ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

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今回はリアル側のお話です。


番外編第10話 羨望と嫉妬

 

「ふあ……ぁ……」

 

 病院の廊下で大きな欠伸を1つ。身体的疲労はなくとも、脳はしっかりと疲労を感じとっており、心なしかいつもよりも頭が回っていないが、倉崎悠人は目的地目指して病院の長い廊下を歩いていた。

 

 《黒の剣士》を追い、偶然にもシルフとケットシーの同盟を妨害しようとしていたサラマンダーの襲撃現場に遭遇し、さらにはサラマンダーの一団を撃退したのが昨日の午後11時半頃。そこからシルフ領主サクヤとケットシー領主アリシャ・ルーの一行に感謝されつつ別れ、央都アルンに到着して宿屋でログアウトした時には、既に日付を跨いで午前1時を回っていた。

 現在ALOは週に1度行われる定期メンテナンスを実施しているので、今日の午後3時まではダイブ出来ない状態だが、メンテ終了後の夕方から世界樹攻略に挑む手筈となっている。カイトとアスナが所持金のほとんどをサクヤとアリシャに手渡したため、唯一の問題となっていた資金集めも無事クリア。メンテが終了次第、必要な準備を整えてシルフとケットシーが2人に協力してくれるらしい。ウンディーネ領から始まった長い旅路は、一先ずは区切りがついたといったところだろう。

 夕方まで特にこれといった予定を入れてない悠人は、折角なのでまた由紀と和人の見舞いに行くことを決め、こうして病院に来ているというわけだ。そして由紀の病室に寄った後、今度は和人の病室へ向かっていた。

 和人がいる病室に着くと、扉が静かに開いたため、足を1歩踏み出す。その時点で悠人は先客がいる事に気が付き、さらには後ろ姿からその人物が誰なのかをすぐに理解した。

 

「こんにちは、直葉ちゃん」

 

 名前を呼ばれた桐ヶ谷直葉は振り返ると、悠人の姿を見てにっこり微笑んだ。

 

「こんにちは、悠人さん」

 

 お互いに短い挨拶を交わすと、悠人はベッドの足元を回り込み、直葉の向こう側にある椅子に腰掛けた。必然的に悠人と直葉は和人を挟んで向かい合う形になる。

 

「お見舞いに来てくれてありがとうございます。お兄ちゃん、きっと喜びますよ」

「まぁ、オレがこの病院に来るのは、和人の見舞い以外にも理由があるからね。……それにしても、直葉ちゃんは偉いな。オレが和人の病室に来ると、高確率で先にいるもんなぁ」

「今の時期、3年生は自由登校ですし、その上私はもう推薦で高校は決まってますから、時間だけはたっぷりあるんです。それに、お兄ちゃんは……大事な家族ですから」

 

 未だ完全には捨てきれていない淡い心を胸の奥に押しやり、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を発する。自分で言ったにも関わらず、針で刺されたかのようにチクリと胸が痛んだ。

 

「ところで、いつからALOをやってるの?」

 

 直葉が黙り込んだことで沈黙が訪れるも、悠人は話題を変えて場の空気をリセットする。直葉は彼の質問で俯きかけた顔を上げると、何事もなかったかのように自分で自分を偽った。

 

「だいたい1年くらい前からです。偶然始めたのがサービス開始直後だったので、こう見えても古参なんですよ」

「あぁ……確かに立ち回りとか剣の腕を見てたけど、強いのはよく伝わってきたよ。和人みたいに昔からゲームは好きだったの?」

「いいえ。ALOを始めるまで、ゲームはほとんどやらなかったです。お兄ちゃんの好きな世界が一体どんな所なのか知ろうと思ったのがきっかけなんですけど、まさかここまでのめり込むとは思ってもみなかったですね」

 

 悠人は先日和人の病室を訪れた際、直葉の知らない兄の姿や今思えば笑い話になるエピソードなど、アインクラッドでの出来事を彼女に話したのだが、これがきっかけで気さくに喋れる程度に直葉は悠人に心を許したようだ。さらに言えば、悠人の見た目や雰囲気が相手を緊張させるようなものではなく、柔らかく接しやすいというのも関係していた。もしも彼が強面だったら、こうはいかなかっただろう。

