悪魔姫と魔槍騎士 作:松山主水末吉
【1】
駒王学園高等部一年生・木倉勇一は、困惑していた。
春休みの夜、小腹が空いたので駄菓子でも買いに行こうとコンビニへ向かう夜道で、突然目に見えない何かに襟首を掴まれて吊り上げられたかと思うと、見知らぬ場所に出ていたのだ。閉鎖されて久しい廃工場のようだった。
そして目の前には、巨大な蜘蛛がいた。マイクロバスくらいはある巨体の頭部から、人の上半身が生えている。
しかし人と呼べるのはシルエットくらいで、肌は枯れ木のような色、顔には明らかに人のものではない大きな目があり、口も耳まで裂けて、鮫のような牙を覗かせている。
そいつが自分に向かって腕を伸ばした時、何かが横から飛んできて、自分を抱え上げて助けてくれたのだ。
女性だった。
同じ駒王学園の制服を着た、赤い髪の女性。
二年生のリアス・グレモリーだ。遠くから何度か見た事がある。
もっとも、彼の知るリアス・グレモリーは背中からコウモリのような翼を生やしたりはしてなかったし、ましてやそれを使って空を飛んだり、手から赤黒い光を放射したりもしてなかった。
(俺は、夢でも見てるのか……?)
そうとしか思えない光景だった。ファンタジー系のゲームやアニメから飛び出してきたような怪物と、宙を飛び交いながらそれと戦う上級生など、非現実的過ぎる。
恐れおののきつつ眺めていると、蜘蛛の怪物が腹の先端から糸を放射した。広範囲に放たれた粘着性の糸に、リアス・グレモリーは絡め取られて柱に縛り付けられてしまう。
(──まずい、助けなきゃ!)
そう思った瞬間、勇一は動き出していた。
近くに置かれてあった、長さ二メートルほどの鉄筋の山。そこから一本取り出して構え、走り出す。
「おおおおっ!」
雄叫びを上げたのは、怪物の注意を引き付ける以上に、己れを奮い立たせるためであった。
怪物の後ろ足の間を掻い潜り、丸く膨らんだ腹目掛けて、鉄筋を突き出す。
気色の悪い柔らかい感触が、手の中に伝わった。
怪物が苦痛の叫びを上げた。
直後、蜘蛛の足で蹴り飛ばされ、勇一は壁に叩き付けられてしまう。
怪物が巨体を旋回して勇一の方を向いた時、赤黒い光がロープのように長く伸びて、その全身に巻き付く。
リアス・グレモリーだ。柱に縛り付けられていたはずだが、蜘蛛糸は跡形もなく消滅していた。
そして彼女が、手から伸びる光のロープをグッと引いた瞬間、ロープ状の赤黒い光が怪物の身体に食い込み、細切れにして、消滅させた。
「あなた、大丈夫?」
戦いを終えると、リアス・グレモリーは翼を背中にしまい、勇一に駆け寄る。
「げ、元気いっぱいです……」
強がってみせるものの、その手は恐怖に震えていた。
「……ありがとう。あなたのおかげで、助かったわ」
リアスはその震える手を、両手で優しく、包み込むように握った。
──実は、ピンチでも何でもなかった。あの程度の拘束など、全身から滅びの魔力を放射して、すぐに解けたのだから。
それでもリアスは、この少年の行動に感激した。
突然怪物にさらわれ、殺されそうになったのだ。恐怖のあまり、動くどころか考える事さえ出来なかっただろう。或いは、リアスが戦っているのをこれ幸いと、一人逃げ出したとしてもおかしくはない。
なのにこの少年は、傍観も逃走も選ばず、戦う事を選んだのだ。
その勇気に、胸が熱く震えていた。
「お、俺……俺は……あの……俺……」
勇一は何か言おうとしていたが、言葉が出なかった。
「──いいのよ」
リアスはそんな少年の黒髪を撫でると、後頭部に手を添えて抱き寄せ、自身の豊満な胸の中に顔をうずめさせた。
「大丈夫。もう怖い怪物はいなくなったわ。何も怖がらなくていいの。大丈夫よ……」
小さな子供をあやすように頭を撫で、背中をポンポンと叩いてやる。
勇一もまた、小さな子供のように、リアスにしがみついて──そのまま眠るように気を失った。
【2】
翌朝、勇一は自宅マンションのベッドで目を覚ました。
(俺の部屋──って事は、やっぱりあれは夢だったのか?)
