ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

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第56話 帰還者と未帰還者

 

 (こよみ)は1月。季節は冬。

 春であれば優しく肌を撫でる心地良いそよ風も、この時期は肌を刺すような痛みを伴う風になり、ベージュのダッフルコートやマフラーで防寒しても、外気は容赦なく体温を奪い去っていく。自堕落な思考を保持するなら家の中でぬくぬくと過ごせばよいが、その気持ちを振り切って外に出ても、やはり寒いものは寒い。倉崎悠人は冷え切った手を温めるため、空いている左手はポケットに突っ込んで中で握り拳を作り、コンビニのレジ袋を持つ右手は袖口に引っ込めた。寒い寒い太陽仕事しろ、と内心で文句を垂れつつ、彼は家路を足早に歩いていった。

 

 

 

 

 

 世間を騒がせたSAO事件が解決し、早くも2ヶ月が経過しようとしている。茅場の言う通り、ゲームクリアが成された結果、生き残っていた約6,000人のプレイヤーは現実世界の病院で一斉に目覚めることとなった。

 かの世界で死んだ筈のアバター《Kaito》が倉崎悠人として現実世界に戻ってこれたのは、アバターの死後10秒以内に発生する高出力マイクロウェーブが脳を焼き始める前に、《魔王》ヒースクリフが倒されたため、間一髪で悠人は生を掴みとれたのだと推測された。この時ばかりは、己のリアルラックの高さに救われた悠人だった。

 一方、そんな彼とは対照的に、ゲームクリア後も未だ目を覚まさずにいるプレイヤーが約300人程いる。世間は茅場の陰謀がまだ終わっていない等と騒いでいるが、少なくとも悠人はそう思っていなかった。彼の目的は2年前のあの日、既に達成しているのであり、ここにきてまだ何かやろうとしているとは思えない。つまりこの異常事態こそ、茅場が危惧し、かつ悠人のログアウト直前に依頼していた『由々しき事態への対処』なのだろう。

 とは言うものの、SAOでは攻略組の1人として名を馳せていたのに対し、現実では何の権力も持たない上に、これといった手掛かりもないので、彼に出来る事はない。完全に手詰まりだった。

 よって今の彼に出来るのは、長い寝たきり生活で落とした体力の回復に努めること。

 SAOに囚われていた学生を対象に、政府が急遽用意した学校の入学準備を進めこと。

 そしてかの世界で出会い、未だ眠り続ける人の見舞いに行くことぐらいだ。

 

「ただいま〜。う〜、さむっ!」

 

 室外から室内へと移ったため、肌を刺すような風はなくなったものの、玄関先は底冷えする。悠人の求める環境はここではない。

 家に入るや素早く玄関を施錠し、靴を脱いで廊下をやや早いテンポで歩く。暖房の効いたリビングに入り、一刻も早く冷えた身体を暖めたかったので、悠人は普段の数割増しで、リビングに続く扉を力強く開けた。

 扉を開けた悠人が最初に目にしたのは、イスに腰掛けてテーブルに肘をつき、携帯端末を操作する1人の女性だった。女性は悠人の入室に気付くとニッコリ微笑み、右手を振って出迎える。

 

「おかえり〜、悠人ちゃん」

「……りーちゃん、最近よく来るね」

「お邪魔だった?」

「そうは言ってないけど……。というか、いい加減に『ちゃん』付けはやめてくれ。今はもう高校生なんだから」

「ごめんごめん。悠人ちゃんが相変わらずかわいいから、つい」

「かわいくないっ!」

 

 出迎えた女性――りーちゃんこと天津河理沙(あまつか りさ)――は、そんな悠人の反応を楽しむかのように笑うと、肩にかかっている長く艶やかな黒髪をはらった。

 大きな瞳、すっとした鼻梁、薄い唇といった顔のパーツが完璧な黄金比率で精緻に組み合わさり、『美人』という単語を連想させる美貌の持ち主である理沙は、悠人より歳が10近く離れた従姉妹だ。その美貌もさることながら、頭脳明晰というおまけ付きであり、日本において難関と評される帝都大学をストレートで卒業するという、なんとも羨ましい経歴を持っている。