 

 するとここで、悠人と直葉の2人が談笑している最中に病室のドアが静かに開く音がしたため、悠人の視線が直葉から外れた。訪れたのは看護師や和人の親族ではなく、未だ眠り続ける彼の事を誰よりも想っている明日奈だった。

 

「悠人君も来てたんだね」

 

 明日奈の声が病室に響いた瞬間、悠人の向かい側にいる直葉の肩がぴくりと動き、ついさっきまで明るかった表情に若干の陰りがみえた。たった今来たばかりの明日奈に視線を移している悠人は、まだその変化に気が付いていない。

 

「あぁ、ついさっき来たばっかだよ。今日は外出許可が出たのか?」

「うん。やるべき事をやれば、母さんは何も言わないから」

 

 明日奈の家庭環境が――主に母親だが――厳しいというのを、彼女から直接的な表現で聞かされたわけではない。しかし、言葉の節々から悠人はそうと感じとり、同時に同情もした。現実世界だと愛する人の側で見守ることしか出来ないが、たったそれだけの事でも制約されてしまっているのだから。

 

「こんにちは、直葉ちゃん」

「こんにちは」

 

 柔らかい笑顔で明日奈と直葉が挨拶を交わすが、この時の直葉は水面に落ちた木の葉のように心が揺れていた。それは、この後明日奈が和人に対して向けるであろう、深い慕情に満ちた表情を想像したからだ。

 悠人と同じように、明日奈は直葉と二言三言会話を交わすと、直葉の隣に椅子を置いて腰掛ける。それから明日奈は和人の寝顔に見入り、そっと手を重ねたが、その時の顔は直葉が想像した通りのものだった。

 愛する人の帰りを待ち焦がれる、恋人の顔。明日奈にとって和人は、長い旅路の果てにようやく巡り会えた運命の相手なのだ。しかし、手が触れるほど近くにいても、どれだけ声をかけても、一方通行にしかならない今の状況は非常に歯痒いものだろう。直葉にもその気持ちは十分理解できるが、同じ気持ちでも、明日奈の顔、そして瞳の奥に見える恋慕の深さは、到底自分では敵わないと悟ってしまうほどのものだった。

 

「あ、あたし、ちょっとだけ外に出てますから」

 

 明日奈の表情を見た直葉は、椅子から立ち上がり、逃げるようにそそくさと病室を後にする。明日奈の顔を見ることが、彼女にはこれ以上耐えられなかったのだ。

 そしてついさっきまで直葉と談笑していた悠人にしてみれば、明日奈が来る前と後で彼女の様子が変化した事に気が付きやすかっただろう。悠人にしてみれば、直葉がまるで明日奈から意図的に距離をとったかのように映ったからだ。

 病室の扉が完全に閉まり、一瞬の静寂の後、悠人がおそるおそる口を開く。

 

「明日奈……直葉ちゃんと何かあった?」

「う〜ん、これといって特に心当たりはないんだけど……。私、知らないうちに何か嫌われちゃうような事をしたのかなぁ……?」

 

 直葉の何処かよそよそしい態度には、明日奈自身も気が付いていたらしい。だが、当人に思い当たる節はないようで、明日奈は小首を傾げた。

 

(明日奈は別に悪い奴じゃないし、自分から積極的に嫌われるような真似をするはずないもんなぁ……。そもそも、あれは嫌っている感じじゃない……よな)

 

 不意に悠人は椅子から立ち上がると、向かい側の明日奈を見やった。

 

「悪い、明日奈。オレもちょっとだけ席外す」

 

 

 

 

 

 ナースステーションの目の前に幾つかある、4人掛けの茶色い革製ソファ。その内の1つに直葉が腰かけて座っているのを見つけた悠人は、そっと近付き、何も言わず、同じソファの端っこに腰かけた。2人分の間隔を空けて座った悠人の存在に気が付いた直葉は、チラリと彼を一瞥する。

