雨の日に拾った女の子と恋に落ちました   作:緑茶わいん

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出会い

「お疲れさまでしたー」

 

 アルバイトを終えて外に出た時、スマートフォンの時刻表示は午後十時過ぎを示していた。

 空は生憎の雨模様。年上の先輩からは「大丈夫? 傘持ってる?」と心配された。幸い、天気予報はチェックしていたので傘は持ってきていた。

 雨足はそこそこ強い。予報によると、少なくとも日付が変わるくらいまでは降り続きそうだ。

 道のあちこちにできた水たまりを踏まないようゆっくりと歩き出した僕は、雨で湿った空気にため息を乗せた。雨自体は嫌いじゃない。傘さえ差していれば、ぽつぽつとリズムを刻む雨音はある意味心地いいものだ。ただ、

 

「洗濯物が乾かなくなるんだよなあ……」

 

 僕──長谷川(はせがわ)夜空(よぞら)は現在高校二年生。幸いなことに両親は共に健在でお金にも困っていないのだが、個人的な希望から一人暮らしをさせてもらっている。

 両親はこれを許可してくれたものの、条件として「自分のことは自分でやること」が提示された。なので、バイトは生活費を稼ぐため。もちろん炊事洗濯、掃除なども自分でやらないといけない。そういう意味で雨は大敵だ。洗濯機の乾燥機能は電気代がかさむ。

 まあ、本気で節約したいなら他にも気をつけるべきところはあるのだが。

 夜遅くまでバイトをしているとついつい自炊が面倒になって出来あいの食事に頼ってしまう。この日も午後十一時まで開いている行きつけの弁当屋に寄って夕食を購入。ラッキーなことにお気に入りの弁当が残っていた。雨で客足が鈍ったせいだろうか。

 

「近道しようかな」

 

 自宅近くの公園にさしかかった僕は公園の中へと足を向けた。

 コンビニ弁当と違って温めをしたわけじゃない。家でレンジにかけるだろうから冷める心配はしなくていいが、それはそれとして腹具体的に一秒でも早く弁当を胃に収めたい。公園を突っ切ると十数秒くらいは短縮が可能だ。

 明日は土曜で休みだから、朝はゆっくり起きて朝食は軽めにしよう。

 冷蔵庫の中に何が残っていたかを思い浮かべ、スーパーへの買い物を土曜にしようか日曜にしようか考えていると──雨音に交じって「くしゅん」と小さな音が聞こえた。

 くしゃみの音?

 なんとなく気になって立ち止まる。辺りに人の気配はない。あるのは公園の遊具くらいだ。それとも遊具の陰に猫でもいるのか。いや、それはそれで放っておけない。自慢にはならないが、僕は人からよく「お節介だ」と言われる。感謝してくれる人も多いが損な性格だと。

 実際、そんなことを言われても止められないあたりそうなのかもしれない。やっぱり困ってる人は放っておけないし、猫は可愛い。

 

 さて、どこだろう。

 公園には常夜灯もあるものの、夜闇のせいで視界良好とは言えない。もう少し手がかりがあれば、と思った時、もう一度「くしゅん」と聞こえた。

 今度は方向まではっきりとわかる。滑り台の下、僕の位置からは陰になっていた場所に、びしょ濡れになった猫が──。

 

「……あれ?」

「……え?」

 

 訂正。

 猫ではなく、びしょ濡れの制服を着た女の子が、途方に暮れたように体育座りをしていた。

 加えて言えば、僕はその子の顔に見覚えがあった。

 

「桃谷さん?」

「長谷川くん……?」

 

 桃谷(ももたに)千夏(ちなつ)

 一つ年下の高校一年生で、幼馴染という程ではないものの、高校入学以前からの知り合いだ。学年も性別も違うので仲がいいというほどではない。同じ学校に入学したというのは知っていたけど連絡先も知らないし、今年度に入ってから顔を合わせたのは数回だけだ。

 そういえば、最近は見かけなかった気がするけど、

 

