宇宙戦艦ヴンダー 《Reise zu einem Wunder》 作:朱色の空☁️
(2028?~2199)
目を開けた先には、無数の情報がある程度の秩序を保って周回する空間が広がっていた。それはハルナにとっても見知った情報があれば、リクしかもっていなかった記憶もあった。
それをゆっくりと撫でてみる。
精神空間と呼ぶべきこの空間ならば、触れることであらゆる情報を感じ取れる。それでも自分の中には取り込まないように、壊さないように細心の注意を払う。
この状態ならば、息をするかのように他人の記憶操作が出来てしまう。催眠や擦り込み、精神医学のようなある程度確立された方法による外部からのアプローチではなく、直接記憶に触れて操作できる以上、一つ注意を怠る事で記憶の不可逆的な改変が起こる可能性がある。
「でも、いないわね」
ここに彼はいない。果てしなく広がっている様に見えるその空間は彼の雰囲気を残しているが、彼の存在を感じ取れない。知覚さえ無限に引き伸ばす事が出来る空間で、彼を感じ取れない。
廻る情報は風となり、結った髪を揺らしていく。一度気合を入れ直すために一旦髪を解いてヘアゴムで纏め直し始めた。
また少し長くなったハルナの髪はこの空間でも目立ち、少し光沢のある髪がまた一纏めになる。
ここにリクがいないなら、やっぱりあの空間にいる。そう結論付けたハルナは周りを見渡して知覚を無限大に引き伸ばして探してみる。同時に目で全て確認する。
_________
「何もないなんてね……」
その後、全てを知覚してから果てしなく広がっているこの空間の果てまで歩いて壁沿いに歩いても見たが、何も見当たらない、ただあるのは、ゆっくりと周回する情報群。中心に太陽でもあるかのように情報群はそれぞれ半径の異なる公転軌道を描き、それに付随する情報が月のように情報の周りを周回する。
日食や月食の様に、同じ視点上に重なる事が滅多に起こらない軌道をそれぞれ描き、電子回路のような文様で構成された軌道の残光が彗星のように尾を引いて端から消えていく。
「太陽……中心……」
思い当たる事はない。それでも気になる事があったハルナは、その軌道の内側に入り込み中心に向かって歩き始めた。魂はエンジンと言ってもいい。魂の無い人はただの人形と言うのが、マリの話した形而上生物学上の定義。魂が無かったら、人は考える事すらできず、「この情報の軌道は止まっているはず」なのだ。そして天文学も絡めると、惑星は、中心に恒星クラス以上の物体があるから回っていられる。魂を恒星とすれば、情報は惑星、衛星、小惑星等の星々。回り、年月を超え、形を変質させていく。
そして魂がここになくても動いている理由。あの時何故手を握った時に握り返してきた理由。
それは、睦月リクの魂は、まだこちら側との繋がりが残っているから。ハルナはそう結論付けた。
中心に向かうにつれて情報の密度が上がってきて、それが次第にハルナにも流れ込んでくるようになった。
抑えが効かず、莫大な情報の風……否、嵐に飛ばされないように踏ん張りながら一歩一歩確実に進んでいく。
記憶と知識と感情の軌道が狭まり、中心に近づいていく事が分かる。行き交う情報の密度も跳ね上がり、ハルナは莫大な情報に対し頭を押さえて激しい頭痛に耐える。
流れ込む情報の遮断なんてどうすればいいのか分からない。遮断、もしくは軽減する為の手段を持たない以上全部受け止めるしかなく、苦痛に顔が歪み視界すら霞んでいく。
流れ込む情報に自身を塗り替えられそうになる。自身だったものが別の色に徐々に染まり始め、同じ白色なのに別の白色に変わっていく。
(私は私! それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもない!)
「グッ……う゛う゛ァッ……!」
手段がない以上、上書きが始まった部分をさらに自分で上書きして上書きそのものを無かった事にする。上書きを知覚して自ら上書きを実行するプロセスを途方もない回数で実行し、過剰負荷で鼻血が垂れるのを感じた。しかし人一人を超えた処理能力でも全てを修正することは叶わず、少しずつではあるが書き換えられていく。
しかし「一緒にいるからそのうちどうせ書き換わる」と割り切ったハルナは、修正不可能な部分や手が回らない部分を捨てて、自身の本質に関わる部分を重点的に守り始めた。
脳がフル稼働し、枷を壊した処理に頭が熱がこもり汗が滲む。時折視界がブラックアウトを引き起こすが、思い切り頭を振って振り払う。
震える瞳孔で見据えたのは軌道の中心。ぼんやりと見えるその方向にひび割れのような物があった。三次元空間の振る舞いをするこの空間にその存在を際立たせているそれは、軌道の中心から全方向に走るひび割れを持っている。
「ここっ……ね」
痛む頭を抑えながらそのひび割れを見たハルナの感覚に何かが飛び込んできた。
散々感じてきたリクの存在をそのひびから感じ取った。
ここで、ハルナは自分の仮説を再確認するために、自分を中心にして軌道を広げてみた。自身を中心にして回る情報群は白いが、時折映えるような黒色の情報が紛れ込んでいる。
(黒……? イメージ的には白なんだけど、バグみたいなのかな?)
ハルナからしてみれば、白は自身の色。正直言って黒のイメージがない。自身の記憶の中にも黒をイメージさせるような出来事はない。思わず首を傾げたが、一旦その疑問は懐にしまった。でも、自身を中心にして情報が回るという事は自身をもって立証された。現状リクの軌道の中心にはこのひびしかない。そこからリクを感じた。
「とにかくっ……やってみる」
そのひびに慎重に触れてみる。その瞬間、何かに頭を揺さぶられた。
軌道上を周回する情報から受けたものとは違う。ブラックホールのように強い引力を持ち、触れたものを何でも吸い込んでしまうそれに、半身を持って行かれそうになる。引き抜こうとするが抜けず、ただ境界面から無数の位相光を撒き散らしている。
(特異点ぶってるけどっ……ここからなら!!)
