1秒でも早く会いたいという渇望を抑えつけ、声を発することなくユイの先導で太い樹の枝の上に築かれた人口の道を歩き続ける。アスナはユイに手を引かれているため、その表情を伺うことは出来ないが、歩く速さが徐々に上がってきていることから、娘の胸中が自分と全く同じ思いで満たされているのだと悟った。後ろをついてきているリーファも、きっと同じだろう。
右へ左へとカーブを描き、階段を上ったり下ったりしながら延々と歩いていると、鬱陶しいほど繁っている木の葉の隙間から金色の光が射し込んだ。夕陽はアスナ達の右側で地平線に沈む準備をしているので、真正面から射す光の正体は決して陽光ではない。おそらく、光が何か金色の物体に反射しているからだろう。
そして最後の階段を一思いに背中の翅で飛び越えると、金色の光を生み出している物体の正体が露わになった。全体が金色であることと途轍もなく大きいのを除けば、上部がすぼまったオーソドックスな鳥籠だ。しかし、『鳥籠』という名が示すように、鳥を閉じ込める用途のものとは到底思えない。仮に鳥を中に
そうなると、鳥籠は鳥を閉じ込めるのではなく、違う用途で使われているのだ。例えば、鳥よりも大きな、それこそ人間を閉じ込めるためのものである、とか――。
近付くことで鳥籠の外観だけでなく、その中の様子もはっきりと見えてきた。床はタイルが敷き詰められ、中央には天蓋付きのベッド、その近くには白い丸テーブルと椅子。そしてその椅子に腰掛け、テーブルに顔を伏せている人物がいた。
薄手の白いワンピースに、胸元には緋色のリボン。艶やかな黒色の髪は背中にかかるほどの長さで、身体のラインは細く華奢だ。顔は伏せているため確認できないが、この時アスナはALOへダイブする前にカイトから見せてもらった、鳥籠の中で
いよいよ我慢が出来なくなったのか、ユイは掴んでいたアスナの手を離し、鳥籠へと走る。アスナとリーファもそれに続くが、3人分の足音が鳥籠に囚われている人物の耳に入ったらしく、肩をピクッと動かし、次いでゆっくりと頭を持ち上げて来訪者を見た。
まず半ば諦めの色が見え隠れする瞳が見開かれ、驚愕の色に染まると、すぐに別種の感情が彼の――――キリトの胸を満たした。
「……アス、ナ……。ユイ……」
愛する者の名を呼ぶ声はすぐさま空気に溶けて消えるが、それは2人の耳にしっかりと届いていた。
ユイは格子に設置されていたパネルに右手をかざすと、掌が青く淡い光の粒子を帯び始めた。その状態のまま手をさっと右に払うと、パネルは弾けとび、光の粒となって消失する。最後の障壁を取り除くと、阻むもののない鳥籠の中へ、ユイは真っ先に飛び込んだ。
「パパ…………パパーー!」
両腕を大きく広げ、素足で冷たいタイルの上を一気に駆ける。
「キリト君!!」
アスナもまた、宝石の如く光る雫を目尻いっぱいに溜め、胸の奥で溢れ続ける感情の激流に抗うことなく、最愛の人の元へと駆ける。
キリトは椅子から勢いよく立ち上がると、駆け寄ってくるユイとアスナを受け止めるため、1歩、2歩と前進した後、両腕を広げた。
その直後、ユイが床を蹴ってキリトの胸に飛び込み、アスナも遅れてキリトの胸の中へと飛び込んだ。キリトは2人からの抱擁を受け止めると、アスナの背中に腕を回し、力強く抱き返した。
「アスナ……ユイ……」
今のアスナは、SAOの頃のように
キリトに関しては容姿こそSAOと変わらないが、元々中性的な顔立ちだったことに加え、背中にまでかかる闇を映したかのような黒髪と薄手の白いワンピースという見た目は、女の子と間違われても不思議ではない。
しかし、たとえ見た目が異なっていても、2人には目の前の人物が愛する人だと確信をもって言うことが出来た。器が違ったとしても、そこに内包されている魂は不変であり、2人は見えない糸で結ばれているので、世界が異なってもお互いがお互いを認識できるのだ。
「ごめんね、キリト君。遅くなっちゃって」
キリトの肩口に顔を
「オレの方こそごめん。この場所に来るまで、きっとアスナは辛い思いをたくさんしたよな。オレはただ、待つことしか出来なくて……」
「ううん、私は大丈夫。君に一生会えないのに比べたら、ここに来るまでのことなんて大したことないよ」