 現在は居住地から近いこともあり、遠く離れた実家よりも悠人の家に遊びに来る頻度のが高いため、こうして顔を合わせる機会は少なくない。突然来るので驚くこともあるが、出来れば事前に一報入れて欲しい、というのが悠人の本音だった。

 

「私にしてみれば悠人ちゃんは弟みたいなもんだからね〜。いくつになっても昔のかわいい印象が残ってるから、当分『ちゃん』付け卒業は無理よ。諦めなさい」

「当分って……いつになったら言わなくなるの?」

「ん〜? そうだなぁ…………私の『良い男センサー』に引っかかったら、かな。でも後10年はないだろうから、安心して」

「断言するな」

「昔は『お姉ちゃん、お姉ちゃん』ってよく私の後ろをついて回ってたよね」

「いつの話だよ」

 

 普段から実年齢よりも下に見られる悠人だが、笑った時の顔は昔の面影が色濃く出るため、理沙の抱く悠人の印象は、彼が小学生の頃から止まったままだ。故に彼女の中にある『笑顔のかわいい弟分』というイメージは、より強固になっていた。

 悠人は手に持っていたコンビニの袋を机に置き、理沙の隣に座ると、買ってきた飲み物を袋から取り出す。一口含んで飲み込み、渇いていた喉を潤した。

 

「ところでりーちゃん。仕事は?」

「休み」

「だったらウチに来るんじゃなくて、どこか遊びに行くなりすればいいじゃん」

「社会人になるとね、職場が同じでもない限り、友達と休みを合わせるのは難しいのよ」

「彼氏は?」

「いませ〜ん。中々『好き』って思える人が見つからないのよね。でも悠人ちゃんは別だからね。私、大好きだから」

「まーたそうやって人をからかおうとする。引っ掛からないからな」

「ふ〜ん……。それなら……」

 

 見惚れるほどの美貌が笑ったかと思いきや、その瞳は真っ直ぐ悠人を捉えていた。すると、何を考えているのかその意図を探る間も無く、理沙は悠人の腕に突然抱きついた。

 年の離れた従姉妹とはいえ、美人の顔が急接近したことで心臓の鼓動は早くなる。それこそ、吐息が顔にかかるほどに。

 加えて、彼の腕には理沙の豊満な胸が押し当てられたため、柔らかな感触を意識して戸惑う羽目になった。ユキの控えめな胸とは対照的な感触に、つい頬が紅潮する。

 

「あっはっは。照れてる照れてる。かわいいな〜」

「かわいくないっ! というか離れろっ!」

 

 悠人の反応が期待通りでお気に召したのか、理沙は言う通りに密着していた腕を離した。悠人で遊び、期待通りの反応に満足した彼女は、目の前に置かれているカップを手に取り、中のお茶を一気に飲み干す。

 

「ところで悠人ちゃん、今日のご予定は?」

 

 一本取られたことに対して憎々しげに理沙を見ていた悠人は、平常心を取り戻しつつ返答した。

 

「この後病院に行くつもり。少し距離があるけど」

「えっ? どこか悪いの?」

「左手が少し動かしづらいのはあるけど、それとは別件。今から行くのは……向こうで知り合った人の見舞いに行くつもり」

「あぁ。そういえば前にもそんなような事言ってたわね」

 

 過酷なデスゲームで最後まで生き残った約6,000人のプレイヤーの内、未だ未帰還の300人――つまり20分の1に運悪く選ばれてしまったとある人物()が、悠人の住んでいる場所から少し離れた病院で今も眠り続けている。声をかけても彼の欲している反応は返ってこないが、見舞いに行くのは欠かさなかった。

 

「そういう事なら、送っていこうか? 丁度今日は車で来てるし」

「へ? それは助かるけど……いいの?」

「別にいいわよ、それくらい。それに悠人ちゃんのお気に召した相手がどんな子なのか、一度見てみたいとも思ってたしね」

「ありがとう、りーちゃん。……じゃあすぐに支度するから、少し待ってて」

「は〜い」

 

 悠人は椅子から立ち上がると、リビングを出て2階の自室へと向かう。

 理沙は椅子の背もたれに掛けてあるコートを羽織り、机の上で無造作に置かれていた車の鍵を手にとった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流石に毎日とまではいかないが、高い頻度で来院している悠人の顔は既に覚えられているらしく、看守も病院のスタッフも、彼を一目見ただけで察してくれた。

