花を咲かせ、未来に繋ぐ [加筆修正中]   作:まんじゅう卍

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ノーユウシャ・ノーライフ(下)

 夕霧詩織の葬儀は曇天の雨が降りしきる中で行われた。

 喪服に身を包んだ人々が多く参列しており、俺もその一角にいる。

 詩織の遺影だけはいつものように笑っていた。いつも見ていたはずなのに、僅か二日足らずでここまで遠い存在になってしまった。

 俺はまだ詩織が亡くなってから一度も泣けていない。悲しいはずなのに、まだ居なくなってしまった事を信じられないから、認めたくないから。

 代表として詩織の父親が弔いの言葉を述べているが、それすらも頭に入ってこなかった。

 続いて献花の儀が執り行われ、詩織の家族の意向で俺も詩織に献花する事が許された。階段を登り、白い装束に身を包んだ大赦の職員から花を受け取る。

 棺の中の詩織は綺麗に死化粧が施され、苦痛で歪んでいたはずの表情は穏やかなものになっていた。花をそっと詩織の顔の横に置き、手に一度軽く触れた。その手は異常なまでに冷たかった。

 俺はまだ泣かなかった。泣かなかったが、その場を離れる事ができなかった。今、ここを離れて仕舞えば本当にそれは認める事になってしまう。現実を、見たくもない光景を。

 

「晴哉くん」

 

 詩織の父親に小さく声をかけられ、俺はその場から離れざるを得なくなってしまった。

 勘違いするな。一番悲しいのは間違いなく詩織の両親だ。迷惑をかけるな。と無理矢理自分に言い続けて階段を降り、所定の位置に戻る。

 その後も詩織は国を守った英雄だのなんだのと評され、挙げ句の果てに神樹様と共に生きる事ができる。喜ばしい事なのだ。と神官は告げた。

 俺はそれを聞いて、自分の手のひらに爪が食い込み、僅かに血が滲んだのがわかった。

 

 

「……兄さん」

 

「ああ、須美か。どうした?」

 

 俺は式の休憩時間に入ると外でずっと空を眺めていた。そこに須美が声をかけてくる。

 須美は僅かに目の当たりを赤くしていた。流石に友達を失った事は辛かったのだろう。

 

「兄さんは、悲しくないの?」

 

「悲しいよ。けれど、なんだろうな…」

 

 真面目な須美の事だ。俺が詩織の死を悼んでないと思ったのだろう。そんな事はない。他の人達同様に悲しいし、苦しい。

 須美は俺の隣に腰掛ける。そして俺の顔を覗き込んだ。

 

「強がらなくてもいいのよ。兄さん、今にも泣きそうな顔をしてる」

 

 そう言われて覗き込んだ水たまりに映る自分の顔は言われた通り酷いものだった。

 俺は誤魔化すように須美に言う。

 

「大丈夫だよ。先戻っててくれ」

 

「でも……」

 

「いいから。ごめん。今は、一人にさせてほしいな」

 

 俺がそう言っても、須美はその場を離れようとしなかった。聞こえなかったのかと、今一度繰り返す。

 

「須美?言ったよな。先戻ってくれって」

 

「ごめん。兄さん、それは聞けない。私は大事な人を失う痛みはわかるわ。私がそうだったから。こういう時、一人でいるとどんどん辛くなっていくの」

 

「……そう言うものか」

 

「そうよ。私には兄さんが居た。お父様がお母様が居た。沢山助けてもらった。だから、今度は私の番」

 

 須美はそっとこちらに寄り添う。須美の温かい手が俺の手に触れた。詩織とあまりに対照的な温もりに、俺はようやく実感が湧いてきた。

 詩織は死んだのだと。

 目の奥から熱いものが込み上げる。もう、我慢の限界だった。

 

「くっ、うう。ああああああああああああああ!!!」

 

 須美の前でみっともなく声を上げた。恥ずかしいなんて感情は一切湧かない。涙の一つ一つに詩織との思い出が含まれ、溢れていく。

 認めたくなかった事実を俺は自然と認めていった。

 須美は何も言わずに隣に居てくれた。一度溢れた思いは留まる事を知らず、俺は泣き続けた。

 

 

 

 

 

 ようやく涙が止まった頃には雨が小雨になっていた。

 

「兄さんも子供みたいに泣きじゃくるのね」

 

 微笑みながら須美はそっとハンカチを差し出してくれた。俺はそれをありがたく借りて目の周りだけ拭う。

 

「ぐすっ。うるさい」

 

 俺は今になって羞恥心が湧き、須美にぶっきらぼうに答えてハンカチを返す。

 

「兄さんが泣いてる間にもう式も始まってしまったわよ」

 

「悪かったよ…。ちゃんと、お別れしないとな」

 

 

 

 式場内に戻った俺と須美は静かに所定の位置に座った。周りからの視線も一瞬だけで気になる程でもない。

 前を向けば、やはりそこには詩織の遺影。

 何度見ても写真の中の笑顔より、普段の笑顔の方が綺麗だ。

 

「さよなら。詩織」

 

 詩織の棺の蓋がゆっくりと閉められる。

 こうして詩織の物語は終わる。

 

 はずだったーーーーー。

 

 

 詩織の葬儀から一ヶ月近くが経った。悲しみも簡単に消えてくれるわけではなく、なんだかんだと引きずりながらも俺は普通の生活に戻っている。

 今日は学校もなく、本を読み漁ることに決めていた事もあり部屋に籠りっきりになっていた。時計を見ると、既に針は三時を回っていた。

 

「…すごい集中してたんだな」

 

 俺は何の気なしに自室の扉を見る。バァン!といつものように詩織が勢いよく扉を開けて、外に連れ出してくれるのではないかと淡い期待を込めた。

 だが、何分そこを眺めていようと変化は訪れない。

 

「来るわけないか」

 

 ははっ。と投げやり気味に笑い、俺は再び本に目を落とす。

 詩織の死を認めたつもりだったのに、まだ俺は認められないらしい。

 それからまた一時間後、扉が開く音がしてそちらを振り向くと驚いた様子の須美と銀、園子が部屋を覗いていた。

 

「どうした?そんな表情して」

 

「いえ。兄さんの反応速度が異常に早かったから驚いて……」

 

「いつもと変わらないと思うけどなあ。銀もいるって事はイネスにでもいくのか?」

 

 少し期待した。とは言わずに適当に銀を引き合いに出して話を逸らす。あまり須美達に気を遣わせたくもない。

 

「そうそう。アタシ達、今からイネス行くんだけどハルヤの兄さんもどうかと思って」

 

「一緒に行ってもいいなら行くよ」

 

「もちろんだよ〜。ほら、早く行こ〜」

 

 気を紛らわしたかった俺は銀の提案を受け入れ、本を閉じ、園子の手に引かれるように外に出た。

 

 

 最近、あまり外の光景に目をやっていなかったからか、久しぶりに見た景色はところどころ変わっていた。少なくとも、蝉がいつのまにか居なくなっていた事には驚きでしかない。

俺がそんな事に感動を覚えていると、三人の話題は知らぬ間に二転三転しており、俺は急に銀に話題を振られた。

 

「ハルヤは今度の遠足どうする?」

 

「遠足?そんなのあったか?」

 

 あったような気はする。記憶にはない。

 俺の微妙な反応に銀は自分の発言に自信を失ったのか、須美と園子に「アタシ間違ってないよね」と不安げに聞いていた。二人が頷いている感じ、俺が間違えているのだろう。

 

「遠足があるのは来週よ?」

 

「マジかよ。全然知らなかった」

 

 須美が小さくため息をついた。

 

「ハルスケは先生が話してる時眠ってたもんね〜」

 

 園子がニコニコしながら当時の俺の状況を教えてくれた。なんだろう。同族でも見つけたようなその表情は。

 俺は園子が寝ていて、先生に怒られる分を肩代わりしているようなものだと言うのに。

 

「遠足って言ってもどこ行くんだ?うどん巡り?」

 

「兄さんはどうかしてると思うわよ」

 

「アタシはいいと思うけど?うどん巡りの遠足」

 

「ほらみろ。ならそれに決定だな」

 

 勝手に遠足の内容を決定する。須美は案外それも悪くないと思い始めたのか、急に唸り始めた。謎の葛藤が須美の中で繰り広げられているのを他所に、ちゃんとした内容を聞くことにした。

 

「ちなみに本当は何なんだ?」

 

 答えてくれた園子曰く、町外れにある国内最大級の庭園やアスレチックコースがあることで有名な公園らしい。

 行ったことはない気がする。

 

「兄さん、私と行ったじゃない」

 

「は?マジ?」

 

「私がこっちに来てから直ぐに、兄さんが突然行くぞって言って私を無理矢理外に引っ張り出した時行ったわ」

 

「マジかよ」

 

 全くと言っていいほど記憶に残っていない。須美は俺が忘れてしまっていた事に拗ねたのか頬を膨らませている。

 

「結構、楽しかったのに」

 

「……すまん。あの時は必死だったから」

 

 言われてようやく記憶の淵からじわじわと当時の記憶が蘇ってきた。確かに俺は無理矢理、須美を外に連れ出して近くの公園だとつまらないからとわざわざ遠出した。

 須美に色々と街のことを説明しながら歩いて、バスに乗って。子供ながらに何処か遠い所に行こうと考えたのかもしれない。

 

「あったな…そんな事も」

 

 ボソッと呟いたつもりだったが、園子の耳には入っていたらしい。

 

「なんだかハルスケとわっしーの仲って素敵だよね〜。私、とっても憧れるんよ〜」

 

「普通の兄妹だと思うけどなあ」

 

 ただ、他人から見て仲睦まじいと見えるのならば、それは評価としてはかなり嬉しい所ではある。須美との関係をしっかりと築けた事に違いないから。

 

「っと、なんだかんだとイネスだね」

 

「私、今週三回目なんよ〜」

 

「残念だな園子。アタシは既にこれで五回目だ!」

 

この人たち、来すぎではないだろうか。さしもの四回目の俺もびっくりだ。まさか上回る人物がいるとは思わない。

 

「ハルヤ、バナナはお菓子に入らないからな」

 