「どうしたの、こんなところで。一人?」

「……えっと」

 

 制服を着ているということは、ひょっとして放課後からずっと外にいたのだろうか。見たところ傘も持っていないし、身体も濡れていていかにも寒そうだ。

 肌に張り付いたブラウスの奥には別の色をした何かが……って、これは見ちゃいけないやつだ。

 慌てて目を逸らした僕は、桃谷さんの膝がすりむいたように傷ついているのに気づいた。

 

「何か、あったんだ?」

「……はい」

 

 仕方なく、という風に頷く彼女。

 疲れたような表情で、ここではないどこかを見ながら呟くように、

 

「男の人が三人で声をかけてきて、嫌だって言ったんですけど追いかけてきて、人気のないところへ──」

「警察に行こう」

「だ、大丈夫です! 何もされてません。ただ、逃げる時に転んじゃって……」

「……そっか」

 

 念のため、もう一度制服の状態を確認。濡れてはいるけど、無理やり脱がされたような雰囲気はない。本当に大丈夫だったんだろう。どこにでも悪い奴はいるものだが、とりあえずはほっとした。

 それなら警察には行かなくても大丈夫だから……。

 僕は少し考えてから彼女に言った。

 

「桃谷さん、良かったらうち、この近くだからさ。寄って行かない?」

「え?」

 

 桃谷さんは大きく目を見開いて僕を見た。

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

「あの、お風呂、ありがとうございました」

 

 脱衣所を兼ねた洗面所から出てきた彼女は、学校指定の男子用ジャージに身を包んでいた。

 

「気にしないで。それより、ごめん。サイズ気にせず着られそうなのは予備のジャージくらいしかなくて。寒くない?」

「はい、大丈夫です。むしろ、あったかいくらい」

「良かった」

 

 何しろ、部屋に女の子が来るなんて想定していなかったので大したもてなしはできないのだ。

 あの後、桃谷さんは戸惑いつつも「ありがとうございます」と部屋に来ることを了承してくれた。傘が折りたたみではなかったのも幸いし、二人身を寄せ合えばそれ以上濡れることもなく部屋までたどり着けた。

 僕の部屋は何の変哲もないアパートだが、なんだかんだと過保護な親のお陰で家電一式は揃っている。桃谷さんの濡れたブラウスと下着、靴下は乾燥機能付きの現在洗濯機の中だ。さすがにスカートは洗うわけにいかないので洗濯物用ハンガーに吊るしてある。ドライヤーを当てようかとも思ったが、歳の近い男子がそれをやっていいものか悩んだのでとりあえず保留中。

 桃谷さんにはシャワーを浴びてもらい、しっかり温まった上で髪と身体を乾かしてもらった。あと他にできる風邪対策はしっかりと栄養を取ることくらいか。

 

「ところで桃谷さん、お腹空かない?」

「お腹ですか? えっと……」

 

 何かを言おうとした彼女のお腹がタイミングよく可愛らしい音を立てる。かあっと頬を赤らめる彼女だったが、僕としては好都合だ。

 どうやら桃谷さんは人に遠慮する傾向があるらしい。ならば少し強引にでも風邪を引かないようにしてもらわなければ。

 

「よし。じゃあ、良かったらこのお弁当をどうぞ」

 

 僕はテーブルの上に準備した弁当を示す。彼女が風呂から上がるタイミングを見計らってレンジにかけたので、まだまだほかほかだ。

 

「え、でも」

「いいからいいから。僕は別にいつでも食べられるわけだし、今日のところはカップラーメンでも。嫌いな弁当だったらあれだけど」

 

 そう言うと素直に席へついてくれた。

 そうして弁当の中身を覗き込んだ彼女は不思議そうに首を傾げる。うわ美味しくなさそう、といったリアクションではなく、むしろ何これ? といった感じ。

 

「これって何のお弁当ですか?」

「近くのお弁当屋さんの『お熟食弁当』。おススメだよ」

「お熟……?」

「簡単に言えば、しっかり火を通して味を染みこませたヘルシー弁当ってとこかな」

 