 目的の部屋まで続くルートをいつも通り歩いてたどり着くと、礼儀として扉を軽くノックする。しかし反応が返ってこないことから、今は部屋の中に見舞い客がいないらしい。

 悠人は横にスライドした扉をぬけて部屋の中に足を一歩踏み出し、わずかに鼻孔をくすぐる花の香りを感じつつ、カーテンで仕切られているベッドに近付いた。この先で眠っている少女が知らぬ間に起きているのではないかという期待が、頭でわかっていてもこみ上げてしまう。無論その淡い期待は儚く散り、カーテンの先にはいつもと変わらぬ光景があるだけだった。

 最先端技術を取りこんだジェルベッドの上に、1人の少女が横たわる。

 痩せ細った身体。

 透き通るように真っ白な肌。

 ナチュラルショートの髪は肩にかかる長さにまで達しており、少女の頭をすっぽりと覆うのは、いまや《悪魔の機械》とまで言われているナーヴギア。

 ゲームクリア後も未だ覚醒しない少女――――ユキの隣で、悠人は椅子に腰を下ろした。

 

綾瀬由紀(あやせ ゆき)ちゃん、か。この子がそうなんだね?」

「うん」

 

 入室前にネームプレートで名を確認した理沙は、悠人の目の前で横たわる少女を見下ろす。理沙がチラッと悠人の表情を伺うと、眠っている少女を愛おしむ感情がはっきりと感じとれた。

 SAOの世界で一体何があったのか、悠人自身から積極的に話してきたことはないし、理沙からも詳しく問いただしたことはない。それでも、この2人の間柄がどういったものかは、彼の表情から感じ取ることができた。

 

「ナーブギアの電源は入ってるし、ネットワークにも接続されてる。この子は今もどこか別の仮想世界を彷徨っている……ってことなんだよね?」

「まぁ、そうだね。一体何処をほっつき歩いているんだか……」

 

 悠人は軽く笑いとばしながら言っているが、その笑みに力はない。今にもため息をつきそうな様子だった。

 

「一見するとただ眠っているだけに見えるけど、私達の知らない所で助けを待ってるのかもね。まるでお姫様みたい」

「お姫様……?」

「だってそうでしょう? こことは違う仮想世界の檻に囚われたまま、いつ来るかわからない王子様をひたすら待ち続けているみたいじゃない。まぁ、この子が一体どんな王子様を待っているのかは知らないけどね」

 

 と言いつつ、理沙は微笑しながら悠人を一瞥した。

 

「悠人ちゃんは、この子の王子様になる努力を何かした?」

 

 その瞬間、悠人の心臓が大きく脈を打った。

 

「で、でも、手掛かりになる情報は何一つないし……こっちじゃオレ1人で何も……」

「勿論、人それぞれで能力の差はあるから、出来る、出来ないは出てくる。でも、自分の中で出来る事から始めて、一つずつ可能性を潰していけばいいんじゃない? 受け身になって待つより、こっちから歩み寄って模索しなきゃ、何も状況は変わらないわよ。まずは最初の一歩を踏み出すこと。諦めるのは、全て手を尽くしてからにしなきゃ」

 

 現実世界に戻って、総務省の役人からユキが眠り続けていると聞き、彼女の元へ訪れた。少女の身を案じ、何者かの企みによって理不尽な状況に陥れられている現実を酷く恨んだ。

 だが、悠人のした事はそれぐらいだ。

 アインクラッドでは《掃除屋》としてあらゆる人から頼られ、救いを求められれば手を貸すこともした。主に《情報屋》として動くアルゴのサポートが多かったが、挫けそうな時はユキに助けられ、その他大勢の助力を得て困難を乗り越えた経験は少なくない。あの世界で生きた《カイト》に出来ないことはないとまで思いさえした。

 しかし、いざ現実世界に戻って1人ぼっちになれば、周囲の人に支えられていた事に大きな実感を抱く。何でも出来たのは所詮ゲームの中だけであり、現実に戻れば無力な少年でしかないのを思い知らされた彼は、無意識にどこかで線を引いていたのだ。これ以上は出来ない。これが自分の限界だ、と――。

 

