「お父さんどこ行ったんだろ」
私は自分の部屋の窓から外を眺める。折角相談したいことがあったというのに気づけば居なくなってしまっていて何も聞けなかった。
「ちょっと待ってろって言ってから2時間も経ってるよ。ちょっとって少しって意味なのに。どこが少しなの……」
流石の私と言えど2時間待ちぼうけを食らうのは何とも耐えられない所業だ。私はベッドに横になって天井を眺める。友奈と遊ぼうにも既にあの子は寝ている。お母さんも疲れてしまって寝ている可能性が高い。
「私、こんな時間まで起きてたの初めてかも〜」
「そうだね。私もだよって…ええ!?」
視界に映った弥生の顔に私は驚き、咄嗟に真後ろに飛び退ったがために壁に頭部を強く打ち付けた。ゴツンと自分でもわかるくらいに鈍い音が部屋に響いた。
「大丈夫〜?」
「いたたっ……。うん、大丈夫だけど、何で弥生がここに!?あまり驚かせないでよ……」
強く脈打つ心臓を深呼吸をして落ち着ける。三十秒もすると落ち着きを取り戻した。
「夜の11時だよ?」
「知ってるよ〜。ただ、なんとなく私の勘がミユスケの家に行けって言ってたから送ってもらったんよ〜」
私は「そ、そうなんだ」と曖昧な返事しかできなかった。その突飛な発想というか行動力というか、それはいかにも乃木弥生を象徴するものであったように感じた。
「晴哉おじさんは〜?」
「出て行ったきり戻ってきてない」
「そりゃ大変だ〜」
特にそんな事微塵も思ってなさそうな顔を弥生はしている。私がボーッと弥生の顔を眺めていると弥生は何を思ったのか急に私が横になっているベッドにダイブしてきた。
「ちょっと、なになになになに!?」
「久しぶりに一緒に寝るのも悪くないかな〜って」
「弥生。あんた何しに来たの。本当に」
弥生は私の視線など意に返す事なく私の隣に「お邪魔します〜」と割り込んできた。何でこんなにいい匂いするんだこの子は。同性なのにドキドキしてしまうではないか。
「照れてる照れてる〜。美遊たまには可愛いね〜」
「若干失礼な事言われた気がする」
「気のせいだよ〜」
気のせいならば仕方がない。それはいいとして…。
「どうやって入ってきたの?」
「普通に侵入できたよ〜。ザル警備〜」
「お父さん、鍵開けたまま出て行ったのね…」
あの父親、警戒心が強いのかそうでもないのか一体どちらなのだろうか。お父さんもお母さんもガサツなところがあるからそれすら当然のことのように思っていたが普通に考えたらおかしい。
「こんな事はどうでもいいんだよ。何故か弥生が来てくれたし本題に入ろうと思います」
「誰〜?あ、結衣の事〜?忘れてた〜」
「おい」
もしかして真面目に考えてるのって私だけ?だとしたら空気が読めてない普通に痛いやつではないか。
「大丈夫だよ〜。今思い出したから〜」
何でこの子はやはり唐突にこちらを不安にさせる言葉をひょいと軽々しく放り込んでくるのだろうか。
「結衣の事は多分大丈夫だよ〜。それより久しぶりに私と寝てよ〜」
「それはいいんだけど…。あの昼間の雰囲気は何処に行っちゃったのさ」
「頼れるものには頼っておくべきなんよ〜」
「さようでございますか。弥生の私のお父さんに対するその信頼感はなんなのさ」
「晴哉おじさんの話はお母さんから聞いてるから〜」
「まあ、確かに凄い人だとは思うけどさぁ……。変な人だよ」
私はとりあえず頭の中を空っぽにし、弥生が言ったことを一言一言噛み締める。確かに頼れるものには頼っておくべきなのかもしれない。ここでようやく、自分の父親が何しにどこへ行ったのか、大体は想像がついた。多分大社にでも向かったのだろう。
私は改めて横にいる弥生の顔を覗き込む。私の視線に気がついたのか弥生もニコッと笑った。
「やっぱり美遊の隣は落ち着くな〜」
「いつも隣にいるのに今更でしょ」
「その『いつも』が突然に途切れる事だってあるんよ〜。楽しめる間に享受しておかないと」
「弥生って時折難しい事言うよね。私の脳では理解できないよ」
私は弥生から視線を外し、天井を眺める。時は既に日を跨いでいる。こんな時間まで起きているのは正月以来かもしれない。
「弥生はさ、結衣が例え何であったとしても受け入れる?」
私は天井を眺めながらふと思ったことを聞いてみる。どのくらい間があったかはわからない。それでも弥生は私の問いに答えた。
「受け入れるよ。友達だから」
「そっか。安心した」
「もちろん、美遊もだよ〜」
「ふふっ。ありがとう。私も弥生のこと信じるよ。何があっても」
「美遊大好き〜」
「うわあっ!急に抱きつくなあ!私も好きだけど!」
きっと何かあったとしても私と弥生、結衣ならば大丈夫だろうと改めて感じることができた。私と弥生はそれからはなんて事のない会話をしつつ、気がつけば目を閉じて深い眠りについていた。
〜晴哉side〜
