アスナが歓喜に震えていた頃、同時刻にウンディーネ領のとある場所で、カイトは驚愕の声を上げていた。
一通りの簡単な散策を終え、何気なく見た自身のステータスウィンドウの所持金とスキル熟練度が、あり得ない数値を表示していたからだ。
(いや……まぁ、助かるけどさ)
あまりの金額とスキル熟練度に一瞬だけ冷静さを失ったが、これだけあれば必要アイテムや武器の心配をする必要はなくなった。フィールドや近場のダンジョンに徹夜でこもり、資金の調達等々の過程を大幅に省くことができる。
頭を切り替えたカイトは、NPCショップで各種アイテムの補充を行い、次いで初期の頼りない装備から店売りの中でも品質の良い装備に変更した。武器は使い慣れた片手剣を選び、防具は蒼穹を写したかのような色合いのロングコートを選択。一度で全ての装備を変え、気分は順調に右肩上がりとなっていたカイトだったが、装備変更した自分の姿を一目見ようと、店に設置されている姿見を覗き込む。
この瞬間、彼のテンションが若干下降修正した。
「これが、オレ……?」
大きな猫目、薄い唇、筋の通った鼻梁、きりっとした眉に、前髪は少しだけ目にかかり、全体的な髪型はリアルの彼よりもやや長め。
男性と女性の特徴を両方兼ね備えているからか、どっちつかずの中性的な顔立ちは、人によって初見の性判断を迷うところだろう。加えて大人になりきれていない少年のような幼さを宿しているため、見た目は完全に思春期の中学生相当だった。
「せめてゲームの中でくらい、カッコイイ勇者顏にさせてくれよ……」
その願いはシステムに届くことなく、儚く散った。
その後5分間しっかりと落胆した後、カイトは気を取り直して再び領地を歩き出す。
とりあえずはシステムメニューを起動し、ALOの全体図を図示したワールドマップを展開する。細かなダンジョンまではわからないが、各種族の領地やフィールドはこれで十分こと足りた。当然、地図の中心にある世界樹の位置は、これではっきりと見てとれる。
「世界樹は……ここから西の方角か」
マップデータを見る限りだと、どうやらウンディーネ領から湿地帯を通り、《虹の谷》を抜け、そこからさらに進んでようやく世界樹に到達できるらしい。具体的な距離は不明だが、進むべき進路は判明した。
一通りの情報収集を終えたカイトだが、あと1つ、彼にはネックになっていることがあった。
「問題は飛び方、だよなぁ……」
空を飛ぶことはALO独自のシステムであり、たとえフルダイブ型VRMMO歴が2年のカイトでさえも、これに関してはどうしようもない。熟練のプレイヤーに教わるという手もあるが、生憎彼にそんな知り合いもいないため、初心者用のマニュアルを参照して自力でやるしかないと結論付けた。
ALOにおいて暗黙のルールなのか、周囲をざざっと見渡す限り、領地内で飛行しているプレイヤーはいない。万が一にも他のプレイヤーから
「いい加減にして下さい!」
声が発せられた方向へと視線を向け、暫しの間逡巡した後、無意識に足が動き出す。その歩みは少しずつ速くなり、いつしか彼は走り出していた。
(あ〜ぁ、結局こうなるのか)
好奇心とは違う。かと言って、使命感があるわけでもないし、助ける義理もない。脳が反射した結果だ。
これは強いて言うならば…………そう。
かの浮遊城で長きにわたり、芽生え、育み、培ってきた――。
――ただの『おせっかい根性』だ。
辿り着いた場所は、人気のない路地裏だった。
大人3人が肩を並べて通るにはギリギリの幅であり、左右に
ポニーテールの女性プレイヤーが抗議の声を荒らげており、長身短髪で両手剣を背負った男性プレイヤーが、そんな彼女の前を塞ぐようにして立っている。女性の態度とは異なり、男性プレイヤーが
そして女性の後方には男2人が並んで立っていて、1人は大槍を、もう1人は腰に片手剣を携えており、女性1人を男性3人で囲うような陣形をとっていた。
「そこをどいて下さい。これはマナー違反ですよ」
「まぁまぁ。そんな怒らないでさ。見た所始めたばかりの
「結構ですっ!!」
この短い会話だけで、カイトはこの場の状況を大まかに察した。要は、絶対数の少ない女性プレイヤー――しかも
ただ、彼等は複数人で取り囲んで相手を一歩も動けなくする、《ボックス》という悪質な非マナー行為を行っている。街の内部では、犯罪防止コードと呼ばれるシステムが働いているため、その影響でプレイヤーを無理矢理移動させる事は出来ない。これを利用し、彼等は彼女をこの場に留まらせ、諦めるのを待っているのだろう。
(まったく、その根気の良さを他事にまわせよ)
という感想と共に、カイトは嘆息した。
「ママを困らせるのはやめて下さい!」
(……ママ?)