キリトの背中に回されたアスナの腕が、より一層力強く彼を抱きしめた。
「……ありがとう、アスナ…………」
キリトもアスナの肩口に顔を
「パパ、ママ。苦しいですよー」
そんな2人の間に挟まれながら、ユイが幸せそうな吐息を
キリト、アスナ、ユイの幸せそうな光景を、リーファは鳥籠の入り口付近で静かに見守っていた。
正直に言えば、世界樹の上に登りつめた時、リーファは兄とアスナが再会した瞬間を見た自分が何を思うのか不安に感じた。未来永劫、胸の奥底で秘め続けなければならない気持ちを持った自分が、2人の幸せそうな様子を見て何を思うのか、と――。
そして今、予期していた光景が目の前にあるのだが、不思議と胸が疼くことはなく、これにはリーファ本人も少しばかり驚いた。恋心が引き裂かれた後はそれに伴う痛みが襲いかかり、最悪の場合はその場に留まっていられず逃げ出すかもしれないと思いもした。
しかし、実際には胸が痛むこともなく、寧ろ本当の家族と遜色ない3人の幸せそうな光景を見て、『良かった』と思えるほどだ。そんな感想を真っ先に思った自分に対して戸惑うと同時に、その原因が何なのかをリーファはなんとなく察していた。
それはつまり、和人に向けていた恋心が既に失われているということ。
そしてもしかすると、それに変わって新たな恋心が芽生え始めているかもしれないということ。
(――私、私は…………)
道中考え、探し求めていた答えに、リーファは近付きつつあった。
しかし、突如襲いかかった違和感により、彼女は思考の中断を余儀なくされた。
空気が異常に重くなり、身体を動かそうとすると粘性の液体の中にいるような抵抗感を感じる。腕を持ち上げるのも一苦労で、立っているのも辛い状態だ。
「…………なん、なの……?」
不可解な現象に顔を歪ませ、瞼をきつく閉じる。そして次に目を開けた時、夕焼けの空も鳥籠も、全てが闇に呑まれていた。
だが、完全な真っ暗闇というわけではない。その証拠に、離れた場所にいるキリトとアスナ、ユイの姿は明瞭に見えているからだ。闇に呑まれたというよりも、背景だけが黒く塗り潰されてしまったというのが正しい。
そしてリーファの目が捉えている3人も彼女と同じ状況に陥っているらしく、その表情には不安と戸惑い、混乱が色濃く出ていた。
「パパ……ママ……リーファさん。気を付けて下さい! これは……きゃあっ!」
何かを言おうとしたユイだったが、小さな悲鳴を最後に残すと、彼女の身体を紫色の電光が疾り、一瞬だけ強く輝く。光はすぐに収まったが、その時既にユイの姿はなかった。
「ユイ!!」
「ユイちゃ……きゃあっ!!」
2人は突然消えたユイの身を案じて名を呼ぶが、その途中でまたしてもおかしな現象が身に降りかかった。
見えない力で無理やり上から押さえつけられているような感覚が襲いかかり、キリトも、アスナも、リーファもそれに耐えきれず、膝と両手をつく形になった。まるで、圧倒的な力に屈服し、
「この力……須郷っ……お前、か…………っ!!」
キリトの呟きの中にある聞き慣れない名がリーファにはわからなかったが、その答えは当人が姿を現したことで判明した。
「アハハハハ、流石に何度もこいつを喰らっているだけあって、気付くのが早いね。馬鹿だと思っていたけど、最低限の学習能力はあったようだ」
いつの間にかキリトとアスナの傍で、頭に王冠を被っている1人の男が立っていた。緑色の
「だけど、この世界でその名前を呼ぶのは適切じゃあない。正しくは妖精王、オベイロン陛下――――だっ!!」
須郷は片足を持ち上げて振りかぶり、跪いているキリトの頬を思いっきり蹴りつける。ブーツのつま先がキリトの頬に喰い込み、彼は紙屑の如く簡単に蹴り飛ばされてしまった。
「キリト君!!」
「お兄ちゃん!!」
彼の身を案じた2人が鋭い声で名を呼んだ。
そんな事など気にもとめず、須郷は左手を振ってウィンドウを表示させると、発光するスクリーンを凝視し始めた。しばらく眺めていたが、やがて唇を曲げてスクリーンを消去した。
「逃げられたか……。ところで、さっきまで妙なプログラムがここにいたけど、あれはなんだい?」
須郷の視線がアスナに向けられるが、彼女は答える義理はないとでも言わんばかりに、さっと目を逸らして黙り込む。
