蒼空の乙女達 ―Maidens in the blue sky― 作:ミヤフジ1945
時刻は0933iを少し回った頃、4~5分程掛けてハーブシガレットを吸い終わった颯華は、合成風によって寒くなっているウィングから足早に艦橋へと戻ると、どうやら艦橋内の空気は何時も通りのアサマへと戻っているようだった。
無論、適度な緊張感は残っていたのだが、過度に緊張したり不安がるより余程良いと颯華は内心そう思った。
(………さて)
艦長席に座りながら、颯華は古びた懐中時計をハーブシガレットが入っていたポケットとはまた別のポケットから取り出した。
予定では、少なくとも
限界まで稼働している蒸気機関の悲鳴じみた音を聞きながら、颯華は懐中時計の秒針が1つ、また1つ時を刻んでいくのを眺めた。
1秒が何倍にも引き伸ばされた用な感覚を覚えながら、ただ
1分……2分……3分……
予定探知時間になっても、レーダー員を務める飛空士要員からの
(もしかしたら………海に沈んでしまったのかも………)
颯華を始め、艦橋内の士官要員の脳裏に最悪の事態が頭に浮かんでは消えていく。
いくら有明海が世界一干満差の激しい海とはいえ、ここまで沖合いに出ていては干潮時でも干潟になることは無い。既に沈んでいた場合、重油や木材等の沈没痕を見つけれる可能性はあったが、
「対空レーダー、目標探知!」
そんな最悪のシナリオを覆すかの様に、レーダー員から待望の言葉を聞いた時は無意識に艦橋内の全員が安堵の溜め息を吐いた。
「
「了解、以後
「了解。以後
レーダー員からの報告を受け、副長のアルマは
また、1
Aをアルファと呼ぶのは、『フォネティックコード』と呼ばれる軍事用語の事で、発音による聞き間違いを防ぐ為に使われる。
「雪奈、
艦橋内が一気に慌ただしくなる中、颯華は艦橋の反対側に立っていた1人の少女に話しかけた。
『
それが彼女の名前であり、アサマの通信機器全てを預かる通信士だった。
「
繰り返す、
…………だめ、
そう颯華に言った雪奈だが、それ以後も様々な周波数に変えて繰り返し呼び掛けてた。
しかし、依然として
「………艦長、多分
流石に全周波数で試して応答が無いのはおかしい。」
あの短時間で全ての周波数でコンタクトを取った雪奈は流石としか言い様が無かった。
「わかった。念の為に、雪奈は引き続き全周波数でコンタクトを取り続けろ。」
「……ん、了解。」
「
「
「10000ftか………少し低いな。」
大体1ft=0.30mと考えれば覚えやすいだろう。
現在のアサマは高度
「八江、浮遊機関出力30%
高度10000ftまで下降。」
「10000ft ヨーソロー」
颯華に言われて、また別のテレグラフを変化させる八江。
浮遊機関は通常出力50%を1(重力に釣り合った状態)とし、そこから加減する事により上昇と下降することが出来る仕様になっている。
出力を絞ったことにより、速度はそのままでゆっくりと降下して行くアサマ。
10000ftまで降下したところで八江は再び出力を50%に戻し、再び重力と釣り合った状態となった。
「ヨーソロー 10000ft!」
「ヨーソロー」
八江が10000ftに到着したことを颯華に知らせ、また颯華はそれを了解した意味を込めて返答した。
「
間もなく視界内!」
「各見張り員は対空見張りを厳となせ。」
艦橋を挟んで、左右ウィングにいる見張り員から了解の返答を受け取り、颯華は軽く息を吐いた。
(取り敢えず、第一段階はクリアだな。)
「
左ウィングで見張りをしていた飛行士要員が
颯華を始めとした、艦橋の中に居る士官要員全員が首に掛けていた双眼鏡を目に当て、見張り員が報告する方向へと目を向けた。
黒い。
恐らく、それが全員の頭の中に最初に浮かんだ言葉だろう。
元々灰色と赤色で綺麗に塗装されていたであろう船体はズタズタに裂け、穴という穴や裂け目からどす黒い黒煙が
かろうじて、主砲等の武装があったのだろう痕跡と、黒煙の隙間から見える何かで削れ見辛くなった艦番号からその船、
(ひどいっ………)
正義感の強いアルマにとって、その光景は辛い物だった。
黒煙の吹き出る船体に空いた無数の穴、あれは正しく砲弾の命中によって穿たれた弾痕だった。
天候による損傷でも、人為的事故でもない。本物の戦闘による損傷艦だった。
「………艦長、あれ。」
雪奈が、通信士として何か気づいたのか、指を指して颯華に知らせた。
「………成る程………そう言う事か。」