そう決めたハルナは、自身の体をさらに特異点に近づけ、流れ込む景色を自身の視界に通した。
無数の情報が形作る電脳にも似た景色を目に焼き付け、さらに奥に体を押し込んだ。その瞬間、身体を焼かれるような感覚に襲われ、声にならない悲鳴を上げてしまった。
シナプスの一つ一つに暴力的な量の情報が流れ込み、頭が割れそうになる。
咄嗟に手を引き抜こうとするが、強烈な引力に引き摺り込まれて引き抜けない。
(マズいっ……! これ……死っ……)
その瞬間、誰かが強引に入ってきて、私を引っ張り上げた。
「何をしている?! 死にたいのか?!」
「……っ?! お父さん……っ!」
ハルナをギリギリのところで救ったのは、ハルナの父「暁零士」だった。
零士の腕の中にハルナは収まっているが、その息は随分と荒かった。莫大な情報に叩かれてパンクしかけた自身を修復するかのように喘ぐように息をしていた。
「まずは落ち着け。話はそこからだ」
零士は腕の中のハルナの背を優しく擦って何とか落ち着かせている。……40年ぶり。その時間を感じさせない父の香りに、ハルナは次第に落ち着いてきた。
「人一人の心には一人分の容積しかない。他の人と心を通してダイレクトに繋がろうとするとすぐさまパンクする。それが分からなかったのか?」
静かにハルナを叱るその顔には、娘を想い、心配する表情が浮き出ていた。
暁零士。ハルナの父親であり火星移民の初代にあたる彼は、既にその命を失っている。今の彼は、ハルナの記憶上でしか生きていないただの残滓。だが、その残滓が咄嗟の所でハルナを救い、ハルナの精神は焼き切れずに済んでいる。
「……と言うが、生きてるうちに理解するような事じゃないから、叱るのも意味ないな」
目を閉じてため息をついた零士は、優しい目になってこう言った。
「とにかく、立派になったな。無茶をする所は薫そっくりだ」
その一言で、ハルナの目から涙が溢れた。地球で目が覚めた時、必死で調べた。でも、被災者名簿に「暁零士」の名は無かった。
それから40数年がたち、この精神世界で父と娘は再開した。
「お父さん……っ! お父……さん……っ!」
「そんなに泣くな。俺に対して泣くくらいなら、リク君が起きた時目一杯泣いてやれ……って言っても意味ないか」
そう声をかけても泣いていたハルナを見た零士は、しばらく声をかけることを諦めてハルナの背を擦り続けた。
「すまんな。俺はもう死んでる。今こうしてお前と話してる俺は、お前の記憶、残滓の様な物だ。その内消えるだろう。アレから40年は経っているが、お前の体感上なら10年もないだろう。お前が忘れてないから、俺はこうしてまだ話が出来る」
落ち着いたところで、零士は自分の状態を話し始めた。幽霊でも魂だけの状態でもなくただの残滓、その内消えてしまう。その事実はハルナののしかかったが、今は受けとめることが出来ている。
「大急ぎで来てみたんだが、何故あんな事をしていた?」
その問いにハルナは、父から一歩離れ真っ直ぐ目を見つめ答える。
「リクを、現実世界に引き戻したいから」
「だからあんな危険な事をか……。ハルナ、ハッキリと言うが死ぬ可能性がある。さっきのアレで精神が焼き切れ、あの真田とか言う男の仮説通りになるぞ」
「……知ってるわ。一歩間違えたら植物人間って」
「分かってて何故行く」
「私が……」
「私が?」
顔を真っ赤にして、ハルナは意を決して前を向いた。
「私が、リクの事を愛したいから」
その言葉に、その目に、零士は気圧された。もう自分が知っている娘ではない。精神的に大きく成長し、その目はもう零士が知っている輝きではなかった。
火星に住まう人類特有の赤みがかかったハルナの虹彩は、特別な力でも隠したかのように淡い光を抱えていた。
それはまるで、ただの人間ではないかのように
「変りすぎだろ……まったく」
「?」
「もし俺が今でも生きてたら、リク君に『娘はやらん!』って気分だけでも言ってやりたかったなぁ気分だけでも。そんで『ハルナを絶対に幸せにします』とか聞いてみたかった。もう叶わんが」
途端に妙な事を言い出した零士に困惑したハルナだったが、次の一言で我に返った。
「残滓は残滓なりにやるしかない。本当はもっと長い事見てるつもりだったが、お前を向こう側に行けるようにする」
「その代わり、俺は消えると思う」
「ちょっと待って! 消えるって……」
「そのまんまの意味だ」
そこから零士は、どのようにしてハルナを向こう側に送り出すのか、そしてどうして消えてしまうのかを事細かに説明した。生前、零士はこのような細かい説明を嫌っていて、いわゆる「見て理解しろ」というやり方の人間だった。
だが、その零士が一から全て説明している以上、これは決して軽い気持ちで決めた事ではなく「覚悟を決めたうえでの決断」だという事を言葉を介して伝えてくる。
「……と言った感じだ。要は、お前から借りていた分を返して向こう側に行けるようにする。俺はそれを返したら残滓ではなくただの記憶となってしまう」
「でも!」
「現状これしか方法がない。消えるとはいっても、俺はただの記憶になるだけだ。そんなに気にするな」
零士はそこまで言い切るとハルナの頭を自身の胸に当て、そのまま撫でた。職人の掌のようなごつごつとした掌は不思議と柔らかく感じ、暖かさが染みていく。
「折角最期を越えて会えたんだ。まあ父親らしいことをさせてくれよ」
「……っ」
「なんか柄でもないな、こうやるのも。まぁ最期くらいはいいか」
「お父さん、そういう事全然しなかったから」
「やり方分からんし母性とかどうすればいいのかチンプンカンプン。でもな……」
「優しい子に育ってくれてよかったよ」
そう呟く零士は、酷く優しい目をしていた。気を抜けば泣いてしまいそうな顔をしているが、零士の胸に頭を押し付けられているハルナは、この事を知らない。