「だんまりか。まあいい。後で頭に直接訊けばいいだけの話…………いや、まてよ……」
何かアイディアが浮かんだらしく、須郷は言葉を途中で切り、顎に手を添えて考える素振りを見せた。
しかし、その口元はすぐに醜く歪んだため、その表情から何かよからぬ企みを思いついたのを察するのは火を見るよりも明らかだった。最も間近で見ていたアスナの背筋に冷や汗が流れ、寒気が彼女の全身を襲う。
「訊くのは簡単だが、それじゃあ面白くない。ここは1つ、ちょっとした余興で楽しもうじゃないか」
そう言った須郷は右手を前に掲げて五指を広げると、空間に向かって声高々に命令を下した。
「システムコマンド!! オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート!!」
須郷の前の空間が歪んだかと思えば、0と1の数字が流れてたちまち1本のロングソードを形作った。暗闇の中でも煌々と輝くであろう黄金の刀身に、美麗な装飾が施されている
「さて、と……」
現れた剣を手に取ると、須郷は床に仰向けで倒れているキリトの元へと歩み寄る。アスナとリーファは須郷が何をするのか顔を上げて見ていると、彼は剣を逆手に持ち替え、獰猛な笑みを浮かべながらキリトの腹目掛けて思いっきり突き刺した。
「がっ、は…………」
痛みはない――――が、腹の中を剣が通る感覚はあるため、そのザラついた不快感は拭いきれない。剣は腹を貫通して床に喰いこんだらしく、仮に須郷が剣から手を離しても抜け落ちることはないだろう。
須郷が何をする気なのかわからないが、キリトはたとえ身体を切り刻まれようとも耐えてみせるという覚悟をした。自分だけが犠牲になるのなら、アスナが辛い目に合うより何倍もマシだと、そう思えた。
そして彼はアスナを安心させるために声をかけようとしたが、それよりも先に須郷が上空を仰ぎ、新たなコマンドを唱えた。
「システムコマンド! ペイン・アブソーバをレベル8に変更!」
その瞬間、キリトを襲っていた不快感が変化した。現実のものには程遠いが、彼の身体を駆け巡っていた感覚は『痛み』という名の刺激にすり替わる。
「っ……ぐうっ……」
苦悶の表情を浮かべるキリトを見下ろしながら、須郷は満足そうな顔で笑い声を響かせた。
「まずはツマミ2つ分といこうか。段階的に強くしていくから、覚悟しておくんだね。レベル3以下だとログアウト後もショック症状が残るらしいが、もしそうなったらそれはそれで良い研究資料になりそうだなあ。君がいつ僕に救いを求めてくるのか見ものだけど、せいぜい堪えてくれよ」
毒々しい笑みを崩さない須郷の背中に、アスナが鋭い声をぶつけた。
「やめなさい、須郷!! こんな、こんな事が許されると思ってるの?」
「許す許さないはこの世界の神である僕が決めることだよ。それよりも、僕は君に幾つか訊きたいことがあるんだ。まず、さっきまでここにいた妙なプログラムは何なんだい?」
「……あなたに答える義理はないわ」
「ふ〜ん、そうかい」
アスナが質問に対する回答を拒絶すると、須郷はキリトの腹に刺さった剣の柄に手を置き、時計回りに捻りを加えた。キリトの身には
「……があっ……!」
「キリト君!!」
「ほらほら、君がそんな態度をとるもんだから、彼が苦しい思いをしちゃったじゃないか」
キリトは肉体を傷つけられるような物理的な痛みを、アスナは愛する人が苦しむ様子を見せつけられる精神的な痛みを。それぞれがそれぞれの理由で苦しんでいるのを、須郷はニヤニヤ笑いながら見下ろす。
「しょうがない。じゃあ、質問を変えよう。そもそも、ここにはどうやって来たんだい?」
「……勿論飛んできたのよ、この翅でね」
「ふうん……。じゃあ言い方を変えるけど、あのゲートをどうやってくぐり抜けて来たのかな? あれは管理者権限でロックされている筈だけど」
「それは…………」
伏せた状態のアスナは、顔を持ち上げて腹越しに彼女を見るキリトと目が合った。些細なものであっても須郷に情報を与える必要はない、とキリトの目が語っているのを感じとり、アスナは開いた口を固く閉じた。