ここで、美しい響きを持つ声が聞こえた。
カイトがよく目を凝らすと、女性の肩には小さな妖精が立っており、男性プレイヤーに向かって必死の抗議をしていた。背丈は10センチ程で顔は見えないが、ライトマゼンダの、ミニのワンピース姿で、背中には半透明の翅が2枚生えているようだ。
「マ、ママぁ? 《ナビゲーション・ピクシー》って持ち主の呼称も変えられるのか?」
どうやら小さな妖精は《ナビゲーション・ピクシー》と呼ばれるものらしい。単純に直訳して意味を考えると、『案内する』役割を担ったプレイヤーのサポート的存在なのだろう。
そしてカイトが様子を伺ってから今に至るまで、男達が場を立ち去る様子は見受けられない。あの諦めの悪さは、呆れを通り越して寧ろ賞賛に値する。
とはいえ、褒められた行いでないのは確かだし、ここまで来て見て見ぬフリをするつもりもない。物陰に隠れるのを止め、姿を晒け出し、ゆっくりと歩み寄って声をかけた。
「そこのおにーさん達」
「あぁ?」
柔らかな物腰で話しかけていた口調が一転し、訝しむ声には敵意が混ざっていた。声には出さずに内心で『うわー、わかりやすーい』等と呟き、カイトはもう一言付け加えた。
「その人もなんだか迷惑そうにしてるしさ、やめてあげたら? あんまりしつこいと逆効果だしさ」
「誰だお前? 俺はこの子と話してるんだよ。関係ない奴はあっちいってろ」
呼びかけた際の返事である程度予想出来ていたが、聞く耳を持ち合わせてはいないようだ。カイトの経験上、この手の輩に正論は通じないし、説き伏せるのは難しい。
「いや、でも」
「あーもう、
そう言って足を一歩前に踏み出したのは、大槍装備が印象的なプレイヤーだった。背負っている武器を片手で抜き取り、切っ先をカイトに向けると同時に迫る。両手で強く持ち手を握り、自分の身体に引き付け、大きく踏み込んで大槍をカイトの胸へと突き出した。大槍の持ち主は鋭利な槍の先端が接触する未来を思い浮かべていたのだろうが、カイトは身体を横にスライドし、最小限の動きで突きを回避。切っ先が虚しく宙を貫く。
「――――ふっ!」
回避から間を置かず、カイトは攻撃に転じた。
買ったばかりの片手剣を背中から抜くと、相手の腹部目掛けて剣を水平に振る。接触の瞬間、派手な音と火花が薄暗い路地裏を満たし、カイトは強烈なインパクトの発生によって相手を吹き飛ばした。
「――あがっ!?」
思わぬ反撃に対処出来ず、相手は姿勢を正せずに尻餅をついた。
ここはウンディーネの領地内であり、加えて攻撃した側とされた側のプレイヤーはどちらもウンディーネだ。もしもカイトが攻撃した相手の種族がウンディーネ以外だった場合、瞬く間にHPは急下降し、尻餅をつく前に《リメインライト》と呼ばれる蘇生待機状態の炎と成り果てていたことだろう。
この状況を見ていた相手の仲間2人も、カイトに対して警戒心を強めたのか、先程までの余裕ある表情が瞬く間に険しくなった。眉間に寄った皺の深さが、その心中を物語っている。大槍の男が地面につけていた尻を浮かせ、立ち上がって身構えると、相方らしき両手剣の男も背中から抜剣した。
「くっそ…………」
「おい、挟み撃ちにするぞ!」
言うや否や、両手剣の男が背中の羽根を展開して飛ぶと、カイトの背面に回り込んだ。地面に足をつけて羽根をしまうと、もう一度大ぶりな剣を構える。
「さっき一発貰っちまったからな。倍以上にして返してやるよ!」
「安心しな! どんだけ喰らってもHPは減らねぇんだからな!」
2人は言い終わると同時に武器を振るうため、直線上にいるカイトに突っ込んだ。大槍の男は先程と同様に突き技を、両手剣の男は上段からの垂直切りを繰り出すため、お互いがお互いの適した予備動作をとる。
