大規模なバーテックスの襲来後の次の日、幸斗は友奈ほどではないにしろ重傷を負った若葉を見舞うために彼女の病室へと向かった。
ひなたが言うにはずっと眠ったままらしい。
病室の扉を開けると、まだ若葉は眠ったままだった。その傍らにはひなたが心配そうに若葉を見つめながら座っている。ひなたも扉を開ける音で誰が来たのか察したようで、すぐに心配そうにしている表情を微笑みへと変えた。
「よく来てくれましたね、幸斗さん」
「前、俺が倒れた時に来てくれたからな。来ないのは何か違う」
幸斗はお見舞い品、と言ってはなんだがリンゴを二、三個買ってきておりそれが入った袋をひなたに手渡した。
「悪い。こんなものしか思いつかなかった」
「いえ。わざわざありがとうございます」
幸斗はリンゴを渡した後、ひなたに進められて椅子に座った。若葉は痛々しい姿で横たわっている。幸斗は一瞬だけ本来なら自分があそこにいるべきだったのではないかと思った。自分の役目は自分で決めたはずなのに、何故こちら側に立っているのかと。
幸斗は無意識のうちに、ひなたに頭を下げていた。
「ごめんな。俺が不甲斐ないばかりにみんなを……」
「謝る必要なんてありません。幸斗さんはしっかり役目を果たしてくれてます。だから、若葉ちゃんも友奈さんも命は無事なんです」
「そう言ってくれると救われるよ」
大事な親友が傷つき、心配だと言うのに、気丈に振る舞うひなたの姿に幸斗は彼女の心の強さを感じた。
自分は彼女のような心の強さを持てるだろうか。そんな疑問はすぐさま考えるだけ無駄なものになってしまった。過去も今も、幸斗は強さとは無縁なのだから。
「幸斗さん」
幸斗は少し、自分の世界に入り込んでいたのか、ひなたの言葉で意識が引き戻された。
「一つ、お願いがあります」
酷く真面目な眼差しを向けられるものだから、幸斗も佇まいを正す。
「珍しい。ひなたが俺に頼み事なんて」
「大切なことです。私個人としてはとても心苦しいのですが、若葉ちゃんにこの先、何か聞かれても答えないであげてください」
「急に手厳しいな」
幸斗の言葉にひなたは苦笑した。
「こればっかりは本人が直接気づかなければ意味がありません。幸斗さんもわかってるはずです」
「……そうだね」
戦う理由。それが今の若葉にとっての大きな課題となっていることは幸斗も薄々感じているところだった。
では自分はどうなのか。ふと気になって一度自分に聞いてみるが、自分ごとだと言うのに黒く塗りつぶされていて読み解くことすらできない。
そんな幸斗とは対照的に、安心したのかひなたは頬を緩めた。
「ありがとうございます」
ひなたは再度幸斗に微笑むと視線を若葉に戻した。幸斗もそれに釣られて若葉へと視線を移す。
「どうしてこうも、若葉や友奈、みんなが傷つかないといけないんだろうな……」
「珍しく弱気ですね」
「俺はこんなものだよ。それにさ、嫌な予感がするんだ」
幸斗の不可解な物言いにひなたは首を傾げる。
「嫌な予感……ですか?」
「ああ。それこそ、取り返しのつかない事が起きそうで」
何故急に幸斗がそんな事を思い始めたのか。
『勇者』というお役目に付いている少女達は優しすぎる。それこそ、誰かを庇って自分が傷つく事を躊躇おうとしない。それが原因で、既に似たような悲劇が今回起きている。
それに、あと一つだけ幸斗には懸念があった。バーテックスの知性だ。今回、大規模な侵攻を防がれたバーテックス達は何を思うだろうか。おそらくだが、次もそれなりの大攻勢を行ってくるだろう。それも上手く退けられた次の場合だ。
最も幸斗が恐れる事態。それはバーテックスの進化体が集団で攻めてくる事ことだった。痺れを切らしたバーテックス達が、自分達を完全に殲滅しようと本気で襲いくる可能性が少なくともある。
「……とりあえず、若葉が気づかない事には何も始まらないけどな」
「そうですね。それに、先程から若葉ちゃんの事ばかり気にしてますけど、幸斗さんも気づかなければいけない事ありますよ」
