ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

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第63話 図る好機と探る真意

 

 真っ白な壁を両手で触り、ユキはどこか外へ繋がる綻びはないかと淡い期待を込めて探していた。

 彼女が決意を新たに脱出の糸口を模索し始めたのは、唯一の話し相手である妖精さんがこの部屋を出てすぐのことだった。ベッドの下や家具の裏、もしくは床のどこかに隠し通路の入り口がないものかと思いつく限りで部屋の中をくまなく捜索するが、そうそう都合よくあるものではないらしく、綻びの『ほ』の字すらない。よって彼女が最終的に脱出の可能性を最も含んでいると結論付けたのは、妖精さんがこの部屋に出入りする時だけ扉に変化する壁の一部分だった。

 どういった構造なのかは不明だが、普段は一見して何の変哲もない壁なのに、ユキが《妖精さん》と呼ぶ少女が通る場合に限ってスライド式の自動ドアになる。ユキが接近しても壁を触っても反応がないことから、妖精さんだけに与えられた権限であると見て良いだろう。

 

(やっぱり、扉が開いている時に隙を見て出るしか……)

 

 これまで何度も浮かんだ案がまた彼女の脳裏をよぎるが、ユキは頭を振って意識の外に追いやった。

 

(……ううん、ダメだ。あの人がいないと開かないし、そもそも隙をみて出るなんてきっと出来ない)

 

 ユキがそう言い切れる自信の源は、一見して妖精さんが気さくな雰囲気を放っていても、警戒心は微塵も緩めていないことを感じとっているからだ。

 

 ゲームオーバーがそのまま死に直結する世界で2年の歳月を過ごしたことに加え、《攻略組》の一員として強者と関わる機会が多かった彼女は、些細な動作や振る舞いで相手の実力を直感で感じ取れる。妖精さんがこれまでユキに見せた数々の仕草は、そんな彼女に確信を持って『この人は強い』と思わせるのに十分だった。

 例えば、VR世界というのは感情表現が過剰――悪く言えば大雑把――なのだが、妖精さんが笑顔を作る際にはユキも驚くほど自然な笑みを浮かべる。これは仮想世界に相当適合している証拠だ。

 立ち姿だけを切り取っても一部の隙もない妖精さんだが、極めつけは両腰に常備している武器だ。形状から判断してクロー系の武器だが、武器自体が放つ輝きは決してなまくらではなく、高水準かつガチガチに強化された逸品と伺える。強者の雰囲気と相まってただの護身用ではなく、彼女自身も数多くの戦闘をこなしてきたことが見てとれた。

 

 そんな相手に対してユキは丸腰状態なので、万が一戦闘になれば1秒と保たずに制圧されるだろう。

 

(そもそも、どうしてあの人は私をここに(とど)めておきたいんだろう?)

 

 部屋の一画にあるベッドに戻って横になり、天井を見つめる。今更だが、改めて考えると不可解な疑問点は幾つもあった。

 

 妖精さんがユキを人体実験の被験者という立場から救い出してくれた事。

 しかし、VRワールドからの脱出には手を貸さず、一箇所にユキを幽閉し続けている事。

 自分自身については何も教えてくれないのに、それ以外の事には何でも答えてくれる事。

 

 3つ目はリアル割れを防ぐためだと言われればそれまでだが、残りの2つが示す意味をユキは図りかねていた。彼女の目的は不明だが、これらの事実は必ずなんらかの意味を含んでいるはずだし、そこに妖精さんにとってのメリットがあるのだろう。

 先の見通せない未来に不安を覚えた彼女は、ベッドの上で身体を丸めて縮こまった。

 

「……会いたいよ」

 

 ポツリと呟いた言葉の対象者が誰を指すのかは、言うまでもない。心の拠り所だった人物の顔を思い浮かべると、瞳から光るものが零れ落ちた。

 SAOがクリアされる直前でカイトのHPはゼロになったため、ユキは彼が生きていることを知らない。既に脳を焼かれて息絶え、2度と会う事のできない人物だと思っているので、生きているどころか少しずつ自分のいる場所に近付いているなど夢にも思っていないはずだ。

 

「助けて……カイト……」

 

