ぼくたちは勉強ができない 邂逅の後輩編 作:愉快な笛吹きさん
「今回90点超えだったぞ。やればできるじゃねえか成幸」
「え?」
ある日の夕食でのこと。突如かけられた父の言葉に成幸は疑問符を浮かべた。何の事かと思いを巡らせ……はっと答えが浮かぶ。
「まさか……こないだの定期試験の結果? 駄目だろ父さん、まだ発表前なのに」
血相を変えて抗弁する成幸に、愉快そうに父が笑った。
「どうせ明日返却するんだ。ちょっと早いぐらい別にいーじゃねえか。それに――」
ぽん、と成幸の頭に父の手が重ねられる。
「よく頑張った息子を褒めてやりたかったしな」
「父さん……」
そんなことを言われてしまえば、成幸は何も言葉にすることができなかった。上機嫌の父にわしゃわしゃと撫でられる。流石に泣くまでには至らなくはなったものの、やっぱり感情が込み上げてしまう。
「ま、次もこの調子でな。しかし世界史は苦手だったはずなのに、いつの間にこんなできるようになったんだ? 言っちゃあ悪いが今回はかなり難しくしたつもりだぞ」
ようやく手を離した父がそんな裏話を暴露してくる。幼い頃は気付かなかったが、どうもこの人はかなりお茶目なところがあるらしい。
そんな父の新たな一面を目の当たりにした成幸が苦笑しながら答える。
「起こった出来事の因果関係を捉えるようにしたんだよ。なぜそうなったのかを理解するよう努めたら映画のストーリーみたいにすっと頭に入ってくるようになってさ」
「なるほど、中々良い着眼点じゃねえか。で……そのやり方は成幸が考えたのか?」
にやりとしながらそんなことを問い詰めてきた。流石は父親だ、と成幸が舌を巻く。
「いや、ある人がそう教えてくれたんだ」
「そうか。いい“先生”に巡り会えたな」
「……うん」
感慨を込めて頷く。本当にいい先生だった。他ならぬ父からのお墨付きに、成幸の心がじわりと温かくなる。
「ま、とにかくこれで不安要素は無くなったわけだ。VIP推薦合格に向けてぐっと確率が上がったな」
ははは、と快活に笑った父に、成幸がごくりと喉を鳴らす。ここに来て数週間。ようやく新たな生活にも順応してきた。切り出すのなら――今だ。
「その件でちょっと話があるんだ、父さん。母さんも聞いてほしい――」
――翌日
「やっほー桐須さん。昨日の大会も優勝したんだって? おめでとー!」
「か、感謝。ありがとう天田さん」
昼休みの教室。午前中のレッスンを終えて登校してきた真冬の前に現れたのは同じクラスの快活そうな女子だった。
天田千代子――前の世界では、成幸が“店長”と呼んでいた人物だ。前の世界ではおそらく入婿だったのだろう。未婚であるにも関わらず姓は同じだ。
席に着くなり話しかけられた真冬が思わず動揺しながら応える。
「どういたしまして! でさ、大会終わったなら今日は暇してるんだよね! いま駅前にできたクレープ屋に行こうって皆で話してるんだけど桐須さんもどう?」
学生時代であろうと彼女の人となりは何ら変わらない。独特の高いテンションで真冬に誘いかけると、返事を待った。
だが。
「えっと……謝罪。次の大会に向けてレッスンがあるので。ごめんなさい」
「そっか。あ、いーよ気にしなくて!」
申し訳無さそうな顔で断る真冬に、ひらひらと千代子が手を振った。踵を返すと頭を掻きながら自分の机に戻っていく。
「うーん今日もだめだったかあ!」
残念がりながら席に着いた千代子に、周囲にいた友人たちから声がかかった。
「いい加減諦めようぜ。誘うだけ時間の無駄じゃないか?」
「学校にいる時間以外は殆どフィギュアに費やしてるくらいなんだし。私たちとは住む世界が違うんだよ」
「そうかなあ?」
周囲が好き勝手に推論するなか、唯ひとり千代子は疑問を呈する。真冬が断りの返事を入れるまでにはやや間があったし、よくよく思い返せば瞳が揺れ動いていた気もする。
(忙しいだけで本当は行きたそうに見えたんだけど……まっ、また誘えばいいか)
直感的にそう結論付けるや、友人達との談笑に加わる千代子。後に起業して社長となる彼女の観察眼は、果たして真冬の本心を正しく捉えていた。
――放課後
「うおおおお急げーー!」
