「カイト君は、どうしてカイト君なの?」
戦闘を終えて一息ついていたところで、後方からのサポートに徹していたアスナからそんな言葉を投げかけられる。カイトが振り返った先には、艶やかな長い髪を後ろで束ねている容姿端麗なウンディーネが、後ろに手を組んで小首を傾げていた。
半秒ほど遅れて、カイトも彼女と同様に首を傾げる。このジェスチャーは単純に『言っている意味がわからない』という表れだ。
問いに即した回答かは不明だが、少しばかり唸り声をあげ、彼は自分の考えうる精一杯の答えを絞り出す。
「そ、それはだな……今まで生きてきた中で出会った人達とか、過ごした環境とか、そういう色んな要素が絡み合った結果が今の自分を作り出しているのであって、その中で何か1つでも欠けていたら、今の自分はなかったかもしれないわけであって……」
カイトは頭を働かせ、できる限り思った事を口にしてみたが、そこで彼の言語能力に限界がきたらしく、言葉を詰まらせて黙り込む。暫しの間沈黙が訪れたが、アスナの控え目な笑い声がそれを打ち破った。
「な、何が可笑しいんだよ! こっちが一生懸命考えて答えたのに」
「ち、違うの。そうじゃないの、そうじゃなくて……カイト君自身がどうこうじゃなくて、どうしてアバターネームが『カイト』なのかなって訊きたかったの」
「そういう意味かよ! 紛らわしい!」
どうやらカイトが深読みしすぎただけで、実際のところアスナが訊きたかったのはアバターネームの由来らしい。
「ええと、別にたいした意味はないよ。本名の『倉崎悠人』をローマ字表記にした後、適当な文字を選んでアバターの名前っぽくしただけだから。そうやって考えると、キリトの奴はもっとシンプルだな。きっとあいつは本名の最初2文字と最後1文字を抜きとっただけだろうし。……まぁ、アスナとユキには負けるけど」
「うっ……」
アスナとユキの本名を知るまで、カイトはまさか彼女たちが実名をそのまま使っていたとは思いもしていなかった。ネットゲームでアバターの名前を本名で登録している人物は、カイトが知る限り彼女達ぐらいのもだ。
「オレはたいして捻りのない普通のやつだけど、アバターの名前って人と一緒で結構個性が出るというか、中には変わったのもあるんだよね。《わさび醤油》とか《ねこまっしぐら》とか、特に意味はなさそうで変な名前だけど、印象に残りやすくてすぐに覚えれそうなのとか」
何かしらの縁で接していなければ自分以外のアバターネームは覚えていないものだが、たとえ関係が薄い、あるいは全くない場合でも、プレイヤーの印象に残りやすい変わったものであれば、不思議と覚えられるものだ。そのプレイヤーが強ければ、尚の事である。
「それじゃあ、リズやシリカちゃんも、アバターの名付け方には何かしらの意味が含まれてるのかなぁ?」
「そうかもね。直接本人に聴いてみるといいよ。この件が終わったら、みんなでオフ会でも開くか?」
「わあ、いいねそれ! やろうやろう!」
「よし、決まり。じゃあ、場所はエギルの店で」
気心知れた仲間達との再会を夢見て、2人は語らうことで会話に花を咲かせた。
2ヶ月前までは会おうと思えば毎日でも会えた存在だったのに、今ではその距離がすっかり遠くなってしまったが、折角出来た繋がりを失いたくないし、それはきっとリズやシリカ達も同じはず。会えなかった時間を埋めるかのように、たくさん話し、たくさん笑い、たくさんの幸せに包まれているオフ会の情景を想像すると、カイトもアスナも自然と笑みがこぼれた。
モンスターが出現するフィールドのど真ん中であるという認識を一時ではあるが忘れ、2人は和気藹々と談笑していると、アスナが着ている上衣のポケットからユイが顔を出した。その表情は真剣そのもので、何かを察知したらしい様子だ。ユイは軽やかにポケットからアスナの肩へ舞い降りる。
「ユイちゃん、どうしたの?」
愛娘の異変にいち早くアスナが気付くと、彼女の意識が副団長モードに切り替わる。問われたユイは少しだけ間を置き、アスナに返答した。