「突然なんの話だ。ああ、なるほど。今日はそう言う目的ね」

 

 先程の遠足の話とようやく話が繋がった。

 しかも銀の提案で誰が一番上手くお菓子を買えるかという謎勝負まで始まってしまった。しかもチーム戦。

 

「兄さん、やるからには勝ちましょう」

 

「どうしてこうなる」

 

 当たり前のように俺は須美とチームを組み、敵チームの園子と銀は真っ先に駆け出して行った。

 こう言う時、やる気になるのが須美の良いところだったりするのかもしれない。行きすぎる時は俺が止めてあげれば良いのだから。

 

「お菓子に上手く買うも何もないと思うんだが」

 

「気にしたら負けよ」

 

「それもそうか」

 

 財布の中には五百円。確か話を聞いた感じ、お菓子の規定はお約束のように一人三百円と来た。一応、お金には困らない。ただ、もっと有意義な使い方があるのではないかと、咄嗟に思いついたことがある。

 

「……この金でジェラート買って帰らないか?」

 

「ジェラートがその日まで持つと思ってるの?」

 

「妹がここまで頓珍漢になるとは思わんでしょうよ…」

 

「兄さんの方が頓珍漢よ」

 

 一体何がこの子を惹きつけるのか。俺には何もわからないまま、腕を引っ張られ半ば強引にお菓子コーナーへとその身を投じる事になった。

俺はあちらこちらを物色して、自分なりに良さそうなものを選んでいたのだが、わからないことが一つあった。 

 隣にいるはずの須美に聞いてみる。

 

「ちなみにこの試合の勝利条件ってなんなんだ?」

 

「私に聞かれても。そのっちと銀、何も言わずに走っていっちゃったし」

 

「あの二人、いつも何処か突っ込んで行きがちだよな」

 

 ただ、そう言うことで盛り上がれるのは大変羨ましい。最近、お菓子を食べようと思っても昔ほど喜びを感じなくなってしまっている。

 

「兄さんは何がいいと思う?」

 

「須美が欲しいもの買えばいいんじゃないか?」

 

「それがわからないから聞いてるのに…」

 

 難しい質問をされたものだ。とりわけ、須美は和菓子が好きだと言うイメージしかない。最近ほぼ毎日のように一緒に煎餅食ってるし。お陰で顎は強化されたのだが、確かに遠足のお菓子で煎餅というのもいただけない。

 

「クラスの人との交換とかありそうだしな」

 

 煎餅を差し出す須美はあまりにも須美すぎて俺は安定性しか見出せない。遥か昔、奈良県という場所では鹿が街中を闊歩し、そこに住む人々が煎餅をあげて飼っていたという話もある。なんだかそれに近い…のか?

 

「良かったな。クラスメイト飼い慣らせるぞ」

 

「なんの話?」

 

「忘れてくれ。これなんてどうだ?」

 

 俺が商品棚から取り出したのは旧世紀から長い間親しまれているキノコとタケノコをモチーフにしたお菓子だ。俺が取り出したのはタケノコの方だがなんでも未だに論争に決着がついていないらしく、時たま愛好家たちの間で激しい言葉の応酬があるとか何とか。

 

「なんでそんな渋い顔してんの」

 

「嫌よ。喧嘩になりそうで」

 

「誰と」

 

「兄さんと」

 

「……おい、まさか」

 

「ごめんなさい、兄さん。私はなんと言われようとこっちの道を行くわ」

 

 須美はスッと商品棚に手を伸ばし、もう一つの種類であるキノコの方を手に取った。

 

「決着つけようじゃない」

 

「俺はお前がこの謎すぎる論争の事を知ってる事に驚きだよ。知らないと思って提案したのに」

 

 タケノコとキノコが私たちのために喧嘩しないで!と的外れな事を言っている声が何処からか聞こえて来た。

 

「……ちなみに須美、何処で知ったん?」

 

「兄さんの部屋の本よ」

 

「あれ読んだのかよ。俺買って後悔してたのに」

 

 この国がこんなくだらない事を三百年弱続けていることに俺は若干呆れていたりする。大赦もそろそろ検閲すべきではなかろうか。

 

「なんで兄さんはタケノコ派なのかしら?」

 

「なんでって言われてもな。単純に目に入ったから提案しただけなんだけど…」

 

 俺がそういうと須美は残念そうにキノコの箱をカゴの中に入れた。もしかして、このお方、あの論争ガチ勢だったのだろうか。それはさぞかし期待させてしまった事だろう。

 

「とりあえず一個は決定したな。あとは何がいいかな」

 

「残りは100円くらいね」

 

「俺はまだ300円残ってるし、折角ならタケノコ買っとくか」

 

 俺は手に持っていたタケノコの箱をカゴに放り込んだ。ああ、俺たち兄妹はかなり罪な事をしている。何せクラスを真っ二つにしようとしているのだから。

 

「お互いに残りはほぼ一緒ね。兄さん、これなんかどう?」

 

「…小学生が好んで食べるお菓子には見えないな」

 

「やっぱり私には難しいわ」

 

 須美は結局、この一つ以外は何も買う事はなかった。俺も大して欲しいものがあったわけでもなく、余ったお金はお小遣いにでもしようと思う。

 先に買い物が終わってしまった俺たちはいつものフードコートで二人が来るのを待つ。談笑している間に、俺と須美は勝負の事なんて忘れきっていた。

 

「あれ?二人とも早いね」

 

「遅かったな。って、は?」

 

 俺は自分の目を疑う。振り返った俺の目には体量の袋を抱えている園子と銀の姿が映っていた。

 

「あの、そのっち?銀?」

 

「皆まで言わないで欲しいね。アタシの園子には数種類なんかな選ぶことはできない!」

 

「威張ることでもないだろ…」

 

 誇らしげに胸を張る銀を見て俺は苦笑いを浮かべた。

 チラッと園子の手を見るとその手には黒いカードが……。

 

「園子、お前クラスメイト全員分でも買う気だったのか?」

 

「全然〜?私もみのさんと一緒で途中から楽しくなって来ちゃって、気づいたらこんなになってたよ〜」

 

 こんなになってたからと最も容易くレジを通せてしまうその財力は流石としか言えない。

 この大量のお菓子たち、ちゃんと食べてもらえるか心配してそうだ。

 

「ハルスケとわっしーは何を買ったのかな」

 

「互いに一つずつだな。これとこれ」

 

 園子と銀に見えるように俺は袋から商品を取り出した。

 

「普通だね」

 

「わっしーとハルスケしては普通だね〜」

 

 普通。なんて甘美な響きだろうか。そして須美は何も言わずに二つのお菓子を袋に戻し、この一連全てのイベントにチェックメイトをかけるべく特大の一撃を放った。

 

「そのっちと銀は予算超過で脱落ね」

 

 園子と銀は無言で互いを見遣る。そして二人、見事なシンクロで頭を抱えた。

 

「「ジーザス(なんよ〜)!!」」

 

 満足げに勝ったことを喜ぶ須美を横目に、俺は可哀想なものを見たようなきがして、目元を軽く拭ったのだった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで俺と須美は自分の家にまで戻ってきた。

 俺は一言、二言母親と言葉を交わしてから再び自室に戻るために階段を登り、いつものように部屋の扉を開ける。

 視界にはいつものように白いワンピースを着た詩織がふわふわと宙を浮いていた。なぜ俺はそれを一瞬受け入れてしまったのだろうか。

 

「あ、やっと帰って来た」

 

 その嬉しそうな声を聞いた瞬間俺は勢いに任せ、開けた扉を速攻で閉じた。そして隣の須美の部屋にノックもせずに飛び込んだ。

 

「きゃあ!?に、兄さん!入ってくるならノックして!」

 

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

「は、はあ?何、どうしたの?」

 

「し、し、し、し、し、し、し、し」

 

「し?用事があるならはっきり言ってちょうだい」

 

「詩織が!」

 

 言葉にならぬ悲鳴を引っ提げ狼狽える俺を見て、須美は呆れたようにため息をついた。

 

「そんなわけないじゃない。あのね、兄さん。いくら詩織の事を引きずってるからと言って……」

 

 次は須美が黙る番だった。須美の目は一点を見つめており、硬直している。試しに肩を突いてみると、須美は錆びたロボットのような音が出そうな雰囲気でこちらを見た。

 俺は釣られるように須美が見つめていた一点を見上げた。

 やはりそこにはいる。

 詩織の霊が。

 

「久しぶりだね。晴哉、須美ちゃん」

 

「「喋ったあああああああああああああああ!!!」」

 

 俺と須美の悲鳴が、広い家中を雷鳴の如く駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

「どういうことか説明してもらおうか」

 

 何とか平静さを取り戻し、俺と須美は詩織を正座させた。空中に。

 

「なんかコミカルじゃない?」

 

「コミカルだろうがマジカルだろうがなんでもいい。さっさと答えろ。お前は何でここにいる」

 

 ふわふわと宙を浮いている詩織に質問しながら、俺はため息混じりの息を吐いた。

 

「ボクに言われたってわからないよ」

 

「どういうこと?詩織は無意識の間にここにいたの?」

 

「その通りなんだよ須美ちゃん。ボクだって混乱してるさ。ほら、今もぐるぐる目が回ってるだろ?」

 

 そう言いながら空中を呑気に錐揉み回転する詩織。そりゃ、お前が回転すれば目も回るだろうよ。

 妙なボケをかまされ、俺はそれをつまらん。と一蹴した。

 詩織は俺の反応が気に入らなかったのか唇を尖らせる。

 

「割と渾身のボケだったのに」

 

「お前はもう少し自分のことだと思って真剣に悩んでくれ」

 

 詩織は特に悩んでもなさそうな様子で正座から姿勢を変えて、胡座を組んだ。

 

「ボクとしてはこうして晴哉と須美ちゃんと一緒に居られるから現状に不満はないんだけどさ。やっぱりおかしい?」

 

「おかしいというより不気味だ」

 

 一瞬だけ嬉しいと感じたが、冷静になれば冷静になるほどこのような怪異に身震いしたくなる。

 

「不気味と来たか。そうだよね。ボク、死んでるもんね」

 

