前書
おハナさんとスピカトレーナーについて、ちょっとしたバレンタイン
府中駅近くにある、雑居ビルの中にある、とあるバー。
ここが、私と、あのバカの行きつけの店であった。
初めてトレーナーになり、給料が出て、ちょっと背伸びして来た店がここだった。
その時あのバカもまた、この店に来ていて……
お金がないといって私から5000円を借りたのが始まりだった。
「今日給料日じゃない。一文無しってどういうことよ」
「担当が肉食いたいっていうからさぁ」
「全く……」
どうやら初任給の薄給を全部担当ウマ娘に食わせてしまったらしい。
自腹でおごるなんてどう考えても無謀でしかない。
だが、そんな無謀をするバカから、この時から目を離せなくなっていたのだった。
あのバカはいつも身勝手だった。
「おハナさんの初GⅠ勝利を祝してカンパーイ」
「その言い方だと私が走って勝ったみたいじゃない。勝ったのはあの子よ」
「トレーナーとしての初勝利なんだからいいだろ? 俺もすぐに追いついて見せるからな!」
「はいはい」
私の担当ウマ娘が初めてGⅠに勝利した時も、勝手に祝いだと大騒ぎして、結局無一文になって私から1万円を借りていた。
「おハナさん! 今日はうちの子のほうが勝っただろ! 祝ってくれよ!」
「はいはい、マスター。この騒がしいバカに一杯。このバカのツケで」
「おかしくね!?」
このバカの担当ウマ娘が初めてGⅠに勝利した時も、大騒ぎしてタカってきた。
結局私のお金で三杯も飲んだらべろんべろんに酔っぱらっていた。
「はっはっはー、今年のリーディングトレーナーに見事輝いたぜ」
「はいはい。おめでとうおめでとう。お祝いに今日の私の飲み代ぐらい、払ってくれるわよね」
「え、おハナさん払ってよ」
「リーディングとるぐらい稼いでるのにどうしてお金ないのよ……」
年間最多勝トレーナーとなったときも、一人ここで騒いでいた。
なお、それでもこのバカは金を持っていなかった。
担当ウマ娘たちに調子に乗って寿司をおごって、賞金を食いつくされたらしい。
相変わらずのバカだった。
「おハナさん、付き合ってくれないか」
「へ?」
告白をしてきたのもこのバカからだった。
仲は良かったが、向こうもこんなつまらない女に恋愛感情を持っているなんて思っていなかったのだ。
唐突な告白に、私は茫然としてしまい……
「ちょ、ま、また明日!!」
そのまま支払いもせずに逃げ出してしまった。
数日間あのバカの顔を見ることもできずにいたが、最終的には告白に是で答えることになる。
私の答えを聞いた時のあのバカの笑顔が今でも忘れられない。
「おハナさん、すまん」
そして、別れを切り出してきたのもバカからだった。
原因は、アメリカ留学だった。
3年もの間の海外留学。
私は遠距離恋愛でも待つつもりだった。
だがあのバカの考えは違った。
すでにお互い30過ぎ。
3年も待たせてどうなるかわからない。
そうすると私が婚期を逃しかねない。
そもそも幸せにしてやれる自信がない。
そんなことを言っていた。
感情的になった私は、あのバカの顔面に水をぶっかけた。
幸せにしてやるとはどういうことだ。
幸せにするのは私だ!
そんなことを叫んだ気がする。
結局わけのわからないまま大喧嘩し、別れたような状態のまま、あのバカはアメリカに行ってしまった。
結局3年間。あのバカから全く連絡はなかった。
戻ってきたら戻ってきたで、何事もなかったかのような態度である。
余計腹が立った。
悔しすぎて、無茶苦茶手のかかった手作りのチョコレートを作ったので、あいつの顔面にたたきつけてやろうとか考えていたのだが、バレンタイン当日にあいつはやらかした。
ちょうどバレンタインの日、バレンタインステークスというレースがあり、うちのチームの有望株であるサイレンススズカが出走していた。
そしてスズカは、私の指示も、事前の相談も全部ぶっちぎって大逃げで逃げ切って勝ってしまった。
何が起きたか、すぐにわかった。
スズカは頑固なところはあるがまじめで勝手なことをするようなタイプのウマ娘ではない。
そんな彼女を丸め込んで、しかも彼女の実力を存分に発揮させる。
そんな天才的なことができるのなんて、あのバカぐらいしかいなかった。
かえって早々他人のチームのウマ娘に、変なことを吹き込むあのバカに心底腹が立った。あのバカの身勝手さはアメリカ留学してもまったく治らなかったようだ。
結局スズカはチームリギルから離脱させ、あのバカに預けることにした。
一度こうなったらうちにいてもスズカが我慢できなくなる。信頼にひびが入った状態で続けるのはスズカにも、私にもよくない。代わりにあのバカに責任を取ってもらおう。
怒りが収まり切らず、チョコは机にたたきつけて粉々にしてしまった。
結局あのバカはスズカや、新入りのメンバーも増やし、チームスピカを再建した。
トレーナーとしての立場を再度確立するまで、何年もかからなかった。バカだがやはり天才である。
とても悔しいが。
そんなこんなであのバカが帰ってきてから2度目のバレンタインである。
今回は去年よりももっと力の入った手作りチョコレートを作った。
これをあのバカの顔面にたたきつけて、この想いに決着をつけるのだ。
どうせあのバカは、私のことなどどうでもよくなっているだろう。
だから、うだうだ悩んでいる私がバカなのだ。
今まで煮詰まって、ぐちゃぐちゃになっているこの気持ちを全部チョコレートに詰め込んで。
そして、あのバカの顔面にたたきつける。
きっととても楽しく、そして気持ちも吹っ切れるだろう。
スズカの怪我で一時期忙しくしていたようだが、今ならきっと問題はないはずである。
特に約束もしていないが、あのバカはいつものように、このバーに来た。
特に何を話すでもなく、私の隣に座る。
お互い無言で一杯飲んだ後、バカは私に話しかけてくる。
「おハナさん、今日何の日か、知ってる?」
「バレンタインでしょ。はい」
「おー、うれしいなぁ……」
うれしそうにチョコを受け取ったバカは、さっそく箱を開けて、一つつまんだ。
「……最初にくれたのもこのブランデーボンボンだったよな」
「……覚えてたんだ」
「そりゃな。今のと違って、変に苦くて、変に焦げてたけど…… おいしかったな」
「……」
あの頃は、このバカも、私も何も持ってなかった。
夢ばかりは一人前で、腕も何もが半人前だった。
でもだからこそ、何も怖くなかった。
マスターが二杯目を出してくれる。
あの時のバレンタインは今でも覚えている。
まずいというこのバカとの間で、喧嘩になりそうになったのだ。
その時にマスターが出してくれたのが、今出てきたモスコミュールだ。
「あの時はどうしても本音を言うのが照れくさくてな。ありがとう。これもとても旨い」
「お返しは期待しているから」
結局、私は今も、あのころの気持ちから決着をつけられないでいる。
飄々としているこのバカには本当に腹が立つ。
だが、それでも、こいつに、明確な決着をつけられない自分が一番腹立たしかった。
いつもスズカさんばかり書いていたので今回は別のキャラクターで書いてみました。
作者
雅媛
代表作
黄金船の長い旅路 或いは悲劇の先を幸せにしたい少女の頑張り
https://syosetu.org/novel/253959/