ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

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第60話 妖精王の玩具と旅支度

 

 眼前にはどこまでも澄んだ青空が広がり、下を見下ろせば薄い雲が絨毯のように敷き詰められている。彼の目の前にある景色は絶景と呼ぶに相応しいもので、それは仮想世界であるが故にチリ一つない美しさで構成されている。だが、その景色に対して人並みの感想を抱けるほど、今のキリトの心境は穏やかではない。それもそのはず、キリトは黄金の格子で出来た鳥籠に囚われ、自由を制限されているからだ。

 

 尊い犠牲を出しつつも魔王を倒してSAOをクリアしたキリトは、アスナや他のプレイヤーと同様、正常にログアウトして現実へ戻るはずだった。しかし、彼が次に目を覚ました場所は、病院のベッドの上ではなく、巨大な樹木の枝上に設置された黄金の鳥籠の中だった。

 薄手の白いワンピースに、胸元には緋色のリボン。闇を映したかのような漆黒の頭髪は、背中にかかるほどの長さだ。自分の身体が女体化したのかと思ったが、胸元を触ると女性ならばあるはずの柔らかな感触がないことから、見た目は女性に近いが本質は男性のアバターなのだろう。キリトはほっと胸をなでおろした。

 多少の混乱はあったものの、SAOで鍛えられた判断能力と適応力で冷静に周囲を見渡し、五感で感じられる情報から置かれた状況を分析。その結果わかったのは、自分はまだ仮想世界の中にいるという事と、自分のいる鳥籠は、明らかに人を閉じ込めるために設計されているという事だ。つまり、何者かの意図が絡んでいるのはどう考えても明白である。

 そんな考えに至ってから約1時間後、この状況を作り出した『何者か』――――ずばり張本人が、キリトの前に現れたのだ。

 その日以降、キリトはずっと鳥籠の中で過ごし、時折訪れる来訪者に嫌悪と侮蔑の目を向ける日々を送っている。

 そしてその来訪者は、今日も彼の前に現れた。

 

「やあ、キリト君。気分はどうかな?」

 

 格子の間から遠い空を眺めていたキリトの背後から、突如声が聞こえてきた。ここに来る人物は1 人しかいないため、振り向いて相手を確認するまでもないが、キリトは顔を歪ませて嫌悪を含んだ言葉を吐き捨てた。

 

「最低だよ。そもそも、あんたのおかげでオレの気分が晴れた日は1 日たりともないさ」

「ククク、君は相変わらず口が減らないね」

 

 キリトの前に現れたのは、妖精の世界を統べる者《妖精王オベイロン》もとい須郷伸之だ。現実世界(リアル)で待っている家族の下へ帰れず、こうしてキリトが仮想世界に囚われ続けているのは、何を隠そうこの男が原因を作っている事に他ならない。

 

 オベイロンはSAOサーバーのルーターに細工を施し、それによってゲームクリアと同時にプレイヤーを拉致する計画を立てていた。その目的は『人間の記憶・感情・意識のコントロール』を研究するためである。予定より早くゲームはクリアされ、目論見通りに300人程のプレイヤーをALO内で極秘に作られた研究施設へと拉致出来たところまでは良かったが、最重要監禁対象であるアスナではなく、キリトが鳥籠内に現れた時、オベイロンは多少なりとも動揺した。

 しかし、SAO内でキリトがアスナと親密な関係であると知った時、これを利用して彼女を揺さぶろうと考えた。アスナに結婚を迫って結城家に婿養子として入り、《レクト》を乗っ取るという、彼が胸に秘めている野望を達成せしめんためだ。

 同時に、ただ監禁しているだけでは面白くないと思ったオベイロンは、時折キリトの下へ訪れ、様々な手段を用いて玩具のように遊んでいる。

 

「もし良かったら、今度来る時は今の君に似合いそうな黒いドレスでも持ってこようか? きっと気に入ってくれると思うんだが」

「オレはあんたの着せ替え人形じゃないぞ。やるならマネキンでも用意して一人でやってくれ」

「……まったく、君は本当に口が減らないな。それに、その態度はこの世界の王に対して無礼極まらないと思わないのかい?」

「他人の座っていた玉座を横取りして王様気取りか? あんた、酷く滑稽だよ」

「今日はいつにも増して生意気だなぁ。これは仕置きが必要だね……」

 