「悪いけど、事実だからな。何があったかは知らないけど」

 

「ボクも話す気にはならないよ。それより、これから何しようか」

 

「能天気ね。でも、そのくらいがいいのかしら」

 須美の言葉通り、自分がこんな状況であるのに詩織は大変能天気だった。

 

「一応聞いておくけど、詩織は他の人には見えてるのか?」

 

「え?見えてないよ。晴哉と須美ちゃんがボクを見つけてくれた初めての人さ」

 

 ここに来て新事実。まさかの視認できるのここの二人だけという。

 詩織は両親の元にも行ってみたみたいだが、両親には詩織の事が見えなかったようだ。詩織が薄情な人たちだよね。と目の端に涙を浮かべていたのは、こちらもウルッと込み上げるものがあった。

 

「というかボクとしてはまさかこんな形で戻らされるとは思ってなかったよ。このまま神樹様と共にあれると思った矢先にこれだからね」

 

「それは…、良いのか悪いのかって感じだな」

 

 心中お察しすることはどうにも出来なさそうだが、本人が命懸けで【お役目】とやらに取り組み、ましてや神樹様の元に向かえるかと思いきや、こちら側に戻ってきてしまったのは不憫でならない。

 

「ま、どうにかなるでしょ。あと、一つこの世界において致命的なことがあるんだよね」

 

「お、おう。急にどうした。そんな真顔になって」

 

 しかも世界と大きく来た。妄言でもなんでも良いから一先ず話させて終わりにしておこう。そう思って居住まいを直して、黙って詩織に話の先を促した。

 

「えっとね。ボクってこの国をずっと守ってたんだけど、まだ全部倒さないといけない奴らを倒して切れてなくて。あはは、この世界はあと数日後には終わっちゃうんだ」

 

「「は?」」

 

 この時、俺と須美の目は点になっていたに違いない。詩織は気まずそうにぎこちない笑みを浮かべている。

 

「ま、これも気にしなくていいよ。どうせ終わりは皆平等だからね。責任を感じなくもないけどさ」

 

「かなり際どい事をポンポン言うよな。お前」

 

「ははは。受け入れられるとは思ってないから良いけどさ」

 

 詩織の言う通り、にわかには信じがたい。だが、彼女が今まで嘘をついて来たことがあっただろうか。

 そうだからこそ、俺は詩織の言葉をすんなりと受け入れた。

 

「とりあえず数日後か。遠足の日とかだったら区切りとしては最高そう」

 

「兄さんはもう少し緊張感を持った方がいいと思うわ」

 

 須美も特段気にした様子はなさそうで、口ではそう言うものの、焦りなどは表情からは見えない。

 

「そうもそうかー。よし、須美。今からやりたい事しに行くぞ。何したい」

 

「私の話聞いてたかしら。でも、そうね。やりたい事…、いざ考えると難しいかもしれないわ」

 

 俺と須美の何処か腑抜けた雰囲気に詩織はあれ?と首を傾げた。

 

「二人ともボクを責めないの?」

 

「いやいや、何でお前を責めなきゃいけないんだよ」

 

「そうよ。何をしていたのかはわからないけど、詩織は頑張ったのでしょ?なら、それを責めるのは何も知らない私たちにはお門違いだわ。時間が決まってるなら、やりたい事やるって言う兄さんの意見に私は賛成よ」

 

 俺と須美は詩織を他所に、二人で何をしようかという話で盛り上がる。敢えて、俺たちは詩織の方を見ないようにした。

 暫くは詩織はそのままにしておいた方がいい。泣いてるところなんて見られたくないだろうし。

 俺はやりたい事をひたすらに羅列していく。絶対不可能なものまで上げてみたりした。

 

「現実的ではないわね」

 

「少しくらい夢を見させてくれよ…。そうだ!須美、一個見つけたぞ!」

 

「急に大声出さないでよ。それで、何を思いついたのかしら」

 

「人助けだ。折角だから、善行でもして徳でも積んでおこうぜ」

 

 来世に何かいいことがあるかも知れない。と付け加えると須美は呆れながらも「不純ね」と小さく笑った。

 

「このくらい不純でいいんだよ」

 

 それから俺はそろそろ良いかと思って詩織の方を見る。案の定、詩織は目の周りを真っ赤にしてはいるものの、泣き止んでいた。

 

「お見苦しい所をお見せしました」

 

「いえいえ。亡霊でも泣くんだな」

 

「ほんと、晴哉はデリカシーがない。亡霊じゃなくてボクはそうだね。さしずめ守護霊とでも言ってもらおうか」

 

 詩織は近づいてきて、俺の肩を組もうと手を伸ばすが詩織の手は俺の身体をすり抜けていった。

 

「むず痒い!!」

 

「これは失敬。ボクとした事が」

 

 気持ち悪いが、感覚として内臓を直接触れられたような不快感もあった。それは詩織に悪いので何とか口に出さずに誤魔化す。

 

「それにしても守護霊とは大きく出たものね」

 

「もう少し謙虚に行った方が良かったかな」

 

「なんでもいいよ。とりあえずはその詩織の言う世界の終わりまで、楽しむとしますかね」

 

 俺は真上に身体をグーっと伸ばし、大きく息を吐いた。その日まで如何程の時間的余裕があるかはわからないが、やれる事はやろう。そう強く心に決めた。

 

 

 

 ボクはここに戻ってきてしまったわけだけれど、それには一つ理由があった。ボクとしては自分の与えられた【お役目】を失敗してかなり落ち込んでいたわけだけども、千載一遇の大チャンス。神樹様曰く、ボクのせいで終わる世界は何とか別の方法で繋げられるらしい。

 

(だけどボクとしてはそんな事したくないんだよなあ……)

 

 どうしてこんなにも楽しそうに笑っている晴哉を自ら不幸の道に進めなければならないのだろう。流石のボクといえど気が引ける。

 そしておまけに晴哉をその道に進めた場合、ボクもその世界で生き続ける事ができるらしい。ただ、晴哉とボクは出会わない。出会うことはない。そういう風に出来ているらしい。晴哉と関わりを持たないボクなんてきっとボクじゃない。

 

「ほんと、神様って気まぐれだし自分本位だよね」

 

 所詮、この『枝』とやらが壊れたとて他の世界に影響があるわけではない。剪定され、綺麗に整えられる。自然の摂理と同じだ。

 自然の摂理だと言うのに、何をそんなに神樹様が怖がっているかは知らないが、ボクはボクなりのやり方をさせてもらおう。

 

 

 

 詩織の姿を視認してから初めての夜になった。無意識に詩織に話しかける俺は、両親から見れば虚空に話しかける危ない人だった。須美も同じだった。兄妹揃って壊れてしまったと思われてもおかしくない。いつ弁明しようか迷いながら、俺は自分の布団の中にくるまっていた。

 そして隣にはーーーーー。

 

「あのな、詩織。いくら何でもこれは……」

 

「やりたい事最優先!ボクは以前見たアニメでそう学んだからね」

 

「あのな、それは何でもかんでもやっていいって事にはならないからな!?」

 

 勢いよく俺は布団を弾き飛ばした。

 

(やってられるかい!いくら透明であろうが同じ布団の中に入られてたまるか!!)

 

 幽霊が隣にいて寝れるわけがない。

 

「どうしたんだい晴哉。そんなに息荒くして。そんなにボクに興奮したかい?」

 

「勘弁してくれ…。俺は喜ばないからな」

 

 頑固たる意志を持って俺は詩織を領域の外に弾き出そうとした。だが、案の定手はすり抜けて詩織の胸辺りを貫通した。

 

「あん」

 

「そんな色気もへったくれもない声はいらん。とにかく出てけ」

 

「晴哉って結構むっつりだよね。小6なのに。この先、楽しみだよ」

 

「あーもーうっさいなあ。須美!!」

 

 俺が隣の部屋にいるであろう須美に全力で呼ぶ。須美はすぐさま駆けつけた。

 

「ちょっ!ボクを消そうとしないで!?」

 

 その手には数多のお祓いの為のお札やらなんやらが握られている。ちなみに、俺はこれがどこで手に入るのか全く知らない。

 

「慈悲だ。苦しまないよういい呪詛にしてもらう」

 

「待って待って待って!呪詛って苦しむ為のものだよね!?あと、何で須美ちゃんはそれを知ってるのさ!」

 

「私だって覚えたくはなかったわよ。だけど、兄さんがいつか必要になるかもしれないからって」

 

 詩織は物凄い勢いで首を回し、こちらを見る。顔には引き攣った笑みが張り付いていた。

 俺は笑顔で須美に命じた。

 

「やれ」

 

「ごめんなさい詩織。私は、兄さんを裏切れない」

 

「須美ちゃん!?ボクちょくちょく思ってたけど君、結構危ういよ!?」

 

 結局、詩織は消滅を免れたものの、部屋の天井に張り付いてゼーハーゼーハー荒い呼吸を繰り返している。ずっと何事かを呟いているのを無視しつつ、俺は須美と協議していた。

 

「詩織は野放しには出来ないわ」

 

「とは言え、ペット専用のケージに入れとくわけにもいかないしな。なんでもすり抜けるし…。ああ、それなら何かの媒体に魂ごと括り付けるか。例えばこの携帯端末とか」

 

そんな事できるかは知らないが思いつきで提案して見る。神権国家たるこの国に出来ないことはないはず。知らんけど。

 

「ああ、それならご安心を。ボクは既に晴哉の魂と括り付けられてるから実質飼われてる状態さ」

 

「……もう一度言って欲しいんだが」

 

「めんどいから嫌」

 

「いつから」

 

「さっきからだよ。晴哉がボクのここを触れた時に」

 

 詩織は自分の胸の辺りを指差した。

 

「マジかよ」

 

「そんな嫌そうな顔されるとボクといえど悲しいよ」

 

「嫌ではないけど…。やっぱり嫌だな」

 

「晴哉は本当に容赦がないね。そう思わないかい?須美ちゃん」

 

「ええ。そうね。でも、半分以上は詩織が悪いわ」

 

