意識の途絶と転移の余韻に浸ったのは、一瞬だった。
ゲートをくぐったカイトは数回瞬きし、片膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がる。着ている衣服の擦れる音が聞こえるほど静寂に包まれている周囲を見回し、キョロキョロと忙しなく転移先の確認をした。
「……ここは…………?」
そこには、異様な空間が広がっていた。
『妖精の世界』と銘打っているゲームタイトルであるため、これまで見てきた街やフィールドは現実離れしたファンタジー色の強いものばかりだった。さらには精緻な装飾をこれでもかというくらい加え、現実世界とはまた違った、ゲームならではの美しさを表現したものが、今までALOをプレイしてきたカイトの見たものだった。
しかし、今彼の前にある光景はどうだろう。複雑な模様や入り組んだ道、現実ではお目にかかれない変わった代物など一切なく、あるのは白い板で構成されている、のっぺりとした1本道。カイト達はこの1本道の途中に転移されたらしいが、左右を見回しても緩いカーブを描いているため、先は見通せない。
「ママ、大丈夫ですか?」
「うん。それにしても、ここは……?」
アスナの傍らには、見た目が10歳くらいの少女が心配そうな顔で彼女の様子を伺っていた。シンプルなラインの白いワンピースを着ている少女は服装こそ違うが、姿はユイで間違いない。掌サイズのピクシー態から、どういう訳か本来の姿に戻ったようだ。
「ユイちゃん。私達が今どの辺にいるのか、わかる?」
「ちょっと待って下さい。…………マップ情報がないので、この通路に関しては分かりません。ですが、位置的に言えば世界樹の中、それもかなり高度のある場所で間違いありません」
転移されたのは、さっきまでカイト達が戦っていた場所よりも上の地点らしい。少なくとも、目的地には近付いているようだ。
「じゃあ、キリト君の居場所がどこかわかる?」
アスナに問われたユイは、一瞬瞑目すると、すぐに大きく頷いた。
「はい。かなり近くにいます。上のほうで……方向はこっちです」
小さな指で力強く行き先を指差すが、すぐに腕を下ろし、ユイは反対側の通路に顔を向けた。
「それと、パパとは別のプレイヤーIDを持つ人が逆方向に……こちらもかなり近くにいます。妙なのは、位置情報がロックされている事ですが……」
この言葉に対し、カイトの指先がぴくりと反応した。
根拠はない。あくまで『もしかしたら……』という淡い期待に過ぎないが、それでも、確信めいた直感が、カイトの脳を刺激していた。自分の探し求めている人はこの先にいるのだ、と。
無意識にカイトはユイと同じ方向の通路へ顔を向ける。その様子を見たアスナとリーファが顔を見合わせ、2人同時に頷くと、1つの案をリーファが提示した。
「二手に分かれましょう」
「……いいのか?」
「だってカイトさん、顔にしっかり書いてありますよ」
リーファが小さく笑みを浮かべると、カイトもつられて口角が上がる。考えている事がダダ漏れだったらしく、胸中を読み取られていたことでカイトは少し気恥ずかしく感じた。
「それじゃ、お言葉に甘えて。……なら、こっちはオレ1人で行くから、キリト側は他のみんなで――――」
「いやいや、ちょっと待った」
カイトの言葉を途中で割り込んだアリシャ・ルーが止めると、素早くカイトの隣に並び立った。彼の右腕をとって胸に抱くと、上目遣いで見つめる。
「カイト君の強さなら問題ないと思うけど、ここはまだダンジョン扱いでモンスターやトラップがあるかもしれないし、念の為に2人で行動しない? キリト君とやらはアスナちゃん達に任せて、カイト君の探し人は私と君で行けばいいヨ」
