第55話 エピローグとプロローグⅡ
2024年11月の上旬。
悪魔のデスゲーム、《ソードアート・オンライン》がクリアされてから、1週間が経っていた。
全国各地の病院で入院しているSAOプレイヤーが一斉に目を覚ましたという情報は、今やあらゆるメディアが大々的に報道しているホットな話題だ。朝から晩まで何かとテレビやラジオで取り上げられているので、暫くの間はこの話題で持ちきりだろう。ここ最近はあまり人の関心を引くような大きな出来事がなかったらしく、突如舞い降りたとびっきりのネタに、各テレビ局はこぞって特集を組むほどだった。
「暇だ……」
とはいえ、どこも似たり寄ったりな内容であり、これといった最新情報があるわけでもなく、同じ内容をリピート再生しているに等しい。今はテレビを見るぐらいしか娯楽がないカイト/倉崎悠人は、いい加減飽き飽きしていた。
目を覚まして1週間が経過した今、2年の歳月でやせ衰えた筋力を取り戻すべく、悠人は日々リハビリに励む毎日である。
しかし、当然の事ながら1日に行えるリハビリの時間は決められており、それ以外は病室のベッドで過ごすか、病院内を歩いて自主的なリハビリに努めるぐらいしか出来ない。ただ、以前のように身体を動かすのは難しく、廊下の端から端まで歩くだけで息切れを起こし、時間もかかる。前日には無茶をしすぎてうっかり階段で倒れてしまったため、担当の看護師にきつく注意をされていた。
細い腕を伸ばしてどうにかリモコンを手に取るが、これだけでも今の彼には重労働だ。苦労の末にテレビのチャンネルを変えてみたものの、彼の予想していた枠を超えず、またしても同じような内容のニュースだった。それは現在進行形である、SAOクリア後の謎――目を覚まさないSAOプレイヤー――についてだ。
茅場が2年前のチュートリアルで宣言していたように、魔王討伐によってSAOがクリアされたため、生き残った約6,000人のプレイヤーは正常にログアウトし、現実世界に帰還した。
だが、中には覚醒せずに眠り続けている者もいるらしく、判明しているだけで約300人。当初はシステムのタイムラグによるもので、じきに目を覚ますと予想されていたのだが、あろうことか1週間経過しても様子が変わることはない。これは茅場晶彦の陰謀がまだ続いているとまで言われる始末だった。
とはいうものの、この事態を説明できるような確たる情報が未だ掴めておらず、原因は不明。真相究明のために警察を含めた各種関係機関も動いているようだが、手掛かりすら得られていないらしく、捜査は難航しているようだ。手っ取り早いのは茅場晶彦を発見・詰問することだが、全国に指名手配されている男の所在は判明していない。仮に見つかったとしても、既にこの世を去っているだろうと悠人は感じていた。
その理由は、悠人と茅場が最後に交わした会話の中で『私は現実世界に戻る術がない』と、きっぱり宣言していたからだが、かと言って死んでいるとも思っていない。『魂だけが仮想世界に残留する』可能性を示唆していたので、彼の目論見通りに事が進めば、今頃は0と1で構成される世界の狭間で漂っているのだろう。
テレビ番組に出演しているタレントやコメンテーターの意見を右から左に聞き流しつつ、悠人はベッドの上でぼんやりとそんな考えを巡らせていたが、再度リモコンを手にとると赤い電源ボタンを押してテレビを消す。ふう、と短く息を吐き出した彼は、この退屈な生活から一刻も早く抜け出すため、また自主的にリハビリでもしようかと考えた。場合によってはまた看護師に注意されるかもしれないが、その時はその時だ。
悠人がベッドから足を投げ出しかけた時、病室の扉が静かに開く。時間はまだ昼時であるため、悠人の両親は今頃職場にいるはずだし、付き合いのある友人は学校だ。よって見舞い客ではなく、看護師が様子を見にきたのだろうかと思ったが、その予想はものの見事に外れた。
「やあ、悠人君。調子はどうかな?」
現れたのは、しゃれっ気のない髪型をしたスーツ姿の男。線の細い顔立ちに太い黒縁メガネをかけた真面目そうなその人物は、《ソードアート・オンライン》対策チームの国側エージェントを務めている菊岡誠二郎という男だ。デスゲームに囚われたプレイヤーを早急に病院へ搬送する手筈を整えたのも、彼が所属する総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室、通称《仮想課》の働きによるものだと、悠人は聞いていた。
「まだ本調子じゃないんで」
「それもそうか。まだ1週間しか経っていないからね。でも、リハビリを続ければじきに以前と同じ生活が送れるレベルになるだろうから、それまでの辛抱だよ」
そう言って彼は手に持ったフルーツ盛りのカゴを悠人の枕元付近にある机に置き、椅子に腰掛ける。
「いやはや、それにしてもここの病院は美人のナースさんが多いね。僕はここに来るまでの間、何度も目を奪われてしまったよ。ここで入院している悠人君には、さぞ目の保養になるだろうね」
何気ない事を切り出して話し始めるのは、悠人の緊張を解すためなのだろうか。親しげに話しかける菊岡の姿を見ていると、彼がつい国家公務員のキャリア組であるのを忘れてしまう。
「というか菊岡さん。美人看護師に鼻の下伸ばしてていいんですか? SAOがクリアされて、オレみたいに目を覚ました人が大勢いるから、その対応に追われているんじゃないですか? ここで油を売っている暇はないでしょ」