などと考えていると、誰かが同じベッドに入って、自分と密着している事に気付いた。
しかもその人物は、服を着ていない。
起き上がって確かめると、あのリアス・グレモリーが全裸で横たわっていた。
全裸で、横たわっていた。
「う、うわぁあああっ!」
思わず悲鳴を上げて後退り、しかし一人用のベッドなので、そのまま転げ落ちてしまった。
勇一の悲鳴と転げ落ちた音で目を覚ましたリアスは、大きな欠伸をして、ウ~ンと伸びをした。
「あら、起きていたのね。おはよう、木倉勇一くん」
「お、おはよーございます……」
挨拶を返しながら起き上がる勇一。
リアスもベッドの端に座り直し、優雅に足を組んだ。全裸のままで。恥ずかしがる様子は一切無かった。
逆に勇一の方が目線をリアスの裸身から逸らして、居心地悪そうにしている。
だが、今の挨拶に違和感を覚えて、口を開けた。
「あの……」
「あなたの名前と住所なら、あなたが持ってた生徒手帳でわかったわ。一緒に寝ていたのは、あなたが心配だったから──どう? どこか痛いところはなぁい?」
質問の内容を察して自分から説明した後、リアスはベッドから下りて、カーペットの上に座り込む勇一ににじり寄り、顔を近付けた。
豊満な膨らみが自重で釣り鐘状に垂れ下がる。
「だ、大丈夫です……」
「そう、なら良かったわ」
リアスは勇一を抱き寄せて、昨夜もそうしたように顔を胸にうずめさせる。しかも今度は全裸のままでの抱擁なので胸の柔らかさが勇一の顔全体に、ダイレクトに伝わった。
「あ、あの……」
「なぁに?」
「なんで裸なんですか……」
「私、裸でないと眠れないの──ああ、だからビックリしちゃったのね。ごめんなさい、驚かせてしまって」
さっきの悲鳴の理由がわかって、リアスは微笑みながら、勇一の頭を撫でた。
「お台所、借りていいかしら? 朝御飯作ってあげるわ」
「アッハイ、オナシャス」
裸の美女に抱き締められるという降って湧いた幸運に半ば思考停止している勇一は、機械的な返事を返した。
しばらくして、手早く服を着たリアスの作った朝食をダイニングで食べる。
メニューはオーブントースターで焼いた食パンにハムエッグ、コーンスープにコーヒー。。
苺ジャムを塗った食パンをモシャモシャと食べる勇一の仕草を、リアスはテーブルの向こう側から頬杖をついて見つめている。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私は──」
「リアス・グレモリー先輩、ですよね……凄い美人で有名なんで、一方的にだけど知ってます」
「あら、何だか照れ臭いわね」
コロコロと笑いながら、リアスは質問した。
「ところで、ご家族の姿が見当たらないのだけれど、どうしたの? 旅行か何か?」
「いえ、別居中です。社会に出た時に備えて一人暮らしの練習しろって言われて、俺だけこの部屋で暮らしてます」
「そうだったの。でもいくら日本の治安が良いからと言って、高校生が一人暮らしなんて法的に可能なの?」
「たぶんダメだと思います。だから親も、週2で様子を見に来て、一人暮らしじゃなくて家を空ける時間が長いだけ、みたいな体裁を取ってますし」
「まぁ、そうだったの」
「そういう訳なんで、俺、出掛ける前に鍵掛けたはずなんですけど……それに、手帳には部屋番号までは書いてなかったはずなのに、なんで番号わかったんですか?」
「外の郵便受けであなたのお部屋の番号を確認して、玄関のロックは魔力を使って開けさせてもらったわ」
リアスは指先から通常の魔力を放出して細く小さな手を形作り、自分のコーヒーカップを持ち上げて見せた。
そしてそれを切っ掛けに、自分の事を話し始める。
自分は人間ではなく悪魔である事。
昨夜の怪物は『はぐれ悪魔』と呼ばれる、悪魔の世界における犯罪者で、その討伐を命じられていた事。
仲間と手分けして隠れ家を探していた時に勇一の危機に出会し、助けた事。
普段なら笑い飛ばすところだが、実際に現場を目撃したどころか巻き込まれた被害者であるため、勇一はそれを素直に信じて受け入れた。
「──それでね、私からあなたに、大事なお話があるの」
説明し終えたリアスは、テーブル越しに手を伸ばし、勇一の手を握る。
「あなた、悪魔になってみない?」
【3】
チェスの駒を模した物で、これを他種族の体内に埋め込み、悪魔に転生させるのだ。悪魔の弱点も備わってしまうが、悪魔の長所もまた備わる。身体能力の向上、魔力や飛行能力の行使、長い寿命。
また、魔力というのはイメージ次第でいろんな事が出来る。リアスが勇一の前で実演した念動力もどきのみならず、多少の怪我や物品の破損なども簡単に治せるし、肉体年齢の操作も可能だ。
早い話が、限りなく不老不死に近い生物になれるのである。
しかし勇一は今、電車に揺られながら落ち込んでいた。
美人の上級生とお近付きになりたいという年頃の少年らしい下心から二つ返事で了承したが、転生に失敗したのだ。