「え、え〜〜っと……」
アリシャ・ルーからの突然の提案で戸惑っているようにも見えるが、カイトは困っている様子ながらも頬を赤くさせてまんざらでもなさそうだ。美人領主からの熱い視線を至近距離で受け、おまけにぴったりと胸を押し付けられては、誰もが彼のようになるに違いない。
アリシャ・ルーの色仕掛けでものの見事にカイトは彼女の術中に嵌ってしまっているが、これを見ていたリーファの口元とこめかみが徐々に引きつっていく。全くもって面白くない、とでも言わんばかりだ。
リーファは割り込む隙を見つけて2人の間に入ろうかと思ったが、それよりも早く、アスナからの蔑視光線と冷ややかな声色がカイトを射抜いた。
「カイト君。あんまりデレデレしちゃうと、ユキに言いつけちゃうよ?」
「で、デレデレなんてするかっ! ただ、アリシャの提案をどうしようか迷ってただけで……」
「ふ〜〜〜〜ん…………」
アスナの視線にこれ以上耐えられなくなったカイトは、今の状況を生み出した原因であるアリシャを空いている左手で引き剥がす。残念そうな顔をしているアリシャは無視し、小さく咳払いをして緩んだ顔を整えた。
「ま、まあ、アリシャの言ってる事はもっともだし、ここは万が一を考えて2人と3人で手分けしよう。編成はオレとアリシャの2人と、アスナ、リーファ、ユイの3人って事で」
「……わかったわ。ユイちゃん、リーファちゃん、行きましょう」
「はい。ママ、リーファさん、こっちです」
ワンピースから伸びた素足で床を蹴ると、ユイは真っ先に駆け出した。ユイの中にある大好きなキリトの元へ行きたいという衝動が小さな身体から溢れており、その後ろ姿をアスナとリーファの2人が追う。
そんなアスナ達の姿が見えなくなるまで見送った後、カイトはつま先を彼女達とは反対方向に向けた。
ユイに追いつき、進路にある扉を何枚もくぐり抜けて行くうちに、リーファはさきほど自分が抱いた感情の正体に戸惑ってた。
アリシャ・ルーがカイトの腕に抱きついた事もそうだが、抱きつかれた本人も別に嫌そうではなく、寧ろ表情が緩むような様子を見た時、心をモヤモヤとした何かが増大していったのだ。そしてカイトがアリシャ・ルーを自ら引き離したのを見て、何故だかほっとしたのもよく覚えている。
リアルとゲーム。2つの世界で悠人/カイトとは和人を通じて交流を重ねているが、どちらの世界においても彼の信念は強く、裏も表もありはしない。仮想世界では物理的に、現実世界では心理的に救われた経緯を持つリーファ/直葉にとって、彼の存在は自分自身でも気が付かないくらいに大きくなっていたようだ。
(ヤキモチ、だったのかな…………)
カイトに対して何も想うことがなければ、モヤモヤとした感情が湧き立つこともないだろう。言い換えれば、何か想うことがあった、ということだ。
ふと、彼の顔を思い浮かべる。ただでさえ少年のような幼さの残る顔立ちだというのに、一度破顔すればそれはより一層色濃くなる。それは彼の持つ個性であり、魅力でもあるのだが、当の本人は気にしているようで、指摘されると拗ねてそっぽを向くこともあった。病室で何気なく口にした途端、みるみるうちに表情に影が落ちていったのは、今思い出してもクスッときてしまう出来事だ。
一方、時折みせる落ち着いた声で、自分の欲している言葉を、自分が欲している時にくれた瞬間、心が歓喜して揺れ動いたのを感じたこともあった。彼にしてみれば思ったことを口にしただけ、あるいは励ますために出た言葉だったのかもしれないが、非常に救われたのと同時に強く惹かれていったのを、リーファはよく覚えている。
(――でも……これは『本物』なの? それとも『偽物』なの?)
