あなたに伝えたかった”感謝”   作:若杉優太(テト/teto)

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逃げて、全てを失って

 とある日の昼下がり。その日は不思議と雨が強く降る日だった。

 時期は丁度四月の初め頃で、雨も少なく比較的に日中は温かい空気が漂っているのだが、今日だけは急に晴れが曇りへと変わり、そしてあっという間に雨へと変化した。

 

「ああ、もう……!こんなことになるなら、折りたたみ傘持ってくればよかった……!」

 

 変わらず続けているパン屋の定休日に、お出掛けをと思って街へ出てみたのだが、ナンパされたり置き引きされそうになったりと散々な目に遭い、挙句の果てに現在大雨に私は見舞われている。

 お気に入りだった革のロングブーツや、毛糸のセーターが水で濡れてしまうことを悲しみつつ、私は土砂降りの雨の中で唯一見つけた小さなバス停の屋根へと逃げ込んだ。

 

「最悪……全身がびしょびしょになっちゃったよ……」

 

 スカートやセーターが吸い込んだ水を雑巾のように絞り出し、私は大きくため息をつきつつ、バス停のベンチへ腰を掛ける。

 急な雨だったせいか、バス停の外には急いで屋根のある所へ逃げ込む人がちらほら見かけられた。

 

「(はぁ……ほんと、最近調子良かったのにな……)」

 

 最初は安定した収入が無かったパン屋の経営が軌道に乗り始め、最近はバイトを数人ほど雇えるぐらいには金銭的にも余裕があった。

 テレビや雑誌にも取り上げられたりなど、全てが順調に行っていた時に嫌な事が連続するのは少しばかり憂鬱な気分になってしまう。

 そんな私の気持ちを代弁するように、雨はますます強さを増していく。

 

「うわぁ……どうしよう。家まで歩くには歩けるけど、ちょっと遠いな……」

 

 比較的街の近くにある私の家……というよりパン屋から現在居るバス停までは、距離で言うとそこまで長くはないが、この大雨の中を突っ切っていくとなれば少々キツイ距離だ。

 とはいえ、雨が止む気配もしない中でバス停に留まっていても仕方がない。

 そう判断し、私はバス停から出ようとベンチから立ち上がる。

 すると――背後で不意にバタン!と誰かが倒れ込む音がした。

 

「……ッ!?」

 

 人が倒れ込んだ音で身体をびくりとさせながらも恐る恐る、後ろへと目を向ける。

 そこには会社員だろうか?金髪に青いカッターシャツ、白いスーツを肩に掛けた男性がうつ伏せで倒れていた。

 

「え……?だ、大丈夫ですか……ッ!?」

 

 急な事で動転しつつも倒れ込んだ男性の元に駆け寄り、私はひとまず声を掛けた。

 

「大丈夫ですか……!?怪我は……?」

「……」

 

 身体を軽く揺らして男性に返事を求めるが、返事は一向に返ってくる様子が無かった。

 一応、念の為に身体の隅々まで目をやるが、どうやら外傷は無く出血などをしている様子は特に無い。

 

「(どうしよう……こういう時って、救急車呼んだ方がいいんだろうけどな……)」

 

 外傷が無いとはいえ、もしかしたら病気で倒れた可能性も否定できない状況……だが、いざ救急車を呼ぶとなると少しばかり躊躇してしまう。

 心の中で葛藤しながらも、私はとりあえず男性の顔色を確認しようと倒れ込む男性の顔を少しだけ横向きに変える。

 どんな人なんだろうか?そんな軽い気持ちで、男性の顔を覗き込んだ私は直後に目を見開かせた。

 

「……ッ!?あなたは……まさか……」

 

 一年と少し前、偶然出会った名も知らない白スーツの人……眼鏡をしていなかったり、片目を眼帯で覆っているが、彼の優しい顔を見間違える筈がない。

 今ここで倒れている男性は間違いなくその人だ。

 

「(こんな形で再会するなんて、絶対に嫌だったのに……)」

 

 口元を押さえながら、私は思わず言葉を漏らしてしまう。

 本当はこの人とお店で会いたかった。初めて会った時のことや、再び会った時のことを二人で話し合いながらゆっくりとした時間を過ごしてみたい……あの時、この人の去りゆく背中を見ながら強く思った。

