ぼくたちは勉強ができない 邂逅の後輩編   作:愉快な笛吹きさん

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 青天の霹靂というのはまさにこういうことなのだろうか。

 

「休暇……ですか?」

 

 いつもの変わり映えのしなかった夕飯は、両親からの一言によって一変した。突如土曜日の練習が休みになることを言い渡された真冬は、危うく持っていたフォークとナイフを取り落としかける。

 

「急遽のことだ。頼んでいたレッスンコーチが身内に不幸があったらしくてな」

 

 そう言うと、真冬の父親が紅茶の入ったカップを口にした。母の方を見れば、あらためて突きつけられた事実が堪えたのだろう。頬に手を当て、憂いを帯びた表情を浮き彫りにしている。

 

「痛手。もうすぐシーズンを迎えようとするこの時期こそが肝心だというのに。スケジュールが空いてしまうなど痛恨の極みですね」

 

「仕方あるまい。代理のコーチも全て駄目だったんだ。私達がこの娘を教えられるわけもないし、遺憾だが休息に充てるしかないだろう」

 

「で、では……?」

 

 恐る恐る訊き返した真冬に父親が頷く。最終決定だった。

 

「次の土曜日の練習は休みだ。したい事があるのならお前の自由にしなさい」

 

「千載一遇! なら週末は久しぶりに家族でお出かけしませんか? 父さま、母さま!」

 

 と、それまで会話を聞いていた美春が、すかさず自身の要望を伝えた。

 年相応の笑みを浮かべてテンションを上げる我が子に、母親が小さくため息を洩らす。

 

「まったくこの娘は……でもそれも悪くはありませんね。ちょうどこの前友人から良い店を勧められたものですから。ほら、例の」

 

「ああ、あれか。なかなか悪くはなさそうだったな。そういえばあそこの近くのホールはアイスダンスの公演もやっていたか。ちょうどいい、真冬の勉強にもなるだろうから早速手配を――」

 

「ま、待って下さい!」

 

 勝手に話が進んでいってしまっていることを察知した真冬が慌てて声を上げた。

 

「どうしたの? 真冬」

 

「そ、その……」

 

 何事かと三人から目を向けられ、真冬は途端に居心地の悪さを感じる……が、言わなければならない。このチャンスを逃せば先輩たちとの約束は果たせそうにないだろうから。

 

「先約。その日は友人たちと遊ぶ予定があるのです」

 

「友人?」

 

「はい」

 

 言ってしまった、と真冬は思った。これでもう後には退けない。

 自身を“友達”と言ってくれた先輩の顔を心に思い浮かべながら気を張る。

 

「疑問。休みを告げたのは今が初めてよ。それなのに予定があるというの?」

 

「約束自体は前々から交わしていました。私の都合が良いときに合わせてくれるとのことだったので」

 

「ふむ……ちなみにどんな友人だ? フィギュア教室の仲間か?」

 

 質問を変えてきたのは父親だった。答えようと口を開きかけた真冬だったが、すんでのところで思い留まる。少々世俗に疎い自覚があるとはいえ、流石に年頃の娘が男の先輩三人と遊ぶなどと言えるわけもない。

 

「いえ――」

 

「ひょっとして、遊園地で姉様と一緒にいた殿方ですか?」

 

 追い打ちをかけるように美春が言葉を被せてきた。遊園地……自分が初めてレッスンをサボってしまった事実を思い出した両親が、僅かに顔をしかめさせる。たまらず妹を恨みたくなったものの、どのみち身元については告げる必要はあった。

 切り替えると、あらためて真冬が口を開く。

 

「美春の言った通りです……同じ学園の先輩で、遊園地の勝手がわからなかった私に良くしてくれました。そこからの縁です」

 

「学園の生徒か……美春からもある程度の事は聞いてはいるが、それにしても一対一と言うのは」

 

「否定、今度は複数で遊ぶ約束ですから。そ、それに女性も私だけではなくて」

 

 と、勘繰られたくない一心で、咄嗟に余計なことまで付け足してしまう。しまったと思ったものの、ここで退くわけにはいかない。

 その後も両親からの追及を真冬は根気よく返し続ける。 手元のスープがやや冷めきった頃、ようやく彼女は念願の言葉を引き出すことができたのだった。

 

 

 

『マジか! 良かったじゃないか』

 

『はい。それで先輩の都合のほうは』

 

 自室に戻り、スマホを目の前に躊躇うこと三十分。ようやっと決心のついた真冬が成幸に初めての連絡を取った。ひととおり経緯を話し終えると、彼の返答を待つ。

 

『その日は……うん、家の手伝いだけだし、前もって済ませられるから問題無いな。あの二人にもこのあと訊いてみるよ』

 

『感謝。ありがとうございます。それであとは……』

 

『桐須さん以外の女性か……』

 