 本当はもう少しちゃんとした歴史や細かい定義もあるのだが、僕も詳しくは知らないのでそこは省く。昔はじっくりコトコト具材を煮たり焼いたりした料理を指したみたいだけど、この弁当に関しては圧力鍋とか使って時短してる疑惑もある。要はしっかり煮込んだり焼いた感じの料理になっていればいいのだ。

 じっくり調理によって肉や魚の場合は余分な脂が落ちてくれるし、うま味成分が煮汁に染みたりもする。塩分控えめかつしっかり味がついているのがお気に入りポイント。これは年頃の女の子にも嬉しいだろう。

 桃谷さんも興味が出てきたのか「へえ……」と再び弁当を覗き込んでいる。

 中身はお店の人の気分で時々変わるものの、今日のはメインが仕上げに皮をこんがり焼いた蒸し鶏。サブとしては大根とイカの煮物ときんぴらごぼう。だいぶ茶色っぽいのは煮物中心だから仕方ない。野菜はちゃんと入ってるし。

 

「……じゃあ、いただきます」

「うん。僕もカップ麺でも食べよう」

 

 普段から頼るとそればっかりになるので極力食べないようにしているが、最近のインスタントやレトルト食品は十分美味しい。買い置きの中から「何にしようかな」と一つを選んで、お湯を入れて三分。ついでに二人分のお茶を淹れた。

 

「ありがとうございます。……あ、これ美味しい」

「そこのお弁当はどれも美味しいからね」

 

 店の人も明るくて優しいのでお気に入りだ。

 と、桃谷さんはふと遠い目になって「長谷川くんはすごいですね」と言う。

 

「一人暮らしなんですよね? 自分のことは自分でやって、こんなに美味しいお弁当屋さんまで知ってて……」

「大したことじゃないよ。お弁当は自炊が大変だから買ってるわけだし」

 

 少し恥ずかしくなった僕は苦笑しながら答える。

 

「親の許可がないと部屋なんて借りられないしね」

「っ」

 

 そこで、桃谷さんの様子が変わった。何かに怯えるように顔をしかめると箸を置き、手で左肩を押さえる。

 

「桃谷さん」

「なんでもないです。……なんでも」

「……そっか」

 

 どうやら話したくないらしい。なら、これ以上は聞かない方がいい。今は駄目でも落ち着いたら話してくれるかもしれない。

 美味しいお弁当だけじゃ足りないだろうか。

 だとしたら、他に何ができるだろう。

 考えているうちにスマホが鳴った。セットしていた三分タイマーを止め、湯気の立つカップ麺を啜る。食事中はお互いにほとんど無言だった。テレビでもつけた方が良かったかもしれないが、桃谷さんはお腹が空いていたのもあってか弁当を夢中で平らげていた。

 少女が「ごちそうさまでした」と箸を置いた時には、容器の中には米粒一つ、箸休めのお新香ひとかけらすら残っていなかった。どうやら気に入ってくれたらしい。

 

「このお弁当、美味しかったです」

「それは良かった。足りなければ食パンくらいならあるけど」

「大丈夫です。そこまでしてもらえませんし、それに……」

 

 言葉を落とし、迷うように視線を彷徨わせる桃谷さん。

 僕は彼女が言ってくれるまで待った。その甲斐あったか、ぽつり、と部屋の中にこぼれ落ちたのは、

 

「お金、持ってなくて。お礼も何もできないんです」

 

 言われてみれば、制服を洗濯機に放り込みスカートを吊るした時にも手荷物らしきものは何もなかった。つまり、彼女はサイフもスマホも持っていない。本当に身一つの状態なのだ。

 よほどの事情があったんだろう。

 女の子が夜中、あんなところに一人きり。普通ならせめて友達の家にでも行く。もしあのままだったらそれこそ悪い男にでも絡まれていた。

 最近は学校で見かけなかった。なのに、うちの制服を着ていて着替えも持っていない。

 確か彼女は父子家庭だったはず。生活には苦労があるだろうが、これまでの会話から考えると「単なる苦労」以上のものがあるのだろう。

 