逡巡したのも束の間、カイトが先に対処すべきと判断したのは大槍の男だ。幅の狭い路地裏だと、形状の大きな武器で実行出来る攻撃パターンは限られる。その上、攻撃の軌道が『線』である剣に比べ、『点』の槍は判断を誤らずにタイミングを合わせられれば、回避が容易だからだ。
夜の冷気を含んだ空気を肺に取り込み、頭をクールダウンさせると、ピタリと自分を照準している穂先ではなく、相手の目に意識を集中させる。そこからコンマ数秒後、相手の目がカッと見開かれたのを見逃さず、カイトは身体を沈めて斜め右方向に前傾させた。鋭利な穂先がカイトの左肩口数センチ上を通過すると共に、槍の持ち手を掴み、前へ進もうとする運動エネルギーを利用して片手の一本背負いを繰り出す。
「うおっ……りゃあっ!!!!」
全身をバネのようにしならせ、無駄なく力を伝えて放り投げると、大槍の男は宵闇の宙を舞う。一瞬の出来事に理解が追いついていない様子で、それは相方も同様だった。ついカイトから視線を外し、投げられた仲間を目で追ってしまうが、その隙はカイトにとってこの上ない好機だ。
カイトから目を離した両手剣の男に向かって疾駆すると、剣を左肩に担ぎ、身体を前に倒す。完全に倒れる寸前で利き足に力を込め、地面を強く蹴ると、担いでいた剣を思いっきり相手に突き出した。数え切れないほど多用し、身体と脳に染み付いたアシストなしの片手剣突進技《レイジスパイク》は、相手の胸部に吸い込まれていった。
「うわあっ!?」
両手剣の男は掲げた剣を振り下ろすことなく、勢いよく後方へと弾き飛ばされた。さらに、一本背負いで投げられた男の上に重なるような形となったため、その様子はアメリカのカートゥーンを連想させる。
一瞬にして2人をいなしたのが信じられないとでも言うように、女性をナンパしていた男は口をあんぐりと開けていた。たった今いなしたばかりの2人を一瞥すると、カイトは残りの1人に向き直る。
「オレとしては穏便に事を済ませたいから、積極的に手を出すつもりはないんだけど……どうする?」
「わ、わかった! よくわかった! 今すぐ消えるから! それで良いよな? な?」
デスペナを受ける心配はないが、攻撃の際に発生するノックバックだけでも相当に痛いし、やりようによっては恐怖心を植え付けることだって出来る。その事を充分に理解しているであろうナンパ男は、一目散に仲間の元へと駆け寄り、全員が逃げるようにしてその場を後にした。
暗闇に溶けて消え去ったのを見送ると、カイトは取り残された見知らぬ女性に近付く。
「いや〜、物分かりのいい人達で助かったよ。向こうがむかってきたら実力行使でもしようかと思ったけど、その必要はないみたいだったし。……というか、こんな人気のない所で女の子1人は危ないよ。道に迷った? それとも、何かのクエストでここにいたの?」
軽装の少女に語りかけるも、返答はない。カイトは突然の出来事に頭が追いついていないのだろうと思ったが、どうもその顔色には、驚愕以外の何かが含まれている気がしてならなかった。
「えっと……聞いてる?」
少女を覗き込むようにして様子を伺おうとしたが、不意に発せられた一言で、カイトはその動きを途中でキャンセルした。
「……もしかして…………カイト、くん……?」
「………………えっ?」
まだ名乗ってすらいないのに、自身のキャラネームをピタリと言い当てられ、動揺で固まってしまった。『いえ、違います』と言えればよかったのだが、咄嗟の事で機転を利かせられず、何も言い返さない彼の様子はズバリ肯定しているとみてよいだろう。
質問した少女はカイトが否定の意を示さないため、Yesと捉えると、一気に親しみを込めた態度になった。満面の笑みを浮かべる様は、見知らぬ世界に来てようやく知り合いを見つけたかのような安堵感を含んでいた。