 そう言うやいなや、オベイロンは五指を開いた右手をゆっくり持ち上げ、キリトに向けてかざす。彼が一体が何をしているのか、あるいは何をしようとしているのかわからないキリトだったが、その答えはすぐに判明した。

 

「――――ッ!!!!」

 

 オベイロンの意味深な行動から左程間を置かず、キリトの全身に不可視の圧力が加わる。まるで巨人がキリトの頭上から手をかざし、上から押さえつけられているような感覚だった。彼は片膝をつき、オベイロンに対して強制的に(こうべ)を垂れる格好になったが、無論、これはキリトの意思によるものではない。

 

「ククク、どうだい、中々キツイだろう? これは次のアップデートで導入する《重力魔法》さ。一般プレイヤーに先駆けて威力を体感できるなんて、君はとても運が良い」

 

 靴音を鳴らしながら近づくオベイロンに、キリトは顔を持ち上げて視線で抵抗する。

 《重力魔法》の威力を全身で受けている彼の顔は苦渋に満ちているため、それがかえってオベイロンの機嫌を上向きにしたようだ。満足したオベイロンがかざしていた右手を下ろすと、今まで押さえつけられていた感覚が嘘のように霧散し、身体がふっと軽くなる。キリトは無意識に止めていた息を大きく吐き出した。

 

「僕がその気になれば、君を他のSAOプレイヤーと同じようにモルモットとして扱う事も出来るんだぞ。あえてそうしないのは、僕が仕事で抱えるストレスのはけ口に丁度いいのと、彼女に対する交渉材料として利用価値があるからだ。こうして寝床を与えられたり、言葉を話したり動いたり出来る状況は、非常に恵まれているといっていい。……まあ、それも今だけだ。そういう態度をとれるのも時間の問題だね」

「……どういう、意味だ……?」

 

 今のオベイロンはキリトを痛めつけた事で、多少は機嫌を良くしている。キリトの短い質問に対し、彼は充分すぎるほどの回答をくれた。

 

「僕が今、この世界で壮大な研究に取り組んでいるのは、以前君にも話しただろう? 丁度いい実験体が300人も確保できたから、実験の進行ペースは非常に良くてね。そろそろ研究が完成しそうなんだ」

「なっ……!」

 

 人間の記憶・感情・意識をコントロールするという研究が完成してしまえば、人を意のままに操れるという事だ。大切な人の記憶を失わせたり、心に穴を空けて廃人にする事だって可能だろう。

 

「研究が完成したら、その成果と《レクト》をアメリカの企業への手土産にしようと思っていてね。きっと向こうはよだれを垂らして待ち望んでいるだろうさ。……その前に、君を完成した研究の第一被験者にしてあげよう。つらい記憶や苦しい記憶も全て消し去って、僕の従順な下僕としてね」

 

 言いたい事を全て言い終えたオベイロンは、満足気な表情を浮かべると、踵を返して鳥籠の出入り口へと歩く。ファンタジー要素の多いこの世界には相応しくない電子パネルに触れ、暗証番号を入力。扉が開くと一度だけ振り返り、キリトを一瞥して鳥籠の外へ出た。

 

「……オレは…………」

 

 オベイロンの足音が遠ざかり、扉は再び閉じられた。妖精王がいなくなり、静けさに包み込まれた籠の中で、キリトはポツリと呟いた。

 

「……オレは、なんて無力なんだ……」

 

 その呟きは風にさらわれ、空気に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうしてオレだってわかったんだ?」

 

 予期せぬ偶然と幸運に助けられ、ALO内で合流できたカイトとアスナは、ウンディーネ領の一画にあるカフェで一息ついていた。2人は乳白色のイスに腰掛け、同色のテーブルにはそれぞれがNPCにオーダーしたドリンクが置かれている。

 カイトは黄金(こがね)色に輝いている炭酸を、アスナは薄いピンク色をした酸味のある飲み物だ。お互いが自分のグラスを手にとり、渇いた喉を潤わすが、柑橘系の爽やかな味が口の中一杯に広がると、カイトは味の深さに胸中で感嘆の声を漏らした。ここまで美味しいと思える飲み物は、SAO時代のNPCレストランでは存在しなかったからだ。

