ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

74 / 102
第64話 火の眷属と風の眷属

 

 リーファが桐ヶ谷直葉として自室のベッドで目を覚ました時、既に外は暗くなり、天上では星が瞬いていた。アミュスフィアを取り外し、すっかり暗くなった部屋をあとにして廊下に出ると、冷気が太ももを撫でたため、彼女は身体をブルッと震わせた。

 

「さむっ……」

 

 呟いた声と共に漏れた吐息は白く、自室との寒暖差が身に染みる。迷うことなく風呂場に向かい、シャワーを浴びて身体を洗い流そうと決めた。

 脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入って暖かい湯が浴びる。彼女の髪をしっとりと濡らし、胸元から足先までを湯が伝っている間、ふと昼間に出会った少年を思い浮かべた。

 兄の和人と共に行動していたという悠人は、彼の時間が許す限りで兄との思い出を話してくれた。諸事情で敬遠されることも多かったが、彼の持つセンスは最前線を駆け抜ける攻略組集団も一目置くほどだったのだ、と。一緒にいて迷惑を被ることもあったが、それを鬱陶しく思ったことは1度もなく、なんだかんだ言って退屈しない存在だったのだと悠人は話した。

 和人はネットゲームに、直葉は剣道に没頭し、いつしか同じ屋根の下で生活する家族であるにも関わらず、まともな会話をせずにすれ違うことが多かったため、悠人の口から語られる和人は非常に新鮮だった。だがイタズラ好きな一面があると聞かされた時、根っこの部分では昔とちっとも変わっていないと思いつつ、自分の知る兄の姿と重なったため、心の片隅で安堵したのも事実だ。兄の性格が以前と変わらないなら、目が覚めた時はこれまでの積み重ねで開いてしまった距離を埋め、昔のような関係に戻れるだろうという期待を抱いたからである。

 

(そうだ、戻ろう。仲の良い『兄妹』に……)

 

 本当の兄妹ではないが、自分の中に抱いている兄への感情を隠し通さねば、きっと昔のような関係にはなれない。自分の知らぬ間に和人との距離を縮めていた明日奈に対して何も感じないと言えば嘘になるが、同性の直葉が感嘆の声を漏らすほどの美貌を兼ね備えている彼女にはどう足掻いたって勝てないのは明白。さらには明日奈が眠っている和人に向ける深い愛情と、悠人の思い出話の中で出た2人の仲睦まじい様子から察するに、もう自分が割って入るのは不可能だと悟った。

 そこまで理解している彼女だが、心の何処かでまだ諦めきれていない自分もいる。目を瞑り『忘れろ、忘れろ』と念じてみるが、深く根付いた想いはそう簡単に消え去るはずもない。それがたまらなく苦しかった。

 

 身体はサッパリしたが心はスッキリしないまま浴室を出て着替えると、冷蔵庫にある食材で手早くサンドイッチを作り、空っぽだった胃を埋める。食べ終えたら片付けをしてそそくさと2階の自室に入り、扉を閉めて廊下の冷気を遮断。エアコンが稼働中であることを確認するとベッドに横になり、枕元に置いてあるアミュスフィアを装着した。

 接続ステージを終えると直葉は虹色のリングをくぐり抜け、再び妖精の世界に向かう。何物にも縛られず、高く、速く、無限の空を自由気ままに飛び回るもう1人の自分、リーファとして――。

 

 

 

 

 

 微風が肌を撫で、風に揺れる草原の音が鼓膜を震わせる。リーファが目を開けると、そこには見晴らしの良い草原が広がっており、さらには高ランクの装備を身につけたシルフのプレイヤーが複数人いた。片膝をつく待機姿勢から身体を起こして立ち上がると、それに気付いたサクヤがリーファを見た。

 

「やあ、おかえり」

「ただいま。サクヤ、早いね」

「なに、私もついさっき戻ってきたところだ。まだ戻ってきていない奴がいるから、もう少しだけ待っていてくれ」

「うん。わかった」

 

 そんな会話を交わしていると、すぐそばで待機姿勢をとっていた他のプレイヤーも戻ってきたらしく、すっと立ち上がって挨拶を交わす。ほどなくして全員が揃ったので、サクヤの掛け声で一行は再び飛行を開始した。