 須美はそういいながら俺が部屋に吹き飛ばした布団をわざわざ戻してくれた。そして、何故か自分がその中にくるまった。一連の謎の行動に俺は目が点になる。

 

「あの、須美さん?」

 

「今日は私もここで寝るわ。兄さんと詩織を二人きりにはさせられない。何するかわかったものではないわ」

 

 頑固たる意志をお持ちなのか、布団の端から顔だけ出してジーッとこっちを見つめている。と言うか、詩織には触れられないから二人きりになったとて。

 でも、まあーーーーー。

 

「…須美ならいいか」

 

「よくないよ!?やっぱりボクは君たち兄妹が心配だよ」

 

 結局、俺が床で。詩織と須美がベッドの方で寝ることとなった。思うに、こうする必要があったのかと。俺は疑問でならない。まあ、須美が楽しそうだったし別に気にする程でもない。あともう一つ疑問点。詩織は、果たして寝る必要があったのだろうか……。

 

 

 

 次の日、祝日で学校は休みという事なので俺はとある場所を訪れていた。詩織は相変わらず俺の後ろを浮きながらついてきている。 

 詩織は俺の頭上から話しかける。あまりにも新鮮だった。

 

「よりによって何で行くのがボクのお墓参りなんだい?」

 

「今日はお前の月命日だろ。それ以外に知りたい事があったからな。本来なら俺は入る事すら叶わないけど、そこは父さんの職権濫用といったところかな」

 

 俺が足を踏み入れた場所は大橋に程近いドーム状の施設。ここには、これまで【お役目】によって命を落とした者たちが英霊として祀られている。

 

「なんというか、息が詰まるな」

 

「ここに祀られている人たちった凄い人ばかりみたいだからね。感覚としては圧迫面接みたいなものじゃない?」

 

「急に生優しくなったな」

 

「ボクは圧迫面接が生優しいとは思えないけどなあ」

 

 詩織に言われるがままに階段を降りていくと、そこらには聞き覚えのある苗字が多くあった。どれも大赦の重役についている家系であったはず。

乃木、上里、土居、伊予島、高嶋、烏丸、横手、花本、桐生、国土、赤嶺。そして鷲尾。他にも様々な名が刻まれていた。

 確か、高嶋だけは初代で断絶したと何処かで聞いた事がある。

 

「……ここに無名の夕霧がいるなんて想像もつかないだろうよ」

 

 俺は、詩織の碑の前に立ち手を合わせる。

 手を合わせ終わると、詩織は大橋の方を見上げながら俺にとある事実を告げた。

 

「晴哉にはちょっとした事実を教えてあげる」

 

「事実?」

 

「本当はね、ボクが与えられた【お役目】は乃木、鷲尾、三ノ輪の三家に任せられる筈だったんだ」

 

 詩織の口から出て来たその名字はまさしく、俺の最もよく知る人達のものだった。恐る恐る、俺は聞いてみた。

 

「園子、須美、銀、の三人だったのか?」

 

 無意識のうちに震える声。目眩で倒れそうになるのを堪える。詩織はそんな俺を慮ったのか、出来るだけ穏やかにその事実を伝えた。

 

「そう」

 

「………」

 

 言葉を失ってしまった俺に、詩織は一気に捲し立てた。

 

「大赦は大赦に根強い内部の人間でのみ、この【お役目】を完遂するつもりだったんだ。だけど、突然矛先が変わった。何が起こったかは大赦も把握できてないみたいなんだけど、その【お役目】には神樹様から認められた適正値と呼ばれるものがないとダメだったんだ。その適正値が、突如として乃木、鷲尾、三ノ輪の三家から失われた。色んなものが捻じ曲げられたんだね。そして、何故か一般の家出身であるボクが選ばれた」

 

 そうは言われても、その内容はほとんど頭の中には入って来ていない。俺は唯一絞り出せた言葉を、意味もなく吐き出した。

 

「……そうか」

 

 詩織は俺の様子を見て、予想通りだ。とクスッと笑った。そして詩織は自分の家のある方角を向く。

 

「お陰でボクの家は大赦の重役に大出世さ。家まで大きくなって、毎日豪勢な食材が大赦から送られてくる。はずだった。だけどボクの両親はそれを拒んだ。大切な一人娘を失ってまで手に入れる権利に価値はないって」

 

「あまり詩織の両親には会った事がないけど、良い人だな」

 

「ボクの自慢の両親だよ。せめてもの文句と言えばもう一人くらい家族が欲しかったというところだね」

 

 ここに来て、ようやく思考回路もまとまりだし、俺は言葉を紡げるようになった。

 

「無茶言ってやるなよ。一輪の花を大切に大切に育ててたんだ。だからこそ、浮かばれない」

 

「晴哉って時折大人になるよね。毎回ボクはその度に心臓がキュッと掴まれる気分になるんだけど。これ何かな」

 

「心筋梗塞とかその類だろ。霊になってまでも病気に苦しめられるのは悲劇的だな」

 

 俺はよっこらせと年寄り臭く呟いて立ち上がった。立ち上がった時に、ふと一人の名前が目に入り、思わず詩織に聞いていた。

 

「なあ、詩織。不知火なんて苗字聞いたことあるか?」

 

「ないなあ。あの不知火幸斗かい?」

 

「ああ。何で乃木と対立するように対極に安置されてるんだろうな。しかもあれ男だろ。異色すぎる」

 

 俺があまりにもじっと見ているからか、詩織がちょっとした解説をしてくれた。

 

「晴哉はもしかして知らないの?乃木家と不知火家の権力争い。結果的には不知火家が崩壊することで決着がついたんだけど」

 

「ええ……。というか歴史の授業ではやらないよな。何で知ってるんだ?」

 

「何でって。ボクが今作った話に決まってるからじゃないか」

 

 詩織は悪戯っぽい笑みを浮かべたあと、スッと乃木若葉の碑の後ろに隠れた。亡き人を盾に取るとは卑怯なやつだ。

 

「でも、案外ありそうな話だよな」

 

「実際あった話だよ。それを今、ボクがキャッチーに話しただけさ」

 

「どっちだよ……。それ、俺が聞いて消されたりしない?」

 

「聞きたいのかい?」

 

「まあ、一応」

 

 教科書にもない歴史、と言うのは歴史好きからしたら興味をそそられないわけがない。

 フィクションでも良いから聞いてみたくなると言うのが歴史好きの性だ。

 

「遥か昔に不知火幸斗って言う凄い人がいて、その人は外敵から乃木家や大赦全体を守る役目だったの」

 

「ふむふむ」

 

「けど、いつからか乃木家と対立することになって、乃木若葉を暗殺しようとしたんだ。けど、それは完遂される直前で失敗した」

 

「どうして失敗したんだ?上手く行ってたんだろ?」

 

「ごめん。そこまではボクも知らない。前、大赦に行った時に偶然見かけた資料はその先、全部黒塗りだった」

 

 謎の男、不知火幸斗。彼もまた、大赦によってその歴史から消されかけたのだろう。ただ、暗殺というのはどうにも暴力的だ。よろしくない。

 

「そこら辺を研究しようと思ったら晴哉は死を覚悟しないとね」

 

「そこまで命は張れない」

 

「そっかそっか。所で、晴哉は何をしにここに来たんだい?ボクを弔う為ってのは建前でしょ?」

 

「建前な訳あるか。何ならそっちが第一目的だ。ついでにしようと思ってた事だけど、あまり知れなかったから諦めた」

 

 俺はわざわざこんな場所にまで来たのは少しでも【お役目】の事が知れると思ったからだ。だが、結局何の手がかりもなし。知れたのは謎の男の少しの歴史のみ。

 俺は降りてきた階段を再び登ってドーム状の建物を離れた。

 

 

 

 

 次に向かったのは詩織の家だ。俺はこれまで詩織の家を訪れたのは詩織が体調を崩した時だけ。

 詩織の両親の姿を見るのは実質指で数えるほどしかない。

 

「晴哉、ちょっと憂鬱そうだね」

 

「誰かの家に上がるってのが苦手なんだよ」

 

 苦手だが、今日は是が非でも行かなければならない。詩織の幼馴染として、少しでも強い関係性を結んでしまった以上はそれなりの事をするべきだと、俺は考えている。

 

「晴哉は真面目すぎるかもね」

 

「ほっとけ。俺は俺なりの意志を持って生きるって決めてるからな」

 

 詩織の家は歩いていくには少々遠い。坂を登り切ったところで、俺は妙な人物を見た。全身を白い装束に身を包み、左の袖は風に靡いており空洞である事が窺える。フードのせいで顔は見えなかったが、口が微妙に動いているのは確認する事ができていた。

 目を何度か瞬かせるとその姿は見えなくなっていた。

 

「晴哉?」

 

「なあ。詩織、さっきそこに誰かいなかったか?」

 

「ボクには何も…。あぁ、なるほど。神樹様の言ってたのはこれか」

 

 また1人で納得して、カラカラと笑っている詩織。俺には何を言っているのかさっぱりだった。

 

「全く君はどこまでもお節介を焼くんだね。未来から過去に。しかも別の『枝』に姿を見せるなんて。相当危険だろうに。ボクはよっぽど信頼されてないみたいだよ」

 

 後半は何を言っているのか聞き取れなかったが、詩織はとりあえず正体を知っているらしい。

 

「なんでもいいや。奇想天外な事なんて正直もう慣れた」

 

 俺は再び歩みを進める。先程まで誰かが立っていたところを通っても特に何か起きるわけでもなかった。やはり、ただの見間違いだ。最近疲れているのかもしれない。

 

 

「久しぶりだね。晴哉くん。今日は来てくれてありがとう」

 

「こちらこそ急に押しかけてしまってすみません」

 

「いいんだ。ほら、詩織。晴哉くんが来てくれたよ」

 

 詩織の家に着いた俺は、詩織の父親に案内される形で詩織の仏壇の前に座る。何時ぞや見た写真が無機質にこちらに笑いかけていた。

 手を合わし、安らかに眠ってくれ。と隣にいる奴に心の底から願った。

 一通り終えて、俺は詩織の父親に向き直る。確か名前は…正孝さんだったはず。

 

「晴哉くんから見て、詩織はどんな子だったかな」

 