 それは対面するアスナも同様だったらしく、彼と同じような反応を示している。ひとしきり味を堪能した後、彼女はカイトからの質問に答えるため、少しだけ考える素振りを見せた。脳内で言葉を選び終えると、薄い唇がゆっくりと動く。

 

「最初に『あれ?』って思ったのは、カイト君が剣を抜いてからかな。相手に突進する時、《レイジスパイク》の予備動作(プレモーション)をとっていたから、《SAO生還者(サバイバー)》の誰かだとはすぐに勘付いたの。それに、口調や雰囲気がどことなくカイト君とソックリだったから、もしかしてと思って。だから、決して確信があったわけじゃないわ」

 

 ソードスキルはアインクラッドで使用できた独自の剣技であり、その型を知る者は当然元SAOプレイヤーに限定されるので、アスナが『生き残った6,000人の内の誰か』という推測に行き着くのは容易だ。彼女が『カイト本人ではないか?』という疑問を抱く事が出来たのは、度重なる困難を共に経験し、只の知り合い以上の関係を築いていたからこそだろう。そうでなければ、ささいな違和感を抱く事もできず、こうして同じ席で会話をしてはいないはずだ。

 

「う〜ん、それは完全に無意識だったな。やっぱり剣を握っている時の癖が抜けてないみたいだ」

「私だって、いざ戦闘になれば、カイト君みたいにソードスキルの予備動作(プレモーション)をとるぐらいはすると思うわ」

 

 アスナはグラス内の飲み物を半分ほど飲むと、テーブルの上に置き、座っている席近くの窓から外の景色を眺める。窓から射す月光がアスナを照らし、物思いにふけっているその様子は、美しさの中に儚さを秘めているようだ。

 美人は何をやっても絵になるな、という感想をカイトが抱いていると、アスナは彼に向き直る。

 

「ところで……カイト君のアバターって、リアルと雰囲気が似ているよね」

「そう?」

「うん。姿は勿論違うんだけど、柔らかいというか、可愛らしいというか」

「ちょっと待て、アスナ。それはリアルのオレも可愛いという事になるよな? それは断じてないし、そもそも男に可愛いは褒め言葉じゃないぞ」

 

 そう指摘したカイトは嘆息し、言葉を紡いだ。

 

「クラスの女子にイジられたり化粧されそうになったり、挙げ句の果てには文化祭の出し物でオレだけ女装されそうになったんだぞ。『絶対ヤダ!』って断固拒否したから着ぐるみ着て宣伝するにとどまったけど、もしも安易にOKしてたら、間違いなく本気でやらされてたな」

「う〜ん、男の子はそういうものなのかな?」

「アスナは女の子だから、そこら辺の気持ちはちょっとわかりづらいかも。それに美人だから言われ慣れてるんじゃない?」

 

 何気なくカイトが口にした本心に、アスナは照れ顏ではにかんだ。

 

「そ、そんな事ないよ。私だって言われたら嬉しいわ。でも、言われて1番嬉しいのは、やっぱりキリト君だけどね」

「惚気るなよ」

 

 すかさずカイトはツッコミを入れるが、その後に続いてこれまで2人の会話をアスナの肩で聞いていた小さな妖精が、快活な声で話に参加した。

 

「私も、パパに言われるのが1番嬉しいです」

 

 そう言ったのは、キリトとアスナの娘である《ナビゲーション・ピクシー》のユイだ。幼い見た目通りの無垢な笑顔を見たカイトは、アスナから説明を受けたにも関わらず、未だに彼女がAIであるという事実が信じられずにいた。

 SAOの頃はユイと接点がなかったため、彼女と直接会話をするのはこの世界が初めてだ。そしてユイが歩んできた道のり、出会いと別れ等を聴き終えた時、アスナとユイの間にある目に見えない絆の理由が何なのか、カイトは理解できた気がした。それでも、ユイの話す語彙の多さ、人間味溢れる表情や反応は、明らかにNPCの範疇を超えている。

 

「ユイのパパ大好きはアスナ譲りか。この親にしてこの子あり、だな」

「だって本当の事だもん。ねー、ユイちゃん?」

「はい!」

 

 2人を並べて見てみると、細かな仕草や言動がどことなく似ている気がしなくもない。もしかすると、ユイはキリトとアスナに会うべくして会ったのかもしれない等と、カイトは何処か運命めいたものの存在を感じた。

 