 理沙の言う事が悠人の心を突くが、それは彼女の言っている事が彼にとって図星であるからに他ならない。ピンポイントで急所を貫いたかのような言葉は突き刺さり、悠人は何も言い返せなかった。

 

「具体的ではないけれど、私が言えるアドバイスはこれぐらいね。何かを感じとるか聞き流すかは、悠人ちゃんの自由よ。……それじゃあ私は少し席を外すわ。1階のロビーにいるから、何か用があれば呼んでね」

 

 ひらひらと左手を振り、軽い足取りでにこやかに立ち去る。

 理沙が部屋を出て扉が閉まると、由紀と悠人の2人は部屋に取り残された。

 

(最初の一歩を踏み出すこと、か……)

 

 悠人は静寂に包まれた部屋の天井を見上げて目を閉じ、暫しの間黙考した後、椅子から立ち上がって病室の外に出た。

 廊下に出た彼はポケットから携帯端末を取り出し、電話帳をスクロールして通話したい相手の名前をタップ。端末を耳にあてると聞きなれた呼び出し音が鳴り、離れた場所にいる相手をしつこく呼び出そうとする。

 

「悠人ちゃんは本当にわかりやすいなぁ」

 

 廊下の曲がり角で身を隠し、悠人の様子を伺っていた理沙は、ポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 通話相手に用件を伝え終わった悠人は、次に由紀のいる病室とは違う階の病室へと足を運んだ。部屋の前で一応ネームプレートを確認し、扉の前に立った――――その時だった。

 スライドドアのセンサーが悠人を認識するにはまだ距離があるというのに、扉が自動で開いたのだ。驚いた悠人は身体をビクッと震わせて一歩後ずさるが、そんな彼の反応に劣らないぐらい驚く1人の少女が、悠人の前に立っていた。

 前髪は眉のやや上で、後ろ髪は肩のラインでカットされており、色は黒色。髪の色と遜色ない眉は太いがきりっとしており、その下の勝ち気そうな大きな瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいた。身長は悠人よりも低いが、身体のラインは細いというわけでもないらめ、何かスポーツをしているだろうと彼は直感した。

 

「す、すいません」

 

 小さく頭を下げた少女はそそくさと悠人の横をすり抜け、誰もいない廊下を足早に歩き、その場を離れていった。曲がり角を曲がったところで、少女の姿は悠人の視界から消え、誰だろうと一瞬考えた後に病室の中に入る。

 

 部屋の窓際には1台のジェルベッド。

 そこで静かに息をする1つの影。

 

 この人物もまた、由紀と同様に遠い世界の虜囚という不運な運命を辿っていた。事情を知らなければ眠っていると思ってもしょうがなく、白く華奢な身体は触れると壊れてしまいそうだ。

 そしてその人物を傍で見守る影が1つ。突如横たわる人物の手を掴んだかと思えば、両手で包み、額に当てる。その仕草はまるで何かに祈っているようで、後ろ姿からでも内から溢れる慕情がひしひしと感じられた。

 

「やっぱり来てたか」

 

 愛する者の帰還を待ち望んでいるのは、なにも悠人に限った話ではない。ここにも彼と同じ思いを抱いている人物がいた。

 自分に投げかけられたのだと気付いた彼女は祈るのを止め、長く艶やかな栗色の髪を揺らしながら振り返る。SAOにおいて5本の指に入ると評されていた端整な顔立ちはやや悲しげではあるが、漂う儚さは女神を思わせ、美術品の絵画を切り抜いたかのように美しかった。

 彼女――――アスナ/結城明日奈は、気心知れた悠人の存在を認識すると、口元を緩めて綻んだ。

 

「こんにちは、カイト君」

 

 穏やかで優しい光を宿した瞳は悠人を見つめたが、すぐに彼女の想い人であるキリト/桐ヶ谷和人に注がれる。明日奈はSAOの英雄と称されるキリトの帰還を祈るためなのか、再び(こうべ)を垂れた。

 

 キリトとユキが同じ病院だったこともあり、見舞いに来ていた悠人と明日奈が再会したのは12月の中頃だ。予想外だったためにお互い驚愕を(あらわ)にしたが、明日奈があまりにも口をあんぐりと開けているものだから、思わず悠人は吹き出し、明日奈もつられて笑うという光景は、振り返ると中々滑稽である。

