いざ、神の山がまかり通る   作:ニンジンデース

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3歳馬(現2歳)編最後のお話です。


第12走 関東3歳王者への道 朝日杯3歳ステークス

 芙蓉特別競走と3歳府中ステークスを経て、シリウスシンボリを管理する美浦トレセン所属の柳原仁平(やなぎはらじんぺい)厩舎ではある結論へ至る。

 バンセイフガク、あの化け物に勝てる見込みは限りなくゼロに近い。二度のレースで圧倒的大差をつけられて2着となった時に柳原厩舎一同はそれを痛いほどに痛感した。

 

 まさか、あのような馬が世に生まれ出でるなど誰が予想できただろうか。

 バンセイフガクも柳原厩舎と同じ美浦トレセン所属の厩舎の管理馬。あの馬が入厩した時から美浦トレセン内では噂が持ちきりだった。

 何でも、1tもある青毛というにはあまりにも黒い競走馬。その両親は、父が五冠馬のシンザン、母は無敗の七冠馬のバンセイフジ。更に遡れば、バンセイフジには初代三冠馬セントライト、幻の馬トキノミノルの全姉という凄まじい血統。

 

 だが、そんな馬が走れるのか?

 そもそも馬体重が1tにも達するサラブレッドなど聞いた事が無い。凄いのは見た目だけなのでは?

 

 しかし、入厩したのが“あの”舞田厩舎、何かあるに違いないとも皆は思い、実際に調教で走る姿を見てその疑念がじわじわと逆転していった。

 

 その結果が新馬戦だ。後続との差を30馬身近くも離しての圧倒勝ち。調教中の姿を見た後でも何かの間違いでは? と思いたくなるほどの快足ぶりだった。

 

 そしてその強さは柳原厩舎が管理するシリウスシンボリも出走した芙蓉特別競走でも見せつけられる。

 スタート当初から端をきって先頭を突き抜け、後続と距離を離し続けながら足が鈍る事も無く大逃げを敢行してゴール板を越えた。その時シリウスシンボリとの差は15馬身差。

 シリウスシンボリも、その騎手も追い縋った。しかし、途中でシリウスシンボリの加速が止まり、その遥か先へと駆けて行く黒い背を追い越す事は出来なかった。

 結果は2着。シリウスシンボリも後続とは10馬身ほども引き離していたが、それでもあの化け物には勝てなかった。

 あの後のシリウスシンボリの不調ぶりは痛々しかった。競馬場から厩舎へ戻っても顔を俯かせたまま食事も碌に食べず、翌日の調教も普段の気性の荒さが嘘のように弱々しく、明らかに身が入っていないのが分かってしまった。

 これは、まさか心が折れてしまったのか? と厩舎の人々は思った。バンセイフガクとの圧倒的な強さの差に競う事を恐れてしまったのかもしれない。

 しかし、それは杞憂に終わる。その翌日には再び調子を取り戻し、いつも以上に餌を食べ、調教が終わっても戻る事を嫌がって無理やり続けようとしていたのだ。

 

 勝負根性は失われず、前よりも旺盛になった事に厩舎一同は安堵した。

 それから仕上げに仕上げて挑んだのはバンセイフガクが出走しないいちょう特別競走。結果は快勝。12馬身も離しての大勝利だが、シリウスシンボリは一頭だけ勝利を収めても不機嫌なままだった。

 

 そして府中3歳ステークス。

 いつものロケットスタートが無く、最後方を走るバンセイフガクに一同は勝機を見た。

 その日の馬場は稍重。あの巨体、そして特異な長さのストライド走法との相性が湿り気のある馬場と悪くて上手く走れないのでは? と推察がされた。

 バンセイフガクの走りに対抗するべくシリウスシンボリは元々の脚質もあって限りなく逃げに近い先行策をとっていた。

 レースが始まって展開されたのは、シリウスシンボリが最先頭で馬群を引っ張る様相だった。

 想定外の事態、だが好機ともとれた。シリウスシンボリと鞍上の騎手はそのまま先頭を維持して中山の芝を駆け抜けた。

 そして最後の直線コース。バンセイフガクは上がってこず、これはもう勝負は見えた。そう厩舎陣営が確信したその時だった。

 坂を上りきろうとした時、背後から来る凄まじい気配にシリウスシンボリと騎手が毛を逆立てると、バンセイフガクが信じられない速度で追い抜いて、ゴール板を越えていた。

 