「気にしなくていいよ。困った時はお互い様──」

「そんなの駄目です……!」

 

 僕の言葉は途中で遮られた。

 きっ、と、僕を睨みつけるように見た桃谷さんは唐突に立ち上がると、着ているジャージに手をかけた。慌てて止めようとしても間に合わない。上のファスナーが下ろされ、何も身につけていない素肌が露わになってしまう。もちろんすぐに目を逸らしたものの、その、少しは見えてしまった。

 

「桃谷さん、早く服着て」

「嫌です」

「嫌って、そんな」

「長谷川くん。私とセックスしてください。それでご飯のお礼と、あと、一晩だけ泊めてくれませんか?」

「──なっ」

 

 何を言っているんだ。

 言おうとして視線を戻した僕は桃谷さんと目が合ってしまう。頬を赤らめて、泣きだしそうな瞳でこっちを見ている彼女。身体はダイエットなんか必要なくて、むしろもっと食べた方がいいくらいに思えるけど、そんなことは気にならない。少なくとも一宿一飯の恩ごときで身体を差し出すほど安くはない。

 あまりにも、桃谷千夏は不器用すぎる。

 

「駄目だよ」

 

 首を振って拒絶。それでも引き下がってくれない。

 

「どうして? 私の身体じゃ足りませんか? なんでもします。長谷川くんのしたいこと、なんでも言ってください」

「だったら!」

 

 思わず、僕は少し強い声を出してしまった。

 しん、と静かになる部屋。しまったと思いながら、僕はせっかく生まれたチャンスをせめて活かすべく、桃谷さんへの言葉を紡いだ。

 

「だったら、今日はゆっくり休んで欲しい。桃谷さんにはそんな辛そうな顔じゃなくて笑って欲しい。そういうことは好きな人として欲しい」

「どうして」

「どうしてって、そんなの、桃谷さんが傷つくのは嫌だからだよ」

 

 彼女とは特別仲がいいわけじゃない。

 友達と言っていいのかもわからない。それでも前から面識はあって、敬語だけど「先輩」じゃなくて「長谷川くん」と呼んでもらえる程度には特別。

 いっそのこと幼馴染なら彼女の抱える問題ももう少し知ることができたかもしれないし、なんなら解決してあげられたかもしれない。

 恋人同士なら、事情を聞かなくても心の支えになれたかもしれない。でも実際はそうじゃない。そんな曖昧で微妙な関係が、僕と彼女。

 だけど。

 だからこそ。

 

「放っておけないし、邪な気持ちで助けたわけでもない。……そういうのはもう、止めて欲しい」

「……はい」

 

 桃谷さんは俯いてそれだけを言った。

 小さく身を震わせる彼女がどう思っているのかはよくわからない。いつものお節介で余計なことを言ってしまったかもしれない。もしかしたら傷つけてしまったかもしれない。

 それでも、もし、僕の言葉が少しでも届いていたのなら嬉しいと思う。

 

「良かったら、ここに好きなだけいていいよ。心配しなくても僕一人だから気楽だし、使ってない部屋もあるから」

 

 ベッドは一つしかないけど、引っ越したばかりの時に使っていた布団はある。できれば桃谷さんにベッドを使って欲しいものの、男の臭いが染みついたベッドは逆に嫌かもしれない。まあ、それはともかくなんとかはなる。

 とりあえず今日は泊まってもらって、明日また希望を聞こう。

 僕はそう決めて、空になったカップ麺と弁当の容器、それと湯呑みを片付けるべく席を立った。

 すると、

 

「……ありがとうございます、長谷川くん」

 

 服の背中側がちょん、と摘ままれて、後ろから桃谷さんのか細い声がした。

 

「うん」

 

 こんな経験、初めての僕に気の利いた返事はできなかった。

 でも不思議と嫌な気分ではなくて

 こうしてこの日から、僕と彼女の不思議な同居生活が始まった。

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