 そうして一時は再会を喜びあった2人だが、何故ここに? という疑問を両者が答えた後は、少しばかり空気に重みが加わったのは言うまでもない。あの世界で出会った身近な存在であるキリトとユキが、未だ帰還していないのだから。

 SAOで深い交流のあった人物と偶然の再会を果たして以降、頻繁に見舞いで訪れる2人は、どういうわけか示し合わせたわけでもないのに来院する時間がピタリと一致することが多い。だから今日のように、悠人がキリトの部屋に入り、明日奈が先に見舞いで来ていたというのは、別段驚くほどのことでもなかった。

 

 悠人が明日奈からの挨拶を受け取ると、彼女の隣まで歩み寄り、隣の椅子に腰掛ける。約6,000人ものプレイヤーを解放に導いた英雄は、ユキと同じく戻るべき世界に戻れないという不条理に囚われたままだった。

 

「明日奈、あのさ……」

 

 悠人の言葉に自然と明日奈は顔を上げ、彼を見るが、彼女は一瞬で悠人から視線を外した。その理由は静かにスライドした病室の扉を通り、2人に歩み寄ってくる人物がいたからだ。絶句する明日奈を訝しみつつ、悠人もつられて扉の方向を見ると、そこには1人の男が立っていた。

 

「おや? 今日は初めて見るお客さんがいるね」

 

 見るからに高そうなスーツに身を包み、ネクタイを締め、ブラウンがかった髪はオールバックで纏めてある。如何にも好青年を思わせる風貌だが、フレームレスの眼鏡から覗く瞳に笑みはない。

 

「来てたんですね……須郷さん」

「そりゃあ、SAOの英雄君の身が心配でね。ゲームはクリアされたっていうのに、いつまで経っても目が覚めないなんて可哀想じゃないか」

 

 言葉とは裏腹に、その声には心の欠片も込められていないことを、明日奈は気付いていた。これは決して本心からの言葉ではない。

 

「ところで、そこの君は……?」

「倉崎悠人です。初めまして。明日奈と和人とは向こうで何度も世話に……」

「あぁ、彰三(しょうぞう)氏から話は聞いているよ。君が《捨て身の英雄》だろう?」

「はい?」

 

 聞きなれない名称に対し、悠人は疑問符をつけて返答した。そんな悠人をよそに、須郷は言葉を紡ぐ。

 

「おっと、済まない。自己紹介が先だったね。僕は須郷伸之。明日奈君の父、結城彰三氏の会社《レクト》のフルダイブ技術研究部門で統括管理主任をしている。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

 

 悠人は右手を出して須郷と握手を交わそうとするが、須郷は彼の手をチラリと一瞥した後、悠人の背中側にいる明日奈に視線を向けた。

 

「ところで、例の話は考えてくれたかな?」

「……この前も言ったはずです。私は考えを改める気はありません。今までも、これからも」

「ふーん……そうか。それは残念だ」

 

 握手をスルーされた事に不満を感じつつ、明日奈と須郷に挟まれる形で立っている悠人は交互に2人を見た。この2人がどういった関係なのか悠人は知らないが、少なくとも友好的な仲という訳でないのはすぐにわかった。僅かではあるが、明日奈の言葉や表情から嫌悪感が滲み出ていた。

 

「ところで、SAOがクリアされて以降、《アーガス》が解散したのは君達も知っているだろうけど、SAOを動かしていたサーバーがその後どうなったのか知っているかい?」

 

 そう言うと、須郷はゆっくり歩いてベッドの反対側にまわり、キリトを真ん中にして悠人と明日奈に向かい合った。悠人が抱いていた須郷に対する第一印象はこの時点で既に消え去り、『好青年』という仮面の下に隠していた本性が少しずつ露わになる。須郷は2人の反応を楽しむかのように、視線を交互に配っていた。

 そして須郷の問いかけには、悠人が最近見たニュースの記憶を掘り起こして答える。

 

「たしか、他の会社に維持と管理を任されたって」

「そう。実はその維持、管理を任されているのは、《レクト》のフルダイブ技術研究部門なんだ。つまり、そこの主任を務めている僕が、眠り続けている桐ヶ谷君の命を握っていると言っていい」