 厩舎へ帰って来てからのシリウスシンボリは、前回とは打って変わって荒れに荒れた。

 誰もが耳にすれば怒っていると分かる程の怒声を唸らせながら、怒り狂って馬房の壁に頭を何度も叩きつける姿に、駆け付けた人間達は一瞬止めに入る事を恐れてしまう程だった。

 

 しかしその狂乱の原因ははっきりと分かっていた。バンセイフガクに敗北した事なのだ。

 ようやく鎮まったシリウスシンボリの頭の怪我を見てもらう為に獣医へと連絡する中、柳原は先ほどの様子に過去の競走馬を思い出す。

 

「……負け続けた事でその悔しさをバネにして強くなった馬は過去にいる。中でも抜きん出て変わった奴がな」

 

「テキ、それは一体?」

 

「――タビノホマレ、かつて第28回日本ダービーを制した競走馬……あの舞田又則が開業して最初に手掛けた競走馬だ」

 

 タビノホマレ、1960年代初期に活躍した競走馬。マイル戦線では凄まじい強さを誇った快速の逃げ馬。その競走馬の名は一部の界隈では有名だ。

 ダービー馬となったその強さもそうだが、担当した調教師が異端だった。何せ、開業した最初の年でその馬をダービー馬へと鍛え上げたのは当時30歳の若輩の調教師だったのだ。

 必ずしも血統に恵まれていたわけではない。父は第25回日本ダービーを制したダイゴホマレだが、種牡馬としての成績は振るわなかった。タビノホマレはそんな産駒の一頭だった。

 

 当時タビノホマレは、デビューした新馬戦の頃からとある競走馬に負け続けていた。

 相手の名はハクシヨウ。管理する調教師は日本競馬界の大御所。数多くの名馬を手掛け、八大競走、重賞の勝利数は現在史上最多記録を誇り、日本の競走馬としては初めて海外で重賞を勝利した事もある馬を手掛けた伝説の調教師。大東方と称えられる程の男、東方富蔵(とうほうとみくら)。そして舞田又則の師匠でもあった。

 タビノホマレと舞田又則の前には、常に師の東方とハクシヨウが立ちはだかっていた。

 3歳馬の頃は新馬戦、中山3歳ステークス、東京3歳ステークス、朝日杯3歳ステークスでハクシヨウに敗北。

 4歳馬になればクラシック路線の皐月賞でタビノホマレはハクシヨウに勝てず後塵を拝する形となった。

 

 だが、タビノホマレにはある特徴があった。負け続けるたびに強くなっていったのだ。

 その結果、ハクシヨウ以外には決して負けなかった。それどころか、タビノホマレはハクシヨウが出走しないレースでは1着を取り続けられる強い競走馬になっていたのだ。

 そして5度に渡る敗北を経て、決戦の1961年第28回東京優駿。

 タビノホマレの適性距離は2000m以内、相手は自分に勝ち続けて来た強敵と、不利な状況でのレースは多くの者達がハクシヨウの勝利だと思っていた。

 だが、ふたを開けてみれば予想は覆される。接戦の末、とうとうタビノホマレは宿敵ハクシヨウに逃げ切り勝ちを成功させてダービー馬になったのだ。

 

 最若の調教師と日本最大の調教師による師弟対決。幾度の敗北の末に決戦の日本ダービーの栄冠を手にしたのは弟子の舞田又則。

 当時はあらゆる意味でセンセーショナルな話題となって競馬界は大騒ぎだった。

 

 

 調教師柳原仁平も当時自分の手がけた競走馬とタビノホマレが競い合った事があり、その強さを経験した者の一人だった。

 故にその強さの原動力が何なのかを知りたくなり、その中に負け続けてきた事への反動や負けん気があった事を知る柳原は、シリウスシンボリがもしかしたらタビノホマレのような気質の持ち主なのかもしれないと感じたのだ。