「…そうですね。はっきり言うと凄く邪魔でした。でも、その邪魔さ加減は俺にとってはとても心地よかったです」

 

 後ろから聞こえてくる抗議の声は俺の耳を右から左にすり抜けていった。何も聞こえん。何も……。

 

「あはははは!そうかそうか。親である僕からしてもそうなんだから、きっと晴哉くんも詩織の被害者なんだね」

 

 悲しい雰囲気を吹き飛ばすように詩織の父親は豪快に笑ったあと、目の端に浮かんだ涙を指で拭う。

 相変わらず後ろの霊が五月蝿いが無視することにした。

 

「晴哉くん」

 

 突然の改まった様子の正孝さんに俺は少しだけ身構えた。

 

「僕は君に一つだけ頼みたい事があるんだけれど、いいかな」

 

「構いません。俺にできる事であれば」

 

「ありがとう。それなら、これからも詩織の事を忘れないでやって欲しい。詩織はいつも言ってたよ。晴哉はボクがいなくなったらボクの存在を忘れようと努力するからそれは癪だ。って。まあ、ここに来てくれた以上は詩織の事を大切だと思ってくれてると僕は勝手に解釈させねもらうね」

 

 正孝さんの笑みは何処か詩織に似ていた。なるほど、第一人称もまさかの母親でなく父親の方を譲り受けてしまったのか。

 

「そうだ!晴哉くん。折角だから写真アルバムでも見ていかないかい?」

 

「え?はあ、いいですけど…」

 

 俺が戸惑いながらも承諾すると、正孝さんはウッキウキで部屋を出て行った。ああ、この人は大層な親バカなんだな。と俺はこの時初めて知った。

 詩織は既に自分が何も手出しできないのを理解したからか、沈黙を保っている。

 正孝さんは直ぐに戻ってきた。そして、そのアルバムの中から一枚の写真を俺に見せてくれた。

 その写真は自分の身に覚えはあるものの、撮られた記憶がないものであった。

 

「……いつ撮ったんですか。これ」

 

「運動会で晴哉くんがリレーのアンカーの時だよ。その前が詩織だっただろ?これは撮るしかないと思ってさ」

 

 写真の中の俺は酷く真面目な顔で詩織を待ち受け、詩織はやりきったと言う清々しい笑みを浮かべて俺にバトンを渡している。

 

「他にもあるよ」

 

「あ、これは俺も覚えてます。俺が渋々付き合わされたやつですね」

 

「そうそう。晴哉くんのこの嫌そうな雑なピース。いつ見ても詩織とは凸凹コンビすぎて僕は好きだよ」

 

 二枚目の写真は詩織が笑顔で俺の肩に手を回して逆の手でピースしており、俺はこれまた酷く嫌そうにピースしている。

「……なんか俺、全部嫌そうな顔してません?」

 

 三枚目も、四枚目も五枚目もどれもかも俺と詩織が二人きりで写ってる写真は俺の表紙がどれも浮かないものばかりだった。

 何故だろうか。不思議と俺と正孝さんには自然と笑みが溢れて行く。

 

「もう少しだけ見てもいいですか?」

 

「勿論、構わないよ」

 

 俺はそれから一枚の一枚の写真を噛み締めるように見て行く。だが、めくってもめくっても出てくる写真に俺は段々と驚きの方が強くなって行った。

 

「写真、お好きなんですね」

 

「そうなんだよ。僕の数少ない趣味の一つでさ。背景とかも撮ってたらこんな事になっちゃったんだよ」

 

「……過ぎたお言葉かもしれませんけど、整理する事、おすすめします」

 

「僕も今見てて思ったよ。統一性がないね」

 

 家族写真かと思ったら次に出てくるのは山の写真ときた。あまりしっかりと話してきた事がなかったのでわからなかったが、この人結構適当な人種のようだ。

 頭の中で一人大変ガサツな人物が白い歯を輝かせサムズアップしてくる絵が思い描かれた。

 

「詩織も一時、写真撮りたい!って言って僕のカメラを一台勝手に持ち出した時があってね。何故かその日のうちにやめてしまったんだ」

 

 俺は目だけでチラリと詩織の方を見ると、詩織は何か気まずい事があるのか俺から視線をどんどんと逸らしていった。後から問い詰めて見よう。かなり面白そうだ。

 

「晴哉くんは何か趣味はないのかい?」

 

「基本的には読書しかしてないですね。あとは辛うじて機械をいじって修理したりバラバラにしたりすること、ですね」

 

 ただ後者に関しては趣味というより特技に近いかもしれない。

 

「すまないね。晴哉くん、一度席を外させてもらうよ」

 

 正孝さんがそう言って部屋を出て行ってから俺は詩織の方を向いた。

 

「なんで写真諦めちゃったんだ?」

 

「ボクの撮りたかったものはボクの心臓に悪かったんだ…」

 

 これ以上聞くなとばかりに詩織は顔を俺から背けた。俺はそんな詩織に首を傾げるしか取れる行動がない。

 正孝さんは直ぐに戻って来た。その手には一つのカメラが握られている。

 

「それは!ちょっ!お父さん!」

 

聞こえもしないのに俺の耳元で叫ばないでほしい。ただ、様子を見るに詩織の一瞬貰ったというカメラに間違いはないだろう。

 

「詩織のですか?」

 

「お、よくわかったね。これ、晴哉くんに預けようと思って」

 

「急ですね。どうして俺なんですか?」

 

「大切にしてくれそうだからね。あとは…気持ちの整理ってところかな」

 

 最後、絞り出すようにぎこちない笑みを浮かべながらそう言う正孝さんを見て、俺はそう簡単に気持ちは変わらないよな。と感じた。それが大事な一人娘となれば話はまた別だろう。

 仮に俺や須美がこの命を落としたとして、父さんや母さんはここまで悲しんでくれるだろうか……。

 

「よければ貰ってくれないか?」

 

「そう言うことであれば。大切にします。あ、因みにこれってまだ使えますか?」

 

「勿論使えるよ。充電コードは後で渡すね。ありがとう、僕の意を汲み取ってくれて」

 

「いえ。あの、また来てもいいですか?写真の撮り方、教えてほしいので」

 

「本当かい?大歓迎だよ。いつでも待ってるから自由に来てくれ」

 

 俺はそのあと何回か言葉を交わしたあと、詩織の家を後にした。

 帰路に着く途中で俺はある事を思い出した。

 

「あれ?これって写真見れるんじゃ…」

 

「あ」

 

 止める詩織を振り切って俺は画面から写真フォルダーを選択して開く。そこに映っていたものは想像を遥かに超えるものだった。

 

「あのなあ…」

 

「ボクといえど撮りたくて撮ったわけではないのは知っておいてほしい」

 

「これに関しては言い逃れ不可能だと思うぞ」

 

 俺は再度、その写真に視線を落とす。

 

「俺はお前の将来が不安で仕方がないよ。何で俺が文字通り丸くなって寝てる所を撮ってやがる」

 

 しかも寝顔までバッチリ。俺、いつもこんなアホみたいな顔して寝てるんだな…。

 

「写真やめた理由はボクの性癖が崩れて行く音がしたからだね」

 

「そんな事を胸張って言うものじゃねえぞ」

 

 俺は自分の寝顔が写されたカメラをカバンにしまった。もうしばらくこれを使うことはないだろう。持ち運ぶことはあるかもしれない。

「さてと、こんなボクの黒歴史はここらで収めておいて次はどこに行くんだい?お供するぜ?」

 

「お供も何もお前俺にくっついてんだろ」

 

 こちらもこんなに五月蝿い霊がそばにいるのはいずれ心が折れそうだ。

 もう少し静かにしていてくれるのならこちらも喜ばしい。

 俺がそんな事を考えながらボーッと空を見上げながら歩いていると偶然にも須美と銀、園子に出会った。

真っ先に俺の存在に気がついたのは銀だった。

 

「ハルヤじゃん!昨日ぶり!」

 

「よっ。奇遇だな。今日も三人仲良いね」

 

 俺も銀の挨拶に対して、軽く手を上げて応じた後軽く拳を突き合わせた。この体育会系のノリは今のところ俺と銀の間でしか通じたことがない。強いて言うなら詩織が辛うじてと言う感じだ。

 

「御三方は何をしておられたので?」

 

「私たちはずっーと散歩してたんよ〜。少し遠出もしたんだよ〜。ね、わっしー」

 

 園子は須美の腕にぎゅっとしがみついた。須美は特に迷惑がる様子も見せる事なく、そのまま俺に今日行った場所を教えてくれた。

 

 

「琴平の方まで行ってきたの。そのっちの急な発案で」

 

「アタシはお陰でお小遣いが残り80円だよ」

 

「銀はお賽銭で間違えて500円玉入れるからよ」

 

「あれは焦った。その分のご利益がないとアタシ、我慢ならないね」

 

 わかったか神樹様ー!と遠くに吠える銀に、俺は自己責任だろ。とツッコミたくなったが須美に先を越されてしまった。

 

「ハルスケは何をしていたのかな〜?」

 

「俺はちょっとした用事だよ。ほんとに些細なね」

 

 園子はそれで納得してくれたのかこれ以上の詮索をする事は避けてくれたものの、須美は煮え切らない表情をしていた。詩織が見える故の反応だろう。きっと須美は俺が何処に何をしに行ったかなどお見通しであるに違いない。

 

「そうだ!このあとハルヤって暇?」

 

「空いてるけど、なんで?」

 

「私たち、これからみのさんの家に行くんよ〜。ハルスケも一緒にどうかな〜って」

 

「暇だし、行ってもいいならご一緒させてもらうよ」

 

 俺のどっちともつかない返答に銀はすぐに頷いてくれた。俺は再度歩みを進める三人の後ろをついて行く形で歩き出す。三人が並んで歩く姿を見ながら、俺は詩織の以前言っていたことを思い出した。

 

「これも可能性の先にあるもの、か」

 

 俺はこの時、ある一つの考えが頭をよぎった。そしてその考えは絶対に思い浮かんではならないものだった。

 とある一つの事象が起こる以前の可能性をことごとく潰して仕舞えば、詩織は……。そう考えた時、自分の中で大きく何かが蠢いた。しかし、その蠢いた何かはすぐにまた身体の奥底へと姿を消した。

