さて、このライジングサンが産まれてから半年ばかりは比較的穏やかな時期にあった。
もちろん赤ん坊ゆえの大変さは目白押しであったし、ウマ娘♂の特性か、成長が早かったので標準が通じず、パニックになることもあった。
二ヶ月を過ぎたあたりで掴まり立ちをし始めて、半年を過ぎると走り出したのである。
この時点で身体の大きさは同年代のヒトやウマ娘と同等であったので、おそるべき身体能力の片鱗が垣間見えている。
おつむの方も年相応というべきか半年を過ぎてまだ、まんまー、も、ばぶー、も話すことはなかったので同年代のヒトやウマ娘と同等であろうと推測された。
つまり、非常に危なったらしい。
旧家に入ったおかげで、方々から支援をもらえ、執事にメイドにSPがいたからこそ怪我がなかったが、これで夫婦二人であったなら、1日に何度も怪我していたに違いないであろう。
そうして半年を過ぎたあたりで周囲がうるさくなってきた。
それまではせいぜい週一で親戚が家に来るくらいであったが(それでもその1日に変わるがわるに何人ものウマ娘が来訪した)会いたい、抱っこしたいと希望するウマ娘があふれんばかりに現れた。
当主様がまとめたところ、希望してきた人数だけで一千を超えるという。もし気軽に会えるなら日本に住んでるウマ娘10万は希望するだろうと言われたからに恐ろしい。
もちろん全てと会うことなど叶わない。
どうすべきかと相談したところ、CMにでるか写真集を出すかのどちらかが良いとされた。
CMにでるならURAかオムツ会社かどちらが良いか、とも。
これには父親はのちの危険性を考えどれも反対したのであるが、母ウマ娘がURA CMに熱烈に賛成し、初めての夫婦喧嘩になる騒ぎになった。
最後には父親が折れ、それでも折衷案として比較的マシそうな写真集を出すこととなった。
さてこの写真集の発売日であるが、日本中ウマ娘のことごとくが仕事や学校を休むという社会現象が起こった。
日経平均も10%下がった。これを第一次ライジングサンショックと呼んだ。
しかし、この1日で用意していた100万部が全て売れ切れ、(ちなみにウマ娘一人当たり平均3冊買っていたことが判明。七割近くのウマ娘は買えずに血の涙を流したという)その後大増刷した1000万部も1ヶ月で売れ、最終的には一億部のビリオンセラーになったという。
この写真集を手に入れる為に世界中のウマ娘が日本へやってきて、聖地を巡るように旅行していったものだから発売日から2年ほどは非常に好景気となり、これをライジングサン景気とよび、ライジングサンが2歳になる頃には、世界に最も影響ある100人に選ばれた初めての幼児となった。
ビリオンセラー伝説。
これがライジングサンの第一の伝説であった。