 実際にシリウスシンボリは己を強くしようと貪欲になった。食事量の増加もさることながら、調教への取り組みは人間以上に強くなっていった。

 だから柳原は、シリウスシンボリが望むままに調教を厳しくしていく事に決めた。

 そこで目を付けたのが“美浦トレセン最初期から存在している坂路コース”だ。

 “全長1200m、幅12m、高低差30m”のこのコースは元々件の調教師舞田又則がかつて行ってきた調教方法が関東の調教師達に広まった事によって計画された設備である。

 

 舞田又則は数々の強い競走馬達を輩出して来た事で名が知られているが、その強さの秘訣は坂道にあった。

 美浦トレセンが開場する以前の舞田又則は中山競馬場に厩舎を構えていた調教師の一人だった。そして調教の際に活用していったのが中山競馬場のゴール前にある急坂だ。

 他の調教師達の中で、舞田厩舎の管理馬だけは中山の急坂を頻繁に利用して馬を走らせていたが、他の調教師達からは若輩者が考えた突飛な浅知恵だと当初は見向きもされなかった。

 だが、タビノホマレの日本ダービー優勝から一部の調教師達がその馬の強さを探ろうとしたら、舞田又則の方から中山の坂を使っていると普通に打ち明けられ、そこから真似をする調教師が出始め、後に関西の方からも参考に見に来る者が現れるくらい流行りだすようになり、後の美浦トレセン構想計画にまで影響を及ぼすようになるとは、当時は誰も想像できなかった。

 

 後日発覚した事だが、舞田又則が坂道を調教に活用する発想に至ったのは、後にバンセイフジの馬主となる玩具の大会社バンセイ社長の万世楽之助が学生時代に山岳トレーニングでひたすら坂道を上り下りして肉体作りを行い、嘘か本当か山で襲ってきた猪を投げ飛ばした事があるらしい。

 その話を舞田又則は信じたようで、「人間でこんなに強くなるなら、馬も強くなれるんじゃないか?」と思い至ったらしく、おあつらえ向きに厩舎のある競馬場は日本有数の急坂コースがあるので実践してみた結果、スピード、スタミナ、パワーが鍛えられてダービー馬タビノホマレが出来上がったのだ。

 

 シリウスシンボリは坂路を駆けに駆け抜けた。

 普通の馬が2本で済ませている所を徐々に慣らしながら3本、4本、5本と増やしていき、周りの人間が引くほどの量を走らせてもシリウスシンボリは凄まじい気迫で坂路を駆け上がり、他の調教メニューもこなしていった。もしかしたら、こういう調教をこなさなければ勝てないと理解していたのかもしれない。

 これ以上は危険と判断して厩舎側で切り上げようとすれば暴れ出す程の貪欲さには人間側が心配してしまうほどだった。

 調教以外でもシリウスシンボリは変わった。食事の量もそうだが、睡眠時間が劇的に増えていったのだ。

 普通の馬の睡眠時間はおよそ3時間の所、シリウスシンボリはその倍の6時間は寝る様になっていた。

 最初は何処か病気なのかと心配をしたが、本当に睡眠時間が伸びただけだったので厩舎一同は胸をなで下ろした。

 だが、どうやらその睡眠時間の長さもまたシリウスシンボリの肉体改造の一環だったらしいと気付くのに時間はかからなかった。

 翌日の肉体への疲労が他の馬と比べて全くなかったのだ。疲労の無い体で他の馬では間違いなく音を上げるような過酷な調教に取り組み、それが終われば他の馬よりも多く餌を食べ、倍は睡眠をとる。そして次の日も、そのまた次の日も繰り返していく。

 そうしてシリウスシンボリの体は、次第にハード調教に耐えうる頑強な肉体へと変貌を遂げて行ったのだ。誰に指示されるでもなく、シリウスシンボリ自身の意志でだ。

 

 馬が自ら自分に足りないものに気付いて実践した? そんな馬鹿な。しかし現にシリウスシンボリはこうして柳原厩舎が指示せずとも睡眠と食事、調教の量を増やしていったのは紛う事なき事実だ。

 

 これはもしかしたら、もしかするかもしれない。

 シリウスシンボリの変化に柳原は僅かながらも可能性を見た。

 メキメキと鍛え上げられていく肉体と同時に、それはタイムにも反映されている。

 シリウスシンボリのオーナーにもこれらの調教内容とシリウスシンボリの状況については報告している。

 最初はそんな馬鹿なと信じなかったオーナーだが、直接様子を見に来たら最後に見た時とは比べられない位に仕上がっているシリウスシンボリの姿と調教時のタイムに酷く驚き、最終的には柳原厩舎に調教内容は一任するという事になったのだ。