「……だんまりかい? しょうがないなあ……。システムコマンド! ペイン・アブソーバ、レベル6に変更!!」
須郷が再びシステムに命令を下すと、腹に剣が刺さったままのキリトはさらに表情を歪めた。痛覚を緩和する機能は徐々にそのレベルを落とし、現実の痛みへと近づいていく。
現実の肉体にまで影響が出ることはまだないが、それもすべて須郷の裁量次第であり、彼がたった一言システムに命じるだけでことは足りるのだから。事態が悪化することはあっても、改善されることはないだろう。
これ以上キリトが苦しむ姿を見たくないアスナは、いっそすべてをさらけだし、もしもの時は自分が身代わりになろうと決意を固めてそう告げようとした――――が、アスナより先に我慢の限界を迎えたリーファが、鋭い声で叫んだ。
「もう止めて!! 私が……私がお兄ちゃんの代わりになるから、だから……これ以上お兄ちゃんを苦しめないで!!」
悲痛に満ちた声が空間に広がり、続いて静寂が訪れると、真っ先にキリトが口を開いた。
「え…………? ……スグ……直葉、なのか…………?」
自分を兄と呼ぶのは、世界中どこを探しても1人しかいない。訝しんだのは一瞬だけで、キリトが答えに辿り着くまで時間はそう掛からなかった。約2年振りに妹と再会した喜びと、彼女が自分から会いにきてくれたという驚きがキリトの胸の内を満たし、入り混じる。
「へえ、もしかして実の妹かい? ご丁寧に会いにくるとはねえ。美しい兄妹愛じゃないか。……そして自ら身代わりを買って出るその勇気を汲んで、妹君の要望に応えてあげよう」
だが、須郷の言い放った言葉がキリトに冷水を浴びせ、急速に思考が冷えていく。
しかし、自分と同じ痛みを直葉が受けるのかと思うと、それを黙って許すことができないキリトは、冷えた思考が急激に熱を帯びて沸騰するのを感じた。
「須郷! 貴様、スグに……スグに手を出すなっ!! スグに何かすれば、オレがお前を殺す!!」
「何も出来ない虫ケラが強がっていると、惨め以外の何物でもないよ。虫ケラは虫ケラらしく、地面に這いつくばって見ているといい。君の妹が泣き叫ぶところを、ね」
そう言うと須郷はキリトに刺したままだった剣を引き抜き、ブーツを鳴らしてリーファの元へ歩み寄る。妖精王の端正な顔立ちが今やその内面を映し出し、品のない笑みを浮かべて醜悪にすら見えるほどだった。
アスナの横を通り過ぎると、須郷は重力魔法で這いつくばっているリーファの目の前で立ち止まった。須郷は彼女を見下ろしたまま、右手に持っている黄金の剣を高々と掲げる。リーファは襲いくる痛覚に備え、固く目を瞑って全身を強張らせた。
しかし――――。
――ドスッ……。
どれだけ待っても、剣が振り下ろされる気配がないことから、リーファはおそるおそる目を開けた。すると、剣を振りかぶっている須郷の腹から、細く鋭い切っ先を持つ1本のレイピアが突き出していた。背中側から腹側へと貫通しており、その光景にリーファは思わず目を丸くする。
「……えっ……?」
自身の腹から出ている異物に気が付いた須郷の反応は鈍いが、それが何なのか自覚し始めると、じわじわと遅れて痛みが彼を襲い出した。余裕のあった表情は崩れ、瞬く間に顔はくしゃくしゃになり、手から剣がこぼれ落ちた。
「あ、あああああああ!!!!」
何が起きたのかわからないリーファが須郷の後方に目をやると、少し離れた場所でキリトが立ち上がっており、レイピアを投擲し終わったような格好で静止していた。
「そんなに叫ぶなよ。腹に響くぜ」
「お、お前……何故動ける……」
重力魔法によって地面に伏せていたキリトが平然としている意味が、須郷にはわからなかった。立ち上がることすら困難なはずなのに、アスナの腰にさしてあったレイピアを引き抜き、須郷目掛けて投擲までやってのけたのだから、彼を襲っていた不可視の攻撃は消え去ったとみてよいだろう。
「し、システムコマンド! ペイン・アブソーバをレベル10に変更!」
だが、今の須郷にとってそんな事はどうでもよく、まずは自分の腹に刺さったレイピアからくる刺激を緩和する命令をシステムに下した。
しかし、彼の声は虚空に響いて収縮しただけで、実際に何かが起こる気配は微塵もない。
「な、何故だ! なんで何も起きない!?」
