薄い雲が覆う夜空を赤い炎と破壊音が彩った。
村のあちらこちらに上がる火の手と煙。
破壊された家々、累々たる屍と段々と弱まってゆく呼吸音が、生者の悲鳴や叫び声に飲み込まれる。
国境地帯で発生した国同士の小競り合いはそこに在った小さな村を破滅へと誘った。血の匂い、断末魔の呻き声、地面を這いずる摩擦音。その全てが不死者や魔物に対する呼び水となる。
そんな悲惨な闇の下を一人の男が闊歩していた。顔に感情を読み取れる表情は無く、性別上は男性であるが、彼が「人間」ではないという事は一目瞭然である。なぜなら彼の双眸は闇の胎動を秘めた真紅であり、真紅を持つ存在は天にも地にも唯一人しか居ないのだから。
「不死者王ブラムス」が特に目的も無くふらりと立ち寄ったその村は戦火に焼き尽くされようとしていた。
敵国の兵士の振るう武器が村人達を血の色に染め上げ、彼等は略奪を行った後に建物に火を放つ。破壊の手は建物あるいは老若男女関係なく人間へと容赦なく覆い被さった。
崩れ落ちる村。無言のままで村の中を通る道を進むブラムスの真紅の双眸が何を見ているのか、不死者王ブラムスが何を思っているのか、その表情から感情を窺い知る術は誰にも無いのだ。
一直線に村を突っ切って村外れへと来た時、ブラムスは初めて足を止めた。ゆっくりと視線を前方から足元へと移すと、細い、そして血まみれの手が自分の足首を力なく掴んでいるのが見て取れた。
「・・・この・・・子、を・・・・たす・・・・」
おそらく母親であろう女性がうつ伏せになったまま息も絶え絶えに声を出す。真っ赤な左手で足首を掴んだ人物の顔を見る為に顔を上げる力さえも無いものと伺い知れる。
その女性の右手が小さな女の子を抱えていた。
相手の返事を待たずに女性は左手で捕まえていたブラムスの足首を離し、そのまま手を地面に突いて立ち上がろうとしていた。
ブラムスは何も言わずにただ様子を見ているだけであった。そして相変わらず無表情のままである。
どうにかこうにか立ち上がった女性は、腕の中の女の子を助けを求めた相手に差し出そうとしていた。女の子は口と鼻から流れ出た血が乾いて肌にこびり付いていた。服が覆っていない体の部分(顔や手足などであるが)にも無数の傷があり、小さく開いた口で何とか呼吸をしている。誰の目から見ても母親と同く瀕死状態だ。
顔を上げる力も無いまま何とか立っているだけの女性が抱きかかえる女の子を見たブラムスの双眸が僅かに細められた。
真紅の双眸が捉えたのは、その子の今にも逝きそうな魂の奥に眠る金色の精神体。ブラムスの口は静かに開き、犬歯の先端が闇の中で破壊の炎に照らされて血の色に光る。
やがて質量を伴った重低音の声が地を這い返事をする。
「いいだろう。」
安堵した女性は視線を女の子から離さないまま、ゆっくりと声の主へと腕と抱いた女の子を差し出す。
神をも切り裂く鉤爪をもつ大きな手が女の子を静かに受け取った。
最後の力を振り絞り礼を言おうと女性は我が子を託した相手へと視線を移動させる。
視界に現われた存在を、赤い眼を見た瞬間に息を呑んだ。次の瞬間に絶望が女性を支配する。
「・・不・・・・・し・・・・」
呻き声と共に地面へと崩れた母親に頭上から声が降る。
「約束は違えぬ。」
何の感情も篭っていない声。だが、不死者王の声は母親には何故か優しく聞こえた。
もう動けない母親は瞼を閉じて地面に頬を付けたまま小さく笑い、事切れた。暫くして一つの魂が身体から離れて天を目指す。夜空を駆け抜けその先に在る輪廻の輪へと向かうのだ。
足元にある呼吸を止めた一人の人間の横顔を見ていたブラムスは腕の中で何とか命を繋いでいる女の子へ、否、その魂の奥で眠る存在に声を掛けた。
「私の気紛れに感謝しろ、シルメリア。」
言い終えると同時に暗い焔が不死者王を覆いそして、
ふっ、と消えた。
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暗い焔がブラムス城の玉座の間へ現われる。己が牙城へと帰還したブラムスは玉座に座らずに、一人の人間、そうシルメリアが今生にて転生している女の子を抱いたまま入り口の扉へと向かう。
扉は無音のまま恭しく開き、ブラムスは玉座の間から廊下へと進んだ。脇に控える不死者達に一瞥もくれずに真っ直ぐ廊下を進み、この城内で最も日当たりのいい一室へと入る。
こじんまりとしたその部屋は、テーブルと椅子といった家具類と寝台しか無く、その一つ一つに派手さは無いが、材料の質の高さや切り出した木目模様の美しさ等に高度な職人技が施されていた。
ブラムスは瀕死状態の人間であるシルメリアを横たえた。
そのまま左手を薄い茶色をした頭の横へ突き、右手を血の気の失せた顔へと翳す。
————繋ぎとめた後、彼の存在を顕現させよ————
失伝魔法の一文句を唱えると、発動した術が蛇と化して現われブラムスの右手に絡まる。鎌首をもたげたままぽとりと寝台に落ちてシルメリアの胸へと這い登り、とぐろを巻く。その後に煙の如く消えていった。
寝台の白いシーツよりも白い肌をしたシルメリアの、今にも止まりそうな細い呼吸が徐々に安定したものへとなってゆく。
手を突いたままの体勢でブラムスは声を発した。
「居るか?」
「御側に。」
レッサーヴァンパイアが部屋の入り口で礼を執り、己が主の問い掛けにすぐさま返事をした。