 電話越しに成幸の呻く声が聞こえる。交渉の末にどうにか両親から許可を得た真冬だったが、そこは色々と条件が付けられた。門限までには帰宅することや、あまり遠くには行かないこと。すぐに連絡が取れる状態にしておくことなど。

 中でも彼女を悩ませたのが“友人の顔を一目見たいので自宅まで来てもらう”ことだった。それ自体は成幸も問題無かったのだが、交渉の際に口にした“真冬以外の女性”の存在が大きなネックになっている。

 

『まさか美春に頼むわけにはいかないし……すみません先輩』

 

『そんなに気にしなくてもいいって。そうでも言わなきゃ了解が得られそうになかったんだろ?』

 

『はい……』

 

 成幸のフォローを嬉しく思う真冬だったが、打つ手が無い状況には変わりない。聞けば成幸や彼の友人の方にも異性の親しい友人は特にいないらしく、事情は違えど女友達に飢えた者同士が共に悩み合っている状況だ。

 と。

 

『……一人だけ心当たりがあるんだけどな』

 

『奇遇。私もです』

 

 そう返した真冬が該当の人物を思い浮かべた。いつも陽気で、ハイテンションで、誰とでも気さくに交流ができる女性。

 巻き込んでしまうことに申し訳無さを覚えつつ、彼女が口を開く。

 

『明日、天田さんに訊いてみます。アルバイトを熱心にやっているそうなので、どうなるかはわかりませんが』

 

『そういや親父がそんなこと言ってたっけ。けどまあ……あの人なら何となく大丈夫そうな気がするんだけどな』

 

『なら良いのですが……』

 

 

「やー! まさか桐須さんの方から誘ってくれるとはねー! あ、もちろんOKOk!」

 

 全く問題無かった。

 翌日。登校した真冬は千代子が一人になったタイミングを見計らって彼女に話を切り出した。その結果が先程の返事だ。

 あまりの即答っぷりに真冬が目を丸くする。

 

「か、感謝……でも天田さんの予定は? アルバイトでいつも忙しいと聞いているのだけど」

 

「あはは! そんなの全然なんとでもなるから! それより桐須さんと遊ぶ方がよっぽど貴重だしね!」

 

 ひらひらと手を振り、気にするなといった仕草を千代子が見せる。なんとでもなると口にはしているものの、如何せん急な話だ。実際には色々と手間がかかることだろう。

 決して表に出さない彼女の気遣いに、真冬はあらためて感謝の念を抱く。

 

「感謝。では当日は唯我先輩たちと私たちの計五人ということで」

 

「了解! 意中の唯我先輩と上手くいくようにしっかりサポートするからね!」

 

「なっ……! ひ、否定! だから先輩とは別にそういう関係ではなくて」

 

 冗談か、それとも本気なのか。自ら仲人を申し出る千代子に、さっと真冬の顔が赤くなる。即座に抗弁するものの、「こういうのは得意だから」だの「サポートした時のカップル成就率は100%」だの、噛み合わない答えが返ってくる。

 

「大丈夫! きっと上手くいくから大船に乗った気でいてよ!」

 

 最後にはそんなことを言って肩に手を置く千代子。妙に頼り甲斐のある雰囲気に、さすがの真冬の頬が緩む。行先こそ大いに勘違いをしているものの、大船であることは間違いない。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 笑みを浮かべながら、あらためて真冬は彼女に告げるのだった。

 

 

 更に数日が過ぎた。

 

 本番を明日に控え、真冬にとっての一大イベントは概ね準備が整った。全員の顔合わせを済ませ、互いの連絡先も交換し合った。行き先については各々の懐事情を考慮したうえで(無論お金持ちの真冬は数に含めない)各々が候補を出し合い、果たして全部回りきれるのかと疑問視するほどの安価で過密なプランをめでたく完成させることができた。

 どれもこれも、彼女にとっては新鮮で楽しいものだった。学校でもフィギュアでも、そしていつしか家の中でも。ずっと孤独を感じていた彼女が初めて体験した友人たちとのまともな触れ合い。

 例え全て回ることができなくても、それもまた良い思い出になるだろうと彼女は思っていた。

 だから。

 

「え……?」

 

 両親から土曜日は練習になることを告げられたとき、真冬は両足の感覚が一気に無くなるのを感じた。震える唇で理由を訊ねた彼女に、両親が上機嫌で答える。

 

「キャンセルになった例のコーチが代理をずっと探してくれていたらしくてな。今日ようやく見つかったと連絡がきたんだ」

 

「それもとても実績あるコーチとのこと。真冬も知っている有名な選手も手掛けたことがあるそうよ」

 

「心願成就! これで姉様がますます飛躍するのですね。最高です。姉様」

 

 両親が、妹が喜びながら告げる内容に理解が追いつかない。何が嬉しいのだろうか? 何が最高なのだろうか? それよりも自分は明日、大切な友人たちと初めて遊びに行ける筈ではなかったのか?

