いつもの喫茶店。窓辺の席に座って詩羽先輩はコーヒーを飲んでいた。
「いいのかしら?私と2人で過ごしても」
「ええ。もうそういうことでは英梨々は動じないはずだから」
「それならいいのだけど」
詩羽先輩もだいぶ落ち着いている。長い黒髪は今も美しいままだ。
「結局、英梨々には無理だった・・・と思う」
「そうね」
ラブコメヒロイン。ハーレム型主人公を正妻戦争に勝って手に入れるには、英梨々はあまりにも優しすぎた。
「向き不向きがあって・・・別に英梨々が悪いわけでは・・・」
「わかってるわよ。でも、波島さんルートも挫折するなんてね。あの子らしいというべきなのかしら?」
波島出海。伊織の妹だ。本来の学年は2つ下。
前哨戦では中1中2までをやる予定だった。そのための伏線もあった。でも肝心の英梨々は怒っているようで、目に涙を浮かべて泣いてしまった。
読者数もまたまた二桁を切っている。打ち切りはやむを得ない。
「そんな風に甘やかしても、いつまでも成長しないんじゃないかしら?」
「そこで、今度の夏の企画なんですがこの案はどうでしょうか?」
俺はレポートに40話の草案を書いた。タイトルは・・・
『毎日英梨々にプロポーズする夏休み』
詩羽先輩は何も言わずにそれを受け取ると、ペラペラとページをめくって企画書を読み始めた。
内容はタイトルのままだ。時期は大学2年生。ひょんなことから英梨々にプロポーズをするが、安易なので断られる。そこで試行錯誤しながら毎日プロポーズするというもの。全体的に甘い内容で平和だ。
「そうね。悪くないと思うけれど、話の作り・・・一話ずつの読後感に問題が起きないかしら。これだと毎日澤村さんがプロポーズを断らないといけないわよね。40話目に成功するにしても、39回断るってなかなかしんどいと思うのだけど」
「何も毎回真剣にプロポーズしなくても、ある程度の流れができたら『ついでにプロポーズした。断られた』でも、問題ないと思ったんですが・・・」
「真剣さが欠けたら、本末転倒じゃないかしら?」
「あとこの構成は『若様、拷問の時間ですよ』みたいな、様式美を作る段階に意義があるので・・・」
「でも、あれは『屈する』という賛成意見なのよね。断固屈しなかったら成立しないわよね?だから、プロポーズを断る・・・という所にはやはり壁があるわよ」
「そうですか・・・」
『英梨々と毎日イチャイチャ過ごす夏休み』の上を行く作品を・・・と考えた上でのプロポーズ作戦だったのだが・・・
「それにね倫理君。私達の作っている物語は、『冴えカノ』のパロディーであってオリジナルとは違うのよね」
「それ、今更では・・・」
「ええ、でも基本は抑えておきたいのよ。例えば波島出海さんを飛び級させる必要性は本当にあったのかしら?そう問い詰めた時に、必要なエピソードとそうでないものはもう少し分けた方がいいわよ」
同人が『IF』モードであるにせよ、本編から離れすぎては難しい。借りてきているのはキャラクターの容姿、声、口調、名前だけだろうか。時代背景や設定などまで変えたら、確かに別なものになってしまう。
「まっ、だからといって離れた読者が戻るわけでもないでしょうけど」
「ですよねー」
2人して溜息をつく。創作ペースも安定してきた。英梨々のキャラは確かに確立しつつある。『イデアを育てる』という初期の条件は達成されつつあるのだ。
それに俺だって、もう加藤よりも・・・英梨々がはっきり好きなことを自覚している。プロポーズすることには異論はない。
「問題はね倫理君。少し違うのよ・・・澤村さんを幸せにする目標の達成は、同時に加藤さんを不幸にする。この命題をまだクリアできていないわ」
「でも、それってラブコメの抱える命題では・・・」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわよ。それに『ラブコメが抱える命題』だから、自分たちでは解決できないとは限らないんじゃないかしら」
「じゃあ、どうしたら・・・」
「まず澤村さんはこのまま成長してもらうしかないわ。そして正妻戦争ではきっちりと勝利してもらうしかないわね」
「けど、それだと加藤が・・・」
「踏ん切りはつくでしょ。何も幸せは恋愛を成就させることだけではないのだから」
かれこれ2年半ぐらいこの同人の中で俺は生きてきて、まだ最初と同じところでグルグルと回っている気がする。
「螺旋階段を登っているのよ。いいかしら倫理君。私達は同じところをぐるぐると回っているようでも変化しているのよ。この物語の『澤村・スペンサー・英梨々』が確固たる自我を持った時に、彼女は本質に気が付くはずなのよ」
「また難しいことを・・・」
英梨々のイデア。英梨々が英梨々であるということ。
英梨々という素敵な名前。金髪長い美しい髪。ツインテールとリボン。たいしてうまくないツンデレの演技。マンガが好き。読むのも描くのも大好きな腐女子。アニメや映画や同人などオタク文化に詳しい。自らも創作もする同人作家。病弱。加藤の友達、詩羽先輩とも友達。優しい英梨々。出海ちゃんは英梨々の美術部の後輩で懐いている。美智留とは仲が悪いけど、時々は仲がいい。社交性に優れているわけではないが、人前でお嬢様として振舞うことができる。よく泣く。恋バナに詳しいくせに自分の恋愛は下手。
俺の幼馴染で、俺のことを好きでいてくれる大切な人。
「幸せにしてやりたいなぁ・・・」
俺はふとつぶやいた。
「プロポーズ案がでるってことはそうなんでしょうけど・・・時期尚早かしらね。まずは何よりも加藤さんの同意なくして、作品の完成はないわよ」
溜息がでる。
以前ほど加藤も気分に左右されなくなった。いきなり世界が消えるようなおかしなことにはならない。
今はごくごく普通のラブコメの世界で生活することになれてきている。魔法も使わないし、おかしな分身に襲われることもなくなった。
幼稚園の時や中学生の時を描きつつ、徐々に英梨々の『幼馴染』の属性は肉付けされていきている。
すごす時間が長ければ親密度は上がっていく。どこか家族のような距離になってしまうこともあるが・・・
少なくとも当初の俺とは違ってきている。加藤を・・・恵を好きな俺が無理矢理英梨々を選ぶような話ではなくなった。
美智留が指摘した『ちゃんと英梨々を好きにならないとダメだ』というアドバイスは確かに実現しつつある。
イデアは育ちつつある。
あとは整合性のある物語が用意できればいい。英梨々が幸せになり、加藤も幸せになる物語だ・・・
加藤にも英梨々にも詩羽先輩にもそれぞれアイデアがあるらしい。でも、実のところ俺は納得していない。
英梨々と『永遠の夏』を繰り返しても俺はかまわないのだ。むしろそうありたいと思ってすらいる。
考えがまとまらなくても時間は過ぎていく。英梨々が作る『中二病』をテーマにした作品はどれくらいできただろうか?
俺はやはり加藤へ相談しにいくことにした。
(続く)