ソードアート・オンライン 〜君と共に〜   作:楽々亭

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第73話 打ち明ける思いと秘めた決意

 

 現在時刻、午後2時半を少し回った頃。

 週に1度行われるALOの定期サーバーメンテナンス終了まで、残り約30分程度となった。

 

 人の往来が多い街の中心部から離れ、徐々に風景は閑静な住宅街へと変わり、とうとう自宅近くの見慣れた光景が見えてきた。ゴールまでもう少しという気持ちが生まれ、悠人は無意識にペダルを漕ぐ力を強くする。車体重量の軽いクロスバイクは冷たい風を切りつつ、速度を上げて乾いたアスファルトの路面を走った。

 次の曲がり角を曲がれば、家まで100メートルもないだろうという地点に差し掛かり、スピードを緩めてゆっくりと曲がる。目視で家の玄関を捉えたが、それと同時に2台ある自宅の駐車スペースの内、片方が赤い乗用車で埋まっていることに気が付いた。倉崎家の所有する車両ではないが、悠人は見ただけで来客の正体が誰なのかわかった。ここ最近よく訪れるうえに、つい先日も悠人はこの車に乗ってユキとキリトが入院する病院へ送ってもらったのだから。

 駐車場の空きスペースに自転車を置いた彼は、帰宅してすぐ自室に向かうのではなく、来客のいるリビングの扉を開けた。そこにはソファに腰掛ける天津河理沙が、自分の家で過ごしているかのようにまったりとくつろいでいる姿があった。

 

「おはへり」

 

 理沙は棒つきアイスを口に咥えながら、何食わぬ顔で悠人の帰りを出迎えた。

 

「冬なのにアイスかよ」

「冬にアイスを食べちゃいけないなんて決まりはないわよ」

「あぁ……うん……そうだね……」

「――――ッ! 冷たっ!」

「オレの反応が? それともアイスが?」

「両、方……」

 

 頭を押さえて痛みに悶える理沙をよそに、悠人は手荷物を身近な席に置いた。その際にふと、いつもの食事を摂るテーブルの上に視線を移すと、母親の書き置きがあるのに気が付き、書いてある内容を読む。悠人の両親は共働きだが、今日は2人とも当直に就いているらしく、明日まで帰ってこないらしい。

 

「あぁ、そうそう。そういえばおじさんもおばさんも、今夜はいないみたいよ。冷蔵庫に夕飯が入ってたし」

「みたいだね。たった今テーブルの上にあるメモ書きを読み終えたところ」

「それと私、今夜はこの家に泊まるから、よろしくね」

「うん…………ん?」

 

 聞き流しそうになった理沙の言葉をすんでのところで拾い上げる。そしてその言葉の裏付けをするかのように、彼女の傍にはいつもより大きめの荷物が置いてあった。

 ここ最近遊びにくるのはよくあったが、泊まりにきたのは初めてだ。どういう風の吹き回しかは不明だが、悠人はそれ以上追求せず、結局「ふ〜ん」と軽く受け流す。

 

「あら、それだけ? もっと他に感想はないの? 『綺麗なお姉さんと一緒に入れて嬉しい』とか」

「……嫌ではない」

「綺麗は否定しないのね」

「そこは否定しようがないからなぁ……。身内目線で見ても、りーちゃんは美人だよ」

 

 悠人はキッチンへ向かうと、冷蔵庫の扉を開けて中にあるお茶をコップに注ぎながらそう告げた。意識した発言なら若干の照れ隠しが入るが、心の底から思っている歪みない発言の場合、悠人はさも当たり前のようにあっさりと言ってのける。平静を装うわけでもなく、普段通りの様子であることから、今悠人が言ったのは紛れもない本心だ。それが余計に理沙の気持ちを上向きにさせた。

 

「悠人ちゃんのお墨付きを貰ったのはありがたいけど、それならどうして私には彼氏の1人もいないのかしら?」

「それはきっと、りーちゃんが高嶺の花だからだよ。男側が引け目を感じて、おいそれと手が出せないんじゃないかな。……まぁ、もし本当に相手がいないようなら、オレがりーちゃんを貰おうか?」

 

 注いだお茶を飲み干すと、悠人は理沙に歩み寄った。

 真剣な表情とあいまって言葉にリアリティが増すが、無論、彼の本心ではない。一生懸命に平静を装っているが、悠人は普段なら絶対口にしない言葉に顔から火が出そうになるのを堪えていた。そこまでする理由は、いつも理沙にやられている分、1本とってやろうと思っての事だった。

 予想外の発言に理沙の戸惑う姿を予期した悠人だったが、彼女の返しは彼の予想の斜め上をいくものだった。

 

「そうねぇ、それもいいかもね」

「………………え?」

 