 

 今、シリウスシンボリは並の競走馬では相手にならない程に着実に強くなりつつある。それこそ、オーナーが今最も期待を寄せている“皇帝”にだって見劣りはしない。

 だが、あの化け物に勝てるかと言われれば、それに是と答えられる者はいなかった。

 

「……走り続けるしかない。シリウスは、バンセイフガクと競う為に気力を保ち続けている。今バンセイフガクとのレースを回避させたら逆効果になるかもしれない」

 

 シリウスシンボリは、バンセイフガクと競ってから変わった。いや、入厩する前から変わっていたのかもしれない。

 聞けば、育成牧場の時に双方が諍いを起こしてから彼の黒い巨馬を強く意識するようになったらしい。

 そこへ更にバンセイフガクとのレースで敗北してから更に変化が劇的となり、ここまで強さと勝利を渇望する馬へと変貌を遂げたのだ。

 

 その飢えを維持させるには、バンセイフガクとの戦いが鍵なのかもしれないと柳原は推察している。

 何度でも挑むのだ。例え、その為に苦く辛い敗北を重ねてしまう事になったとしても。

 柳原は自分が残酷な選択をしている事を自覚している。強くなるために、負ける事を可能性に含めてレースに出走させるような所業をしようとしているのだ。

 だが、この可能性の火を消したくは無かった。シリウスシンボリが、あの突然変異の化身のような化け物に勝つために競走馬の常識を越えようとしているその先を見たかったのだ。

 

 次の出走は朝日杯3歳ステークス。バンセイフガクも出走するレースである。

 

 

 

 

 

 12月16日。とうとうバンセイフガクの3歳馬最後のレースの日がやって来た。

 朝日杯3歳ステークス。関東地区の3歳馬最強を決めるレースは、バンセイフガクにとってはお馴染みになりつつある中山競馬場で行われる。

 

《中山競馬場、朝日杯3歳ステークスの本馬場入場です。空は曇り模様ですが芝の調子は良好。出走する12頭をご紹介します》

 

 パドックを終えたバンセイフガクは、恵護を乗せて他の競走馬達と共に中山競馬場の本馬場へと進んでいく。

 

《続きましての登場は、この馬です。圧倒的強さで3戦3勝の戦績を築いてこのレースに臨むのは、単勝1番人気、4枠4番バンセイフガク。手綱は舞田恵護》

 

 芝を強く踏みしめて観衆の前に姿を現したのは、他の競走馬を上回る筋肉隆々の巨体を持ち、太陽の光を一切照り返さない暗闇のように黒い競走馬。

 

 バンセイフガクが本馬場へ入ると、大歓声が競馬場に響く。

 今までで聞いた事のない声量にバンセイフガクは耳をピクリと動かし、歩を進めながら観客席を眺めた。

 

 新馬戦、芙蓉特別、府中3歳ステークスのどれよりも来場者が多い。

 歓声のタイミングからして自分へ向けられているのだろうと察するバンセイフガク。

 

「で、でけえ……あれでサラブレッドなのか!?」

 

「なんだあの体、物凄い真っ黒だぞ」

 

「フガクー! ぶっちぎれ―!」

 

「またあの凄ぇ走りを見せてくれよー!」

 

 新馬戦の時に飛ばされた疑念と罵声は鳴りを潜め、驚嘆と声援が飛んでくる。

 これまでのレースで見せつけた走りと結果で、バンセイフガクの強さは多くの人々が認めるものとなった。

 他にもその身に過去日本競馬に伝説を残した競走馬達の血が流れている事もまた人気の要因となっていた。

 初代三冠馬セントライト、無敗の変則三冠馬クリフジ、幻の馬トキノミノル、神馬シンザン、そして七冠馬バンセイフジ。

 そうそうたるメンバー達のかつての活躍を知る昔のファン達は、その強さと血統を受け継いだ子孫を拝みに足を運んで来たのだ。

 

「フガク、緊張しないようにな」

 

『なに、観客に見せつけてやるだけの事よ』

 