ひなたが悪戯っぽい笑みを浮かべる。ひなたが何を言いたいのか、幸斗には既にわかっていた。まだ、答えは出ていないけれど。
「答えは出すよ。近いうちに」
「あら、もう気づいていたのですね。流石です」
幸斗は頭の中に久美子の顔を思い浮かべて苦笑いを浮かべた。
もう二度と会うことはないだろうと思っていた人物に気付かされるなんて誰が考えるだろうか。
「それならば幸斗さん。今、若葉ちゃんも寝ていて誰もいないので言わせてもらいます」
「?」
ひなたが改まった口調になって、幸斗に話しかける。
「私は幸斗さんの過去を知っています。何があったのかも。だからと言って、私は幸斗さんの事を軽蔑しようなどとは思いません。死者を弔い、そのために戦うというのも間違いではないと思います」
「………」
無言の幸斗に、ひなたは続ける。黒く塗りつぶされていた記憶が徐々に鮮明になり始めた。
「私には若葉ちゃんの事は分かっても、幸斗さんの事は詳しく知りません。知っていても精々三年前の事です。だから、教えてくれませんか?言い方は厳しいですが、どうして亡くなった親友にそこまで固執するのか。どうしてそこまで自分を責めるのかを」
幸斗は迷った。今まで、若葉やひなた、友奈、杏、球子、千景にあってから一度も自分の素性を話した事がない。精々出身地と名前くらいだ。
話をすれば何か分かるだろうか。今抱えている悩みを解決できるだろうか。幸斗は迷った末に自身の塗りつぶされた過去を直視する事を選んだ。
「………少しだけ、家族の話をしていいか?」
ひなたはゆっくりと頷く。その目には『誰にも言いませんから』という意図が込められているように見えた。だから幸斗は安心して話し始める。
大切な親友に助けられた、自分の過去を。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もう、いつだっただろうか。まともにご飯を食べられたのは。記憶にあるうちには2日前か。いや、下手をすればもっと前かもしれない。与えられた衣服も少なかった。
身体は痩せ細り、見るからに顔に生気はない。その代わり、自分の目の前に座っている兄はどうか。ただ普通に笑顔で、家族と団欒を楽しんでいる。側から見れば、それは異質な光景だったが、当時の幸斗にはこれが当たり前だった。それが普通になっていた。
出来のいい兄は両親から持て囃され、常に比較され、出来の悪かった幸斗は所謂、虐待というものを受け続けた。
「どうしたんだよ幸斗。そんな風に睨みつけて」
兄がニヤニヤとした顔でこちらを見る。それに無性に腹が立ったが、幸斗には何かをする気力もない。
自分でも何かを言おうとしたが突然、頬が弾けた。それが父親に殴られたと判別するのにしばらく時間がかかった。
「お前のような出来損ないが何を刃向かってるんだ。大人しくそこに座ってろ」
幸斗は結局ただただ無言でその場に座り続けた。涙もいつのまにか枯れ果ててしまったのかもう出ることはない。
「全く、本当ならあなたのような出来損ない、産むつもりなかったんだから。仕方なく産んであげて生かしてあげてるのに、文句でもあるの?」
文句などない。あまりの理不尽なものの言いように何も言葉が出てこないだけだ。はっきり言って、生きていたいとも思わない。なんなら、この場でこの家族を逆上させ、自分を殺すように仕向けたいくらいだ。
今思い返せばこの両親は超絶完璧主義者だと言ったらいいのだろうか。両親共に国内最難関の大学を卒業しており、兄は小学六年生でありながら中学2年レベルの数学を解けてしまうという天才だった。
それも相まってか、勉強も出来ず、運動もできず、何も取り柄のない幸斗を見るに耐えなかったのだろう。
最初は手をかけてくれた。色々な習い事だってさせてくれた。けれどそれは次第に何もできない幸斗を見た両親の苛立ちを増幅させていく。その成れの果てが虐待とは、なんと皮肉なことか。周りの家も、学校も恐らく虐待には気がついていた。児童保護団体だって来た事がある。だが、それも意味をなす事なく終わった。