「んじゃ、返すぞ」
その一言で、零士は言いようのない違和感を体全体に感じた。全身から何かが抜けていく感覚と強烈な脱力感に包まれていく。
その反面ハルナは息が詰まる程の頭痛に襲われ、全身が強張った。
「怖がるな、これはお前なんだ、俺が間借りしてた分のな。決して異物じゃあない」
歯を食いしばり痛みに耐え、父から受け取った自身を自身に組み込み始める。零士の手が触れる頭が熱く、痛みが和らいでいき、零士の額にも脂汗が滲んでいく。
この曖昧な空間だからこそ繋がれる。境界が滲む零士はハルナが感じる痛みの半分以上を引き寄せ、自身を身代わりにした。
「ぐっ……うぁっ……はあ……はあ……」
ハルナは全てを自身に組み込み終え、膝から崩れ落ちた。立てない程の疲労に加え引き摺る頭痛に視界がぼやける。
「頑張った……よく頑張った……っ」
その様子を見るなり、零士は一旦ハルナを仰向けに寝かせ、自身もその横で寝転がった。
「痛むか」
「うん。戻った後が怖いくらいに」
「現実でも同じくらい痛むかもしれん。それはどうしても回避できない。すまん」
「お父さん」
「なんだ?」
まだ痛むであろう頭を抑えながら、ハルナは立ち上がった。足取りはしっかりしている方だ。
「ありがとう……また話せて嬉しかった」
「……俺もだ。半世紀近くたってるし……本当の最期の会話になっちまってるけどな」
「じゃあな。気が向いたら俺の事を思い出してくれ」
残り時間わずか。別れも早々に切り上げた零士は、指パッチン1つでハルナを情報の軌道の中心に飛ばした。
輪郭が滲みだし、自身が細かくなって消えていく強烈な違和感に耐えて、零士はハルナを見送った。娘に気付かれないように声を上げず、苦しみながら平然を装っていた。
「薫のクセが俺にも移ってたのか」
ここに現れなかった人の顔を浮かべながら消え逝く体に目を向けていると、よく知っている雰囲気の女性が背後にいることを感じた。
「来ていたのか。薫」
「……」
「顔を合わせなくて良かったのか?」
「薫」と呼ばれたその女性は、俯きながら微笑んでいた。その雰囲気はハルナにも、零士にも似つかない。
「……合わせる顔がないな。多分覚えていないだろう」
「はぁ……お前がこうしてまだ存在していること自体が、ハルナはお前の事を覚えている証なんだよ。ただ乳幼児の頃の記憶だから引き出せないだけ」
「……」
「合わせる顔もないといいながら、お前はハルナを全力で手助けしてるじゃないか。対人シンクロ、これはお前の力だろ。受け継いだ分ではこんなこと起こらないし、お前より薄まってる」
「……」
「ハルナに俺の余裕を全部返したから、もう俺は残滓ですらなくなるだろうな。見守る事も話しかける事も出来なさそうだ。だから……代わりにお前に見守っててもらいたいんだ。俺みたいな残滓じゃあないから」
(よろしくな。薫)
「……心得た、私の大事な人」
彼女、「薫」は零士の残滓の破片を胸に抱いた。
目が覚めると、ハルナは仰向けになっていた。恐らく父に引き抜かれた時に、頭を打っていたのだろう。それでも、父から受け取った自身が自身の精神の中に入っている事を確認したハルナは、父が死んでいない事を確認した。
目頭が熱くなる。ハルナは目元を拭い、もう一度空間のひび割れに手を伸ばし、そのまま手を押し込んだ。
さっきと同じように莫大な情報が流れ込む。体を焼かれるような感覚は変わらない。それでも、父を構成していた自身の領域も使い受け止めていく。
ひび割れからほとばしる光が虹色に輝き、自身を包み込んでいく。自身の視界に押し入って来る景色を飲み込むようにして、その光はハルナを包み込んでいき……その景色の向こう側を見た。
「三途の川」と言う単語は、もしかしたら間違っているのかもしれない。
その景色を見た最初に抱いたイメージはそれだった。
だが「生きたまま越えてはならない境である」事は、共通しているらしい。
真っ黒な空間がはるか先に見え、その周辺が極彩色の空間で染まっていて、吹き荒れる景色に黒いラインが矢のように自身の背後に飛び去って行く。
触れられない空間。生者を拒む最深部から、身を潰すかのような圧力が体に伝わり、前に進めない。
「あの先に……っ」
這いつくばってでも先に進む。進めるならどんな方法でもいい。ハルナは今、ずっと想っている人の為にしか動けない。人類でも地球でもなく、ただの一人の大事な人のため。
その人が帰って来れるなら、どんなことでもする。だから父親との本当の最期を受け入れた。だから身を焼くような痛みに耐えられた。
今だって、身を焼くような痛みに晒されている。恐らくそれを感じる感覚すら余裕がなく、それを感じる感覚すら麻痺しているのだろう。必死に歯を食いしばり、一歩一歩圧力に抗いにじり寄っていく。
「行かせてよ!!!!」
進むたびに押し戻されかける。それでもハルナは進むのをやめない。恐らく、これが成功したらハルナはこっ酷く叱られ絞られるだろう。今こうして進み続けているだけで摩耗している。
精神が焼き切れる事は「死」と同意義。肉体を器としたとき、精神や魂はその器に収まるモノ。中身が焼き切れる……無くなってしまうとそれはただの死体でしかない。
自身の姿が揺らぎ、燃え上がる。不定形になり始める自身に目もくれず、触れられない領域に触れようとする。
だが強力な圧力に阻まれ、その掌を押し付ける事すらできない。
「彼を……っ」
圧力を強引に押しのけ……
「返して……っ!!!」
その掌を、境界面に打ち付けた。
意志が大きく鼓動を打つ。
知らない繋がりが今、震えた。
________
________
「零士さんと私の子を、私は支える」
白い髪、紅い目。ハルナに瓜二つの見た目でありながら、唯一違うのは髪型がショートカットである事。まるでハルナの生き写しのような女性が、いつの間にか横にいた。