「……ここから約1キロ北西に、イベントNPCの存在を感知しました。この前ママとカイトさんが戦った相手です」
「あいつか」
ユイの言う相手とは、キリトがSAOで培ったプレイヤーデータを引き継ぎ、ALOでイベントNPCとして運用されている《黒の剣士》の事だ。
プレイヤーには個人を識別するためのIDを持っているが、それはNPCやアイテムにも含まれている。どうやらユイは前回の戦闘で《黒の剣士》が持つ識別IDを記憶していたらしい。そして彼女のサーチ圏内に《黒の剣士》が入ったため、その存在を感知したようだ。
「ですが、私達の存在に気が付いているわけではないようです。ここから離れるようにして座標が少しずつ西方に移動していますので、フィールドを移動している最中と思慮します」
偶然近くを通りがかっただけらしく、剣を交える気はないらしい。アスナは緊張の糸を少し緩めた。
そんな彼女と異なり、カイトは表情を崩さずに1歩前へ踏み出す。何かを考える素振りを見せたかと思いきや、《黒の剣士》がいるであろう方角の空を見た後、アスナの肩にいるユイに問いかけた。
「ユイ、今ならまだあいつを見失わずに追えるか?」
「はい、大丈夫です」
その一言だけで、アスナはカイトの胸中を察する。
「戦う気なの?」
「……うん。
前回の戦闘でわかった反省を踏まえ、2人は自分達に足りないものを補うための戦闘を繰り返した。そうして得た技術がどこまで通用するのか、その成果を試すときだと彼は判断したらしい。
だが、彼が再戦を望む理由は、それだけではないようだ。
「それに、負けたままで終わるのは嫌だしな」
地底湖を貫く橋を疾走し、行く手を何度もモンスターに阻まれはしたが、なんとか洞窟を抜けてアルン高原の上空を飛行する。リーファ達一行は焦る気持ちを抑えつつ、会談場所へと向かっていた。
分厚い雲を貫き、風を切り裂きながら移動するリーファは、この後起こるかもしれない最悪の事態をなんとか回避できないかと必死に思案していた。しかし、行き着く先はサラマンダーと遭遇する前にケットシーと合流し、すぐに領地へ逃げ込むか身を潜めて場をやり過ごすしかない。
「サクヤ。アリシャさんにはメッセージを送ったんだよね?」
「あぁ。だが取り込み中なのか、ただ単に忘れているだけなのか、一向に返信がないんだ」
今回の同盟相手であるケットシー領主のアリシャとフレンド登録しているサクヤは、数分前にメッセージを送信している。だが肝心の返答がないため、それが余計に彼女達の不安を増幅させていた。
リーファ達が飛行する空の下には広大な草原が広がり、幾つもの青いラインが並んでいる。それらは一点に集中して大きな河を作り、行く先を目で追えば、巨大な影がその存在をこれでもかというほどに主張していた。
それこそが、リーファが今回の旅の目的地としている世界樹だ。彼女が世界樹を実際に目にするのはこれが初めてだが、思っていた以上の大きさに思わず息を呑む。数十キロ以上離れている今でさえ空の一角を占めているのだから、真下から見上げればあまりの大きさに畏怖してしまうのではないかとリーファは感じた。
「ところでサクヤ。会談場所ってあとどのくらいで着くの?」
「ここまで来ればそう遠くないから、もう間もなくのはずだ」
その言葉通り、数百メートル飛行して視界を遮っていた分厚い雲を抜けたかと思いきや、眼下に円形の小さな台地が出現した。そこにはすでに到着しているケットシー7人の姿があり、さらには長テーブルと今回出席する人数分の椅子が並べられている。どうやら先に着いたため、即席の会議場を作って待っているようだ。
それを見た一行は台地に着陸するため、飛行高度を落とす。見る見るうちに地面に近付き、翅をしまって緩やかな着地を決めると、待ってましたと言わんばかりの表情で1人のケットシーが椅子から立ち上がった。
「もう〜、遅いよサクヤちゃん。待ちくたびれたヨ」