「いや〜、実を言うと全くもってその通りなんだよ。みんなが一斉に目覚めてもいいように下準備は進めていたけど、いざやるとなると思い通りにいかないこともあってね。おかげでここ最近の僕はデスクワーク派にも関わらず、労働で汗を流す毎日だよ」
などと言っていた菊岡だが、ここで彼はわざとらしく咳払いをした。
「よって僕が今日ここにきたのも、君と世間話をするためじゃない。悠人君に頼まれた仕事をしてきたから、その報告にきたのさ」
「じゃあ、見つかったんですか!?」
菊岡の言葉で意図せず悠人の声が大きくなり、少しだけ身体が前のめりになった。
「あぁ。君が居場所を知りたい人物達の情報だ。バタバタしていて報告が遅れたことは謝罪するよ」
「いえ、そんな――」
「しかし、この中で悠人君が最も知りたいと言っていた人物についてだが、彼女に関してはそこへ行ったとしても、君はきっと何もできないだろう」
菊岡の表情が急に真剣になり、口調は重みを増す。その様子を見た悠人は、思わず生唾を飲み込んだ。
「どういう意味ですか? ……まさかとは思いますけど」
「そのまさかだ。君も知っての通り、ゲームクリア後も未だ目覚めていないプレイヤーが約300人いるが――」
出来ればそうであって欲しくないと思っていた。
日本のどこかで自分のように目を覚まし、リハビリに励み、また会えることを信じて疑っていなかった。
その願いには、何の根拠もないというのに。
「――彼女も、その内の1人だ」
菊岡の告げた真実は、悠人の心と病室に虚しく響いた。
「同盟を組む? シルフとケットシーがか?」
「そうだヨー」
妖精達の住まう世界――VRMMO《アルヴヘイム・オンライン》、通称《ALO》――にある
《闇魔法》スキルを上げている者に使える《月光鏡》は、遠く離れた人物の姿を見ながら会話が出来るという、いわばテレビ電話のようなものだ。その効力は時間帯に左右され、具体的には日中よりも月の光が降り注ぐ夜間の方が持続時間は長い。現実世界では太陽が昇っている時間だが、24時間周期でないALO内は、現在丸々と太った月が、妖精の世界を照らしていた。
「ほら、前にサラマンダーが大部隊を率いてグランドクエストに挑戦したけど、コテンパンにやられちゃったでしょ? 多分前よりも入念に準備して挑むはずだから、大分時間がかかると思うんだよネー」
「その隙を狙って、我々2種族が協力して世界樹攻略に挑む、と」
「いえーす。グランド・クエスト達成の報酬と矛盾するようだけど、あれはどう考えても1種族だけじゃ攻略不可能だヨ。そこで我等が
グランド・クエストとは、ALOのプレイヤーなら誰もが知っている、このゲームの最終目標であると同時に、最上級難度を誇るクエストだ。
『ゲーム内で空を飛べる』ということで大人気のALOだが、その滞空時間は無限ではなく、最大で10分間である。しかし、ALOの中心にある天高くそびえる大樹、通称《世界樹》で受諾可能なグランド・クエストをクリアし、世界樹の上にある天空都市で《妖精王オベイロン》に謁見した最初の種族は、全員が《アルフ》という高位種族に生まれ変わる。そうすることで滞空制限がなくなり、無限に空を飛べるようになるのだ。
ただ、ALOがオープンして1年経つというのに、グランド・クエストは未だ攻略されていない。キークエストの見落とし、単一種族では攻略不可という説が出ているが、もしも後者であるならば大いなる矛盾が生じる。なにせ、『最初に到達した種族しか《アルフ》になれない』のだから。
それでも、世界樹攻略は全ALOプレイヤーの悲願であり、アリシャ・ルーもこの難関に挑む気持ちを失っていない。
「つまり共同して挑み、双方がアルフになればそれで良し。片方だけなら次のグランド・クエストも協力する……という事か?」
「さっすがサクヤちゃん! 話が早くて助かるヨー」
ケットシー特有の長い尾を左右に揺らすことで、アリシャ・ルーは感情を表現する。声の調子からも上機嫌なのが見てとれた。
「悪くない話だ。では、シルフとケットシーが正式に同盟を結ぶにあたり、条約の調印をするとしよう。これは極秘に行いたいから、そうだな……会談場所は《蝶の谷》の内陸側でどうだ? あそこならモンスターが湧かないから、会談を邪魔されて興醒めすることもないだろう。問題があるとすれば、神出鬼没の
「あー、確かに……」
現在のALOでは、期間限定でとあるイベントを開催中である。そしてそのイベントに関係するNPC達がいるのだが、それらはALO中を自由に飛び回り、いつ、どこで遭遇するかわからないのだ。もしも出会えば戦闘は必須であり、サクヤはそれを懸念している。
「無論、領主同士が落ち合うのだから護衛はつけるが……お互いに種族内の優秀な人物を連れていこう。万が一の事態があっても問題ないようにな」
「ん〜、りょーかい。それじゃあ、会談場所で詳しい内容を話し合うということで」
「あぁ。日程については…………」
一通りの話を終え、鏡に映るサクヤが手を振る。アリシャもそれに応えて手を振ると、《月光鏡》の表面が波打ち、儚い金属音を響かせて砕け散った。
アリシャはその場で右足を軸にして反転し、腕を上げて大きく伸びをする。
「さーて。これから忙しくなるぞ〜」
直後に左手を振り、メインメニューウィンドウを操作すると、1番下にあるログアウトボタンをタップ。彼女が瞼を閉じると虹色の輪が広がり、次いでブラックアウトし、リアルで横になっている肉体に意識を戻していった。
今章からALO編となりますが、まださわりの部分なので、今回は軽めの内容です。
話の骨組みは出来ているのであとは肉付けするだけですが……細かい部分を考えると中々どうして行き詰まります。先は長いです。