提出忘れのプリントをぎりぎり職員室に届け終えた千代子は、クレープ屋に先行した友人たちに追いつくべく廊下を爆走していた。そのまま突き当りを曲がり終えて――前を歩いていた人物に危うくぶつかりかける。
「ごめん! ちょっと急いでたから……って。あれ? 桐須さん?」
「ど、どうも……」
衝突しかけた相手は真冬だった。合掌したポーズのままきょとんとしていた千代子が口を開けて笑う。
「てっきりもうレッスンに行ったのかと思ってたよ! あ、予定が変わったんだったら今からでも一緒にどう?」
「ごめんなさい。学園長に大会の報告をしに行くだけなので」
そう断った真冬が前方に視線をやった。長い廊下の真ん中にある学園長室のプレートをまじまじと見つめた千代子が、あらためて彼女に話しかける。
「私にはとんと縁の無い部屋だなー! さっすが桐須さん!」
「い、いえ……それじゃあ」
「いやいや方向一緒だから! どうせだしそこまで一緒に行こうよ!」
言うが早いか、歩き出した千代子の後を追うように真冬が続いた。今日の授業や流行りの店などの話を千代子がほぼ一方的に喋るうちに学園長室の前までたどり着く。
と、そこで二人が異変に気付いた。
「中で誰か話してるっぽいね」
「疑問。担任の先生からはこの時間に来るよう言われたのだけれど……」
「てことは、なんか急な予定が入ったってこと?」
「おそらくは……」
「ふーん」
真冬と見解を揃えた千代子が扉に貼り付くなり聞き耳を立てた。学園一のスポーツ実績を誇る彼女の報告を後回しにする内容。クレープを食べる際の話のネタの一つにでもなるだろうか。
そんな事を彼女が思った矢先、扉の内側から一際大きな声がした。はっと真冬の目が見開かれる。
「この声……唯我先輩?」
そう呟くと、真冬の方も扉に近付いた。千代子に倣い、耳を澄まして中の会話を聞き取ろうと試みる。
「何かわかる? 桐須さん」
「ごめんなさい、あまり鮮明には。でもVIP推薦がどうとかって……」
「それって提携してる大学の学費が全部無料になるやつだっけ。なら合否の発表とかかな?」
「それにしては話が長引いているようだけど……」
なおも熱心に聞き耳を立てようとする真冬に、おや、と千代子は関心を覚える。いつもは何かと距離を置きがちな彼女がこうも他人に興味を持つのは珍しい。その理由を考えてみた彼女だったが――程なくしてこの年頃に見合った解答へと行き着いた。
「ね、桐須さん! もしかしてこの向こうで話しているのって、桐須さんのカレシ?」
「なっ!? カレ……っ?」
予想だにしなかった言葉に真冬が派手に言葉を詰まらせた。あまりの反応の良さに、これは図星かと判断した千代子が更に追及する。
「あ、大丈夫! 心配しなくてもここだけの話にしておくから! で、いつから付き合ってるの?」
「い、いえ! ゆ、唯我先輩とはそんな関係じゃ……」
「唯我先輩っていうんだ! まだ話したことは無いけど確かテストの結果発表でいつも上位の方に名前が載ってるよね。で、どんな人? 格好良かったりする? 性格はイケメン? 先輩ってことは来年は大学に行く感じかな?」
「あ、あの、その――」
怒涛の質問攻めに真冬がすっかりしどろもどろになる。元より人付き合いが苦手なうえに訊ねてくる相手が常時ハイテンションなため、会話のテンポが噛み合ってくれない。
が、それでも生来の人の良さゆえか。混乱しつつも何かしら回答しなくては、と義務にも似た気持ちを覚えてしまう。
その結果。
「――じゃあさ、桐須さんから見た唯我先輩の印象は?」
「し、思案。その――」
そのくらいならばどうにか答えられそうだった。急いで言葉をまとめた真冬が口を開いたその瞬間、がちゃりと学園長室の扉が開く。
「唯我先輩は、すごく素敵な人で――」
「お?」
「え?」
「ん?」
三者三様の声が聞こえて、真冬が口を開けたまま固まった。開いた扉の前に立っていたのは今まさに口にした当人とその父親の教師だ。
たっぷり数秒は場が硬直したあと――唯我教諭の口元がにやりと上がる。
「何だ桐須。ウチの息子がそんなに気になってるのか? 仕方ねえな。受験が済んだら二人でいくらでもイチャついて構わねえぞ」
「せ、先生!」