一体誰なのか。ハルナの脳にその疑問が渦を巻くが、声が響いた。
「零士さんを知ってる人……だ。今はそれで納得して欲しい」
間髪入れずに言葉を紡いだ声は、ハルナも知らない声だったが安心感があった。零士にも似た安心感。何故同じものと感じたのかは分からないが、敵ではない事だけは分かった。
「お父さんの知り合い……貴方も私の記憶なんですか……っ?」
「私は零士さんのように記憶上の残滓ではない。詳細を語ろうとすると途方もなく長い話となる。だから、今は一切の詳細を省かせてもらう」
その女性は、圧力に吹き飛ばされそうなハルナを受け止め、こう言葉を紡いだ。
「私の名前は4……いいえ、薫。零士さんと私の子を、私は助ける。零士さんの遺志と私の意志で」
その女性……薫は、その掌を境界面に突き出した。
「境界面に穴を開ける。肉体的死を経験した私では生前と同等のことは出来ない。あなたは零士さんと私の子。私と同じことをしてもある程度は持つ。息を合わせて」
「分かった。どうすればいいの?」
「やり方は送った。それを信じて実行して欲しい」
薫の言う通り、ハルナの意識野にはすでのその方法があった。ハルナが実行した対人シンクロと似通った手順に、ハルナは1つの可能性を見つけた。
「薫さん……いや、お母さんがここに来るまでの方法を送ったの……?」
「……済まない、実は最初からこっそりと支援を行っていた。元々気付かれないようにやるつもりだったが、零士さんに頼まれた以上、私は断れない。零士さんは私の大事な人だからな」
困ったような笑みを向ける薫は額に汗を浮かべている。ハルナは、薫と自身の父の関係性を既に察知していた。ハルナは母親の存在を今まで知らなかった。シングルファーザーの環境で育った以上知らないのは当然なのだが、零士はハルナの母の事を頑なに話そうとしなかった。「知らない事がお前の為にもなる」といってハルナの興味に対して突っぱねていたのだが、何故突っぱねていたのかが最後まで分からなかった。
でも母親であるという事はこのたった数分の会話で察していた以上、ハルナは今は何も聞かない事にした。
「こうして横で微笑みを向けている」事が、たった一つにして最も大きい証拠だから。
「やり方は理解したか? 大本は私がハルナに伝えたシンクロに近い。準備は?」
「……まだ完全には理解できてないけど、やってみる」
「分かった。……いや、理解したかを聞く意味はなかったかもしれんな」
「どういうことなの?」
「零士さんと私の子だからだ。子は親を信じ、親は子を信じる」
そう言った薫は大きく息を吸い、微笑みを真剣な顔に変え正面の境界面を睨んだ。
「行くぞ」
「うん……!」
ハルナも境界面に掌を突き出し、こう叫んだ。
「「ATフィールド、全開……っ!!」」
白い髪を揺らし、両の手を障壁に押し当てる。その瞬間、女性の掌から光輝く壁のような物が可視化されていく。心の壁……「自我境界線」や「絶対恐怖領域」とも呼称されるそれを自らの意思で展開できる彼女は、その壁を境界面に押し当て波打たせる。
薫の発するATフィールドが煌めきを増し、境界面との距離がわずかずつではあるが縮まっていく。喉が裂ける程の声を張り上げ、向けられる全ての精神をATフィールドの集中させる。精神空間そのものが揺れ、景色にノイズがかかり始める。
自らが焼き切れる可能性も厭わず空間に穴を穿とうとさらに力を籠める。自分の精神をATフィールドにフィードバックし、自身の母と同調していく。初めて扱う物なのにとても使いやすい。薫が今使っているからだろうか。生前から薫が扱ってたからだろうか。その真意を確かめる方法はないが、境界面に張られている2枚のATフィールドは1枚の赤く輝く壁に変わっていく。
「開っ……きな……っさい……っ!」
「お願い……っ!!」
境界面の波打ちはどんどん激しくなり、さらに軋みを上げる。
「う゛う゛う゛う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァッ!!!」
人間の精神から引き出される力は無限に等しい。だが、無限に出せるはずの力を人間はセーブしている。それは、「自分を壊さないようにする為」であり、外してはならないリミッターがかかっているからである。
だが、外そうと思ってもこれは外せない。リミッターの存在を知らないから、そしてそもそも外せないからである。
だが、ハルナはそれを壊した。それも跡形もなく。
限界を超えたフィールドは輝き、暴力的な勢いで背から噴出し二対の光の翼となった。一気に感覚が広がった強烈な違和感に思わず吐きそうになったが、無理矢理押し戻す。
何かが壊れてもう戻れない、元の自分には戻れないだろう。でも彼を救いたい。ATフィールドを……自分そのものを、思いの丈をありったけ乗せて境界面に押し付け、境界面が酷い軋みをあげて凹ませる。
「良いぞ!!」
薫がそれに反応しハルナの後ろに回り、フィールドに回していた集中を切ってハルナに力を送る事に回す。
変容したハルナに驚き固まりかけた薫だが、薫はそれに近い物を見た事がある。同じ人を見た事があるのではない。ただ、幼い薫の記憶に残る施設で見せられた記憶、自分に刻み込まれた使命として見せられたモノにそれはあった。二対の翼。薫の忌々しい記憶にある2対の翼よりもずっと美しく、鮮やかで、綺麗だった。
水色、そして橙色。
白い2人を示す互いの色を纏い、自分でもあり彼でもあるATフィールドを行使する。境界面にひびが入り始め、ハルナと薫はさらに力を籠める。
光の翼もさらに輝きを増し、さらに拡大していく意識に自身が薄れそうになる。だが「睦月リク」という大事な人が錨となり、人ではない何かにならないギリギリを保っている。
(お願い、引き止めて……っ!!)