しかし、和人を諦めたことでぽっかりと開いた穴を埋めるためだけに、カイトを利用しているのではないか、という疑問も湧いてきた。彼に抱く感情の正体は未だハッキリと掴みきれていないが、この気持ちを中途半端なままの状態で彼に向けるのは、向けられた本人にも失礼だろう。リーファは今、懸命に答えを探し求めていた。
「外に出ます!」
リーファは考え事に夢中で気が付かなかったが、いつの間にか長い通路の終わりにさしかかっていたらしい。行き着く先には四角い扉が待ち構えているが、扉をくぐれば外に出られるのだろう。
(もうすぐ……もうすぐ会えるよ、お兄ちゃん……)
走る速度を緩めることなく、先頭のユイが左手で扉を押し開けると、アスナとリーファもそれに続いた。
「――――!!」
扉をくぐり抜けた先で彼女たちが最初に目にしたのは、今まさに地平線の彼方へ沈もうとしている太陽だった。夕焼け空と星の瞬く夜空が混在し、世界は昼と夜の狭間を渡り歩いている最中にあった。
夕陽に
この光景から判断するに、アスナとリーファはおそろしく高度のある場所、もっと言えば、世界樹の上にいるのだと即座に理解した。以前からリーファが夢見ていた世界樹の上に、彼女は足をつけて立っているのだ。
そんな感動に浸ったのも束の間、アスナが周囲を見回しているのをみて、リーファは小首を傾げた。
「アスナさん、どうしたんですか?」
「……リーファちゃん、何かおかしいと思わない?」
言われたリーファは、もう一度アスナと同じように周囲を見回す。
しかし、何度見回しても、自分たちを取り囲むのは巨木から生える太い枝と、生い繁る葉の群れしかない。世界樹の上にいるのだからそれは当然であると言えるし、ここは地上から数千メートルはくだらないであろう高さなのだ。こんな場所に宿屋や武器屋があるはずもなく――――。
「……あっ…………ああっ!!」
ここでようやく、リーファはアスナが何を言いたいのか理解した。
「空中都市はない?」
「ああ。十中八九そうだろうね」
アスナ達が世界樹の外に出た頃、カイトとアリシャ・ルーは未だ続く長い通路をひたすらに歩いていた。
アリシャ・ルーの懸念していたモンスターやトラップの類は今のところないが、通路の途中で何度か扉を見つけることがあった。試しに中を覗こうとしたが、それらもゲートと同じように管理者権限でしか開かないらしく、すべて素通りする結果となった。
「なんでそう思ったの?」
同じ景色が続く中、アリシャ・ルーが思い出したかのように空中都市の話を持ち出したが、カイトはその存在を即座に否定した。
「ゲートを通過した際にファンファーレが鳴らなかったし、セオリー通りにいけば転移する先は空中都市の入り口とかのはずだけど、実際は無味乾燥としたこの通路だ。ここが空中都市に繋がるダンジョンとかなら話は別だけど、どうもそんな雰囲気はないし……。そもそも、ゲートを守るガーディアンの異常な数と、管理者権限でしか開かないゲートがあるって事は、最初から通す気がない…………つまり、誰かに見せるわけでもない空中都市なんて用意するだけ無駄だろうから、そもそもないだろうね」
険しい道のりと高い壁を乗り越えた先には、その労力に伴う成果や報酬があってしかるべきだが、今回に限って言えばそんな大層な物は用意されていないらしい。高価な宝石だと思っていたら、実は何の価値もないガラス細工だった――――という話ならまだマシだったろうが、そもそも物自体がないのだからより一層タチが悪い。ギフトボックスは綺麗にラッピングして見栄えを良くしてあったのに、肝心の中身が空っぽだったのだから。
そして空中都市が存在しないという事は、当然《アルフ》に転生して滞空制限をなくすという話もなかったということになる。
「まあ、システムアクセス・コードなんて物をたまたま持ってたから、行き着いた結論なんだけど」
「むむ……じゃあ、もしそれがなかったら、『ゲートを開けるのに必要なフラグやアイテムを見落としていた』って考えていたのかもしれないネ」
「そうだろうな。……で、今の話に出てきたシステムアクセス・コードなんだけど」
カイトは歩くスピードをそのままに、隣に並び立って歩くアリシャ・ルーを見る。彼女の猫耳がピコピコと前後に動き、尻尾がゆらゆらと左右に揺れた。
「オレ達の誰かが持ってるって、どうして知ってたんだ? あれを手に入れた時、アリシャはまだ傍にいなかったし」
「それはアスナちゃんから聞いてて――」
「コードを手にしてからはすぐグランドクエストに挑戦して、オレとアスナはずっと世界樹の中で戦ってた。あの状況でコードを手に入れた事を伝える余裕なんてないと思うけどなあ……。