 

「あ、あの……」

 

 とにかく何か喋らなければ。先程から何度もそう思うのだが上手く言葉が出てこない。そうこうしている内にどんどんと話は転がっていく。

 

「切替。友人とのことは残念でしょうけど、天才とは時に孤独に努力し続けるもの。今回のレッスンは必ずや貴女の力になるに違いないわ」

 

「せっかくの貴重な機会だ。レッスンは朝から一日組んでおいたよ。終わったらかなり遅くなるだろうから、ついでにそのまま家族で夕食でも食べにいくとしよう」

 

「愉快適悦。明日が楽しみですね。姉様」

 

 もはや練習に参加するのが前提のような会話が交わされ、三対の目がこちらに向けられる。その瞳に宿るのは自分への絶対的な、期待。

 目を見た真冬の身体から力が抜けていく。

 家族を悲しませてはいけない。周囲に迷惑をかけてはいけない。受けた期待には応えなければいけない。

 だから、自分が我慢すれば……いい。

 

「そういうことで良いか? 真冬」

 

 言い聞かせるように告げてくる父親。これが最終決定だった。深く俯いたままで沙汰を下された真冬の顔に、偽りの仮面が再び貼り付けられる。

 

「奮励。精進して……参ります。父さま、母さま」

 

 顔を上げた真冬がそう告げ、精一杯に笑う。

 今まで通りだ。同じような事は過去に何度かあった。今回も“また”そうなっただけに過ぎない。

 なのに今は……自身の心から全ての色が抜け落ちてしまったかのように感じた。

 

 

『キャンセル?』

 

『はい……皆にも伝えてもらえると』

 

『……理由を聞いてもいいか?』

 

 開口一番、真冬から突然のキャンセルを告げられた成幸は、スマホを耳に押し当てたまま返答を待った。電話の向こうで躊躇う様子を見せた彼女だったが……やがて消え入りそうな声でぽつりぽつりと話しはじめる。

 

『そうか……レッスンが』

 

 全てを聞き終えると、成幸はすっかり重くなった口を開いた。ことは真冬一人だけのものではない。彼女の家族やフィギュアの関係者までもが絡んでいる以上、おいそれと口出しする事はできそうになかった。

 真冬の方もそれをよくよく理解しているのだろう。重苦しい沈黙を挟み、再び彼女が口を開く。

 

『感謝……今日まで本当に楽しかったです。私は行けなくなってしまいましたけど、明日は皆で楽しんできて下さい』

 

『桐須さ――』

 

『あと』

 

 言いかける前に真冬の声が被さる。溢れんばかりの悲壮感を漂わせて。

 

『約束……守れなくてごめんなさい。できれば私のこと嫌いにならないでいてくれたら嬉しい……です……っ』

 

 そうして通話は途切れた。既に我慢の限界だったのだろう。最後の瞬間、涙声に変わった彼女の言葉が頭から離れない。

 スマホを手にばたりと倒れこんだ成幸が、呆然と天井を見上げる。

 

 

 ――うちは習い事に少々厳しい家系でして

 

 ――学校帰りに寄り道して談笑した記憶もほぼないわね

 

 ――レッスンはほぼ毎日あるうえに、両親がスケジュールを決めるので、休みがいつになるのか全くわからないんです

 

 ――一度も参加できなかったわね。フィギュア第一だったから

 

 ――約束……守れなくてごめんなさい

 

 ――ああいう大人数で盛り上がる空気が……好きではないのよ

 

 

 二つの世界で異なる顔を持っていた彼女が、ようやく一つの線に結び付いていく。

 ずっと、こうだったのだ。これまでも、そしておそらくはこの先も。

 彼女がフィギュアに打ち込んでいたと知ったとき、その度合いはてっきり水泳を頑張っていた“元”教え子くらいのレベルだと思っていた。

 それがとんだ間違いであることをようやく理解する。正真正銘、彼女はフィギュア以外の何もかもを犠牲にしていたのだ。

 

(くそっ……)

 

 ぎり、と歯噛みする成幸。あの先生がこれまでどんな想いで孤独を選ばざるを得なかったのか。

 何も知らないまま、時には軽々しく意見してしまったこともあった。馬鹿にも程がある。

 

「すみません……先生」

 

 瞠目し、もう二度と会うことのできない恩師に成幸が深く謝罪し――決意する。気付いてしまったからにはあの後輩を何としても助けたい。とはいえ今の自分に一体何ができるのだろうか。

 じっと、深く考え――

 

「……そうか」

 

 気付く。ここは元の世界ではない。もう独りで何もかも抱えこむ必要はないのだ。

 むくりと身体を起こした成幸は、彼が最も頼りにする人物の元へと向かった。

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