「ご馳走様でした…」
何も食べていないのに手を合わせてから幸斗は席を立った。恐怖心などとうの昔に消え失せた。殴られる事は日常。この先、皿を片付ける際にすれ違う時、兄に罵声を浴びせられるのも日常。これが小学三年生の頃の不知火幸斗の日常。
幸斗が唯一気持ちを安らげる事ができたのは、一人で外を歩く時だった。この時ばかりは家の事を忘れる事ができたからだ。
家族の誰も幸斗の事など見ておらず、出て行こうが家にいようがどうでもよかった。変に束縛されるよりマシだとこの時の幸斗は思い込んでいた。
夕方、近くの公園のベンチに座ってぼーっと自分の同年代の子や、幼稚園の子達が遊んでいるのを見る。
きっと、ここで遊んでいる人のうち殆どが自分のような目に合っていないのだと感じた瞬間には変な笑いも込み上げた。
視界には野球ボールを投げたキャッチボールをしている三人組がいた。
確かあの三人は同じ小学校に通う子だったか。
幸斗は小学校でも孤立こそしてはいないものの、基本は一人だった。何をするにも一人の方が楽だったから。だから、一方的にあれが誰だとかを知っているだけ。話しかけられたりすることはあっても目を見て話す事ができない。閉じた心はそう簡単には開かない。
だが、その閉じた心は簡単にこじ開けられることとなる。
「危ない!」
「え?」
その声が聞こえた次の瞬間、頭に強い衝撃が走った。野球ボールが頭に当たったのだと理解するのに数秒の時間を要した。
「大丈夫?怪我は…あれ?不知火くん?」
一人が慌てて駆け寄ってきた後、幸斗の顔を見てから首を傾げた。幸斗はこの人物を知っている。
「大丈夫?えっと、瑞樹?その子知り合い?」
もう二人が小走りで駆け寄ってきて心配そうに幸斗を見た後、瑞樹と呼ばれた子の首を傾げている様子を見て、さらに二人も首を傾げた。
「同じクラスなんだよ。あまり話したことないんだけどね」
瑞樹が二人に説明する。その様子を見て、幸斗はどこか自分が邪魔をしているのではないかと思い、座っていたベンチを離れようとした。
「待ってよ不知火くん。折角だから一緒に遊ばない?あ、怪我をしてなければ話なんだけどさ」
「いや、俺は……」
幸斗は瑞樹に気を使わせてしまったのだろうかと不安になり断ろうとした。だが、それすら瑞樹の後ろにいる二人によって阻まれた。
「お、いいじゃん!四人なら小さいけど試合できるし。俺は月波瑠夏!よろしく」
「俺も賛成!不知火くんだっけ?名前何?おっと、まず俺が言わなきゃな。俺は一色光輝。光輝でいいよ」
三人の圧に幸斗は怯みながらも、自分も言わなければ失礼だと感じ、三人に答えた。
「……不知火幸斗」
「幸斗ね。よし、覚えた!ほらやろうぜ!」
瑠夏にボールをひょいと投げられて、幸斗はそれを慌ててキャッチした。瑞樹に手を掴まれて、気づけば三人の輪の中に幸斗は組み込まれていた。この日から、幸斗はこの三人と行動を共にすることになる。
最初の間は、この三人のフレンドリーさに戸惑うこともあった。だが、何度も何度も誘われて一緒に遊ぶようになり始めてからは、気がつけば親友になっていた。
それは同時に、虐待を受け続ける幸斗の精神的主柱になった。
それからまた数ヵ月後。
瑞樹達と放課後、遊ぶ事が習慣になっていた。今では一人で外を歩くことより、誰かと一緒にいる方が家の事を忘れる事ができた。今は瑠夏と光輝を待っている状態だ。
瑠夏が家にあった予備のグローブを貸してくれているお陰で幸斗は瑞樹と二人の時でもキャッチボールをする事ができている。
「最初驚くくらい下手だったのに、もう上手くなるなんて才能あるんじゃないの?」
瑞樹がおどけながら幸斗にボールを投げる。幸斗は苦笑いしながらそのボールを取って、ある程度形となった投球フォームで投げ返す。
「なあ幸斗。もしよかったらだけど一緒に野球しない?」
「今こうしてやってるじゃん」
「違う違う。少年野球だよ。俺と瑠夏と光輝は一緒にやってるからどうかなって」