 呆気にとられた悠人をよそに、理沙はソファから立ち上がると、悠人の頬に手を添える。瞳を射抜く真っ直ぐな眼差しを受け、悠人は理沙に見入り、吸い込まれていくような感覚を覚えた。

 

「悠人ちゃんにだったら、私…………」

 

 理沙が無言になったことで、場に静寂が訪れた。切られた言葉の先に何が続くのかは本人しか知りえないが、わからないからこそ、悠人の想像は膨らんでいく。

 そこで悠人はとうとう堪えきれなくなり、頬が紅潮して熱を帯び始めた。瞬間湯沸かし器のように急激に顔が熱くなるが、それを見た理沙は軽く噴き出す。

 

「……ぷっ。…………ふふっ……」

 

 それを皮切りにし、いよいよもって我慢出来ないと言わんばかりに彼女は大笑いした。

 

「あはははっ! やっぱり悠人ちゃんは期待通りの反応をしてくれるわね。私から1本取ろうったって、そうはいかないわよ」

「ぐっ…………」

 

 思いもよらぬカウンターを喰らった悠人の表情は非常に悔しそうだが、一方理沙は満面の笑みを浮かべ、同時に彼の頭を優しく撫でる。考えを見透かされた上に子供扱いされた事で悠人は理沙に対して完全敗北を悟り、悔しそうな表情を浮かべてされるがままになっていた。

 

「あぁ、もうほんっとうに悠人ちゃんは可愛いなぁ!」

 

 理沙は頭を撫でていた手を止めると、急に両腕を悠人の背中に回して抱き寄せる。甘い香りが鼻孔をくすぐるだけに留まらず、身体に理沙の豊満な双丘が押し付けられたため、悠人はその柔らかな感触を意識せずにはいられない。

 

「――――ば、ば、ばかっ、くっつくなっ! というか可愛くもなんともないっ!!」

 

 必死に離れようとする悠人だが、理沙の力が思いの外強かったため、彼女の腕の中で悪戦苦闘する羽目となった。

 5分ほど理沙の抱き枕として扱われてようやく解放された時には、悠人が疲労困憊になっていたのに対し、理沙は生気が満ち溢れているかのように嬉々とした表情だった。ゲームの中なら悠人が理沙にエネルギードレインされたのではないかと疑う状況だろう。

 

「…………満足されましたか?」

「してないって言ったら延長してもいいの?」

「ダメです」

 

 ばっさり切り捨てられたのを本気で残念がっている理沙をよそに、悠人はそそくさと手荷物をまとめ始めた。

 

「ありゃ? また何処かに出掛けるの?」

「違うよ、自分の部屋に行くだけ。3時から友達とゲームの約束をしているから、暫くは下りてこないと思う」

 

 ここで「え〜」とか「そんなぁ」といった反応を予想した悠人だが、理沙は意外にも首を縦に振って了承の意を示した。散々イジリ倒して満足したからだろう、と悠人は自分の中で結論付けたので、それ以上は追求せずにリビングをあとにして2階へ向かう。

 悠人が去って静けさを取り戻したリビングに残された理沙は、すぐさま自分の荷物が詰めてあるカバンに駆け寄って中身を漁り出した。

 

(今日中には全部片付くかな……)

 

 カバンの奥底にあった機械を見つけると、理沙は右手でそれを掴む。取り出した機械はナーヴギアの次世代後継機として出されているVRマシン――――アミュスフィアだった。

 

「さて、仕上げといきますか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後3時を迎えて定期メンテナンスを終えると、悠人は自室からALOにログインし、もう1人の自分――――カイトという名のアバターとして、央都アルンの宿屋で目を覚ました。

 宿屋の扉を開けて外に出ると、心躍る軽やかなBGMに混じって賑やかな人の声が聞こえてくる。街を行き交う人々の種族はてんでバラバラで、領地だと中々お目にかかれない光景だ。日頃からお互いに敵対視しているシルフとサラマンダーも、個人で見れば仲の良い者達もいるようで、ベンチで談笑している様子も見受けられた。

 そんな光景も中々珍しいものだが、やはり最も目を引くのはアルン中央に位置する巨木――――世界樹だ。雲を突き抜け、天を穿(うが)たんとする枝葉の先はどれだけ見上げても拝む事は叶わないため、代わりに大樹の(いただき)にいるであろう彼女を想い、静かに瞼を閉じた。

 

 今となっては遠く、しかし昨日の事のように感じられる《はじまりの日》に、ユキは多くのプレイヤーが陥った絶望の淵に立たされたため、アインクラッドの外周から身を投げようとしていた。その寸前でカイトが彼女に声をかけたため、その身を散らすことなく済んだのだが、まさかユキの存在が自分の中でここまで大きくなるとは、当時のカイトは知る由もなかった。