 

「どうしたんですか?」

「それはこっちの台詞だよ」

 

 ここでようやく、悠人と直葉の視線が交錯する。

 

「なんていうか……わかりやすい」

 

 肩の力が抜けるような柔らかい笑みを悠人が零すと、それを見た直葉は昨日の事を思い出す。ALOでの乱戦中にカイトが自分に笑みを見せた時があったが、その時の雰囲気と受けた印象が、今とまったくの同一だったからだ。

 

(きっとこの人は、自分を着飾ったりしない、いつでも素のままの自分でいる人なんだ)

 

 かつて直葉は、同級生の長田慎一/レコンにこう言われた事がある。

 『リーファちゃんは飛ぶと人格変わるからなぁ』と。

 そう言われた時、確かにそうかもしれないと彼女は思った。ALOのリーファでいる時は、いつもより元気で活発な女の子になっている気がするからだ。

 別にこれは彼女に限った話ではなく、ゲームの中ではいつもより『自分』をさらけ出している人はザラだ。それ以外だと、MMOのアバターでいる時はあえて現実とは違うキャラを演じている者もいる。それもMMOを楽しむ要素の1つだし、そうする事で現実と仮想の区別を無意識につけているのかもしれない。

 

「明日奈に苦手意識でもあるの?」

 

 悠人からの問いかけで思考を中断した直葉は、どう答えていいのかわからず、困った素振りを見せた。

 

「苦手、とかではないです。明日奈さんは美人で、優しくて、私にも気遣ってくれる良い人ですから。ただ、私が一方的に、その……」

 

 ここで直葉は少しだけ言葉を詰まらせたが、意を決して思った事を口にした。

 

「…………嫉妬……しているんだと思います」

「嫉妬?」

 

 明日奈の何に対して妬むのか。

 容姿? 性格?

 否。

 彼女が言っているのは、もっと眼では見えづらい、しかし、それとなく感じとれてしまうものの事だ。

 

「小さい頃はそうでもなかったんですけど、私とお兄ちゃん、家にいても全然話さなかったんですよ。仲が悪いとかそういうのじゃなくて、どう接したら良いのか、うまく距離感が掴めなかったんだと思います。主にお兄ちゃんが、ですけど」

「実の妹だろ? 何をそんな遠慮する事があるのさ?」

 

 ここで、直葉に躊躇いの表情が浮かんだ。和人が直葉との距離感を測りかねるようになった原因は、まだ家族以外の誰にも話していない。つい先日知り合ったばかりの悠人に、複雑な家庭事情まで話していいものなのか、と。

 しかし、この事に触れなければ話が先に進まない。直葉の迷いは一瞬だった。

 

「正確には妹じゃなくて、従兄妹なんです。お兄ちゃんが物心つく前に、お兄ちゃんの両親は亡くなったので、私の家で引き取る事にしたそうです」

「…………この事、和人は?」

「本人はもう知ってます。私の親はお兄ちゃんが大きくなったらその事を教えるつもりだったんですけど、お兄ちゃんはどうも住基ネットにアクセスして抹消記録に気が付いたみたいで……」

「ははっ、なんだかあいつらしいな」

 

 2年間連れ添っていた悠人にしてみれば、和人の無茶・無謀、周りの予想を裏切る行動には何度も驚かされてばかりだったが、直葉の話からその原型を垣間見た気がした。

 

「本当の家族じゃないと知ってから、私ともどう接していいのかわからなくなったみたいで、同じ屋根の下にいるのに口数も減って……。いつしかそれが普通になっちゃったんですけど、お兄ちゃんがSAOに囚われて、もしかしたらもう目を覚まさないと思った時、そこでようやくお兄ちゃんの存在が私にとって如何に大きいものなのか気が付いたんです。だから、目が覚めても覚めなくても、ずっとお兄ちゃんのそばにいようって決めた、のに……」

 

 ここで、直葉の顔に雲がかかる。彼女は膝の上で拳を握った。

 