 同時に、ずっと元気で生きていてほしいと願ったのに――

 

「なんで……こんなことに……ッ!」

 

 残酷な運命を恨む一声。その声は私を嘲笑うような雨によってかき消される。

 だが、心の中に抱いた疑問、怒り、悲しみの感情はぐるぐると私の中で回り続けた。

 

――ああ、今日という一日が消えて無くなってしまえばいいのに……

 

 雷も鳴り始め、強風によって屋根があるバス停にも雨が入ってくる中、私は濡れた身体のことも忘れ、ただ茫然とその場に立ち尽くすしかなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「また、逃げてしまった……」

 

 先の見えない真っ暗闇の中、私はそう呟く。

 潰れていた左目ははっきりと見えるようになり、大やけどを負った上半身の痛みは不思議と消え去っている真っ暗闇のこの空間。

 そんな空間に違和感を抱くことなく、私は足を一歩ずつ前へと進めた。

 

「私は、何がしたかったんだろうな……?」

 

 自分自身、あるいは死んだ友に語り掛けるように、どことなく呟く。

 渋谷での戦いが終わった後、私はまた逃げるように呪術師を辞めた。

 戦うことへの恐怖から辞めたというよりは、やりがいを失ったから辞めたというのが正しいか?

 辞める際は虎杖君や伊地知君等の親しい人達に何も言わずに呪術高専を去った。私は「やりがいを失った」それだけの理由で、これまでの責務すら捨てて街を放浪し続けた。

 今まで呪術師で稼いだ金を惜しみなく散在し、バーで高級酒を朝から晩まで飲む生活。

 再び戦う仲間を捨てて逃げてしまったという葛藤、そして右目と上半身に走る痛みを忘れるようにして、酒に溺れた。

 そんな目的も信念も失った哀れな私にも、一つだけ望みはあった。

 

――また、来てくださいね!待ってますから!

 

 自分が呪術師として復帰するきっかけを作った、パン屋の女性。

 あの女性とせめて一回だけでもいいから会いたい。そんな思いで女性が経営していたパン屋を目指そうとしていた……そこまでが私が覚えている限りの記憶だ。

 

「こんな所で何をしているんだ、私は?」

 

 先も見えない道を歩いている途中、私はふと呟いた。

 戦いからも逃げ、会いたいと思う人の元にも行けていない今の自分。そんな自分が情けなくて仕方がない。

 

「行かなければ……あの方の所へ……」

 

 自身の情けなさへの怒りをバネにして、私は一歩ずつ踏み締めて歩いていた足を小走りへと変えた。

 先は見えないかもしれないが、それでも前に進むしかない……そんな気持ちで暗闇の中を掻き分けるようにして進んだ。

 進んで、進んで……進んで……足の疲れも感じない程に足を動かし続けた。

 最初は途方もなく思えた空間も、足を進める度に少しずつ晴れてくる。

 同時に前から徐々に差し込む光。それは太陽のように眩しく、腕を覆いながらでなければ前を直視することすら叶わない。

 

「なんだ、この光は……?」

 

 眩しいだけのはずなのに、その光を浴びると穏やかな気持ちになってゆく。

 今まで抱え込んでいた悩みや葛藤が和らぐ感覚と、まるで誰かに包み込まれているような温かさが同時に心へ流れ込んできた。

 「きっと、誰かが見守ってくれているのだろう」そんな確信にも似た直感で、私は光差す方へ腕も覆わずに目を向ける。

 そこには、自分が予想していた通りの人が立っていた。

 

「やっぱり……貴方だったんですね……」

 

 硬くなっていた顔を緩ませ、私は立っていた女性へ微笑みかける。

 対する女性も満面の笑みを私に返してくれた。

 どうやら声は届かないらしく、あちらが何やら伝えようとしているようだが、口をパクパクと動かすことが分かるだけで何を言っているかは分からない。

 だが――

”カスクート、クリームパン”

 この二単語だけははっきりと言っていることが分かった。

 

「ああ、そうでした……貴方にちゃんと伝えなければいけませんね」

 