 

(もう少し。…………もう少しだ)

 

 探し求めていた少女は、目と鼻の先にいる。それがわかっているからこそ先走りそうになるが、どうにか抑え込んで瞼を持ち上げると、左手を振ってメニューウィンドウを立ち上げた。

 

(オレが1番乗り、か)

 

 フレンドリストを開くと、アスナを含め、先日新たにフレンド登録したリーファや領主のサクヤ、アリシャ・ルーといった面々のプレイヤーネームはグレーの状態だった。午後3時丁度を狙ってログインしたのは、どうやらカイトだけだったらしい。

 と思いきや、グレーで表示されていたアスナとリーファの名前が色を帯び、ログインした事を知らせる。2人が宿屋の扉を開けたのは、それから1分と経たなかった。

 

「準備万端、って感じだね」

「そっちこそ」

 

 カイトとアスナは顔を見合わせて小さな笑みを零す。たった今カイトが考えていたことを、アスナも考えていたのだろう。求めているものが同じだからこそ、それが手に取るようにわかってしまった。

 アスナの背後にいるリーファにも声をかけようとしたカイトだったが、開きかけた口をすんでのところで止めて声を殺す。若干俯きがちの表情から伺えるのは、何か一大決心をするため、心の準備をしているようにも見てとれたからだ。

 そして俯いていた顔を持ち上げると、リーファは自分に背中を向けているアスナに声を投げた。

 

「アスナさん」

 

 振り返ったアスナとリーファの視線がぶつかる。リアルでは何度か会話を交わしていた筈だが、リーファからアスナに話しかけているのを見るのはカイトにとって初めてだった。

 

「少しだけ、時間をもらえますか?」

 

 彼女の申し出に対しアスナが首を縦に振って了承の意を示すと、今度はリーファとカイトの視線がアスナの肩越しにぶつかる。何も言ってはこないが、彼女が自分に何を求めているのかをカイトは察した。

 

「あー…………オレちょっとアイテムの補充と武器の強化してくるわ。すぐ戻ってくるから」

 

 カイトは咄嗟に浮かんだ口実を理由にしてそそくさと席を外す。気ままな方向に向けて歩き出し、曲がり角を曲がって姿が見えなくなった所で、アスナは笑みを零した。

 

「カイト君は嘘が下手だね。ショップも鍛冶屋も、目の前にあるのに」

 

 アスナの言う通り、目視出来るほど近い距離にはNPCが開いているショップと鍛冶屋があるので、わざわざ2人の前から姿を消す必要はない。カイトが気を利かせて2人の目の前からいなくなったのは、ものの数秒でアスナに看破された。

 

「それで、どうしたの?」

 

 改めてアスナはリーファに向き直ると、どこか不安の影が見え隠れする表情で彼女を見る。まるで、リーファから何を言われるのか恐れているかのようだ。

 

 考えてみると、明日奈はこうして直葉と真正面から向かい合い、長い時間目を逸らさずに話すのは初めてだと思った。話すことはあっても、大抵は直葉から目を逸らしたり、直葉が何かしらの理由をつけてその場を後にするのが主だったからだ。元々彼女の性格が人見知りするタイプなのかもしれないと思いもしたが、他の人と話している所を見るとそういうわけでもないらしく、明日奈は自分に対してだけなのだとすぐに悟った。

 

 そんな彼女が時間を設けてまで自分と話がしたいと言うのだ。アスナは一体何を言われるのかドキドキしていたが――――流石のアスナも突然リーファが頭を下げてくるとは、露ほども予想していなかった。

 

「ごめんなさい!」

 

 突然の謝罪に目を丸くしていたアスナだったが、僅かばかりのタイムラグを経て我に返るとすぐにかぶりを振った。

 

「ちょ、ちょっと待って。リーファちゃんが謝るようなことなんて、何も――――」

 

 リーファは文字通り下げていた頭を持ち上げてアスナと向き合うが、その表情はまだ、若干の固さを含んでいた。

 

「私、その……正直に言うと、アスナさんの存在に戸惑って、どう接すれば良いのかわからずに避けてました。お兄ちゃんにとってアスナさんはかけがえのない人で、そんな関係をお兄ちゃんと築けたアスナさんが羨ましくて……でも、それと同じくらい、私にないものを持ってるアスナさんが妬ましくて」

 

 アスナとリーファは同種の想いをキリトに抱いていたが、その深さは明らかな違いがあり、リーファはすぐにそれを察知した。そしてその想いを決して口に出来ない自分と違い、アスナは恋慕の情を全面に出し、恋人としてキリトを支える立場になれるということが、リーファにとっては喉から手が出るほど羨ましかったのだ。