 ユキの手で部屋の内部から脱出するのは、おそらく不可能だ。部屋の外から第三者が協力してくれない限り、半永久的に閉じ込められたままだろう。

 現時点でユキを部屋の外に連れ出してくれる可能性がある人物は、世界樹目指して進行しているカイトとアスナが最も高い…………が、奇跡的に歯車がかみ合えば、ユキの脱出に一役買える人物がこの世界にもう1人いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリトは心底嫌そうな顔で内心『うへぇ……』と思いながら、オベイロンが彼に差し出した物を見た。

 今まさにオベイロンが手に持っているものは、キリト好みの黒色に染められたドレス。前回オベイロンが鳥籠に訪れた際、『黒いドレスを持ってこようか?』とキリトに提案していたのだが、あろうことか彼は有言実行し、本当に黒のドレスを持ってきたのだ。冗談だと思ってキリトは聞き流していたので、これに関しては流石に予想外だった。

 

「どうだい、中々上等なものだと思わないか?」

 

 そして誇らしげに話すオベイロンの顔が、一層キリトの不快感を増幅させた。

 

「……あんた、オレになにさせたいんだ?」

「君に何かをして欲しいわけじゃないさ。ただ、僕が君を苛めてその反応を楽しめればそれでいいんだよ」

「悪趣味な奴」

「僕は寛大だから、今のは褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 そう言うとオベイロンは椅子の背もたれにドレスをかけ、椅子に腰掛ける。足を組んでテーブルに肘をつき、キリトを見た。

 

「君だってこんな所にいても退屈だろう? 少しは僕の遊びに付き合えば、幾らか気が紛れるだろうさ」

「そもそもオレをここに閉じ込めなければそんな心配はいらないだろ。ここから出せ」

「そんなのダメに決まってるじゃないか。いちいち口に出すまでもないのは百も承知だとわかっているくせに。……それに、今ここから出ないのが君のためだと僕は思うな」

「どういう事だ?」

 

 話にくいついてきたキリトの反応で、オベイロンがニヤリと笑う。

 

「僕はもうじき明日奈と結婚するんだ」

「――なっ!?」

 

 驚愕に見舞われたキリトは両眼を大きく見開き、二の句を継げずに絶句する。オベイロンが言った言葉の意味を飲み込めない状態だが、そんな事などお構いなしに妖精王は饒舌に語り出した。

 

「当の本人がごねているから正確にはまだ確定じゃないけど、それも時間の問題だろう。彼女の父親は馬鹿だからどうとでもなるし、明日奈の抵抗もそう長くは保たないさ。なにせこっちは君の命を預かっている立場なんだから、下手に僕の機嫌を損ねるような真似はしないしね」

「お前……オレを人質にしてアスナを脅しているのか?」

「脅しているだなんて人聞きの悪い事は言わないでほしいな。僕は至極真っ当な案を彼女に提示しているだけだよ。結婚すれば君の命は保証されるし、僕は結城家の養子として彼女の家に入り込める……そう、これは双方共にメリットのある、いわば交渉さ。それに心配はいらないよ。彼女と結婚した暁には、君の分まで明日奈を可愛がってあげるからさ」

「――ふざけるなっ!!!!」

 

 キリトは右手で拳を作り、オベイロンの顔面を思いきり殴るために飛びかかる。たとえ安い挑発だとしても、アスナを目的達成のための道具として利用する彼の魂胆に腹が立ち、いてもたってもいられなくなったのだ。

 キリトを挑発したオベイロンは座ったまま右腕を持ち上げ、手をかざす。つい先日味わった巨大な圧力がキリトを襲い、地面に伏して這いつくばった。当然、右拳がオベイロンに届くことはなく、椅子から立ち上がった妖精王はなす術のないキリトを見下ろす。

 

「クックック、生意気なガキは嫌いだが、この状況で学習能力のないガキは最高だね。こっちの思い通りに動いてくれるおかげで、本当に僕は退屈しないよ」

 

 そう言ってオベイロンはキリトにかけていた重力魔法を解除すると、右足を振りかぶって這いつくばっている彼を蹴り上げた。

 

「ガハッ……」

 

 つま先が腹部にめり込み、突き刺すような鋭い不快感が蹴られた部位を中心にして広がる。勢いがのった蹴りでキリトはベッドの近くに蹴り飛ばされると、腹部を押さえてうずくまり、憎々しげに妖精王を睨みつける。

 