 信念も希望も失って何も残っていないと思っていた自分にも、責務だけは残っているんだな……私は女性と約束したことを思い出しながら薄く笑いを溢した。

 

「必ず、行きますから。貴方の元へ……」

 

 私が決意を持った目で女性の瞳を見つめると、女性は大きく口を動かし”待ってます”と伝えた。

 そして、次の瞬間……女性から出ていた光が一気に空間を覆いつくす。

 空間を覆う光は私の身体までも包み込み、徐々に私の意識を薄れさせてゆく。だが、恐怖は微塵も感じず、私は身体を包む光を受け入れた。

 頭から霧が晴れるような清々しさ、心が温まる気分。

 ぼんやりとした意識の中で最後に感じたのは、そんな感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上していく。まるで水の中から浮かび上がる様にゆっくりと。

 ぼやけていた意識が少しずつ鮮明になっていき、視界も晴れてきた。

 

「ここは……どこだ……?」

 

 男の意識が覚醒して、すぐ目に入ったのは白い天井だった。

 少なくとも自分の家の天井ではない……そう判断すると、男は仰向けになっていた状態から上半身だけを起こし、自分の身体と周囲を確認する。

 着ていたはずの白いスーツは病衣へと着替えさせられており、現在寝ているベッドも明らかに一般家庭にあるようなベッドではなく病院で使うような大きなサイズのベッドだ。

 

「まさか、ここは病院か……?」

 

 信じられない様子で呟く男だが、傍にあった机に置かれている菓子折りや花瓶に入った花。そして、ベッドに掛けられた名札に書いてある”七海建人様”という文字を見てしまうと信じざる得ない。

 

「(どうして……?何故、私は病院に……)」

 

 現実を受け止めきれない様子の男――改め、七海は神妙な顔で数日の出来事を必死に思い出そうとする……が。

 こちらに近づく人の気配を感じ、七海は一旦思考を止めた。

 

「次は、七海さんの検査をしなきゃな……」

 

 仕切られていたカーテンから見える影、それと聞こえてくる声を聞くと、どうやら若い女性……それも恐らくは看護婦だということは容易に分かる。

 看護婦であろう人影は仕切りカーテンに近づくと、そっとカーテンを開けた。

 

「失礼します……七海さ――っ……!良かった!七海さん、目を醒まされたんですね……!」

「あ、はい……ついさっきですが……」

 

 七海の手を握って、嬉しそうにする若い看護婦。

 まだ、この状況を飲み込み切れておらず、困惑した様子を見せる七海だったが、瞬時に頭を冷静にし女性の言葉から自分がどうなっていたかを考察する。

 

「(『目を醒ました』この言い方からするに、私は長い間眠っていたのか……?)」

 

 最後に記憶が残っているのは雨の中で酒に酔い、傘もささずに街を千鳥足で徘徊していた記憶だけ。強いて言うならば、うっすらと女性に声を掛けられたことぐらいしか記憶に無い。

 やはり、自分がどうなったのかを把握するには記憶を辿るだけでは不十分だ……七海はそう判断し、看護婦の女性に話を聞くことにした。

 だが。

 

「本当に良かった……!あ!急いで、主治医の方に知らせてこなきゃ……ッ!」

「え?あの、聞きたいことが――」

 

「失礼します!」

 

 困惑する七海の質問に答えず、若い看護婦は小走りで病室を後にしてしまった。

 

「……」

 

 そうして一人取り残される七海。しかし、その顔は意外にも冷静を保っていた。

 目覚めたら病院に居ること自体、取り乱してもおかしくないというのに、どこか落ち着き払っている七海の様子。

 今の彼は自分がどうなったかというよりは、”前に再会したパン屋の女性は元気だろうか?”ということに関心が多く向いている。

 何故病院に居るかも分からないというのに、不思議とあの女性のことが気になって仕方がない。

 

「必ず、会いに行きますから……」

 

 窓の外から見える澄んだ青空を見上げ、七海はふっと笑みを溢した。

 ――ああ……早く会いたい、貴方に……




 少し中途半端になってしまいましたが、なるべく早めに続編出しますので、よろしくお願いします!
 pixivにも投稿していますので、そちらも是非よろしくお願いします。   
 URL https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=17237561
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