 さらに、リーファがアスナを避けていたのは、どんな顔をして彼女と接すればいいかわからなかったというのもあるが、実はそれだけではない。最大の理由は病室で眠っているキリトを見る時の、慈愛に満ちたアスナの表情が、彼女の胸を強く締め付けるからだ。

 

「私には戻ってきたお兄ちゃんを支える役目があるって思ってましたけど、お兄ちゃんにはもうアスナさんがいるから、私の居場所はもうないんだって感じました。でも、ある人に言われたんです。大切な人を支える有り様が1つとは限らない、って。私は世界でたった1人しかいない『桐ヶ谷和人の妹』ですから、家族としてお兄ちゃんを助けてあげればいい、って。……そう言われた後、なんだか今まで考えすぎだったのかなって思うのと同時に、少し気持ちが楽になりました」

 

 リーファの口元に仄かな笑みが滲み出る。もし今でも1人で思い悩み、抱え込んでいるようだったら、この場で見ることは決して叶わなかっただろう。

 

「私は今までアスナさんと距離をとっていましたけど、もう逃げずにきちんと向き合おうって決めました。それと、今まで失礼な態度をとっていた私が、こんな都合の良い事を言う資格があるのかわかりませんけど…………お願いします。お兄ちゃんを助けて下さい」

 

 リーファが深々と頭を下げると、頬を優しく撫でる風が吹き、彼女の金色に輝くポニーテールが揺れる。すると、アスナの穏やかな声が、風に乗ってリーファの耳に届いた。

 

「…………うん。勿論だよ。私は……私達は、そのためにこの世界に来たんだから」

 

 頭の後ろで束ねたアスナの長く艶やかな青髪が、陽光を受けてより一層澄んだ色になる。リーファが頭を上げた時に映ったアスナの優しい笑顔と相まって、その姿は女性のリーファから見ても息を呑むほど美しく思えた。

 

 

 

 

 

(向こうは上手くやってるのかねぇ……)

 

 アスナとリーファの2人を残して場を離れたカイトは、特にこれといった行く宛もなく、気ままに街の中を歩いていた。

 アイテムは必要十分な量を所有しているし、武器は先刻倒した《黒の剣士》からドロップした――おそらく古代武器(エンシェント・ウェポン)と思われる――片手用直剣があるからだ。折角ドロップした武器をストレージの奥にしまって埃を被せるわけにもいかないので、《蝶の谷》からアルンに着くまでの間、戦闘で何度か使ってみたが、流石に強敵から落ちた武器だ。その性能は店売りの剣と比較して段違いだった。

 かつてキリトが愛用していたエリュシデータを思わせる、漆黒に輝く滑らかなエッジ。手に吸い付くような重みは磨き抜かれた業物を彷彿とさせ、1撃の威力は片手剣としてみれば相当なものだ。カイトはキリトのように重い剣を好んで使ったことはないが、今ならキリトの趣味嗜好が少しだけわかる気がした。

 

 道の端に設置されているベンチに腰掛け、一息つく。NPCレストランで休もうとも思ったが、所持金のほとんどを世界樹攻略の足しとしてサクヤとアリシャに渡してしまったので、今は最低限のユルドしか持ち合わせていない。NPCだからリアルの店員と違って気を使う必要はないが、例えそうだとしても、カイトにとって何も注文せず店にいるのはどうにも気が引けるようだ。

 

(ちょっとだけ、世界樹がどんな所なのか見にいこうかな)

 

 ぼんやりと単独の偵察を考えていたところ、電話の着信音に似た音が、彼の思考を中断させた。

 

(誰だ……?)

 

 フレンドメッセージが届いたという知らせを受け、カイトは胸の高さ辺りにあるアイコンをタップ。そこには昨日《蝶の谷》でフレンド登録したばかりの、アリシャ・ルーから来たメッセージが表示されていた。

 

『昨日はアリガトネー。早速だけど、君とウンディーネのオネーサンから貰った資金で、シルフとケットシーの装備は整ったヨ。サクヤちゃんと一緒に世界樹へ向かうから、アルンで合流しようネー』

 

 カイトとアスナがSAOから引き継いだ莫大な額のコル、もといユルドを領主2人に譲渡したことで、グランドクエスト攻略の準備が整ったという知らせだった。昨日の今日で準備万端となるには些か早すぎるので、どうやら《蝶の谷》で別れた後、領主2人が先導して超特急で仕上げたらしい。

 

(2人の……いや…………協力してくれる皆のためにも、死ぬ気で挑まないとな)

 

 心強い仲間達に対する感謝の言葉を文面に打ち込むと、彼方からアルンへ移動中のアリシャに向け、カイトはメッセージを飛ばした。

 

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