 死と輪廻転生を体験した影響で肝が一回り以上太くなったバンセイフガクは、恵護の言葉を嘶きで返しながら返し馬に入ろうとした時、見覚えのある鹿毛の馬が本馬場へと入場して来た。

 

《6枠7番、シリウスシンボリ。単勝2番人気です》

 

 他の競走馬達よりも一際剣呑な雰囲気を放ちながら、シリウスシンボリが芝に足を踏み入れる。

 

《芙蓉特別競走と府中3歳ステークスではバンセイフガクとの争いで2着となりましたが、いちょう特別では他の馬を圧倒的に引き離して1着をもぎ取っており、間違いなく強い馬です。バンセイフガクと争った二つのレースも、バンセイフガクがいなければ1着になれていたと言っても過言ではないでしょう》

 

 本馬場へ入るシリウスシンボリの姿に、パドックで見ていなかった観客達はどよめいた。

 全身の筋肉は一目見て分かる程に鍛えられた馬体は、前回の府中3歳の時よりも明らかに仕上がっている。

 ひと月程度しか経っていないこの期間で、どれほどの調教を施せばあんな馬体に仕上げられるのだろうか?

 

 人間達が騒ぐ中で当馬のシリウスシンボリは静かなものだった。

 パドックの時にバンセイフガクを見かけた時は脚を止め、血走った目を向けながら体を震わせる。その雰囲気に周りの競走馬達が怯えだすほどだった。

 

(ふん)

 

 バンセイフガクはシリウスシンボリへ見向きもせずに不快気に鼻を鳴らして返し馬に入った。

 

 工程を終えて、競走馬達がゲートへ順に入っていく。

 自分にとっては狭いゲートへバンセイフガクは器用に入り、背後の扉も無事に締まる。

 

「フガク、3歳王者になりに行くぞ」

 

『手綱は任せたぞ恵護』

 

《12番キングパッチワークがゲートへ入り準備が整いまして第36回朝日杯3歳ステークス…………スタートしました!》

 

 ゲートが開き、3歳馬チャンピオンの座を賭けたレースが始まる。

 

《一団が綺麗にスタートする中でバンセイフガクが一気に飛ばして先頭に立ちまし……おぉっとこれは!?》

 

 実況が驚き、そしてレースを見る観客や、実際にレースを走る馬や騎手達もそれに驚愕する。

 

 バンセイフガクに続いて、シリウスシンボリも前へと駆け出したのだ。

 

《シリウスシンボリがバンセイフガクの5馬身後方を2番手で走ります! 速い! しかしこのペースで大丈夫なのでしょうか?》

 

 バンセイフガクは初手から並大抵の競走馬達では真似の出来ない大逃げによる圧倒的なハイペースでのレース展開を行う。

 そのバンセイフガクの走りに付いて行くような走りなど、もはや大逃げを敢行しているに等しいのだ。

 当然、それはシリウスシンボリもその鞍上も承知の上である。

 その証拠に、シリウスシンボリは速度が一切落ちる事なくバンセイフガクとの差を維持したまま走り続けていた。

 

《バンセイフガクとシリウスシンボリ依然差は変わらない! しかし2頭と後続の差は大きい! なんだこれは、10馬身以上は開いています!?》

 

 驚きと絶叫する観客達の声をBGMに、先頭の2頭はいよいよ第3コーナーを越えて最終コーナーへ、そこでシリウスシンボリが遂に仕掛けて来た。

 

『……行くぜオラァッ!!』

 

《シリウスシンボリがとうとう仕掛けた! 5馬身の差が徐々に縮まって、バンセイフガクへと肉薄する!!》

 

 その接近を、バンセイフガクの鞍上の騎手恵護がちらりと背後を振り向いて気付くも、バンセイフガクにペースを上げさせる事はしなかった。

 

《これは差しに行くのかシリウスシンボリ! 先頭は維持できるのかバンセイフガク! さあ最後の直線真っ向勝負!!》

 

「……ここだ、フガク」

 

 直線に入る直前にかける恵護の声と共に、沈黙を保っていたバンセイフガクが遂に動いた。

 脚の回転が一気に早まり、シリウスシンボリとの差が再び開いた。

 