 緑色の絨毯を見下ろしながら緩やかに飛び、眼前にそびえ立つ巨大な山脈目指して進むと、時間にして10分とかからず洞窟の入り口にたどり着いた。

 ほとんど垂直に切り立つ岩壁の一部にぽっかりと大穴が開いており、目を凝らしても中を見通すことが出来ないほど真っ暗だ。大きさは高さも幅も5メートルを優に超えており、入り口の周囲には精緻な彫刻が刻まれている。よく見るとゴーレムやガーゴイルといった――いわゆるエンチャント系――モンスターが背中に生えている翼を折り畳み、身体を丸くしている姿だった。

 そして上口部には太い角を左右に生やし、山羊を模したであろう悪魔の顔がリーファ達を睥睨(へいげい)している。眼窩(がんか)には薄紅色の宝石が埋め込まれ、吸い込まれそうなほどの輝きを宿し、《ルグルー回廊》へ進む者を出迎えているようにも見えた。

 この先には中立の鉱山都市ルグルーがあるが、それは伝え聞いた情報で知っているだけであり、実際に見た事は1度もない。つまりリーファにとって未知の領域なのでわくわくする気持ちがあるにはあるが、洞窟入り口の悪魔像の影響からか、不安な気持ちも彼女の中で混在していた。

 中に入ると案の定暗く、視界が一気に悪くなる。幸いにもメンバーの1人が暗視効果を付与する魔法を使えたため、手探りで洞窟を進むことはなく、湧出するオーク相手に遅れをとることもなかった。

 

 本来なら飛ぶことを身上としているシルフがルグルーを利用することはほとんどない。洞窟内は飛翔力の源である日光も月光も届かないため、敬遠する者が多いのだ。アルン方面へ行く場合、友好的な関係を築いているケットシー領を経由して山脈を超えるのだが、ケットシー領主アリシャ・ルーの希望で急遽条約調印の日程を変更したため、急いで向かうために最短ルートであるルグルーを通過することに決めたのだ。

 洞窟内に入り、進むこと約2時間。数十回の先頭をこなし、もう間もなく中立都市に到着するというところまで来た。

 

「そういえばサクヤ。ケットシーの領主ってどんな人なの?」

 

 リーファには親しくしているケットシーの友人が何人かいるが、領主をこの目で見たことは1度もなく、知っているのはサクヤと同様に種族の長期政権を維持しているプレイヤーということだけだ。故に彼女は領主として、そして友人としてアリシャ・ルーと親しくしているサクヤに、ケットシー領主の人物像を尋ねた。

 

「愛嬌のある面白い奴だよ。あと、感情がすぐ尻尾と耳に出る」

「後半はケットシーなら誰でもそうでしょ」

 

 リーファがクスッと笑みを零し、それを見たサクヤも顔を(ほころ)ばせた。

 

「私が思うに、ルーほどケットシーに相応しい奴はいないぞ。猫は飼い猫でも野良猫でも自由気ままな生き物だと言われるが、その言葉を最も体現しているのはルーだからな。今も昔もあいつ自身の自由っぷりに変化はないが、ルーが領主になってからはケットシー全体があいつに影響されていると思えるくらいだ」

 

 リーファが初めてケットシー領に足を踏み入れた時、領地全体が緩い雰囲気に包まれていたのを覚えている。つまりあれは、領主アリシャによるものだということなのだろう。

 

「でも、ずっと政権を維持しているから、プレイヤーとしてもやり手ってことだよね?」

「ただ愛嬌があるだけじゃ、領主の椅子には座れないさ。……っと、ようやくか」

 

 気が付けば舗装されていない道は石畳に変わり、その先には洞窟内部とは思えないほどの明るさで満たされた空間が広がって、湖が光を反射してキラキラと輝いていた。

 そして湖の上を貫くかのように真っ直ぐな橋が立っており、先を目で追うと巨大な城門がそびえ立っている。鉱山都市ルグルーは目と鼻の先にあった。

 

「一先ずはルグルーで宿をとり、そこでログアウトしよう」

 

 サクヤの提案に一同は異論を唱えることなく、頷いて肯定を表す。ヒンヤリとした冷気を肌で感じながら歩を進め、長い長い橋を渡りきるまでもう少し――――という所で異変が起きた。

 一行の後方から飛来する光点が2つ。それらは独特の光と効果音を放ちながらリーファ達の頭上を通過し、ルグルーの城門手前に着弾した。

 

(魔法!?)