駒は外見のみならず、特性や価値もチェスをある程度模倣している。
リアスが勇一に与えようとした駒は、最初は
廃工場ではぐれ悪魔に放った鉄筋での一撃は、武術には明るくないリアスから見ても綺麗なフォームだった。それもそのはずで、勇一は小さい頃、病弱な身体を鍛えるために近所の武術道場に通っており、その道場が教えていたのが槍術だったのだ。門下生が減って経営難となり、勇一が中学を卒業する少し前に道場は閉鎖されてしまったが……。
次に選んだのが
しかし、この駒もまた、勇一を受け入れてはくれなかった。
勇一自身の能力が、
落ち込んでいる理由は、それであった。
「元気を出して、勇一。言ったでしょう? 力が足りないのなら、必要なだけの力を身に付ければ良いの」
隣の席に座るリアスが、勇一の手に自分の手を重ねて励ます。
「大丈夫よ。父にはちゃんと話を通してあるから、安心して、私に任せてちょうだい」
そして勇一を抱き寄せて、髪を撫でる。
今二人が乗っているのは、悪魔の棲む世界『冥界』へ向かう特別便だった。
リアスの生家であるグレモリー家は駒王学園の経営者で、日本各地に関連企業を持つ名家だが、悪魔の世界においても、押しも押されもせぬ名門である。
リアスいわく、その実家に勇一にピッタリな武器があり、それを使いこなせるようになればきっと駒も受け入れてくれるはずとの事であった。
列車が冥界の駅に到着すると、リアスに案内されて馬車に揺られ、グレモリー家の住まいたる城に到着した。
ドロドロとした紫色の空を背景にそびえ立つ城は、まさに『悪魔の城』である。勇一はポカンと口を開けて、その偉容に見とれてしまった。
それから二人は、出迎えた銀髪のメイドに案内されて城門を潜り、城の正門までやって来た。
そこに一人の男性がいた。
リアスと同じ紅い髪をしている。
父のジオティクス・グレモリーだ。
「お帰り、リアス」
「ただいま戻りました、お父様。お母様はどちらに?」
「お茶会に出掛けているよ──君が、木倉勇一くんだね? 話は聞いている。私はリアスの父のジオティクスだ」
「は、初めまして、木倉勇一です」
勇一は気を付けをして、深々と頭を垂れた。
「なに、そう緊張しなくていい。早速案内しよう。付いて来たまえ」
ジオティクスは二人を連れて城の奥へと進む。
着いたのは、見るからに頑丈な金属製の大きな扉のある部屋だった。
「ここはいわば宝物庫でね。ここに家宝や貴重品などを保管してある」
ジオティクスが説明しながら、扉に付いてある宝玉の前に手をかざす。
すると扉は、重そうな見た目と裏腹に音もなく滑らかに開いた。
扉の向こうはちょっとした運動場ほどの広さで、ガラスケースにたくさんの宝石や陶器、豪華な衣服や絵画などが保管されていた。
刀剣や鎧などを陳列したスペースもあり、ジオティクスはそこの壁に掛けられた大きな槍を手に取った。
長さは、全体で二メートル程だろうか。
穂先の部分がたくさんの装甲を重ね合わせ、複数のトゲも生えているため非常に大きく膨らんで、物々しい形をしている。
「これは先代当主、つまり私の父が冥界一の武器職人から献上された『鎧の魔槍』だ」
そう言って、勇一に差し出す。
勇一は恐る恐る、両手で受け取った。
──不思議な感覚が、手中に走った。
見るのも初めてなのに、何年も使い込んで来たかのように、手に馴染むのだ。
「そのままでも充分強力だが、本領を発揮するには呪文を唱えねばならない。勇一くん、『
言われた勇一は、深呼吸して気持ちを落ち着けてから叫んだ。
「
瞬間、槍の穂先部分が閃光を発した──否、穂先その物が紫色の光に変わった。
光は無数の帯となって勇一の全身に巻き付き、再度実体化する。
光輝がおさまると、そこには鎧をまとった勇一の姿があった。
黒いインナーウェアの上から、両の肩、手足、胸部、腰回りを装甲で固め、頭部には角の生えた鉢金と頬当てが組み合わさったヘッドギア型の兜。
胸甲には口を開けて牙を剥く悪魔の顔がデザインされていた。
左腕には、左右に刃のついた小型の盾が装着されている。
「その鎧はあらゆる攻撃を弾く防御力を誇り、各部に武器が仕込まれてある。槍その物も、君の意思で、ある程度だが伸縮自在だ。これを君に与えよう。存分に使いこなしてくれたまえ、勇一くん」
ジオティクスは満足げに微笑みながら、勇一の肩に手を置いた。
しかし勇一は浮かない顔である。
「本当に、貰っていいんでしょうか……
「だが君は、娘を救ってくれただろう? 何も知らないまま突然はぐれ悪魔に襲われ、何なら娘を見捨てて逃げ出したとしても責められない状況にありながら……それが出来る君は、立派な勇士だ。英雄だ。私は老若男女や種族の別なく、そんな勇気ある者に敬意を表する。これは娘を助けてくれた勇者への、私からの敬意であり誠意なのだよ、勇一くん」
「……わかりました。ありがたく頂戴します。この槍で先輩のお役に立てるよう、精一杯頑張ります」
ジオティクスの暖かい言葉に、勇一はそう言って頭を下げた。