時は既に日を跨いでいる。月明かりは静かに異質な二人の存在を映し出していた。
「結局、君はどっちなんだ?一つの身体に二つの人格が宿ってると解釈すればいいのか?」
「素直に貴方に答えるのも、癪だけれど、そうね。そういう解釈で間違いないわ」
俺はうなじのあたりを軽く掻いた。折角ここ10年近くは何事もなく平穏に物事は進んでいたというのに何故首を突っ込んでしまうのか。
「なるほどね。半分は郡千景で半分は新島結衣と。大体予想通りだな」
俺は一人納得する。とは言っても俺はこの子を美遊や弥生ちゃんほど理解しているわけではない。単純に俺が知ったのは構造的な問題のみ。言ってしまえばそれを知ったら何だという感じではあるのだが。
「私からも、聞かせてもらうわ。貴方は…どちらなの?」
「そうだな。不知火幸斗という人間を模倣しただけのハリボテとでも言っておくよ。中身はないから無理やり鷲尾晴哉という存在で詰め物をした感じだ」
「生憎説明が下手ね。まあ、いいわ。今ので大体わかったから」
それから俺と目の前にいる少女は無言になった。沈黙がただでさえ静かな神社に満ちる。互いに出方を伺っている。どのくらいそうしていただろうか。埒が開かないと感じた俺は先に口を開く。
「遅いし送ってく」
しかしこの後、彼女の口からとんでもない発言がなされる。
「別にいい。帰る場所、ないから」
「……は?」
「何度も、言わせないで」
「いやいやいや、ちょっと待て。新島結衣はしっかりと戸籍にも登録されてる。住所だってな。なら…」
俺は目の前の少女の表情を見て全てを察した。そして、前出会った時には見られなかった傷が腕にできているのが僅かながらに確認できた。だから、その先の事は何も言えなかった。
「この子も可哀想よね。助けてって、願ったら、来たのが私なんかだから。やるせないと思うわよ」
俺は呆然となりそうになるのを堪える。それは知ってもいい事実だったのだろうか。だから俺は問う。
「それ誰かに話したりしてないのか?」
すると彼女は皮肉げな笑みを浮かべる。
「新島結衣が、素直に話せる性格ならこんな事にはなってないと、貴方ならわかるのでは?」
「……なるほどな」
俺は納得せざるを得なかった。彼女が言っている事は紛れもなく嘗ての自分に酷似していた。俺と彼女の違いと言えばそれを相談できる相手が最終的にいたかどうか。だが、彼女は相談する事も出来ず、ひたすらに願う事しかできなかった。そして願った末に力を貸したのが郡千景と言う訳か。
「同情か?」
我ながら酷いことを聞いたように思う。しかし彼女はそれを肯定した。
「それもあるわ。ただ……いえ、なんでもないわ」
歯切れ悪く答えると彼女はそれ以上は何も答えないと示すかのように俺に背を向ける。
「とりあえず帰ろう。親御さんには俺から連絡しておく」
「別にしなくてもいいわ。あの二人、きっとこの子に興味なんてないのだから」
「……そうか」
『興味がない』その言葉は俺の心を僅かながらに締め付ける。何故、こんなにもその一言は俺の心を揺さぶるのか。その答えは何処かに転がっているものなのだろうか。俺はとりあえず彼女を車の中に案内する。後部座席に乗ったのを確認してから俺も運転席に座る。
「美遊達に話す気はないのか」
俺はバックミラー越しに彼女の顔を見る。
「それを決める権利は、私には、ないわ」
彼女も俺の顔を少し呆れたような、小馬鹿にしたような表情でみる。
「この子の人生だもの。決断するのは、この子よ。ただ、その決断や選択を誤った場合は、貴方…もといは美遊や弥生に頼む事にするわ」
最後に小さく「私みたいには、なって欲しくはないから」と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。だから俺は聞いてしまった。
「不知火幸斗の事、恨んでるか?」
彼女は不可解なことを聞かれたとでも思ったのか頭にクエスチョンマークを浮かべる。それから「ああ」と何とも鈍い反応を見せた。
「いたわね。そんな人も。完全に、忘れてたわ」
「そうか」
「私にとっては……居ても居なくても…変わらない人だから……」
「………」
俺は何も言えず、それを誤魔化すようにアクセルを踏み倒し、車を加速させる。
後部座席の彼女はしばらくすると意識を失ったかのように眠りについた。それを確認してから俺は彼女の家へと電話をかける。
結果的にはなんの解決にもならず、寧ろ問題を増やすだけではあったが体裁だけは取り繕わなければならない。その際、彼女の両親と話し、久しぶりに怒り心頭になったのは別の話。血圧上がって死ぬっての。
私が朝、目が覚めると自分の隣ですやすやと気持ちよさそうに眠っている弥生を見てギョッとした。だが、昨夜のことを思い出し何故弥生がここにいるのかが瞬時に理解できた。弥生の寝顔は同性である私にすらとても愛くるしいものに思え、ちょっとした悪戯もしたくなってみたりもする。