そう決めたハルナは一瞬の躊躇と共に、錨に全てを任せて自身の意識の全部を振った。
振り切れ拡大する意識を錨が繫ぎ止め、ATフィールドに変えた強大な意志全てをぶつけた。
大きく歪んだ境界面に大きなヒビが入り、破片が散らばり、
その瞬間、境界面は割れた。
「急げ、そう長く持たない」
「分かった! お母さん!」
「何だ?」
「……ありがとう!」
「ああ。貴方は零士さんと私の子だ。手早く済ませてくれ。抑えてはいるが、気を抜いたらさっさと修復されてしまう」
薫が抑え込む破孔を背にし、ハルナは自身の母の声を聴いた。中性的な声に乗せられた思いはハルナに届き、その破孔に飛び込んだ。
「お願いします、風奏さん」
分かったことは、この空間は出口が無いという事。そして、ここに居る人の心をダイレクトに描くことが出来るという事。
ここに来た時は輪郭が消えてしまいそうな真っ白な空間だったのに、今では夜明け前のような風景になっている。
水平線の向こうに今か今かと焦らされる陽が顔を出そうとして、そこから一切陽が動いていない。
そしてここの風景に合致する記憶を見つけた。
2140年、火星のクルジスから東にいったユートピア海のあたり。観光地として整備されていたそこに、家族ぐるみで旅行に来てたんだったな。
そこで月……じゃなくて沈んでいくフォボスと昇ってくる太陽を見ていたんだった。
「ここは本来、人生に本当に満足した人だけが来るはずの場所。なのになんでいるの?」
砂浜に腰を下ろしていた時、不意に声が聞こえた。ここには自分以外誰もいなかったはずなのに、女性の声が聞こえた。
酷く懐かしい。体感でもう5年、6年前くらいだ、最後に聞いたのは。
「……もうそろそろ死ぬの?」
「……まずは話を聞きなさい。リク」
僕のすぐ横に腰を下ろしたのは、44年前に亡くなった筈の「睦月風奏」だった。
「色々言いたいことがあるけど、これはハッキリしているわ。あなたは死んでない」
「……母さん、ここは人生に本当に満足した人だけが来るはずなんでしょ?」
「私の足元見て」
そう風奏に言われリクが風奏の足元を見ると、そこには影がなかった。
「凄いベタだけど死人に影はないのよ。貴方は多少薄くなっているけどまだしっかりしてる方。……ハルちゃんに感謝しなさい」
「?」
「医務室のベットで貴方が寝ている傍らで毎日寝ているのよハルちゃん、手を繋いだまま。それがあなたを向こう側に行かせずにずっと現世側で引っ張っているのよ。貴方の影が完全に薄くなってないのはそれが理由。こっちで目覚めた時にブレスレットがあったのはハルちゃんが理由。貴方が死んでない理由の殆どがハルちゃんなのよ」
「全部、ハルナが……」
自身が死んでいない理由、「まだ未練がある」や「命に係わる怪我じゃない」とかもあると思ったけど、一番の理由は「ハルナが引き止めていたから」だった。
戻れなくなる前に自身を向こう側に繫ぎ止め、繋がりを維持してくれていた。
あの時、ここで目覚めた時に感じた手の温もりは、その繋がりの正体。
全てが繋がり、温もりの残る右手を自身の胸に当てた。
「それが無かったら今頃私と一緒にハルちゃんの泣いてるとこを見てるはずよ。貴方が死んだらハルちゃんがどうなるか、私でも見当が付かない。でも止まる術を失うのは確かで、貴方以外ではハルちゃんを止めることが出来ないと思う」
「ハルナって徹夜とか躊躇しないタイプだからそれは想像できる。……というか何で母さんがここにいるの? ここは境目であの世ではないはずだけど」
「何でって、向こう側に送り返す為よ。強制送還、分かる? そのためにここまで強引に来たのよ。死人がこうやってここに来ることはホントは出来ないのよ?」
「……自分からではここを出ることは出来なかった。散々歩き回って探索してみたけど、手段は無かった」
風奏がここに現れる前まで、僕はこの辺りを隅々まで探索していた。どこかに戻るための方法があるか、閉鎖空間と考えた場合、境界線……もしくは壁があるかどうか。海には……直感的に「絶対に入ってはいけない」と思い入っていない。
「違うわ。もう手段が無いんじゃない、今は手段が無いだけよ。可能性のピースの片方はある筈」
片方と言う単語に心当たりがあり、自身の手首についているブレスレットに目をやった。
船外服の上から付けていたが、手榴弾の爆炎を受けた時に爆風で取れてしまった。それなのにこうして付いているのはハルナが付けてくれたから。
「貴方達が私にくれたチェーンペンダント。今は2人で持っているのね」
「形見だから。それに……婚約指輪代わりだから」
「見てたわよ、告白シーン。もうちょっと頑張りなさいよ」
「これでも精いっぱいだったからこれ以上頑張ったら恥ずかしくて声出ないよ」
まさか現世側の光景を見られていたとは思ってもみなかったリクは唐突に赤面した。流石に告白シーンまで見られていたのは一番の想定外であり、必死に顔を隠そうとする。
「あらあら顔真っ赤だこと。もっと見せなさいよ」
「好き好んで見せる人は居ないよ!」
母さんはこういう話には敏感でマリの様に突く傾向がある。昔と変わらないのは嬉しく思うけど、流石にこれは困る。せめて自粛とかしないのかな。
「ごめんごめん。久しぶりに若返った気分になったからね」
「取り敢えず、貴方を向こう側に帰すわ。貴方はまだここに来てはいけないし、ハルちゃん残してはおけないわ」
「戻りたいけど、どうすればいいのか分からない」
「あるわ。多分だけど、リクは無意識にやってたんじゃないかな?」
「無意識的に?」
「うん。ちょっと前にね、ここにハルちゃんが来ていたの。それを、貴方が現世側から引っ張り上げていたのよ。覚えてる? あなたが病院でリハビリしていた頃」
「覚えてる。とても……嬉しかった」
「それをハルちゃん側からやることが出来れば、もしかしたらだけど……」
「でも……母さん死んでいるし、どうやってやるの?」
「……2人はは自我境界線が融和しかけているの。それを逆に利用するわ」
「自我境界線?」
「心の壁、自分と他者を区別するための要素ね。普通の人は境界線をはっきりさせる事で、自我の確立をして大人になっていくの。ただし例外があるの」
「例外?」
「分からない? かなり強い思いや強烈な経験を共有していると、心の拠り所が広くなって他者と心を共有しちゃったりするの。「あれ取って」といって伝わる以心伝心とかも有名なとこね」
「そんなオカルトな事が本当に出来るの?」