立ち上がったケットシーは、領主のアリシャ・ルーだ。愛嬌のある容姿の美少女は尻尾を揺らし、片目を瞑って可愛らしくウィンクしてみせた。
「済まない、これでも急いで来たんだ。……ところでルー、メッセージを送ったんだが、見なかったのか?」
「メッセージ? ……あ、あぁ〜、ごめんごめん。開いたはいいけど目を通そうとしたらモンスターと出くわしちゃって。戦闘が終わった頃にはすっかり忘れてたヨ〜」
どうやらリーファ達が危惧していたような事態があったわけではないらしい。少々サクヤがメッセージを送ったタイミングが悪く、加えてアリシャがうっかりしていただけのようだ。
「そういう事ならいいんだ。……だが、ルー。今我々が置かれている状況は非常に危険で、事態は急を要する。会談を一時中断とし、この場を離れて安全な領地か近場の中立都市まで行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってサクヤちゃん。全然話が見えないんだけど……」
「気持ちはわかるが、この場にとどまって理由を話すのは得策じゃない。一先ずこの場を離れ、訳は移動しながら話そう」
そう言ってサクヤが背中の翅を展開すると、リーファ達シルフ勢もそれに続く。何が何やら、とでも言いたげな顔で困惑気味のアリシャだったが、サクヤがやけに急かす様を見て只事ではないと思い、素直に彼女の指示に従って翅を展開した。
そうして離陸しようとした一行だったが、サクヤの目が巨大な黒い影を視界に捉えたため、彼女は動きを止めて目を凝らす。同じく異変に気が付いたリーファも、黒い影の正体が何なのかを知るために凝視した。
黒い影は真っ直ぐリーファ達のいる場所へと近付き、よく見るとくさび形のフォーメーションを組んだプレイヤーの集団だと判明した。小さかった集団は接近してくることで大きくなり、人数は優に50を超えるだろう。そして黒だと思っていた影の色は、徐々に色を帯びてくる。それはシルフにとって敵対関係にある種族を連想させる、炎のように燃える赤色だった。
(間に合わなかった……)
赤い影の正体――重武装のサラマンダー集団――は左右に分かれて半円状になり、リーファ達を取り囲む。最早逃げ場を失った彼女達は各々が武器を手に取り、銀色に煌めく剣を抜いたが、心なしかその輝きはひどく頼りなくも見えた。
大勢いるサラマンダーの集団から、指揮官と思わしき1人のプレイヤーが前へ出た。赤い短髪をつんつんに逆立てた猛禽に似た鋭い顔立ちの男は、背中に背負っている身の丈ほどの両手剣をゆっくりと引き抜く。一目で超がつくレアアイテムだとわかる剣を見て、サクヤは指揮官の男の正体を悟った。
「あれは《魔剣グラム》…………という事は、奴が《ユージーン将軍》か」
「ユージーン……どこかで聞いたような……」
聞き覚えのある名前に反応したリーファが首を傾げると、その隣で聞いていたアリシャが補足した。
「ユージーンっていったら、サラマンダー領主《モーティマー》の弟で、サラマンダー最強の戦士だヨ。9種族中最大勢力のトップってことだから、つまり……」
「全プレイヤー中最強、ってこと?」
リーファがアリシャの言葉を紡ぐと、ケットシー領主は尻尾を器用に振って肯定の意を表した。数だけでも不利なのに、そこへ最強の戦士まで出てくるという展開は誰が予想しただろう。
それでも、あくまで戦う意思はまだあるという姿勢を示す。同じ死ぬにしても、リーファはせめて何人か道連れにしてやろうという気構えでいた。
ユージーンが片手で剣を持ち、高く掲げると、戦闘開始の合図を出すために掲げた剣を振り下ろす――――というところで、不意にユージーンの動きがピタリと止まった。彼が顔の向きを東方に向けたため、つられてリーファも同じ方角を見ると、微かな風を切る音と共に飛来する黒衣の弾丸をその目が捉えた。そのスピードは凄まじく、あっという間に距離を詰めてサラマンダーの集団に突っ込んだかと思いきや、すれ違いざまに背中の剣を抜きとって瞬く間にプレイヤーを1人屠った。