「無駄だ。ついさっき、オレがお前の管理者権限レベルを下げた。システムはもうお前の命令に耳を傾けることはない」
「そんな、そんなこと出来るわけがない! 僕はこの世界の神だぞ!」
「違う。お前は本来の主がいなくなったのを良いことに、玉座を横取りして王様気分でいただけの泥棒だ」
「こ、このガキ……」
須郷の怒りに満ちた顔を一瞥すると、キリトは両手を広げて肩の高さまで持ち上げる。掌を打ちつけるように合わせて、パンッ、という乾いた音を鳴らすと、アスナとリーファを上から押さえつけていた力が瞬時に霧散した。地面に伏していた2人は突然の出来事に驚愕する。
さらにキリトが右手を上に伸ばすと、須郷に刺さっていたレイピアが自動で引き抜かれ、空中を飛んで彼の手中に収まった。しっかりとレイピアを握り締めたキリトは剣を左右に払う動作をした後、須郷を真正面から視線で射抜いた。
「今までの借りをまとめて返すぞ、須郷。……システムコマンド! ペイン・アブソーバをレベルゼロに」
「なっ…………!」
仮想の痛みを現実に値するレベルまで引き上げたことで、須郷の顔に動揺が走る。データの塊でしかない剣だとしても、それで身体を傷付けられればそれ相応の痛みを伴うし、ログアウトしたとしても現実の肉体にまで影響が及ぶおそれがある。
そうなると、目の前にある剣の価値は本物と遜色ない。急激に現実味を帯びてきたことで身体が恐怖を覚え、須郷は1歩、2歩と足を後ろに下げた。
「この僕が……こんなガキに……。あり得ない…………僕は……僕は神だぞ!」
須郷は床に落とした黄金の剣を拾うと、地を蹴って剣を振りかざした。
しかし、その姿には先刻まであった余裕はなく、剣を振り続けていたキリトにとっては隙だらけに見えた。振り下ろされた剣を引きつけて躱し、レイピアで須郷の右腕を根元から斬り落とした。
「ああぁぁああ!! 僕の、僕の腕がああぁぁ!!」
仮想の痛みが須郷の右腕を容赦なく襲う。隻腕になった妖精王は左手で切断された部位を押さえ、片膝をついて
全身から嫌な汗を滝のように流す須郷を見下ろしながら、キリトは一切の情けをかける事なく剣を横に薙いだ。胸の辺りを境にして分断された須郷は、絶叫とも言うべき金切り声を上げ、両眼からは涙がとめどなく溢れている。四肢を奪われ、せいぜい身体を捻るぐらいしか出来なくなった須郷は、仰向けの状態で口をぱくぱくと開閉させていた。
これまで自分を虐げてきた須郷に対して何の感慨も湧いてこないキリトは、レイピアを逆手に持ち替えると、剣先を須郷の頭部に照準した。耳障りな声で絶叫し続ける須郷へ躊躇なく剣を真下に下ろすと、剣は須郷の右眼を貫き、後頭部にまで達した。
「ぎゃああああぁぁああ!!」
貫かれた右眼から白い炎が生まれると、やがて広がりを見せて須郷を包む。広がった炎が消え去るまで、須郷の悲鳴は真っ暗な空間にいつまでも響いていた。
須郷がいなくなったことで、辺りに静寂が訪れる。キリトは剣を床に突き立てた状態で立っていると、何かが彼の背中を軽く押した。キリトが肩越しに後ろを見ると、アスナが彼の背中に身体を預けていた。
「アスナが無事でよかった」
そう言うと、キリトは再び顔を正面に向け、胸に手を当てて安堵の表情を浮かべているリーファに微笑んだ。
「スグも、無事でよかった」
「お兄ちゃんが守ってくれたからだよ。ありがとう。…………でも、お兄ちゃんは一体何をしたの?」
すると、つい今まで柔らかかったキリトの表情が少しだけ険しくなった。口元に手を添えて何か考える素振りを見せると、彼は間を置いて口を開いた。
「……声が聞こえたんだ。頭に直接響いてきたその声に従って、とあるIDにログインして、オレはGM権限を行使したんだ。IDは…………」
次に彼が口にした単語は、最強のプレイヤーとして、しかし最後は魔王としてキリトの前に立ちはだかった者の名だった。
「……《ヒースクリフ》」
キリト達の頭上に広がる世界の深奥から錆びた声が聞こえたのは、その直後だった。
少々駆け足でしたが、キリト達のALOにおける戦闘は終了です。
次からはカイトVSアリシャとなりますが、戦闘の他にALO編の伏線というか、前置きというか…………を回収します。