「それじゃあ、大好きなキリトパパに会うためにも、こっちから動き出さなきゃな」

 

 そう言い終わる前に、カイトは左手を振り下ろしてシステムメニューを起動した。鈴の音色に似たサウンドエフェクトが響くと、まずはアスナとユイにも見えるようにウィンドウの可視化設定をし、ALOの全体図を表示する。カイトは最初に自分たちの現在地であるウンディーネ領を指し示した。

 

「今オレ達がいるウンディーネ領がここ。そして目的地の世界樹は、ここから真西に進んだ先だ」

「数値で表すと、直線距離で約50キロメートルです。道中には避けて通れないダンジョンもありますが、出現するモンスターはママとカイトさんのステータスを考慮すると、あまり脅威ではないと思われます」

「警戒すべきは、もしかしたらモンスターよりもプレイヤーかもね。SAOのデータが引き継がれているといっても、多人数で囲まれたりしたらどうしようもないもの」

「あっ、やっぱこれってバグじゃなくて、データを引き継いだ結果なんだ?」

 

 大まかな予想はしていたものの、これといった根拠がなかったために、カイトは自身の異常ともいえるステータスを説明出来ずにいた。内心ではいつか運営に見つかり、アカウントを凍結されるのではないかとヒヤヒヤしていたのだ。

 

「はい。バージョンは少しばかり古いですが、この世界のサーバーはカーディナルのコピーを使用しているため、基幹プログラムやグラフィック形式は完全に同一です。旧SAOのセーブデータがそのまま残っていたため、ママとカイトさんの高いステータス数値は、一部共通するシステムデータをそのまま使用している証拠といえます」

「なるほどね。それならこの解像度の高さも納得だ」

 

 疑問が1つ消え去ったところでカイトはウィンドウを消去し、グラス内に残っている炭酸を飲み干した。

 

「それじゃあ、出発に必要な準備を整えるとするか。たしか通り道に随意飛行の練習場があったし、そこで少し練習するとして……」

「あとはアイテムの補充もする必要があるわね。他には何かある?」

「えーっと……」

 

 考えを巡らせようとしたカイトは、ふと対面するアスナに視線を移す。そこで彼は、自分の装備が既にNPCショップ製のものに更新されているのに対し、アスナはログインした時のままであるのに気が付いた。

 なので、カイトは真っ先にするべき優先事項を口にする。

 

「とりあえず、アスナは初期装備から卒業しようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パーティーを抜けると聞いたが…………リーファ、一体どういう事だ?」

 

 領地の外に出て長い旅のスタートを切ろうとした矢先、早くも出鼻を挫かれたリーファは、ほとほと辟易していた。彼女が今思っている事を口に出したのだとしたら、それは『うへぇ……」と言う以外他ないだろう。その原因は、傍らにパーティーメンバーを従え、仁王立ちで腕を組み、リーファの前に立ち塞がっているシグルドという男だった。

 

 シグルドはシルフの領主であるサクヤの側近として軍務を預かる身であり、シルフでは大きな影響力を持つ人物の1人だ。派閥に加わる事を忌避するリーファと違い、政治に積極的な活動を示す上、プレイヤーとしての戦闘力も折り紙付きである。《シルフ五傑》と評されるリーファと遜色なく、月1で行われるデュエルトーナメントでは常に上位に食い込んでいる程だ。

 しかし、リーファはそんなシグルドを尊敬したり、良い印象を抱いているかと問われれば、そうでもない。リーファがシグルドに誘われ、パーティーを組んで度々狩りをするのは最近になってからだが、彼がリーファをパーティーに誘った理由は『自分がリーダーを務めるパーティーの付加価値として欲しがったから』というのが、レコンの見解だ。ネットゲームは女性プレイヤーが少なく、ましてやリーファのように整った容姿のアバターは希少なので、自分の手が届く範囲に彼女を置けるというのは、それだけで周囲の評価は上がる。彼の独善的な言動に嫌気がさす事はこれまで何度かあったが、心当たりがない事もなかったので、それを聞いた彼女のシグルドに対する印象は間違いなく下がった。

 