「なっ…………!」

 

 明日奈と悠人が同時に驚くと、その反応を期待していた須郷は粘つくような笑みを浮かべた。

 

「わかるかい? もしも僕がサーバーを停止させたら、その時点で桐ヶ谷君は永遠に目を覚まさない可能性があるということだ。全ては僕の裁量で決まるんだよ」

「……ハッタリだ。そんな事、出来るわけがない」

「別に君がどう思うかは勝手だし、僕には興味がない。でも、彼女はどうかな?」

 

 悠人が隣の明日奈を見ると、須郷の言葉に衝撃を受けた彼女は言葉を失っていた。おそらく明日奈自身も心の底ではハッタリだとわかっているはずだが、実行するのは不可能ではない。キリトの魂を永遠に仮想世界の中へ封じ込めるか否かは、須郷の指先一つで事足りる。

 明日奈の反応がお気に召したのか、須郷は満足そうに笑みを浮かべ、舌舐めずりをする。

 

「今の話を聞いた上で、もう一度よく考えるといいよ。君が例の件を承諾してくれるのであれば、桐ヶ谷君の身の安全は僕が保証しよう」

 

 それだけを言い残し、須郷は踵を返して病室の入り口へと向かう。スライドドアが静かに動き、扉1枚分の境界線を越えて部屋をあとにすると、病室内に須郷の残した重い空気という名の置き土産が漂っていた。

 数秒間の沈黙を破り、悠人は扉の方向に顔を向けたまま、先の件を問いただす。

 

「……さっきあいつが明日奈に言ってたのは、どういう意味なんだ?」

「……私と須郷さんが結婚するっていう話よ」

「はあっ!?」

 

 得られた回答が完全に悠人の虚をついたため、声が裏返る。反射的に顔を明日奈に向けると、悠人の瞳に苦々しげな表情をする明日奈が映った。

 

「あの人は結城家に婿養子として入るために、私との結婚を利用するつもりなのよ。もしかしたら、それすら踏み台にして、いずれは《レクト》ごと乗っ取るつもりかもしれない」

「……なるほどね。つまりさっきのはキリトの身を人質にして、明日奈を脅してたのか」

 

 現時点で明日奈の弱点を正確につくのならば、昏睡状態のキリトの身を材料にするのは非常に有効だ。もしも悠人が彼女の立場にあったとしても、きっと押し黙るに違いない。大事な人の身を安全を維持しているのは、間違いなくサーバーを管理している《レクト》だが、よりにもよってあのような男が責任者であるのは、2人にとって最大の不運だろう。

 悠人も明日奈もSAOでは圧倒的技術とレベルにより、最前線を駆ける攻略組だったのに対し、現実では無力な子供でしかない。彼等にはない富や地位、権力を武器として行使する須郷に立ち向かう力を持たない悠人は、歯痒い思いを抱いていた。無論、それは明日奈にも言える事だ。

 

「明日奈は、あいつの要求を呑むつもりなのか?」

「そんな訳ないじゃない! 私はキリト君と一緒にいたい。キリト君以外、あり得ない」

「それを聞いて安心したよ」

 

 聞くまでもない事だとわかっていたが、即答した明日奈の言葉と、そこに込められた強い意志は、悠人の決意をより一層強固にした。悠人は無意識に微笑する。

 

「なら、ここはひとつ、オレ達に何が出来るか模索してみないか? 具体的に何が出来るかは自分でもわからないけど、一先ずはやれる事をやって、精一杯足掻いてみよう。ちなみに、ついさっきオレが信頼できる人間に連絡をとって、手掛かりがないか探してくれるよう協力を要請しといた」

「信頼できる人?」

 

 ただの思いつきとはいえ、SAO内部の情報と引き換えに、ナーヴギアと親しい人間のリアル情報を取り引きしたのは正解だった。当初はオフ会でも開いて再会するのが目的だったが、それより一足早く、悠人は数少ない大人の友人である彼に連絡をとっていた。

 

「明日奈もよく知ってる奴だよ」

 

 このやり取りの約3時間後、悠人のもとに連絡が入り、翌日に落ち合う手筈となった。




序盤なので展開遅め。
ALOにダイブするのは、おそらく次の次くらいです。
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