明滅し、一気に視界が開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に目に飛び込んできた光景は、真上からユキの顔を覗き込むカイトの顔だった。

 

「あっ、起きた」

「なっ――――いたっ!!」

「どわっ!?」

 

 なんでっ!? と声をあげようとしたが、反射的に身体をおこした際、2人のおでこが綺麗にぶつかり、頭上にクルクルと星が回る。お互いに頭を押さえて鋭い不快感に悶える様は、なんとも言えぬほど滑稽だった。

 そしておでこを摩りつつ、ユキは周囲を見回した。テーブル、イス、壁紙の色や各種家具など、見慣れた部屋模様は見間違えようがない。《セルムブルグ》に構えるユキの家だ。

 そして彼女はどうやらソファで横になっていたらしく、さらに言えばカイトの膝を借りて眠っていたらしい。彼の格好は彼女の家にいる時となんら変わらず、簡素なシャツに長ズボンだ。

 

「なんで……カイト、生きてる?」

「なんでそんな不思議そうな顔してるんだよ。見ての通り、生きてるよ」

 

 未だに抜けない不快感を緩和するため、カイトは右手でおでこを摩る。そんな彼の両頬にユキはそっと両手を伸ばし、カイトの顔を挟み込んだ。そこから手を下に移動させ、肩、胸、腕、お腹といった具合に、ペタペタと彼の身体を触り出す。まるで目の前にいる彼が幻などではなく、本当に実体を伴ってそこにいるのか確認しているようだ。

 

「ちょ、な、何? 本当にどうしたんだ?」

「良かった……これは夢じゃなくて、あれは夢だったんだ……。本当に良かった」

 

 とうとう我慢の限界になった彼女は、瞳を潤ませながらカイトに飛びつき、思いっきり抱き締める。カイトの首に両腕を回し、2人の身体は密着した。

 そんな彼女を突き放すことはせず、状況の整理がつかずに若干の戸惑いと照れはあるものの、カイトはされるがままにして受け入れた。ユキの頭に優しく手を置き、静かに撫でる。

 

「怖い夢でも見てたのか?」

「うん。あのね、カイトが団長の剣で刺されて、それでこの世界からいなくなっちゃうの。それがすごくリアルで……怖かった」

「そっか……。あのな、ユキ」

 

 名を呼ばれ、ユキはカイトの顔が見える位置にまで密着していた身体を離す。彼の肩に手を置き、真正面からカイトの顔を見つめた。その表情は、どこか哀愁を漂わせるものだった。

 

「残念だけど……それは、夢じゃないんだ」

「えっ?」

 

 彼の言っている意味が、ユキにはわからなかった。

 しかし、彼の発した言葉と悲しい顔が、ユキの心を嫌が応にも不安にさせる。

 

「オレはもう死んだんだ。だから、ここでお別れだ」

 

 そう言うと、カイトの身体が突如として淡く発光し出し、同時に全身が透き通って向こう側の景色が薄っすらと見えるまで透過する。肩に置いていた手はスルリと抜け、実体がなくなっていることを示唆していた。

 

「嫌……。嘘……嘘だって言ってよ……」

 

 必死の願いに、カイトは何も答えない。その代わり、もの哀しそうな表情は、いつしか年不相応の幼い印象を抱かせる可愛らしい笑みに変化していた。

 その間にもカイトの身体は薄れていく。触れてしまえば壊れるのではないかと感じたが、それでも手を伸ばさずにはいられない。ユキがゆっくりと右手を彼の頬に添えると、カイトは添えられた手の甲を覆うようにして自らの手を添える。しかし、触られた感覚も、手の温もりも、すでに感じ取れなかった。

 

「……さよなら」

「――――ダメっ!!」

 

 別れの言葉と強い拒絶の言葉が重なると、カイトは全身を小さなポリゴンの欠片に変えて爆散した。光を反射してキラキラと輝く欠片を、ユキはその場で必死に掴もうとする。だが、手が掴むのは空気だけ。欠片は彼女の手をヒラリと躱し、瞬く間に溶けて消え去っていった。

 夢であればどれだけ良かったか。揺るがない現実を突きつけられ、加えて愛しい人の死をもう一度目にしてしまえば、彼女の心が絶望の色に染まるのは当然だった。

 肩を落とし、項垂れ、頭を抱える。

 彼女はこれ以上、何も聞きたくなかった。

 何も見たくなかった。

 全ての事から、目を逸らしたかった。

 そんな中、透き通るような美しい声が、耳からではなく、ユキの脳に直接響いてくる。機械的な合成音声ではなく、それは聞き間違えようのない――――生きた人間の声。

 

「おはよう。夢はもうお終いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けると、そこは真っ白な空間だった。

 床で伏せるように寝ていたユキは身体を起こし、立ち上がると、混乱しつつも辺りを見回す。イスとテーブル、ベッドが設置されており、それ以外は何もない殺風景な部屋だが、特徴を挙げるとすれば、それらの家具も、壁も、床も、全てが白色で統一されていることだ。

 次いで足から直接冷気が伝わっているのを感じ取り、視線を落とすと、彼女は今の自分がどういう格好をしているのかを認識した。それは心許ないほど薄手の白いワンピースで、布越しに肌が透けて見えるのではないかと疑ってしまうほどだ。そして肌が異様に空気の動きを感じ取っているのに加え、普段は下着で覆われている部分がやけに布と擦れている感覚から、彼女の素肌を守る鎧はその布一枚だけと判明した。

 現状が把握できずに混乱し、何が何だかわからない。唯一分かることといえば、ここは現実ではなく、今も夢をみている、もしくは仮想世界の中にいるのだろうとユキは結論づける。

 そこまで考えが及んだところで、彼女のいる部屋の壁の一画が自動扉のように横へスライドした。シャッという鋭い音に反応し、ユキは身構えて扉の方向を注視する。

 

(誰……?)

 

 そこには1人の見知らぬ女性が立っていた。

 ただし、見た目は普通の人間ではない。普通の人間なら、耳がエルフの一族のように尖っていることはないからだ。だから、ユキは女性がNPCの類なのだと思ったのだが――――。

 

「おはよう。あなたはどんな夢を見ていたのかな? 良い夢? それとも怖い夢?」

「あ……」

 

 そのごく自然な微笑みは、間違いなくNPCではなかった。

 そして女性の発した声は、先ほどユキが目覚める直前に聞いた声と同一であり、彼女が自分に語りかけたのだとユキは察した。

 色々なことが一度に起こりすぎて何が何やら分からなくなっているが、相手が誰なのか不明であるため、表情と身体を強張らせて警戒する。無意識に、いつも装備してある腰の短剣へと手を伸ばす――――が、右手は空を掴むだけ。

 そんなユキを見た女性は彼女の心境を理解し、柔らかい物腰で話しかけた。

 

「大丈夫。警戒しなくていいわよ。私はあなたの敵じゃないから」

 

 手を背中に回して後ろで組み、小首を傾げて愛嬌のある笑顔を再度ユキに向ける。そんな仕草も相まってなかなかに愛嬌のある美少女を見たユキは、少しだけ警戒心を緩めた。

 

「……まぁ、味方ってわけでもないけどね」

 

 その直後、聞き取れないほど小さな声で怪しげな発言があった事を、ユキは知らない。

 




原作だと『実験施設に囚われた人物達は、夢を見ているような状態だった』とあるので、中盤のくだりはユキがみていた夢ということになります。
場面がコロコロ変わって分かりづらいと思ったので、ここで念の為に補足させていただきます。

そして次話からALO編がスタートです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。