 

 そう理解した瞬間、着弾地点に巨大な土気色の壁が生まれ、数秒前まで見えていたルグルーの城門を覆い隠してしまった。不意打ちで停止していた思考が徐々に戻ると、リーファは自分のなすべきことを実行に移すため、愛剣の柄に手をかけた。

 

「戦闘準備!」

 

 同様の結論にサクヤも至ったらしく、反転して振り返ると、鋭い声を響かせて指示をとばす。各々が携えている武器をとり、自分達の進行を邪魔した敵の存在を確認するため、じっと遠くを見つめた。

 リーファ達の網膜に映る敵の影――――それは炎を思わせる紅蓮の色。上から下まで赤一色に統一されたプレイヤーの人数は、少なく見積もったとしても彼女達の3倍はいるだろう。大盾、両手剣、大槍といった重武装のプレイヤーがいるかと思えば、先端に宝玉が嵌め込まれている杖を持ち、ゆったりとしたローブ姿の魔導師風プレイヤーも確認できる。

 一見してバランスのとれた構成のパーティーは、フィールドでモンスターを狩るために集った集団――――という可能性をリーファは既に捨て去っていた。魔法で彼女達の足を止めた行為にどんな意味があるのか、それは考えるまでもなく1つの答えを導き出している。

 

 圏内の中立都市に逃げ込まれる可能性を潰し、逃げ場のない橋の上でプレイヤーを追い込んで殺す、つまりPKすること。

 

(どうしてサランマンダーが……?)

 

 胸中で渦巻く戸惑いは消えないが、なんにしても今はこの状況を切り抜けるのが先決だった。ここまでの間、リーファ達は宿屋でログアウトしていないため、PKされるとデスペナを背負うだけでなくまた領地からスタートしなければならない。

 そして万が一領主のサクヤがPKされた場合、シルフ族は非常に大きなペナルティを課せられる。領主館に蓄積されている資金の3割が無条件でサラマンダーに移る他、シルフ領にある建物を10日間占有出来るため、税金を自由にかけられるといったことが可能。つまり『領主を討つ』というのはそれだけで大きな意味を持ち、討った側は種族間パワーバランス上で優位に立てるのだ。

 

「サポート役の数が少し心許ないか……すまない、リーファ。今回は援護にまわってくれ」

「了解!」

 

 自陣の人員構成と敵の数を考慮し、サクヤは魔法での支援をリーファに指示した。

 巨大な土壁の出現からここまでに要した時間はせいぜい10秒にも満たないが、遠くにいたはずのサラマンダー達はみるみるうちに距離を詰め、いつの間にか個人の容姿を識別できるまでに接近していた。敵のメイジ隊が立ち止まって橋の上いっぱいに広がると、挨拶代わりと言わんばかりに各自が呪文の詠唱を開始。光る文字がプレイヤーの周りに浮かんでは消えていく。

 そしてそれを黙って眺めているはずもなく、シルフ勢のメイジもほぼ同時に魔法の詠唱を開始した。ビルドが生粋のメイジでないリーファだが、幾つかの攻撃魔法は使用できるため、微力ながら敵の魔法を相殺するために全力を尽くす。

 双方の呪文詠唱が終わると、シルフからは風属性魔法が、サラマンダーからは火属性魔法が発射された。ライムグリーンに輝く光とスカーレットに輝く光が空中で交錯すると、爆発音が周囲に響き、花火のように派手なエフェクトが発生した。

 だが、両陣営から放たれた攻撃魔法の数には明らかな差があったため、当然すべてを相殺できたわけではない。仕留め損ねたサラマンダーの魔法がリーファ達目掛けてに飛来する。

 

「回避!!」

 

 凛としたサクヤの声に反応した前衛は前へ、後衛はバックステップでその場を離れ、魔法の着弾予測点から距離をとった。数秒後には魔法が着弾した衝撃で橋に振動が伝わり、爆風と轟音がプレイヤー達を襲う。そして着弾地点は高威力の魔法によりオブジェクトが損傷を受け、深々と窪みを作り出した。

 

『うおぉぉぉぉおおぉぉ!!!!』

 

 これが開戦の合図となり、双方の前衛陣が武器を手にして突進していく。大上段から繰り出す両手剣の一閃を大盾で受け止める、中腰に構えた槍の突きを躱す、といった攻防が橋の中央付近で繰り広げられ、シルフは領主を守るため、サラマンダーは領主を討つために全力を尽くした。