「な、なにあれ?」
リーファ達は予定外の来訪者に戸惑うが、彼女達以上に動揺しているのはサラマンダー側だろう。領主2人に襲いかかろうとしたら、自分達が襲いかかられたのだから。
黒衣の弾丸は大きく転回し、再びサラマンダーの集団に突撃をかます。全身黒色であることからスプリガンと推測されるが、如何せん止まる気配を見せないので、この場の誰もがその正体を看破できずにいた。
スプリガンは1人のサラマンダーに狙いを定め、細身の剣で突進の勢いを乗せた斬撃を繰り出す。しかし、標的になったプレイヤーであるユージーンは、勢いに押されながらも斬撃を受け止め、剣同士の接触で激しい火花を散らした。
「――ヌンっ!!」
衝撃を後方へ受け流し、黒衣の剣士の攻撃をいなす。彼はスプリガンとの間に十分な間合いを確保すると、来訪者に向き直った。
「スプリガンがこの俺に剣を向けるとはいい度胸だ、と思ったが…………なるほど。こいつが噂の《黒の剣士》か」
来訪者の正体は《黒の剣士》。フィールドを移動している最中にプレイヤー反応を認知したため、進行方向にいた彼らに襲いかかったのだ。
ユージーンが両手剣を中段に構えると、自分が率いてきた部隊に指示を飛ばした。
「このスプリガンの相手は俺が請け負う。他の奴は領主の首を取れ!」
指示を受けたサラマンダーの集団は地上にいるサクヤ達に向き直り、大槍の穂先を彼女達に合わせた。
「くっ……混乱に乗じて逃げられるかと思ったが、流石にそこまで甘くはないか」
大きな獲物を前にして見逃すほど優しくはないようだ。わずかな望みは今この瞬間消え去り、取るべき行動の選択肢は1つに絞られた。
つまり、戦うこと。そして、生き残ること。
しかし、各人の意志が1つに統一された最中、《黒の剣士》の襲来によって胸中を掻き乱され、サラマンダーの襲撃以上の戸惑いを感じている者がいた。
「お兄……ちゃん……?」
どこか懐かしい雰囲気を醸し出し、幼い頃から同じ屋根の下で過ごしてきた兄の姿と《黒の剣士》の姿が重なる。距離があるのでうまく認識できないが、リーファは《黒の剣士》の背格好や容姿がSAOに囚われた頃の和人と似ているように感じた。
もっとよく見ようとリーファは目を凝らすが、大勢のサラマンダーに視界を阻まれてしまう。確認は一先ずお預けとなった。
(ダメだ。まずはこの状況をなんとかしないと……)
全プレイヤー最強の戦士がいなくなったことで敵の戦力は大幅にダウンしたが、リーファ達が数の暴力に対抗できるほどの戦力を備えているとは言い難い。ここでユージーンに匹敵する実力を持ち、一対多の戦闘に慣れている人物が味方についてくれるのなら話は別だが、叶いもしない望みはするだけ無駄だ。
しかし、その小さな望みは運命の悪戯によって拾い上げられ、《黒の剣士》に続く予定外の来訪者として具現化された。
「うわっ……なんかとんでもない場面に遭遇しちゃったかも」
「『かも』じゃなくて、まさしくその通りだと思うよ、カイト君」
場の雰囲気に似つかわしくない、まるで世間話をしているかのような軽い会話は、いつの間にか現れたプレイヤー2人によるものだった。幼い顔立ちの男性プレイヤーとリーファに負けず劣らない容姿の女性プレイヤーは、対峙する集団のちょうど真ん中に降りたった。
男の方――――相方に《カイト》と呼ばれたプレイヤーは、リーファ達とサラマンダーを交互に見やると、1つの案を提示した。
「ねえ、どっちでもいいんだけど、オレを雇う気はない?」
突然現れたカイトの提案をうまく飲み込めないでいたリーファだったが、その後で彼が口にした言葉は、さらに耳を疑うものだった。
「報酬は…………オレ達のグランドクエスト攻略に協力すること」
言い切ったカイトの口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
役者が揃いました。次回から暫く戦闘メインとなります。