「……なんでもお前の思い通りになると思うなよ。この状況だって、いつまでも続くとは限らない……」

「はっ、そりゃあいつかは終わるだろうさ。ただし、僕が思い描く通りの未来で終わるだろうけどね」

 

 言葉を吐き捨てたオベイロンはキリトに背中を向けると、トーガの裾を揺らしながら鳥籠の入り口へと歩き出す。それを見たキリトは身を起こし、目論見を悟られないようベッドの天板に掛けられている鏡に近付き、身体を預けた。それと同時にオベイロンはドアに到達し、肩越しにキリトの様子を伺ったが、幸い彼からはキリトがアスナを奪われたことで悲嘆に暮れているように映っているのだろう。一瞥したオベイロンは何を気にするでもなく、ドアの脇に設置されている金属プレートへ視線を移した。

 このプレートにはボタンが12個並んでおり、数字を正しい順番で押すとドアが開閉する仕組みをしている。管理者権限で開けられるように設定すれば良いのだが、あえてそうしないのはオベイロンの好みであり、美学なのだろう。

 

 ここで、オベイロンは重大なミスを2つしている。

 

 1つは、ドアの開閉を暗証番号の入力で可能にしていること。

 当然だが、この仕組みは暗証番号さえ分かっていれば誰にでもドアを開けることができる。しかし、オベイロンがキリトに番号を教えるはずはなく、どの数字を押しているかキリトが直接盗み見ようとしても、遠ければ遠近エフェクトの発生でディティールが減少し、どの数字を押しているのかわからない。だからこそ、オベイロンは彼の前で堂々と数字を入力しているのだ。

 だが、ここで2つ目のミスが活きてくる。

 仮想世界の鏡は、鏡であって鏡ではない。映り込んだものを左右反転させて映すのは共通しているが、ここでの鏡は高解像度のピクセルを用いて表面にくっきりと映ったものを描画するのだ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうとは知らず、オベイロンはいつものように暗証番号の入力を始める。キリトからは手元が見えないだろうと油断しているが、キリトの目にはこの上なくハッキリと数字が見えていた。

 

(8……11……3……2……9……)

 

 キリトは心の中でオベイロンが押した数字を唱え、頭に刻みつけた。背後でドアが閉まる音と遠ざかる足音を耳にし、妖精王が樹上の道を歩いていく様を見送ると、キリトはベッドで横になったまま時間の経過を待った。

 自発ログアウトが出来れば最良だが、最低でもこの状況を外部の人間に伝えるぐらいはしたいとキリトは考えていた。失敗すれば再び鳥籠に閉じ込められ、番号も変更されるだろう。

 

(……チャンスは、1度だけ)

 

 キリトは夕焼け色に染まり始めた空を見ながら、脱出の算段を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフ領の北東に位置するフィールド《古森(ふるもり)》の奥深く。リーファは領主サクヤ率いるシルフの精鋭と共に中立域での戦闘をこなし、まもなく森を抜けた先にある高原地帯へと差し掛かるところだった。

 領地を出てから休憩を挟みつつ、かなりの距離を飛行してフィールドを進む一行に疲労の色はない。奥地へ行けば行くほど出現するモンスターのレベルは増していくが、それ以上にメンバーのプレイヤースキルが上なのだ。事実、先ほど出現した羽のある単眼の大トカゲ《イビルグランサー》は、シルフ領の初級ダンジョンならボス級の強さを誇っているが、さして苦戦することなく剣と魔法に屠られた。

 

(私の出る幕はないなぁ……)

 

 リーファは戦闘が始まると、後衛として前衛陣の援護に徹している。集められているメンバーは領主の護衛を任されているだけあって腕は確かだし、連携も取れているので、ここに急遽加入した自分が入って下手に連携を乱すのもどうかとリーファは考えたのだ。

 

「サクヤさん、そろそろ……」

「あぁ、そうだな」

 

 護衛の1人がそう言うとサクヤは頷き、飛行中の一行は緩やかに降下した。ちょうど古森を抜けて山岳地帯に差し掛かるところだったので、古森と山岳地帯の境界線――草原の端にふわりと着地する。

 

「さて、皆わかっているとは思うが、ここから先は会合場所へ向かうまでで1番の難所だ。一先ず洞窟の中に入り、中にある中立の鉱山都市で今日は落ちようと思う。それでいいかな?」

 