 出来ることなら顔を合わせずに領地を出発したかったが、このタイミングの悪さはリーファの想定外だ。おそらくレコンはリーファから言われた通りにメッセージを飛ばし、たまたまログインしていたシグルドは文面を読むや否や、事情を直接聞くために彼女を待ち伏せていたのだろう。リーファがシルフ領のシンボル、風の塔に向かったのはレコンが見ていたので、シグルドにどの方角へ向かったか問われれば、レコンが答えるのは容易いし、シグルドが先回りするのも容易い。

 事を荒立てずにこの場を収めたい彼女は、可能な限り笑みを浮かべて口を開いた。

 

「ちょっと外へ行く用があるの。それと貯金もできたし、のんびりしようかなって」

「随分と勝手な理由だな」

「えっ?」

「お前は既に俺達のパーティーメンバーだ。気まぐれで抜けて、他のメンバーに迷惑がかかるという考えに至らなかったのか?」

 

 この問いに対し、リーファは唖然としてその場に立ち尽くす以外の行動がとれなかった。

 リーファはパーティーに加入する際『抜けたくなったらいつでも抜ける』という条件で参加したのだが、これでは話が違う。やはり彼は自分をパーティーの付加価値――――ブランド品の類としか見ていないのだろうか、という気持ちが心中に去来した。

 現実世界のしがらみなど関係なく、背中の翅で自由に大空を飛翔する事は、リーファがALOに魅了された要素の1つだ。しかし、ゲームの中で築いた関係にこうも縛られるのは、彼女の望むところではない。他のプレイヤーも少なからず自分と同じ思いを抱いていると思っていたが、それは甘い考えで、子供故の無知なのだろうか。

 失望するリーファの気持ちなど知る由もないシグルドは、何も反論せずに俯く彼女を見て、自らの行いを反省したと感じた。鼻を鳴らし、組んでいた腕を緩めて姿勢を崩す。

 

「…………私は……」

 

 だが、それは大きな間違いだ。今のリーファはやるせない思いと行き場のない憤懣(ふんまん)が混ざって溶け合い、心がひどく重い状態だ。いつか不満をぶつけてもおかしくない。

 

「……私は……じゃない……」

「ん?」

 

 ――いや、『いつか』ではない。その時は『今』だった。

 

「私は、あなたの装飾品じゃない。装備は兎も角、私まで縛りつけるのはやめて」

「――――なっ!?」

 

 予想外の返答に驚きを隠せないシグルドだったが、それはリーファも同様だった。何故なら、たった今口をついて出た言葉は、ほぼ無意識に出たからだ。

 顔を上げれば、そこには明らかに機嫌を悪くし、顔を赤く染めたシグルドがいる。うわーやっちゃったーと内心冷や冷やしているリーファは、もうこの場を丸く収める名案が浮かばず、怒りの声をのせたシグルドの声が浴びせられるのを待つしかなかった。

 

「おや? リーファじゃないか」

 

 しかし、リーファの背後から凛とした声が響き、思いもよらない人物が登場したことで、その展開は訪れなかった。

 ダークグリーンの背中にかかる艶やかな直毛、白い肌、切れ長の眼、高い鼻筋、薄く小さな唇といった容姿は、誰もが羨む美貌だ。和風の長衣を身に纏い、刀よりもさらに長い大太刀を腰に携えているが、シルフの中でも長身の彼女には見た目にも非常にしっくりとくる。一目見たら忘れないだろう姿をした彼女は、現シルフ領主のサクヤに他ならない。領主の登場で周囲にいたプレイヤーから一気に視線が集まる。

 サクヤは深紅の高下駄(たかげた)を鳴らしながら接近すると、リーファとシグルドの間に割って入った。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

 2人の間に漂う不穏な空気を敏感に察知したサクヤは、交互に両者の顔を見て訝しげな表情を浮かべる。そんな彼女の疑問に、シグルドは素早く返答した。

 

「実は、リーファが突然パーティーを抜けると言い出したんだ。どうやら外に出る用があるらしいんだが、あまりにも自分勝手な考えに腹が立ってな」

(自分勝手なのはどっちよ!)