 詩織の方を向くと、詩織は悲しそうな表情を浮かべている。

 

「ダメだよ、晴哉。ボクはもういいんだ。満足してるから」

 

「でも…」

 

「いいから。ボクは晴哉達がこうしてここを歩けている事を嬉しく思えるから。それだけでも、ボクは自分が生まれた理由もあるってものよ」

 

 詩織は俺にそっと耳打ちすると、はにかんだ笑みを浮かべ、鼻歌を口ずさみながら須美の隣に並んだ。

 須美は園子と詩織の両方から話しかけられ、どちらも無碍に扱えず詩織はその狼狽える様子を笑いながら楽しんでいた。

 須美としても園子と銀が詩織のことが見えていないのはさぞかしもどかしいだろう。心中お察しする。

 俺は心の中だけで小さく息を吐いた。

小学生に担わせるには重すぎる荷物。それを一人で抱え込んだ挙句、満足してるから。か…。

 気づいてやれなかった自分自身の不甲斐なさを今更悔やんでいると、銀の声に俺は意識を引っ張られた。

 

「ハルヤ、早く来ないと置いてっちゃうぞ!」

 

 いつの間にか三人は川沿いの道を走り出していた。

 詩織も気付けば隣に戻ってきていて、軽く俺の背中を押した。

 

「ほら、行きなよ。ボクはここでお別れだから」

 

「え」

 

「たった一日だったけどかなり楽しかったよ。また、会えるといいね」

 

「な!契約って、あれはじゃあ何だったんだよ」

 

「あー、あれ?形だけだよ。またね」

 

 詩織はニコッと俺が見たことのない笑みを見せるとそのまま、何処かに消えていってしまった。あまりにも突然のことに俺は唖然とするほかなかった。

 

「ハルスケ〜!本当に置いてくよ〜!?」

 

「あ、ああ!今行く!」

 

 須美は唇を噛んで、次々に湧き出てくる感情を抑え込むのに必死そうで、その様子を見た俺は再度振り返ったがそこにはもう何も居なくなっていた。俺は後ろ髪を引っ張られる思いで、そのまま三人の背中を追いかけたのだった。

 

 

 

 

 

 銀の家に着いた後も俺はどうにも詩織の事が引っかかってならなかった。須美もまだ先程の事が尾を引いているからか、会話に対する反応が動作不良の機械のようだった。つまりラグい。

 園子も俺の様子がおかしいことに気がついたのか声をかけてくる。

 

「ハルスケ大丈夫〜?さっきから落ち着かないけど」

 

「全然大丈夫。ごめん、気を遣わせて」

 

 自分では落ち着いているつもりなのだが、他の人から見ると違和感の塊らしい。珍しく頬杖なんてものをしているのに言われてから気づいた。

 

「須美もなんだかおかしいし、何かあった?」

 

 須美がビクッと身体を震わせる。銀も銀でかなり鋭い。野生の感だろうか。怒られそうなので口には出さないがそう思った。

 

「もしかして〜」

 

 俺と須美は同時に園子の方を振り向く。もしかしたら園子は詩織が見えていたのかと、微かに淡い期待を俺と須美は抱いた。

 

「禁断の関係ってやつかな〜」

 

「あー、ありそう」

 

 俺と須美はこれまた同時にずっこけた。園子に期待した俺が馬鹿だった。しかもなんだ。銀のありそう。って。

 須美が一度わざと咳き込んで園子の抱いてしまった誤解を解く為に立ち上がる。俺もそれに追随するように席を立つ。

 

「そのっち、私はーーーーー」

 

「そうだぞ、園子。須美は二人のことが大好きなんだ。俺なんて眼中にあるわけないだろ」

 

「わっしー…」

 

「須美…」

 

 なんだかよくわからないが、園子と銀はやたらと感動していらっしゃった。俺は心の中で己の会話術を自画自賛してみたりする。

 ただ、須美の方は微妙に不服そうな表情を浮かべていた。個人的には上手くやったはずなんだけどなあ…。

 

「さてと、こんな話はここまでにしてハルヤと須美の調子が戻った所で今から何する?」

 

「まさか何も決めずにいたのか…」

 

「あったりまえじゃん。アタシの計画性のなさをまだ理解できないとは、鷲尾さん所の晴哉くんはまだまだだね」

 

「とうの昔に理解はしてたけど、まだ治ってないとは思わなかったよ」

 

 これも須美がこの輪に加わる前の話になってしまうのだが、俺と園子、詩織は度々この三ノ輪銀という一人の少女に振り回され続けていた。まあ、それが彼女の良いところでもあるし誰も不幸になっていないので否定するのは間違いである。

 

「私、時折自分の知らない事をそのっちと銀、兄さんは知ってるだなって思うと…ちょっと悔しいわ」

 

 そっぽを向いて唇を軽く尖らせる須美に俺を筆頭に銀と園子は笑い声を上げた。

 

「わ、笑うなんて兄さん酷いわ!」

 

「あははははは!ごめんごめん。笑いすぎたよ」

 

「須美、別にアタシ達と知り合うのが遅かったとは言え今は友達じゃん。それで良くない?」

 

「みのさんの言う通りだよ〜。今から二年、三年、十年とたくさんたっくさん思い出を紡いでいけば良いんだよ〜。十年経ったら、わっしーの知らない二年近くの事はちっさすぎて気にならなくなるって〜」

 

 一体、何処からこのような感動的な話になったかは置いておき、俺は園子と銀の人としての温かさに触れた気がした。

 

「あ、ありがとう。そのっち。銀」

 

「良いってことよ!さてと、何度目かはわからないけど何するか決めようか」

 

「はいはーい。私からいいかな〜」

 

「それでは乃木さん。どうぞ」

 

 手を綺麗に伸ばしてアピールする園子にノリよく銀は安芸先生が、普段学校で生徒を当てる際にする所作を真似する。実によく似ていた。

 

「みのさんのお家に来たばっかりで申し訳ないんだけど〜。今から私の家に行こうと思いまーす」

 

 俺がなんでだ?と首を傾げた次の瞬間には銀は遥か後方に退避しており、須美は目をキラキラと光らせていた。それがより一層俺をわからなくさせる。

 

「行きましょう!今すぐにでも!」

 

「おおう、須美。ちょっと落ち着け。何がどうしたらお前はそんなに興奮できるんだ!?」

 

 須美は俺の問いかけに答えるつもりなどないのか、俺の腕を掴むと颯爽と俺を力任せに連行していった。まさに猪突猛進。須美の目には俺の想像し得ない何かが写ってるに違いない。

 銀は俺の視界の端で安心したのか胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

 

 

「ああ!良いわよ、兄さん!そう、その調子!」

 

「ねえ、何この状況」

 

 俺は乃木家に連れ込まれたと思ったら、あれよあれよと別室で着替えさせられ園子の部屋で写真を撮られ続けていた。

 そしてもう一人の犠牲者が俺の隣で項垂れている。

 

「何でまたアタシまで……」

 

 銀はスーツに身を包み、男装の麗人のような装いを見せていた。かなり似合っている。何でも須美曰く、前回は可愛らしい服を着たらしく今回は趣旨を変えての撮影らしい。というか、前回があった事に驚きを隠せない。

 

「ハルヤは…、何でそんなにサマになってるのさ」

 

 俺が須美に着るように言われたのは男性用の袴だった。そして手には日本刀を持たされている。俺としては何故乃木家に男物の袴があるのかと不思議でならない。果たして何が想定されていたのだろう。

 須美もある程度満足いったのか、一度落ち着きを取り戻した。須美に一枚だけ見せて欲しいと頼んで見せて貰ったが、我ながら似合っていた。ただ、微妙に着せられている感があるのは否めない。

 俺は写真から目を離し、今にも逃げ出しそうな銀の肩を軽く捕まえた。

 ビクッと銀の身体が震える。

 

「…銀、ちょっとこれ持ってこのロングコート羽織ってみてくれよ」

 

「は、ハルヤ?あれ?もしかしてハルヤってアタシの味方じゃない?」

 

 俺はこれまで見せてきた笑顔の中で最も凶悪な笑みを浮かべていたと思う。銀の手を取って無理矢理、レプリカであると願って止まない日本刀を握らせた。

 須美にはかなり刺さったらしかった。

 銀が須美のカメラ越しの視線を独り占めしたところで、俺は園子の隣に並んだ。

 

「ハルスケ、似合ってるね〜」

 

「ありがと。こんな格好普段絶対しないから物珍しいよ」

 

「私もまさか家にあるとは思わないよね〜」

 

「それはそうだな。あと一つだけ聞いて良いか?あの日本刀ってレプリカだよな?」

 

「どうだったかな〜。桐箱の隅に何か文字が書いてあったような気がするけどわかんないや〜」

 

 そんな事があっても良いのか。と言いそうになるのを堪え、先程まで自分の手に握られていた純白の鞘に納められた刀を見る。一瞬、不思議な既視感に襲われたがそれも一瞬の事だった。

 

「ハルスケの元気が戻ってきてくれて私は嬉しいよ〜」

 

「と、言いますと?」

 

「学校でもずっと空元気だったからさ。気持ちはわかるから私は下手に何も言えないけどね〜」

 

「…気を遣わせてたなら申し訳がない」

 

 あまり、表情には出さないようにしてはいたのだがどうにも俺は顔に出やすいらしい。

 園子とそのあと何回か言葉を交わしたあと、俺は銀に呼び出された。

 

「どったの」

 

「須美が次はこれだってさ」

 

「まだあるのか!?」

 

 銀が俺に渡してきたのはカッターシャツと眼鏡。etc.etc。塾講師というか、そんな感じになるであろう服だ。

 

「これを着てどうしろと」

 

「ハルヤ、やけにこういうの似合いそう。さっきのもそうだけどさ」

 

「人をコスプレイヤーにするなよ…。幾ら須美の願いといえどこれで最後である事を願いたい」

 