 サクヤの提案に異を唱える者はいない。彼女は沈黙を肯定として受け取った。

 

「では、翅の飛翔力が回復するまでの間、ここで1度ローテアウトしよう」

 

 ローテアウトとは、交代でログアウト休憩をとることだ。宿屋でログアウトするなら兎も角、フィールドのような中立地帯では即時ログアウトが出来ないため、かわりばんこに落ちて残ったプレイヤーが空っぽになっているアバターを守るというものである。

 

「振り分けは……そうだな、前衛組と後衛組で分けるとするか。前で奮戦していた組からどうぞ」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

 前衛組が先にログアウトしたことで、アバターが待機姿勢――片膝立ちでしゃがんだ姿勢――をとった。それを確認した後衛組は各々が好きな位置に座り、モンスターやプレイヤーの接近を意識の片隅で警戒しつつ談笑し始める。暫しの休憩だ。

 

「領主も大変なのね。わざわざ条約の調印のために遠出するなんて」

 

 リーファがサクヤに近付き、話しかけながら隣に座った。

 

「たしかに領主の地位についてから色々と政治に携わらなければならなくなったが、これはこれで面白いものさ。もし興味があるなら、執政部に入って私に助力してほしい」

「無理無理。政治ってなんだか難しそうだし、きっと私には向いてないよ」

「そう謙遜しなくてもいいさ」

 

 本心なんだけどなぁ、と思いつつリーファが笑って誤魔化していると、サクヤが思い出したように問いかけてきた。

 

「そういえばリーファは世界樹に行きたいと言っていたが、一体何故?」

 

 この問いかけに、リーファはどう答えればいいのか悩んだ。

 世界樹に行くのは、未だ仮想世界に囚われ続けているであろう和人に会うためだ。しかし、常識的に考えて世界樹にいるのは運営サイドの人間だし、人を探しているとなれば「アルンに行きたい」と普通は言うだろう。だからこそ、サクヤはリーファの言い方が引っかかったのだ。

 そして「兄が世界樹の上にいるから」という理由ではきっとサクヤは納得しづらいし、リーファ自身も説明に困る。彼女ですら、未だ半信半疑なのだ。

 

「私自身どう言えばいいのかわからないんだけど……兎に角、人を探しているのよ」

「人探しか。たしかにアルンにはその類の掲示板があると聞くが」

「ううん、きっとそれじゃあ見つからない。私が探している人は、ちょっと……いや、かなり特殊な場所にいると思うから」

「つまり、世界樹か?」

「うん」

 

 リーファの答えを聞いたサクヤは、口元に手を添えて考える素振りを見せた。鼻で笑われてもおかしくない場面だが、他人事として扱わず、真剣に聞いて考えてくれるところがサクヤの良いところだ。

 

「それだと運営側の人間、ということになるが……どうやらそうではないらしいな」

 

 導いた答えをすぐに切り捨てたのは、リーファの顔にはっきり『No』とでも書いてあったのだろう。

 

「う〜、ごめん。本当に私もどう言っていいのかわからなくて……」

「いや、すまない。リーファを困らせるつもりはないんだ。それにこちらも無理に聴き出すつもりはないさ」

 

 リーファの困った顔にサクヤは小さく笑みを零したが、すぐに表情が引き締まった。

 

「……リーファ。1つだけ教えてくれ」

 

 真剣な顔につられ、リーファの表情も引き締まる。2人の視線がぶつかった。

 

「アルンに行って目的を果たしたら、領地に戻ってきてくれるのか?」

「……最初はそのまま出よう、とか考えていたけど、今は違う。ちゃんとスイルベーンに戻るよ」

「そうか。それを聞けて安心したよ」

 

 普段は心の底を決して人にみせないサクヤだが、彼女のホッとした様子は演技でも嘘でもなく、きっと本心だ。安堵の顔を浮かべた彼女は、今はもう視認できないほど彼方にある翡翠の塔の方角に顔を向けた。

 

「君は私にとって大切な友人だ。この件が終われば私はすぐに領地へ戻るが、リーファとまたスイルベーンで会えるのを心待ちにしているよ」

「うん。絶対に戻ってくるから」

 

 サクヤにならってリーファもスイルベーンの方角を向くと、古森から穏やかな風が吹いたため、彼女は肌を優しく撫でる心地よい感覚に身を任せて瞼を閉じた。

 

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