 

 流石に今度は口に出さなかったが、またしても胸の内に怒りの炎が再熱する。

 サクヤはシグルドの意見を聴いた後、リーファに顔を向けた。リーファが助け船を出して欲しい一心で懸命に目で合図を送ると、勘のいいサクヤはふっと柔らかな笑みを零し、再びシグルドを見る。

 

「シグルド、その事なんだが……」

 

 サクヤはシグルドに歩み寄ると、声のボリュームを一気に落とし、近場のリーファがなんとか聴き取れるレベルで囁いた。

 

「近々行うケットシーとの条約調印なんだが、私から頼んでリーファにも護衛メンバーの一員として参加してもらう手筈になっているんだ。パブリックスペースで事情を話すには(はばか)れる極秘事項だから、この場でどう説明するか、彼女も困っていたんだろう。そういう事だから、許してやってくれ」

(ケットシーと条約? 極秘事項?)

 

 話の内容はさっぱりわからないが、これを聞いたシグルドには心当たりがあるらしく、顔色を変えた。つまり、シルフの中でも領主をはじめとした上の役職に就く者しか知らない情報のようだ。

 

「……まったく、それならそうと早く言え!」

 

 まだまだ言い足りない様子だが、領主自らが頼んで外へ連れ出すには正当な理由のようで、シグルドもそれ以上は言及しようとしなかった。それでもリーファがパーティーを抜け、先ほど彼女から言われた言葉に対する怒りは収まっていないらしく、代わりに捨て台詞を一言吐いてその場を後にする。彼の後方にいたパーティーメンバーもシグルドの後を追い、どうにかこの場を切り抜ける事ができたようだ。周囲のプレイヤーから少しずつ話し声が聞こえ始め、普段と変わらない風景が戻ってきた。

 

「ふぅ……ありがとう、サクヤ。おかげで助かったわ」

「なに、これぐらいの事ならいつでも手を貸すさ」

 

 サクヤの機転に助けられたリーファは、ほっと胸を撫で下ろし、小声でサクヤに話しかける。

 

「ところで、サクヤ。さっき言ってた条約って何の事?」

「ん? あぁ、実はな……グランドクエスト攻略のために、ケットシーと同盟を結ぼうと思っているんだ」

「えっ? でも……」

「皆まで言わなくてもわかっているさ。オベイロンに謁見できる種族は1つのみだが、もし攻略に成功したらどちらかに譲り、次のグランドクエストでもお互い協力して、今度は前に譲った側が報酬を受け取るという内容だ。これなら双方共にメリットがある」

「あぁ、なるほどね」

「条約の調印は《蝶の谷》で行う予定だ。あそこならモンスターに乱入されて水をさされる心配はないし、見晴らしもいいから誰かに盗み聴きされる心配もない。そして領主がフィールドに出るわけだから、万が一に備えて護衛を連れて行くんだが……問題は未だ討伐されていないイベントNPCのスプリガンの存在だ。奴と遭遇するのは何としても避けたいからな」

 

 この時、リーファはサクヤの話を聞きつつ、とある案を考えていた。条約の調印をするという《蝶の谷》は、世界樹へ行く道中にあったはずだ。それならば――――。

 

「……ねぇ、サクヤ。私もその護衛に加わらせてくれないかな?」

「リーファがそう言ってくれるのはこちらとしてもありがたいし、願っても無い申し出だが…………いいのか?」

「うん。実は私、ちょっと世界樹まで行く用事があるんだけど、1人で行くには少し心許なくて……。《蝶の谷》まではしっかりサクヤの護衛を務めるから、途中まで一緒に行かせて欲しいの。そこから先は自分でなんとかするわ」

 

 リーファの話を聞き終えたサクヤは、考える素振りを見せると、すぐに顔を綻ばせた。

 

「わかった。そういう事情なら、途中までよろしく頼む。リーファがいてくれるなら心強いよ」

「任せて。誰が来ようと、サクヤには指一本触れさせないから。それで、《蝶の谷》にはいつ行くの?」

「明日の夕方にはここを発つ予定だが、大丈夫そうか?」

「うん」

 

 途中までではあるが、思わぬ形で頼りになるプレイヤーと行動を共にする約束を交わす事ができた。サクヤにつく護衛達も名の通ったプレイヤーばかりで、これならフィールドを安心して進めるだろう。

 胸の奥にあった不安要素の排除に成功したリーファは、兄の救出という重大ミッションのスタートを切るであろう明日の訪れを、早く早くと内心で急かしていた。

 




拙作のキリト姫はGGOキリトの容姿をイメージしています。

各々が領地の外へ出る準備を整えました。次の章からは戦闘メインの回が多数……の予定です。
そして次の話は拙作恒例の番外編となります。
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