「現にその域に足を踏み入れているのよ? 今こうしてこの海にいること自体がオカルト。科学や論理が皆一斉に匙を投げるこんな状況を体感しているのにそれを言うのかしら?」
その瞬間、声を強引に塗り潰すようにして山鳴りのような音が響いた。
「何?!」
「……上よ!」
風奏の顔が驚愕に染め上がり、リクは自身の遥か上空……空を見上げた。轟音が響き、空のど真ん中に波打っている。真っ黒な雫が零れ落ち、波打つ中心のその向こうには漆黒が広がっている。
何かを叩くような音が広がる。だが、それは空間そのものを揺らすような轟音で、心象風景である夜明け前の風景を動かし、時を進めていく。
何者かの侵入。風奏にはそれが誰なのか分からなかった。
だがリクだけは、誰なのかを感じ取っていた。
「母さん! 今すぐ僕をあそこに上げて!」
「ええぇ?!」
「今すぐ!!」
再びの轟音とともに空が波打ち何かが落ちてきた。風を切る音を響かせ、重力に引かれて海に向かい真っ逆さま。そして頭から落ちているのにピクリとも動かない。
「マズい……っ!! 母さん!!」
「行くわよ! そのまま走って!!」
躊躇なく海に飛び込もうとしたリクの足元に光る床のような物を作り、海を拒絶する。自我境界線。何を通し、何を拒絶するのか。本質を知らされている風奏はそれを実行し、確実にリクの足場を作っていく。
その道を駆け、海面スレスレを疾走する。
「間に合え……っ!!」
走っていては間に合わない。そう直感で感じたリクはさらに速度を上げる。あの海に落ちて戻れなかったら死ぬ事は、ここに来てから察した事で確証はないが、確証無しの内容で大好きな人が死ぬことは絶対に考えたくない。
「母さんっ!!」
「飛ばすよ!」
反射的に出た声に風奏が反応し、強大な自我境界線……ATフィールドをリクの足元に展開する。強大な斥力に弾かれたリクは大きく飛び上がり、空に舞った。
あと数メートル……
あと数十センチ……
あと数センチ……
___
海面に落ちるギリギリ。風奏がATフィールドを張っていなければそのまま海へ墜落していただろう。でも、今リクの腕の中には、気を失ったハルナが収まっていた。
「間に……合ったか……」
「全く……とんでもない子になっちゃったわね」
何とかして浜辺にまで引っ張り上げ、リクと風奏は一息ついた。気を失ったままのハルナを浜辺に寝かせ、風奏は頭を抱えていた。
死んでいる風奏と死にかけたリクは兎も角、生きている状態のハルナが強引な方法でここに入ってきた事に正直言って驚いている。尤も、今のハルナは常軌を逸している以上、常軌の中で生きた風奏は驚く事しか出来ない。
「一体どうやって……ああ、多分……何となく察しは付くわ。誰が絡んでいるのか」
「え?」
「長ーい話になるわ。私の知り合いに似た方法持ってた人がいたの。もう亡くなっちゃった。いや、亡くなったって言うのは微妙かな……」
「んん……」
うめき声が耳に響き、リクは思わずハルナの方を向いた。目を瞑ったまま口角を上げている。
「やったぁ……」
「ハルちゃんアンタとんでもないことしたのよ?! 分かる?!」
「分かってますよ……ちゃんと」
「母さん落ち着いて! ハルナ分かるか?!」
胸ぐらをつかみかけた風奏をリクが押し退けて、ハルナの背に手を回して介抱する。それに応じたハルナもリクの背に手を回す。
「怖かった……」
震えていた。多分、ここに来るまでの間、ずっと震えていたのだろう。どのような方法を使ってここまで来たのかは分からないが、多分死と隣り合わせの方法だったのだろう。この人生で2度も死が至近を掠め、死に対して人一倍敏感になってしまっているのに、死と隣り合わせの方法を使ってここまで来た。
それでも再び辿り着いたこの狭間の海で2人は再開した。
「ねぇ、色々話そ」
_______
「零士さんが……」
「うん。お父さんは、記憶になってでも私の中で生きていたの。それで、私に全てを渡して……消えてしまった」
「零士さんは、最後に何か言っていた?」
「……気が向いたら思い出して欲しいって、言ってました」
「気が向いたら……ね。自分は二の次、誰かの為に動き回った零くんらしい」
「風奏さん。お父さんの事を何か知っていたら、教えてください」
「私と、零くん。あともう1人、薫ちゃんって子がいるんだけど、三人そろって第一次火星移民なの。だけど私達は、正規の移民じゃない」
「正規の?」
「乗員リストに無理やり捻じ込んでもらったの。地球にいたら殺されそうになっちゃったのよ私達。薫ちゃんを2人で保護してから暫くは隠し通せたけど、バレて殺されそうになっちゃってね。それで私の父、リクの祖父にあたる人が、第1次火星移民の渡航者リストに私たち3人を押し込んで勘当して火星に飛ばした。それからは分からないわ」
第一次火星移民。2111年に行われたそれは、火星テラフォーミングが完了したことを見計らって行われた人類初の他惑星への大規模移動。
開拓団とも呼べる第一次移民には多くの野心的企業や個人が乗員に名乗りを上げた。だが風奏と零士、そして薫は非合法な手段による非正規での移民だった。
言うなれば地球脱出。どこにいても命を狙われた故の避難であり、家との縁を完全に切り一切の援助抜きでの航海であった。
「風奏さん。薫さんが私の母だという事はもう分っています。父は生前、母の事を頑なに話そうとしませんでした。何故なんですか?」
それを聞かれた風奏は動揺したが、まるで時が来たことを悟ったかのように顔を上げると、遠回しに言葉を紡いだ。
「それはね……貴方の存在そのものにも関わって来るからよ。私からも話す事は出来ない。でも、渡す事は出来る」
そう言った風奏はハルナとリクの手を取り、一連のイメージを伝えた。
頭の中を駆け巡る風奏の記憶に驚愕を隠せない2人は顔を見合わせた。
「……」
「厳密には進めさせられた人なの。でも、貴方を心から愛して、本当はただの人間だったという事はどれだけ時が過ぎても変わらない。だから、決して忘れないで。薫ちゃんの事を」
風奏の真剣な眼差しに2人は頷く。
進めさせられた人が何なのかは分からない。それでも、人を超えかけても人であろうとした母とさっきまで話していたハルナは、自身の母である薫の言葉と義母である風奏の言葉をしかと心に焼き付けた。
「ハルちゃん。ここに来た目的はリクを連れ帰る為。そうでしょう?」
「連れ帰る、じゃなくて……助けるためです。それと」
「愛してるから、でしょう?」