幸斗はその場では返事ができなかった。
家庭状況が家庭状況のため、断った際、どう説明すればいいのか、幸斗にはわからなかった。
「考えておくよ」
だからありきたりな返事を返して、この日は帰る事にしたのだった。
乾いた音が、部屋中に響く。
「お前のような人間に何かを与えてどうなる?無駄になるだけだろう。余計なことはせずに大人しくしてろ」
幸斗は分かっていながらも両親に懇願した。少しだけでいいから野球というものをやってみたい。と。結果は言わずともがな。
兄は嘲笑しながら「残念だったな」と横を通り過ぎていく。
それが不思議と悔しくて兄を睨み返した。
もしかしたら、初めて明確な敵意を見せた瞬間だったかもしれない。
「なんだよその目は」
兄の拳がみぞおちにめり込んだ。幸斗は地に無様に倒れ込む。久しぶりに殴られるのが痛いと感じた。
「誰に何を言われたか知らないけどな。お前は俺とは違うんだよ。雑魚が」
吐き捨てるように言って、兄は部屋を後にした。幸斗はその背中をただ、睨む事しかできなかった。
その日を境に兄の暴力は激しさを増した。終いには、左目の視力が少し低下した。何故そんな事になってしまったのか、幸斗にはわからない。自分はたった一度だけの願いを言っただけにすぎないというのに。
今になって思い返せば、父親なり母親なりに言われたのだろう。べつにだからといって兄を擁護するつもりなど微塵もないが。
だが、この生活も突然終わりを告げる。
学校での身体検査の際、あまりにも不自然な痣や傷が多く、不審に思った医者や教師が自宅へ連絡。児童保護団体、警察へと連絡が周り、遂に最終的には両親が虐待の罪で逮捕されたのだった。
幸斗はこの急すぎる展開に全くと言っていいほどついていけなかった。気づけば、幸斗は病院に連れて行かれ、施設の方に預けられていた。
兄はと言えば事前に両親が話をつけていたのか、親戚の下へと引き取られていった。幸斗も当初は兄についていく予定だったが、この際、別れられるのならば施設に行った方がいいと判断し、施設側もそれを承諾した。
それからまた数ヶ月後。
突然、幸斗に引き取り手が出た。引き取り手は幸斗の近所の老夫婦だった。
この話は後に聞いたことだったが、その老夫婦は娘が社会人となり、家を出ていってしまい、誰かを育てる必要がなくなってしまった。そのため、残りの人生誰かを助けるために使おうとしたらしい。
そこで、ずっと前から気にかけていた幸斗を引き取ろうとしたようだ。
これも後になって知ったことだが、幸斗の両親はかなり近所でも評判が悪かったらしく、いずれこうなる事は予想できていたらしい。
「好きなところに座ってくれていいからね」
お婆さんの方に促されて、幸斗はソファに座る。しばらくするとお茶が出された。
「……これ、飲んでもいいんですか?」
「当たり前だ。死にたいなら飲まなくていい」
お爺さんの中々に厳しい物言いに幸斗は苦笑いをしながら、ありがたくお茶をいただく事にした。こんなに美味しいと思ったお茶は初めてだった。幸斗が一服した所を見て、お爺さんは口を開く。
「……大変だったな」
「え?」
突然、お爺さんが頭を下げる。幸斗は何が起きているのか、全く把握できなかった。
「すまなかった。儂達は、こうなるまで君のことを助けられなかった。傍観し続けてしまった儂達を許してくれ」
台所から戻ってきたお婆さんも深く頭を下げる。
「やめてください。悪いのは両親であってお二人ではないんです。寧ろ感謝しています。こうして居場所を下さった事は」
その言葉を受けて、何故か老夫婦の方が泣き出してしまった。
幸斗も、最初は二人の涙に戸惑っていたが、ようやく自分が解放された事に実感が湧いてきたのか、老夫婦を見て自分も泣き出してしまった。
こうして幸斗はようやく『普通』と言って差し支えがない生活を手にしたのだった。
学校も、転校も選択肢にあったが、幸斗の願いでそのままにしてもらう事にした。何より、瑞希達と別れる事が家族と別れる事よりも辛かった。