「世話を付けろ。」
「・・・女性ですね。サッキュバスを二人付けます。」
ブラムスは返事をせずに暫くシルメリアを見つめていた。
金色の精神は魂の奥深い場所でいまだ眠りから醒めてはおらず、仮初めである人間の身体は幼いままで、髪は茶色だ。瞳は閉じられているのでどんな色をしているかは分からない。が、本来の姿を知っている者が今の姿のシルメリアを見ても彼女と認識するのは難しいと思われる。顔立ちや色素は全く異なり、気配を含めた存在が人間以外の何者でもないのだからだ。
戦乙女が「人間」へ「転生」した姿を視界に捉えたまま成る程、とブラムスは思う。
この状態なればこそ戦乙女が人として生きている場所を把握しているのが、転生を仕掛けた存在(この場合オーディンであるが)しか知らぬというのも納得出来るというものだ。
普通、生きている人間は感情や生存本能等が魂を包み込んで、それらが防御の役目を果たす。たが、シルメリアは瀕死だった。
感情は失われ、生存本能はほぼ機能していない。したがって魂はほとんどが剥き出しの状態となり、その奥に眠る精神体を不死者王だからこそではあるが、目視することが可能となったのだ。
ブラムスは左手の甲で寝台の上で眠るシルメリアの頬を撫でた。
そして玉座の間へと向かう。
主を見送ったレッサーヴァンパイアは寝台の上で眠る人間の女の子をしばしの間睨みつけていたが、サッキュバスを呼びに部屋を離れた。
さしたる目的も無く気の向くままに訪れた場所に、戦乙女の転生した姿に出会うとは。
玉座に腰掛けながら、偶然では言い表せない何かをブラムスは感じた。
片方の口端を上げて不死者王は静かに呟く。
「文字通り『運命』を司る者だな。」
そして闇の中に対なる真紅の印が現われる。
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眠ったままのシルメリアは容態が落ち着くと同時に成長を始めた。一日が人間の一年並の早さで姿が変化してゆく。それに追従するかの様に、傷も癒えていった。
最初は驚いた世話役のサッキュバス二名も、今はその変化を楽しんでいる。寝台の上で横たわる状態のシルメリアを二人で抱えて入浴させたり、夜着を変えたりといった程度なのだが、入浴剤や肌に塗る香油を色々試したり、洗った髪を乾かした後に結ってみたり。夜着も色や意匠を変えたりとさながら着せ替え人形のようだ。
既にレッサーヴァンパイアから報告を受けているブラムスは特に何も言わなかった。
人間は生命維持の為に必要な栄養を口から摂取する。だが摂取せずに生命を保ちなおかつ成長しているというのは人間の理から離れているという事だ。
では何故理から離れていながら人間としてシルメリアは生きているのか。
肉体が本能で生命維持を続けようとしてるのがまず一つ。
次にもう呼び名も失われた「失伝魔法」が完璧に発動しているのが一つ。
最後に魂の奥で眠る本来の「神族」としての影響が人間の肉体へ干渉し始めたのが一つ。
この三つが絡まり影響しあって今のシルメリアの状態を生んだのだ。
だが、いつまでも続きはしない。
始まりがあれば終わりがある。それが人間の、このミッドガルドの理である。
ある夜ブラムスはシルメリアが眠っている部屋に突然現われた。
世話の手を休めて慌てて控えるサッキュバス達に何も言わず、視線さえも与えずに、真っ直ぐ寝台へと歩み寄る。
そしてシルメリアを抱きかかえようと手を伸ばしたその瞬間、寝台の上の身体は内部から金色の光がゆっくりと身体に拡がり、消えていった。瞳を閉じた顔立ちが変わり、その光の残り香のように、シルメリアの髪の色が茶から金へと色を変える。
ブラムスはシルメリアの膝裏と背中に手を這わせ、横抱きに白い肌を絹の夜着ごと抱えた。緩く曲線を描く金色の髪が名残惜しそうに白いシーツから離れて、不死者王の胸へと静かに収まる。
ブラムスは赤い絨毯を上を歩き、玉座の間へと戻っていった。
二人が去った部屋に残るのも又二人である。
「びっくりした!!」
「ホント!!」
サッキュバス達は互いに顔を見合わせながら会話を続ける。
「ねえ・・・。」
「・・・神族だったのね。」
「うーん、あの気配ってさあ・・・」
「戦乙女の末だ。」
「!!」
残された二人のサッキュバスは、いつの間にかこの場所に現われたレッサーヴァンパイアを驚いた顔で見る。
「アンタいつの間に?」
「つーかさー、ブラムス様の金魚のフンにも程があるわよ。」
「ストーカーちっくよねー。」
「あっちの方が可愛げあるよ。」
「大体、我が王もあの人間が神族なら神族と言ってくだされば・・・!!」
「そんなのいちいちブラムス様が言うわけないじゃん。」
「言ったら言ったでさぁ、アンタ相手を殺そうとするでしょ。」
「・・・お前ら、言いたい放題だな!」
キレたレッサーヴァンパイアが零す盛大な愚痴を、サッキュバス達はこの後延々と聞かされる羽目になる。
入り口を通り、玉座の脇を抜け、玉座の真後ろにある壁の前へと立つと、大理石の荘厳な壁が音も無く消えて真っ黒な空間が現われる。
ぽっかりと口を開けた異空間。それは闇の更なる淵への入り口の様にも見えた。
その空間に不死者王と戦乙女が消えて行く。
ブラムスはシルメリアを闇の深淵へと引きずり込んだ。