 俺はまた別の部屋に移って、指定された服に着替える。ついでとばかりに園子の提案で乃木家の使用人さんに髪まで整えられてしまった。そして、再び園子の部屋に戻る。

 

「これでいいか?須美」

 

 俺が部屋に入った瞬間、三人の視線がこちらに釘付けになった。三人ともポカーンとしている。

 

「誰?」

 

 銀の第一声がそれだった。とりあえず銀のために名乗っておくとしよう。

 

「カリスマ講師だ」

 

「やかましいわ」

 

 酷い言われようだ。

 

「兄さん、似合いすぎてるわ!」

 

「ハルスケってもしかして磨いたら宝石〜?」

 

「確かに、園子の言う通りかも。ハルヤ、普段の姿そこらへんの砂利と一緒だし」

 

「やかましいわ」

 

 今度こそ酷い言われようだ。確かに、そこらの石と変わらないとは思うが砂利って…。

 砂利…。砂利かあ…。と自分の普段の格好を憂いていると園子が一冊の小説を持ってきて、俺に手渡した。

 

「なんこれ」

 

「それ持って、そこの椅子でポーズ取ってみて欲しいな〜」

 

 園子の笑顔を見たら断りたくても断れない。俺は言われるがままに椅子に座って、足を組み適当なページを開いた。

 開いたページには須美と銀の名前が載っていたが知らぬが仏。いや、普通に面白いな。目覚めそう。

 俺は俺で園子に渡された小説にのめり込み、その間に須美は物凄い勢いで写真を撮り続けていた。らしい。

 気づけば須美は満足げに息を吐いたところだった。

 

「よかったわ…」

 

 そこまで感慨深げに呟かれたら少しは頑張った甲斐があるというもの。ただ、何故俺に白羽の矢が立ったかはわからないままだ。

 

「銀は、次はドレスでも着てもらおうかしら」

 

「安心してわっしー。ちゃんとあるよ〜」

 

「出さなくていいから!」

 

 こりゃまた次もあるな。とワイワイ盛り上がる三人を見て思った。そしてようやくここで、詩織の事を気にする余裕も出てきた。気分転換というものは大事だとここまで強く思わせてくれた事もそうない。

 

「また一人で戦ってるのかよ」

 

 先程別れたばかりだというのに気になって仕方がない。今頃、何をしているのだろうか。詩織は……。

 俺の記憶はここで途絶えている。先は、ない。

 

 

 

 

 

 

ボクは大橋の上に来ている。ここに来るのはかなり久々だ。

 ボクの視線の先には白い装束に身を包み、フードを被った人物が壁の方を睨んでいる。

 その人物はボクの存在に気がついたようでこちらをゆっくりと振り返った。

 ボクも気圧されないように虚勢を張りながらその人物に話しかける。

 

「ボクは死んでるから良いけど、君はボクと違って不味いんじゃないかな。鷲尾さんちの晴哉さん?」

 

「このくらいしないとお前は助けられないんだよ。こうなってるのは全部、俺のせいだからな」

 

 フードを取った晴哉の顔はボクの知っている晴哉の面持ちとは全くと言っていいほど異なった。

 

「ボクの知ってる晴哉はもっと穏やかな表情してるんだけどなあ…」

 

「踏んできた場数が違うんだよ」

 

 言葉も僅かながらキツいものを感じる。ボク自身も次第に眉間に皺が寄っていくのがわかった。

 

「誰からの指示かな」

 

「俺の独断行動だ。とは言っても、半分くらいは神樹に唆されたみたいなものだよ」

 

 晴哉は自分で言っておいて嫌気がさしてるのか顔を歪めた。

 

「まあ、なんだ。俺の目的は君を助ける事であって他意はない。この世界も残そうと思えば残せるしな」

 

「……ああ、ボクもようやく合点がいったよ。そういうことね」

 

 今ボクの目の前にいる晴哉は本物だ。ありとあらゆる時の選択権を持ち、その行動によって世界を変えてしまう者。そして、今この様々な『枝』の中で最も有力な『枝』に所属する者。

 彼からしてみればこの世界そのものが偽物。ボクたちは所詮、偽物で彼の想像の中で作られた可能性でしかないのだ。

 

「消したい…。ってわけではないんだね」

 

「当たり前だ。俺としては暫くこちらに残って干渉するつもりだし、こっちの俺も含めここの世界では誰もが幸せになって欲しい。この『枝』はその為に生まれたものだから」

 

 だけど唯一救いようのないのが一人。そう言って彼はボクを指差す。

 

「バーテックスと戦うための生贄は必要だった。どうしてもね」

 

「仕方のないってやつ?まあ、なんでも良いや。今更その話はしたくない」

 

「仕方なくなんかない。仕方ないで済ませちゃいけないんだよ」

 

 彼はボクの目を真っ直ぐに見据えて、怒りを滲ませた声でそう言った。

 

「だから助ける。絶対に」

 

 絶対に助ける。彼はそう言った。きっと、彼がボクを助けるための方法は想像もつかないマジックみたいなものだろう。

 だけど、ボクには譲れないものがある。その答えを確認してからでないと、ボクは助けてもらいたいなんて思わない。

 

「……一つ聞いても良いかな」

 

「うん。どうした?」

 

「ボクは君と……。晴哉と出会えるんだよね」

 

「………」

 

 その問いに、彼は沈黙を貫いた。それはもう、会えないと言っているのと同じだった。

 

「そっか……。それなら、ボクは……」

 

 別に生まれ変わったりしなくても大丈夫だよ。そう言おうとした所で、彼は首を横に振った。

 

「君は俺と出会える。でも、出会ったとしても俺の名前も顔も何もかも知らない。知っていては狂いが出るから……これだけは…」

 

 どうしようもない。こちらの気持ちを慮っての苦しそうな表情に、彼の目的はボクと一生平行線を辿ると気がついてしまった。

 彼はとにかくボクを助けることを優先する。だけど、ボクは晴哉が近くに居ない事など容認できない。

 でもーーーーー。

 

「いつかは、会えるかも知れないんだよね」

 

「そうだね。いつになるかはわからないけど、必ず」

 

「ここでの会話は忘れちゃうんだよね。きっと、ボクも君も」

 

 彼は迷いなく首肯した。きっと、素直に話した方がボクも受け入れてくれると判断したからだろう。実際、ボクもその方が気持ちの良いものがあった。大赦みたいに遠回しに嘘を重ねられるより、よっぽど良かった。

 

「会話だけじゃない。名前も、顔も、ここの世界で関わりを持った人達全ての記憶を失う。ごめん。そうまでしないと、世界の辻褄が合わなくなるんだ」

 

 本当に何でこの人は殆ど関係を持ったことのないボクに、ここまで親身になってくれるのだろうか。

 それが少しだけ、ボクには嬉しかった。少しだけ、未知の世界に行くボクへの自信になった。

 

「そんなの関係ない。必ず思い出してみせる。君はボクに絶対会えると言った。約束、守ってよね」

 

 ボクはなるべく自分の本心を隠そうと茶目っ気たっぷりにウインクして見せた。彼はボクの知っている晴哉とは違って、察しが良いのか、「こっちの俺は幸せ者だな」と呟いた。

 気がつかれたら、ボクが抱えている心の問題を隠す意味などなかったではないか。余計恥ずかしくなって、ボクは敢えて話題を逸らした。

 

「今一度聞くけど、この世界は残せるんだよね」

 

「もちろん残す。可能性の一つを潰してはいけないから」

 

「どうやって残すの?干渉するとか言ってたけどさ。いや、聞いてもわからないと思うんだけど」

 

 なんだかこの晴哉、ボクの知っている人とは本当にまるっきり違う。何処と無く、神樹様に近いものを感じると言うか、何というか。

 もしかしたらボクの知っている晴哉もこうなる可能性があったということだろうか。

 彼はどう話したらボクに伝わるかを苦心しながら、それとなく説明を始めた。

 

「俺はこれから全てのバーテックスを倒しきる」

 

「無茶なことするねえ」

 

「無茶だけど、君がして来たことをするだけだよ。俺なりのこの枝を生み出しちゃった責任の取り方だ」

 

 真面目そうに見えないのに真面目なところは変わらないのだなと、話を聞きながらボクは思う。

 明後日方向を見ていたことがバレたのか、彼はちゃんと聞いてくれと言わんばかりに無言の圧力をボクに向けた。

 

「ごめん、続けて」

 

「……倒し切ったら、この枝は放置する。ズレは発生するけど、それでこの枝は真っ直ぐに伸びていくはず」

 

 少なくともこれで、ここの世界の須美ちゃん、園子ちゃん、銀ちゃん、晴哉。みんなは無事……とは行かないかも知れないけど、世界は存続されるらしい。

 

「そしたら、次は君だ。こっちの俺と君が出会う前までに遡って、その部分をだけを切り取るんだ。嫌な例えだけど、木の枝の腐食した部分を取り除くみたいな感じ」

 

「ボクの存在そのものを一度無くすってこと?」

 

「そう言うことになるのかな……。だけど大丈夫。その切り取った部分、君のたましいは俺が元に戻る時に連れて行く」

 

 以上の簡単なお仕事さ。そう言って説明を締め括った彼を、ボクは信頼しよう。中身は違うにせよ、晴哉は晴哉だからだ。

 人間離れした内容に、聞いていてボクの頭で全てを理解するにはたぶん当分無理だと察した。しかもこの晴哉、ボクの知っている方とは違ってかなり怖い事を平気でしようとしている。

しかも容易く世の理に反しようとしている。

 でもきっと、それができるのは単に……。

 

「神ってのは身勝手だからな」

 

 そう言って、彼は悪い笑みを浮かべた。

 

 

 

 ああ、この人は紛れもなく、どんな手段を取ろうと。

 

 

 

 

 

 ボクを助けるだろうーーーーー。

 

 

 

 

 

 その後、この世界はどうなったか少しだけ解説しておこう。結果としては彼が言った通りになった。ボクの存在は勿論消え、覚えていてくれると約束した人もボクの事は忘れていた。全く、口約束だからと簡単に忘れすぎだと悪態を吐きたいくらいだ。

 

 

 