雪奈が指差した先、そこには根元から千切れ、無くなったメインマストの残骸だった。
通常、飛空艦は無線やレーダーの送受信距離を少しでも伸ばす為に艦橋の天辺やメインマストにアンテナが搭載されている。それは商船改装巡洋艦のアサマも例外ではない。
その無線機のアンテナを載せている筈のメインマストが無くなっていては、送信する事も、ましてや受信する事も出来ないのだ。
「雪奈、発光信号を送れ。
信号探照灯ならまだ無事かもしれん。
優子、瑞雲航空隊全機発艦用意。」
「「了解!」」
優子、『
「ねぇ颯華艦長、航空隊に武装はさせる?」
「………念の為に
「了解。」
アサマは艦尾部分がテニスコートサイズの飛行甲板になっており、後部主砲と飛行甲板の間に水上機を1~4機搭載出来る格納庫を有していた。
発艦には飛行甲板左右にある火薬式カタパルトにて初速150㎞/hで水上機を射出、発艦を行えるのだが、収用するには一度洋上にアサマ自体を着水させ、クレーンにて回収する必要があった。
颯華は、アサマに搭載されている4機の瑞雲水上偵察機(偵察機と言いつつも、爆撃、空戦も行える優秀なマルチロール機だ。)を全て救助作業中の警戒機に当たらせるつもりだった。
その為、瑞雲には対艦攻撃にも使える
その他、颯華が様々な命令を下す中、雪奈はウィングに取り付けられている信号探照灯で何とかコンタクトを取ろうとしていた。
『ワ……レ……ア…サ…マ』
繰り返し、何度も長光と短光を操ってその文章を送る雪奈。
しかし、一向に返事が返ってこない。
(……お願い、答えて。)
そう思いながら何度も何度も発光信号を送る雪奈だが、黒煙の隙間から微かな光の点滅を確認した時僅かに安堵の息を漏らした。
「………艦長、
「コンタクトが取れたか?
何と言っているか分かるか?」
『ワ…レ……ト…ス…ク…ウ……ケ…イ…ビ…タ…イ
ク…チ…ク…カ…ン……サ…ワ…カ…ゼ』
「八江!」
「九州で『トスクウ』といったら佐賀県の『鳥栖飛空士学校』しかありません!
見にくいですが、艦番号To012を確認しました!鳥栖空警備隊のアサカゼ型飛空駆逐艦 サワカゼに間違いありません!」
颯華に問われた直後、舵輪を離さず、しかも資料を見ることもなく素早く返答する八江。
「……空飛ぶ人間辞書は伊達では無いな」
「艦長いい加減その渾名は辞めて下さい!」
実は、趣味で他校の飛空艦の情報を集めている八江。集めた情報を腰のウエストポーチに入っている携帯端末に記録しながらも、それを全て暗記している中々の猛者だった。たまたまそれを知った颯華は時々に八江を『空飛ぶ人間辞書』とからかっていた。
「よし、雪奈はそのままコンタクトを続けろ。
両舷前進原速。進路030°!」
「……ん」
「両舷前進原速。進路030°!」
「このまま、サワカゼの右舷側に横付けする。」
八江がテレグラフを操作すると同時に舵輪を僅かに左へと回した。
1秒と経たずゆっくりと左へとアサマが揺れる。
速度も緩やかに落ちていき、つい先程まで聞こえていた蒸気機関の悲鳴じみた駆動音も、今はもう聞こえなくなっている。
「両舷前進原速、赤黒無し。ヨーソロー進路030°!」
「ヨーソロー……両舷前進微速」
「両舷前進微速!」
一気に停止まで落としては機関に負担がかかる為、颯華は少しづつ速度を落としていく。
無論、八江はその事を理解している為文句等言うことも無い。
「両舷前進微速、赤黒無し!」
「八江、このままゆっくり近づくぞ。」
「了解。」
速力を30ノットまで落としたアサマは、先程までのスピードが嘘の様にゆっくりとサワカゼへと近づいていく。
しかし、飛空艦にとって30ノットはかなり遅い速度だが洋上艦にとって30ノットは最高速の部類である。
操船を間違えればそのままサワカゼに追突し、瀕死のサワカゼにとどめを指しかねない。
航海長としての八江の腕の見せ所だった。
「………艦長。」
「ん?どうした雪奈。」
「サワカゼから変な信号が来てる。」
「何?」
急いで双眼鏡で覗けば、確かに黒煙の隙間から発光信号が視認出来た。
颯華の専修は砲雷科であり、発光信号や操艦、レーダー操作といった船務科の仕事には疎かったが、艦長として最低限の基礎は覚えている。
『…ニ…ゲ…テ…』
『逃げて』と、サワカゼの右ウィングから出された発光信号は何度読み返してもそう告げていた。
「対空レーダー、新たな目標探知!」
………どうやら、アサマも他人事ではすまなそうだ。