「お兄ちゃんのそばにはもう明日奈さんがいて、私がいようと思っていた場所をとられちゃったような気がしたんです。それに悠人さんから聞いた2人の話や、明日奈さんがお兄ちゃんを見る時の表情で、2人の関係は私じゃ到底敵わないものなんだろうなってわかっちゃって……」

 

 直葉の知らない場所で和人と親密な関係を築いた明日奈の存在は、彼女にとっては突如として現れ、直葉の居場所を横取りしたような存在に感じられたのだろう。勿論、明日奈自身にそんなつもりは全くない。

 しかし、明日奈の言動の節々から読み取れる想いの深さは、直葉が和人と接してきた年月を容易く上回るほどのものだった。直葉は『とられた』という表現をしたが、正確には底知れない想いの深さに圧倒され、『そっと身を引いた』というのが正しい。

 

「確かに和人と明日奈の絆は堅いよ。それに明日奈自身も、きっと直葉ちゃんと同じで和人をそばで支えていくつもりだろうね。でもさ、直葉ちゃんがとられたと思っている場所は、別に1つしかないとは限らないんじゃないかな?」

 

 伏し目がちだった直葉の顔が持ち上がり、再び悠人と視線が交錯すると、次いで彼は言葉を紡いだ。

 

「あいつをそばで支えてあげられるような存在になれるのは、別に明日奈だけじゃなく、直葉ちゃんにだってなれる……いや、もうなってるんだ。大切な人の帰りを2年以上も待ち続けるのは、誰にでも出来ることじゃない。直葉ちゃんは『和人の妹』っていう誰にも奪えないポジションを持っているんだから、そこで和人を支えればいいさ」

 

 直葉が欲していた場所には、明日奈がいた。

 しかし、その場所は1つだけとは限らず、視点を変えればいくらでも存在する。大切な人の事を想って行動した時点でその場所に立つ資格は生まれるし、その数は無限大だ。直葉が秘めていたものを成就させることは出来ないが、そばで支えていきたいという願いは誰にも奪えないし、誰かの手によって失わせることも出来ない。当の本人が願い続けさえいれば――――。

 

「さっき直葉ちゃんは『居場所をとられた』って言ってたけど、オレはそうじゃないと思う。大好きなお兄ちゃんに突然美人の彼女が出来たから、驚いてるだけだよ」

 

 そう言って悠人の頬が緩むと、直葉は彼の見た目に準じたあどけない少年のような印象と外見に反したこれまでの大人びた言葉に、良い意味で大きなギャップを感じた。つい可愛らしい容姿で忘れがちになってしまうが、こう見えて彼は明日奈よりも年上である。しかし、初めて対面して話した時のように、時折垣間見える年相応、若しくはそれ以上の発言は、頼もしさを感じるとともに相手の心と感情を読み取っているかのようだった。

 

「悠人さんは、不思議な人ですね」

 

 彼と話すたびに、いつの間にか心の距離を縮められている気がする。奥へ、奥へと踏み込んでくるが、なぜか嫌な気持ちは微塵も感じていない。寧ろ、直葉はそれが心地良いとさえ思っていた。

 

「何をもって不思議かはわからないけど、そんなこと言われたの初めてだよ」

「じゃあ、私が新しい魅力を見つけて発掘したって事ですね」

 

 直葉の表情が柔らかくなり、控え目な笑い声が漏れる。彼女の心にかかっていた分厚い雲は徐々に薄れ、穏やかな晴れ間に変化していた。

 

「さて、そろそろ戻ろうか。あんまり長い時間席を外していると、明日奈が気にするだろうし」

 

 悠人が腰掛けていたソファから身を起こして立ち上がると、直葉も同じように立ち上がった。それを見た悠人は来た道を同じ道を歩き出し、病室へ戻ろうとする。

 直葉はそんな彼の後ろをついていくようにして動線をなぞるが、視線の先にある背中を見た時、トクンと心臓が小さく脈を打った。

 




話の序盤で示唆しましたが、ヨツンヘイムはカットして話を進めます。
次の章はアルンから……の前に、囚われている2人がどうなっているのかを明らかにする所からスタートです。
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