この時から、幸斗は少し明るくなったように思える。
友達も自然と増えた。幸斗は周りが自分を避けるようになるのではないかという危機感はあった。だが、実際はそうはならなかった。若干、気を遣っていたという事もあるだろう。それでも幸斗の事を虐げる事なく、同じクラスメイトとして接してくれた。
授業の休みの合間、幸斗は瑞樹と二人で会話をしていた。瑠夏と光輝はクラスが違うので基本、昼休みにならなければ会う事はない。
「ごめんな。ずっと遊んでたのに気がついてあげれなくて」
「大丈夫。寧ろ俺の方が助けられたよ。多分、瑞樹と瑠夏、光輝にあの日会ってなかったら俺、もう何もかも諦めてたかもしれない」
「内容が重たいなあ…」
「お前が振ったんだぞ、この会話」
幸斗のツッコミに二人で笑い合う。今の幸斗には笑う余裕もかなり出ており、体重などもようやく基準の数値にまでなった。
「そういや、幸斗……例の件は?」
「あれか……。あれなら…OKもらった!」
「よっしゃ!」
幸斗と瑞樹は喜びのあまりハイタッチした。こうして喜ぶたびに、あの地獄のような日常がようやく終わったのだと実感が生まれていく。
それから先、三年間は何事もなく平和だった。
普通に遊んで、普通に野球チームに入って野球をして、学校に通って、家に帰って、作ってくれたご飯をありがたくいただいて。遂には人助けなんて始めてしまい、お人好しと呼ばれるようになって。修学旅行の予定を立てて……。
「生きてくれ」
「何言ってんだよ。どうしちゃったんだよ!」
「犠牲が必要なんだ。誰かが犠牲にならなくちゃいけないんだ」
「だから、何言って…」
「俺の手を握れ。ただで力を手に入れるわけにはいかないだろ?」
幸斗を支え続けてくれた瑠夏は、光輝は化け物に殺された。
幸斗を引き取り、『普通』の生活を与えてくれた老夫婦も感謝の言葉を伝える前に殺された。そして、幸斗を絶望の淵から救う手を差しのべてくれた親友を犠牲にして剣に変えた。必要以上に幸斗は与えられたにも関わらず、それを返す事なく、別れを告げられた。
どんな理由であれ、幸斗の心を完全に狂わせるには十分だったのだ。
だからーーーー。
だからこの先、犠牲が必要ならば自分がなろう。そして、自分が見殺しにし、犠牲にしてしまった人たちが紡ぐはずであった人生を、見るはずであった光景を少しでも見よう。
この瞬間、不知火幸斗という人間は既に存在しなくなった。
そこに立つのはただ、死者に固執し、常に自身を犠牲にする場を探し続ける人の形を模倣したどうしようもない何かだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
部分的にではあるがひなたに話し終え、ひなたの方を見ると表情に陰りが生まれていた。
「……そんな事が」
「昔の事だし、あまり気にしないでくれ」
逆に幸斗としても今の話を意識されながら生活されても気まずくなる。
それだけは勘弁願いたかった。
「でも、確かに幸斗さんの話を聞いて納得しました。私だって、若葉ちゃんを失っていたら同じ事を考えているかもしれませんから」
ひなたは小さく何度も何度も頷いた。
「ありがとう、ひなた」
「え?」
唐突な幸斗のお礼の言葉にひなたは首を傾げる。
「本当は話す気なんて一ミリもなかったんだけど、お陰で過去にけじめがつけられた気がするよ。けど、忘れる事はできない。それに、俺が傷つけば皆が助かる。その気持ちだけは変わらない」
最後の言葉を聞いてひなたは俯いた。結局、幸斗の心には誰の声も響かなかった。いや、強いて言うなら届いてはいたのだ。だから、心境は完全に変化していた。幸斗は、今を生きる人のために戦う。『勇者』を守り、この過酷なお役目から少女たちを生き残らせる。だが、そのためには犠牲がいる。そういう結論を導いてしまっていた。
「幸斗さんは、若葉ちゃんに劣らず頑固ですね」
「そうかもな」
「けれど、目は少しマシになりましたね」
ひなたはそう言うと諦めを含んだ微笑んだ。