鼻でも摘んでやろうか。そう思った時、部屋の扉が開く音がした。私はそちらを振り返る。そこには何故か結衣がいた。
「珍しいね。こんな朝早くに。どうしたの?」
時計の針は六の所を指している。私が知る限りでは結衣がこんな時間に鷲尾家を訪れることはない。それが普通だとは思うのだが、いかんせん私は弥生のせいで感覚が十二分にズレてしまっている。
結衣は何度も口を開いては閉じを繰り返した後、ようやく決心がついたのか一歩私の部屋に踏み込み、躊躇いながらもポツポツと言葉を漏らした。
「しばらく、ここで暮らすから…その…、よろしく」
「……………ええ!?」
「ひゃぁ!?」
私が大声を出すと、隣で眠っていた弥生も変な声を上げて飛び起きた。
私は結衣がパンにバターをつけている様子を見ながらオムレツを食らう。お父さんの話によればちょっと特殊な事情が何たらと言われたが、混乱していた私には到底不要なお話であった。
絶賛お父さんは友奈と遊んでいる最中である。結衣の視線がちょくちょくそちらを向いているのを私は知っている。
「可愛いでしょ。私の妹」
私は誇らしげに言う。
「そう、だね。あの、美遊。私も後で触っても大丈夫かな?」
「うん!寧ろ遊んであげてよ。多分、遊び相手が私たち家族だけだと飽きちゃうだろうしね」
私がそう言うと結衣の顔にも少しだけ笑顔が咲いた。満開とまではいかなくても十分な気もする。先程までのように緊張してガッチガチであるよりマシだ。
「いいな〜結衣〜。私も遊びたい〜」
弥生が私を忘れてると言わんばかりに声を上げる。
「あ、忘れてた」
「酷いよ〜。流石の私も泣いてしまいそうだよ〜。泣いていい?もれなく美遊の胸の中で」
「泣いてもいいけど服は汚さないでね。これお気に入りだし」
お母さんプラス夏凛さんセレクト仕様のこの服。もはや機能性だけを重視し、お洒落などとは縁遠い。だが私はこの感じがとても好きだ。楽だし。
「言っておくとアタシだって普通の服持ってるからな」
「何も言ってないよ」
「どうだか」
私がくつくつ喉を鳴らしていると、友奈をあやし終わったお父さんがお母さんの服装について感慨深そうに頷いた。何かあるのだろうかと私の視線はお父さんに釘付けになった。
「銀、たまーに可愛い服着てくるよなあ。俺はそれを見るのが楽しみでグハアッ!!」
「あっ、ごめん。手が勝手に」
「褒めただけなのに……。俺悲しいよ」
今のはあまりにも不憫であった。久しぶりにお父さんに同情した気がする。そんなお父さんは攻撃された箇所をさすりながら再び友奈のもとへと戻って行った。
とても私のことが苦手などと宣っていた人とは思えないほどの子煩悩ぶり。友奈に少しだけ嫉妬してしまう。
「んんっ。ハルヤの言う通り私だってたまにはお洒落もするさ」
「へぇ。私、物心ついてからお母さんのお洒落な所見たことない」
「失礼な。まあ、娘の前ではそんな姿見せないってのがアタシのポリシーってやつだ」
「ソウナンダー」
無意識のうちに自分の母親のファッションセンスをなじっていたようである。自分ではそんな気など一切無かったのに。大変申し訳がない。
私とお母さんが睨み合っている時、結衣がとても申し訳なさそうな声音で私のお母さんに問いかけた。
「あの、本当にしばらくここにいてもいいんですか?」
私はその質問の仕方に若干引っかかる何かを感じたがすぐにその違和感は霧散した。
「全然いいよ。寧ろずっといてくれても構わないくらい」
「……ありがとう、ございます」
小さく結衣はお母さんに会釈する。私は二人の不思議な会話を聞きながら残っていた自分のパンを口に放り込んだ。
〜結衣side〜
朝、気がつけば何故か美遊の家にいた。そういえば昨日の夜、私は何していたのだっけ。時折私は記憶がごっそり抜け落ちる事がある。この記憶喪失?っぽい状態は私が助けてくれと何かに縋った際に時に起きやすい。
だが、それは私にはとても好都合だった。だって記憶が抜け落ちている際は何もかもを忘れられる。怒号も、罵声も、痛みも苦しみも何もかも。
逃げ出したい。それはいつも私が願っている事。だから、美遊の父親に告げられた事実は私を心の底から舞い上がらせた。近くに美遊、弥生がいる。それはどんなに心強い事だろうか。いずれ、この二人になら話してもいいかもしれない。私が抱える秘密を。
ああ、家に帰りたくないな。
帰ったらまた痛いんだろうな。苦しいんだろうな。
何で美遊と弥生はこんなにも幸せそうなのだろう。
どうして私だけ。こんなに苦しまなくてはならないの?
きっと秘密を打ち明けたところでこの二人は私の気持ちなど心の底からわかってくれるのだろうか。
何で私は……、大切な友達すら信用できないのか。
ああ…もう…
意味わからない
また再び、影がぐらりと揺れた。