2人の視線が重なり、カイトはアリシャの瞳の奥を覗き見るが、彼女が今何を考えているのかまでは図れない。感情がオーバーに出やすい仮想世界では動揺がすぐ表情に出てしまうのだが、平然とした様子を見る限りカイトが的外れな事を口にしているか、まだ動揺が表に出るほど揺さぶられていないかだろう。もし後者なら、精神面がかなり強いという表れだ。
しかし、彼女の胸中は別の形で表面化していた。
「カイト君は、何が言いたいのかな?」
「…………システムアクセス・コードを落としたのは、多分キリトだ。でも、オレが見たキリトの様子を写した写真だと、あいつは鳥籠の中にいた。アクセス・コードなんて重要な物をキリトと一緒に鳥籠の中に入れとくなんて、とてもじゃないが考えられない。……これは想像だけど、世界樹の上を自由に行き来できる運営サイドの誰かが、キリトにアクセス・コードを渡したんじゃないかと、オレは睨んでる」
不意にカイトが歩みを止めると、アリシャも遅れて足を止める。立ち止まった2人は5メートル程の間隔を開け、カイトがアリシャの後ろ姿を見る形だ。カイトからはアリシャが今どんな表情をしているのかわからないが、さっきまで動いていた猫耳と尻尾は、既に動きを止めている。
(もう少し、詰めてみるか……)
脳内で慎重に言葉を選択する。順番を間違えれば、明らかになるものもならなくなるからだ。
冷や汗が頬を伝うが、彼は息を吸い込んで言葉を発した。
「オレとアスナが世界樹の上を目指していたのは、人を探していたから。それは知ってるよな?」
「勿論、知ってるヨ。世界樹の上で待っている人と会いたいけど、2人じゃ厳しいからシルフとケットシーに協力を求めたんだよネ?」
「そうだよ。そこで、またアリシャに訊きたいことがあるんだけどさ…………どうしてオレとアスナの探している人が別々だって知ってたんだ?」
アリシャ・ルーの指先が、わずかだがピクリと動いた。
それに構わず、カイトは言葉を紡いだ。
「さっき二手に分かれて動く案が出た時、アリシャは『キリトはアスナ達に任せて、カイト君の探している人は私と君で行けばいい』って言ったんだ。確かにオレは『探している人がいる』とアリシャに言ったかもしれないけど、『探している人が2人いる』とまで言った覚えはないぞ?」
ここでようやく、カイトは言葉を切った……というより、切らざるを得なかった。彼がアリシャを問い詰めるための手札は、たったこれだけだからだ。
しかし、彼女に投げかけた2つの疑問点からカイトが浮かび上げたのは、非常に重要な情報だった。
1つ目は、アリシャ・ルーが運営サイドの人間であること。
2つ目は、カイトとアスナがユキとキリトを救うために動いていたことを知っていた、ということ。もっと言えば、2人の内情を知っている――――場合によっては、現実世界で関わりを持つ人間の可能性も捨てきれない。
アリシャ・ルーが問いかけに答える様子はなく、カイトが口を動かすのを止めたことで、場に沈黙が訪れる。
彼女を詰問する手札が尽きたため、上手くはぐらかされたりでもしたらこれ以上は詰めれない。そして沈黙は相手に考える時間を与えてしまうが、それはカイトにも当てはまることだ。
彼はアリシャ・ルーの切り返しに対する返しや、さらに追い込むための手札がないか、懸命に頭を働かせていた――――が…………。
「――――あ〜あ、止めた止めた!」
「……は?」
半ば投げ出すような、降参ともとれるような気の抜けた声が、力の入っていたカイトの肩を一気に脱力させた。
「ん〜、私もつい夢中になってのめり込んでたから、口が滑って失言しちゃってたみたいだねえ。……だとしても、それを聞き逃さずに相手を問い詰める材料にするのは、流石悠人ちゃん、って褒めてあげるべきかな? お姉さんは君の成長が見れて嬉しいよ」
「…………ちょっと待て。今、なんて……?」
聞き間違いかと思い、カイトは問う。
しかし、彼の鼓膜が捉えた音の響きは、生涯で何度も聞いたことのある馴染み深いものだった。
幼い頃ならいざ知らず、カイトのリアルネームを、それも高校生となった彼を今でも『ちゃん』付けで呼ぶ人物など、世界でたった1人しかいない。
「…………りー、ちゃん…………?」
カイトが目の前にいる猫耳少女アバターの正体に辿り着いたことを肯定するかのように、アリシャ・ルー/
…………という事で唐突かもしれませんが、アリシャの正体はカイトにとって身近な人物でした。
ALO編の最終決戦はカイト側とアスナ側で別々に行いますが、まずはアスナ側を終わらせます。