幸斗は例えるならば、死だけを求める機械から、意味を持った死を求める機械になっただけだ。辿り着く場所は結局のところ変わらない。
「まだ、若葉ちゃんは起きませんね」
諦めに近い目をひなたが視線を若葉へと移す。
「明日くらいには病院の庭で木刀でも振ってるだろ」
「そんな事していたら私が止めます」
幸斗は少しだけ笑った後、今座っている椅子を立った。
「今日は帰るよ。ごめんな?変な話に付き合わせて」
「いえ、私が話させた事ですから。それと、この事は一切口外しませんから大丈夫です」
「ありがとう。助かる。また明日な」
幸斗は軽い挨拶を交わして、病室をでる。それから少し歩いた所で幸斗は心臓の辺りに違和感を感じた。
その違和感は次第に膨れ上がりーーーー。
激痛へと変わった。
「ぐ、が、あああ、い、ああああああ!!」
あまりの激痛に幸斗は膝から崩れ落ちた。目の前が赤く血の色に染まる。痛みで沸騰する脳は、生きたいという本来人間にあるべき姿を完膚なきまでに叩き潰した。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い殺せ、殺してくれ。死なせてくれ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!!
胸をかきむしる。尋常ではない力が出て服を容易に引き裂いていく。そして皮膚にまで到達しても、ひたすらに皮膚をかきむしる。血が出ているのもお構いなし。とにかく痛みを減らす事で精一杯だった。
目には目を。歯には歯を。痛みには痛みを。
「幸斗さん!?」
誰かに幸斗は身体を押さえつけられた。それが誰かすら今の幸斗にはわからない。
「離せ!離してくれ!!痛いんだ!早く死にたい!!早く殺してくれ!!」
「何を言ってるんですか!」
異変に気がついた看護師や医者が加わり数人がかりで幸斗を必死に抑え込む。その日の痛みは幸斗が経験した中で最も凄まじいものだった。それは、過去に決別し、自分のあり方を少しでも変えようとした罰なのだろうか。幸斗は後からそうに違いないと自信を再び戒めてしまった。
激しく吐血して、この日幸斗は完全に意識を失った。それから数週間、幸斗は目を覚ます事はなかった。
『そろそろかな』
相変わらず時の神は不知火幸斗を覗いている。
それ故に、彼が何を考え、どう行動に出るのかを大体把握する事ができていた。
『ここまで来たら、もう流石にあの力に頼ろうとは思わなくなるだろう。あと一押し…。あの力を本当に必要ないと思う出来事があれば……』
何せまだ不知火幸斗は金屋子神の力をたった二度しか使っていない。
武器を使うたびに蓄積されていく呪いも含めればそれなりの回数にはなる。あの苦しみようも納得だ。
『ただなあ…。あの呪いは幸斗には相性が良すぎる。悪い意味でね』
戦うたびに自分を傷つけ、誰かを守る。今、幸斗が抱いている感情に全くもって沿ってしまっている。それが一番実感できてしまうからこそ、あの力は。呪いは危険なのだ。
『そういう意味では、本当に呪いかもしれないね。その力で誰も守れないという事態が有れば……』
時の神はある事に気がついた。言ってしまえば、時の神はこの先の、ある二人の勇者の結末を既に知っている。
『心苦しいが…これしかあるまい…』
時の神は幸斗を覗くのをやめて、大きくため息をついた。本来はその悲劇的な最期を止める予定だった。だがしかし、それでは都合が悪い。悲劇など望まぬこの神にしても、選択肢はたった一つ。幸斗が『金屋子神』の力を拒絶しなければ物語は前に進まない。そのためには犠牲は致し方ないこだ。
時の神の計画に、不知火幸斗という人間は絶対に必要だ。呪いなんかで死なれても困る。
時の神の目的。それはまだ遥か未来を生きる者達を守るため。
そのためにーーーー。
『そのために、君たちには犠牲になってもらうよ…』
時の神は冷酷な表情を浮かべた。ただ、それはどこかわざとらしいものにも見える。
時の神は本音をひた隠し、準備に取り掛かるのだった。