「あぁ、やっぱりカイト君だ! 私よ。アスナよ」
「………………え?」
聞き取った言葉を頭の中で
――この日2度目となる、最大級の驚愕を含んだ声が轟くこととなった。
代わり映えしない、退屈な部屋。中にあるのはイスとテーブル、簡素なベッドといった最低限の設備のみ。一体どれだけの時間をこの空虚な部屋で過ごしたのか、ユキは思い返すのも億劫になっていた。
窓も扉もないこの部屋では、外から差す陽光や夜の闇といった指標は存在せず、自力で今の時間帯や日付を知る術は存在しない。この空間は、見た目は小綺麗でも、彼女にとっては自分を生かすためだけに存在する牢獄に等しい。
「…………はぁ……」
ユキは何をするでもなく寝具の上で横になり、眩しいほどに真っ白な天井を見つめる。少しだけ寝返りを打つと、纏っている薄い布地が肌を撫で、こそばゆい感覚が彼女を襲った。
ユキはこの世界に囚われてから今に至るまで、ベッドに寝転がる、部屋を歩いたり軽く身体を動かす、またはこの部屋に唯一訪れる来訪者と会話を交わす等で過ごしている。当初は自分が陥っている現状から目を逸らし、気を紛らわせる事も出来たのだが、ここ最近はそれも難しくなってきていた。
それでも、挫けるわけにはいかない。諦めるつもりも、この理不尽な状況を受け入れるつもりも、彼女には毛頭ない。誰かに頼ることの出来ない今は、自分の力だけで切り抜けなければならない。この頃
「ヤッホー。今日の気分は如何かな?」
そんなユキの遠くにいきかけた意識を引き戻したのは、いつの間にか部屋に足を踏み入れていた小柄な少女の快活な声だった。閉じていた目を開け、身体をベッドから起こすと、声のした方向を向く。
その少女はユキがこの世界に迷い込んだ時、最初に出会い、おそらくは何らかの脅威からユキを助けてくれた人物だ。混乱している彼女を落ち着かせてくれたし、質問には答えられる範囲で答えてくれるため、ユキの中で悪い印象は抱いていない。ただし、謎の少女自身の事について教えたり、この部屋の外に出る事に関しては、絶対に首を縦に振ろうとしなかった。
「いつもと一緒だよ。退屈すぎて死にそう。…………ところで妖精さん。一体いつになったらここから出してくれるの?」
ユキはこの少女の名を知らないため、便宜上は《妖精さん》と呼ぶ事にしている。呼ばれた本人も特に異を唱えるような事がなかったため、出会って以降はずっとこの呼び名で定着していた。
「えー、またその質問? もうちょっとだけ待っててよ」
「……それ、この前も聞いた」
「残念だけど、今はまだその時じゃないんだよ。でも、ユキちゃんがいい子にしていれば、必ずここから出してあげるから。ね?」
いつもと何ら変わりない回答に対し、ユキは子供が拗ねたような不満顔を形作る。それを見た妖精さんは、小さな笑みを零した。
この時、ユキは顔を妖精さんの方向に向けていたが、彼女は妖精さんを見ていたわけではなく、その後方にある壁を見ていた。今は何の変哲もない真っ白な壁だが、妖精さんが部屋に入る時は、その部分だけが一時的に扉へと変化するのだ。扉はほんの数秒で元の何もない壁に戻るが、現状でユキが確認できている部屋の外への道は、今の所そこしかない。
(絶対に……ここから出る!)
今、彼女が抱いている唯一の希望は、『外界への脱出』だ。狭い部屋から抜け出して元の世界へ戻る事だけが、ユキに生きる活力を与えるエネルギー源となっている。大人しく言う事を聞いて従順なふりをしているが、その実、ユキは虎視眈眈と脱出の機を伺っていた。
そんな心情を悟られまいと、ユキは妖精さんからは見えないように顔を背けた。
領地内に随意飛行の訓練施設があるのは独自設定です。
『タイトルでいうほど剣で勝負してないじゃん!』というツッコミはなしの方向で……。