ホワイトデーの思い出がない事に気が付いた。
3月14日のホワイトデー。
学校では卒業式の予行練習が行われ、他の時間は自習だった。
倫也は休憩時間に詩羽の教室まで行き、クッキーアソートを渡した。これは英梨々と選らんだ品でカワイイ缶に入っている。
それから放課後までに恵を探し出して、なんとか同じくクッキーアソートを受け取ってもらった。
学校の帰りには伊織に会い、美智留と出海の分を渡してくれるように頼んだ。
英梨々は伊織とは会わずに先に家に帰った。それからシャワーを浴び、万が一の展開にも備える。新品のシンプルなデザインのピンクの下着を身に着けた。鏡の前で胸を寄せてみるものの、無駄な努力だと自分でため息を1つつく。
クリームイエローのシャツに、ブラウンのオーバーオールを合わせる。髪はツインテールにせず、コンタクトははずした。マンガを描く時用の黒ぶちメガネではなく、ピンクゴールの細いフレームのメガネを新調した。鏡の前で何度かポーズをとる。金髪ツインテールでもなく、かといってオタク候のイタイ容姿でもなく、ナチュラルな自分を模索している。
外は暖かいので春物の軽いコートを羽織って、倫也の家へと向かった。
※※※
チャイムを押しても誰もでなかった。英梨々は一呼吸を置いて合鍵を使って中へと入る。玄関で靴を脱ぎ、しゃがんで横にそろえた。洗面所で手を洗いうがいをする。タオルを一枚だして水で濡らして絞った。それから倫也の部屋へと階段をトントントンと軽やかンあがった。
ハンガーにコートをかけエアコンのスイッチを入れる。濡れたタオルを窓際に干して加湿器替わりにした。クッションに座ってプレステ5の電源をいれ、最近リリースした『死にゲー』と言われる高難度アクションRPGを始めた。攻略サイトも見ずに倫也とコツコツと進めている。
英梨々はストーリーは進展させずに、MAPを探索しつつアイテムを集め、キャラクターの育成だけすすめる。二人ともアクションが苦手なので、苦戦しているがキャーキャー文句をいいながらゲームをしているのは楽しい。
ゲーム内で単調な作業をしていると倫也が帰ってきた。倫也がコートをかけたハンガーを英梨々のコートの横に並べる。
「どうだった?」と英梨々は声をかけた。「お邪魔してます」も変だし、「おかえり」は照れ臭い。結局、挨拶らしい挨拶もせずに、会話を始める。
倫也も気にせずに、英梨々の隣に座りゲーム画面を眺めつつ、「4人に渡してきたよ。美智留と出海ちゃんは伊織任せだけど」と言った。
「まっ、無事に渡せてよかったじゃない」
「そうだな」
「レベリングしておいたけど」
「サンキュ。何かみつかった?」
「商人見つけたけど」
「どの辺?」
ついついゲームの進行状況を確認しながら、英梨々の見つけたNPCまで案内してもらい、買えるアイテムの確認をする。
「服ぐらい着替えたら?」
「・・・ああ、うん。英梨々は何か飲む?」
「同じもので」
「おk」
倫也は立ち上がり制服の上着とシャツをベッドの上に脱ぎ捨ててトレーナーを着る。ズボンは英梨々のいる部屋では脱ぎにくいのでそのままだ。それからキッチンに向かう。色違いのおそろいのマグカップにインスタントコーヒーをいれた。マグカップを二つ手に持ち部屋へと戻る。
「インスタントコーヒーで悪いな。おいしい紅茶でも淹れられたらいいんだろうけど」
「ありがと。これで十分」と英梨々は優しく言った。コントローラーは床に置いたままで、休憩ポイントの画面で静かな音楽が流れている。
「あと、これ・・・」
「ありがと」ともう一度言う。
昨日、一緒に見に行ったホワイトデーのお返し用のクッキーアソートだ。英梨々の分は他の人のよりも一回り大きい。別に差をつけたわけじゃない。一緒に食べようと思ったからそうした。英梨々がラッピングを外して、缶を開ける。可愛いクッキーが並んでいる。
「倫也はどれにする?」
「これで」
「ラングドシャね」
「名前はわかんね」
「はい」
英梨々がクッキーをつまんで差し出した。倫也が手の平を出す。
「・・・バカね。口を開けなさいよ」
「ん?」
「・・・」
さっきまで普通だった英梨々の頬が少し赤くなる。倫也は英梨々が何をやろうとしたのかわかり、黙って口をあけた。英梨々がそこにクッキーを放り込む。こういう直球的なラブラブを英梨々はあまり好きではないのだけど・・・
「どう?」
「うまいよ。でもさ、これってホワイトデーっぽくはないよな」
「なんでよ」
「だって、ホワイトデーって男性から女性にお返しするイベントだろ?」
「そうよ?」
「だったら・・・」
「あたしは、これね」
英梨々はイチゴのメレンゲクッキーを指さした。耳が赤い。倫也がそれを1つつまんだ。
倫也の方に顔を向けた英梨々が目をつぶった。長いまつげが真新しいレンズを通して見える。
「あっ、英梨々。メガネ変えた?」
「・・・倫也」
「ん・・・」
「気づくのが遅いわよ」
「・・・ごめん。なんか印象違うなぁとは思ったんだけど、ほら・・・ツインテールでもないし」
「べ・・・別にいいでしょ」
「ああ、うん」
倫也が目をそらした。あんまり可愛い英梨々を見つめてしまうと照れてしまう。ましてやゲームをしているオタクの英梨々だと思って油断していた。オシャレなメガネでは美少女であることを隠しきれていない。英梨々のことを女性だと意識してしまうと、英梨々からいい香りがするとこに気付いてしまう。
「ねぇ・・・はやくぅ」英梨々がわざとエロい口調で言った。
「ちょっ英梨々!?」
「バカ」そういって、また目を閉じて口を開けた。倫也がそこにクッキーをいれた。英梨々は目をつぶったままモグモグと口を動かして食べている。
「どう?」
「そうね。悪くないけど・・・こういうイベントはやっぱり恵っぽいわよね」
「ははっ、そうだな」
「あたしも嫌いじゃないけど。甘いイベントのついでにさらに甘えようかしら?」
「なんだ?」
英梨々が倫也の右手を持って自分の髪を触らせた。髪はさらさらとして滑らかで倫也の指の間を流れ落ちていく。
それから英梨々は倫也に両手を回して抱き寄せ、後ろにわざと倒れこむ。倫也が英梨々の上になった。それからしばらく見つめ合う。
「そろそろかしらね」
「そろそろだろうな」
英梨々が目を閉じて、倫也を引き寄せる。倫也は英梨々の望むままキスをした。TVの画面はついたままでさっきから同じ音楽がずっとリピートされている。英梨々の呼吸が少し荒い。英梨々が優しく唇を重ねるだけの倫也にじれったくなって、口を小さく開け舌をからめようとした。
その時、倫也のケータイが鳴った。相手が誰なのか確認するまでもない。
英梨々は右手をまっすぐ天井の方に伸ばして指を鳴らし、ケータイをどこかの亜空間に飛ばした。
いったん離れようとする倫也を抑えて、英梨々はさらに強い邪魔が入るまで倫也をギュッと掴んだまま離さなかった。甘きクッキーの香りに満たされた。
(了)