 一方、前線で奮闘している前衛とは異なり、後衛は静観を貫きつつ、いつでも魔法を発動して仲間の支援が出来るように控えていた。前で戦っている敵に魔法を放てば味方も巻き添えを喰らうのは目に見えているし、後衛を遠距離魔法で狙ったとしても、距離が離れている分届くまでに時間が掛かるので回避は容易い。そうやって無駄に魔力を消費するよりも、傷ついて減った仲間のHPを回復することに努めるのが得策だと両陣営の指揮官は判断した。

 

「詠唱!」

 

 光る文字が示すのは、回復魔法の意。呪文の詠唱が終わると術者の魔力が減少するのに反比例し、左端に向かっていた対象者のHPバーが急上昇して上限一杯にまで回復した。

 だが、しかし――。

 

(このままじゃ……)

 

 プレイヤー個人の力量では決して遅れをとっていない。皆がシルフの執政部に所属する有力プレイヤーなのだから、1対1なら各人の技術やステータスは敵を上回っているはずだ。

 しかし、今リーファの目の前で繰り広げられている戦闘は統一デュエルトーナメントで行われているような個人戦ではなく、複数のプレイヤーが関わる集団戦。乱れ舞う妖精達の勝敗を最終的に決するのは、圧倒的な数以外他ならない。まだ持ち堪えているが、絶妙に保たれている均衡はいつ崩れてもおかしくないし、その時がくるとすれば後方支援組の魔力が枯渇した瞬間だろう。

 

「サクヤ! 私達がどうにかして時間を稼ぐから、あなたはあの壁を壊してルグルーに逃げて。このままじゃきっと押し負けちゃうわ」

 

 本格的な世界樹攻略に向けて動き出した矢先、ここで領主が討たれてしまえばサラマンダーに資金を奪われ、攻略が遠のいてしまうのは目に見えている。それどころか、ケットシーとの同盟も危うい。

 急遽出現した壁のすぐ向こう側にさえ逃げ込めば、取り敢えず安全は確保できる。時間は多少必要になるだろうが、サクヤならば高威力の攻撃魔法で壁を破壊出来るはずだ。初代シルフ領主の悲劇を繰り返すわけにはいかないと考えたリーファは、後ろを振り返ることなく、背後にいるサクヤに懇願した。

 しかし、彼女の言葉が届いていなかったのか、サクヤは後退するどころか前へと歩を進め、リーファの真横を通り過ぎる。背筋を伸ばし、和装の裾を揺らしながらゆったりと歩くその様は優雅以外の何物でもなく、同性のリーファでさえ思わず見入ってしまった。

 

「いや、その必要はない」

 

 サクヤの声でハッとしたリーファは、次いで領主を訝しむ。客観的にみても危機的状況であるのに、堂々たる態度と声色、そして溢れている自信の源が一体なんなのか、それがわからなかったからだ。

 

「数で圧倒されてはいるが、見た限りだと個々人の実力ではこちらのが上だ。敵のメイジ隊をどうにかできれば勝算はある」

「た、確かにそうかもしれないけど……」

 

 橋の上は両陣営の剣士で埋め尽くされているため、そもそも向こう側にいるメイジ隊へたどり着くこと自体が困難だ。中央の戦場を無事に通過できるわけもなく、かといって魔法での遠距離攻撃は回避されるのがオチ。とてもじゃないが、リーファには状況をひっくり返す有効な手が思いつかない。

 

「言いたいことはわかるさ、リーファ。ルートは橋の上の一直線。戦場のど真ん中を通ろうにも、敵がそれを見逃すほど優しいわけがないだろう。……だからここはひとつ、敵の予想を裏切るような、斜め上の発想で攻めてみよう」

 

 サクヤはそう言うと、左腰に下げている大太刀の柄に手をのせ、掴んだ。リーファを含めた支援組のシルフ勢は、『まさか……』と思いながらギョッと目を丸くする。

 

「私も前線に出る」

 

 サクヤが大太刀を抜き放つと、研ぎ澄まされた業物はしゃりいぃぃん、という凛とした音を響かせた。

 





次回はサクヤvsサラマンダーズ。リーファの活躍はまだ先のようです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。