顔を赤らめつつ非難の声を上げた真冬が、はっと隣の成幸に目が合った。父親に煽られたことも手伝ってか、煙を上げながら恥ずかしそうに赤面している。
「あ……えっと」
「ひ、否定! 今のは先輩に向けて言ったのではなくて」
「そ、そう……」
「あっ……で、でも別に嘘っていうわけでもなくて!」
「そ、そうなんだ……」
顔を赤らめつつ、傍から見れば惚気にしか見えないやりとりを交わす二人。隣りにいる成幸の父も千代子も、それぞれ興味津々といった様子で見つめている。
「……で、桐須たちは何しにここに来たんだ?」
終いにはすっかり硬直した二人を解凍しようと、見物を終えた――帰ったら妻に報告しようと決めた――成幸の父こと輝明は、あらためて訊ねた。
「報告。昨日の大会の結果を伝えに来たところ、中から声が聞こえたので」
「ああ、そういや学園長のやつがそんなこと言ってたか。悪いな時間取らせちまって」
「いえ、大丈夫です。それよりあの……先程先生が言った受験って? 唯我先輩はVIP推薦の結果待ちなんですよね?」
「そうだったんだけどな。たったいま辞退してきたんだ」
質問に答えたのは成幸本人だった。辞退という言葉に驚いた真冬に向けて、輝明が口を挟む。
「ほぼ合格で決まってたらしいんだがな。少し勿体無いとは思うが……ま、息子が決めた事だ。やりたいことがあるなら応援してやるのが親ってもんだろ?」
「やりたいこと?」
呟き返した真冬に、成幸が大きく頷いた。
「ああ。俺……教師を目指そうと思ってさ。そのために教育大学に進学したいんだがVIP推薦の提携先には無いらしくてな。辞退して一般受験でいくことにしたんだ」
「はー。随分思い切ったんですねえ」
と、反応したのはしばらく大人しかった千代子だった。どこかで聞き覚えのある声に振り向いた成幸が驚きの声を上げる。
「え、店長?」
「へ?」
疑問符を浮かべた千代子に、成幸がしまった、と失言を自覚した。
が――
「いやー照れちゃうなー店長だなんて! もしかしてどっかのバイト先でお会いしましたっけ。多過ぎて覚えていないんですよー!」
そう言って千代子が笑いながら頭を掻いた。都合よく解釈してくれたことに成幸がほっとすると、輝明が話に割り込む。
「バイトに励むのは構わんが、天田も来年は三年だ。進路の目処なんかはちゃんと立ってんのか?」
「いえ、全く! でも唯我先輩が言ったようにいつか起業して店長になるのが夢ですから! バイトはそのための社会勉強の一環です」
拳を握りつつ千代子がきっぱりと言い切る。先の展望は不明とは言いながらも、その堂々とした佇まいには謎の安心感があった。輝明も思わず面食らったものの、ふっと笑みを浮かべる。
「そこまで言い切るなら何も心配は無さそうだな。応援してるぜ。店ができた暁には是非とも立ち寄らせてもらうからよ」
「あはは! その時はぜひ奥さんと来てください。店といっても最初はランジェリーショップでいく予定ですから!」
「おいおい。それを先に言ってくれ」
そうして二人で笑い合う。自身の父親ですら手玉に取ってしまう辺り、やはりこの人はあの店長なんだなあと、成幸はあらためて思い直した。
「桐須の方はやっぱりこのままフィギュアを続けんのか?」
「わ、私ですか?」
何となく出来上がった流れに沿って、最後は真冬の番となった。予期していなかったのか、訊ねられた途端に彼女が目をぱちくりとさせる。
「私は……」
フィギュアを続けるつもりです――そんな皆の予想とは裏腹に、真冬は何故か続きを口にしない。
戸惑いつつ、何かを躊躇っているような様子の彼女に輝明が声をかける。
「……ま、何であれ最後に決めるのは桐須自身だ。どういう道を選ぼうと俺は応援するからよ。だから――」
――自分の気持ちに素直にな
そう締めくくった輝明に、真冬は控えめに感謝を述べる。異なる世界では崖っぷちに追い詰められていた彼女の人生を変えたこの一言は、果たして成幸がこの場にいたことにより、早々に彼女の耳に届いてしまう。
だから――その言葉は今の彼女には響かない。
「でも……私には他に何もないから」
成幸たちと入れ替わる形で真冬が学園長室に入っていく。
すれ違いざまに彼女が呟いた独り言は、やけにはっきりと成幸の耳に残った。