続きを見事なまでに言い当てられたハルナは顔を真っ赤にしてしまい、風奏の暴露の余波を受けたリクも真っ赤になって思わずハルナの顔を見た。
「ううぅあってますけど……あんまり、見ないで」
思わず俯いて顔が見えにくいようにしたが効果は薄い。何故ならば、リクが顔を覗き込んでいるからで、尚且つリクが微笑んでいるからだ。
「嬉しい。僕も、ハルナの事を愛している」
その一言でハルナは沸騰したかのように湯気を上げ、一気に脱力し膝から崩れ落ちた。機能不全を起こしたハルナはさらに目を回してしまい、不可抗力でリクにもたれかかった。
「お母さん口から砂糖吐いてもいい?」
「人を弄る冗談は程々にして。凄く粘着してくるマリさんみたい」
異常な既視感に頭を抱え「マリと風奏は親戚説」を唱えかけてしまったリクは、真っ赤な顔をして目を回すハルナを見て一旦考えるのをやめた。
数分後、機能不全から解放されたハルナは「自分は何を言われてどうなっていたのか」を瞬時に理解し、自身が湯気を上げる原因となったリクの胸を叩き始めた。
「尊すぎるから成仏していい? 成・仏」
「ああもう……母さん本題行こう。本題」
「はいはい。こっちから何とかしようと思ってたけどハルちゃん側から飛び込んできちゃったからね。ちゃんと何とかするわ」
さっきまで浮かべていた意味深な笑みを取り払い真剣な顔になった風奏は、再び2人の目を見た。
「リクにはもう言ったけど、リクを現実側に戻すために必要な可能性のピース、その片方は貴方なのよ。2人分の強靭な意志があれば、私のテコ入れで戻せるわ」
「リクをここに縫い付けてしまってるATフィールドを無くして魂だけにしてしまう。ATフィールド消滅で形を失うと普通は正気に戻れないけど、互いの魂を知って例外中の例外のあなた達なら多分大丈夫よ」
「母さん、何でそんな事を知っているの?」
「薫ちゃんの知識よ。これ以上は内緒。《need to know》はよく知ってるでしょう?」
誤魔化されたことを感じながらも知らない方が良いと暗に言われた事で引き下がった2人は、大人しくなった。
「互いにATフィールドを失ったら、どう足掻いても2人は混ざり合ってしまう。何処からが自分で、何処からが相手なのか分からなくなるけど、しっかりと自分を繫ぎ止めて置く事。いいね?」
「大丈夫です。ここに来る時、私が私じゃなくなりそうでしたが、リクが引き止めてくれてました。だから大丈夫です。互いを想ってさえいれば」
「……余計な心配だったみたいね。リクも、いいね?」
「うん。母さん、ありがとう」
「いえいえ。戻ったら私のお墓にでも顔出してね。あなた達の話、ホントはもっと沢山聞きたいから」
「会いに行くよ。僕らが生まれ育った場所に」
「じゃあ、やるよ」
互いに手を繋ぎ、互いを想う。たったそれだけでも今の2人の境界は曖昧になっていく。完全にお互いを受け入れていて、自身の心に他者の居場所を生み出した2人は、互いが自分であり他人でもある。
どんどん暖かくなっていく。ハルナが感じる温もりをリクが感じ、リクが感じる温もりをハルナが感じる。命が主張する温もりに包まれ、意識すら曖昧になっていく。体が軽くなり、景色が霞んでいく。
微笑んでいる風奏の影にもう1人。白いショートカットの薫の影が見えた。腕を組んでコッソリと見ている姿に、ハルナは思わず手を伸ばしかけた。
(生きろ。何があっても)
振られた手から伝わる意思を受け取り、その手をそれ以上伸ばさなかった。
「じゃあね」
その瞬間、弾けるかのような水音と共に2人はこの世界から消えた。白と赤の光玉や十字の光を残して消え、間も置かずに世界から色彩が消え始める。
「行ったよ。薫ちゃん」
「例の件は伝えましたか?」
2人が消えてから、風奏は姿を隠していたに声をかけた。
「伝えたよ。何時になるかは分からないけど、何れ必要になるよね?」
「はい。ハルナを生んですぐに殺されてしまったので、伝えられなかったんです。私が何者で、何処から普通じゃなくなったか」
「ねぇ、零くんは貴方の事一切ハルちゃんに話してなかったのよ」
「律儀な人です。ハルナが生まれた時、何かあった時の為に伝えていたんです。私に何かがあったら今後いない者として扱ってくれと。死んで記憶になっても守り続けて貰えたなんて。嬉しく思います。それと風奏さん」
「どうしたの?」
「私が消えてからハルナの事を見て下さって、ありがとうございます」
「気にしないで。ハルちゃん、周りとは違う家庭だってことを自覚していたけど、とっても賢い子だったわよ。それに、零くん1人の子育ては大変そうだったからね」
「零士さん、多分満足そうに笑ってます。零士さんは……」
「自分よりも他人だからね。貴方の方がよく知ってるじゃない。ハルちゃんとリクは大丈夫よ、魂が強靭だから。ハルちゃんなんかは特にね」
「……私は戻ります。娘をこれからも助けないといけないので」
薫は、寄せる波に視界を向けてそう呟いた。真面目過ぎるのは、今も昔も尚変わらない。
「相変わらずね」
「それが私の願いであり、零士さんの遺志だからです。私は、それまで生き続けます」
星空が消え、輪郭が溶けてしまいそうな波打ち際で、2人の子の親は静かに踵を返した。
目が覚めたら、私は床に膝を突いたままリクの右手を握っていた。数瞬遅れて酷い頭痛に頭を抑える。頭が割れるほどの激痛が押し寄せ視界が明滅する。
ベット備え付けの時計を見ると2時間もの時間が経っていた。さらに原田さんが横で付きっ切りで監視している。
何も悪い事してないよね。私
「暁さん分かりますか?! ちょっと脈拍測りますね!」
「分かります。そんな病人みたいに……」
「気を失ってた時脈と呼吸が弱くなってたんですよ?! そんな病人みたいにって言ってる場合じゃないです!」
原田さんの圧に押されて腕をまくり脈拍系を取り付けられかける。でもその瞬間、点滴の管が甲から生えている彼の右手が、私の手を握ってきた。
「えっ……」
彼の目が……私を見ていた。
生きている。彼が……生きている。
「………………っ!!!」
「苦しいよ……そんなに抱き締められたら」
「……っ!!」
力を入れすぎているなのは分かっている。でも……嬉しすぎて加減が分からない。今は、今だけは……こうさせて。どうかこのままにして欲しい。
止め処なく涙が溢れてくる。拭う事も出来ず、ただベットの掛布団に想いの跡を残していく。
「まさか、空を突き抜けて来るなんて」
「……っ!」