《バンセイフガクここから更に加速したー! シリウスシンボリ追い縋れない!? バンセイフガクが引き離していく!!》

 

『ぐぅ!?……こんちくしょうがああぁぁ……ッ!』

 

 シリウスシンボリも加速は止めていない、騎手が懸命に鞭を入れている。現に後続との差が縮まっている。5馬身以内にまで距離を詰める事が出来たのだ。しかし……。

 

《バンセイフガクが千切り捨ててゴールです! シリウスシンボリの逆襲許さず堂々と関東3歳王者へ君臨だー!!》

 

 バンセイフガクがゴール板を越えて1着。

 速度を徐々に落としながら芝を駆けるその姿に大歓声がかけられる。

 

《バンセイフガクここでもやりました! レースレコードは1分31秒8! しかしそれに続いたシリウスシンボリも1分32秒5と凄いタイム。力及ばず2着となりましたが、こちらも過去のレースレコードを越える凄い走りを見せてくれました!》

 

「おめでとうフガク。お前、関東3歳馬の王様だってさ」

 

『恵護よ、ひと足早いがクリスマスプレゼントだ』

 

《関東3歳王者バンセイフガク、来年はいよいよクラシックです! 母や父達の偉業をその息子も勝ち取れるのか非常に気になる年になるでしょう》

 

 勝利の祝福と歓声を一頭の巨大な馬が一身に受ける中、もう一頭は早々に芝から退場しながら屈辱に震えつつもその眼に闘志の衰えは無かった。

 

『……まだだ……まだ……足りねえ……!』

 

 シリウスシンボリは、まだ折れていない。

 

 

 

 

 

 関東3歳王者決定戦と言う事もあって、レース後の表彰式は今までのどのレースよりも派手な催しとなった。

 府中3歳ステークスの時もそうだったが、バンセイフガクの首には優勝レイという豪華な飾りがかけられ、ハミに紅白の綱を繋げて口取り式が行われる。

 まっ黒な馬体に朝日杯3歳ステークス優勝の赤いレイが良く映える。その外見と強さから話題性十分と見做されて大勢の記者達が写真撮影に参加していた。撮影音が鳴る中をバンセイフガクは悠然とした態度で眼下の群衆を俯瞰するように眺めていた。

 

 紅白の綱を手に取るのは調教師の舞田又則や馬主の万世楽之助、厩務員の溝峰などのバンセイフガクに関わった関係者達だ。皆スーツ姿のニコニコ笑顔で写真撮影を受けている。

 

 3歳のレースはこれで終わった。

 次は来年、母が辿ったクラシック三冠だ。

 

(これで躓くようなら世界など夢のまた夢よな)

 

 母から託された世界への夢、そのためにはまず日本国内の大レースの栄光を全て毟り取るくらいはしておかないと格好がつくまい。

 ひとまず年末最後の仕事を終えたバンセイフガクは帰ったら飯でも食って寝るか、と口取り式が終わって後は人間達の表彰式だけなので、紅白の綱や優勝レイを取り外されながら競馬場内の馬房へと向かって行った。

 

 

 こうしてバンセイフガクは華やかな勝利と共に3歳馬のレースを終えた。

 だが、競馬界隈ではとある事態が発生する。

 それはバンセイフガクの朝日杯3歳から一週間後、有馬記念で起こった出来事だ。

 

 

 ミスターシービー、有馬記念2着。

 1着とはハナ差の勝負だった。しかし、ここでミスターシービーの無敗伝説は終わりを迎えた。

 

『……負けるのが、一年早すぎたな』

 

 舞田厩舎の人間達の会話からそれを知ったバンセイフガクは、一頭だけ不機嫌な形相を浮かべてそう溢した。




シリウスシンボリ陣営(というか厩舎陣営)の回想を挟みましたが、長くなって読みにくくないかなとちょっと心配。

この世界線だと高低差30mの坂路が美浦トレセン開場時には既に存在しているというとんでもないことになってます。現実では改修するのに相当な問題があるみたいですが、バタフライエフェクトと言うことで。
もしかしたら将来そこら辺関係で運命が変わっている競走馬とかが出るかもしれません。

なお、作中に登場した競走馬のタビノホマレは架空馬です。作中では舞田又則が初めて手掛けた競走馬と言う事になってます。
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