 今のボクはかき混ぜられるようにされながら何処かを彷徨っている。一体、何処に繋がっているのかわからないけれど悲観する事はなさそうだ。

 結局、あの世界は何のために存在していたのだろう。

 難しく考えるのはボクには向かないかもしれない。いくら考えたって答えは見えて来ない。

 その後もぐるぐる、ぐるぐると混ぜられながら何処かに向かって進んでいく。そして、ようやく光が見えた。ボクはその光に手を伸ばす。

 ついに意識が浮上したーーー。

 

 

 

「晴哉、あんたもう少し笑いなさいよ。折角の入学式なのに」

 

「いや、あのですね風先輩。元からこう言う顔なんですよ。俺」

 

「ぶつくさ言わない!全く、見栄えがいい友奈や東郷、夏凛、銀が可哀想よ」

 

 高校入学式当日、これからの生活に不安を抱え一歩踏み出すのを躊躇いながら校門の前で佇んでいたボクはそんな声を聞いた。どれも聞いたことのない声だし名前だ。なのに、どうしてボクはあの人たちが気になるのだろう。

 

「ありがとうございます風先輩!」

 

「わっ!友奈、急に抱きつかないで。それにしてもあんた達、まとめてここに来るとは思ってなかったわ」

 

「べ、別に風の跡を追いかけてきたってわけじゃないわよ!」

 

「夏凛わざとやってるでしょ」

 

「夏凛ちゃんの天邪鬼(あまのじゃく)は相変わらずね」

 

 楽しそうだなあ。中学からの知り合いなのかな。

 話しかけてみたい気もするけど、あの輪に入る勇気はボクにはないね。流石に。

 

「お姉ちゃんも一緒に撮りなよ。友奈さん達もその方がいいですよね」

 

「いいね樹ちゃん!ナイスアイデア!風先輩、こっちこっち!」

 

「うぅ…。樹の成長がめざましくてあたしゃ嬉しいよ」

 

 その後、一枚だけ写真を撮ってから彼女達は談笑しながら会場の体育館の方へと消えていった。長いことあの場にいるようで凄く迅速な記念撮影にボクは驚きを隠せない。

 しかも樹という女の子、その場に残ってめっちゃ写真撮るの手伝ってるし。なんなら顔馴染み感あるし怖すぎる。なんだあのアフターケア万全の集団は。

 ただ、しょっぱなからあのような光景を見せつけられるとある種の後悔も生まれてくるわけで。

 

「ボクもみんなと同じ高校に行けばよかったな…」

 

 今になってちょっと後悔。なるべくいい学校に行こうと思って背伸びをした結果入れたものの、不安が募るばかりだ。

 神樹館にいた頃の友達は今頃何をしているだろうか。慣れ親しんだ子達と入学を祝いあってるかもしれない。新しい世界をみたいと取り出したものの、後悔の念が生まれるくらいならやめておけよと過去の自分に物申したい。

 だが同時にこうも言いたい。

 何か大きな出会いがあるかもしれないよ、と。

 

 

 入学式も終わり、それぞれのクラスに振り分けられたボクは一年A組に配属された。クラスをぐるっと見渡してみると、朝校門の前で見かけた男の子ともう一人、女の子がいた。他の子達は別のクラスになってしまったみたいだ。特に別れてしまったことを憂うことなく楽しそうに話している。自然とその二人の周りには既に何人か人が集まっていた。

 何度もその輪の中に入って行こうと、腰を浮かしかけたがそこから先へと進まない。ボクは遠目に、やけに目につくあの男の子を眺めることしか出来なかった。

 その輪以外でも既に幾つかのグループが出来ており、ボクは人間観察をしている間に何処の枠組みからも外れてしまったらしい。

 

(やっぱり前言撤回。大きな出会いも何もない)

 

 珍しい失態だ。生まれてこの方、このような場でスタートダッシュを失敗した事などなかったのに。

 まあ、特に一人でいても苦にはならないのでこのままでもいいかもしれない。時になれば自ずと誰かと話しているだろう。家宝は寝て待て。というわけでおやすみ……。

 

 そう思っていた時期がボクにもありましたよ。

 かれこれ学校が始まってから一週間。ものの見事にボクはボッチライフを満喫していた。

 凄い。これが高校生活か。ボクのイメージとかけ離れすぎている。

 今日も今日とて人間観察をしながらのお昼ご飯。すこぶる美味い。

 自分でも料理できるようになりたいなあ。と思いながらお母さんの作ってくれたお弁当の卵焼きをやけくそ気味に口の中に放り込もうとした時だった。

 

「あ」

 

何を思ったのかボクは手からお弁当を滑らせ、子供みたいに中身を床に撒き散らかしてしまった。

 先程までたくさんの声があった教室が急に静かになる。ボクは段々と恥ずかしくなって来て、すぐに片付けを始めた。

 何やってるんだろ。全くもって踏んだり蹴ったりだ。お昼ご飯もなくなるし。ボクはどうもこの高校生活は上手くいく事はないようだ。

 ため息を外には漏らさず、心の中で吐きながらボクは落としてしまったものを拾う。段々と目尻に込み上げてくる何かがあった。早速学校をやめたい衝動に駆られていると、視界の端から手が差し伸べられた。

 

「え?」

 

「手伝うよ。3秒ルールは…。流石に無理か」

 

 ボクを助けてくれた男の子は入学式でも見た彼だった。

 ありがとう。そう感謝の言葉を伝えようかとして、彼を見た瞬間にボクは思わずギョッとした。彼は何故か今日、左腕がなく、袖は窓から入り込む春風で靡いている。

 

「え、え、ええ?」

 

 入学式の日、彼の左腕はちゃんとあったはずだ。と言うより、昨日も彼のことは目で追いかけていたので、左腕があったことは覚えてる。

 彼はボクが何かを言おうと必死に口を開けては閉じてを繰り返しているので、小さく笑った。

 

「あぁ、左腕だよね。実言うとさ、俺昔事故で腕無くしててさ。今まで付けてたの義手なんだ。今日は寝坊して、調整出来なくてさ」

 

 付けるの忘れちゃったんだ。なんて、軽く言う彼。

 ボクは神樹館にいた時、事故で腕が無くなった子が隣のクラスにいると噂話が回って来た時があった事を思い出した。そして彼は中学は他の所に転校したと。同時に2人、学校から姿を消した事も耳には入っていた。

 ただ、人の不幸を噂話のエンタメとして楽しむ精神がその時は理解できずに、興味が湧かなかったが、もしかしたらこの人がまさにその人だったのかもしれない。

 そして、差し伸べられた手はもう一つ。この子も入学式の時に見たことがあった。

 

「アタシも手伝うよ。困った時はお互い様だからね」

 

彼女はそう言って強気な顔に、力強い笑みを浮かべた。

 

「あ、ありがと」

 

 暫く人と話してなかったせいか、言葉が上手く出て来なかった。だけど、ボクは心の底から二人に感謝した。それにしても、ボクはこの二人に不思議な既視感を抱いている。どうしてか、心がとても温かい。

 無言でせっせと作業に勤しむ彼とは対照的に彼女の方はたくさん話しかけて来た。

 

「夕霧サンって結構不器用だったりする?」

 

「そんな事は無いと…思いたいよね」

 

「あははは!」

 

 何が面白かったのか彼女は爆笑する。そんな中、ボクは二人の名前は何だったかな。と思い出すために脳をフル回転させていた。片方の女の子の方はするりと出てきた。確か、この子も神樹館にいた子だ。関わりは持ったことは一度もなかったはずだ。

 今になって芋蔓式に出てくる記憶たち。何か無理やり封じ込められていたようで、急に記憶の歳末セールである。

 

「三ノ輪さんはどうなの?」

 

「アタシ?不器用っていうより、大雑把って言われるかな。アタシとしてはかなり不服だけどね」

 

 そう言って三ノ輪さんは彼の方をチラッと見た。その視線に気がついたのか彼も三ノ輪さんを見返す。

 

「なんだ?」

 

「アタシって大雑把?」

 

「何処からみたってそうだろ」

 

 彼は何を今更と呆れた表情を浮かべると、三ノ輪さんは再び爆笑していた。この人、思った以上に笑いのツボが浅い。浅すぎる。

 そんな事を思っていると、彼が九割型さっさと片付けてしまっていた。なんだか申し訳がない気持ちで一杯になる。

 彼はボクがお礼を言う間もなく、自分の席に戻ると弁当箱を持ってカムバックしてきた。

 そしてまだ開けられていない弁当箱をボクの方に向かって差し出した。ボクの目は急な展開に追いつけないのか、弁当箱と彼の顔を行ったり来たりしている。

 

「こんなので良ければあげるよ。見た感じ全然食べてなかったしお腹減るだろ」

 

「……お母さん?」

 

「誰がお母さんだ。ありがた迷惑かもしれないけど、貰っといてよ」

 

 また彼は小さく笑った。

 そう言うものなのだろうか。生憎、こんなふうにお弁当を貰った経験などありはしない。

 でも、これがこの人なりの気遣いならば有り難く受け取ろう。それが今のボクにできる唯一のことのように思えるから。

 

「ありがとう。また今度、お礼はするね」

 

「お礼なんていいよ」

 

 そう言って名前も思い出せない彼はボクに背を向け、今度こそ自分の席へと戻っていった。三ノ輪さんも後を追うようにボクに軽く手を振ってから席に戻っていった。

 そしてボクはある事に気がついた。先程もそうだが、絶対に三ノ輪さんは彼の左腕の方にいる。しかもあの距離感は見てればそう言う事に疎いボクでもわかる。

 

「……ボクはちょろいし、もう負けたよ」

 

 ボクは誰にも聞こえないように、そう口の中で呟いたのだった。

 そして、この時ボクの脳裏に一つの光景が浮かぶ。

 見覚えのない公園でボクは泣いていた。足下には今回同様お母さんが作ってくれたお弁当が土の上に広がっていた。

 そんな私の目の前には誰かが立っている。

 その人はボクに何かを言って、弁当箱のようなものを置いて何処かに走り去ってしまった。

 今ならわかる。

 これがきっと、こんなしょうもない出来事がボク達を繋いだ。最初の出来事だったんだ。

 

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