感情の波に押し倒され言葉を紡げず、声が出ない。それでも思い切り首を縦に振り首肯する。
こういう時、「目覚めてよかった」って言いたいのに、それすら言葉に出来ない程に感情が押し寄せ、ただ彼を抱きしめるしか出来ない。
「僕を戻してくれて、ありがとう」
「いい……いい……のよ……っ!」
「だって、やっと貴方を…………貴方を、助けれたかも……しれないから……私、ずっとリクに……助けられっぱなし……だったから……っ!」
辛うじて出た声で嗚咽を押し戻し、必死に伝える。ああ、上手く声に出来ないや。
泣きすぎて目が熱い、でも、気にならなかった。
だって、こんなにも「胸が熱いから」。
こんなに泣いていても、全く苦しくないから。
私はそれを言い切るだけで限界が来てしまい、もう何も言えなかった。言葉以外の方法で想いを伝える事しか出来ず、ただ自身の顔を彼の胸に埋める。
「睦月君?! おおお起きたのか?!」
「佐渡先生……この通り無事です」
「無事なもんか! どれだけ危険だったかあんたは分かっとらん!」
「咄嗟の行動でしたから……それより状況は?」
こんなになっても状況を聞こうとする辺り、佐渡先生はカンカンに怒っている。……真田さん、どうやら私は彼の事を怒れそうにありません。嬉しいを表現するだけでキャパ一杯です。
大きく深呼吸をして息を整えて傍らに置いていた端末に目を光らせる。真田さんが送り続けていた戦闘状況に素早く目を走らせて内容をすぐに組み立てる。
「……今は七色星団から約1か月後、サレザー恒星系にいるの。ガミラス星の帝都バレラス、その中枢に向けての強襲作戦が行われているみたい。原田さん、私がシンクロしている時に何か揺れたりしましたか?」
「警報が鳴り止みませんでした。あと、爆撃のような震動が」
「……佐渡先生これ全部外してください艦橋行きます」
「バカなこと言っとんじゃない! 安静にせんか!!」
「バカも何もマズい気がするんですよ! 行かせてください!」
「ダメじゃ! ベットに縛り付けてでも行かせん!」
「佐渡先生、リクの事は私が見ています! 無理はさせませんしずっと傍に付いてます!」
そこまでダメって言うなら私が付き添いを買って出ればいい。どうせ一緒にいるからそう変わらない。
もう2度とあんな無茶させたくないし、彼が大事だから。
「……ああもう!! 真琴! 睦月君の上着持ってきてくれ!」
「良いんですか先生?!」
「構わん!! この相思相愛超人夫妻は口で言っても止まらん!! 暁君どいとくれ!」
佐渡先生が私を強引に押しのけ、リクの腕に生えている点滴管を取り払いにかかった。手伝おうかと思ったが、私からしてみれば出来る事は少ないから邪魔にならない様に隅っこにいる。
「まったく目覚めて数分で『行かせてください』と言い出すバカはあんたくらいしかおらん! こんなバカの治療はこれ切にしてくれんかのう!!」
「善処します……」
「善処じゃなく絶対じゃぞ! 復活したてでここまでハキハキ喋って動こうとするのはバカのする事じゃ! バカじゃないんじゃろ?! バカじゃないならやるな!!」
「はい……ご心配おかけしました……」
「最っ初にそれを言わんかァ!! ほら出来たぞ!!」
キレ気味で全ての処置が終わり、リクが体を起こそうとする。私は慌てて彼のもとに駆け寄り彼の背中を抑えて介助する。
「上着ありました!!」
リクの上着をやっと見つけた原田さんが私たちのもとに駆け寄ってきた。あの爆発で船外服が破け、艦内服も焼けてしまったが、修繕が後回しになっていた。
「新しい制服は後で支給申請しとくからそれ着てけ! ほらサッサと行かんかいィ!」
原田さんから艦内服を受け取ると、それを広げてリクの方にかける。左腕は吊っているから右腕にのみ袖を通す。
そして歩くのに苦労するはずと察した私はリクの腕を自身の方に回した。
「歩ける……?」
「気合で何とかする」
気合って相当キツイ筈だけど、そう言う彼を信頼して医務室を出ようとする。
「佐渡先生、ありがとうございました!」
「……ふんっ!!」
相変わらずお怒りモードな佐渡先生に一礼して医務室を後にして私たちは戦闘艦橋に急いだ。
「まあどうであれ、目覚めたことは良い事じゃ。真琴、艦長宛に通信送っといてくれ。超人夫妻がそっちに行ったとな」
この話を書き終えてから色々書きたいことがありますが、長くなるのは良くないので抜粋して書きます。
二十歳を迎えました。成人となり、大事な人に対し何が出来るのだろうか。この2人の親の物語を書くにあたって中核となったのはそのポイントでした。
最終的に出たキーワードの一つは、「命」でした。
零士は自身が残滓でなくなってしまう。即ち本当の死になってしまうがどうするのか。
ハルナは精神が死んでしまいかねない方法が使えるかどうか。
そして、虹と戦火でのリクは、命を張って大事な人を救えるか。
風奏は、2人を突き飛ばす事で命を繋げられるかどうか。
皆命に関係する何か重要なポイントを通過しています。
その結果が死でも生でも、最終的には大事な人の為に何か成せたか。
結果的には2人とその親たちは、大事な人の為に命を懸けることが出来た。
そして、ハルナはリクを目覚めさせることが出来た。何度も死が横を過ぎ去り、自身も体験して、死に人一倍敏感なはずのハルナが、死ぬかもしれない方法を使って死の一歩手前の空間に踏み込んだ。
作者として、ハルナの思いの強さには毎度驚かされます。ハルナパパもニッコリかもしれませんね
____
長くなってしまいましたが、今回も特殊回という事で楽曲を乗せます
SPEC - MAIN THEME-
10年ほど前にやっていたドラマのメインテーマです。当時有名だったらしく、ピアノ主体の疾走感がありどこか寂しい悲しい旋律が特徴です。
アマプラを見ていたら虜になってしまい、この曲に合うように改造してしまいました。長くなってしまいましたが、この話を書く上で、鈴夢さんと言う方に意見を頂きました。
ありがとうございます、鈴夢さん。
ここからは事務的なお知らせになります。
次の資格試験として、10月半ばあたりまで活動を休止します。
ほぼ丸々一か月。今までの休止期間に比べれば短い方になりますが、それでも佳境に近い所での突然の休止という事なので一応挨拶だけでもと思いましたので、この場をお借りして休止の宣言をさせていただきます。
次の投稿は、10月の中頃辺りになるかなと思います。
それでは、また次の話でお会いしましょう
(@^^)/~~~